ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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2.

「久しぶりだな……、キクコ」

 

 俺はどう反応していいかわからず、思わず間の抜けた声で答えてしまった。

 

 キクコとは、あの雨の日に見たポケモンの死体の件以来、一度も連絡を取っていなかった。それからもロケット団の仕事やフジ先生の研究などで忙しかったし、正直言ってキクコの存在自体、頭から消えかかっていたようにさえ思う。少し気まずい。

 

「いろいろ聞いてるよ、あんたの噂は」

 

 キクコは低い声で言い、廊下のソファに腰掛けた。俺も少し離れて隣に座る。キクコと会うのは約十年振りだが、なんだか十年とは思えないくらいに老けたように見える。俺も人のことは言えないだろうが。

 

「まあ、あたしはどうこう言うつもりはないけどね。もう、あんたのことなんかどうだっていい。諦めたよ」

 

 キクコは眉間に皺を寄せて俺を睨む。俺のことを恨んでいるのだろうか。

 

「ユキナリはどうしてる」

 

 俺はわざとらしく話題を逸らした。下手に口論になって周りに注目されるのは御免だ。なるべくこの場は穏便にやり過ごしたい。

 

「あんたに会いたがってたよ」キクコはおとなしく話題に乗ってくれた。多分わかってやってくれている。「どうしていきなりいなくなってしまったのか、不思議がってた。何にも知らないんだあいつは。あれからのあんたのこと」

 

「何も知らない方が、幸せなんだろうな」

 

「ふん、それがいなくなった本人の言うことか」

 

「もっともだ」

 

「まあ正直言って、あたしも今のあいつには失望してるんだ。まだ五十手前だってのに、もう研究人生の総決算に入ろうとしてる」

 

「総決算?」

 

「ポケモン図鑑なんて代物を作るんだとさ。図鑑って言っても紙の図鑑じゃなくて、電子辞書みたいなものらしい。その機械に今まで研究してきたポケモンのデータをすべてインプットして、ポケモンの生態を網羅した図鑑を作りたいと言っていた」

 

「へえ……」

 

「まだそんなことをする年じゃないだろうに。そしてあたしが一番馬鹿だと思ったのは他でもない。その図鑑の使い道だよ」キクコは指で膝をコツコツと叩きながら不機嫌そうに言う。

 

「その図鑑をいったん白紙にして、子供たちに渡すんだとさ」

 

「白紙?」

 

「子供にポケモンのことを研究する楽しさを知ってほしいとかのたまってたよ。一見白紙の何も書かれていない図鑑に見えるが、それは見かけだけさ。新しいポケモンを捕まえるごとに、自動的にそのポケモンに関するデータが浮かび上がるような仕組みになっている。子供はさも自分の手でポケモンの生態を解明したような気分になるんだろうね。完全に子供騙しだろ?」

 

 俺は黙ってキクコの話を聞いていた。

 

「あいつ、多分こんなことを言いながら図鑑を渡すんだろうね。自分はまだポケモンのことを何も知らない。この世界はポケモンの謎に包まれている。それを解き明かしたいが、自分はもう年寄りだ。だからお前たちに代わりに夢を叶えてほしい。……ああ、白々しいったらありゃしない。自分はもう全部わかってるくせに、知らないふりをするんだ。どうせ子供たちに夢を与えたいとかそんな理由なんだろうけど。はっきり言って子供を馬鹿にしてるね。そんなの、本当の優しさじゃない」

 

「確かに、ユキナリにはもっと純粋に研究を続けてほしかった。そんな気がする」俺は何となく呟いた。キクコも頷いて言う。

 

「まああいつの人生だから、あれこれ口出ししてもしょうがないけどさ。でも多分原因は孫が生まれたことだね。ジジイとして、孫におもちゃのひとつでもプレゼントしてやりたいんだろうよ。研究人生の総決算が孫へのおもちゃなんて、とんだお笑い種じゃないか」

 

 孫か……。ユキナリはもう五十近い。若くして結婚したのだから、孫がいてもおかしくない歳なのか。といって特に感慨も湧かず、俺は他人事のように受け流した。まあ、実際他人事なのだからしょうがない。

 

「そういえばキクコはどうなんだ。ジムリーダーになりたかったのか。前は研究一筋で、ポケモンバトルになんて興味なかったのに」俺は再び話題を変えた。

 

「ああ。昔はそうだったね。でも、誰かさんのおかげで考えが変わったんだ」キクコは俺の顔をじろりと見つめて、冷ややかに言う。「あたしは、自分の研究は人のためになると思ってやってきた。自分の研究で、誰かを助けることができる。誰かを変えられると信じてきた。でも、研究じゃあそれは無理なんだ。力がないと。絶対的な力がないと、人を振り向かせることはできないんだ、と……」

 

 それは、俺のことを言ってるんだろうか。それとも他の誰かか。絶対的な力……。キクコと最後に会ったあの夜、キクコは、ポケモンの死体を売り捌きに行こうとする俺を止めにかかり、そして俺はキクコをこてんぱんに打ちのめした。あれは確かに、力が優った瞬間だった。

 

「あれ以来、あたしは研究をやめて、ポケモントレーナーになった。そして、力を手に入れることだけを目指した。今、この世の中で一番の力って何だと思う。金か? 名誉か? それもそうかもしれないが、少し違う。一番はやはり、ポケモンバトルの強さだ。ポケモンバトルで強い者が、この現代社会では一番注目される。結果的に金も名誉も与えられる。つまり一番の力を手にできる。力こそすべてだ。反社会的だと言われるだろうが、それでも構わない。あたしは今のこの生き方が、一番あたしらしさに近づいていると思っているから」

 

 キクコは一気にまくし立てるように、しかし努めて穏やかな口調で言った。あらかじめ用意していたような台詞だった。きっと、今までにも誰かに話したことがあるか、そうでなければ誰かに言うために何度も何度も自分の中で反芻してきたような、そんな印象を受けた。

 

「そうか、それはなんて言ったらいいか……、すまなかった」

 

 俺はなんとなく謝っていた。キクコをそんな道に進ませてしまったことに、俺は少なからず贖罪の意識を感じた。それだけでなく、十年前のあの日のことも、もしかしたら心のどこかにしこりが残っていたのかもしれない。そんな気持ちも、多分混ざっている。

 

「どうしてあんたが謝る? あたしは満足しているんだよ、今の自分に。実に晴れやかな気分だ」

 

 キクコは毅然とした表情で言った。でも多分それは強がりだろう。見ていて少し痛々しかった。俺はキクコと目を合わせられなかった。

 

「まあ、パトロンができたってのが一番大きいかね。なんか、いろいろ余裕がでてきたんだと思う。経済的にも、精神的にも」キクコは天井を見上げてしみじみと語る。

 

「パトロン? 結婚でもしたのか?」

 

「ああ。もう五年ほど前になるかな。そういやお前に結婚式の招待状を送るの、忘れてたよ」

 

 そこでキクコは初めてほんの少し微笑んで見せた。冗談で聞いたつもりだったが、そうか、キクコも結婚していたのか。

 

「相手は?」

 

「お前の知らない男さ。あたしだっていろいろあるんだ」

 

「そうか。聞かないでおくよ」

 

「まあ、養ってくれる男でもいなきゃあ、こんなジムリーダーなんて割に合わない酔狂な仕事、受けようとは思わないからね。あんたこそ、どうして来たんだい? まさかこんな仕事をしなきゃいけないくらい、金に困っているとか?」

 

 言っている意味がよくわからなかった。割に合わない仕事? そりゃあ確かに大変な仕事ではあるだろうが、いまいち要領を得ない。

 

 俺が首を傾げていると、キクコは肩にかけていたバッグから一枚の紙を取り出した。

 

「あんたまさか、何も知らずに来たんじゃないだろうね? 特に、この給料のこととか」

 

「給料?」

 

「やっぱり見てなかったのかい。この仕事、相当安いみたいだよ」

 

 そう言ってキクコは紙の一部分に指をさす。それはジムリーダー募集のチラシで、隅の方に小さく契約金について書かれていた。契約金は、月給にして相場の半分程度とかなり低いものだった。ほとんど慈善事業のようなものだ。俺は表向きの顔さえ手に入ればいいと思っていたから、給料なんてまったく気にしていなかった。

 

「ポケモン協会もケチくさいもんだね。これだけポケモンバトルの規模が拡大してるんだから、もうちょっと力を入れても良さそうなものなのに」

 

 キクコの言うことももっともだが、しかしこれで合点が行った。受験者が多いにも関わらず、試験がやけに簡単だったこと。そして受験者のレヴェルも低く、良い成績が取れなくても特に落ち込んでいなかったこと。

 

 給料が低いからまともに働きたいと思う者がほとんどいないのだ。ジムリーダー試験の第一回ということで、大半は記念受験のような気持ちで受けていたのだろう。恐らく、俺のように、既に他に職を持っている者のための制度なのだろう。そういう者なら、ジムリーダーの肩書きは(それ自体の収入は少なくとも)自分の本業のプロモーションの材料として有効に活用できる。キクコのように、夫に充分な稼ぎがある場合もそうだが、いずれにせよ、それなら大した予算をかけずに制度を発足させることができるわけだ。ポケモン協会もなかなか聡いことを考えたものだと妙に感心してしまった。

 

 そのあとは、実技と面接の試験が行われた。実技は、要するにポケモンバトルの技量を測るものである。競技場にポケモン協会に所属する会員トレーナーが何人か並び、受験者はその中のひとりとバトルする。受験者の多くは、やはりまともにポケモンを育てていない者ばかりで、ろくに相手になっていなかった。酷い場合は、バトル用のポケモンすら持ってきていないなんてこともあった。

 

 要するに、競技人口が増えた分、競技全体の平均レヴェルが落ちたのだと観察できる。ポケモンバトルに限った話ではないが、こういう文化というのは、成熟するまでの過程こそが、いろんな意味で一番密度が高く、また熱度が集中しているものである。過渡期を越えると、文化として洗練こそされるが、逆に突出した才能は生まれにくくなる。間口が広がることで気軽に始めることができる分、そこまで極めようと思う人が少なくなるのだろう。極論だが、世間で流行り出すということがむしろ衰退の始まりなのだと言っても過言ではない。

 

 多分、ポケモンバトルのブームはこれからも安定して続いていくのだろう。でももう昔体験したような、あの血肉湧き上がるような興奮は二度と味わえないに違いない、となんとなく思った。まあ、そんなものを求めてジムリーダーになりたいわけでもないし、別にどうということはない。仕事なのだからドライに取り組むくらいでちょうどいい。下手に使命感に燃えたりして、本業の方に支障が出るようでは本末転倒だ。

 

 そのあとについてはもう書くほどのこともない。面接もクリアし、俺はその場で即、ジムリーダーの座を手にすることができた。ジムリーダーは知識やバトルの能力だけでなく、トレーナーたちを教え導く、教育者としての資質も問われるのだが、その辺は曲がりなりにも一組織のトップを長年務めている実績があるのだ。方法論としては本質的には似たようなもの。こういう技術というのはどんな分野でもだいたい同じように応用が利く。そのためか、審査員たちは俺の教育者としての資質も充分に認めてくれた。終わってみれば呆気ないものだったが、これで当初の目的は達成された。

 

 キクコはというと、こちらは少々予想外の展開になった。と言っても、試験に落ちたのではない。あのキクコに限ってそれはない。その逆で、合格し過ぎたとでもいうのか。キクコはジムリーダーの八人の枠ではなく、ポケモンリーグの特別職に抜擢されるという異例の事態になった。

 

 それは四天王という肩書きになる。ジムリーダーよりも上の、ポケモンバトル界最強のトレーナー軍団にのみ与えられる称号。キクコはその四天王のひとりとして任命されてしまったのだ。四天王と言っても、俺は名前くらいしか聞いたことがなく、詳しい業務は知らないのだが、とにかくずば抜けたバトルの腕前がなければその地位は手にできないことだけは間違いない。

 

 実技試験のときに、観客席からキクコの試合を見る機会があったが、確かにキクコの強さは他の参加者たちと頭ひとつふたつも抜けていた。あのままジムリーダーになったりしたら、強すぎて他のジムとのバランスも取れないし、第一バッジを獲得できるトレーナーがそもそも現れないだろう。いったいこの十年でどんな修行を積んできたというのか。

 

 そういえば、キクコはゲンガーを使っていた。恐らくパートナーのゴーストを進化させたのだ。あれは他のトレーナーと一度手持ちを交換しないと進化しないポケモンだ。昔、ユキナリに進化を持ち掛けられて頑なに拒んでいたが、いったいどういう心境の変化だったのだろうか。

 

 そのゲンガーの活躍もあってか、キクコの強さは圧倒的だった。あの当時の俺なら、腕試しにと、是非とも手合せ願っていたところかもしれない。でも、今はとてもそんな気にはなれない。こういうのを何というんだったか。触らぬ神に祟りなし、か? 俺も随分と臆病になったものだ。

 

 そのあと、俺とキクコは特に挨拶を交わすこともなく、それぞれの手続きを行うため、別々の事務室へ連れていかれた。俺はそこで簡単な制度の説明を受け、それから勤務地の候補を選ぶことになった。どこの街に自分のジムを構えるか決めるのだ。

 

 ロケット団の現在の本部があるタマムシシティも候補にあったが、さすがに本部から近い場所だと、何かと怪しまれやすいだろう。他に、自分の出身地であるトキワシティの名前もあったので、俺はそれを選んだ。

 

 こうしてキクコは四天王、俺はトキワでジムリーダーと、やはりそれぞれ別の道を歩いていくことになった。


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