ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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4.

 その件については、最初からなにか奇妙だった。

 

 ボスに会えという連絡は、なぜか直属の上司のツバキではなく、他の組の幹部が伝えてきた。そしてその幹部は、ツバキにはこのことを言うなと念を押したのだ。どうしてツバキに知らせずに、僕のような下の人間に話を持ち掛けるのか、いまいち腑に落ちない。その幹部も詳しいことは知らないようだ。それにロケット団のトップであるボスに関する命令なので、疑問を差し挟むわけにはいかなかった。

 

 僕はボスに会うため、クチバシティの外れにあるロケット団本部に向かった。ロケット団は各地に支部を置く巨大な組織だが、拠点はこのクチバシティにある。やはりこの稼業は密輸が大きな割合を占めるため、密輸品を船で海外へと流すのが容易な港町は、うってつけの場所なのだそうだ。そういえば僕が昔、珍しいポケモンを買い取ってもらっていたディーラーのショップもこのクチバにあった。最近知ったことだが、実はあのショップ、本部のすぐ近く、目と鼻の先にあったのだ。どうりで僕の存在がロケット団の耳に入ったわけだと合点が行った。

 

 ロケット団の本部ビルは、一見するととても巨大組織の本拠地には見えないくらいみすぼらしい見た目をしている。いろいろな会社のテナントが入った、ただの雑居ビルである。しかもたったの三階建て。実際、僕もクチバシティに着いて、地図を頼りに本部ビルを探したのだが、最初はそれらしい建物が見つからずに通り過ぎてしまったくらいだ。

 

 しかし、そこは紛れもなくロケット団の要となる場所だった。一階に入っている「有限会社ロケットグループ」の事務所はただのダミーで、その事務所の奥には、地下に通じる隠し通路があった。つまり本当のロケット団のアジトは地下室にあったのだ。フジ先生といい、表沙汰にはできない活動をする人たちは、地下に居を構える傾向にあるのだろうか。そんなことを考えながら、僕は地下の、本当のロケット団本部へと足を踏み入れた。

 

 地下のフロアは薄暗いが、見た感じ相当広い。ワンフロア当たりの面積が、ちょうどビル全体と同じくらいらしい。それに、外側はみすぼらしく寂れたビルだったが、この地下はどう見てもそれよりずっと新しく見える。きっと最近になって地下部分だけ改築したのだろう。見える範囲に置かれている空調やコンピュータなどの設備も恐らく最新鋭のものばかりだ。その機械の周りで、何十人もの団員や研究者たちが忙しそうに働いている。多分シルフカンパニーで行っている研究の一部をここで分担しているのだと思う。

 

 そんな地下フロアが三階分もある。それだけでロケット団という組織の規模と成長ぶりをまざまざと感じられた。

 

 そしてその最奥、地下三階にボスの応接室はあった。部屋の前に立つガードマン(彼もロケット団員のひとりだろう)に、ボスからの許可証を見せる。ボスからの伝言を言付かったという例の幹部から受け取ったものだ。ガードマンが部屋の鍵を開け、僕は中に通される。

 

「お前がサカキだな?」

 

 部屋の奥にいた人物がこちらを向いている。組織のトップという言葉のイメージ通り、大きなデスクを前に、革張りの椅子に座っている。あれがボスだろう。ガードマンが一礼して部屋から去り、再び扉を閉める。

 

 僕はゆっくりとボスの顔を見据えた。意外にも女性だった。年は四十前後だろうか。いや、若く見えるだけで、実際はもう少し上かもしれない。藍色の髪に、黒いスーツ、紅色のジャケット。腕や首、指や耳などにはこれでもかというくらいのアクセサリーをぶらさげている。だがいかにも成金そうな光物ではなく、どちらかというと渋い光沢の宝石が多かった。よく知らないが、そういうものほどより高価な値打ちがあるのだろう。

 

 そしてそれらが霞んで見えるくらい、何よりも目を引くのが、彼女のその目である。対峙するものすべてを委縮させるようなその鋭い眼光は、なるほど裏社会のトップに相応しい説得力を備えていた。

 

「はい、お初にお目にかかり、光栄です。ボス」

 

 僕は頭を下げ、丁寧に挨拶した。頭を下げたのは、それ以上彼女の視線を直視できなかったからでもある。

 

「タマムシでカジノを出店したのは、お前のアイディアだったらしいな」

 

 ボスは抑揚のない、しかし良く通る低い声で言った。

 

「ええ。発案は私です。ですが、ここまで成功したのはツバキの兄貴の尽力があってこそでした。兄貴がいなければ、あそこまで豪華な景品を用意して集客することはできなかったでしょう」

 

 僕はとりあえずそれが筋だと思い、ツバキの名前を出した。だが正直に本心を告白するなら、僕はそこまでツバキに情を感じていない。いい人なのだが、いまいち好きになれない。

 

 それは多分、いつだったかこっそり打ち明けられた、彼がユキナリのファンだという事実に起因するものだと思う。ユキナリが僕の敬愛するフジ先生と対極にいる存在だからという嫌悪感によるものなのか、それともお前なんかにユキナリの価値が理解できるものかという嫉妬心によるものなのか、理由はよくわからない。とにかく彼がユキナリの講座を聞いて尊敬するようになったという話を聞いてから、僕はもうこの男と本当の意味で打ち解けることはできないだろうと確信してしまったのだ。

 

 しかしこのカジノに関して言えば、ツバキに世話になったのは事実だ。だからとにかくこの場ではツバキの名前を出し、彼の功績も称えるのが、部下として当然の振る舞いだろう。

 

「いや、そういう世辞はいい。とにかくお前はよくやった。素直に喜んでいいぞ」

 

 僕の気持ちを察しているわけではないと思うが、ボスはそう言って、乾いた笑みを浮かべ、三、四度手を叩いた。拍手のつもりだろうか。

 

「まあそれはさておき、本題だ。ツバキではなくお前を呼んだことには、もちろん意味がある」ボスは腕を組んで、僕を見下すように顎を上げる。

 

「単刀直入に言おう。サカキ、ツバキを殺せ」

 

「え……?」

 

 今、目の前の女は何と言った? 殺す? 誰が? 誰を?

 

「兄弟の盃を分かち合った関係の人間を殺すのは気が引けるか? 大丈夫だ。心配することはない。この世界ではむしろ、兄弟の落とし前は、兄弟がつけなければならないんだからな」ボスは当たり前のことのように淡々と語る。

 

「えっと、話がよく……」

 

「そりゃあ、そうだろうな。少々ややこしい問題だ。順を追って話そう。ツバキを殺せと言ったのは、もちろんツバキが殺されるだけの重罪を犯したからに他ならない」

 

「重罪? ツバキの兄貴が……?」

 

 信じられない。あんなに組織に従順に貢献しているツバキが、なにかやらかしたというのか。

 

「正確には犯したではないな。これから犯そうとしている、というべきだ。それも、この裏社会では最も許されざるべき禁忌、同族殺しを」

 

 同族殺し……。つまり、同じ組織の人間の中に殺そうとしているやつがいるということか。そんなまさか。

 

「しかも同族と言っても、やつの狙いはその中の最たる存在。トップに君臨する首領。つまりこの私だ。そう、ツバキは私を殺すつもりでいる」

 

 驚きのあまり言葉も出なかった。ツバキがボスを殺す? さっきツバキに情は湧かないと言ったが、しかしそれでも五年の付き合いがある。ツバキのことは少しはわかっているつもりだ。あのツバキがよりによってボスに叛逆するなんて、とても考えられない。何かの間違いじゃないかと聞きたかったが、しかしこの場面でそんなふうに口を挟むことは許されないだろう。僕は黙って続きを聞くことにした。

 

「ツバキが我がロケット団に入団したのはもう十年も前になるか。あいつは本当に有能な部下だったよ。異例の早さで幹部にまで上り詰めた。三十前で幹部張ってるなんて、いくらデカい組織のウチでも、あいつくらいのもんだ。だが、あいつは最初から組織のことなんて何も考えていなかった。ツバキは最初から、私を殺すためだけに組織に潜り込んだんだよ」

 

 馬鹿な。ツバキがそんなことのために? だったら……、

 

「そんな、だったら何で兄貴はあんなに一生懸命組織に尽くして……」

 

 僕は思わず質問してしまっていた。途中で気づいて言葉を切ったが、もう遅い。しかしボスは咎めることなく、涼しい顔で僕の疑問に答えた。

 

「理由はふたつある。ひとつは簡単だ。出世してトップに近づけば近づくほど、私に接近する機会が増えるからだ。私を殺そうとするなら、それが一番の近道だろう。そしてもうひとつ。あいつは私が幸福の絶頂にあるときに、そこから突き落とす形で殺したいと考えている。この組織を繁栄させ、その成長が頂点に達したところで、私を抹殺すれば、組織は大きく傾く。多分、そのままついえることになるだろう。それがやつの本望なのだ」

 

 なんだそれは。いくらなんでも馬鹿げている。僕はもう我慢できなかった。

 

「すみません。何度も話に割り込むご無礼をお許しください。ですが、どうして、どうしてそんなことがわかるんですか? 失礼ですが、私は兄貴の下で、五年も共に働いています。兄貴のことなら私が一番理解しているという自負があります。それなのに、ボスはいったいどこからそんな情報を……。兄貴がボスに宣戦布告でもしたというんですか?」

 

 ボスは顔色ひとつ変えずに話を続ける。

 

「そういうわけではない。それに証拠もない。あいつは周到な男だからな。尻尾を掴ませるような真似はしないさ。しかし何か嫌な予感がしていた。あいつを入団式で初めて見たあの日から、妙な胸騒ぎが。直感みたいなものだ」

 

「直感って……」

 

「信用できないのも無理はないか。いや、お前の言う通りだ。だから、外れてくれればそれに越したことはない。もしそうなれば、私の人を見る目も落ちたものだということになるが」

 

 どうやらボスは自分の直感にただならぬ自信を持っているらしい。直感と言ってもただの当てずっぽうではなさそうだ。仮にも一組織のボスとして、膨大な数の人間に接し、それらを配下に収めてきた人間だ。その経験から、その人間の本質を一目で見抜く観察能力がずば抜けて優れているのだろう。

 

「残念ながら、この手の悪い予感が外れた試しは今までにない。それにあいつは少し特別だからな」ボスは伏し目がちにため息をつく。

 

「特別? どういうことですか?」

 

「いや、なんでもない。口が滑った。忘れてくれ。詳しいことは言えないが、ツバキは私に恨みを持っている。これは確実だ。だからその恨みを晴らすために、この組織に入り込んだ。そして十年もの間、私を討つチャンスを虎視眈々と狙っていた。あいつの目を見ていればわかる。この十年間、何度かあいつに会う機会があった。実は、実際に言葉を交わしたことはあまりない。特に一対一で話をしたことなんか一度もなかった。それでも、言葉なんかなくても、充分すぎるほど感じ取れるんだ。やつが私に向ける、背筋の凍りつくような殺気に満ちた眼光がね……」

 

 僕は唾を飲み込んだ。この強面のボスがそう言うくらいなのだから、ツバキの視線は相当なものだったのだろう。確かにツバキは目つきが悪く、一見して温和そうな顔つきではない。しかし僕の知る限りでは、殺気なんてものは感じたことがない。本当に面倒見の良い上司なのだ(あのユキナリを支持している点を除けば、だが)。

 

 それにしても、そんなに確固たる予感があるのなら、自分の手で何とかすればいいのではないか。どうしてわざわざ僕にそんなことをさせるのか……。

 

「それで、いつ殺せばいいんですか? 早ければ早いほどいいんでしょうか」

 

 僕は一歩前に出て尋ねたが、ボスは右の手のひらを突き出して制した。

 

「まあ待て。タイミングというものがある。それに、今の段階ではやつを殺す口実がない。私を殺そうという証拠は何もないのだし、やつの仕事っぷりも優秀で、口実にできそうな落ち度も見当たらない」そして机に肘をつき、顔を傾ける。「だから、殺すのは、私が殺されたあとだ」

 

「え、殺されたあとって……、どういうことですか?」

 

「そのままの意味だ。やつの復讐は遂げさせてやりたい。なぜなら私自身、やつに殺されても仕方ないくらいの罪を犯してしまっているのだから」ボスは話の内容にそぐわない、無機質な抑揚で淡々と話を続ける。

 

「それってどんな罪なんですか、と聞いても……」

 

「もちろん答えられない。わかってくれ、私のわがままだ。明らかに職権乱用だが、これもボスの命令だと思ってほしい。とにかく、ひとりの人間として、やつの願いは成就させたいんだ。そのためなら私は殺されても構わない。だが、組織のボスとして、そのあとのやつを野放しにしてはおけない。最悪の同族殺しをやってしまうのだから、速やかに粛清しなければ周りに示しがつかない。だからその役目を今のうちに、お前に託しておきたいのだ。やつに最も近い存在である、部下のお前にな」

 

「僕が、兄貴を殺す……」

 

 ボスの言っていることは、わからないことが多すぎる。しかしそれでも、僕がツバキを殺さなければならないという点だけは、最初からはっきりしている。

 

「もちろんお前自身が同族殺しの罪に問われることはない。私が殺された時点でやつは裏切り者となり、同族ではなくなる。むしろ殺された私の敵を討った英雄として、お前はますますの喝采を受けることだろう」

 

「ですが、私にそんなこと……」

 

「別にお前自身が手を汚す必要はない。簡単だ。ポケモンを使えばいいのだ」

 

 その言葉を受けて、僕の背中に悪寒が走った。

 

「ポケモン、ですか」

 

「お前もポケモンを持っているだろう。ええと、確かお前の手持ちは……」

 

 ボスはそう言って、机の上のコンピュータを操作した。そこに団員の持っているポケモンのデータが記録されているようだ。

 

「おお、ニドキングがいるのか。これは適役だな。こいつの技、”つのドリル”なら、人間に使えば即死させることができる。これで殺せばいい」

 

 ポケモンを殺しの道具に使う。ポケモンを扱う裏社会組織・ロケット団ではこういうことは珍しくない。暗殺も、裏稼業の仕事のひとつだからだ。もちろんポケモンを殺人に使えば、それを使役した持ち主のトレーナーが罪に問われる。しかし未知の特質を秘めたポケモンの能力を行使すれば、人間の力では到底成し得ないような犯罪まで可能になってしまう。ポケモンを使った犯罪は、ロケット団の存在に関係なく、ポケモンの普及に伴って、近年増加傾向にある。

 

 だが、それにしても、まさか僕自身がポケモンを殺しの道具に使うことになる日が来るとは思わなかった。確かにニドキングならツバキを殺すことは容易いだろう。しかし、本当にそれでいいのか。いくらこの裏社会に身を売ったとはいえ、僕は本来ここにいるべき人間ではないのだ。僕はいつかこの組織を抜け、フジ先生の元に帰らなくてはいけない。もう充分この手は汚れてしまったけど、それでも最後の一線は越えていないつもりだ。殺しにだけは手を染めたくなかった。それを、ここでやってしまっていいのか。そして、ニドキングにその片棒を担がせてしまっていいのか。

 

「私の読みでは、あと一年というところだと思う。一年以内に、やつは必ず動く」

 

 ボスは再び僕を一瞥して言った。

 

「タイミングはお前に任せる。もちろん、私が殺された後なら、早いに越したことはない。やつは復讐を遂げられたことで必ず気が弛む。それに、それでもう生きる目的が達成されたのだから、多分抵抗することもないだろう。簡単な任務だ」

 

 それから数十秒ほど沈黙が流れた。僕は下を向いて少し逡巡した。観念するべきだろうか。恐らく、この任務を断ることはできない。もし断ったとしても、ボスの秘密を知ってしまったのだ。そうなれば今度は僕が消される番だろう。でもさすがに殺しはしたくない。どうする? 逃げるか? 今からでもフジ先生の元に帰って、匿ってもらうという手も……。

 

「しかし簡単とはいえ、組織の存続を揺るがす重要な任務でもある。逃げたり失敗したら、どうなるかわかっているな。だがもちろん成功した暁には、それ相応の報酬を用意することを約束しよう」

 

 ボスはさっきまでの落ち着いた声とは少し変わって、甘い猫撫で声になった。そして立ち上がり、僕の傍へと近づいてきた。僕の耳元で小さく囁きかける。

 

「お前をロケット団の次期総帥にしてやる」

 

 僕の体は一瞬にして凍り付いた。

 

「お前なら、この力で世界を自分のものにできるはずだ。世界を変えろ。サカキ、お前の手はきっと、世界のどこにだって届く」


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