ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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第一章 旅が奏でる予感
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1.

 結論から言うと、ユキナリはとんでもなく強かった。勝てるはずがなかった。

 

 トキワの森でスピアーに襲われた僕を助けてくれたのが、ユキナリという男だった。フルネームはオーキド・ユキナリ。名字があるということは結構な家柄なのだろう。出身はマサラタウン。トキワの南にある。マサラはトキワに比べれば田舎町なのだが、由緒正しき家系がいくつかあるという話を聞いたことがある。

 

 年は二十三歳。タマムシ大学に通う大学院生と言っていた。大学では携帯獣学を専攻しているらしい。携帯獣というのは、つまりポケモンのことだ。今となってはポケモンという呼称が広く浸透しているが、ポケモンが発見されたばかりの時代にはそう呼ばれていたそうだ。学問の世界では、今でもこうして携帯獣の名前が(部分的にではあるが)使われている。そういえば僕が学校で使っていた教科書のタイトルも「携帯獣学」だった。

 

 さて、今でこそ研究者と呼ぶべき身分のユキナリだが、彼も昔はポケモントレーナーだったという。どうりで強いはずだった。

 

 結局、ユキナリとはバトルすることができた。ユキナリは森を抜けたところにある、ニビシティという街に行くらしい。大学のあるタマムシシティを出発して、いったんマサラの実家に顔を出し、そこからトキワを経由してニビに向かうところだった。僕も行き先は同じニビだったので、ユキナリについていくことにしたのだ。

 

 そして、夕方頃にニビシティに到着し、まずポケモンセンターに寄った。ポケモンセンターは傷ついたポケモンの治療を行ってくれる施設だ。運営はすべて税金で賄われているため、無料で利用することができる。僕はそこにニドランを預けて治療してもらった。幸い怪我は大事には至らず、治療は一時間ほどで済んだ。ユキナリも何匹かポケモンを預けていた。

 

 治療が終わるのを待つ間、僕はユキナリにバトルを申し込んだ。もっとも、申し込むまでに十回くらい頭の中で逡巡していたので、正確には、申し込もうと思って、思いとどまって、また申し込もうと思って……、の繰り返しの末、申し込んだ、というわけだ。ちょっと情けない。

 

 ユキナリはその申し出を快く受けてくれた。ただ、先ほどのオレンジ色のポケモンは使わないと言った。あの巨大なポケモンはリザードンというらしい。リザードンは彼の昔からの相棒で、手持ちの中で一番強いポケモンだそうだ。そんなポケモンでは僕のような初心者は到底相手にならないだろうから、もうちょっとレヴェルの低いポケモンを使うという。

 

 あからさまにバカにされているのだが、しかし事実なので言い返せない。それに、ユキナリの口調も嫌味っぽいわけではなく、むしろさも当然といった顔だった。つまり、驕りではなく、自分と相手の力量差を冷静に見極めているからこその発言なのだろう。僕自身も、あのリザードンに勝てるとはまったく思えなかった。

 

 そして、ニドランの治療が終わり、夕食前に僕とユキナリのポケモンバトルが始まった。ポケモンセンターの裏にポケモンバトル用の小さなコートがあったので、そこを使うことになった。

 

 ユキナリはオニスズメというポケモンをバトルに出した。空を飛べる鳥のようなポケモンだ。羽やくちばしを武器にして戦うのだろう。僕はもちろんニドランを出した。

 

 バトルは一分足らずで終わった。空を飛ぶオニスズメに、ニドランの攻撃はまったく当たらず、一方的に向こうの攻撃を受けて倒れてしまった。先ほどのスピアーの攻撃に比べればだいぶ弱いものだったが、正直、このまま続けても勝てるとはまったく思えなかったので、僕はすぐに降参した。多分、ユキナリもそれがわかって、手加減して攻撃したんだと思う。

 

 リザードンよりレヴェルの低いポケモンだとユキナリは言ったが、僕にはその違いがわからなかった。このオニスズメだって充分強すぎる。

 

 さっき治療したばかりのニドランだが、三十分も経たないうちに、またポケモンセンターに預けることになってしまった。治療の間、僕はユキナリと夕食を取ることになった。ユキナリは僕を気に入ったと言って、近くの定食屋で奢ってくれるというのだ。

 

 定食屋で食事をしながら、僕はユキナリといろいろ話をした。テーブル席で、おたがい対面に座っている。

 

「ユキナリ、さっき、昔はポケモントレーナーだったって言ってたよね」

 

 僕は普通体で話していた。最初は敬語だったのだが、ユキナリが堅苦しいのはいいと固辞したのだ。呼び方も、さん付けではなく呼び捨てでいい、と。

 

「やっぱりバトルに興味があったからな、俺も十歳になってすぐトレーナーの旅に出たんだよ」ユキナリはしみじみとした調子で語る。

 

「へえ」

 

「でも正直、すぐに飽きた」

 

「飽きた? どうして?」

 

 少し間を置いて、ユキナリは得意げに言った。

 

「俺が強すぎたからだ」

 

「強すぎたって、ユキナリの、バトルの腕が?」僕は思わず身を乗り出して聞いた。

 

「そういうこと。五年くらいかけて、このカントー地方を一通り回ったけど、誰も相手になるやつはいなかったな。あの頃は、これからポケモンバトルの時代が来るとか言われてたからわくわくしてたんだけど、正直拍子抜けだったよ」

 

「話、脚色してない?」にわかに信じられなかった。

 

「心外だなおい。さっきのリザードンやオニスズメを見ただろ?」

 

「そりゃあまあ、そうだけど……」

 

「今度マサラの俺のうちに遊びに来いよ。大会やらなんやらの優勝カップとか賞状とかたんまり見せてやるぞ。まさにあらゆる賞を総なめにした、というやつだ。あまりに増えすぎて、置き場所がなくなっちまったからというのも、まあやめた理由のひとつだな。うん」

 

 ますます胡散臭く思えてくる。

 

「まあいいや。それで」

 

「あ、信じてないな」

 

「信じる信じる。で、どうしてそれから研究者になったの?」

 

 どこまでがホラだろうと別にどうでもいい。とにかくユキナリが相当強かったというのは本当のようだ。僕は適当なところで話題を変えた。

 

「研究者か。そりゃあ簡単だ。ポケモンが好きだからだよ」ユキナリは当たり前という顔で答えた。

 

「好きだから?」

 

「バトルを始めたのも、そもそもを言えば、ポケモンが好きだからというその一点に尽きるね。好きなポケモンと一緒に旅をして、バトルすることでおたがいに信頼を築いていく。やっぱいいだろ? そういうのって」

 

「まあ、そうだね」

 

「なーんか冷めてんな、お前は。まあしょうがないか。お前くらいの年だと、生まれたときからポケモンが回りにいたわけだもんな。ありがたみもないわな」

 

「え、じゃあユキナリの子供の頃は……」

 

「まだかなり珍しかったよ。もう十五年くらい前か。あの頃は、ポケモンはほとんどテレビや本の中だけの存在だった。たまに都会で展覧会とか開かれて、実物を見る機会といったらそれくらいだ」

 

「芸能人みたい」つい思いついた例えを口に出した。

 

「はは、言えてる。まさにそんな感じ。で、俺、マサラだろ? 都会なんてそうそう行けるもんでもなくて、本当にたまーにだったんだ。一年に一回とか、それくらい。だから、そういう貴重な機会にポケモンと触れ合えるってのは、ホント、楽しかったなあ。毎年毎年、新種のポケモンが発見されていって、行くたびに新しいポケモンに会えるんだ」

 

「それは、楽しいかも」

 

 実際、今でも新種のポケモンは続々と発見されている。僕はそういう展覧会のたぐいには行ったことがないが、行けばきっと見たこともないポケモンと出会えるのだろう。

 

「あー、なんか年寄りの与太話っぽくなっちまったな。ダメだなこういうのは。すまんすまん」

 

「ううん、面白いよ」

 

「でも、やっぱ決定的だったのはあれだな。十代の頃の。未来に行ったときの話」

 

「未来?」急に妙な単語が飛び出した。

 

「ま、これはまた別の機会に話すとして」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ、何、未来って?」僕は身を乗り出して尋ねた。

 

「こういうのは小出しにするから面白いんだよ。一度に何でもかんでも話してしまったら、俺という人間の底が知れてしまうだろう?」ユキナリは無邪気に微笑みながら言う。

 

「意味がわからない」

 

「ははは。わからなくていいんだ、お前もまだ十歳なんだから。俺もな、十歳の頃はわからないことだらけだった。いや、今でもそうだけどな。でも、あの頃はわからないということすらわからなかった。そんなときに目の前にガツンと未来が現れたんだ。カルチャーショックというか、ジェネレーションギャップというか、とにかくとんでもなかった」

 

 ユキナリは熱を込めて語る。僕はまったく理解できずに聞いていた。この男は何を言っているんだ?

 

「ああ、これが人間とポケモンの行き着く先なのか、って。未来に行けたのは、多分まだ発見されていない幻のポケモンの能力のおかげだったんだと思う。名前はセレビィ。地方の伝承の中に少し残ってるだけで、学術的には未定義のポケモンだ」

 

 聞いたことのない名前だった。そんなポケモンがいるのか? 未来に行ける能力?

 

「そんな凄いポケモンがいたってことも驚きだったし、やっぱり未来を見たってのはデカいよな。この時代に帰ってきてからも、なんか頭ん中がぐるぐる渦巻いちゃってて、もう何日も食事も摂らずに、ボケーっと突っ立ってたよ」

 

 ここでユキナリはいったん言葉を区切り、コップの水を一気に飲み干した。

 

「で、その後、結局トレーナーになったんだけど、やっぱりあのときの興奮がどこかに残ってたんだろうな。トレーナーとして強くなりたいという気持ちよりも、遥かに強い意志が、……いや、大志だなあれは。そう、大志が俺の心の中に蠢いていた。それが、ポケモンをもっと知りたいという好奇心だ」

 

「好奇心……」

 

「ポケモンのことを知りたい。この世のポケモンの謎を解き明かしたい。そういう大志が俺の中にあることに気付いた。でも、そういう方向性は学問の領域だ。だから俺は、学問の道に転向したってわけ。はい俺の話、終わり」

 

 そう言ってユキナリは唐突に口を閉じ、腕を組んだ。これ以上話すことはないという顔だ。

 

 しばらく沈黙が流れた。僕は言葉が出なかった。わかったような、わからないような……。とにかく、彼がポケモンを好きだということだけは、よくわかった気がする。そして、このユキナリという男のことを、もっと知りたい。とりあえずは、しばらく彼についていきたい。何となく、そう思った。

 

「そういえばユキナリは、ニビシティに何の用なの?」ついていく、という言葉から、そういう質問が浮かんだ。

 

「おお、よくぞ聞いてくれた。というか、忘れるところだった」ユキナリは右手をグーにして、左の手のひらを下に置いて軽く叩いた。別に判決を下す真似をしているわけではない。

 

「待ち合わせをしてたんだよ。俺をこの道に引きずり込んでくれた、張本人にな」

 


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