ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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 ユキナリの船の時間が迫っていたので、あまり長居はできなかった。そのポケモンの写真をその場で何枚か撮影し、それから穴を掘って簡単に埋葬してやった。キクコは、絶滅種なら死体だけでも貴重な研究材料になるんじゃないか、とユキナリに囁いた。僕はこんなときに何を不謹慎な、と一瞬思ったけど、彼らが一流のポケモンの研究者であることをすぐに思い出した。感傷的な気分にこそなれど、もし目の前にやるべき使命があるならそれを全うするのがプロの仕事なのだ。しかしキクコの提案にユキナリは首を振った。

 

「このポケモンの剥製はもういくつかの研究機関で保存されている。生きた個体じゃないなら、学術的な価値はない。安らかに眠らせてやった方がいいだろう……」実に冷静な、そして合理的な判断だった。

 

 僕たちはそのまま森を去った。ポケモンが埋められた場所を後ろ目に見つめながら、僕は考える。あのポケモンは、あれがこの世の最後の一体だったのだろうか。ひとつの種族の存在が完全に絶え果てる瞬間を、僕たちは目撃してしまったのか。

 

 絶滅という言葉を、それまで僕は辞書や論文の中でしか知らなかった。その言葉が今、急に現実となって僕の血肉に交わったような気がした。

 

 ポケモンの絶滅例というのは決して少なくない。フジ先生は、パラレルワールドからやってきたときの急激な環境変化に耐えられなくなったという説を唱えている。いくら元いたパラレルワールドが劣悪な環境で、そこから生き延びるために比較的安全な世界に渡り歩いてきたとしても、その新しい環境にすぐに適応できるとは限らない。何らかに生体機能に不具合が生じるだろうし、それが原因で死に至る種族もあるという。それを結果的に絶滅という形で、我々は観測しているのだ。

 

 雨が降り止む気配はなかったが、結局その後、僕たちは無事バス停に着いた。ユキナリはクチバ行きだが、キクコはヤマブキの東のシオンタウン、僕はヤマブキ西のタマムシと、帰る方向がバラバラだ。それなのに、バス停からはクチバ方面のバスしか出ていなかった。こんなことならあの喫茶店から直接ヤマブキに戻れば良かった、とキクコが愚痴る。しかし今更言ってもしょうがない。とりあえず三人揃ってバスに乗り、クチバシティに向かった。あんなことがあった後だったからか、みんな疲れ切っており、バスの中では完全に無言だった。

 

 ユキナリは予定通り、クチバから船で帰ることができた。キクコと僕が取り残される。僕たちはもう疲れてこれ以上歩く気がしなかったので、今日はクチバシティのホテルで宿を取ることにした。しかし考えることはみんな一緒なのか、ホテルはどこも満室だった。この際だからポケモンセンターのドミトリーでもいい(トレーナーじゃなくても、お金を払えば一般人でも泊まれる)と僕が言うと、キクコは最初嫌がったが、結局渋々了解した。今はとにかく少しでも早く休みたかった。

 

 割り当てられた寝室は四人用で、キクコと同室だった。もちろんベッドは別々である。僕たちはセンターの中で軽く食事を取り、シャワーをしてから、すぐに床に就いた。

 

 死で始まり、死で終わった一日。

 

 ベッドの中で外の雨音に耳を傾けながら、ふと僕はそんなフレーズを思いついた。人の葬儀に行って、帰りにポケモンの死を目撃した。それも、単なる個体の死ではなく、ひとつの種族としての死だったかもしれない。まだあれが現実だったという実感がない。頭の一部がぷかぷかと宙を浮いているような感覚。体は疲れ切っていたけど、なかなか眠れなかった。

 

 それからはフジ先生の研究をどう進めるかということを少し考えていた。特に今一番考えなくてはいけないのは、金策だ。どうやって研究の資金を調達するか。学生ひとりにどうにかできる問題ではないだろうけど、他の誰かを頼りにするわけにもいかないし、僕がなんとかしなければいけない。

 

 ふとユキナリの顔が浮かんだ。眠る前は思考があちこちへと無作為に飛んでしまう。軌道修正してひとつのことに集中しようという体力ももうなく、僕は無意識の赴くがままに思考の波に呑まれていく。

 

 ユキナリ。ユキナリは多分、すぐにでもあの森を調査するんだろう。もしかしたら森にはあの一体だけでなく、他にまだ仲間がいたかもしれない。後日調査隊を派遣し、徹底的に捜索を始めるに違いない。一縷の可能性に望みを託して。

 

 ユキナリのことだからきっと成功することと思う。今まで何でも完璧を貫いてきたユキナリだ。トレーナーだって、研究だって。あのポケモンに他に仲間がいるなんて保証はどこにもないけど、ユキナリが捜すというそれだけで、なぜか上手くいってしまうんだろうなと予想できてしまう。ユキナリが何かを失敗するというヴィジョンが想像できないからかもしれない。

 

 それに比べてフジ先生はどうか。フジ先生は今のところ、何も成功していない。いや、あの論文を書いたこと自体は確実に成功だと僕は思っている。しかしそれは僕がそう思うというだけの話で、世間から認められたわけではない。フジ先生は世間的には何も功績のない、無能の研究者なのだ。僕はそれがとても可哀想だと思った。そしてどうしてユキナリばかりがいい思いを……、と妬ましさすら感じた。やはり睡眠前の思考は何かおかしい方向に走りやすい。

 

 もうほとんど意識はなく、眠りに落ちる直前だった。ふと寝返りを打って体勢を変えると、目の前に部屋の壁がやってきた。何となく壁の目を追っていると、そこに落書きのような数字が書かれていることに気付く。いくつかの数の羅列で、桁数からして電話番号のようだ。

 

 なぜか見覚えがある。

 

 そういえば、このドミトリーには以前にも泊まったことがあった。ポケモンバトル大会に挑戦していた頃は、カントー地方のほとんどのポケモンセンターを利用していた。当然クチバシティにも来ている。このドミトリーの、この寝室の、このベッドでも、寝たことがあるかもしれない。

 

 思い出した。昔、ドミトリーで勉強していた頃、三人連れくらいの怪しげな青年たちから声をかけられたことがあった。とある商売に興味はないか。もしいいブツを持っているなら、それを買い取ってくれるところがある。ちょっとヤバいが、絶対に儲かる。店の電話番号は、ある部屋のベッドの壁に……。

 

 そうだ。その電話番号が目の前のこれだ。九年も前のものなのに、まだ残っていたのか。

 

 待てよ。

 

 電話番号。ブツの買い取り。金策。フジ先生。ユキナリ。成功。失敗。絶滅。絶滅したポケモン。死体。死体。死体……。

 

 気が付いたら僕はベッドから飛び起きていた。キクコはぐっすり寝ている。起こさないように静かに部屋を出た。さっきセンターの近くの店で買ったレインコートを羽織りながら、雨の中、外を走り始める。途中、公衆電話で例の電話番号にかける。無事繋がった。店の名前と住所を聞く。電話ボックスを出ると再び走り出す。もう体の疲れは忘れていた。自分が自分ではないようだった。

 

 深夜の誰もいない街の中を駆け抜ける。街の外れに差し掛かると、適当な民家の庭に忍び込み、スコップを一本拝借した。家の明かりは消えているので誰も気付かない。もうこれくらいのことには罪悪感を抱かなかった。これからすることに比べれば、こんなの全然大したことではない。

 

 どれくらい走っただろうか。ようやくさっきの森に帰ってくることができた。僕はポケットに入れていたモンスターボールからペルシアンを出す。大型の白いネコのようなポケモンだ。夜目が効くので、暗いところで探し物をするときはとても役に立つ。このときの探し物はもちろん、埋葬したあのポケモンの墓標だった。

 

 遠くでペルシアンが甲高い遠吠えを上げる。どうやら見つけたようだ。声のする方へ駆けつけてみると、木々の間に隠れるようにして、見覚えのある簡素な墓が小さくそびえていた。ユキナリが木の枝で作った十字架が目印になっていたのでわかりやすい。僕はペルシアンをボールに戻すと、十字架を足で蹴倒し、土をスコップで掘り返した。さっきまでは豪雨で体が凍りつきそうだったけど、今はもう全然寒さを感じない。あまりの暑さに汗をかいてしまうくらいだ。心臓の鼓動も、走っているときより激しさを増していた。高揚感で目が眩みそうだったが、目の前の仕事を終わらせるまでは倒れるわけにいかない。

 

 何回か土を掘ったところで、スコップの先端が何か柔らかいものに当たる感触が手に伝わった。スコップを捨ててその場で屈み、手で土をどけてみる。ポケモンの体が再び顔を出した。間違いない。確かにさっきのポケモンだ。念のため、体の隅々を触ってみる。完全に冷たくなっているし、脈も感じられない。やはり死体のままだ。

 

 死体に価値がないというのは、あくまで学術的な意味での話だ。世の中には学者以外にもポケモンを集めているやつらがたくさんいる。それがこと珍しいポケモンであれば、例え生きていなくても、剥製になっても充分に価値はある。それはもちろん学術的な価値などではなく、もっと世俗的な、凡庸な価値だ。しかし今の僕にはそんな価値こそが何よりも必要なのだ。

 

 ポケモンを売買するには、普通は専用の免許が必要になる。それがあったとしても、売買は政府からの厳しい審査をクリアしたごく一部のポケモンにしか認められない。いわゆるペットショップなどに並ぶポケモンがそうだ。そんな現状なのだから、個体数の少ない珍しいポケモンは正規のルートではまず流通しない。ましてや死体であったり、絶滅危惧種のポケモンなんかは完全に違法だ。もちろん、だからこそ高く売れるのだが。

 

 クチバシティは港町だから、足がつかないように海外経由で密輸するには絶好の街である。そのため、この辺には非合法のポケモン売買を扱うディーラーが人目につかないように隠れ潜んでいる。僕がベッドの壁に見つけた電話番号もそのひとつだった。

 

 これで、大量の金が手に入る。研究の費用に充てられる。

 

 僕はポケモンの死体についていた土を軽くはらい、両腕で抱きかかえる。リュックを持ってこなかったのは失敗だった。そして再びペルシアンを出し、森の出口へと案内してもらう。空が泣き止む気配は未だない。風で木々がざわつく音すら、雨音でかき消されるくらいだ。しかしあとは来た道を戻り、ポケモンセンターの近くのディーラーのショップに向かうだけ。夜明け前までにはベッドに帰れるはずだ。

 

 計画も折り返し地点を過ぎたせいか、僕は少しほっとし、緊張の糸が弛んでいた。忘れていたはずの疲れも蘇ってくる。森を抜けたところで、ちょっと休もうと腰を下ろす。地面は水分を吸収しきれないくらいにぬかるんでいたが、もう体中濡れているのだから今更気にすることもない。ため息をつく。やってしまった。とうとう僕は戻れないところに来てしまった。

 

 そんなふうにふと我に返った瞬間、上から何かの影が差していることに気付く。

 

「サカキ、あんたいったい何を……」

 

 顔を上げると、そこには傘を持ったキクコが、ゴーストと共に呆然と立ち尽くしていた。


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