ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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 二年生になって三か月ほど経ったある日。その日は、久しぶりにユキナリとキクコと僕の三人が一堂に会した日だった。もしかしたら初めて会ったニビ万博のとき以来かもしれない。個別には何度も会っているのだが、全員が一緒にという機会は本当に珍しい。

 

 普段会わない人々が一斉に集う機会というのは相場が決まっていて、だいたいは冠婚葬祭関連。今回で言えばその中の”葬”が当てはまることになる。

 

 タマムシ大学の教授のひとりが亡くなったのだ。携帯獣学部の定年間近の老人教員で、僕も一度授業を受けたことがあった。亡くなったと言っても何か事件があったわけではなく、元々不治の重い持病を抱えていたそうだ。そのため、身内や一部の教員はもうあまり長くないことを知っていたらしい。

 

 その教授はかなり昔からタマムシ大学で教鞭を取っていたというので、僕はユキナリやキクコもその人を知っているのではないかと思い、ふたりにもメールで訃報を伝えた。すると、ふたりともとても驚いた様子で、学生時代にお世話になった先生だから、ぜひ自分たちも弔いに行きたいと返信してきた。そういうわけで、その日僕たち三人は久々の再会を果たしたのだ。

 

 葬儀はタマムシの東にあるヤマブキシティの郊外の葬儀場で行われ、つつがなく進行した。携帯獣学部の中でも相当の権力を持っていた先生だったので、葬儀には大勢の大学関係者が参列していた。数百人はいたと思う。もちろんフジ先生の姿もあった。フジ先生にはちょうど研究のことで聞きたいこともあったが、葬儀の場でそんな話題を出すのも不謹慎だし(フジ先生は気にしないだろうけど)、それに僕の隣の席にはユキナリがいたので、声をかけるのはやめにした。

 

 ユキナリには黙っていようと思っている。僕がフジ先生のゼミに入ったこと、そしてもちろん、フジ先生の壮大な計画の肩入れをしていることも。ユキナリはきっと反対するだろうから。

 

 フジ先生のゼミに入ってからというもの、僕はあまりユキナリと連絡を取らなくなっていた。以前はユキナリの存在が僕の人生の指針で、ユキナリの背中を追い続けてきたようなものだったが、最近はそういう感覚もなくなりつつあった。もちろん尊敬する研究者のひとりであるし、付き合いの長い友人だとも思っているが、以前ほど特別な存在ではなくなったというのが正直なところだ。もちろんフジ先生との出会いが原因だろう。人の気持ちというのはこうも移ろいやすいものなのか。なので、今日ユキナリと会う際はなるべくそういう意識は表に出さないようにしようと決めていた。

 

 葬儀は午前中で終わり、僕とユキナリはキクコと合流した。雲行きが怪しくなり始めたので、雨が降らないうちに近くの喫茶店で昼食を取ることにした。

 

「一応久しぶりなんだけど、あんまりそういう感じはしないね」喫茶店に向かう道中、僕は歩きながらふたりに言った。

 

「まあ一対一でなら普段からよく話してるからな」とユキナリ。「とはいえ、こうやって実際に顔を合わせる機会は確かに珍しいな」

 

「普段は電話やネット通信ばっかりだしね」キクコが続ける。「サカキが大学に入ってからはそれすらもあんまりしなくなっちゃったけど」

 

 確かに、キクコとは以前勉強を教えてもらっていたときは毎週必ず通信していたが、学校に戻って以降、特にここ一年ほどはめっきり話す機会が減っていた。

 

「そういやサカキ、お前最近、俺にも連絡してこなくなったな。なんかあったのか?」思い出したようにユキナリが言う。やはりユキナリは疑問に思っているようだ。

 

「いや、ちょっとゼミが忙しくて……」僕は申し訳なさそうに答える。一応嘘ではない。

 

「ああ、ソネザキの爺さんのゼミに入ったんだっけな。しかしゼミって二年生のうちからそんなに忙しかったっけか?」

 

 これに関しては完全に嘘だった。ユキナリにはソネザキ先生のゼミに入ったと伝えてあるのだ。もしユキナリが学会か何かでソネザキ先生に会って、僕のことを聞かれたりしたらたちまちバレてしまうだろう。でも、他にフジ先生のことを伏せておく方法を思いつかなかった。

 

「そうか、忙しいか。なんだ、お前も意外と真面目に大学生やってるんだな」ユキナリが感心したように微笑みながら言う。「ま、俺に憧れて大学を目指したっていうんだから、それくらいの意気込みでいてもらわなくちゃかなわんからな」

 

「調子に乗りすぎ。相変わらず偉そうに……」軽口を叩くユキナリをキクコがたしなめる。

 

 昔を思い出す懐かしい光景だった。僕がユキナリとキクコがこうやって会話しているところを見るのは、彼らに初めて会ったとき以来、実に九年ぶりだった。それでもそんな歳月を感じさせないくらい、彼らは変わっていなかった。

 

 しかし僕に関して言えば、僕は確実に変わっていた。もう彼らと同じ空気を吸っていないんだなと、この数時間で痛感した。僕は自分で自分を、この変わらない空気の中における異物であると認識してしまっている。つまり、この空間が自分にとって居心地の悪いものになっていると気付いてしまったのだ。

 

 こんなこと本人には口が裂けても言えないけど、僕はこのとき、ユキナリのことを疎ましいとまで感じていた。こんな場所さっさと抜け出して、フジ先生と研究の話を進めたい。そんなことを考えていた。今の軽口だって、とりあえず愛想笑いで返したけど、内心は鬱陶しくてしょうがなかった。ユキナリに憧れている? それはもう過去の話だ。昔の青かった自分を掘り返されるようで、恥ずかしさすら覚えた。

 

 もちろんユキナリは何も悪くない。全部、本当のことを黙っている僕が悪いのだ。それに、ユキナリに隠し事をしているという後ろめたさも、ユキナリを心の中から排除しようという感情の揺れ動きに拍車をかけているのだろう。そういう自分勝手な自分をユキナリに知られたくない。くだらないプライドが、ますますユキナリとの距離を隔てさせていく。この場だけはなんとか平静を装っていようと思っていたが、それでも僕は次第に口数が減っていった。

 

「ユキナリ、あんた大丈夫? 元気なさそうだけど」

 

 そんな僕の様子に気付いたのか、キクコが心配して声をかけてくれる。

 

「悩みがあるなら言いなよ。あたしら一応先輩なんだから」

 

 その言葉に続けてユキナリも何か励ましの言葉をかけてくれた。ありがたい気遣いだったけど、僕はもうまともに聞いていなかった。その後の喫茶店での会話も、あまりよく覚えていない。大部分はユキナリとキクコがふたりで研究の専門的な話を延々としていただけだったように思う。途中、一度フジ先生の名前が出てきたので、そこだけはちょっと反応して耳を傾けた。しかし話の中身は、ふたりが学生時代の頃のフジ先生の授業が酷かったというだけのことだった。僕はそれとなく今のフジ先生はどんな研究をしているのかと聞いて、探りを入れてみたが、ユキナリは知らん、どうせくだらない研究だろうと一蹴した。

 

 これが決定的だった。やっぱりユキナリは、今のフジ先生のことを何も知らないんだ。フジ先生の論文も、崇高な研究の目的も何も知らずに、僕にあの先生はやめておけと偉そうに忠告してきたんだ。フジ先生はきちんとユキナリの研究を理解して、あの論文の参考文献にもユキナリの著書を挙げていたのに。ユキナリはフジ先生を歯牙にもかけていなかった。このとき、僕は完全にユキナリに失望を覚えた。そんなユキナリに、文句を言いながらも同調しているキクコも同類だ。僕はもうこんなやつらを信じない。関わり合いになりたくない。そんなふうにすら思い始めていた。

 

 外の雲行きの悪さも、このときの僕の心象に影響していたのかもしれない。もしこれが吸い込まれるような晴れた青空だったなら、ここまで暗い気持ちにはならなかったと思う。本当にちょっとしたことが、人の心に闇を差し込ませる。

 

 灰色の空模様が続いていたが、とうとう雨が降り出した。かなりの土砂降りだ。しばらく喫茶店の中で止むのを待っていたが、一時間ほど待っても雨足が弱まる気配すらない。僕とユキナリは傘を持ってきていなかった。ふたり共、天気予報を見ていなかったからだ。キクコに叱られた。幸いキクコは傘を持ってきていたので、三人でそれに入って店を出ることにした。でも郊外なので道がわからない。店の人に聞いたところ、数十分ほど歩けばバス停があるらしい。それまでの辛抱だ。

 

 さすがの喋り好きのユキナリも、この豪雨の中で狭い傘に三人という状況では、言葉少なになった。とりあえず、帰りはクチバシティの港から船でマサラに戻るから、船の時間に間に合うようにしたいとだけ言った。クチバはヤマブキから南に進んだところにある街だ。

 

 バス停に行く道の途中、ちょっとした森を通り抜けなければならなかった。木々に囲まれた中なら多少は雨もしのげるだろうし、この場合に限ってはむしろ願ったりだったかもしれない。入口の看板を見るに、森の中は一本道できちんと整備されているようなので、迷う心配もない。

 

 当然ながら、こんな天気の日に森の中を歩いている人は、僕たち以外にはいなかった。晴れた日なら森林浴をするには良かっただろうけど。今はポケモンの気配すらほとんど感じられない。木々で雨がしのげるとは言っても傘が手放せるほどではないし、道が整備されていても辺りは薄暗くて足元がおぼつかない。僕たち三人はひとつの傘の中でくっつきながら恐る恐る足を進めていた。

 

 雨は弱まるどころか、むしろ勢いを増しているようだった。靴の中はもう完全に湿り切っている。こんな土砂降りなら、せいぜいにわか雨だろうと思ったのに、まさかこんなに長引くとは。終いには雷まで聞こえてきた。

 

「今のはかなり近かったな……」

 

 ユキナリが空を仰いで言う。確かに、今の雷は光ってから音が聞こえるまでの間隔が短かった。周りには木がたくさんあるから、僕たちに直撃することはないだろうけど、ちょっと不安だ。

 

 雷に驚いたのか、木の上にいたポケモンたちが次々と降りてきて、森の奥へと走っていく。多分ほら穴や地面の中に巣があるのだろう。

 

 そんなポケモンたちの姿を見ていたとき、再び稲光が瞬いて視界を遮った。一瞬真っ白で何も見えなくなる。これは相当近い、と感じると同時に、凄まじい音が頭上で轟いた。

 

 雷がこの森に直撃したようだ。数秒遅れて、後方から重く巨大なものが地面に落下するような激しい音が聞こえた。恐らく木が雷に当たった衝撃で折れたのだろう。数十メートルほど先のようだったけど、足元にわずかに振動が伝わってきた。

 

「今、何か声が聞こえなかった?」キクコが立ち止り、後ろを振り向いて言う。

 

「声? 雷の音じゃなくて?」僕が問い返す。

 

「その音に混じって、かすかだけど生き物の声が聞こえた」とキクコ。「もしかして、落雷に当たったとか……?」

 

「行ってみよう」

 

 傘を持っていたユキナリが踵を返し、後ろへと歩いていく。傘から糸を垂らした操り人形のように、僕とキクコもユキナリの歩に合わせて後をついていった。

 

 木が倒れている場所はすぐにわかった。この雨の中なのに、木は煙を立てて燻っている。落雷によって発火したのだろう。かなりの大木だったが、切り口を見る限り、引きちぎられるように折れたようだ。自然の力とはこうも凄まじいものなのか。驚いている僕をよそに、ユキナリとキクコは倒れた木の周りをくまなく探している。すると、キクコが小さく声を漏らした。

 

 キクコが指さした方向に顔を向けてみると、そこの地面だけ丸く黒ずんでいた。木のすぐ下だ。まるで倒れた木が切り傷を負って、そこから樹液が流れているように見える。しかし樹液がそんなに黒いわけもなく。

 

「血だなこれは」ユキナリがしゃがんで、ぬかるんだ地面を触り、呟いた。「多分、何かが倒れた木の下敷きになっているんだ。さっきキクコが聞いたのはそのときの悲鳴だろう」

 

「まさか、そんな……」キクコが両手で口を覆う。声が震えている。

 

「もし人が挟まってるんだったら大変だ。すぐにどかさないと。サカキ、お前ポケモンは持ってきているか?」ユキナリは僕の方を向いて言う。「俺は今日、持ってないから……」

 

「僕は持ってる。わかった」僕はすぐに背中のリュックからモンスターボールを取り出す。

 

 ユキナリの言わんとしていることは、言われなくてもわかる。ポケモンの力でこの木をどけるのだ。僕の手持ちで大木を動かせる力があるのはニドキングくらいだろう。だがニドキングはニドランのときとは違い、どくタイプ以外にじめんタイプも持っている。じめんタイプのポケモンは水が苦手だから、雨の中ではあまり長く活動できない。それでもここはニドキングに頼るしかなかった。

 

 僕はニドキングに指示し、大木をどかせた。木の下敷きになっていたのは、幸い人間ではなかったが、果たしてそれは、一匹の小さなポケモンだった。

 

 透き通った水色と淡いピンクの二色が特徴的なポケモン。前に図鑑で見たことがあったはずだが、名前が出てこなかった。その場でユキナリが簡単に説明してくれて、思い出した。

 

 それは、絶滅したはずのポケモンだった。

 

 ポケモン研究の初期の頃に見つかったポケモンだが、その後急速に個体数を減らし、十五年ほど前に絶滅危惧種に指定された種族。近年では目撃例すらまったく報告されず、もう完全に絶滅したものという意見が固まりつつある。それがまさかこんな形で出会うことになるとは……。

 

「もうだめだ。完全に脈が止まってる。出血も多すぎる」

 

 ユキナリがそのポケモンの首筋を触って言った。キクコは黙って目を閉じ、胸の前で十字を切った。


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