ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

11 / 35
2

2.

「何、あいつまだタマ大の教員やってたのか? あんなんじゃとっくにどこか飛ばされてるもんだと思ってたんだけどな。一回あいつの授業取ったことあったけど、ありゃあ酷いもんだった。毎回古いノートを持ってきて、それを一字一句そのまま読み上げて板書するだけ。学生はそれを書き写すだけ。何だよそれって感じだろ? コピーさせてくれりゃいいのに。まあ出席するだけで単位くれたってのはありがたかったけども。でもあれ、多分、毎年まったく同じことを繰り返しやってるんだろうぜ。何の変化もなしに。あんなんで給料貰えるなんて、正直同じ研究者として恥ずかしくなってくるってもんよ。しかも授業の内容もなんか胡散臭い感じだったしなあ。半分くらい寝てたけど。ある意味、危機防衛本能だったのかもな。あんな授業聞いてたら頭がおかしくなるぞっていう。はは。お前も、あいつだけはやめておけ。関わっちゃいかんぞ。そりゃあ何をテーマに研究しようとそいつの自由だと思うけども、にしてもあれはさすがにないだろうよ。あんなやつのもとで卒論を書けとか言われても、俺だったらやる気なくすね。え、何、お前あいつが指導教官になっちゃったの? おいおい、今からでも変えてもらった方がいいぞ。いや、ホントに、悪いこと言わんから……」

 

 そんな誰かさんからの助言を受けた翌日、僕はまさにその例の人物と対面していた。

 

 フジ先生のゼミには、僕ひとりしかいなかった。少数精鋭と言えば聞こえはいいが、あまりにも少数過ぎる。

 

 場所はフジ先生の個人研究室。その部屋は、研究室とは思えないくらい、とにかくものがなかった。大学の先生の研究室というのは、たいていは大なり小なり散らかっているものだ。一年生のときにレポートを提出するために何度かいろんな先生の研究室に入ったことがあるが、ほとんど例外はなかった。散らかっているとは言っても、ゴミが散乱しているとか汚れているという散らかり方ではなく、その原因はほとんど、本と書類の多さによるものだが。

 

 それに比べると、フジ先生の研究室はびっくりするくらい殺風景だった。引越ししてきて、まだ荷物が何も届いていない、と言われたら納得してしまうくらい。何もない真っ白な空間が部屋の八割を占めている。本棚はひとつもなく、部屋の奥にテーブルとイスがひとつずつ、そしてテーブルの上にタイプライターがひとつ載っているだけだった。タイプライターなんてアンティーク同然の代物、僕は昔の本や映画の中でしか見たことがない。このパソコン通信隆盛の時代に実物をお目にかかるとは思わなかった。まだまだ家庭用のコンピュータはそこまで浸透していないけど、今どき大学の研究室ならどこもコンピュータを使うのが当たり前だ。

 

「とても、シンプルな部屋ですね」

 

 初めてフジ先生の研究室を訪れ、挨拶もそこそこに済ませた僕は、まずこの部屋の第一印象をオブラートに包んで述べた。ちなみに今座っているパイプイスは、わざわざ隣の研究室から借りてきたものだ。そもそも来客を受け入れる態勢すらなっていない。

 

「本棚がないと……、そういうことですか? 私には必要ありません。一度読んだ本の内容は、すべてこの中に入ってますから」と言って、フジ先生は人差し指でこめかみの辺りを指さした。

 

 細い指に青白い肌。どこにそんな知識が詰まっているんだろうと思いたくなるくらい、弱々しい体つきだ。頬は痩せこけ、まだ四十前後だろうに、ぼさぼさの頭髪には白いものが混じっている。

 

「えっと、じゃあコンピュータじゃなくてタイプライターが置いてあるというのは……」

 

「文字を書く以外の用途が必要ないからです。私の研究は、計算も図面も使わない。ただ頭の中で練り上げた文章を出力するのみです」フジ先生はまったく表情を変えず淡々と答える。決してフレンドリーな口調ではないが、かと言って怒ったり拒絶したりしてるようでもない話し方。眼鏡の奥の遠い眼光からは何の感情も読み取れなかった。

 

「そんな話はどうでもいいでしょう。で、あなたはどうして私のゼミに?」

 

 とうとう本題を切り出された。確かに、これに答えないわけにはいかないだろう。しかし適当な理由も思いつかなかったので、僕は正直に事情を話した。

 

「なるほど。まあそういうこともあるでしょうね」意外にもフジ先生は納得してくれた。僕が先生だったら呆れ返りそうなものだが。いや、こう見えてこれで充分呆れているのかもしれない。

 

「とにかく、一度私の授業に出なさい。話はそれからです。そしてもし、あなたが私の研究テーマに興味を持ってくれるなら、ぜひ私の研究の手伝いをしてください。その過程で卒業論文にできるくらいの内容は自然と蓄積されるはずです」

 

 研究の手伝いをするだけで勝手に卒業論文ができあがる。これが本当なら、正直かなりありがたい話だ。フジ先生は一呼吸おいて話を続ける。

 

「もちろん、私のテーマが合わないというのであれば、無理強いはしません。他の先生のゼミに移っても結構ですし、どうしても私のゼミを続けたければ、私の専門外のテーマで書かれても、ある程度協力はできると思います。これはあなたの自由です」

 

 そう言うとフジ先生は後ろを振り向き、タイプライターを打ち始めた。何か書類でも書いてくれるんだろうかと思って一分くらい待ったが、先生の手が止まる気配はない。僕が耐えかねて呼びかけようとしたら、先生は気付いたようで僕の方を向いて言った。

 

「何をしているんですか? 話は終わりましたよ」相変わらずの無表情だ。「今日はこれで終わりです。また来週」

 

「えっと、わかりました……」僕は面食らいながらも、立ち上がって頭を下げ、退室した。

 

 確かに、聞いていた通り、かなり変わった先生だった。大学の先生は変わり者が多いと最初の一年間で感じたけど、フジ先生はその中でもまた一味違う、異色の雰囲気がある。しかし、変わっているのは表面的な人当りの部分だけで、実際の指導の内容自体は意外とまともで、そして丁寧だったと思う。正直、予想していたより遥かにスムーズに事が進んだ。みんなあの話し方で誤解しているだけなんじゃないか。

 

 今日このゼミに来るまで、周りからはやめておけとか、運が悪かったなとか、散々なことを言われたが。でも僕はこの時、この先生のもとで研究をするのも悪くないんじゃないかと思い始めていた。

 そういえば、先生はまず一度自分の授業に出ろと言っていた。バッグに入っていたシラバス(授業一覧が書かれている冊子)を取り出し、フジ先生の授業の時間を確かめる。今ならまだ履修登録も間に合うはずだ。

 

 数分後、僕は再びフジ先生の研究室を訪ねた。

 

「あの、フジ先生」

 

「ああ、あなたですか。どうしました?」

 

「シラバスに先生の授業が見当たらないんですが……」

 

 十秒ほど沈黙。

 

「すみません。今学期は私の授業はありませんでした。代わりに私の書いた論文を渡します。来週までに読んできてください」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。