ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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第三章 君が開く世界
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1.

 大学は、ひとりぼっちでのスタートだった。

 

 ユキナリは前に言っていた通り、マサラタウンに研究所を作り、そこに移った。博士課程を修了した後は、いったんヤマブキシティの大学で講師を務めていたらしい。研究が一段落すると同時に、退職して独立し、マサラに移り住んだ。

 

 ナナカマドさんも博士課程を修了後、シンオウ地方に戻り、そちらの大学で就職したそうだ。

 

 キクコは意外なことに、修士課程を修了した後、タマムシ大学の博士課程には進まなかった。シオンタウンの大学院に進学したという。僕は全然知らなかった。時期的に見れば、僕がキクコに勉強を教わっていた頃のはずなのだが、彼女はそんなことは一言も言わなかったからだ。

 

 理由はやはり、ユキナリの結婚のせいかと一瞬思ったけど、よく考えたら、彼らが博士課程に進学したのは、ユキナリの結婚の前の話だ。どういうことだろう。とはいえ、ユキナリの結婚相手は許婚だったというし、キクコも幼馴染なのだから昔から知っていたと考えれば、不自然ではない。もちろん、単純に研究したいテーマが、シオンのその大学院に合っていたからという可能性もある。誰に聞けるわけでもないので、真相は謎のままだ。

 

 そういうわけで、知り合いが誰もいない状態で僕の大学生活は始まった。しかしまあ、僕はいわゆる誰とでも仲良くなれるというタイプではないけれど、別にひとりも友達ができないというほどでもない。

 

 最初の一年は一般教養の授業がメイン。今までの学校とは違ってクラスという単位はなかったが、いくつかの授業で一緒になる同級生が何人かいたので、彼らとはよく話をした。授業の情報を交換したり、あとはアパートでひとり暮らしを始めたこともあって、生活のあれこれについても話題になった。

 

 タマムシ大学はカントーでも随一の名門だけあって、地元の学生は少なく、ほとんどが遠くから単身でやってくる下宿生だ。なのでみんなどこかしら不安や孤独みたいなものを抱えているのだろう。僕も例外ではない。自然によくつるむ仲間みたいなものができていった。

 

 いつの間にかガールフレンドもできた。あまり長くは続かなかったけど、最初の一年でほとんど間を置かず、三人と連続して付き合っては別れた。こういうふうに言うとちょっと人聞きが悪くなりそうだけど、でも僕としては精一杯誠実に付き合ったつもりだ。多分、単に相性が悪かっただけだと思う。

 

 ユキナリみたいに崇高な学問の道を行くというスタイルとは程遠いけど、多分こういうのが平均的な大学生活なのだろう。

 

 授業は、まあ可もなく不可もなくというか、無難にこなしていった。正直に言うと、想像していたよりも拍子抜けな感じだった。さすがにタマムシ大学だけあって、レヴェル自体は決して簡単ではない。予習や課題も多く忙しい。それでも、ただ単に内容が難しいというだけで、特に刺激的なものがあったわけではない。そういう意味では、キクコとの五年間のレッスンの方がよほど刺激があった。

 

 唯一、携帯獣学部のソネザキ先生の授業だけは手放しに面白かった。以前ユキナリが言っていた、ポケモンが縮んでモンスターボールに入るという仕組みを応用したもので、ポケモンを遠くの場所に転送するという理論についての講義だ。もちろんそんな高度な内容が学部の一年生に理解できるはずもないので、非常に噛み砕いた基礎中の基礎の部分だけの説明だったが、それでもとても興味深かった。ポケモンの転送は、理論的には可能でも、現実的に成功させるにはまだまだ難しいらしい。それでも、孫の代までかかっても絶対に実現させたいと言っていた。僕が死ぬまでには完成するだろうか。

 

 孫の代と言ったが、ソネザキ先生は五十過ぎくらいのおじさんの先生で、実際もうすぐ孫が生まれるそうだ。ちょっと授業時間が余るといつも孫の話ばかりしている。相当な子煩悩、いや孫煩悩か。男の子が生まれるとわかった日には、学生に孫の名前の募集までしてくる始末だ。全員に紙切れを配って名前を書いてくれというので、僕は適当に浮かんだ昔の同級生の名前を書いた。マサキなら、まあ無難だろう。

 

 最初の一年はそんな感じで、つつがなく終わった。これが夢にまで見た大学生活かと思うと、やはり物足りない思いは拭えない。しかしユキナリに言わせれば、大学で一番つまらないのが最初の一年で、そこからだんだん面白くなっていき、その真の楽しみに気付くのは四年生の終わり頃になってからだという。僕は昔したユキナリとの会話を思い出す。

 

「大学の楽しさってのはな、誰かに与えられるものじゃない。自分から見つけに行くものなんだ。みんななかなかそれに気付かない。気付かないまま卒業していくというパターンが一番多いな。そして運悪く気付いてしまった者だけが、大学院に進学する」

 

「運悪く?」

 

「大学院なんてのはな、本来は行くべきところじゃない。知ってるか、大学院の院は、病院の院と同じなんだ。つまり院生は病人なんだ。大学院は、外に出しちゃいけない病人を閉じ込めておく収容所みたいなもんなんだよ」

 

「何それ。自分も大学院にいるくせに……」

 

「お前もいつかわかるさ。いや、わからない方がいいのかもしれないな……」

 

「ふーん」

 

「いやいや、必要以上に脅かしちまったな。スマン。一応断っておくがな、俺は病院が悪い場所だとは言ってないぞ。病気になって、病院に入るからこそ、見えてくるものもある」

 

「どういうこと? ……って聞いても、教えてくれないよね。もちろん」

 

「わかってるじゃないか。その通り。それはお前が見つけるんだ」

 

 二年生になり、専門的な授業が増えた。携帯獣学部らしく、ようやくポケモンのことを本格的に研究できるようになる。

 

 また、二年生からはゼミも始まる。ひとりひとりが自分の研究するテーマを見つけ、四年生の終わりまでにその集大成となる卒業論文を書く。そのために、今のうちに指導してくれる先生を探す。ひとりの先生が何人かずつ(場合によっては数十人の)学生を受け持ち、それらの学生をまとめて指導する。このシステムをゼミというそうだ。

 

 自分の研究テーマの分野に近い専門の先生の下につくのが理想だけど、二年生の時点でテーマを決めている学生はまずいない。この段階ではとりあえず、仮の段階として、適当な先生のゼミに入る。そしてゼミ以外の他の授業を受けながら、自分の興味のある分野が見えてきた頃、二年生の終わりの段階で、改めて正式にゼミを決定する。これはもちろんタマムシ大学に限った話で、実際は大学によっていろいろ違いがあると思う。

 

 とにかく、僕は二年生の最初にゼミを選択しなければならなかった。僕の専攻には先生が十人ほどいて、その中から選ぶことになった。どの先生が何を専門にしているかなんて、このときはみんな全然知りもしない。なので、必然的にそれ以外のファクターが重要視される。例えば、教え方が厳しくないだとか、簡単に卒業させてくれるとか、そんなところだ。自分でテーマを考えなくても、最初から先生がテーマを与えてくれるなんてところもあるらしい。主に過去の先輩たちからのルートで、そういう情報が伝わってくる。

 

 ソネザキ先生のゼミも、人気の候補のひとつだった。この先生の場合は、別に指導が甘いとかではなく、純粋に面白い授業をしているからというのが理由だ。面白い、魅力的な先生にもやはり学生がよく集まるらしい。

 

 実際、僕も希望用紙にソネザキ先生の名前を書いた。そもそも十人の先生の中には、一年生のときに授業を受けたことのなかった先生も結構いて、一番よく知っていたのがソネザキ先生だったからだ。

 

 しかし、やはりソネザキ先生は人気だった。残念ながら定員オーヴァで、僕はソネザキゼミに入ることは叶わなかった。さらに第二希望もハズレで、なんと第三希望に適当に書いたゼミに配属されることになった。

 

 それがこの専攻で最も不人気のゼミだと知るまでにそう長くはかからなかった。それまで名前すら知らなかった、フジという初老の男の先生のゼミだった。


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