ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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プロローグ
1~4


1.

 生まれたときから、周りにはポケモンがいた。そういう時代に生まれてきたのだ。

 

 ポケットモンスター、縮めてポケモン。この星の、不思議な生き物。

 

 ポケモンがこの世界で初めて発見されたのは、今から百数十年ほど昔のことらしい。そう本で読んだ。もっとも、それはあくまで「発見された」という意味であって、ポケモンは昔から人知れず暮らしていたという。その証拠に、大昔のポケモンの化石なんかも見つかっているし、ポケモンにまつわる古い伝承は各地に散見される。

 

 しかしそれでも、百数十年前のその当時、ポケモンはまだ非常に珍しい存在だった。また、ほんの数十年前まではポケモンは学術的な研究対象でしかなく、一般の人々の目に触れる機会はほとんどなかった。ましてや今のように、人間とポケモンが一緒にいるのが当たり前になったのは、本当にここ最近のことなんだとか。

 

 さて、ポケモンと一口にいっても、いろんな種類がいる。ポケモンは人間の名前のように、ひとつの個体を示す名前ではない。「人間」のように、ひとつの生物の種類を示す名前でもない。動物や、植物、魚のような、もっと大きな分類だ。そのような大きな括りの生き物たちを、総称してポケモンと呼んでいる。

 

 動物が植物ではないように、ポケモンもまた他の分類から独立した括りではある。だが実際には、動物のようなポケモンもいれば、植物のような、魚のようなポケモンもいる。しかしそれらはすべて、動物でもなく、植物でもなく、魚でもなく、「ポケモン」なのである。どうしてそれらがポケモンと呼ばれるのか、また何がそれらの生き物をポケモンと決定づけているのか、僕にはよくわからない。何しろこの頃の僕はまだ十歳だったのだから。

 

 とはいえ、この程度のごくごく基本的なことは、一応学校で習った。そしてそれもこのたび、めでたく修了となった。いわゆる義務教育というものは、六歳から始まり、九歳までで終了する。十歳になった人間は、そこからは基本的に自由だ。自由というのは、もう学校に行かなくてよくなるのと同時に、再び学校に通い続ける権利も与えられている、という意味だ。実際には、約三割程度の者が、継続して学校へ行く。最大で十八歳まで学校で学ぶことができるし、その後は大学に進学するという選択肢もある。

 

 また、残りの七割のうち、二割くらいは就職するようだ。物質的に豊かな時代になったとはいえ、まだまだ働き手は必要とされている。特にポケモンが発見されてからは、ポケモンに関するビジネスが急増し、それに携わる人間も爆発的に増えた。むしろ現在では、ポケモンに関わらない仕事を探すことの方が難しいとさえ言える。多分、お金に関わらない仕事を探すのと同じくらい難しいだろう。

 

 ただ、一般的に仕事と呼ばれるポジションの多くは、ある程度の年齢まで学業を続けないと、就くことは難しい。義務教育を終えたばかりの十歳で、普通の企業に就職するというケースはまずない。たいていは自分の家の仕事、つまり自営業や家業のたぐいに携わることになる。それが今述べた、二割の人間。

 

 そして、残りの五割だ。最大のマジョリティ。彼らは、「ポケモントレーナー」というものになる。彼らは、と三人称で呼んだが、何を隠そう、僕もそのポケモントレーナーのひとりだった。いや、別に隠すつもりもないのだけれど。

 

 ポケモントレーナーとは何か、と一言で表すことは難しい。とりあえず、学校を出て、ポケモンと共に旅をするというのが基本的なスタイルだ。何のために旅をするかという理由は、トレーナーそれぞれによって違う。旅というくらいだから、旅行や観光とは少し違う。何かしらの大きな目的があるし、もしくは目的を探すために旅に出るということもある。僕は、恥ずかしながら(といいつつ何が恥ずかしいのよくわからないが)、後者だ。

 

 九歳で義務教育を終え、ポケモントレーナーになった。特に何をしたいという目的もなく。ただ、なんとなく、旅がしたかった。決して珍しいことではない。そういうやつは、僕の同年代にもたくさんいるようだ。そして今の世の中は、その選択肢が許されている。社会が豊かである証拠だ。

 

 もちろん、きちんと目的を持って旅をしている者も大勢いる。ただその多くの最終的な目的は、実は就職らしい。ポケモントレーナーとして、ポケモンと共に旅をしていた、ポケモンの生態や成長を常に間近で経験していたというのは、ポケモンに関わる仕事を行う上で、確実に評価される要素となる。学業でも家業でも得られない、ポケモントレーナーだけの経験。それがこのポケモンだらけの社会における、彼らの武器になるのだ。まあ、十歳の僕にはまだあまり関係のないことだけど……。

 

 

 

2.

 とにかく、僕は今、ポケモントレーナーとして旅をしている。もちろんトレーナーなのだから、ポケモンと一緒だ。学校を中退するとき(これまで「卒業」という表現を使ってこなかったが、そう、実は十歳でポケモントレーナーになるのは中退扱いなのである)、最終試験として、ポケモンの捕獲をさせられた。一緒に旅に出るための、自分のパートナーとなるポケモンを捕まえるのだ。

 

 ポケモンの捕まえ方については、また後で詳しく述べるが、このときは学校から練習用のポケモンをレンタルして、そのポケモンの力を借りて、野生のポケモンを捕まえた。そしてその野生ポケモンが、そのまま今の僕のパートナーとなった。

 

 ポケモンも、動物や植物のように、そのカテゴリの中にいろいろな種類があり、それぞれに名前(学名)がある。僕が捕まえたポケモンは、ニドランと呼ばれている種族だ。

 

 大きさはだいたい五十センチメートルくらい。四本足で、形としては動物でいうとネズミに近いだろう。少なくとも植物や魚には見えない。大きな耳と前歯が特徴的だ。しかし尻尾はネズミほど長くない。

 

 また、ポケモンには雌雄の区別がある。ただ、イヌのオスメスが一見してわからないように、ポケモンのオスメスも、その多くはあまり外見的な違いはない。せいぜい尻尾の形とか、牙の大きさが違うとか、その程度。

 

 しかし、このニドランというポケモンは、かなり珍しいことに、オスとメスの区別が非常にはっきりしている。オスは長いツノがあるが、メスのそれはとても短い。また、メスには口の左右に触覚のようなヒゲが生えているが、オスにはそれがない。そもそも体の色が相当異なる。オスは紫色で、メスは水色だ。ここまで違うと、もはや異なる種族として扱った方が良いのではないかという意見もあるらしいが、一応、分類上では、オスメスを総称してニドランという学名が付いている。実際は便宜的に、ニドラン♂、ニドラン♀と呼ばれることが多い。ちなみに僕のニドランはオスだ。

 

「おーいニドラン、そろそろ食事の時間にしよう」

 

 旅の途中のある日、ちょうどお昼ご飯の時間になったので、僕はニドランと一緒に食事を取ることにした。食事をするなら、レストランに入るのが一番楽な方法だ。今の時代、どこのお店でもポケモンを連れて入ることができる。なので、ニドランを連れていくことに問題はないの。だがしかし、このとき僕たちがいたのは深い森の中だった。レストランなどあるはずもない。

 

 もちろん、食糧は用意してきた。朝、森の手前の郊外の町を歩いていたとき、路上で弁当売りを見かけたので、人間用の弁当をひとつと、ポケモン用のポケモンフードを買っておいたのだ。旅に出るまでは自分で買い物すらろくにしたことがなかったが、もう慣れたものだ。といっても、まだ出発して一週間ほどなのだけれど。新米の中の新米である。

 

「ニドラン、お前の分だ。味わって食えよ」

 

 そう言ってニドランにポケモンフードを差し出す。缶詰めに入っているのだが、ふたを開けてそのまま渡すというのも冷たい感じがするので(食事でなく僕の性格が冷たいという意味だ)、ちゃんといつも使っている専用の皿に分けてから差し出した。ニドランの好みの味というのがまだよくわからないけれど、今日は割とお気に召したようだ。すぐに平らげてしまった。あとで缶詰の容器を見て、材料を確認しておこう。

 

 今いる森の名前は、トキワの森という。トキワシティの近郊にある森だから、トキワの森。なんともわかりやすいネーミングだ。僕はトキワシティからこの森にやってきた。トキワシティは僕の出身地でもある。学校もそこにあった。

 

十歳になるまでのほとんどの時間をトキワで過ごしてきたし、たまによそに旅行するときは、必ず大人がそばに付き添ってくれていた。それが今は、森の中でひとりである。初めての経験だ。もっとも、ひとりと言っても、ニドランがそばにいてくれる。まだたった一週間の付き合いだけど、それでもなんだか心強い。下手な大人がそばにいるよりも、頼りになるくらいだ。

 

例えばこんな森の中だと、野生のポケモンに襲われることだってある。人とポケモンが一緒に暮らしている世の中だけど、ポケモンだって優しいやつばかりではないのだ。凶暴なポケモンもたくさんいる。相手がニドランみたいなちっちゃいやつなら、襲われても逃げ切れると思うけど、もっと大きいポケモンだったら、かなり危険だ。大人だって無事でいられるかわからない。そんなときは、自分のポケモンに代わりに戦ってもらうしかない。トレーナーとポケモンの信頼関係が試される局面だ。

 

 そういう考え方が根本理念としてあるのだろう。しかし、ポケモンに代わりに戦ってもらうというこの方法は、次第に、人間とポケモンの関係性に新たな一面をもたらすことになった。それが「ポケモンバトル」という競技だ。

 

 ふたりのトレーナーがそれぞれ自分のポケモンを持ち寄り、戦わせる。勝敗を競う。それがポケモンバトル。戦わせるといっても、相手を痛めつけることが目的ではもちろんない。あくまで競技、スポーツのようなもので、目的はトレーナーとポケモンの信頼関係を高めるというその一点にある。

 

 人間の都合でポケモンを使役し、戦い道具にするなど、野蛮だという批判もある。これはとてもデリケートな問題で、未だに各所で活発な議論が交わされている。僕自身としては、野蛮なんてことはないと思うのだけれど、しかしそう思うだけで、実際に否定派を納得させられるだけの論理を持っているわけではない。僕にできることは、なるべくポケモンを大事にしよう、自分の代わりに戦ってくれるパートナーを精一杯労わってあげようという、それくらいだ。

 

 そんなポケモンバトルであるが、なんだかんだで今の世の中の一大ブームといってもいいくらいの流行ぶりだ。ポケモントレーナーの中には、これで生計を立てようというものも少なくない。つまり、ポケモンバトルは一種の競技なのだから、他の野球やサッカーなどのスポーツと同様、エンターテインメントとして、それそのものでお金を稼いでいくことができるというわけだ。実際にはまだ難しい道のりであるが、しかし時代は確実にこのポケモンバトルという競技の隆盛を後押しする流れにある。これからますます盛り上がっていくことだろう。

 

 僕も、そんな人生も悪くないかなと少し考えている。ただ、この一週間でニドランを戦わせたのはほんの数えるほど。しかも相手はすべて野生のポケモンだ。そんな僕がポケモンバトルで食べていくなんて、夢想にもほどがあるだろう。でも、絶対に楽しいと思うのだ。

 

「お前はどう思う? ニドラン」

 

 ニドランは返事をしない。ポケモンは喋れないし、人間の言葉もわからないからだ。ただひたすらに食事の皿を舐めている。もうポケモンフードは全部食べたくせに。食い意地の張ったやつだ。思わずため息が出る。

 

 

 

3.

 さて、淡い夢だけど、抱いたからには、まずは一歩目を踏み入れなくてはならない。つまり、最初のポケモンバトルを経験しなくてはならない。

 

 森の中にも、ポケモントレーナーはたくさんいるだろう。そういえば、朝から森に入ってもう三時間くらい経つけど、その道中で何人かトレーナーらしき人たちを見かけた。そのときは森を抜けることだけを考えていたから、すれ違っただけだった。でもこうなったら、探してみるしかない。そしてバトルを申し込むんだ。ああ、ちょっとわくわくしてきた。

 

 どんな相手が良いだろう。女の子だと楽に勝てそうだけど、そういう相手を選り好んで戦うというのも、ちょっと後ろめたい気もする。かと言って一回り年上のトレーナーに挑んでも、勝てるとは思えない。いや、そもそも初めから勝とうなんて思うのが甘いのか? 最初なんだ。負けて当然。バトルをするという経験の方が大事だろう。……うーん、それもなんか消極的な感じがするな。どうしよう。

 

 ……なんてぐるぐると頭の中で考えながら歩いていた。いけない。このままだと堂々巡りになってしまう。よし、こうなったら、森を進んでいって、最初に出会ったトレーナーに勝負を仕掛けよう。誰だって構わない。どんな相手にも怯まず挑戦する。それがトレーナーというもののあり方ではないか。確か学校でそんなことを習った覚えがある。おぼろげだけど。

 

「やってやるんだ。僕も、ポケモントレーナーなんだから」

 

 そう意気込むと同時に走り出す。振り返ると、ニドランもちゃんとついてきてくれている。良かった。僕の空回りだったらどうしようかと思った。大丈夫、ニドランが一緒なんだ。どんな相手だって……。

 

 と思った瞬間、体のバランスが崩れるのを感じた。後ろを向いていて、ちゃんと前を見なかったせいで石に躓いたのだ。なんという前途多難。しかし、ギリギリのところで体勢を直して、転ぶことは避けられた。ただ、ちょっとまずいことが起こった。

 

 体を起こす反動で足を大きく蹴り出したのだが、その拍子に石を遠くに蹴ってしまった。その石がそばにあった木の一本に当たり……、いや木じゃない。その隙間にある、何か巣のようなものに当たった。嫌な予感がする。

 

 その直後、巣の中から羽音が聞こえてきた。羽音といっても鳥のような大きなものではなく、もっと小さくて、間隔の短い、振動のような音だ。脳に直接響いてくるような周波数。昆虫だろうか。そしてその羽音と共に、巣から何かが出てくる。いや、昆虫にしては大きい。一メートルほどもあるだろうか。一匹だけではない。四匹、五匹ほど出てきた。薄暗い森の中で、この離れた距離からでも、赤い両目が光って見える。そして背中の羽を激しくはばたかせ、こちらへ向かってくる。近づくにつれて、その黄色い肢体が露わになり、また、両手にドリルのような円錐状の針が付いていることがわかる。

 

 このポケモンは見たことがある。確か、スピアーという。昆虫で言うと、ハチに似ている。ただ、スピアーは授業や図鑑で見聞きしただけなので、実物を見るのはこれが初めてだ。両手の針は毒を持っていて、それを使って攻撃してくる。非常に凶暴なポケモンだったと記憶している。そしてその記憶は正しかったとすぐに判明する。実際にスピアーたちが、僕の姿を認識すると、急加速して襲いかかってきたからだ。

 

「ニドラン、逃げるぞ!」

 

 なんてことだ。野生ポケモンとのバトルだけではだめだと思い、トレーナーとのバトルを決意したところなのに、その矢先にとびきり凶暴な野生ポケモンに出くわすなんて。スピアーは確か、授業でも要注意のポケモンだと念を押して教えられたはずだ。ニドランでは一対一で戦っても勝てるかどうか危うい。ましてや相手は複数だ。まともに戦えるはずがない。トレーナーは自分のポケモンに守ってもらうために戦わせるというが、それどころの話ではない。むしろ僕の身を犠牲にしたって、ニドランに勝てる見込みなんてないのだ。

 

 となれば方法はひとつ。ひたすら逃げるしかない。ニドランも危険な状況を察知してくれたようで、一緒に走り出す。とはいっても、向こうは空を飛べるので移動速度は相当なものだ。すぐに追いつかれてしまう。しょうがない、こうなったら少しでも……。

 

「ニドラン、”どくばり”だ!」

 

 僕は走りながらニドランに技を指示した。ポケモンはそれぞれ技を覚えることができる。攻撃の技や防御の技などいろいろあり、それらを駆使してポケモンは戦う。いくつもある技を状況に応じて適切に指示してやることも、トレーナーの資質のひとつと言える。ポケモンは人の言葉は理解できないけど、ある程度訓練すれば、技を使わせることくらいはできる。このときの僕は、適切だなんてとても言えなかったけれど、それでも少しでもスピアーたちの動きを止めるため、ニドランに技を使ってもらうことにしたのだ。

 

 技を指示されたニドランは、立ち止まって振り返り、その小さい体でスピアーたちを見据える。すると体から体毛が何本か飛び出して、固く変化して針のようになり、スピアーたちへと向かっていった。これがニドランの”どくばり”攻撃だ。

 

 しかし、せっかくの攻撃も虚しく、スピアーたちは両手の針で瞬く間に”どくばり”を叩き落としてしまった。ダメだ、やはりレヴェルが違い過ぎる。

 

 今度はスピアーたちがニドランに針を向ける。次の瞬間、その大きな円錐状の針の先端から、細い針が飛び出た。一本でなく五、六本ほど連続で。それも両手から、そして複数のスピアーによる攻撃だ。針がまるでミサイルのように見えた。

 

「向こうも……!」

 

 それらの針はすべてニドランに向けられたものだった。恐らく、同じ針の攻撃なら自分たちの方が強い、ということを示したかったのだろう。その素早い攻撃に、ニドランは避けることもできず、すべての針をまともに食らってしまった。

 

「ニドラン!」

 

 足を崩し、倒れ込むニドラン。それでもその眼はまだスピアーたちを見据えている。諦めたくないのだろう。でも、そんな状態じゃ無理だ。

 

 そんなニドランの闘志を意に介さず、スピアーたちは僕の方を振り向く。次の標的を僕に定めたようだ。いや、標的は最初から僕ただひとりだったはずだ。彼らを怒らせた原因はすべて僕にある。ニドランはただ僕のせいで巻き込まれてしまっただけだ。

 

「ごめん、ニドラン……」

 

 どうせならこのとき、ニドランだけでも逃がしてやるべきだった。いや、逃がす暇なんてなかったけど、それでも「逃げろ」の一言くらい、言うべきだっただろう。ニドランがその言葉を理解してくれるかどうかはわからない。でも、心から伝えようという気持ちさえあれば、通じたかもしれない。

だけど僕はそれをしなかった。そんな言葉を思い浮かべる余裕がなかったわけではない。一応、頭には浮かんだし、喉の辺りまで出かかった。だが実際に出た言葉は「ごめん」だった。

 

「逃げろ」とは、言えなかった。薄情なトレーナーだと思う。

 

でも、なぜか言えなかった。後になって考えても、このときの気持ちはよく思い出せない。何しろ、このときはそれ以上に、衝撃的な出会いがあったのだから。

 

「”ほのおのうず”!」

 

 スピアーたちが攻撃しようとしたその瞬間、遠くから人の声が聞こえた。

 

 直後、辺りの空気が歪むようなものすごい熱気を感じ、気付いたらスピアーたちが地に伏せて倒れていた。羽の振動も止まっている。再び立ち上がる様子はない。気絶したようだ。ちょっと焦げ臭い匂いがする。

 

 僕はというと、驚いた拍子に思わず尻餅を付いていた。いったい何があったんだ。呆気に取られて周りを見回すと、数メートル先に、巨大なポケモンが立っていることに気付いた。スピアーの倍はあろうかという体躯。オレンジ色の皮膚に、大きな羽、長い首と尻尾、そして尻尾の先には、ゆらゆらと揺れる真っ赤な炎。見たことのないポケモンだった。

 

 

 

4.

 遠くの道からひとりの男が走ってくるのが見えた。その大きなポケモンのそばを通り過ぎて、こちらに歩み寄ってくる。

 

「大丈夫か?」

 

 僕に話しかけているようだ。しっかりしろ。頭がちゃんと回っていない。

 

「え。ああ、はい……」とりあえず返答する。

 

「怪我は? こいつの炎でコゲたりしてない?」そう言うと、男はオレンジ色のポケモンの方を向いた。「お前、森の中なんだからちょっと加減しろよな」

 

 この巨大なポケモンは、彼のだったのか。

 

 そうだ、ニドラン。ニドランは大丈夫だろうか。

 

 振り返ると、ニドランはスピアーたちのそばで倒れていた。スピアーと同じく気絶している。まさかあの熱気の攻撃に巻き込まれたんじゃ……。

 

「あの、僕のポケモン……」

 

 急いでニドランを抱えて、男に見せた。

 

「え、ごめん。やっちゃった?」

 

 男は焦った様子でニドランの怪我を見渡す。この男、こんなすごいポケモンを連れているのだから、最初は結構な年なのかと思ったけど、この慌てぶりにはちょっと若い印象を受けた。

 

 というか、落ち着いて顔をよくよく見てみると、そこまで年でもなさそうだ。三十歳も行っていない、二十代前半くらいか? 茶髪で、男にしては肩までかかった髪がやや珍しい。服装は上が白いシャツにネクタイ。なのに下はジーンズというアンバランスさ。

 

 そして何より一番特徴的なのが、白衣を纏っていることだ。なぜ森の中で白衣?

 

 男は十秒ほど、ニドランの体をあちこち触って、少し考えてから言った。

 

「うーん、確かにダメージは受けてるみたいだけど、別にこれは俺のリザードンのせいじゃないな。そこのスピアーの攻撃を食らったんじゃないか?」

 

「え、それは……、ええ、そうです。かなりの威力でした。でも、その後もニドランはまだ戦える様子でしたし、気絶するほどではなかったと思うんですけど……」

 

 僕がそう言うと、男はもう一度ニドランの体を見て、それからニドランの頬の辺りに手を当てた。

 

「いや、多分、ニドランにとっては限界だったんじゃないかな」

 

「限界?」

 

「君を守るために必死だったんだよ。体力はとっくに限界だったけど、自分がどうなっても構わないから、主人を守りたい。それくらいの覚悟だったんだろう。それが、幸運にも助かったことで、緊張の糸が切れて、バタリと倒れちゃった、ってところだな」

 

 言葉が出なかった。

 

 何ということだろう。ニドランがそこまで僕のことを想ってくれていたなんて。「逃げろ」という声すらかけてやれなかった僕を。「ごめん」と謝ることしかできなかったこの僕を。

 

 この男に言われるまで、ニドランのそんな気持ちに気付いてやることさえできなかった。

 

「あの、あなたは、どうしてそんなことがわかるんですか? このニドランには、今会ったばかりなのに」

 

 つい浮かんだ疑問を口にしてしまった。言ってから、ちょっと失礼だったかもしれないと後悔した。しかし男は快活な口調で答えた。

 

「トレーナーとしての、経験の差かねえ。ん、少年」

 

「あなたも、トレーナーだったんですか?」

 

 白衣を着ているので、とてもポケモントレーナーには思えなかった。

 

「元、だけどな」

 

 そういえば、まだお礼を言っていなかった気がする。さっきの「逃げろ」といい、肝心な言葉を肝心なときに言えない僕である。どうにもタイミングが悪いというか、当たり前のことができない。

 

「あ、すみません。助けていただいたのにお礼も言わなくて……。どうもありがとうございました」そう言って深々と頭を下げる。「本当に助かりました。あのままだとどうなっていたか」

 

「あー、いいよ、そういうのは。とにかく怪我がなくてよかった」男は頭を掻きながら照れくさそうに言った。「まあ、こういう森ではスピアーには気をつけなくちゃいかんな。うん」

 

 まったくその通りだ。あとでスピアーのことはもっと詳しく調べておかないと。

 

 そして、お礼に続き、もうひとつ忘れていたことがある。このスピアーに出くわす前に考えていたことだ。

 

 森を歩き、最初に出会ったトレーナーとバトルする。

 

 この人は元トレーナーらしいけど、バトルの腕前があることは、スピアーを退治してくれたことからも明白だろう。戦う相手としては充分すぎるくらいだ。誰であろうと戦うと決めていた以上、なかったことにするのも気が引ける。

 

 ニドランの怪我を治さなきゃいけないし、今すぐにとはいかないだろうけど、でも、この人とは近いうちにバトルをしなくちゃいけないのだ。とりあえず、名前だけでも聞いておこう。

 

「あの、お名前を伺ってもいいですか?」

 

 すると、男は照れくさそうに頬を掻き、そしてもう片方の手で握手を求めてきた。

 

「俺か? 俺はユキナリだ。よろしくな」


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