————何だこれ?
その瞬間のサキエルの心中は、まさしくそれだった。
大きい紫色のヒト型の中から小さい白色のヒト型が出てきた、というだけなら簡単だ。寄生虫の類かもしれないし、現にサキエルも海を泳いでいて小判鮫に張り付かれた経験がある。
だがサキエルの感覚が、寄生虫などではなく、先の巨人とこの小さなヒト型が『同じもの』であると訴えていた。
目の前のそれを握りつぶすのは、容易い。
だが同時に、これほどの機会があるだろうかと、サキエルは思ってしまう。
————あの巨人の正体がこの生き物であるならば、この生き物を調べる事には価値がある。
悩んだ末にそう判断したサキエルは、慎重に白いヒトを持ち上げるとその場で見聞を開始し……そして、その生き物が『死に掛けている』事を察知した。
————何故再生しない? いや、出来ないのか?
————なんと脆い存在だろう。
————治せるだろうか?
そんな思索がサキエルの神経節を駆け巡り、手のひらの上の存在をその感覚器官で精査する。
そうして観察してみれば、どうやら損傷して自らの形を保てなくなりつつあるのが、この生物が瀕死である原因らしい。要はATフィールドが弱まっているのだ。
コアさえ無事なら幾らでも再生できるサキエルには理解し難いが、とはいえ治りかけている傷もある。再生能力が絶無というわけではないのだろう。
————であるのなら、外部からそれを補ってやれば?
そう考えたサキエルは、自らのATフィールドの位相を調整し、徐々に手のひらの生物のそれに近づけていく。
その変化を即座に感じ取ったのは、ネルフの観測機器だった。
「パターン青、変質! パターンオレンジ! 第3使徒の反応がファーストチルドレンに近似していきます!」
「そんな、使徒がヒトにシンクロしようとしているというの?」
リツコの驚愕の呟きは、無理もない。だが、それは紛れもない現実だった。
綾波レイとシンクロし、その肉体に少しずつ、自身の生体エネルギーを注ぎ込む事で、瀕死の彼女を再生させる。
そんな器用な行為は、同時にサキエルにとって多大な知見を得るきっかけとなった。
脳。すなわち魂の座。なるほど知恵の果実を食べた者達はコアの代わりにこのような器官を発達させたのかと感心し、早速模倣したサキエルは、同時に綾波レイのATフィールドに干渉する事で読み取った彼女の記憶の断片から、急速に世界を学習していく。
「ネるFu、イkAりシレE、AかgIはカSe……w、Waたしが、私が死んでも、代わりはいるもの、もの、エヴァ、エヴァンゲリオン……エヴァンゲリオン……」
壊れたスピーカーの様に軋んだ音を徐々に矯正しつつ発されるのは、サキエルが読み取ったレイの記憶の音声化。
あくまで表層的なその記憶はしかし、サキエルに思考を与える火種となり、作りたての脳の中で明滅するシナプスの火花が、彼の知性を急速に向上させていく。
「使徒。私? 私が使徒。私は使徒。私は第3使徒サキエル。私は、サキエル。サキエルは私」
言葉を習得し、急速にヒトを模倣する彼は、やがて、何を思ったのか、綾波レイをそっと地面へと下ろすと、光輪を頭上に輝かせ、自身の戦果であるシャムシエルの遺骸を担ぐと、フワリと浮かんで海へと立ち去っていく。
————私はサキエル。
————私は使徒。
————生命の果実を口にした私は、知恵の果実を手に入れなければならない。
————何故?
————完全な生命を得るために。
————なんの為に私は完全な生命を得る?
————なんの為に?
————なんの、為に?
————ああ、私は……私は、なんの為に、生まれてきたのだったか。
そんな答えの出ない『アイデンティティへの問い』に陥ったサキエルは、頭を冷やすべく冷たい深海へと帰って行くのだった。