戦真館×川神学園 【本編完結】   作:おおがみしょーい

63 / 65
第六十話 ~混沌~

 暗闇に包まれた多馬大橋の上で、3人の少女が闇を斬りつける。

 しかし、

「はいだめー、こっちもだめー」

 手応えはまるでなく、ただ時間だけが過ぎていく。

 

 もはやどれだけの時間をこうしているかわからない。

 

「まったくホントに、うっとおしいなっ!!」

《ファイアー》

 燕が悪態を付きながら手甲から火の玉を放ち暗闇へと放つ。

 その火の玉が、暗闇に飲まれて消える。

「やああああっ!!!」

 義経が気合を走らせながら刀を一閃する。

 一瞬闇が斬れたかのように見えたが、直ぐにもとの暗闇へと戻っていく。

 

 神野はもうずいぶん前から姿を見せていない、ただ闇に溶けて徒労に終わっている少女たちの姿を見ては嘲笑っていた。

 

 たまに姿を見せたと思っても、すぐに闇のなかに消えてゆく。

 

「いやさぁ、そろそろ諦めたら? このままやったって無駄だよ無駄。君たちも気づいているんだろう……君たちの攻撃、もしかしたら良い所まではいくかもしれないけど、今のままじゃぁボクには届かない……届かせるのは君の力が必要なんだよ、ねぇ? 聞いてる? 君に言ってるんだよ、水希?」

「あああああっ!!!!」

 そんな神野の言葉から耳を塞ぐように雄叫びを上げて、水希が神野の声がした方に斬りかかる。

 

 手応えは――ない。

 

「ほらほらそんなんじゃダメだって……もっとしっかり解法を込めないと、ねぇ。はい、いっち、に、いっち、に、って……ひゃはははははははははっ!!!!」

 無駄骨に終わっている水希の攻撃を嘲笑いながら神野の言葉が水希を弄ぶ。

「――っ!!」

 そうやって煽る神野に反応しかける水希を、

「はい! ストップ!!」

「水希! 深呼吸!!」

 燕と義経がフォローしている。

 

「……ごめん、二人共」

「ほんとほんと、ボクが何か言うたびにビキビキきてる馬鹿な娘のお守りなんて、ほんと、大変だよねぇ……って、おっと」

 水希の謝罪の言葉にさえ茶々と入れようとした、神野に燕が平蜘蛛の炎を放って言葉を遮る。

「ほんっとにもー、腹立つなぁ……」

「そうだそうだ! 義経は怒っている!」

 そう言って自らをかばうように前に出てきてくれている二人を見て、水希は唇を噛む。

 

 神野の斬っても斬れない、打っても抜けない不死の暗闇は、透の解法によるものだろう。しかしどのような応用が組み込まれてるかまでは、皆目見当がつかない。

 ならば打ち破るにはどうすれば良いのか。

 真っ向から崩の解法をぶち当てて、叩き割るのがわかりやすく、それでいて有効であろう。

 同時にそれは、現状、神野を打ち破るただ一つの道だといってもいい。

 そしてそれを可能にするのはこの場にいる人間では、世良水希ただ一人。

 故に水希は唇を噛む。

 己の不甲斐なさを噛み締めている。

 先程のようなやりとりを、もう既に数を数えることすらかなわないくらいに繰り返している。

 その都度、神野の挑発に心を乱され渾身の一太刀を入れられていない。

――いや、果たして自分が渾身の一撃を入れたとして、神野を倒せるのか……

 そんな弱気が水希の胸に持ち上がる。

 

「どうかなぁ、やってみないと……」

 そんな水希の心の弱さを敏感に感じ取り神野が水希のもとに這い寄ろうとしたとき、

「やああああっ!!!」

 義経の一閃が、神野を霧散させる。

「水希、信じるんだ! 信じなければ、出来るものも絶対にできなくなっちゃう!」

「そうそう! 義経ちゃんの言うとおり。てかさ、私、思うんだ。こいつがねちねちねちねち、水希ちゃん嬲ってるのはきっと怖いから。水希ちゃんがホントに本気になったらやられちゃうって思ってんだよ、っと!」

 そんな燕の言葉が終わらないうちに飛んできた毒蛾の大群を燕は紙一重で躱す。

「あれあれー、もしかして図星? 悪魔ともあろうものがそんなわかりやすい反応しちゃうんだ?」

 避けた燕は手で口を隠しながら、わざとらしく口をニヤけさせて、神野を挑発した。

 

「……いやいや、よくやるねぇお嬢さん。ボクはこれでもれっきとした悪魔なんだけど……それを挑発とか……怖いもの知らずというか、なんというか……よっぽどのキレ者か、よっぽどの馬鹿じゃなきゃしないよ、そんなこと……」

 そう言いながら神野は燕を見ると、

「それとも、もしかして……誘っているのかな?」

 乱杭歯を剥きだしてニヤリと口を歪ませた。

 

 そんな神野の反応に、

「ピンポーン、って言ったら、どうする?」

 燕はわざとらしくおどけて、負けずにニヤリと笑った。

 

「ま、松永先輩!!」

「燕さん!!」

 燕の行動の真意が分からず、義経も水希も声を上げる。

 そんな二人を見つめながら、燕は真面目な顔で口を開いた。

「もうさ、これ以上同じことやってても、多分意味がない。だったら勝負をかけないとダメ。時間ももう、そんなに残ってないと思うし……」

 燕は義経と水希の瞳を見つめながら言う。

「さっき近くにあった大きな気が消えたでしょ。たぶんヒュームさんと学園長だと思う。つまりここが最後……学園の皆が、戦真館の皆が、一つ一つ積み重ねてようやくここまで来た。だったら次は私たち。本当にめちゃくちゃヤバイ橋だと思ってる。でも、渡らなきゃ勝てないなら、私は渡る」

 そう言うと最後に水希の胸に拳を当てて、

「それにね、私は本当に、水希ちゃんのこと信じてるから」

 ニッコリ笑った。

 燕の言葉に反応するように、義経が一歩前に出る。

「うん! わかった! その橋、義経も渡ろう!」

 そう言って力強く頷いた。

 そして、義経も同じように水希の胸に拳を当てると、

「大丈夫、水希なら出来る。義経は信じている」

 澄んだように笑って、頷いた。

 

「燕さん……義経……」

 

「道は必ず私と義経ちゃんで作る、だから、頼んだよ!」

「行こう! 水希!!」

 二人の力強い言葉に、

「うん!!」

 水希が頷いた。

 

「……きひひ、ひひはは、あははははははははははははは!!!!!」

 そのやりとりを見た神野が腹を抱えて嗤いだす。

「なんの作戦も考えずに中央突破かい? 舐められたものだなぁ」

「だって作戦なんかかんがえても、あんたには意味ないでしょ。だったら小細工なしで行くっきゃないって腹くくっただけ!」

「義経は負けない!!」

「――ッ!!」

 三人の少女が気迫を込めて闇を見つめる。

 賭けるものは決まっていた。己の魂、命、その他もろもろありったけ。

 賭ける覚悟も決まっていた。

 問題は相手の賭け金が見えないこと。

 賭けるものが1銭でも足りなければ敗北する、そんな分の悪い賭け。

 そんな博打を打つ覚悟を三人は決めた。

 

「いいね……いいよ……このイレギュラーな“余興”の最後にふさわしイベントじゃないか!! さあ、力の限り足掻いてくれ!!」

 どこからともなく聞こえる神野の声が、いっそう耳元で聞こえたと思うと、

「あんめい、まりあ――ぐろおおォりああァァす!!!」

 暗闇が爆ぜた。

 

「――くッ!!」

「――つっ!!」

「――うっ!!」

 三人は一斉に声を上げる。

 暗闇からはいでていた夥しいまでの蟲達が一気に三人を取り囲んだかと思うと、強烈な力で締め上げていた。

 いままで実体がないかのように手応えがなかった存在とは思えないほどの質量が、三人の身体を押しつぶそうと力を込めてくる。

 

「さぁ、どこまで耐えられるかな? というか、抜けられるかな? そしてボクに届くかな? やってみてくれ、試してくれ、挑んでくれ!! ボクの主が君たちの輝きを待っている!!」

 神野の声が頭上から降り注ぐ。

 

「くうう……」

「つうう……」

「うう……」

 三人は万力に締め上げられているような力になんとか抗いながら瞳を合わせる。

 燕がこくりと頷いた。

 

《ファイヤー》

 平蜘蛛の機械音声が響く。

 

 燕の全身が炎で覆われる。

 今までで最大出力の炎が燕を包む。

 だが――足りない。

 黒き蟲の霧は未だ三人を取り囲んでいる。

 

「ああああああああああああああああっ!!!!」

 燕は雄叫びを上げながら気を炎に変えていく。

 

 ()べろ、()べろ、()べろ!

 探し出して、かき集めろ!

 燃やせ、燃やせ、燃やせ!!

 なんでもいいから力に変えろ!!

 怒りも、感謝も、嫉妬も、恋慕も、みんなまとめて燃やしつくせ!!

 素敵なクリスマスを、最高のクリスマスをぶち壊した悪魔の鼻を明かしてやれ!!

 

「ああああああああああああああああああっ!!!!!」

 炎が巨大な火柱となって燃え上がる。

 戦いにおいても、クールでドライ。そんな燕が未だかつてあげたことがなかったほどの雄叫びを、あげている。

 

 黒髪の好敵手の顔を思い浮かべる。

 恋のライバルの顔を思い浮かべる。

 そして最後に大好きな少年の顔を思い浮かべる。

 

 ()()()()()()()()()()()辿()()()()()()――

 

 胸の内から、そんな言葉が頭をよぎった。

 

「あああああああああああああああああああっ!!!!!!!!」

 ありったけを炎に変えながら、燕は残った手で一本のチューブをベルトに差し込む。

 焼き切れそうになっている平蜘蛛のベルトが光る。

《バースト》

 無機質な機械音が響いた。

 

 次の瞬間、燕のすべてが練りこまれた炎が爆散し、黒き蟲の群れを霧散させた。

 

「ほ――っ?」

 暗闇の中から声が漏れ聞こえた。

 

「義経ちゃん……」

 全ての気を使い果たし、ぐったりと両膝をついた燕が義経に声をかける。

「はいっ!!!」

 その言葉に、義経が力強く応える。

 

 神野にただの攻撃は通じない。それは今までのやり取りで嫌というほどわかっている。

 神野に届くための一撃は唯一ここでは水希のみ。

 では、何もできないのか?

 そんな事はない、道を拓くことは出来るはずだ。

 燕が全てを燃やして義経達に道を標した様に、義経はその標された道を拓くのだ。

 仲間が――水希がちゃんと通れるように。水希が迷わず歩けるように。

 かつてのやり取りで、義経は神野の空間を切り裂くことが出来た。

 ならば、出来る――やってみせる。

 源義経という人間がここまで生きてきた全てを込める、渾身全霊最高の一撃にて、仲間を導いて見せる。

 

 義経の瞳が闇を睨みつけた。

 闇に溶けて見えないはずの神野を見極めているように睨みつける。

 

 義経は両足を浅く曲げ、両手で握った刀を、右肩に担ぐように持ち上げる。

 切っ先が、天を刺す。

 蜻蛉(とんぼ)の構え。

 示現流――かつて薩摩藩のみ教えられた門外不出の剣技だ。

 この一刀に全てを賭けると決めた義経の一手。

 蜻蛉(とんぼ)の構えから、踏み込みざまに、真っ向から剣を打ち下ろす。

 その一太刀に全身の力と、気魂を込める。

 後のことは考えない。

 その一太刀を躱されたら、受けられたら……そういう事は考えない。

 その一太刀めを躱されたら――死ねばいい。

 そういう覚悟の一撃だ。

 しかし、今、義経は――死ねばいい――とは考えていない。

 覚悟はある――その上で、信じている。

 この一太刀が仲間を照らすと、仲間の勝利を導くと信じている。

 覚悟を込めた、『信』なる一太刀。

 それを放つと心に決める。

 

「ほおぉぉぉぉぉぉ……」

 義経の中の気が、みりみりと膨れ上がっていく。

 持ち上がっていく気配を隠さない。

 気を込める。命を込める。魂を込める。源義経を込める。

 

「ああああぁぁぁぁぁ……」

 声が急速に高まっていく。

 身体を、心を、刀を一つにする。

 

 義経の瞳が、かっ、と見開いた。

 

「ちぇええええええええええええっ!!!!」

 

 義経が雄叫びを上げて、暗闇に飛び込んだ。

 ただの一撃に、源義経のありったけを込めて。一度振り下ろしたら、魂が擦り切れても構わない――そんな思いを込めた一撃が神野の暗闇に振り下ろされた。

 

 キンっ――

 

 刀と何かが擦れる音が、聞こえた。

 

「お……? おっ……?」

 神野の驚くような声と共に暗闇がぐらりと歪んだ。

 

「水希ちゃん!!」

「水希!!」

 燕と義経が水希の名を呼ぶ。

 

「やああああああああああっ!!!!!!!」

 水希は不安を打ち消すように叫んだ。

 

 燕は自らの気の全てを平蜘蛛に注ぎ、義経と水希を助けた。

 義経は正真正銘渾身の一撃を放ち、道を示した。

 二人の決死の行動で神野が始めて揺らいでる。

 勝機――

 それなのに、身体が動かない。

 ここに来て、水希のトラウマが足を引っ張っていく。

 

『だから言ったろう? ヘタレの君がそんなに簡単に変われるわけがないじゃないか……きひひ、ひひはは、あはははははははははははははは!!!!!』

 

 悪魔の声が聞こえた。

 

 お願い――お願いッ!!

 

 その時、水希は神野の声を否定しなかった。

 

 知っている。

 自分がどれだけダメなのかは自分が一番よく知っている。

 だから水希は助けを求めた。

 背中を押してくれと、懇願した。

 

 助けて――皆!!

 助けて――柊くん!!

 私に力を貸してっ!!!

 

 親愛で、最愛な仲間たちに、助けてくれと、恥も外聞もなく願がったのだ。

 

 その時、

 

『信濃なる、戸隠山に在す神も、(あに)まさらめや、神ならぬ神』

 

 水希が心の支えにしている仲間の声が頭に響いた。

 

『破段・顕象――犬田小文吾――悌順ィッ!!』

 

 力強い破邪の言霊が、頭の中に入ってきた。

 

 四四八が編み出す『悌』の夢。

 互いに仲間を思いやり、心から信じてるからこそできる心の共有。

 仲間の意識が流れ込んできた。

 

「あんた何チンタラやってんのよ!! そんな気持ち悪いストーカー野郎にやられたら奴隷なんだからね!!」

 鈴子の声が聞こえた。

 

「みっちゃん頑張れ!! みっちゃんなら出来る!! そんな奴ぶっ飛ばしちゃえ!!!」

 歩美の声が聞こえた。

 

「水希!! 大丈夫だ!! あたし達がついてる、負けんじゃねぞ!!」

 晶の声が聞こえた。

 

「水希!! 負けたらパンツ見せてもらうからな!!」

 栄光の声が聞こえた。

 

「他の奴らが出来たんだ、お前だって、やりゃ出来る――」

 鳴滝の声が聞こえた。

 

 そして最後に、

「何をやってる、世良水希!! 自分に負けるな、奮い立て!! お前は誰だ、思い出せ!! 歯を喰いしばって、叫んでみろ!! 名乗れ!! 世良ッ!!」

 四四八の声が聞こえた。

 

 身体が芯から熱くなった。

 

「私は……」

 眸を閉じて、仲間の声を反芻する。

 

「私は――」

 手に力を込めて、心を研ぎ澄ませる。

 

「私は――ッ!!」

 思いっきり息を吸い込み、眸を開く。

 

「戦真館 特科生!! 世良水希ッ!!!!」

 

 見開いた水希の双眸は光に溢れ、燃えていた。

 

「やあああああああああああああっ!!!!!!!!」

 裂帛の気合を響かせて、水希は揺らいだ暗闇へと突っ込んでいく。

 

 一閃――

 

 手応えが――あった。

 

 水希の一刀が、暗闇を切り裂いた。

 

 暗闇を切り裂いた瞬間、残った闇が集まって神野明影が形成される。

 

 そして次の瞬間、

 ぼとり――

 と、神野の片腕が崩れるように地面に落ちた。

 

「お……? おぉ……おおぉぉ……」

 神野が再生されない傷口を見ながら声を上げる。

 嗚咽、歓喜、苦痛、喜悦……

 様々な感情が入り混じった、そんな声だった。

 

「いいね……いいね……」

 神野がニタリと笑って水希を見る。

 片腕は未だ再生されていない。つまり神野の中のなにか決定的なモノに水希の一撃が届いた証拠なのだろう。

 しかし自らの絶対的なアドバンテージである不死性を揺さぶられて尚、神野は不敵に嗤っていた。

 

「いいね……ようやく、()()()()に近づいてきたじゃないか……」

 神野のからだがふわり、と宙に持ち上がる。

「でも、まだテレが残ってるなぁ……」

 神野は水希だけを見ている。水希だけに語りかけている。

「ということは、お邪魔虫がいるということ……」

 そう言って、神野は始めて燕と義経に目を向けた。

「ここまでするのは大人気ないけど――僕と水希の逢瀬のためだ……死んでおくれよ」

 神野は燕と義経に向かってにたりと嗤った。

 

「――!!」

「――!!」

 燕と義経は構えを取る。

 

 目の前に浮かぶ神野から、今までとは桁が違う気配が溢れてきいるのを感じ取った。

 ずぶり、ずぶり、と神野の身体が少しづつ変わってく。

 百足の、ゴキブリの、蠅の、虻の、蜂の……ありとあらゆる害虫の様々な部分が神野のいたるところから生えはじめる。

 

「さぁ、混沌(べんぼう)を見せてあげよう……」

 

 神野の本性が顕現しようとした、その時、

 

「――神野明影」

 

 悪魔を呼ぶ声と共に――空が降ってきた。

 

「――ッ!!!!!」

「――つッ!!!!」

「――くっ!!!!」

 圧倒的という言葉さえ霞むほどの、想像を絶する圧力にいきなり晒された3人の少女は例外なく膝をついた。

 

 叩きつける豪雨のごとく降り注ぐ圧倒的な圧力は、ただひたすらに強大で、あきれるほどに王道だった。先ほどまで戦っていた神野の邪気瘴気とは真逆と言っていいほどに真っ直ぐで、非常なほどに公平で、あえて言え裁定者といううべきか……そのような存在が、川神の空から降りてきたのだ。

 水希の心臓が張り裂けんばかりに鼓動する。

 かつて夢に見た未来で。

 そして第四層突破、五層にたどり着いた直後に。

 絶望の思いとともに記憶の底に刻み込まれた存在――甘粕正彦が降りてきた。

 

「――神野」

 甘粕は地に伏せている少女たちには一瞥もくれずに悪魔に声をかける。

「敢えてやめろとは言わんが……少々興がのりすぎているのではないか。蛇足と言われて作った舞台で、役者は全力でその役を全うした。そうだと言うのに演出家を自称するものが終幕に出張ってきてその舞台をひっくり返すというのも、些か興がさめるというものだ……まぁ、俺個人としては嫌いではないがね」

 甘粕の言葉に神野は額をぺしりと叩いて、

「あーー……いやいや、我が主にそう言われてしまうとは……ボクとしたことが、これは一本取られたね。確かに少々はしゃぎ過ぎてしまったようです。かつての(あなた)のように……ね」

 そう言ってニヤリと笑うとくるりと向きを変える。

 

 そして失った片手をそのままに大きく手を広げて、水希たちを見下ろすと、

「ここでは敢えて川神学園と言わせていただこうかな……おめでとう! 川神学園。おめでとう! 戦真館。今宵の余興は君たちの勝利だ、祝福させてもらうよ――」

 おどけた様にそう言った。

 その意味を三人が図りかねていると、

「ああ、やはり俺の見立てに狂いはなかった。期待通りだ……否、期待以上だ、お前たちの輝きは素晴らしい……」

 甘粕からも賛辞の言葉が降ってきた。

 

「しかし――」

 甘粕は戦真館と川神学園への賛辞のあとに更に言葉を続けた。

「この戦いで見せたお前達の輝きに比べ、この時代の醜さはどうだ……やはり何度見ても反吐が出る」

 甘粕は心の底から嫌なものを吐きだすように顔を歪ませると、川神のビル群を見下した。

「建物は高くなったが人の気は短くなり、道は広くなったが視野は狭くなるばかりだ。金を使っているが得るものは少なく、持ち物は増えているが人の価値は下がっている。家の見てくれは立派だが、中身の家庭は壊れていて、長く生きる様になったが、長らく“今”を生きていない。学ぶ事、助け合う事、愛する事さえわすれ、憎み合う事ばかりが増えている――」

 甘粕は朗々と謳いあげる様に現代社会の矛盾を突いていく。

 

「俺が愛する人が、なぜこれほどまでに堕落した! これは人自身の(さが)なのか? いいや、否。断じて否ッ!! 何故ならお前達がそれを証明してくれた!! 人はこの様な腐りきった時代であっても輝く事が出来るとッ!!」

 そう言うと、甘粕は恍惚とした表情を浮かべ天を仰ぐ。

 

「仲間を信じて巨石を止め、その巨石を片腕を不能に追い込まれながらも射抜いた彼等の気概と信頼に敬意を表す。未熟と知りながら歯を食いしばり遂には師を打ち倒した少女の勇気は何物にも代えがたき宝だ。死を覚悟しながらも己の真を貫いた少年の忠とその想いに応えた剣士の覚悟には絶頂すら覚え、絶望的な大軍を前に、尚、震える足に力を込めて指揮をとり続けた少年の思いは何よりも美しかった。圧倒的な巨兵を前に紡いだ漢達の絆は目を覆わんばかりに眩しくて、悪魔の甘言にも揺れず己を貫いた侍の意志と、最強に、伝説に躊躇う事なく立ち向かった戦士達の強さには万雷の拍手を送りたい!! そう俺はこの(イクサ)を戦い抜いた光の戦士たち一人一人を心の底から讃えたいのだッ!!!!」

 甘粕は一つ一つの言葉の中にある戦いを、思い浮かべる様に眸を閉じる。

「これこそが楽園(ぱらいぞ)だ。人が永遠に輝き続ける為の楽園(ぱらいぞ)だ……」

 甘粕は自らの言葉を確認するように呟く。

 

「だが……まだだ……」

 そう言いながらゆっくりと眸を開ける。

「まだだ……まだまだ、まだまだ……こんなものではないはずだ!! 人が持つ輝きはこんな程度ではないはずだ!! もっとだ……もっともっと、戦いの中で煌めく、心の美しさを魅せてくれ!! もっともっと、絶望の中で抗う、魂の慟哭を聴かせてくれ!! 人はこんなにも輝けるのだと、強く強く、教えてくれ!! 俺に人間賛歌を謳わせてくれ!! そう、喉が枯れ果てるほどにッ!!!!」

 甘粕は両手を広げて謳いあげる。

「その為に必要ならば、俺はどんな悪にも染まってみせよう……最強最悪の魔王として君臨してみせよう」

 そして、宣言するようにそう言った。

 

 なんと真っ当に狂っているんだろう。

 

 愛に狂った人間とういうモノは少なからず存在する。しかしこの男は文字通り桁が違う。この男は全人類を愛しているのだ。人間愛に狂っている。

 この男は言っているのだ、己は人を愛している。故に人を腐らせぬ様に試練を与えると、難敵を用意すると。今日、この悪夢のようなクリスマスイブをまだまだ、まだまだ続けたいのだ……と。

 

 違う、違う!! 断じて違う!!

 こんな日が延々と続く世の中が楽園であるわけがない!!!

 この一日で一体どれほどの人が理不尽に傷ついたというのだろうか。

 それをこの男は是というのだろうか、それを延々と続けたいというのだろうか。

 水希の本能のような部分が警笛を鳴らす。

 止めなきゃいけない!

 何か言わなければいけない!!

 心の底からそう思う。

 だが、言葉が出ない。

 目の前の男の圧力に、本質に、圧倒されて息が出来ない。心臓が鷲掴みにされたような圧迫感がのしかかり、肺がしぼみ、呼吸すらも困難なほどだ。

 

 しかし、このまま負けちゃだめだと心が叫ぶ。

 ここで屈したら今までの皆の戦いがそれこそ塵芥(ちりあくた)となり下がる。

 

 皆の声はもう、聞こえない。

 おそらく甘粕の強大な存在感によって強制的に『悌』のラインが断たれてしまったのだろう。

 それでも身体の中に仲間の言葉が宿っている。

 

 柊くん――みんな――私に、力を――

 

 水希が心の底から強く強く願う。

 

「あんたなんか……」

 何かに押されるように、水希の口から言葉がもれた。

「あんたなんか――」

 手と足をガクガクと震るわせながら、水希は先ほどよりも大きな声で言葉をつぐむ。

 

 そして、

 

「あんたなんか!! 柊くんがやっつけちゃうんだからッ!!!!」

 

 水希は渾身の力を振り絞り、甘粕に向かって言葉を投げた。

 

 負け惜しみにもならないほどの稚拙な雑言。

 それでも水希は、今の瞬間、先ほど自らが神野に届いたときよりも更なる力を用いて言葉を発していた。

 

「……くっくくく、くぁはっはははははははは ハーッハハハハハハハハ!!!」

 それを聞いた甘粕は怒るでも嘲るでも見下すでもなく、心の底から嬉しそうに笑ってみせた。

「ああ、それでいい、それでこそ我が楽園(ぱらいぞ)の住人に相応しい!! ああ、そうだ。向かってこい! かかってこい!! 挑んでこい!!! それこそが俺が求める輝きだ!!!」

 甘粕の大笑と共に甘粕の圧力が膨れ上がる。

 心の底から湧きあがる歓喜を抑えられないように、甘粕の波動が発散される。

 そして、甘粕の圧倒的な力が川神全土を覆いつくそうとした時、

 

「だが……それは今ではない」

 

 そう言って甘粕は踵を返した。

 

「え?」

 あまりに拍子抜けな行動に、水希の口から思わず疑問の言葉がもれる。

「さっきも言っただろう、もっともっと人の輝きを魅せてくれと……俺はおまえ達に期待しているのだよ、おまえ達ならもっともっと、高く飛べると。それに――」

 そう言って、甘粕は口元に苦笑を浮かべると、

「今回は自ら神野を(いさ)めた手前、同じ過ちを繰り返すわけにもいかん。確かにあの時の俺は少々はしゃぎ過ぎた、と思っている」

 子供が反省しているといわんばかりに肩をすくめた。

 

 甘粕と神野の身体がすぅ、と空へと昇っていく。

「ではな、愛すべき戦真館の諸君。そちらの盧生(イエホーシュア)によろしく伝えておいてくれ」

「じゃあね、水希。今度会ったときは本気で愛し合おうよ……」

 そう言葉を残して、魔王と悪魔は川神の空に消えていった。

 

 静寂があたりを包み込んでいた。

 

「プッ――ハァ!!」

 二人が消えてたっぷり一分がたった時、その静寂を最初に破ったのは燕だった。

「なにあれなにあれ! やばいっていうか……もう、やばいってもんじゃないでしょ、あれ!! いやー、水希ちゃんよくあんなんに向かって啖呵切れたね」

「す、すごかった……義経はまだ震えが止まらない……」

 燕と義経はそれぞれに今の出来事を思い出しぶるりと身体を震わせる。

 そんな中、水希はいつの間にかペタンと地面に足と尻を付けた格好で座り込んでいた。そして、二人の友人に首だけ向けると、

「こ、こしぬけちゃって立てないや……」

 小さく笑いながらそう言った。

 

「……プッ、ハハハ、アハハハハハハ」

「……ふふふ、はははは、あはははは」

 それを聞いた燕と義経が吹き出すように笑い始めた。

「アハハハハハハハハ」

「あはははははははは」

 燕と義経も地面に座り笑い出す。

「……えへへ……ふふ、ははははははは」

 そんな二人の笑い声につられるように水希も笑い出した。

 

 激戦を終えた橋の上で3人の少女の笑い声が響く。

 

 どれほど笑い続いけていたであろうか、

「アハハハハ……ふぇ?」

 そんなんか、何かに気づいたように燕が不意に空を見上げる。

「ははは……わっ!」

「――あっ!!」

 それにつられるように、義経も水希もその事実に気づく。

 

 そして同時に、

『雪だっ!!!』

 と、顔を見合わせながら叫んだ。

 

 あたりはいつの間にか真っ暗になっていた。

 しかし先ほどの暗さとは違い、空が高い。

 そしてその空から真っ白い綿のような雪が、ふわりふわりと舞い落ちてきた。

 

「わあっ! これってホワイトクリスマスってことだよね!!」

 燕が両手を広げ、空を見上げて嬉しそうに声を上げる。

「すごい!! すごい、すごい、すごい!! 義経は雪を見るのは初めてだ!!」

 小笠原諸島から来ている義経は雪を見るのを初めてなようで拳を握って興奮している。

「……綺麗……」

 水希は空から舞い落ちる雪を見ながら小さくつぶやいた。

 

 終わったんだ、という実感がふつふつと湧き上がってきた。

 

「燕さん!! 義経!!」

 水希は目の前にいる二人に飛びつくように抱きついた。

「ちょっ、水希ちゃん?」

「わわっ!」

 いきなりの飛びつきに二人はたたらを踏むが、なんとか水希を受け止めた。

 水希はそんな二人の驚きを気付かずに腕に力を込めて二人を抱きしめる。

「燕さん、義経。私、川神に来てよかった……みんなに会えて、よかった……」

 水希は心の底から溢れる想いを言葉にのせて、燕と義経を強く強く抱きしめる。

「ありがと……私もね、川神に来て、みんなに会えて幸せだよ」

「うん! 義経もだ! 義経も川神来て本当に良かった!!」

 燕と義経もそれぞれに言葉を紡いで腕に力を込める。

 

 三人の少女が互いが互いを支えるように一つになっていた。

 

 そんな少女たちの絆を、雪が優しく包んでいた。

 

 

―――――

 

 

「まったく……どうりで寒いわけだわ……」

 屋上に出ていた鈴子はチラつく雪を見ながらつぶやいた。

「雪はお嫌いですか?」

 隣にいた李が鈴子の呟きに答えるように、問いかける。

「好きとか嫌いとかは、あまりないですね。雪ではしゃぐほど子供じゃないし。李さんはどうなんです?」

 鈴子は李の問いかけに答えながら、質問を投げる。

「私は……実はあまり好きではありません」

「へぇ、やっぱり寒いのが苦手……とか?」

 李の答えに鈴子が返すと、

「いえ、前の職の関係で……雪は足跡が残ってしまうので……」

「あぁ、なるほど……」

 鈴子は納得したように小さく頷く。

 

 そんな時、

「はやく! はやく! ガクトもモロも早く早く!!」

 校庭の方から跳ねるような元気な声が聞こえた。

 二人がそちらに顔を向けると、そこには一子がまさに雪の中を跳ねる子犬の様に全身を使ってあとに続くガクトとモロに声をかけていた。

「ワン子、無理しちゃダメだって。さっき立てるようになったばっかじゃないか」

「うーーー、さみぃーー。でも、これでホワイトクリスマス、フラグは立った!! 俺の聖夜が性夜になる日は近い!!」

 心配そうに一子に声をかけるモロと雪を見てニヤけるガクトがあとに続く。

「アタシなら大丈夫! それにお爺さまが無事だったんだもん、はやく顔見に行かなきゃ!!」

 一子の言葉に、

「まぁ、大和たちもいるしね。みんな無事みたいで、本当に良かったよ」

 モロが答え、

「いやー、俺様頑張ったもんなぁ。これはあれかな告白来るな、もしかして複数とか?! いやー、まいったなー。なぁに、俺様なら大丈夫、二人でも三人でもどーんと来い! ぬぁっはっはっはっは!!」

 ガクトはなにか見当違いの妄想にふけっている。

 

 そして三人はガヤガヤと笑いながら校門を出て行った。

 

「ふぅ……まったく元気ねぇ」

 それを屋上から眺めていた鈴子が顔に小さく苦笑を浮かべながら言う。

「えぇ、本当に」

 そんな鈴子の言葉に李がクスリと笑う。

 

「……我堂様」

 若干の沈黙のあと、李が雪を見上げながら口を開く。

「私は先ほど、雪があまり好きではない、と、言いましたよね」

「……」

 鈴子は黙って李の言葉を聞いている。

「ですが――」

「ですが?」

 鈴子の返しに李は雪から鈴子に顔を向けると、

「でも、こんなふうに皆と見る雪ならば、好きになれそうな気がします」

 そう言って小さく笑った。

 そんな李の笑顔に、鈴子も笑顔で返しながら、

「実は私もそう思ってました」

 そう言った。

 

 ふふ――と二人が笑い合う。

 

 そんな時、不意に李が雪に視線を戻すと、

「それにしても――」

 と、口を開く。

 そして無表情な顔に、微かな自信をにじませて、

「本当に綺麗な、雪ですのう(スノウ)

 そう言った。

 

 ひゅう……

 

 冷たい風が、吹き抜けた。

 

「寒くなってきたわね、戻ります」

 鈴子が李のダジャレをまるで無視して、屋上をあとにする。

「ああ、我堂様待ってください。まだ、取っておきがあるんです!」

 李は慌てたように鈴子の後を追う。

「こういう季節……それも気候限定のものは今度いつ披露出来るかわかりませんので、是非――」

 李の声が屋上に響いていた。

 

 雪はちらりちらりと、静かに降り続いていた。

 

 

―――――

 

 

「うっひゃー、寒いと思ったら雪だよ! 雪!! ね、与一くん。雪! 雪!!」

 体育館で休んでいた歩美が窓から見える雪を見て、隣にいる与一の袖を引っ張る。

「ふん、あれが空から舞い落ちる追憶の結晶か……流石の俺も、実物を見るのは初めてだぜ……」

 それにつられて外を見た与一が、雪という言葉を有り得ないくらいに装飾して言い放つ。もはや聞いている方が恥ずかしくなってしまうレベルだ。

 

 しかし、そんなモノにも歩美はもちろんついて行く。

「お、今の表現いいねー。んじゃあさ、こんなのはどうよ――全てを包み込む純白の衣……」

 どうだ、と言わんばかりに歩美が胸を張る。

「やるじゃねぇか……じゃあな……heaven's dust」

 与一も与一でどうだ、と得意げな顔を歩美に向ける。

「かー、流石与一くん、横文字できたかー! んー、でもでも、こんなんはどうだ! 降り積もる白銀の調べ――」

 歩美はにやりと笑う。

「流石だぜ――天より賜りし白の結晶 」

 与一もニヤリと笑を返す。

「神々のオトシモノ」

 歩美が言う。

「女神の流した哀しみと悦びを湛えた涙の結晶(スノウ)」

 与一が受ける。

 

「……」

「……」

 沈黙の中二人の視線が絡み合う。

 

 次の瞬間、ガシッ! と、歩美と与一の手が強く強くかさなった。

 

「流石だぜ、相棒」

「ふふ、与一くんほどじゃないよ」

 与一と歩美がにやりと笑い合う。

 

 その顔は同士と共にいる喜びに満ちていた。

 

 外の雪は白銀に光りながら、全てのものを純白に包むかのように舞い落ちていた。

 

 

―――――

 

 

「おー、由紀江ちゃん、雪だぜ! 雪!!」

 病室の窓から顔を出して栄光が空を見る。

「この時期に降るなんて、珍しいなぁ……なぁ、由紀江ちゃん!」

 栄光は振り向いて由紀江に声をかける。

 

 イスに腰掛けていた由紀江は、

「あ……や……その……そ、そうですね」

 わたわたと、なんとも曖昧な返事をした。

「ん?」

 栄光が首をかしげると、

「エイコー、まゆっちは今年の春まで北陸生まれの北陸育ち……雪なんてこの時期じゃ降らない日のほうが貴重なんだぜ……日本海側なめんなよ?」

 その疑問に答えるように松風がしゃべる。

「おぉ……そうか」

「ま、松風!!」

 松風の言葉に由紀江が慌てるが、

「でもな、エイコー。雪国の雪ってのも悪くないんだぜ? だってリア充だろうが、ボッチだろうが外に出るのが面倒だから強制的に家に引きこもりだ。つまり自分が孤独であるという事を認識しないで済むのさ……」

 松風は構わず続けた。

「なんだその、ニートは日曜日になると心が休まる、的なダメな感じ……」

「あ……う……」

 栄光の何気ないツッコミにダメージを受ける由紀江。

 

「で、でもさ。雪が降ってきてる、って事は……」

「はい、終わった……って事ですよね」

 栄光の言葉に、由紀江が頷いて答える。

 

 二人は万感の思いを抱いて、窓の外の雪を見る。

 

 そんな時、

「まゆっち!! 大杉先輩!!」

 慌てた声とともに伊予が病室に飛び込んできた。

 

「なんかまゆっちも大杉先輩も病院に運ばれたって言うから、心配で心配で……」

 そう言って息を切らせた伊予は、はぁはぁと胸を押さえて息をつく

「ああ、心配すんなって。まぁ、無傷ってわけにはいかないけど、大丈夫だぜ」

「うん、伊予ちゃん、心配してくれてありがとう」

 栄光と由紀江の言葉に安心したのか、

「ふぅー、よかったぁ……」

 伊予が大きく息をついた。

 

 なんとも、弛緩した空気が病室に広がったとき、

「あ、そうだ!」

 伊予が思い出したように声を上げた。

「私、お見舞いにシュークリーム買ってきたんだ! みんなで食べようよ!」

 そう言って袋を取り出す。

 襲撃のため店はまだ開いていないはずだ、おそらく病院内の売店で買ったものだろう、大小様々なシュークリームが袋の中にギッシリと詰まってた。

 

「お、いいね」

 栄光が笑いながら袋に手をつっこむ。

「伊予ちゃん、ありがとう」

 由紀江も袋の中の一番小さなモノを手に取る。

「伊予ちゃんも食べようぜ」

 栄光の言葉に、

「えへへ、ありがとうございます」

 伊予も袋から一つ手にとった。

 

『いただきます!!』

 

 声を合わせて、三人はシュークリームにかぶりついた。

 甘い味が口いっぱいに広がった。

 その甘さが、あまりにも先程までの戦いの苛烈さと離れすぎていて……

 

 ぷっ……ハハハ、ハハハハハ。

 

 誰とはなしに、笑い声が溢れた。

 

 ははは――ハハハ――アハハハ。

 三人の笑い声が病室内を包み込む。

 

 外の雪は何も言わず、しんしんと降り続いていた。

 

 

―――――

 

 

「んだよ……寒ぃと思ったら、雪かよ……」

 学園の見張りのためにグラウンドに出ていた忠勝が鬱陶しそうに空を見上げる。

「なんだ、雪は嫌いか?」

 そんな忠勝に向こうから歩いてきた鳴滝が声をかけた。

「ああ、嫌いだね。面倒くせぇ……雪かきなんかの依頼も来たりするし、正直この年の瀬に降ってほしくはねぇな」

 忠勝は鳴滝の言葉に眉をしかめて返した。

「まぁ、いいじゃねぇか。この辺りじゃ珍しいホワイトクリスマスだ」

 鳴滝が小さく笑って言うと、

「なんだそりゃ、おめぇがホワイトクリスマスなんてがらかよ……」

 忠勝は呆れた様に肩をすくめた。

「……たしかに、そりゃそうだ」

 少し考えて、鳴滝も小さく肩をすくめる。

 

「……」

「……」

 二人は並んで壁に寄りかかりながら雪の舞い落ちる空を眺めている。

 

 ひゅう、と風がぬける。

 ぶるり、と忠勝が身体を震わせた。

 

「ほらよ――」

 腕を抱くように身体をさすっている忠勝に、鳴滝がポケットから缶コーヒーを差し出した。

 もしかしたら、始めからこれを差し入れるために来たのかもしれない。

「悪ぃな」

 忠勝は礼を言うと缶コーヒーを受け取った。まだ焼けるように熱かったが、それが冷えた身体に心地よかった。

「おう」

 缶コーヒーを渡した鳴滝は、逆のポケットに手を突っ込むともう一本取り出して、缶の口を開け、口に運ぶ。

 熱く、そして缶コーヒー独特の甘い味が口の中に広がった。

 普通ならあまり甘いものは選ばないのだが、今はその甘さが疲れた身体になんともしみた。

 

「終わったんだな……」

 忠勝が空を見上げながら呟いた。

「そうだな……」

 忠勝の言葉に、鳴滝が頷いた。

 

「……」

「……」

 再び二人は黙って、空を見上げた。

 

「お疲れ」

 そう言って忠勝がすぅ缶を差し出してきた、

「おう、お疲れ」

 差し出された缶につられるように鳴滝も缶を差し出す。

 

 コンっ――

 と、互いの缶コーヒーを軽くぶつけた。

 

「ふっ――」

「ふん――」

 二人は同時に小さく笑って目を伏せる。

 

 雪は舞い散り、外気は凍るように冷たくなっていく。

 

 それでも二人の手の中にある缶コーヒーは、燃えるように熱かった。

 

 

―――――

 

 

「雪……か」

 川神院の鍛練場で空を見上げた四四八は誰に言うでもなく呟いた。

「へぇ、珍しいなこんな時期に」

 隣にいた晶も珍しそうに掌を上に向けて雪を見る。

「わーー、すごい!! 私、雪って初めて!! 本当にふわふわしてるんだね!」

 その中で清楚が一人目を輝かせながら舞い落ちる雪を手にとっては、はしゃいでいた。

「へー、清楚さんって雪見るの初めてなんだ?」

「うん! 私……っていうか、私たちは小笠原諸島で育ったからね。本物の雪って見たことなかったんだー。凄いな……ホワイトクリスマスだね!」

 晶の質問に答えながら、清楚がニッコリと笑う。

「そうか……ホワイトクリスマスになるのか」

 清楚の言葉に晶が思い出したように空を見上げる。

「そうだよ、ホワイトクリスマス! 素敵だよね、憧れてたんだー」

 清楚は子供のように目をキラキラさせながら空を見る。普段は大人っぽい清楚のそんな無邪気な姿は、とても新鮮だった。

 

 くしゅん――

 そんなふうに空を見上げていた清楚が、小さくくしゃみをする。

 

「覇王先輩は疲れて引っ込んでしまったのでしょう。葉桜先輩も身体は限界のはずです。あまりはしゃぎすぎると風邪をひきますよ」

 そのくしゃみを聞いた四四八が二人に近づいてくる。

「うぅ……ごめんなさい、つい、嬉しくって……」

 清楚が四四八の言葉にしゅんと小さくなる。

「いーじゃねぇーか、かてーこと言うなよ四四八。こうやってみんな無事だったんだし、ちょっと位はしゃいだっ……っしゅん!」

 そんな清楚をフォローするように晶が口をはさんだが、その言葉もくしゃみで遮られた。

 

「やれやれ……」

 それをみた四四八は、しょうがないなというふうに小さく首を振ると、自らが来ていたインバネスコートを脱いで二人の肩にかける。

 

「ひゃ!」

「わっ!」

 四四八の思わぬ行動に驚く清楚と晶。

 

「二人では狭いかもしれませんが、無いよりマシでしょう。(くる)まっていればいいです」

 そう言って、今度は向こうにいる大和たちのほうに歩きだそうとする。

「う……うん、ありがとう」

「お……おう」

 清楚と晶は四四八のコートに包まれて、しどろもどろになりながら答える。

 先程まで四四八が来ていたであろう温もりと微かにする四四八の匂いに、清楚と晶は互いに顔を見合わせて赤くする。

 

「ああ、そうだ」

 歩き出した四四八が急に止まり振り向いた。

「は、はい!」

「な、なんだよ!」

 清楚も晶もビクリとしながら反応する。

 四四八はそんな二人の様子にはまるで気づかずに、

「そのコートかなり汚れてしまってるんで、捨てていただいて大丈夫ですよ」

 それだけ言うと、踵を返す。

 

 その言葉を呆然と聞いていた清楚と晶は、

『はぁ……』

 と、同時にがっくりとため息をつく。

 そして、互いに顔を向けると、

「しょうがないねぇ」

「うん、あいかわらずだわ」

 そう言って顔を見合わせて苦笑した。

 

 ふふふ――

 ははは―――

 

 苦笑はいつしか小さな笑い声になった。

 

 清楚と晶は優しく降る雪の中で、四四八の温もりと匂いに包まれて笑い合っていた。

 

 

―――――

 

 

「先輩。学園長の様子はいかがですか?」

 四四八は百代たちのもとに来ると、鉄心の様子を尋ねる。

「ああ、すまんな心配かけて。でも、大丈夫だ真名瀬の治療もあって、今はぐーぐー寝てやがるよ。まったく……しょうがないじじいだ……」

 四四八の問いかけに百代は苦笑を浮かべながら答えた。

 それでもその中に安堵の雰囲気が見て取れる。百代もやはり心配していたのであろう。

 

「それよりも、柊、お疲れ様。これで明日から普通の川神に戻れるよ。ありがとう」

 百代の隣にいた大和が四四八に向かって礼を言った。

 そんな大和の言葉に、

「いや、礼を言うのは俺の方だ、直江」

 四四八は小さく首を振る。

 

「神野が最初に体育館に来たあと、この騒動の大元であるはずの俺たちに、共に川神のために戦ってくれと言ってくれた直江の言葉、葵の言葉、先輩の言葉。本当に嬉しかった。あの言葉が俺たちの支えになった、本当にありがとう」

 そう言って、四四八は大和と百代に頭を下げた。

「あー、そんなに恐縮されてもなぁ」

「そうだよ、柊。俺達そこまで深く考えてないし」

 四四八の態度に百代も大和も居心地がわるそうに顔を見合わせる。

 

「んー、まぁ、こっちとしても戦真館の皆には世話になったし、今回の件でも一緒に頑張った。お互い様ってことで、どう?」

 大和がなんとか言葉を捜して、四四八に言う。

「ああ、わかった……だが、嬉しかったのは本当だ、だから礼は言わせてくれ。ありがとう」

「OK。どういたしまして――なんか、柊にそう言ってもらえると、こちらも嬉しいな」

 そう言うと、四四八と大和は互いに小さく笑い合う。

 そんな二人を百代が満足そうに見ていた。

 

「おおそうだ!」

 そんな百代が思い出したように声を出した。

「ん? どうしたの? 姉さん?」

 大和が百代を振り向く。

「そういえば、明日の買い出しがまだだったな……買ってないものは何だったか? 確か飲み物が足りてなかったなよな? 今から七浜に行けば間に合うか……」

 百代が真面目な顔でそんなことを口にした。

「いや、先輩それはさすがに……」

 ここまで来てクリスマスパーティをやろうというのか? 流石に驚いて四四八がツッコもうとした時、

「いや、飲み物は足りてたはずだから……飾り付けかな? 確かまゆっちの友達の大和田さんが持ってきてくれてたけど……足りるかな?」

 大和が真面目な声で百代の言葉に答える。

「おいおい直江……まさか、本当に明日のパーティやるつもりなのか?」

 冗談だよ――という、答えを予想しながら四四八は大和に問いかけたが、その答えは、

「うん? やるよ?」

「何を言ってるんだ柊、当たり前じゃないか」

 大和から出たものも、百代から出たものも、四四八の予想を完全に裏切るものだった。

 

 それを聞いた四四八は驚きとも、呆れともつかない表情をしていたが。

 ふっ――と、小さく吹き出すと、

「ハハハ、いや、参った……凄まじいな、川神は」

 そう言って声を出して笑った。

 

「だって、明日は柊たちの送別会も兼ねてるんだよ?」

「ああ、そうだった、すまないな、本当に」

 四四八は笑いながら大和の言葉に応える。

「まぁ、そうは言っても川神と鎌倉はそれほど遠くない、来ようと思えばいつでも来れる」

 百代が大和の言葉を引き継ぐように言った。

 

「うん、そうだね、だからさ――」

 大和はそう言って四四八に向かって手を差し出しながら、

「また、会おうよ。柊」

 小さく笑う。

「ああ、そうだな、また会おう。直江」

 四四八が大和の手を握る。

 

 四四八と大和の掌が力強く結ばれた。

 

 それはまるで、この地で戦真館と川神学園が培ってきた絆のように、強く、熱い、つながりだった。

 

 空からは未だ雪がしんしんと降り続いていた。

 

 今日の襲来した黒き混沌の傷跡を隠すように、純白の雪が川神全体を優しく包み込んでいく。

 

 川神に訪れた混沌の一日の幕が静かに閉じていった。

 

 

 




四四八の破段あたりで「仁義八行」のBGMが流れる感じが理想です。
注:決して「如是畜生発菩提心」ではない……w

こちらで語ることは多くありません。
おそらく原作でも(しょうがないとは言え)一番見せ場の少なかった水希の一矢報いる姿が見せれたら幸いです。

甘粕大尉のひゃっほいを期待した方々はすみません、
これにて混沌襲来編の終了です。

お付き合い頂きまして、ありがとうございます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。