第一話
黒崎零子――。
黒崎民間警備会社の社長にして民警。そして四賢人、室戸菫の機械化兵士計画の被験者。
それにより二一式黒膂石義眼試作機に適合する。
しかし、彼女の過去については一切の資料が抹消され、彼女の過去を知るものは室戸菫と、彼女自身しか存在しなかった――。
これは一年前の夏、2030年八月に起きた東京エリアを騒がせる爆弾魔と黒崎零子の戦いの記録である。
東京エリアの一角にあるとあるビルの屋上に一人の男の姿があった。真夏だというのに喪服のように真っ黒なスーツを着込み、黒のパナマ帽を被っている。髪はボサボサで顔にもあまり手入れのされていない無精ひげが見える。しかし、顔立ちは不細工かといわれればそうではない。むしろ整っており、服装も相まってダンディーという雰囲気だろうか。
彼の瞳には光が灯っておらず、ただ眼下に広がる風景を俯瞰しているだけのようにも思えたが、彼の口元は僅かに上がっていた。指に挟んでいるタバコからは紫煙が上がり、虚空に消えていく。
「……そろそろやるか」
低いその声と同時に男性は持っていたタバコを咥え、懐から旧式の携帯電話を取り出して通話ボタンを押した。しばらく呼び出し音が鳴っていたが、ふと彼の視線の先のビルから赤い炎と黒い爆煙が吹き上がった。
距離にして凡そ一キロ弱と言ったところか。携帯電話からは不通の音が聞こえ、男性の笑みは更に強いものとなった。
通話を切って携帯を懐にしまいこんだ男性は、そのまま爆発したビルから視線を外した。
男性の口元は相変わらず楽しげに吊り上がり、鼻歌も歌っているようだった。そして男性はただ一言呟いた。
「次はお前だ。……黒崎……」
『――今回東京エリア内で発生した爆発は、例の爆弾魔《パサード》によるものだと警察関係者からの調べで判明致しました。警察は――』
ニュースキャスターが速報の原稿を読み上げている。それを資料整理の合間に眺めていた女性、黒崎零子は小さく息をつく。
現在、彼女が経営している黒崎民間警備会社は、お盆休みに入っていた。事務所に凛と摩那、杏夏と美冬の姿はない。
零子自身も休みなので休んでいれば良いのだが、彼女は休むことはせず事務所の纏められていなかった書類を整理していたのだが、少し休憩しようと思いテレビを点けたら今のニュースが流れたところだったのだ。
「爆弾魔、ねぇ……」
言いながらタバコに火をつけて紫煙を燻らせる。ここ最近、東京エリアには《パサード》なる爆弾魔が世間を賑わせている。最初の犯行は二ヶ月近く前だ。警視庁にパサードという名義で犯行声明文が送られたらしい。当初警察は立ちの悪い悪戯だろうと勘繰っていたらしいが、その甘さが裏目に出た。
結果として爆弾は起爆され、三十人近くの重軽傷者が出た。これはメディアでも多く報道されたのだが、警察上層部はこの事実を隠蔽したという。零子が話を知っているのは金本から教えられたからである。
以来、警察は躍起になってパサード逮捕に向けて奮戦しているのだが、今になっても捕まえられていないのが現状だ。それをあざ笑うかのごとくパサードの犯行は激化しており、最近では死者も出た。
一度は民警も助力するという案も出たというが、民警を嫌っている警察機関がそれを許すわけもなく、今に至るのだ。
「まぁいずれは捕まると思うけど」
肩を竦めてコーヒーでも淹れようと給湯室に向かった時、ふと郵便物を確認していなかったと思い出して一階まで降りた。ポストを見ると茶封筒のようなものが入っていたので、それを取り出して封筒を確認してみる。
しかし、封筒には差出人の名前もなく、ただ「黒崎零子様へ」と書いてあるだけだった。一応念のために事務所の目の前の道を確認してみるが、怪しげな人物は見えなかった。
胸に妙なざわつきを覚えつつも事務所まで戻ると、とりあえずその封筒を開けてみる。鋏で切り取った方をさかさまにして中身を出してみると、手の中に二つ折りにされた一枚の紙と旧式の携帯電話が収まった。
携帯の方は電源は入るようで、型番が古い意外特に変わった点は見られない。ひとまず携帯を保留として置いておき、紙の方に目を向ける。
紙は普通の紙ではなく、少し固めの紙だった。結婚式とかに配られる案内状みたいな感じの紙といえばわかりやすいだろう。そして二つ折りにされた紙を開いた瞬間、零子の眉が怪訝に歪んだ。
紙にはただ一言こう書かれていた。
『貴様を殺す』と。
「馬鹿馬鹿しい」
零子は肩を竦めて花で笑ったあと、近くにあったゴミ箱に紙と封筒をシュートした。こういった悪戯まがいの手紙は何度か来たことがあるのだ。
自慢ではないが、黒崎民間警備会社は業績的には業界の中ではそれなりに名が知れているほうだ。無論依頼や任務の数も必然的に多くなってくるので、それを妬む輩が多いのだ。だからこのような手紙は時折やってくる。まぁ『殺す』と書かれていたのは初めてだが。
「どっかで相当な恨みでも買ったかしらね」
呆れた様子で席を立とうとした時。背後で轟音が響いた。弾かれるようにしてそちらを見ると、向かいのビルの五階辺りからもうもうと黒煙があがり、その中には時折赤い炎が見え隠れしている。
割れた窓ガラスの破片がカチカチと音を立てて事務所の窓に当たっているが、零子はそんなことは気にしていられなかった。脳裏に浮かんだのは先ほど見た爆弾魔のニュースだ。
「まさか……」
ある推測を立てたところで先ほど開けた封筒の中に入っていた携帯が鳴った。それに小さく息をつきながら手を伸ばし、通話ボタンを押して耳にあてる。
『こんにちは。黒崎零子』
聞こえてきたのは変声機で加工された声だった。
「ええ、こんにちは。それで、貴方は今世間を騒がせがちなパサードさんでいいのかしら?」
『おや。既にばれていたか。さすが黒崎零子、いい洞察能力をしている。ご推察の通り、私はパサードだ』
加工されているが声の調子からして笑っているのはわかった。それに対して眉間に皺を寄せつつ、零子は問う。
「それでパサードさんが何の用かしら?」
『カードは見たか? そこに書いてあることそのままだ。貴様を殺すといっているのだよ』
「貴方に命を狙われる理由がないんだけれど」
『貴様になくともこちらにはある。だが、ただ殺すだけでは楽しみがない。だからゲームをしようと思っただけだ。ゲームに勝てば貴様の命は保障する。ただし、ゲームに負ければ……』
「私の命はない」
パサードが言い切るよりも先に言ってみたが、パサードはそれに鼻で笑ってきた。
『……そんなものではすまないぞ。貴様を含み、多くの人々が灼熱の劫火に焼かれることだろう』
「一般人を巻き込むとはね。さすが十人以上殺した爆弾魔さん」
『好きに呼べばいい。では今より三十分以内に陸上自衛隊の第一基地にまできたまえ。詰め所の中に入れとは言わない、付近に着いたらその携帯で連絡しろ。そこでちょっとしたクイズをだしてやる。クイズに正解できなければ爆弾が爆発する。途中で警察や貴様の部下に連絡でもすれば無差別に爆弾を爆破する。車は使うな、面白みがない。因みに、変なところで電話しきてもこちらからは見えているので小細工はしないことだ』
「この炎天下のなかランニングしろって? 随分と鬼畜なこと言ってくれるわね」
『言う暇があるなら走ったらどうだ。あと二十八分だ。時間内に到達できなければまたどこかで爆弾が爆発するぞ』
パサードはそれだけ言うと通話を切った。零子はそれに大きなため息をつきつつも、愛銃を装備し、与えられた携帯を持つと事務所を出た。
幸か不幸か陸上自衛隊の第一基地までは、零子の速力ならば二十分もかからずに到達できるはずだ。
「やれやれだわ。まったく」
真夏の炎天下の中零子は目的地を目指して走り始めた。
予定通りというべきかなんと言うべきか。零子は無事に陸上自衛隊の第一基地の付近に到着した。時間的には十八分弱。間に合ったようだ。
「タバコの吸いすぎかしらね。すこし息が上がるのが早くなってきた……」
額に滲んだ汗を拭きながら基地の近くまで歩くと、携帯を取り出して電話をかける。
『私だ。到着したようだな。では近くにベンチがあるだろうそこに行け』
指示に従って移動するものの、零子は溜息をついた。
「わかってんなら今度からそっちが連絡しなさいよ。こっちは息が上がってしゃーないんだから」
『では第一問』
……無視って。
若干内心で毒づきつつも零子は出される問題を聞くが、次の瞬間には彼女の顔は驚愕に染まることとなる。
『東堂誠一、城之内辰護、花塚愛実、松永光、黒崎零子、鞍馬宗彦。この六人で構成された陸上自衛隊の部隊名は?』
「アンタ、なんで皆のことを……」
『そんなことは些細なことだ。それよりもホラ、あと五秒以内に答えねば爆弾が爆発するぞ』
そう言われ零子はギリッと奥歯を噛み締め、苛立ちを露にした低い声で告げた。
「……陸上自衛隊第零特殊作戦部隊ハイレシス……」
『正解だ。まぁ自分が所属していた部隊の名前は覚えていて当たり前か』
「それよりも私の質問に答えなさい。アンタ、どうしてそのことを知ってるの。ハイレシスの情報は秘匿にされていたはず」
『貴様に質問権はない。では二箇所目に向かえ。次は少し遠いが三十八区のモノリスまで行け。三十分以内だ』
言われるものの零子は苛立ち混じりに大きなため息をついた。
「さすがに三十八区までは足だと無理があるからそれ以外の方法をとらせて欲しいのだけれど」
『口の減らん女だ。まぁいい、では自転車はよしとしよう。だが時間は半分の十五分だ』
電話は切られ、零子は小さく肩を竦めると近くにあったビルの壁を殴りつける。コンクリートの壁を殴ったにも関わらず、彼女の指が折れた様子はない。しかし皮膚は多少傷ついたのか僅かに血がこぼれている。
「なぜパサードがハイレシスのことを知っている……」
そういう彼女の瞳には怒りの色が見え、眉間にも深く皺がよっていた。けれどここで立ち止まっているわけには行かない。自分が走らなければ自分はおろか多くの人に危害が及ぶ。
パサードの正体は気になるところだが、今は指定されたモノリスに向かわなければ。
意を決したように零子は近場にあった鍵のかけられていない自転車を拝借してモノリスを目指す。
時間を見るとあと十三分と少しだ。全力でこぎ続ければギリギリ間に合うだろう。しかし、彼女の頭の中では先ほど告げた名前が反復されていた。
陸上自衛隊第零特殊作戦部隊ハイレシス――。
その名の通り、陸上自衛隊の特殊作戦部隊だ。十年前、零子はこの部隊に所属し、ガストレアと闘っていた。この部隊は完全に非公式の部隊であり、一般の自衛官にはその存在を秘匿され、この存在をしっていたのは聖天子の一族と軍部の上層部のほんの一部分のみである。
作戦行動は基本的にガストレアの殲滅と変わらないが、非常に困難な戦地へ赴くことが多い部隊だ。言ってしまえば普通の兵士ではなく、エリートの寄せ集めとでも言うべきだろうか。
ただし問題だったのは皆性格に一癖も二癖もある連中であったことだ。しかし戦闘能力は高かったため特殊作戦部隊というご大層な名前が付いたのだ。
そんな部隊も結成されてから数ヶ月で解散となってしまった。その原因は零子一人を残して部隊が壊滅したことだ。その時のことは今でも鮮明に覚えている。
目の前でガストレアに殺されていく仲間達。中にはガストレア化し向かってきたものさえもいた。
その時の光景を思い出した瞬間、義眼の奥が疼くの感じた零子は自転車のハンドルから片手を離して押さえる。
彼女の右目もその際に傷つけられたものだ。ガストレア化した仲間を撃つことができず、眼球を抉られた。眼球を失った痛みに苦しみながらも零子は銃の引き金を引き、目の前のガストレアを殲滅した。
その後命辛々駐屯所に戻った彼女を出迎えていたのは、生きて帰ったことの祝福でもなく、戦い抜いたことの賞賛でもなく、いわれのない非難と中傷、そし任意除隊とは名ばかりの強制除隊だった。
けれどそんなことは大して気にならなかった。言いたいヤツには好きに言わせて置けばよかったし、除隊もさほど心にダメージを与えるものではない。
彼女を傷つけていたのは、仲間を助けられなかった自分の弱さだ。だからなのだろうか。零子は力を求めて菫の元をたずねて彼女が取り掛かっていた機械化兵士計画に乗ったのだ。
そして新たな力である『二一式黒膂石義眼・試作機』を手に入れた。その頃には戦争は、人類の敗北という形で終結していたが、新たな組織である民警が設立されたので、零子は自身で民間警備会社を設立し、凛や杏夏達を雇って現在にいたるのだ。
……部隊の名前はおろか隊員全員の名前を知っていたとなると、パサードの正体は元自衛隊員か上層部の誰かっていうのが濃厚かしらね。
思考を走らせてみるものの、上層部のことなど眼中になかったし、なにより自分に恨みを抱いていた自衛隊員など数知れない。最後の方などほとんど全員から非難されていたので探しようがない。
「えぇい、面倒くさい!」
毒づきながらも零子はペダルをこぐスピードを速めた。
そんな彼女から離れること数キロメートルのビルにある展望ラウンジの一席で、ノートパソコンの画面を眺めている黒スーツの男性は、コーヒーを飲んでいた。
パソコンのモニターには地図のようなものとそこを進む赤い光点がみえる。
「さて……お前がどれだけがんばれるか見せてもらおうか、黒崎」
彼の声はかなり小さく、誰も彼の呟きに気が付くものはいなかった。けれど、彼の手の中には型番の古くなった携帯電話が握られていた。
はいお久しぶりです。一ヶ月以上開けてしまいました。
思いのほかアンケートが集まらなかったので、また日を改めてアンケートをとりたいと思います。
今回は短めですねw
まぁ新章の取っ掛かりとしてはちょうどいいでしょう。
今回からは零子さんVS爆弾魔をやります。
また、同時に零子さんの過去編でもあります。最初は分けてやろうかとも思ったんですが、色々考えていたらこれを統合した方が面白くなりそうだったので、こういった感じにしてみました。
また、この話しでは凛及び、杏夏達は一切出ません。出るのは零子さんと爆弾魔パサードさんです。同時に彼女の現役時代の仲間達がチラホラ出てくるだけです。また、ガストレアさんもおやすみです。
では、短い話になるかもしれませんがしばしお付き合いくださると幸いです。