五月雨晴也の野望   作:漆原 涼介

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風邪を引いてしまい、更新がやや遅れました……。
そして、たくさんのご感想ありがとうございます。
※地の文の改行をあまりしないでみました。


第八話 揺れる感情

『人とは不便な生き物である。』

動物のように、人と人とが完全にお互いを理解し合うのは不可能なのだ。いや、自分自身すらも完全には理解できていないだろう。故に、自分と他者を比べてしまう。自分より劣っているのか、優っているのか。そして自分より地位の高い者には媚を売り、自分に利益がないと判断した者には一方的に拒絶する。他人よりまず自分の損得が優先なのだ。要するに、自分の欲望を抑え切れない。

「なぜあいつにできて、俺にできない?」

「なんであの子ばかりなの?どうしてわたしを見てくれないの?」

嫉妬は妬みに、妬みは恨みへと、変わっていく。なぜ人間にはこうも多くの悩みが生まれるのか?それは至って簡単だ。自らが感情という最も理解不能な物に操られているのだから。感情があるために、悲しみ、恨み、怒る、苦しむ。しかし、その逆も叱り。感情があるから人は喜び、楽しみ、感動し、誰かを愛し、他者の思いに共感したいと思えるのだ。偉そうなことを言っても、言いたいことは一つだけ。

『人間、まだまだ捨てたもんじゃない』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、いつも通り木刀を振っていた晴也だったが、五右衛門がもたらした『道三の息子・斎藤義龍、謀反』という急報により事態が一転した。

 

「道三は美濃の本城である稲葉山城を追われ、わずかな手勢を率いて長良川へ押し寄せ、稲葉山城を攻めようとしている……ということか、五右衛門?」

 

さようでござると五右衛門が首を縦に振った。

 

「斎藤義龍は道三軍の十倍近い大軍で長良川へ出陣、父子の間で合戦がはじまったのでごじゃるにょ」

 

「もう、五右衛門がかんだ!」と笑う余裕はなかった。およそ十倍……おそらく美濃三人衆も義龍に付いたのだろう。やはりうつけと呼ばれる信奈に美濃を譲る、というのは無理があったのか?

 

「道三は十倍の兵力差で野戦を……死ぬ気、だな」

「左様。道三は、潔く戦って死ぬる覚悟でござる」

 

いくら道三でも兵力差が十倍あっては太刀打ちできない。籠城すれば、信奈は間違いなく美濃に援軍を送る。そうすれば上洛準備を進めている今川義元が空き家同然の尾張を襲うのは確実だろう。

 

(さすがは美濃の蝮、よく信奈の性格を理解してやがるな)

 

だが、それでも。

 

「……信奈に報告する」

「捨ておかれよ。知らぬ顔でおられよ。伝えれば尾張、いや織田家は滅びまちゅるぞ」

「……確かに、ここは道三の気持ちを汲んでやるのがいいかもしれない、だけど、このままじゃ俺は絶対に後悔する。大丈夫だ、織田家は滅ぼさせやしねえよ」

 

余りにも自信満々の笑顔を見せてくるので、五右衛門は引き下がるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晴也は信奈の下に直行し、長良川で道三が息子の軍に囲まれて絶対絶命の死地に陥っていることを包み隠さず報告した。

 

「なるほど……道三どのは死ぬおつもりかですか」

 

流石は織田家の参謀役、丹羽長秀。

直ぐに道三の意図を理解した。

 

「というか、ハル?なんでおまえがそんなこと知ってるんだよ?」

 

元信勝の家臣である勝家。

信勝は、今では信澄となって織田の名を返上したため、勝家は晴れて信奈の家臣となった。

 

「まあ、俺の信用できる情報網からな。間違いないぞ」

「……五右衛門?」

 

(そうか、五右衛門とはもう面識あるもんな)

 

犬千代とは立場が同等程度だからか、織田家の中で一番交流が深いかも。犬千代の問いに、黙ってうなずく。家臣たちがざわつく一方、信奈だけ黙って下を向いていた。悲しんでいるのか、怒っているのか、その表情はわからなかった。不意に信奈は真剣な面立ちで顔を上げた。

 

「援軍は……出さないわ。そんなことしたら、蝮に叱られる」

「……おまえは、それでいいのか?」

「なによ、不満?わたしが取り乱せば満足なの?」

 

援軍を出せない苛立ちにより、思わず棘のある言い方をしてしまう。

 

「いや、おまえがそうするならそれでいい」

 

そう、これは援軍を出すか、出さないか、どちらが正解とはとても言えない。これは信奈自身が決めることだ。前回では『信澄を斬る』という魔王人生の第一歩を踏ませなかった。これにより歴史に狂いが生じてしまうかもしれない。だが、あのまま斬っていたら間違いなく、信奈の心は壊れていただろう。

 

「そういうことだから、もうこの話はこれで終わりにしましょう」

 

これ以上俺がなにか言ったら信奈を傷つけるだけだ。今は黙ってうなづいてやることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またしても、事態は一転する。それは、道三の危機という連絡から数時間経った頃だった。

 

「浅井家当主、浅井長政と申します。美しいと評判の姫に会えて、光栄です」

 

この戦国時代で比較的大柄な分類に属する晴也と同程度に背が高く、女の子たちの目をひく色白の美少年であった。俺の知ってる歴史では、浅井長政とは同盟を結び盟友となる。しかし、朝倉を攻めた織田を裏切り、絶体絶命まで信長を追い詰める……はずだ。本来の歴史ならば、信長は美濃を奪って京上洛の際に同盟を結ぶはず。まだ美濃を取っていないこの時期に会うのはおかしい。

 

(やはり、歴史がズレているのか?)

 

それにしても、長政からは『わたしは美形ですよ~、貴公子ですよ~』という雰囲気が全身から出ているように見える。どうしても作られた雰囲気としてしか思えなかったが。

 

「……わたしになんの用?」

 

信奈が不満そうに首を傾げて聞いた。

 

「信奈姫の苦しみを取り除いて差し上げたいと思いまして」

「わたしの苦しみ?」

 

するとフッ、と長政が微笑んだ。

そして信奈の理解者である者の名を、そっと呟いた。

 

「……美濃の斎藤道三どの」

「……っ!」

 

一瞬、信奈は顔を強張らせた。酷く辛そうな表情だったが、直ぐにいつもの仏頂面に戻す。

 

「このままでは、数日の内に首となりましょう。しかし、織田は動けない」

 

「……それで?」と信奈は目を細めた。

 

「浅井と織田で美濃を攻めれば、一気に片が尽きます」

 

……なるほど、織田・浅井で北と南の挟み撃ちが可能となるのか。内国のゴタゴタで忙しい美濃は、ひとたまりもないはず。

 

「道三どのを救出することも叶いましょう」

 

こいつ、わざわざ蒸し返すようなことを……と晴也は唇を噛んだ。

 

「さらに近江と美濃、尾張が一つとなれば、今川とて敵ではありません」

「……それって、同盟を持ちかけてるの?」

「はい、おいしい話でしょう?」

「おいし過ぎるわね……本当の目的はなに?」

 

察しがいい信奈は、なにか裏があると踏んだのだろう。確かにこちらとしては万々歳なのだが、浅井家のメリットは少ない。美濃譲り状という大義名分がある。仮に協力して美濃を落としても、それは織田の領地となるはず。

 

「ははははっ!これは失態。噂に聞くとは大違いですね……」

 

その噂はあらかたデタラメだからな、と晴也が小さくうなづいた。

 

「では、正直に申しましょう。信奈どの、わたしはあなたを我が妻としてもらい受けに参りました」

「……え?」

 

男から求婚されるなど、生まれて初めての経験だった。思わず立ち上がったり、変なポーズを取ったり、湯帷子の片袖を上げて今さら見せブラを隠そうとしたり。その姿はとても尾張の戦国大名とは思えなかった。

 

「けけけけ、結婚ってことっ!?」

「はい。日本切っての美男美女の夫婦となりましょう」

「そそそそんなこと、いいいいきりなり言われても、ここここ困るのよっ!」

 

ちらりと晴也のほうに視線を送りながら、信奈が裏返った声で悲鳴をあげた。

 

「お、おい信奈?少し落ち着けって。他国の大名の前だぞ?」

 

うう、と信奈はまた顔を赤くした。

 

「共に天下を取りましょうぞ、信奈どの」

「そそそそれって、わわわわたしに惚れたってことなの?」

 

すると長政がニヤリと笑った。明らかに、裏があるような笑み。

 

「いえ、政略結婚は世の習い。むしろ愛など邪魔になるだけでしょう」

 

その言葉が放たれた途端、波打つように静まり返った。信奈は唇を噛んで言った。

 

「わたしはっ!旦那さまは自分で選びたいの!自分が好きになった人と結婚する!それがわたしの夢よっ!」

「ほう……既に心に決めた方が?」

 

長政はいたって冷静に問いを投げかけた。口説き慣れているのか、余裕しゃくしゃくと言った感じだ。

 

「そ、それは……そんな人………」

 

チラリと、自分でも無意識の内に晴也のほうに目をかけた。急いで視線を逸らす。だが、不運なことに長政にそれを見られてしまった。

 

「ほう……そこの者ですか。確かに、顔は中々ですね」

 

当の本人の晴也は、うーんと頭を捻っていた。

『浅井長政がここで同盟を?結婚を?おいおいそんなオリ展開あるかよ、無茶苦茶な……』とぶつぶつ呟いていた。

 

(信長じゃなくて信奈になったから、こういう展開になったのか。それとも、俺が歴史を狂わせてしまってるんじゃないか?……俺ってこの時代のイレギュラー?でも、だったらなんでこの時代に来たんだ?ああもう、意味わからねー!)

 

「ち、違うっ!こいつはただの家来っ!」

 

その言葉と同時に晴也の頭に飛び蹴り。もうこの時代に来てから、一体どれくらい俺の脳細胞死んだんだろう。ごめんよ、マイ脳細胞。

 

「こ、こんなのと結婚なんて……全然ありえないんだからっ!」

 

そしてグリグリと俺の頭を踏みつけてくる。

 

「ああもうっ!俺を踏むなっ!あくまであっちは誘ってきてるだけだろっ?落ち着けっての!」

「天下一の美少女が奪われようとしてるのよっ!?惜しくないのっ!?惜しいでしょっ!?」

 

(誰だよ天下一の美少女って……)

 

「嫌なら断ればいいだろ~」

「な、長政と結婚しちゃうわよ!」

「だから!なぜそれを俺に「かぁぁぁぁつ!」うわっ!?」

「他国の大名の前で痴話喧嘩などみっともない、五点です」

 

珍しく長秀さんが怒り、俺は今までで一番低い一桁台の点数を出されてしまった。また場が静まりかえる。信奈はとりあえず、俺から離れた。

 

「ははははっ!これはおもわぬ伏兵ですね!」

 

しかし、と言葉を繋げる。

 

「あなたが結婚を断れば、道三どのは助かりません」

「なるほど、脅迫か?」

 

晴也は真剣な面立ちで、長政を睨みつけながら言った。

 

「君は中々頭が回るようだね、だがこれはあくまで提案だよ。拒否するも受け入れるも自由だ」

 

だが、と長政は得意げに話を続けた。

 

「道三亡き美濃と今川、さらに浅井を敵にすれば、織田は滅ぶ」

「くっ……」

 

信奈は悔しげに歯噛みをし、長政を睨みつけていた。場のピリピリとした空気を察して、晴也はとりあえずその場しのぎの言葉を吐いた。

 

「浅井長政。この件は織田家存亡に関わる。簡単に答えは出せないぞ」

「それは確かに………なれば、三日待ちましょう」

 

すると長政は長い髪をなびかせ、護衛の侍たちと共に城を出ていった。張り詰めた緊張感が嘘のように消えた。問題は山積みなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、三日か。どうしたものか」

 

晴也は頭を最大限まで捻りまくって考える。長秀、犬千代も、また同じ。

 

「わ、わたしはあんなキザなやつと姫さまが結婚なんて、絶対反対だっ!」

 

唯一勝家だけが声を張り上げる。それは俺や犬千代たちも同じだ。

結婚する相手に『好きです』『愛してます』も言えないやつなんて、信奈には相応しくないだろう。

しかし……

 

「………」

 

信奈はなにを考えているのか、黙って外を見ていた。

すると

 

「只今、美濃より明智光秀さまがっ!」

「えっ!?」

 

小性の一人が駆け込んできた。信奈が誰よりも早く走り出し、俺たちもその後を追うように城門に向かった。

 

 

 

 

 

 

~清洲城・城門前~

 

 

 

「あんたたち……蝮は?蝮も一緒なんでしょ?ねえ!」

 

信奈の問いに光秀は思わず顔を背ける。そして、道三のボロボロの兵士たちの前から、乳母らしき老女と小さな姫君が信奈の足元に伏して一礼する。

 

「斎藤家のご息女、帰蝶さまです」

「蝮は!?どうしたのよっ!」

「……書状を預かってきたです」

 

光秀は手から、汚れてぐしゃぐしゃとなっている書状を信奈に渡した。美濃譲り状はこちらにある、おそらく私的な物だろう。内容はこうだった。

 

『織田信奈、我が娘よ。そなたと出会って、まだ己の夢にも続きがあることがわかった。

国奪りにかけた人生が無駄でなかったと知り、これほどの喜びはない。人は誰でもいずれ死ぬ。別れは必ず訪れる。織田信奈が、ワシの夢を継いでくれるならもうそれで充分。そなたの夢が叶うことを祈りつつ、これより冥府へ参る』

 

信奈は読み進めていくにつれて小刻みに震えだしていた。乱世の梟雄。美濃の蝮、斎藤道三。若かりし頃は僧だったと言われるが、京で油売りとして成功を収め、その財産を元手に美濃に入って侍となる。次々と自分の主君を追放するという非道な手を使って出世を続け、ついには一介の商人から美濃の国主の座へと上り詰めた大悪人。

敵かも家臣からも『蝮』と恐れられてきた男だった。しかし、正しくその書状の内容は別人が書いたかのようだった。

 

(斎藤道三……信長の才能に気づき、美濃を譲ろうとするが、斎藤義龍ら家臣たちの

裏切りに会い、討死を遂げる)

 

ふと頭の中で、習った通りの歴史の流れが浮かんだ。

 

「ぜ、ぜ、ぜんっ、ぜんぐんっ、ぜんぐんでっ……!」

 

全軍で美濃へ、そう下知しようとした矢先だった。

 

「御免っ!」

 

勝家が信奈脇腹に拳を叩き込もうとした。

 

「ちょっと待てっ!」

 

俺はその体で拳を受け止める。重心を乗せた拳は、中々痛かった。

 

(信奈が受ければ一撃で失神だろうな……)

 

「っ!?は、ハルっ!なにすんだよっ!?」

「……くっ…」

 

勝家は慌てて拳を払う。晴也は腹を抑えながは、痛みを殺した落ちついた表情で信奈に言った。

 

「信奈、なにも全軍で行く必要はない。少数の決死隊を出して、速攻で道三を救い出すっ!」

「そんなの……死にに行くようなものよっ!」

 

信奈は晴也の提案を拒否した。当たり前だ。兵力差が倍の倍の倍以上ある相手だ。もし今、少数部隊で長良川に向かったら、文字通り蜂の巣となるだろう。

 

「大丈夫だっ!俺を信じろよ!」

「無理よっ!誰も新参者のあんたになんか従わないわ!」

 

それは確かに最もな意見だが、俺直属の部隊がいないわけではない。

 

「確かに従わねえだろうが、誰も織田の兵を使うとは言ってねえ!」

 

そして、この状況下で一番頼れる相棒の名を呼んだ。

 

「……五右衛門!」

 

ものの数秒も絶たずに「参上でござる」と五右衛門が地面から首だけをだして出てきた。

 

「川並衆を集めてくれ。できるだけ早くな」

 

「御意」とまた地面に顔を潜らせた。

これは五右衛門から聞いた話によると、土遁(どとん)という技らしい。

 

「な、なに、今の………?」

 

「俺の相棒だ」と答えると、城門近くに繋がれていた馬を強引に引っ張り、乗馬した。これでも乗馬経験はある。この時代に来る前、少々かじった程度だが。

 

「ちょっと!待ちなさいよっ!」

「安心しろ、絶対に道三を「違うわよっ!」……は?」

 

信奈は小性に耳打ちをし、小性は急いでどこかへ駆けていった。

 

「鉄砲隊、足軽隊を少しつけさせるわ、大丈夫。全員若いから中途半端に歳くった老兵みたく、無駄に逆らいはしないと思うわ」

「いいのか?それじゃ今川が攻めてきた時、困るだろ?」

「なによ!あんたが今日中にって言ったんじゃない!」

「いや、まあそうだがな……」

 

信奈は、頬の涙を払って言った。

 

「……絶対、帰ってきなさい」

「当たり前だっての」

 

 

 

 

 

 

 

 




「お、俺の馬がねぇっ!?」

元信勝の足軽であり三バカの一人ーーーー草部(くさべ) 金太(きんた)

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