五月雨晴也の野望   作:漆原 涼介

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ーーーーいつまでもそんな所で寝ている訳にはいかないでしょ?



『五月雨晴也の野望、更新再開』


第二十話 五月雨晴也の憂鬱

ーーーーーーー『我慢』とは人類に必須な力である。おそらくこの世界の人々全員が我慢することを止めたら、必ず人類は滅亡する。我慢は至る所で必要だ。外を出れば他人の目を気にし、自分という仮面を崩さないように、自らの欲望を封じて行動を制限している。我慢するかしないかで、自らの運命が大きく変わる事もある。故に、我慢は人類に多大な影響を及ぼす大切な力なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……つ、疲れたぁ」

 

石川五右衛門こと五郎吉率いる石川衆が散々追いかけ回してくれたおかげで、もうすっかり夜が明けてしまっている。晴也は疲労した体を癒すように、地面に寝転んだ。しばらく息を整え、ゆっくりと立ち上がる。

 

周りを見渡すと、遠目で堺の町を確認できた。良かった。そこまで京から離れてはいないようだ。

 

「はやく戻ろう……」

 

おそらく半兵衛たちが、石川衆のお宝を換金して、信奈にその金を渡しただろう。少しセコいやり方だが、仕方がない。出来れば……いや、石川衆には必ず礼をする事にしよう。

 

とりあえず帰ろう、と晴也は第一歩を踏み出そうと思ったが。

 

「あのぉ……」

 

え、と晴也が振り向くと年老いた老婆が立っていた。

おかしい。人の気配が全く感じられなかった。

 

「…なんですか?」

「荷物を持ってもらえませんかねぇ」

 

老婆は背中に、中身が詰まっていそうな大きな風呂敷を背負っていた。それだけではなく、両手にも、中身がはち切れんばかりの風呂敷を持っていた。これでは、年老いた女性にはかなりキツイだろう。

 

「ああ。いいですよ」

 

別に急ぐ必要はない。石川衆の奴等に見つかるかもしれないが、晴也は目の前で困っている人を放っておける程、賢い性格はしていなかった。

 

「よいしょっ……と」

 

晴也は女性の両手から荷物を預かった。

 

「悪いねぇ。かなり重いよ?」

「いえ、大丈夫です」

 

晴也は軽く、会釈するように微笑んだ。

 

すると、老婆は薄い唇を不気味に曲げると、何かを見定めるような目で晴也を見つめた。

「ほほう……」と声を洩らすと、ゆっくりと後ろを向いた。

 

「それじゃ、後をついてきておくれよ……?」

 

はい、と返事をした晴也だったが、なぜか嫌な予感がしてならなかった。晴也は振り切るように頭を振ると、老婆の後を黙ってついていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ。ここだよ」

「え、これって……」

 

老婆の家とは、町外れにあった。家は古いようで、苔やら茎などがうじゃうじゃと巻きついている。古い…というか、ここ数年は住んでいないようにボロボロだった。

 

「はい。ありがとねぇ」

 

老婆は晴也から荷物を取りあげると、家の前に置いた。

 

「い、いえ。失礼ですが、ここに住んでいるのですか?」

 

そうだよ、と老婆を嗤った。どこか狂ったように見えるのは、気のせいだろうか。晴也が唖然としていると、老婆はおもしろそうに目を細めた。

 

「かわいいねぇ……」

 

老婆は、更に狂ったように嗤った。その表情を見た瞬間、晴也は全身の毛が逆立つような、怖ろしい感覚に陥った。体から嫌な汗が滲み出る。

 

「そ、そうですか……それじゃあ、俺はこの辺で……」

 

なぜだ? なぜここまで俺は怯えている? ただの変わったおばちゃんだろ?

 

「あれ、もう帰っちゃうのかい? お茶でも出そうかね?」

 

それでは、お言葉に甘えて……そうだ、普段ならそう応えたはずだ。しかし、その言葉は出なかった。

 

「い、いえ、結構です」

 

晴也の本能が『こいつとは関わるな!』そう告げている。自分でもなぜかわからない。一体どうしたというのだ。

 

なぜかこの老婆と一緒にいると、息が詰まる。

 

「そ……れでは」

 

晴也は必死に声を振り絞った。「残念だねぇ…」と後ろから呟いているのが聞こえた。とりあえず、安心……

 

「ほんっと…かわいいどすなぁ?」

「っ!!」

 

妙に不気味な声と共に、後ろから顔を掴まれた。誰だ、そう叫ぶ事が出来きなかった。

 

「っんあ!?」

 

冷たい指が、晴也の顔に喰い込んでいく。口に、目に、鼻に。鋭い爪が容赦なく晴也の顔を弄ぶ。

 

「あれまぁ。変な声出しおすなぁ」

 

声色からして、女だろうか。次第に指の力が強くなっていく。

 

「う、おおお!!」

 

晴也は後ろから相手の手首を掴むと、勢いをつけて投げ飛ばした。

 

「よい、しょっと」

 

掴んでいた相手が、宙を舞う。しっかりと見えた。若い巫女姿の女だった。女は新体操のようにくるりと舞うと、綺麗に着地した。息一つ乱れていない。対して晴也は既に女の独特な雰囲気に呑まれ、息が上がっている。

 

「危ない。危ない。なにしますの?」

「てめぇ……何者だ!」

「あらあら。さっきから一緒だったじゃありませんか…ねぇ?」

 

女は顔を手で覆うと、一瞬にしてさっき別れを言った老婆の顔になっていた。

 

「ど、どういう事だ!?」

 

晴也の質問には応えず、女は顔を元の若く白い顔に戻し、不気味に嗤った。晴也は自分でも情けないと思うほどに怯えていた。それでも本能的に体が動き、腰に差してある木刀を抜刀……出来なかった。

 

「な、ない……!?」

「あらあら。しっかり持ってないと駄目どすぇ」

 

腰に差してあった木刀は、女の手に握られていた。女は長い舌で、ぺろり、と木刀を舐める。思わず血の気が引いている。

 

「か、返しやがれ!」

「本当、かわいいどすなぁ。かわい過ぎて、かわい過ぎて、かわい過ぎて…」

 

 

 

ーーーーーーー『萎えますわ』。

 

 

 

女は嗤うのを止め、晴也を睨みつけた。その視線に、晴也は金縛りにでもあったかのように動けなくなってしまった。自然と額に汗が浮かぶ。

 

「質問。そんなに“自分を殺して”、楽しいどすかえ?」

「……ど、どういう意味だ」

 

そのまんまの意味どす、と女は晴也に向かって歩み始めた。

 

「俺は……自分を殺してなんかない!」

「……あなたは一見、なんでもそつなくこなし、織田の家臣たちの信頼を得て、織田信奈を天下人に担ぎ上げているかように見える。しかし……本当は」

 

 

 

ーーーーーーーー『彼女たちを自分の時代に戻る為の“道具”として扱っているに過ぎない』

 

 

 

「道具? 元の時代? なに言ってやがる…!」

「あらあら。自分では気づいていない?」

 

女は晴也の真正面に立ち、目を覗き込んだ。女の瞳は細かったが、その黒い瞳は、呑み込まれてしまうと錯覚する程に黒過ぎていた。

 

「くっ……」

「このままじゃ、元の時代になんて戻れませんよ? ただの自己満足な偽善なんかしていてはね?」

「おまえ、俺が未来から来たことを……!?」

「いい加減、素直になったらどうどすか?」

 

女は人差し指で、晴也の額を軽く押した。その瞬間、晴也は眠気に襲われた。体から力が抜け、膝をつく。女はそれを見下ろし、小さく息を吐いて去ろうとしたが、晴也は朦朧とした意識の中で女の足を掴んだ。

 

「………て……めえ……なに……も…の」

「ふふ。そうどすなぁ……“阿国”……と呼んで下さいな」

 

その言葉を聞くと、晴也は倒れこんだ。『阿国』は晴也の手を振り払うと、手に持った木刀を静かに置いた。

 

「それと……」

 

そして木刀の近くに、ある『札』を置いた。

 

「さて…“いれぎゅらあ” なこの子は上手く歴史を曲げられるか……見ものどすなぁ」

 

まあ、それでも…と阿国は微笑んだ。

 

「“あの子”よりは骨がありそうでなにより……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……眠過ぎる。

 

「五月雨氏、五月雨氏」

「……晴也、起きる」

「み、皆さん。折角、晴也さんが寝ているのに……」

「あはははは! ハルどの、起きるのですぞ~!」

 

……眠い。

 

「汗をかいてますね……き、着替えさせないと」

「……脱がそう」

「皆でハルどのの身ぐるみを剥ぎましょうぞ!」

「しゃ、しゃみだれうじの裸が……裸が!」

 

……寝かせてくれ。

 

「しかし…晴也さんの裸……」

「……ゴツゴツしてそう」

「早く! 早く脱がせましょうぞ!」

「しゃしゃしゃみだれうじの裸が……裸がぁぁぁぁぁ!!」

 

…………、

 

「なにか口を動かしましたぞ!」

「……なになに?」

「ぬ、脱がしてくれ?」

「ぬああぁぁぁぁ! しゃ、しゃみだれうじのは」

 

 

「ああもう!! うるっせぇ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……俺は林の中で倒れてたのか」

 

晴也は着替えを済ませ、半兵衛たちに話を伺っていた。晴也たちが今いるこの屋敷は、元は中々の名門貴族が住んでいた屋敷だ。だが、将軍が逃げ出した際に治安の悪化を怖れ、自らも京を離れたのであろう。誰も住んではいなく、それではもったいないと晴也が買い取った屋敷だ。とにかく広いので、これなら川並衆を含めた晴也軍団全員が住むことが出来る。

 

「はい、晴也さんの木刀と札が近くに落ちていました」

 

夢、ではないだろう。こんなに明確に印象に残る夢など無い。

 

「……札って?」

「はい。これです」

 

半兵衛は札を晴也に見せた。大きく紅い字で『護』という文字が描いてある。ただそれだけなのだが、なぜか怖ろしく感じる。

 

「なんなんだ、この札?」

「おそらく、なにか魔除けのような物だと思います。わたしが持っている札とは違うようですし」

 

そうか、と晴也は溜息を吐いた。あまりにも謎が多過ぎる。

 

「あの阿国って女は一体何者なんだ?」「俺がこいつらを道具として扱っているだと?」

「この札は?」「俺がこの時代にタイムトリップしたことについて、なにか知っている?」

 

わからない。いくら考えても、なにもわからなかった。しかし、なぜかあの女の言葉は、妙に心に突っかかる。

 

 

ーーーーーー“道具”

 

俺がこいつらを………

 

「……晴也?」

 

犬千代が心配そうに、晴也の顔を覗き込む。

 

「あ、ああ、悪いな」

 

考えていても仕方ない。振り切るように頭を振った。

 

「それにしてもお前ら、よくやってくれたな!」

 

晴也は犬千代、半兵衛、五右衛門、そしてなぜかねねもいたので、ねねを含めた全員の頭をわさわさっと撫でた。ねねは純粋に笑っていたが、それ以外の全員の顔が赤くなっていたのは言うまでもないだろう。

 

「もしかして……また宴とかやるのか?」

「そうらしいですぞ。先ほど勝家どのが『宴だ宴だ~!』と飛び回っていましたからな」

 

織田軍はどうにも、なにか良いことがあると直ぐに、宴だ宴だ、と盛り上がる。別に駄目ではないが、宴会はそれなりに金がかかる。織田家の皆はよく食うからだ。それにこの状況で宴をしてしまうと、上洛した、天下に王手をかけた、という緊張感を解いてしまうのも事実。あまりやり過ぎると逆効果になることも皆無ではない。

 

「まあ…いいか。助けてくれてありがとな。んじゃ……」

「どこに行くのですか?」

「……散歩だよ」

 

半兵衛たちは、晴也が石川衆から逃げている時に疲労で倒れたと思っている。阿国のことは、下手に説明しないほうがいい。おそらく混乱させるだけだろう。

 

晴也は立ち上がり、部屋から出ていった。残った半兵衛たちは、う~ん、と頭を捻っている。

 

「なんでしょう……いつもの晴也さんではなかったような……」

「……確かに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああもう……なんなんだよ……」

 

晴也は気晴らしに堺の町を歩いた。さすが黄金都市と言われるだけあって、朝早くにも関わらず、人で賑わっていた。だが、気分は晴れるどころか曇るばかり。自然と溜息が積もっていった。晴也でさえ、俺らしくないな、と感じているのだ。

 

「申し訳ありません。いつもありがとうございます」

 

ん、と晴也は立ち止まった。やけに聞き覚えのある声が聴こえた。幻聴だろうか、と思ったがそうではなかった。

 

「いいっことよ。 織田家はお得意さまでっからな」

「ありがとうございます。それでは」

 

長秀だった。僅かな小姓と共に、店の店主であろう白髪混じりの男に頭を下げていた。店の看板を見ると、大きな文字で『酒屋』と書かれている。

 

「長秀さん……?」

 

晴也がそう呟くと、長秀もこちらに気づいたようで、こっちに近寄ってきた。

 

「……は、晴也どの。どうしてここに?」

 

それはこっちの台詞ですよ、と晴也。

 

「いえ、宴会には酒が大量に必要ですから。店主と交渉して、安くしてもらっていたのです」

「お得意さまって…もしかして……いつも長秀さん自らが交渉を?」

 

はい、まあ…と長秀は少し恥ずかしそうに苦笑した。

 

確かに長秀さんは口が達者そうだから、意外と交渉ごとには向いてるのかもしれないが……。

 

「大変…ですね」

 

長秀さんは地味ながらも確実な成果をあげてくれる。もし、織田家に長秀さんがいなかったら、ここまで来ることは出来なかっただろう。力で押し切る勝家と知力で支える長秀さんがいたからこそ、織田家はここまで生き残ってこられたのかもしれない……と晴也は改めてありがたみを感じていた。

 

「晴也どのこそ、なにか悩みが? 浮かない様子ですが……」

「え、あ、いえ、大丈夫です!」

「そうですか?なら良いのですが」

「それより、もう宴会が始まるんですよね? 俺は行けないって、皆に言っといて下さい!」

 

長秀がなにかを言う前に、晴也は頭を下げ、さっさと走り去ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕陽が沈み始めた頃、晴也は町の外れを歩いていた。

 

「どういうことだよ……」

 

晴也は先程、阿国ことあの老婆と会った場所を訪れていた。しかし、そこにはボロボロ家などなく、まるでそれが幻であったように消えていた。

 

おそらくなんらかのトリックの一種だろうか。この時代には、半兵衛以外にも陰陽師やら幻術遣いやら、オカルトな者たちが少なからずいるらしい。この時代は自分が知っている時代であり、自分が知らない時代でもある。それなら、もう現代で培った常識なんて殺したほうがいいのかもしれない。

 

『そう、他人をいかなる場合も殺してはならない、という現代では当たり前でも、この世界では酷く馬鹿げているその常識をーーーーーーー』

 

 

「…って、俺はなに考えてるんだ」

 

拳をつくって、一度自分の頭を叩いた。

 

「しゃあねえ。気分転換に宴会でも行くかな」

 

憂鬱な自分を叱咤し、足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宴会は清水寺の庭園で行われている。既に飲めや唄えやの大騒ぎ。その騒音は、清水寺に近づくにつれ大きくなっていく。足軽たちは戦という地獄を忘れ、短いながらも幸せな時間を過ごす。その幸せな時間をあと何度もうけられるのか、それは己しだいである。

 

庭園で大騒ぎしている中、僅かな人数で清水寺本堂では織田家重臣たちの宴会が行われていた。

 

「……だそうです」

「ええっ! ハル来ないの!?」

 

長秀は信奈に、晴也が宴会に顔を出さないことを伝えた。すると信奈に一瞬、悲しそうな顔を見せたが、直ぐに「あのバカハルっ! 今度会ったらただじゃおかないわ!」なんて怒っている。

 

そしてもう一人。共に織田家を支えた長秀の戦友である勝家にもそのことを伝える。

 

「なんだとぉ!………久しぶりにハルと会えると思ったのに」

 

この調子だ。とても『鬼柴田』と敵から恐れられているとは思えない。晴也のこととなると、恋愛下手な、ただのぶっきらぼうな女の子へと化けてしまう。

 

「……、」

 

長秀はこれに怖れを抱いていた。晴也が織田家に入ってから、まだ半年も経っていないというのに、足軽を含めた織田家家臣たちへの影響力は凄まじい。

 

足軽たちからは破格の出世を遂げている『希望の星』と見られ、また家臣たちからは『信奈のストッパー役』として頼られたり、そして晴也軍団は戦の要とまで見られていたりするのだ。

 

そして、本人は気づいていないだろうが、勝家と信奈自身…………

 

「……、」

 

このままではいいのだろうか?

 

このままでは、もし晴也が戦死した際、下手したら信奈まで後を追ってしまうのではないだろうか。勝家もそうだ。あんなにデレデレな勝家を、長秀は前まで見たことがなかった。そうだ、あり得なくはない。二人とも、既に晴也には並々ならぬ感情を心に秘めているだろう。晴也とて一人の人間。戦から必ずしもいつも無事に帰ってこられると言うわけではないはずだ。

 

「どうするべきか……」

 

そんな悩みを抱え込み、長秀は一人、宴会の場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、あんちゃん。そろそろ店じまいだよ」

「う~、せめて日が暮れるまで待って下さい…」

 

晴也は宴会に向かう、はずだった。だが、行く途中にそんな気分はどこへやら、失せてしまった。そのため、清水寺の近くにあった茶屋でお茶をすすっていた。

 

「はぁ~……って、何回溜息吐いてんだよ俺……」

今日で今月分の溜息は吐き出したのかもしれない。晴也は自分が情けなく思い、頭を抱えた。なんでここまで憂鬱な気分になるのか、自分でもわからない。あの阿国の言葉が余程精神に喰い込んだのだろうか。

 

やはり俺はーーーーー

 

 

「は、晴也どの……?」

 

あ、と晴也が顔を上げると、そこには心配そうな顔つきの長秀がいた。なんでそんな顔をしているのか、原因は自分だった。

 

「ど、どうしたんですか?」

「え……あ、やば」

 

気づかない内に、頬に涙がつたっていた。晴也は急いで手で拭う。

 

「晴也どの……一体どうしたのですか?」

「な、なんでもないですよ。それより、長秀さんはなんでここに?」

「わたしはただの散歩に……って、話を逸らさないで下さい!」

 

意外にも本気の長秀に、思わず晴也は「す、すいません」と反射的に謝ってしまった。

 

「で、どうしたのです?」

「いや、なんか怖くなっちゃって……」

「なにがですか?」

「俺は元の時代に戻れるか、です」

 

そうだ、今でこそ織田家の一家臣として名が通っているが、初めはただの草履取り。しかも未来から来たなんて理解不明なことを言い、初めは一部の家臣たちから、

 

「なんだ、あのほら吹きは?」「おそらく、姫さまに気に入られようとしてるんだで」「いやらしいみゃあ」

 

なんて言われていた。

 

五月雨晴也は帰る場所がある。見知らぬ土地、見知らぬ人、見知らぬ歴史の流れ、それに流され、なんとかここまで来た。それまで決して楽だった訳ではない。死ぬと思う時が多々あったはずだ。それでも、なんとか生きてきた。それまでに溜まっていた不安や絶望が、なにかの拍子に溢れてしまったのだろう。

 

「全く……零点です」

「むぐっ!? な、長秀さん!?」

 

そう思うと、自然と晴也を胸に抱き寄せていた。

 

「いいですよ」

「え?」

「泣いても…いいです」

「でも……」

「今は、わたしを母と思って下さい」

 

そうだ、自分の悩みなんて比べ物にならないくらいに、晴也は大きな悩みを抱えていたのだ。

 

晴也はしばらくなにかを言いかけていたが、やがて長秀の胸に体を預けた。

 

「……すいません」

「いえ、大丈夫です」

 

長秀の胸は勝家やフロイスには劣るものの、柔らかく、豊満といっていい胸だった。思わず体が熱くなる。だが、それは長秀もであった。長秀とてまだ若い。そして、男に体を触らせたことなど、元服してから一度もなかった。故に長秀の体も自然と熱くなる。それは仕方のないことだ。男と女なら至極当然。

 

「っぅ……」

 

しばらく経ってもまだ長秀は恥ずかしいようで、自らの胸元に顔を埋めている晴也を見た。

 

晴也は……

 

「……す~…す~」

 

寝ていた。

 

「えぇ!?」

 

長秀は驚いていたが、晴也はもうすっかり眠っている。それほどまでに気持ちがよかったのであろう。

 

「まったくもう……れ、零点です……」

 

なぜか一人で興奮している自分が恥ずかしくなり、長秀はより顔を赤らめた。

 

「いや、でも……」

 

誰にも聞こえないような小さい声で「ま、満点……かな」と呟いていた。

 

 

だが、そんな甘酸っぱい時間は決して長くは続かなかった。

 

 

 

 

 

「……万千代ぉ?」

「……な、長秀ぇぇ!?」

 

まさに二匹の鬼と化した主君と戦友が、がさがさと茂みの中から現れた。長秀は顔を最高潮に赤らめ、どうにか弁解しようとしたが、焦り過ぎているためにいつものようには口が回らない。

 

「え、と、これは……」

「むぅぅ……な、長秀さん……」

 

不意に晴也が起きた……訳ではなく、寝言を吐いた。この時、とにかく長秀は焦っていたため、晴也を頼る他になにもいい案が浮かばなかった。

 

「そうだ、晴也どのからもなにか言って下さい!」

 

藁にも縋る思いで、言葉を待った。

 

「長秀さん……気持ちいいです……」

 

 

これこそ零点です……と長秀はこれから降りかかるであろう災難を嘆いた。

 

 

 

 

 

 

 




凄く遅れましたが、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

無事に『受験に合格』出来ました。これで後は暇な時間を過ごすだけ~かと思ったら、なぜかやらなければいけない事が多いので、ちょっと遅い更新になっていきそうです。でも、これからもこの駄文で頑張っていきますので、よろしくお願いします。

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