咲-Saki- 天元の雀士   作:古葉鍵

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分割後編


東場 第二局 四本場 ②

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染谷先輩と優希ちゃんを負かした二人組の客、藤田さんと久保さん。

どちらも仕事のできる大人の女性って感じで、普段の私なら気後れしてしまいそうな相手だ。

でも、麻雀でなら話は別。誰が相手だろうと決して私は負けない。負けるものか。ここは私が支配する世界(戦場)なのだから!

昔の私からは想像もできないほど好戦的で荒々しい感情が胸の内に満ちる。

「自分が最強だと自信をもて。それがお前()の力になる」、白兎君は確信の篭った声でそう私に説いた。

おかげで生来気弱な性格の私であったけど、卓を囲んだときだけは意識的に強気であろうとするようになった。

普通に考えればそれは単なる精神論で、それで麻雀が強くなるなら苦労はしないと誰もが言うだろう。しかし、不思議なことに、強気で麻雀を打つようになってから、以前と較べて不思議と牌は良く見えるし、配牌はいつも良いし、カン材もすぐに集まるようになったしで、とても偶然の一言では片付けられない効果が如実に表れているのだ。それでも白兎君には未だに何度やっても勝てないし、原村さんとは勝ったり負けたりだけれど、他の部員には一方的に勝てることが最近多くなってきた。

自惚れる気はないけど、自分にも取り得があるんだっていう確固たる自信がついたと思う。

これまでにない状況、相手がいる今回の対局。原村さんだけでなく、藤田さんもまた厄介な実力を持つ雀士だと、私の勘が告げている。

藤田さんが店内に姿を現した瞬間から感じている、奇妙な圧迫感。その感覚は、強弱の違いこそあれ、白兎君やお姉ちゃんと対峙した際に感じるプレッシャーと同種のもの。

原村さんもいるし、決して楽な対局にはならないだろう。負けるつもりはないが、苦しい対局になるかもしれないと予感して、唾をごくりと飲み込んだ。

 

東場第一局、起家は久保さん。

ちなみに席順で言うと、東家が久保さん、南家が私、西家が藤田さん、北家が原村さんとなる。

山から初期牌をツモりながら、優希ちゃんのような序盤の爆発力が私にもあればいいのに、なんて、ないものねだりな感慨を抱いてしまい、我ながら浅ましいなぁなんて内心で苦笑してしまう。

しかしそんな手前勝手な希望に牌が応えてくれたのか、初期手牌は暗刻含みの二向聴。かなりの良配牌と言ってよく、私の頬が喜色に緩む。

 

【手牌】八九22234①①⑥発発北  ドラ指標牌:7

 

手牌は万全、あとは経過を大きく違えなければ速攻和了も可能なはず。

私は王牌に意識を集中し、リンシャン牌やドラの気配を探る。すると、脳裏に牌のイメージが浮き上がってくる。

超能力じみた知覚能力で得たその情報を元に、構築する役を脳内で素早く検討する。

方針を決めた私は、第一打目に「北」を切る。

そして2巡目で原村さんから捨てられた「発」を鳴いて刻子を作り、字牌役を確定する。

私が早々に副露して役を獲得したことで、原村さんと久保さんの表情にほのかな警戒の色が浮かぶ。

藤田さんは先ほどお代わりしたカツ丼を食べることに夢中で、卓上の動きをきちんと把握しているかは怪しい。

侮られているとまでは思わないけど、真面目に打っているようには見えない。というか、カツ丼2杯も良く食べられるなぁ、と正直見ていて胸焼けがしてくる。

私の脳裏に「カツ丼さん」というニックネームが思い浮かんだ瞬間だった。

そんなどうでもいい感想を挟みながらも盤面は私の好都合に進み、僅か4巡目でテンパイし、6巡目でカン材の2ソウを手元にツモる。

 

「カン」

「!」

 

私の宣告に、原村さんの表情が一瞬険しくなる。

経験上、私がカンを宣告した場合は相当な高確率で嶺上開花で和がることを知っているが故の反応だろう。

私は副露牌の2ソウを4枚場に晒し、ドラ指標牌を1枚めくってからリンシャン牌をツモる。

 

「カン」

 

手元に来たリンシャン牌は「発」、私は再びカンを宣告し、右隅に晒されている副露牌へ加える。

そして3枚目となるドラ指標牌をめくり、リンシャン牌を指で掴む。

この時点で私の和了を確信したらしい、原村さんは椅子に背中を預けてため息をついた。

盲牌で和がり牌であることを確信した私は、和了の宣告と共にリンシャン牌を手牌の右にタン、と小さく音がする程度の勢いで置いた。

 

「ツモ。嶺上開花、役牌ドラ4。3000・6000です」

 

【和了:宮永咲】八九345①① (ツモ) 222(アンカン)2 発発(ミンカン)(ポン)

 ※ドラ指標牌:7 四 白

 

「ほぉ……」

 

食べかけのどんぶりを三角テーブルに置いた藤田さんことカツ丼さんが感心したような表情で私の手牌を注視する。

客観的に言えば嶺上開花は滅多に成立しない珍しい役なので、それで関心を寄せているのかもしれない。運はいいようだ、などと思っているのだろうか。

他人からはそう見えても、私からすれば偶然でも幸運でもない。超知覚によって他人より多くの情報を得、それによって確信的に成し遂げた結果なだけ。

私は受け取った点棒を雀卓の縁に開いた収納箱に収めながら、幸先の良いスタートに安堵のため息をつく。

次局は私の親番だ。

 

東場第二局。

親で連荘しようと焦ったのがいけなかったのか、7巡目にまだ序盤だからと油断してドラの中張牌を切ったら原村さんに鳴かれてしまった。

手を高めるためだけでなく、私の打ち筋を乱すことも同時に狙った判断だろう。

事実、ツモ順をずらされたことで、私の手元に来るはずだったカン材の気配が遠のいてしまった。言葉では説明しにくい多分に感覚的な理由だが、私も鳴いてコースを戻すか、別のカン材を集めなければ嶺上開花は出来なくなった。

逆に原村さんは目算があって鳴いたはずだから手を進めただろうし、テンパイした可能性も高い。

結局、私が態勢を整える前に原村さんが10巡目でツモ和がりを決めた。

 

「ツモです。タンヤオドラ3、2000・3900」

 

【和了:原村和】三四五五五④⑤678 (ツモ) ⑦(ポン)

 ※ドラ指標牌:⑥

 

やはり原村さんはすごい。元々のデジタルによる正確な判断力に加え、最近では相手の打ち筋を読んだ対応まで駆使するようになり、私も自分の思い通りには打たせてもらえないことが多くなった。

でも、だからこそ楽しい。

唇の端が不敵に吊り上るのを自覚しながら、点棒を原村さんに渡す。その際、交錯した視線でお互いへの対抗心を意識する。

原村さんには負けない、負けたくない!

きっと同様のことを原村さんも私に対して考えていることだろう。そう半ば確信したところで次局が開始され、勝負は続いていく。

 

 

 

南場第三局。

誰もが親では和がれなかったことから、比較的短時間のうちに対局は終盤へとさしかかった。

和がった回数で言えば私と原村さんが2回、カツ丼さんと久保さんが1回と、取ったり取られたりの接戦を演じていて、なかなかの好勝負となっている。

現在の点数状況で言うと、私:26600、カツ丼さん:24700、原村さん:31900、久保さん:16800。

オーラスがまだ控えているとはいえ、この局で誰が和了するかでおおよその趨勢が決まると言っていいだろう。

それにしても、原村さんと対局していると、どうも私の場の支配力(これも白兎君が教えてくれた。私にはカン材を支配する力……具体的に言うと、手元にある対子や暗刻の牌と同種牌を知覚支配し、選択的に引き寄せる能力があると)が低下してる気がする。

ただの言い訳かもしれない。でも、白兎君いわく「同格か、自分以上の能力強度を持った対局者が相手だとそうなる」らしいから、つまり原村さんも私と同じような何らかの超常的才能を持ち合わせているのかもしれない。

そんな余所事を考えつつ打っていたせいか、感じていた気配からカン材が手元に来る直前で第二局と同じように原村さんに鳴かれてしまい、嶺上開花を封じられた私を制して原村さんが見事なツモ和がりを決めた。

 

「ツモ。場風牌三色ドラ1、1000・2000です」

 

【和了:原村和】二三②③④23334 (ツモ) 南(ポン)

 ※ドラ指標牌:一

 

これで私との点差は約10000点、そして残すはオーラスの一局のみ。

原村さんが親だし、直撃させなくとも逆転が難しい点差じゃない。そう自分に言い聞かせて、オーラスに臨む。

 

【手牌】二二三四九①()⑥1南南北北  ドラ指標牌:4

 

配牌はドラ含みの三向聴、なかなかの好牌が揃った。

私はリンシャン牌を読み込み(リーディング)し、それが八萬であることを把握する。

そしていつものように嶺上開花を前提とした手作りを想定したところでふと、果たしてこれだけで勝てるのだろうかという不安が胸中に生まれる。

原村さんには私の打ち筋は完全に把握されており、ここまでで既に2回も対策された上での和了を決められている。

親である原村さんに和がられたとしても対局は終わらないという側面があるにせよ、このまま愚直に嶺上開花を狙っていいのか。頼っていいのか。

どうすればいい? 己の打ち筋への自信が揺らぎ、迷いで役作りの指針が定まらないまま、1巡目の私のツモ番がやってくる。

どうしよう、まだ何も決めていない。10秒20秒程度なら考慮に時間を使ってもいいだろう、だけど1分も2分も悩んでいる時間はない。

小賢しくもツモ牌を掴み、手元にもってくる動作を極力ゆっくりにして僅か数秒程度の時間を稼ぐが、頭の中は焦燥に空回るばかりで何の方策も思いつかない。

仕方ない、やはり手の内を読まれていようとも嶺上開花を狙うしか私に出来ることは――

時間に追い詰められ、結局これまでどおりに打つしかないと無策であることに妥協しかけたとき。部活で白兎君が私を完封勝利した後にドヤ顔でアドバイスしてくれた台詞が脳内で蘇る。

「自分の打ち筋を疑うな。それが己の最善であると常に自信を持て。もし相手に打ち筋を読まれたなら、対策される前に叩き潰せばいい。もしくは、対策されても問題ないように複数の選択肢を用意しろ。勿論その場合も嶺上開花を絶対の前提にしてな」

そして手元に来た1巡目のツモ牌は⑥ピン。それを見たとき、頭の中で白兎君の指導が突如明確な形になってカチリと隙間に嵌まり込んだ。その隙間はきっと、不安とか疑念とか、そういうネガティブな感情や思考が噴出す穴だったに違いない。

 

決めた! 私は自分の打ち筋を、嶺上開花をどこまでも信じる!

対策されるなら、その上で嶺上開花を決めればいい。ただそれだけのこと。

そして原村さんに、この対局に絶対勝つ!!

 

再び漲ってくる自信と自負を意識しながら、1打目に1ソウを切る。

その後のツモ牌は順調とは言い難かったものの、幸い誰かが和がることも、鳴かれてカン材の気配が遠のくこともなく対局は静かに進んだ。

しかし、10巡目で盤面には見えない異変が起こる。対局が始まって間もなく、2杯目の特盛カツ丼が届いてから自分の手番以外はひたすら丼を傾けて口にかっこんでいたカツ丼さんが容器を空にし、食事を終えたのだ。

それだけなら特に言及するような事ではない。問題なのは、その直後からカツ丼さんから発せられるプレッシャーのようなものが強まったことだ。いや、程度を正しく表現するなら、”跳ね上がった”と言うべきか。これは恐らく――

「本気になった」ということなのだろう。

オーラスの、しかも半分を過ぎた局面で本気を出す。それが意味するところは何か……

本気を出す相手でもないと、私たちが侮られていた? 考えたくはないが、もしカツ丼さんが白兎君のような実力者だったとしたらそれはあるかもしれない。初めて彼と打ったときの衝撃は、半ばトラウマとなって私の中に根付いている。

前向きな見方をするならば、勝つ為に本気を出す必要がある――つまりは、私たちを認めたということだ。

いずれにせよ、原村さんと同様かそれ以上に警戒すべき相手かもしれない。

意識がカツ丼さんに向いた直後、今度は盤面で動きが生じた。

 

「リーチだ」

 

抑揚のない、女性にしては低い声でテンパイを宣告し、場に千点棒を置く久保さん。

決して侮っていたわけではないが、正直思わぬ伏兵といった印象の久保さんのリーチで、恐らくこの一局が最後になるだろうと予感した。

無論、原村さんが和了し、連荘により対局が続くという可能性を切り捨てたわけではないが、このときはなぜか原村さん以外の誰かが和がるだろう、という気がしたのだ。それは”直感”と言って良かったかもしれない。

私は久保さんの捨て牌を確認し、危険牌を推測しつつ山からツモ牌を取ってくる。――きた!

それは⑥ピンで、私の待ち望んでいた牌だった。

 

【手牌】二二二三四五七九()⑥南南南 ⑥

 

これで私もテンパイ、あとは2巡後にツモるであろう「南」をカンしてリンシャン牌の八萬で和がって……原村さんをまくる!

かつての私なら、恐らくこの時点で自分の勝利がほぼ確定したなどと考えて気を緩めたかもしれない。リーチされているとはいえ、たった二巡を凌げばいいだけなのだから。

しかし、今の私に油断はない。かつて白兎君にチャンカン大三元で狙い撃ちにされた苦い記憶が、嶺上開花を和がろうとする都度蘇っては私に警告を発し、慢心や油断を許さないからだ。

私は警戒と集中を切らさないよう意識しながら、赤ドラの⑤ピンを切る。これは原村さんには筋で、久保さんには現物、カツ丼さんには危険牌だ。危ない橋だと解っていても、勝つためにここは賭ける場面だ。

幸いにも放銃にはならず場が一巡し、再び私の手番となる。ツモってきた牌は③ピン。不要な牌が来ることは事前にわかっていたというか、予測できていた私は特に落胆することもなくこれを捨てる。

お願い、誰にも当たらないで――!

③ピンは他3人全てに危険牌、でもここさえ凌げれば勝利は目前。私は緊張に指先が震えるのを自覚しながら河に牌を置き、指を離す。

和了の宣言が来るかもしれないと心の中で身構えた私だったが、どうやら今回もまた賭けには勝てたようで、カツ丼さんが山に手を伸ばしたのを見てほっと安堵する。

しかし次の瞬間、私の希望は絶望へと反転した。

 

「カン!」

 

カツ丼さんが山からツモ牌を掴み、盲牌したと思われる瞬間、彼女の唇がニヤリと吊り上り、私にとって放銃の次に恐れていた事態へと至る宣言がなされる。

そして私が次巡でカンし、和がり牌として取るはずだったリンシャン牌へとカツ丼さんがゆっくりと手を伸ばす。

 

そっ、そのリンシャン牌は私の……取らないで!

 

そんな私の心の切願にカツ丼さんが応えてくれるはずもなく、無情にもリンシャン牌は彼女の手元へと持ち去られてしまう。

同時に新たなドラ指標牌もめくられ、「西」が露わになる。

 

この感じ……お姉ちゃんと打ったときと同じだ!

 

戦慄で私の体に一瞬震えが走る。

どうしよう、どうすれば、どうしたらいい!? これじゃ、原村さんに鳴かれたときより状況が悪い。たとえ運良くこの後に嶺上開花なしで普通に和がれたとしても、栄和で場風牌(南)のみ1飜、ツモ和がりで2飜にしかならず、どちらにせよ逆転手にはならないし、リーチしたとしても裏ドラ指標牌は6ソウと「中」だからドラは乗らず、1飜追加されるだけ……結局原村さんには届かない。

さりとて、今から手を張り替える猶予は状況的に言って残されてないだろう。最悪は想定の常に一歩先を行く――どこかの本で読んだ覚えのあるフレーズを思い出す。

万が一の為に可能性を広げるよりも、リーディングによりカンドラだと解っていた「北」や赤ドラの⑤ピンを保持して手を厚くしておいた方が良かったのかもしれない……

後悔や諦念が心を半ば支配するも、熾火のように燻る戦意が勝負を投げるなと私に僅かな気力を与えてくれる。

例え想定以上のイレギュラーだったとしても、そのために複数の選択肢を用意したのではなかったのか。対策されようがその上で勝利してやるという気構えで臨んだのではなかったのか。まだ活路はどこかにあるはず、諦めるな、考えろ私……!

そして――

カツ丼さんが牌を河に捨てた瞬間、脳裏に天啓とも言える閃きが生まれる。

私はすぐさま3枚目の(・・・・)カンドラ指標牌と新たなリンシャン牌をリーディングする。

――これなら!

 

「ポン!」

 

微かな活路を見出した私は副露を威勢よく宣言する。

カツ丼さんが眉を顰め、警戒心めいた感情を初めて表情に宿すのを視界の端に捉えながら、私はまっすぐ手を伸ばしてカツ丼さんが捨てた牌、⑥ピンを掴み取り、手元の2枚と合わせて卓上右隅へと置く。

鳴いたことでツモ順がずれ、私の予期していたカン材「南」は久保さんの手元に行くことになる。しかし私の手元に3枚あるそれが当たり牌である可能性はないし、リーチしている以上、当たり牌でなければ捨てるしかない。つまり……!

私は高揚に逸る心を宥めながら、原村さんと久保さんにとっては現物、カツ丼さんにもほぼ安牌だろうと思われる九萬を河に捨てる。

その推測は外れることなく、カツ丼さんが山から牌をツモる。それもまた彼女の当たり牌ではなかったようで、目元にかろうじてわかる程度の微かな苛立ちを滲ませてツモ牌をそのまま切る。

河に置かれた牌は一萬、私にとってはある意味惜しい、しかしながら原村さんと久保さんに対しては現物なので安心できるとも言える。

これで原村さんの手番で何も起こらず過ぎてくれれば……!

祈るような気持ちで、しかしどんな結果であっても目を逸らさず受け止めようと決意しながら、原村さんの一挙手一投足を見守る。

私の無言のプレッシャーを感じたのか、1巡目以降は迷いのない打牌をする原村さんの手つきが、牌を掴んでほんの一瞬持ち上げたところでぴたりと止まる。そして珍しく数秒ほど逡巡したかと思うと、掴んでいる牌を離して別の牌を選び、捨てる。

捨てられた牌は三萬、客観的に見て私に対して危険牌であるそれを捨てたのは、久保さんとカツ丼さんに対して現物であるがゆえの冷静なリスク判断によるものだろう。

手を止めたのは、もしかしたら私を意識するあまり、他の二人に対して警戒が薄かったことに気付いて、現状で(・・・)警戒すべき相手の優先度を私情に捉われない客観分析(デジタル)により再設定したからではないかという気がする。

原村さんのこれまでの捨て牌を見る限りでは私への警戒がありありと窺える状態になっていたが、勝負が決まる瀬戸際に至って方針を変更してきた。

結果的にそれは、私にとって直接的な益にはならないが、間接的に久保さんとカツ丼さんが干渉できる余地を与えないという意味で恩恵をもたらしてくれた。

久保さんが山から牌をツモり、当たり牌でないことを視認して河に捨てるまでにかかった数秒程度の時間がスローモーションのように感じられるも、遂に待望の瞬間が訪れた。

 

「カン!」

「!」

 

私の宣告に、今度こそ余裕の仮面が剥がれ、表情にはっきりと驚きを露わにしたカツ丼さんのこめかみに一筋の汗が流れ落ちる。

予想どおり、久保さんに捨てられた「南」を鳴くことで手に入れた私は、凪のように落ち着いた心境で3枚目のドラ指標牌をめくる。裏返った牌は「東」、これでドラ4が確定した。

そして私は手を伸ばす。今度こそ誰にも渡さない。私が花を咲かせる場所(リンシャン牌)、それは私だけのもの()――

 

「――ツモ。嶺上開花、場風牌ドラ4。3000・6000です!」

 

【和了:宮永咲】二二二三四五七 (ツモ) 南南南南(ミンカン) ⑥⑥(ポン)

 ※ドラ指標牌:4 西 東

 

 

 

「まいったよ、完敗だ。二人とも若いのになかなかやるじゃないか」

 

短くも白熱した対局を終え、勝利の余韻冷めやらずの私に、カツ丼さんが煙草のキセル片手にそう語りかけてくる。

カツ丼さんの表情には敗北による悔しさや屈託などは微塵もなく、本心からの賞賛であることが見て取れる。

あまり褒められ慣れてない私は面映さでカツ丼さんと視線を合わせられず、やや俯いてしまう。

 

「あ、ありがとうございます。でも私たち、実は高校の麻雀部に所属してるんです。だから一般の方よりは……」

 

強いのは当然です、と続くのだが、それだとあからさまな自慢にしか聞こえないので言葉を濁してしまった。

それに、これは少々迂遠というか、曲折な謙遜を意図した発言だった。決して勝利や実力を誇りたかったわけではない。

具体的に言うと、「私たちは若いとはいえ専門的に麻雀をやっている人種なので、一般の人に較べて強いのは当然で、賞賛に値することではないですよ」、みたいな感じ。

ストレートに言ったら言ったで、傲慢な台詞とも取れるので、今みたいな煮え切らない台詞になってしまったわけだけど。

 

「清澄高校麻雀部だろう? 知っていたさ。それに、それを言うなら私は現役のプロ雀士だ」

「「えっ……!?」」

 

さらっと爆弾発言を投下したカツ丼さんに、私と原村さんは思わず顔を見合わせて同時に驚いてしまった。

そこにちょうど気を利かせて4人分の紅茶をトレイに乗せて運んできてくれた染谷先輩が加わり、カツ丼さんの経歴について詳しく語ってくれる。

 

「本当のことじゃ。地元出身でねぇ、実業団時代から「まくりの女王」って呼ばれよったんよ」

「へぇ~……凄い人だったんですね、カツ……藤田さんって」

 

うっかりカツ丼さんと(私が勝手に付けた)気安い愛称で呼んでしまいそうになり、慌てて言い直す。

プロ雀士と知った今では、心の中でだけとはいえ、カツ丼さんなんて呼ぶのがなんだか恐れ多くなってくる。今みたいに発言でうっかりボロを出さない為にも、これからはちゃんと藤田さんと呼ぼう。

そっかぁ……藤田さんはプロだったんだ……だからお姉ちゃんみたいな強い威圧感を纏ってたのか。

私は感心して、キセルを咥えて煙草を吸い込んでいる藤田さんを尊敬の眼差しで見つめる。

そんな私の視線に応えてか、優雅な仕草でキセルを口から離した藤田さんが、顔をこちらへ傾けて「ふっ」と穏やかに微笑する。

 

「いいや、凄いのはあなたたちだ。言い方は悪いが、私は学生レベルのアマチュア相手に易々遅れを取るほど弱くはないつもりだ。だが、その私をあなたたちは打倒した。まさしく驚嘆に値する」

「えっと、その……恐縮です……」

「でも……藤田さんはオーラスまで本気ではありませんでしたよね?」

 

現役のプロに絶賛されるという栄誉に、嬉しいやら面映いやらで恐縮してしまい、言葉に詰まる私。

しかし原村さんは幾分冷静だったようで、真顔で藤田さんに先ほどの対局について疑問を呈した。

疑問というか、原村さんの的を射た指摘に、私も、そういえば……と、対局での藤田さんの打ち筋を思い出す。

オーラスの一局で藤田さんの様子が突如豹変したというか、威圧感が増大したことは私も気になっていた。

まあ、デジタルを信奉する原村さんは、私のように威圧感とか迫力といった曖昧かつ抽象的な要因で疑問を抱いたのではなく、別の何かで藤田さんの打ち方に違和感を抱いたのだろうと思うけど。

原村さんの表情に不愉快だといった感情は表れていないが、プライドの高い彼女のこと、藤田さんの返答次第ではもう半荘勝負、今度は手加減なしで打って欲しい、くらいは言いかねない雰囲気だ。

 

「いや、それはない。最初はいささかあなたたちを甘く見ていたのは認めるが、手加減したつもりはない。私は後半爆発型の打ち手でね、特にオーラスは正真正銘全力で臨んだが、それでも及ばなかったよ」

「そうですか……すみません、失礼なことを聞いてしまって」

「いや、気にするな。対局中の私の態度にも問題があった」

 

藤田さんの真摯な回答に、原村さんは申し訳なさそうに目を伏せて謝罪する。

目下の若輩である私たちにへりくだってまで気を使って、鷹揚な対応をしてくれる藤田さんは何というか、すごく出来た人だった。

ちょっと怖そうな人だな、なんて第一印象を抱いてしまってごめんなさい。

 

「清澄高校麻雀部、でしたか。藤田さんが「私にも利益がある」と言っていた意味、理解できましたよ」

 

対局前も後もほとんど無口で、今まで会話に参加せず一人静かにティーカップを口に傾けて紅茶を飲んでいた久保さんが、話題がひと段落したタイミングを見計らってか、部外者の私には解らない話題を藤田さんに振る。

とはいえ、「清澄高校麻雀部」という単語が出た以上、全く私たちと無関係というわけではなさそうだ。

 

「それは重畳」

 

短く返答した藤田さんは紅茶のティーカップに口をつけて一口啜る。

そういえば藤田さんの存在感が強すぎて失念していたけれど、久保さんはどういう人で、藤田さんとどんな関係なのだろう?

それくらいの詮索なら気分を害すこともないだろうと考え、私は質問する。

 

「そういえば、久保さんもプロ雀士の方なんですか?」

「いや、私は…… そうだな、君たちの事を一方的に知り得ながら、私だけ身分を明かさないのもフェアじゃないか」

「?」

 

一瞬言いよどんだ久保さんだったが、すぐに何か思い直した様子で、腕を組んでうんうん、と頷き、よくわからない内容のことを口にする。

 

「私はプロではない。県内にある「風越女子」という高校の麻雀部でコーチをしている。いわば君たちのライバル校の指導者だ。もっとも君たちが今年の大会に出場する予定なら、だが。藤田さんとは仕事柄もあって以前からの知り合いでね」

 

やや険のある真顔で簡潔に説明してくれる久保さん。

その内容を纏めるなら、プロではないけど私たちと同じ高校生を指導している人だから、かなりの実力者ってことになる。

ライバル校云々な話も気になるけど、私は他校の麻雀部のことは全然知らないので何とも言えなかったりする。

しかし原村さんには心当たりがあったようで、「そういえば……」と呟いた。

 

「原村さんは風越女子って学校のこと、知ってるの?」

「はい、私もそれほど詳しいわけではありませんが、何度も県大会で優勝している県内有数の強豪校だったはずです」

「ふぅん……なんだか凄いところなんだね」

「それは同意しますが、今年の大会ではその風越女子と当たるかもしれないんですよ? 久保さんがそこのコーチだというのなら、私たちにとって無関係ではありません」

 

暢気に感心する私に原村さんは呆れた様子で、たしなめるかのように言い募った。

 

「ああ、誤解しないで欲しいが、私は別に偵察のつもりでここへ来たわけじゃない。理由も聞かされずに藤田さんに連れてこられたんだ。とはいえ、君たちにとっては不都合なことだろうが、私にとっては実に有意義な対局だった。警戒すべき敵は龍門渕だけだと思っていたが、どうやら違ったらしい。藤田さんや私と互角以上に打てる高校生が龍門渕以外にもいたなどとは悪夢としか言えないが、事前に知ることができただけでも幸いだ」

 

言い訳とも独り言とも取れる長い台詞を言い終えた久保さんが、初めて表情を和らげて私たちに微笑を向ける。

表情の険が取れた久保さんは、結構美人なんだな、と私は場違いな感想を抱く。

それにしても、久保さんの発言でも出てきたけれど、龍門渕高校というのは相当凄いらしい。というか、「藤田さんや私と互角以上に打てる高校生が龍門渕以外にもいた」という台詞を別解釈すると、「龍門渕にはプロである藤田さんと同等以上の打ち手がいる」

 

ということになる。これは聞き捨てならない。そういえば部室でも部長が龍門渕高校は去年の優勝校で、特に天江衣って人がとてつもない実力者だって言っていた。その人のことだろうか。

私が先に部室で聞いたことを思い出していると、藤田さんも久保さんの発言に触発されて何かを思い出したようで、キセルを一吸いしてから口を開く。

 

「そうそう、去年プロアマの親善試合があってねぇ。半荘18回を戦ってあたしは2位だった。けど、優勝したのは当時15歳の高校生。龍門渕高校の天江衣」

 

まるで私の推測を裏付けるように、藤田さんが天江衣って人の実績を語る。その驚くべき内容に私は戦慄を抱く。

 

「龍門渕の、天江衣……」

「あら、その様子だとどうやら名前くらいは知っているみたいね?」

「あ、はい、ここに来る前に部長に教えてもらいました」

 

私と同じように、原村さんも警戒を隠せない様子で天江衣って人の名前を呟く。

それを面白そうな表情で眺めながらの藤田さんの問いに、私が原村さんに代わって答える。

 

「そう。……まぁ、あなたたちなら天江衣と互角に戦えるかもしれないわね。私はどちらの味方ということはないけれど、あなたたちと天江衣の対局を期待してるわ」

 

他人事だからか、藤田さんは気軽な口調でそう言うと、キセルを咥えて喫煙を再開する。

藤田さんも、久保さんも、部長もまた警戒していた天江衣……さん。藤田さんだけでなく、白兎君も「咲ならガチれる」って言ってくれたから、全く敵わない相手じゃないとは思う。白兎君クラスの相手だったらどうしようと一瞬深刻になったけど……彼ほどとんでもない雀士がこの世に二人もいるわけないよね。

私は前向きな解釈でそう結論付けて内心胸を撫で下ろす。

あ、白兎君といえば随分静かだけどどうしたんだろう?

ふと疑問に思って背後を振り返ると、そこに白兎君の姿はなかった。トイレにでも行ったのかな?

位置関係的に原村さんなら白兎君の行動を目撃していたはず。そう考えた私は原村さんに聞いてみた。

 

「そういえば原村さん、白兎君ってどこ行ったか知ってる?」

「あ、はい。先ほど対局が終わった直後に店の奥へと歩いていきました。トイレ……にしては長いですね」

 

私と同様の可能性を答えた原村さんが、実に微妙な表情になる。

もしトイレだとして、これだけ時間がかかるということは、つまり……

美少女然とした白兎君のイメージを汚すような気がしてそれ以上のことは想像できなかった。

 

「そういえば気になっていたんだが、対局を背後でずっと観察していた女性は誰なんだ? 彼女も打つのか?」

 

私と原村さんの会話に興味を抱いたらしく、藤田さんが訊ねてくる。

 

「えっと、あの人は私たちのコーチで、今日は監督役らしいです」

 

別に隠し立てすることでもないと判断した私は素直に回答する。

 

「ほう、コーチとはな……あなたたちと大して年齢が変わらないように見えたが、部のOBか何かか?」

「いえ、私や原村さんと同級生です。とても麻雀が強いので、1年生だけどコーチ役をやってくれているんですよ」

「なるほどな。しかしあなたたちのコーチを務めるということは、相当な実力者だろう? 名前を教えてもらっても構わないかな?」

 

藤田さんは感心した表情で更に聞いてくるが、私は答えて良いものかどうか判断に迷う。

名前を明かすことが問題なのではなく、白兎君が今女装していることが問題というか、説明に困るというか……

私が回答に逡巡していると、タイミングよく白兎君が戻ってきたようで、原村さんが私の背後を見上げて声をかける。

 

「おかえりなさい」

「ただいま。すまん、ちょっと対局の結果を部長に電話してきた。トイレじゃないぞ」

 

まるで私と原村さんの会話を隠れて聞いていたかのような、戻ってくるなりピンポイントな言い訳をした白兎君に私は苦笑する。

話題の主役が帰還したことで、藤田さんの興味も当然そちらへと向いたようだった。

 

「君がこの子たちのコーチだと聞いた。なるほどと納得したよ、発中白兎君」

 

ごく自然に、さらっと白兎君のフルネームを告げた藤田さんに、私は思わず「えっ……?」と目を瞬かせた。

藤田さん、白兎君のことを知ってる?

 

「いやいやそんなことは……って、俺のこと知ってるんですか?」

「ああ。この子たちから君の名前が出たことでピンときてね。白兎という比較的珍しい名前、高校生に指導できるほどの実力、現在高校1年生なら3年前は中学1年生……ここまでパーツが揃えばね。まさか、こんな場所で会えるとは思ってもみなかったよ。縁とは不思議なものだな」

 

どこか感じ入ったかのように言うと、椅子に背を預け、両目を瞑る藤田さん。

 

「そうですね。お会いできて光栄ですよ、藤田プロ。ご活躍は色々と聞き及んでます」

「ありがとう。君に名前を覚えてもらっているとは、こちらこそ光栄だ」

 

そういえば入部して間もない頃に部長に白兎君の来歴について聞いたことがあった。

それによると原村さんと同様、中学生のときに全国制覇して一時期話題になったとかなんとか。藤田さんが知っているのもそういう関係かな?

 

「まあ、いつかは対局するかもしれない相手ですからね。藤田さんに限らず、目ぼしい大会の結果や実力の高いプロの牌譜はチェックしていますよ」

「ふむ。確かに君ならプロに混じっても遜色なく活躍するだろう。いや、むしろ君に勝てるプロの方が少ないかもしれないな。3年前の君の活躍を見てそう思ったよ」

「恐れ入ります」

 

驚いた。白兎君がとびきり強いのは身に染みて知ってるけど、プロからここまで絶賛されるほどだったなんて。

もしかしてとんでもない人にコーチ受けてたのかな、私……

心強いような、空恐ろしいような、不可思議な感慨に囚われる。

 

「麻雀部のコーチだそうだが、君は大会に出ないのか?」

「いえ、出ますよ。といっても個人戦だけですが」

 

藤田さんは白兎君の回答に満足した表情を浮かべると、いい加減顔だけ向けての会話に疲れたのか、椅子を90度回転させて白兎君と向き合う。

 

「なるほど、ついに伝説の復活というわけだ」

「そんな大層なものじゃありませんけどね」

「君にとってはそうかもしれないが、我々業界関係者にとっては、君の去就は一大事、いわば注目の的なんだ。まして3年の沈黙を破っての公式戦出場となれば、恐らく君の近辺は色々騒がしくなるだろう。少しは立場を自覚した方がいい」

「たかが全中を1度制覇した程度で、そこまで評価される理由が俺にはわかりませんよ」

「まあそれだけならそうだろうな。だけど君は3年前の大会直後に非公式の場とはいえ、水原プロを含めた当時のトッププロ雀士3人を完膚なきまでに叩きのめしたことがあっただろう。それが噂になって広まったのが原因だ」

「そういえばそんなこともありましたね。なるほど、それが真の理由でしたか」

 

背後から白兎君が苦笑する気配が伝わってくる。

なんだか聞いてるだけで身震いしてきそうなレベルの高い会話が繰り広げられていると思うのは私だけだろうか?

私はごくりと生唾を飲み込み、会話の続きを傾聴する。

 

「私としては君の指導者としての力量も大いに気になるところだ。今年のインハイは君の教え子たち (清澄高校)によって荒れるかもしれないな」

「そうなればいいと俺も思ってますよ」

「まあ君がいるなら龍門渕の天江衣も、白糸台の宮永照ももしかしたら倒せるかもしれないな。君自身が出場すれば確実だろうが、個人戦だけとは惜しいことだ」

 

藤田さんの口からお姉ちゃんの名前が出たことで、「えっ」と思わず声に出して驚くところだった。

 

「? いや、俺は団体戦出られませんよ、そんな資格ありませんし。てか、俺じゃなくてもウチには秘密兵器、そのチャンピオンの妹がいますからね。目には目を、姉には妹を、宮永には宮永ですよ!」

「ちょっ、白兎君!?」

「妹……だと?」

 

とんでもない関連付けで暴露された気がして、私は思わず口を挟んでしまった。

というか、「宮永には宮永」って、どんな理屈なの……

白兎君の中でうちの一家がどういう扱いになっているのか非常に気になる。

 

「何を隠そう、ここにいる宮永咲はインハイチャンピオン・宮永照の実の妹なんですよ。姉の横暴に耐えかねた妹が師を得て下克上するとか、メイクドラマって気がしません?」

「いやあの、横暴はされてないけど……」

 

色々と突っ込みどころがあってどこから訂正していいかわからない。メイクドラマとか古いし。

 

「実に興味深い話だな。宮永照の妹だと? 確かにそれならば先ほど見せた底力にも頷けるが……」

「ちゃんと事実関係調査したので間違いないですよ。どうです? 現チャンピオンの妹とか話題性十分でしょう。すでにアイドル状態なのどかとの二枚看板としてデビューさせる予定なので視聴率もばっちり稼げますよ」

 

白兎君の話がどんどんいかがわしい方向へ向かっている気がする。というか視聴率って、私たちを何の大会に出場させるつもりなんだろう。ちょっと身の危険を感じる。

冗談だとは思うけど、ときどき突拍子もないことを言い出す人なので、単なる悪ノリなのか本気なのか判断がつきかねた。

 

「全く白兎さんは……ふざけるのはほどほどにして下さい。宮永さんにも藤田さんにも失礼ですよ」

 

はあ、と嘆息して、原村さんが白兎君を注意する。

 

「ごめん、ついね。まあ、咲が()と戦いたいと思ってるのは事実だし、隠したところでいずればれる。大会出場を決めた以上、諦めてマスコミにちやほやされるがいい」

 

背後から私の肩にぽん、と手を置かれて振り向き仰げば、白兎君が実にうさんくさい笑顔を浮かべて白い歯をキラリと輝かせ、サムズアップを決めている。私とお姉ちゃんの確執はそこまで重い話だとは思わないけど、それにしてもなんか軽い。

白兎君は想像以上に凄い人、そう思った先ほどの印象は気のせいだったのかも。

 

「視聴率云々はともかく、真実宮永照の妹なのだとしたら、マスコミに注目されるのは確かだろう。まして結果を出せば出すほどそれは避けられまい。ある程度の露出は予め覚悟しておいた方がいい」

 

どことなく苦さを伴った口調でアドバイスしてくれる藤田さん。

彼女は現役のプロなんだし、もしかしたらマスコミ対応で苦労しているのかもしれないと思った。

 

「まぁ宮永姉妹のことは今はいい。それよりも、君が3年も公式戦から姿を消していた理由はともかくとして、一つだけどうしても聞きたいことがある」

「何です?」

 

煙草が切れたのか、キセルを三角テーブルに置いた藤田さんは、綺麗な脚線美を白兎君に見せ付けるかのように優雅に足を組み、凛とした真顔になって質問する。

 

「……君は女だったのか?」

「言われると思ったよ!」

 

白兎君が声を荒らげて突っ込む。私もいつこの話題が出るかなーと思ってはいた。

私と原村さんはどちらからともなく顔を見合わせ、つい「ぷっ」と吹き出してしまった。

 

「おや、違うのか? てっきり、3年前に君が男子の部で出場したのは性別詐称だったのかと思っていたんだが」

「正真正銘、俺は男で、こんな(ナリ)ですがちゃんと付いてますよ! てか何言わせるんですか!」

 

激昂して言い募る白兎君の声が相当大きかったせいで、店内の他の客にも聞こえたようだ。

背後のテーブル席から「え、あの可愛い娘が男?」「裏切ったな裏切ったな裏切ったな、ボクの純粋(ピュア)な気持ちを裏切ったな!」「いや、これはこれで」「可愛ければなんでもいい」「男の娘ハァハァ」などと囁き声が聞こえてくる。

対局前に把握していた限りでは、中高年以上の男性客がほとんどだったはずだ。世の中にはダメな大人が案外多いものなんだな、と、私は社会の摂理を一つ学んだ。

流石に白兎君が不憫に思えたのか、原村さんが苦笑を噛み殺した表情で藤田さんに事の成り行きを説明する。

 

「すみません藤田さん。白兎さんの格好には理由があるんです。実はフロアに男性店員がいるのも不自然だろうと、部員の総意で半ば無理矢理に女装してもらったんです。決して白兎さんの本意ではありません」

「ふふ、なるほど。なかなか面白い成り行きがあったようだな。しかしそれにしても、知らなければ誰も疑わないほど見事な美少女っぷりだ。きも……君の意外な才能には脱帽したよ」

「今何気に本音が漏れましたよね!? てか褒めてないですよねそれ!?」

 

ニヤリと笑って納得する藤田さんに、白兎君は再び威勢よく突っ込んで、はぁはぁと激しく息をする。いつもは冷静沈着な彼がここまで他人にからかわれるというか、一方的に遊ばれるのも珍しい。

 

「まあそう興奮するな。そうだ、君もコレ(煙草)を吸うか? 落ち着くぞ」

「吸わんわ! つか未成年に何勧めてんだ!」

「そういえば君はまだ学生だったな。素で勘違いしてたよ」

「言動がおっさんくさくてすみませんね!」 

 

敬語を使う気も失せたのか、白兎君はまるで優希ちゃんや京ちゃんと会話しているときみたいな気安さで藤田さんと漫才を繰り広げる。

藤田さんって案外面白い人なのかも……

プロだからという近寄りがたい印象が薄れて、親しみやすさというか、親近感を覚えた私は思わず「ふふふっ」と笑ってしまった。

 

「冗談だ。正直3年前の君は枯れた少年という印象があったんだが、なかなかどうして活きがいいじゃないか」

「せめて老成してると言ってくださいよ。そういう藤田さんこそ、なかなかイイ(・・)性格してますね」

「そう褒めるな、照れるじゃないか」

「プロ雀士って、イラッと来る性格の人多いですよね。あくまで一般論ですが」

「麻雀が強い条件として心理戦に長けていることも必要だからな。つまり強い雀士ほど性格が悪いと言えなくもない。例えアマチュアであってもその傾向は当てはまるだろうな。あくまで一般論だが」

 

ひぃ、何この二人超怖いんですけど。

お互いにこやかに微笑んでいるが、二人の間に流れる空気はぴりぴりと肌に痛いほど緊張している。二人の背後に無数の怒りマークと「ゴゴゴゴゴ……!」なんて轟く擬音が見えてきそうだった。

 

「それじゃあ、お互いの理解を深めるためにも、ここらで一局打ちません?」

「ああ、それは良い考えだ。こちらこそお願いしよう」

 

やおら話が剣呑な方向に進んでいく。腹いせに実力行使に出るつもりらしい。

この場合、大人げないのはどっちなのだろう?

いずれにせよ私闘めいた対局には巻き込まれたくない。というか、とばっちり受けそうですごく怖いし。触らぬ神に祟りなし、ここは逃げるに如かず。

 

「それじゃあ、私が抜けますね」

 

できるだけ平静を装ってさりげなく席を立とうとした私の右肩に、ぽんと手が置かれる。

恐る恐る振り向くと、そこには瞳のハイライトをなくした白兎君が、唇をニィッ……と歪めて凄絶な笑みを浮かべている。

 

「咲、逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ」

 

ひぃ!?

 

「彼の言う通りだ宮永妹。人生不条理なことなど幾らでもある。そこから逃げてばかりでは成長はない。何より勝ち逃げはマナー違反だ」

 

年長者らしく立派なこと言ってますけど明らかに最後の一言が本音ですよね!

 

「そうですよ宮永さん。せっかくプロの方が相手をしてくれるのですから、もっと打ちましょう?」

 

うう……空気を読めていないだけかもしれないけど、原村さんの鋼鉄の心臓が羨ましいよ……

 

「ならば私が抜けよう。最下位だったし、構わんだろう?」

 

久保さんがそう言って席を立つ。きっと善意からなんだろうけど、譲り合いの精神が美徳なのは時と場合によるよね。

 

 

結局、白兎君と久保さんが入れ替わってのメンバーで対局することとなった。

内容は……あまり語りたくない。勉強にはなったけど、今後の心の平穏の為に封印しておきたいほどのトラウマを私に植え付けてくれたから。

結果だけ言うと、やはりというか何と言うか、藤田さん(プロ)相手でも白兎君が無双しただけだった。

高校生(アマチュア)に敗北したことに、表面上は気にした様子のなかった藤田さんだが、何だかんだ言ってその後の対局も私と白兎君との対局を望んだことから、負けず嫌いというか、やはり悔しかったらしい。

結局、一人ずつ交代する形で優希ちゃんや染谷先輩、京ちゃんも対局し、合計5回(私が参加しなかった最初の半荘を含めれば6回)の半荘を終えたところで解散となった。

喫茶店の外に出たときには完全に陽が落ちていて暗かったため、原村さんや優希ちゃんと一緒に白兎君に送ってもらって帰宅し、ようやく長かった一日が終わったのだった。

 


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