4時間目が終了し昼休みとなり、のどかと一緒に昼食をとる約束をしていた俺は待ち合わせ場所である校舎裏出入り口に向かって廊下を歩いていた。
いつもなら昼食は学食で食べているのだが、昨日の夜にプレイしたネット麻雀でうっかり俺の本名暴露という失敗を犯したのどかが、「せめてものお詫びに白兎さんの明日のお昼は私がお弁当を作って持っていきます」と、ネット麻雀後のメールで申し出てくれたので、ありがたくご厚意に甘えることにしたのだ。
今日びの学生としては偉いことに、のどかはいつも自分で弁当を作ってるらしく、料理の腕にはいささか自信があると、朝の登校時の会話で少し照れた表情で言っていた。
まだ見ぬのどかの手料理に期待を膨らませながら校舎裏出入り口に到着すると、そこに待っていたのはのどか一人ではなく、咲と京太郎の二人も一緒だった。
別に二人きりで食べようとか約束していたわけではないが、多分咲あたりに昼食を一緒に取ろうとか誘われてしまい、断れなかったのだろう。京太郎は多分オマケだ。
「お待たせ、のどか」
「いえ、私もつい先ほど来たばかりです」
のどかたちへと歩み寄り、片手を上げて声をかける俺に、のどかは小さく微笑みながら返事をする。
「宮永さんたちは、ここに来る途中で昼食を一緒にどうかと誘われまして…… あと優希も先に行って場所を探してくると……」
俺の疑問を先回りしたのどかが、合流するやいなや早速、咲たちがこの場にいる事情を説明してくれる。
表情に変化はないが、口調と声音には申し訳なさそうな苦さが少しだけ混じっているのに気付いた俺は、のどかと視線を合わせ、「気にするな」と目で伝える。
のどかと二人きりの食事は惜しいが、仲間の誘いを無碍に断ってまで優先するほどのことじゃない。咲たちの同行を許したのどかもそう判断してのことだろう。
二人きりの食事はいずれの楽しみに取っておくことにしよう。
などと考えながら、俺はのどかの正面まで歩み寄る。
「それ、重いだろ? 俺が持つよ」
「あ、いえ、そんなことは……」
「いいからいいから」
俺はのどかが両手に提げて持っている大きな布袋、間違いなく弁当箱の入った包みだと思うが、を半ば強引に預かる。
別にのどかでも運ぶに大変というほどの重さではないが、お詫びとはいえ弁当を用意してもらった身としてはこれくらい担当しないとバチが当たるってもんだろう。
もっとも、別にそういう理由がなくとも、親しい女性が重そうな荷物を持っていればいつでも同じことをするだろうが。
「あれ、白兎は弁当持ってきてないのか?」
俺がのどかから弁当袋を受け取るまで手ぶらだったことに気付いた京太郎が聞いてくる。
「ああ。今日の弁当はのどかが用意してくれたからな」
別段隠すほどのことでもないし、そもそもこのまま一緒にいれば流れでいずればれることなので俺はさらっと告白する。
そして片手に提げ持った弁当袋を軽く持ち上げ、これがそうだと教えてやる。
京太郎は俺の言葉に相当な衝撃を受けたようで、半歩後ずさるように上体をのけぞらせた。
「な、何ぃぃー! おま、女の子に弁当作ってもらうなんて青春の一大イベント、いつの間にフラグ立てたんだ!? しかもそれがのどかの作った弁当とか超羨ましいんですけど!!」
「強いて言うなら昨日? てか、女の子の手作り弁当ならたまに
「二重に羨ましい!? なんで俺の弁当はお袋の手作りなんだー!!」
両手で自分の頭を掴んで天井を仰ぐ京太郎の魂の叫びが虚しく校舎内に響く。
そんな京太郎からそそくさと距離を取る咲とのどか。身内のバカも度が過ぎると他人のフリをしたくなるだろう。
俺は親切心から苦悩する京太郎をそっとしておいてやろうと決め、のどかと咲を促して校舎裏出入り口から裏庭に出る。
左手に咲、右手にのどかという両手に花状態で並んで歩きながら、青々と茂ったくるぶし丈の芝生を踏みしめて裏庭を進む。
裏庭と一言で言っても、実態は広々とした丘陵地帯で、植樹された木が点在しており、食事は勿論、ちょっとした野外レクリェーションにも最適な好スポットだったりする。
「俺を置いてくなよー!?」と叫びながら追いついて来た京太郎を加えて4人で歩くことしばし、優希と思しき小柄な女生徒がピンク色のレジャーシートの上で足を伸ばして座っている姿が見えてくる。
「おっそーい! もぅ腹ぺこぺこだじょ」
俺たちが近づくと、優希がこちらを軽く睨みながら文句を言ってくる。空腹で気が立っているのだろう。子供っぽいというか、感情に素直な奴だ。
優希の態度に俺は反感を抱くということはなく、むしろ腹を空かせてにゃーにゃーと食事を催促する子猫を相手にしてるような微笑ましさを感じてしまう。
「悪い悪い、待たせたな」
俺が苦笑して謝ると、優希は開口一番不満をぶつけたことに罪悪感を覚えたのか、口を尖らせてぷいっと横を向いてしまう。
そんな優希の態度にのどかや咲たちも「やれやれ」といった苦笑の表情を浮かべながら、2枚並べた長方形のレジャーシートの上に腰を下ろす。
俺はのどかの隣に腰を下ろし、手に提げ持っていた弁当袋をのどかの前にゆっくりと置いた。
その短い作業を見つめていたのどかは、淡く微笑んで俺に「ありがとうございます」と礼をいい、正座の姿勢で弁当袋から2段になった漆塗りの重箱の如き弁当箱を取り出す。
大きいのは弁当袋を一目見たときからわかってはいたが、高級料亭の仕出しのような重箱の威容に思わず「おぉ……」と俺のみならず皆から感嘆の声が漏れる。
そして上段の箱と蓋を外して二つの弁当箱の中身が露わになったとき、「おお~」という、はっきりとした賛嘆の声に変わった。
皆の視線を集めている弁当箱には、色彩も鮮やかにぎっしりと詰め込まれた豪華なおかずと、綺麗に形が揃った一口サイズのおにぎりと手巻き寿司30個ほどが箱分けされて納められている。
見ているだけで食欲が刺激され、唾液が湧いてきそうな素晴らしい出来だった。
「これは凄いな……」
俺が素直な称賛を口にすると、
「お、多めに作ってきましたので……沢山食べてくださいね」
のどかは面映そうに頬を染めてそう応えた。
「ああ、遠慮なくいただくよ。それじゃ、いただきます」
「「「「いただきまーす!」」」」
期せずして俺の言葉が合図となって皆の「いただきます」が唱和する。
早速、俺は卵焼きを箸で摘んで口に運び咀嚼する。その様子を、のどかが真剣な表情で見つめている。俺が料理の味をどう評価するのか気になっているのだろう。
どこか不安げとも取れるその様子に、俺は内心で「その心配は杞憂だよ」と語りかける。
なぜなら、見た目の良さを裏切らず、味もまた素晴らしく美味しかったからだ。
卵焼きはシンプルな料理であるが故に、味の良し悪しが(好みにもよるが)はっきりと明暗が分かれる。
のどかの卵焼きは、やや甘めの味付けとはいえ、内に巻かれた海苔の香ばしさとだし醤油のまろやかな塩気がマッチして実に美味である。
多分この甘さのコクは牛乳を隠し味に入れているな、などと通ぶった感想を頭に思い浮かべながら、咀嚼を終えて飲み込む。
俺はのどかへと親指を立てた拳を突きつけ、
「合格」
と、大上段な評価を口にする。
俺の評価にのどかの表情がぱあっと華やいだのを見て少し悪戯心を起こした俺はもう一言付け加えた。
「俺の嫁に」
「!」
俺が台詞と共にニッと笑いかけると、のどかは数秒ほど小さく口を開けてぽかんと硬直し、それからようやく言われた事の意味を飲み込めたのか、火が着いたかのように一瞬で赤面する。
「なっ、何をいきなり……か、からかわないで下さい……」
「ごめん。でもそう言いたくなるくらい美味しいよ。正直感動した」
絶賛とも言える俺の言葉に、のどかはますます顔を赤くしたかと思うと、「あ、ありがとうございます……」と消え入るような声で呟き、恥ずかしそうに俯いた。
その可愛らしい表情を見せてもらった事にも「ごちそうさま」と俺は心の中で礼を言う。
そんな、もはや最近の俺とのどかにとって恒例となった
「あはは……原村さんは料理上手だね」
「当然だじぇ! のどちゃんは私の嫁だからな!」
「よっ、嫁ぇ!?」
咲は苦笑し、優希は茶化し、京太郎はショックを受けと、三者三様の合いの手を入れてくる。
「嫁かぁ……」
鼻の下を伸ばした締まりのない顔で陶然と呟く京太郎。
台詞と表情で何を想像……いや、桃色な妄想をしているのかが容易に推測できるな。相変わらず解りやすい奴。
そんな京太郎を、のどかはアウトオブ眼中で箸を進め、咲は冷ややかなジト目を向け、優希はさりげない手つきで京太郎の昼食である肉まんに手を伸ばして掴み取る。
スティールを成功させた優希が両手で肉まんを半分ずつに千切ったところで、妄想から現実に帰還した京太郎が盗難に気付く。
「それ俺の肉まんじゃねーか!」
「ちっ、バレたか」
糾弾の声をあげる京太郎から顔を背け、優希は忌々しそうに小声で毒づいた。
「返せよ!」
京太郎が立ち上がりざま、優希へと半歩踏み出し手を伸ばした瞬間、足元にあった魔法瓶の蓋コップに躓き、中身のお茶をぶちまけると同時にバランスを崩して優希へと覆いかぶさるように前のめりに転ぶ。
「うわぁぁぁ!」
「きゃああぁぁぁぁ~」
京太郎の強襲に、優希は間延びした悲鳴をあげ、微妙にわざとらしく背後へと倒れ込む。
どどっ!
地に肉体を打ち付ける鈍い音が響き、咲とのどかは目の前の惨事を直視できず、「ううっ」と小さく叫んで一瞬目を瞑る。
刹那の衝撃が過ぎると、京太郎は優希を四つん這いの格好で組み伏せていた。
しーん……
遠くから聞こえる小鳥の囀りを除き、沈黙が場をしばし支配する。
「あ……あぁ……」
「いっ……いやぁ……今は……だめっ」
呆然とした表情で呻きながら真下の優希を見下ろす京太郎と、頬を染め、目の端に涙を浮かべながら弱々しく拒絶を呟く優希。
京太郎はともかく、多分優希は今の状況を面白がっているというか、作為的に言動を演出していると思われる。
「な……何がダメなんだっ!?」
目を点にして焦ったように聞き返す京太郎は、優希にまんまと遊ばれている。
その光景に、のどかと咲は顔を見合わせて「ふふふっ」「あははっ」とやや困ったような表情で笑う。
「夫婦漫才、乙!」
もちろん俺は好機を逃さず突っ込んだ。ある意味普段のどかとの仲を色々揶揄されてる事への意趣返しとも言える。
俺の冷やかしにも怯まず、身体を張ったネタで京太郎をからかう優希と、顔色を失って「わっ、わざとじゃないんだ!」などと言い訳する京太郎を肴に、ほのぼのとした日常の昼食会は和やかに過ぎていったのだった。