咲-Saki- 天元の雀士   作:古葉鍵

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東場 第二局 一本場

爽やかな早朝。

初夏とはいえ、朝はまだほんの少し肌寒く、それが丁度良い刺激となって頭を活性化させる。

天を仰げば蒼がいっぱいに広がり、小さな雲が白いアクセントとなって空の景色を彩っている。

視線を水平に戻せば、遠くに広がる山の緑。

耳を澄ませば小鳥の囀りの音が絶えることなく届く。

既に長野に引っ越してきてから2ヶ月を過ごしたが、未だこの情緒溢れる風景に小さくない感動を抱く。

俺は都会とは比べ物にならないほど澄んだ空気を味わいながら、田園と住宅街に挟まれた道路を歩いていた。

目的の場所が近づいてくると、見慣れた女子の制服とツインテールが特徴的なシルエットが佇んでいるのが見えてくる。

のどかだ。

俺は小走りにならない程度に歩速を早め、のどかの元へと急ぐ。

のどかも俺の姿に気付いたようで、遠目に顔をぱあっと綻ばせたのが見えた。

 

「おはようございます、白兎さん」

「おはよ、のどか」

 

親しき仲にも礼儀あり、を実践しているのどからしく、挨拶と共に会釈で頭を下げることを忘れない。

俺たちは合流すると、人気の少ない朝の道路を二人並んで学校へと向かう。

俺とのどかがこうして朝、まるで恋人同士のように一緒に登校し始めてから今日で1週間になる。

1週間前、咲が入部してくれた日――いや、のどかがキスしてくれた日というべきか、の部活後の帰宅途中、のどかから「もしご迷惑でなければ朝も一緒に登校してもらえませんか……?」とお願いされたのだ。

あのときの恥ずかしそうなのどかの顔は、写真に撮って永久保存しておきたいくらい可愛かったなーなどと、思い出す度ニヤニヤしてたりする俺キモい。

それはともかく、俺は麻雀部入部後間もなくから下校の際はのどか(とたまに優希)を自宅付近まで送ってから帰宅していたので、そのお願いにさして驚かなかったというか、決断には悩まなかった。

下校時に一緒に帰る場合は、同じ部活の女の子を防犯上の理由で家まで送るとか、対外的に言い訳というか体裁を保てるのだが、登校時に待ち合わせて一緒に歩く、というのは、控えめに言っても親密な関係であると他人の目には映るだろう。

もちろんのどかはそれを理解した上でお願いしてきたのだろうし、俺もまた納得の上で承諾した。

おかげさまでというべきか、最近よくのどかとの関係を麻雀部員以外からも質問されるようになった。

下校の場合は遅くまで部活をしてから帰宅するのが常だったので、人目に触れにくく話題に上るほど目立たなかったようだが、さすがに登校する生徒たちが普通に多い朝の通学路で毎朝並んで歩いていては、自分たちから噂して下さいと言っているようなものだ。

とはいえ、俺たちが大して目立たない生徒であればそれでも問題はなかったのだろうが、生憎どちらも際立った容姿の持ち主な上、ついこないだ実施された中間テスト総合で俺は学年トップ、のどかも3位と、知名度を高めたばかりだったりするからさあ大変。

入学後最初の1学期に早々と美男美女の秀才カップル誕生か、という噂が1年生を中心に駆け巡ったのだった。

多分、のどかも俺と同じかそれ以上に関係を尋ねられているだろうが、どのように答えているのかちょっと興味があったり。

ちなみに、俺の返答は「ご想像にお任せする」とか「目に見える真実が正しいとは限らない」とか「強いて言うなら甘酸っぱい関係だ」とか適当な事を言って煙に巻いている。

まあそういった周囲の加熱ぶりというか、状況はともかくとして、俺とのどかは今日もまた他愛のない会話をしながら通学路を歩いていた。

 

「原村さーん!」

「ん?」

 

地方主要道路から用水路を渡る橋に続いている小道へと曲がったところで、背後から第三者に声をかけられた。

その声に俺とのどかは揃って振り返ると、二人の男女がこちらへと歩いてくるのが見えた。

帽子を逆向きに被り、業務用といって差し支えがないほどの立派な一眼レフカメラを肩から下げた大柄な男と、メモ帳とペンを手に持った髪の長い眼鏡をかけた女性という組み合わせの二人は、ぱっと見でカメラマンと記者のペアかなと容易に想像がついた。

こちらへと近づいてきた二人は、10mもない坂道の途中で振り返った俺たちを見下ろす位置で立ち止まる。

カメラマンの男性はのほほんとした表情でこちらを眺め、記者の女性は俺をちらりと好奇の視線で一瞥してからのどかへと目線を移し、口を開く。

 

「ウィークリー麻雀トゥデイの西田ですー。取材、いいかしら?」

 

記者の女性は身分と名前を名乗り、手に持ったペンとメモ帳を胸元へと掲げ持つ。記者特有のボディランゲージだ。

目的はどうやらのどかへの取材らしかった。

普段あまり意識したことはないが、のどかは去年の全中個人戦チャンピオンであり、優れた容姿もあって麻雀関係のマスコミからは人気があると優希からちらっと聞いたことがあった俺は、なるほどなと内心で納得する。

俺が全中で個人優勝したときも、記者からこんな形で突撃取材を受けたことが何度かあったなぁと、3年前の過去をふと思い出す。

ってあれ、この人どっかで見たことがあるような……?

心のひっかかりを覚えて、記憶の検索に刹那気を取られていると、隣でのどかが礼儀正しくぺこりと記者たちに会釈する。

俺もまたのどかに追従して小さく会釈した。

 

「お久し振りです」

「1年ぶりねえ。去年の原村さんの記事、評判良くってね。大人気よ」

「そうですか……」

「そう、全国中学生大会個人戦優勝。その上美少女」

 

二人が社交辞令を交わしている最中、カメラマンの男性がカメラを構えてのどかをファインダーに納めようとする。

目敏い俺はカメラマンが行動の前に、のどかへと好色的な視線を向けていたことに気付いていた。

その洞察を証明するかのように、のどかへと向けたカメラの目線が顔から胸へと少しずつ下がってゆく。

のどかの巨乳へ視線が惹き付けられるのは、特殊性癖のある男性以外にとって半ば本能的とも言えるだろうし、無理もないと同性として理解はできるのだが、だからといってその行為を許すことは別の問題である。

俺はさりげない動きでのどかの斜め前に移動し、半身でカメラからのどかの姿を遮った。

当然その行動が妨害だと気付いたカメラマンは少し苛立たしげな表情でカメラを下ろす。

まったく、ずっと年下の学生相手に露骨に顔色変えるとか、随分余裕がないな、おっさん。

それにいい歳なんだからせめて下心を隠す程度の腹芸は身に付けとけよ。

ま、精神年齢は俺の方が明らかに年上だが。

のどかを視姦された気がしてムカついてた俺はカメラマンに内心で散々な評価を下す。

 

「ところで、隣の男の子は誰かしら。朝早くから一緒にいるということは、もしかして原村さんの彼氏とか?」

 

西田と名乗った女性記者も俺の行動に興味を引かれたらしく、視線をのどかからこちらへ向けてそんなことを聞いてくる。

以前までののどかだったら、俺との関係を露骨に指摘されるとほぼ毎回のように反射的にキョドってしまい、竹井先輩を始めとした部員たちに格好のからかいのネタを提供していたのだが、幸か不幸かここ1週間ですっかり鍛えられてしまっていた。

特に慌てることなく落ち着いている様子に、俺は少し安心する。

 

「そんなところです」

 

否定すると多分のどかが気を悪くするだろうし、のどかの前で関係性をはっきり認めてしまうと間接的に告白したような体裁となる。

従ってやや曖昧な表現を選択したわけだが、西田女史はどうやら「肯定」と解釈したようだった。

 

「へぇ……原村さんも隅に置けないわね。ま、年頃の女の子なんだし、当然そういうこともあると思うけど」

 

西田女史は面白い、という感情をはっきりと表情に出してうんうん、と頷く。

 

「い、いえ……そんなことは……」

「でもよかったじゃない。すごくかわい……いやいや、美少年の彼氏で」

 

西田女史の理解ある台詞に、頬を赤らめて俯きがちに答えるのどか。

ちなみにナチュラルに「可愛い」という形容詞を付けられそうになった俺は地味にショックを受けてたりする。

経験上、大人の女性からしたら俺の容姿は「格好いい」ではなく「可愛い」と感じるものらしい。

会話のノリがもう、取材というより女性同士の恋バナになってきた。

俺と同様のことを思ったのか、カメラマンが肘で西田女史をつつく。

それで西田女史は話題が逸れてたことに気付いたのか、ハッとした表情になったかと思うと、「こほん」と体裁を取り繕うように咳払いをした。

そして真顔で俺の顔を注視したかと思うと、

 

「そういえばキミ、どこかで見たことあるような……?」

 

なんてことを言い出した。

そういや思い出す努力を放棄してたが、俺も見覚えあるんだよなこの人。

のどかへの取材のはずが、どうも妙な成り行きになってきたなと思いつつ、俺も同様の感慨を口にする。

 

「実を言うと俺もです。西田さんとどっかで会ったことありましたっけ?」

「うーん……あなた、名前は?」

「ああ、発中白兎です」

「はつなか……君……」

 

西田女史はオウム返しに俺の名前を呟きながら、目を瞑りながらペンを持った右手でおとがいを掴み、「うーん……」としばし黙考する。

そしてくわっ! と目を見開いたかと思うと、

 

「思い出した! 思い出したわ! キミ、全中チャンピオンの発中君でしょ!? ほら、3年前何度か取材させてもらったじゃない! 私あの頃眼鏡かけてなかったし、髪も今より短かったから解りにくいかもしれないけど!」

「え、まじですか?」

「マジマジ! ほんと覚えてない?」

 

本当に会ったことがあったらしい。

西田女史は眼鏡を外し、肩から胸の前に垂れていた長い髪を背中へと流す。3年前の自分に似せようとしたのだろう。

少し雰囲気の変わった西田女史の顔を見つめること数秒、記憶のシナプスが遂に繋がった。

 

「ああ……思い出しました。真顔で俺のこと「一度抱きしめてもいいかしら?」とか聞いてきて、そのとき隣に居たカメラマンさんに頭どつかれてた記者さんですよね?」

「ちょっと!? なんてところ思い出してるのよ!」

 

人間、覚えているのはやはり印象的な場面である。

西田さんはショタっ気があるのか、当時は今よりもっと小柄な少年だった俺に初めて個人取材を申し込んできたとき、すっごい目を輝かせて食い入るように見つめてきたんだよな……

正直あれは引いたというか、ちょっと身の危険を感じるレベルだった。

まぁ西田さんはそこそこ美人だし、精神年齢的に大人の女性が好みだった俺は「ちょっといいかも」なんて、西田さんのセクハラ申し出に役得感を抱いてしまったのは秘密だ。

 

「西田さん……中学生にそんなことしてたんですかい……」

 

うわぁ、という明らかに引いた口調で西田さんに声をかけるカメラマン。

態度から察するに、立場的には西田さんの方が上っぽいが、カメラマンの中では西田さんの威厳というか、株が絶賛暴落中だろう。

 

「ち、違うの! 出来心だったの! 未遂だったし、も、問題になるようなことじゃないわ!」

「そういう問題じゃねえと思うんですが……」

 

必死に言い繕う西田さんに同情した俺は助け舟を出すことにした。

 

「でも、あのことがあったおかげで俺も西田さんを覚えていたわけですし、結果論ですが良かったと思いますよ」

 

フォローの台詞と共に、にこりと微笑みかけた俺を見て、西田さんは見惚れたように硬直する。

三つ数えるほどの停滞を経て我に返ると、気を取り直すべく外していた眼鏡をかけなおし、ややどもりながらも口を開く。

 

「ま、まぁ、まさかあの(・・)発中君が原村さんとね……これは大スクープだわ。原村さんと知り合ったのは麻雀が縁で?」

「出逢ったきっかけは違いますよ。もっとも今は同じ麻雀部に所属してますが」

 

どうせいずればれることだし、と判断した俺はてらいなく答える。

マスコミというのは自分たちにとって都合の良い情報しか書かない(報道しない)人種が多い。

西田さんがそうだとは言わないが、痛くもない腹を探られるよりはある程度友好的な態度で情報提供してあげた方が好意的に書いたり報道してもらえる上、まだしもコントロールしやすいからだ。

前世でもトップ雀士として、多少は取材を受けたりして関わったことでマスコミとの付き合い方を学んだ俺は、3年前の教訓もあって、対応方針をそう定めている。

 

「と、いうことはつまり、発中君も今月のインターハイに出場するということ?」

「そうなりますね」

 

俺が麻雀部に入部して大会出場を決意したことには当然事情がある。

麻雀部には「大会に出ない」という条件で長く仮入部状態を続けていた俺だったが、咲を麻雀部に勧誘した件がきっかけで正式に入部することになったのだ。

咲を言葉巧みに……もとい、誠心誠意勧誘して引きこんだ張本人が実は部外者でした、というのは不誠実に過ぎるというか、責任感に欠けると思ったからだ。

大元は竹井先輩の意向だったにせよ、俺も咲に仲間になって欲しいと考えたのは事実だし。

それに、咲の件がなくても俺は正式入部をいずれ決意していたはずだ。

部の仲間たちとは極めて良好な関係を築けているし、愛着もある。

そうでなくとも既に清澄高校麻雀部のコーチにのめり込んでいる俺が、一月二月ならともかく3年間ずっと仮入部で過ごします、というのは部員に対する誠意に欠けるし、不自然に過ぎる。

そして何より大事なことは、のどかの存在だ。

お互い心寄せている男女なればこそ、同じ部の仲間という絆を共有したい思いがある。

で、入部した以上は大会に出て優勝し、キャリアを積むと同時に清澄高校麻雀部の威光を高めてやろうじゃないか的な目的を抱くようになったし、照さんや淡、咲との出会いのおかげで多少は強い相手がいるかもなという希望も出てきた。

心変わりの理由を言葉にするとこんなところだが、もっと飾らない本音を言えばのどかに良い所を見せたいという動機も多分にある。

のどかはどちらかというと栄光だの名声だのといった俗っぽい志向とは無縁のタイプだが、それでも無位無官よりは、誇れる肩書きを持っている彼氏の方が嬉しいだろうしね。

そうした経緯を思い返している俺に、西田さんは熱っぽい口調でさらに質問を重ねてくる。

 

「出場するのは団体戦? それとも個人戦? もしくは両方かしら?」

「男子団体戦は人数不足で出られませんので、個人戦のみですね」

「なるほど……これは俄然、今年の大会が面白くなってきたわね。まさかの伝説(レジェンド)復活といったところかしら」

 

「ふふふふ……」と怪しい含み笑いを漏らす西田さんの表情は抑えきれないといった感じの興奮で彩られている。

そんな西田さんの様子に、カメラマンは困った表情を向けながら尋ねる

 

「本人の前で失礼なんすが、発中君はそんなに有力選手なんですかい?」

「モチのロンよ。あんたはその頃いなかったから知らないでしょうけど、当時は神童とか天才とか言われて麻雀界の話題を独占した人物よ? その実力はプロ雀士より上だ、とか噂されたほどでね。弱冠12歳で全国優勝、そして打ちたてた大会最多得点記録は未だに破られていない。それだけ偉大な成績を残しながらも突然、麻雀界から姿を消した彼が3年の沈黙を経て復活する。これは超ビッグニュースだわ。まさか、原村さんの取材に来てこんな特ダネにありつけようとは……ついてる、私は超ついてる!」

 

カメラマンの質問に答えていくうち、西田さんの声は興奮で徐々に熱を帯びていく。

やー、事実とはいえそこまで評価されてるかと思うと面映いな。

 

「で、折角の機会だから、原村さんの後に発中君にも取材させてもらっていいかしら?」

「手短に済む程度なら構いませんよ」

 

時間には余裕をもって登校しているが、さすがに何十分も取材に付き合っている時間はない。

 

「ありがとう。それじゃまず原村さんからお願いね」

「はい」

 

俺のアポを取った西田さんはようやく落ち着いたようで、本来の目的であるのどかへと声をかける。

俺はのどかの前から退くと、撮影の邪魔にならない位置まで距離を取った。

先ほどはカメラマンの好色な視線に思わず妨害してしまったが、かといって写真を1枚も撮らせず聞き込みだけ、というわけにはいかないだろうと思ったからだ。

見た目が不細工な取材対象なら読者的に需要がないというか、大して話題にもならないし、取材側もむしろ気を使って撮影は最低限に留めそうだが、容姿端麗なのどかであればアイドル的にビジュアルも求められるだろう。

まーこれからのことを考えると俺にとっても他人事じゃないんだが……3年前のことを考えれば、決して自意識過剰な危惧ではないと思う。

 

「先ほど発中君の話題でも出たけど、原村さんも2週間後の全国高校生大会県予選には出場する予定よね?」

「はい、そのつもりです」

「それでね、聞きたいの。あなた、この大会で注目している選手は、いる?」

「えっ…」

 

のどかは言葉に詰まると、俺へと顔を向ける。

その行動に込められた意図は明白すぎて、西田さんは苦笑する。

 

「確かに一番の注目選手は隣の彼氏かもしれないけど、そうじゃなくて。大会でライバルになりそうな人って意味ね」

「あ……そ、そうですよね。すみません」

 

赤くなって俯いたのどかをパシャッと撮影するカメラマン。

後で西田さんに交渉して今の写真焼き増してもらおうかな。

 

「ううん、いいのよ。で、そういう人はいるかしら?」

「えっと……同じ部の人がみなさん強いので、個人戦では負けたくないと思ってます。他校の選手は生憎詳しくなくて……ごめんなさい」

「そう……わかったわ、ありがとう原村さん」

 

のどかの回答を無難な謙遜と受け取ったのか、表情にやや失望の色は浮かんだものの、あっさり引き下がる西田さん。

ま、俺がのどかの立場でも同じ回答をするだろうな。

実際、のどかの言うとおり、身内である部員が知り得る範囲で一番強敵なわけだし。特に咲。

それはともかく、記者ってのはある程度内容を歪曲させるというか、方便で書く場合もあるから、大事なのは聞き取り取材したという事実なのだろう。

西田さんは手元のメモ帳にさらさらと何かを書き込んでから、俺へと視線を向ける。

 

「それじゃ発中君に質問ね。実に3年ぶりの公式戦出場になるわけだけど、自信のほどは?」

「アイアムナンバーワン」

「さ、さすがというか何と言うか、すごい自信ね……」

 

確信の篭った俺の回答に、顔を引き攣らせた西田さんが手元のメモ帳にペンを走らせる。

そして再び俺へと視線を戻し、別のアプローチで尋ねてくる。

 

「もうちょっと具体的に抱負を語ってもらえる?」

 

具体的に、か……

俺はやや逡巡してから口を開く。

 

「誰が相手だろうと関係ありません。立ち塞がる敵は全て蹴散らして優勝します」

「強気なコメントは変わらないのね……」

 

どこか諦めた口調で苦笑する西田さんは、それでも先ほどの台詞よりはマシかと思ったのか、気を取り直した様子でメモ帳に走り書く。

20秒ほどで書き終えた西田さんはパタン、とメモ帳を閉じる。

取材は終わった、という意志表示だろう。

 

「発中君のその様子じゃ、原村さんと同様に注目している他校の選手はいなさそうね」

 

念の為、といった感じで質問してくる西田さんに、俺はとあることを思い出して答える。

 

「県予選に限らずなら、注目している選手はいますよ」

「ほう? それは誰かしら」

「白糸台高校の宮永照と、大星淡です」

 

間違いなくあの二人なら大会で大暴れするはずだ。

西田さんは再びメモ帳を開きつつ更に尋ねてくる。

 

「宮永選手は前年度のインターハイ覇者だし、注目されるのはわかるけど、大星選手というのは?」

「ちょっとした知り合いです。実力は俺が保証します。同じ1年生ですが、まず間違いなく団体戦でも代表に選ばれて活躍すると思いますよ」

「なるほど……キミがそういうなら、期待できるんでしょうね。有益な情報提供ありがとう」

「どういたしまして。良い記事を書いてくださいね」

「ええ、まかせて」

 

マスコミにゴマをするつもりはないが、この程度は愛想よくしておいた方が今後のためだろう。

 

「それじゃ最後に、二人一緒の写真を撮りたいのだけど、いいかしら」

「えっ」

 

思わぬ依頼に声に出して驚くのどか。一方俺はそういう要求もありうるかなーと予想していたのでさして意外には思わなかった。

常識的に考えるなら、のどかのようにアイドル的に容姿を持ち上げられた存在に異性の影がちらつくのはマイナスイメージというか、人気を利用して本を売りたい西田さん側からすれば本来ありえない申し出である。

それなのに敢えてペア写真を撮るのは、ひとえに俺がお相手だからだろう。

自意識過剰に過ぎると言われても仕方ないが、どちらも美男美女で全国大会優勝者というステイタスを持つカップルとなれば、書き方一つで非常に話題性を呼ぶ記事となることは間違いない。

記事にするにせよしないにせよ、ここで写真に収めておくこと自体は問題ないわけだし、あわよくば何かに使えるだろうというあざとさを感じる。

もっとも、あざとくないマスコミなんて存在しないわけだが。

俺は内心で小さくため息をつくと、のどかに声をかける。

 

「のどかが決めてくれ」

「白兎さん……いいんですか?」

「ああ。責任は取るよ」

 

少々大げさな言い方だが、二人一緒の写真が記事になったとして、反響というか悪影響があるのは通常女性の方なわけで、そうなった場合に俺がのどかの為に出来る限りのことをするという意志を伝えておかなければ、安心して決断はできないだろう。

まぁ少々知名度があると言っても芸能人ではないわけだし、高校生の男女に何を期待してるんだって意見をいざとなったら世間に叩きつけてやろうと考えているが、そこまでの最悪な事態というか騒ぎになることはまずありえないだろう。

むしろ問題なのは、二人一緒に居るところを盗撮でもされてこっそり記事にされるのが一番怖い。想像力で書かれた記事ほど大衆の悪意を集めやすいからだ。

そうなるくらいなら最初から堂々と関係を晒してしまった方が後腐れなくていい。

のどかは俺の言葉に小さく微笑んで「ありがとうございます」と礼を言うと、少し考え込み、それから西田さんに顔を向けて「わかりました」と承諾の返答を行った。

 

「ご協力に感謝します。それじゃ、背中合わせにくっついて、お互いの手を握ってもらえる?」

「な……手を、ですか。二人並んだ写真ではだめなんですか?」

 

恥ずかしそうな表情で聞くのどか。

無理もない、手を繋いだことなんてこれまで一度もないからな……

ステップを一段飛ばししてキスを既に済ませた俺たちだが、手を繋ぐという嬉し恥ずかしな行為を他人の目の前でやるというのは、慣れがない分羞恥心というハードルがいささか高い。

 

「それだとインパクトに欠けるのよ。単なるツーショット写真じゃ表紙にも使いづらいし。ある程度の親密さを窺わせる内容が必要なの」

 

西田さんは腰に左手をあて、まるで役者に演技指導する監督のような物言いで、右手に持ったペンを俺たちへ向ける。

もはや麻雀とは何の関係もない次元である。

てか表紙って、どこまで大々的な記事にする気だよ……

やっぱ断るべきだったかな、などと後悔の念を抱きながら、俺は左手でのどかの右手を握った。

いきなり手を握られたのどかは流石に驚いたようで、「っ!」と小さく息を飲んでびくっと身を竦める。

「ごめん」とのどかに囁いた俺は、彼女の瞳に嫌悪や拒絶の色がないことを確認して、背中合わせの体勢へのどかを誘導する。

背中合わせになったのどかの体温と緊張を感じた俺は、繋いだ手に少しだけ力を込めてきゅっと握る。

それが功を奏してか、のどかの体から強張りは急速に抜けていった。

やー、しかし俺たち朝っぱらから何やってんだろうな、ほんと……

初めて手を繋ぐという青春のドキドキイベントを迎えながら、俺はどちらかというと寒々しい感傷に捉われていた。

行為自体はともかく、そこに至るまでのシチュエーションが特殊すぎて何ら感動を抱けないせいだ。

 

「これでいいですか?」

「オッケー。あ、でもできれば手の握り方は恋人繋ぎでよろしく。あと空いてる手で雀牌持ってくれるかしら」

 

俺の確認にずけずけと更なる要求を口にしながら、俺たちへと歩み寄った西田さんはどこからともなく取り出した雀牌を1個ずつ俺とのどかに手渡す。

俺は指示通りのどかと握った手を恋人繋ぎに変える。のどかは抵抗することなく従順に変更を受け入れた。覚悟を決めたか、色々と諦めたかのどちらかだろう。

 

「それじゃ、後は雀牌を顔の少し下くらいの高さに掲げて、顔はこちらに斜め向いてカメラ目線でお願いします」

 

俺は言われたとおりのポーズを取る。

のどかは背中合わせで見えないが、衣擦れの音と伝わってくる背中の感触で身じろぎしているのがわかる。

多分、言われるがままに俺と同じポーズを取ったのだろう。

 

「表情硬いよー、にっこり笑って!」

 

西田さんのダメ出しに、もうどうにでもなれという気持ちで、俺はできる限りの作り笑顔を浮かべた。

 

「完璧! そのまま動かないでー」

 

パシャ パシャ

 

カメラマンが向きを少しずつ変えながら俺たちを何度も撮影していく。

10枚くらいは撮られただろうか、そこでようやくシャッター音が途絶えた。

 

「はい終了ー。どうもありがとうございました。良い絵が取れたわー」

「ありがとうございました」

 

揃って礼を言う西田さんとカメラマンの二人。

どちらの表情にもやり遂げたという満足感が浮かんでいる。

対照的に俺とのどかの表情には疲労感が滲んでいたことだろう。

 

「雀牌返します。ほら、のどかも」

「は、はい……」

 

俺は西田さんに声をかけると、のどかと手を繋いだまま背中合わせから対面へ向き直る。

別にすぐ手を解いても良かったのだが、のどかが握った手の力を緩める気配がなかったのでまぁいいかと考えたためだ。

それに、これはこれで良いきっかけかなと前向きに考えることにした俺は、女の子らしい小さく柔らかな手の感触を改めて味わいつつ、羞恥に俯いているのどかから雀牌を受け取る。

牌を受け取ってから今更ながらに牌種を確認すると、俺の牌は⑤ピンで、のどかの牌は赤ドラの⑤ピンだった。

色の違いで男と女ってか。なかなか芸が細かい。

妙な感心をしつつ西田さんに牌を返却すると、彼女はニヤニヤしながら俺とのどかの繋がっている手に視線を注いでいる。

確かに撮影が終わっても手を握ったままというのはいささか不自然である。

西田さんがどういう想像をしているのか手に取るようにわかった。

まぁ概ね誤解じゃないし、そもそも恋人繋ぎのツーショット写真撮影を許容した時点で半ば既成事実化したと考えるべきだろう。

自分から殊更に吹聴する気は無論ないが、他人から何を言われても否定せず軽く流そうと今後の方針を定める。

 

「ま、折角なのでしばらくこのままで登校しますよ。それじゃ、時間もそろそろ余裕ないので失礼します」

 

我ながら実に自然で動揺や気負いの一片も感じられない口調でさらっと告げると、西田さんは感心した表情で別れを告げてくる。

 

「ええ、忙しいところ時間を割いてくれてありがとう。二人の大会での活躍を楽しみにしてるわ。またよろしくね」

「……機会があれば。ではまた」

 

ちゃっかり次回アポの言質を取ってくる西田さんに正直うんざりしつつ、俺は短く告げて背を向けた。

のどかも「失礼します」と小さく会釈して踵を返す。

 

 

 

西田さんたちと別れた俺とのどかは、未だ手を繋いだままお互い無言で通学路をしばし歩く。

5分ほどもそうして歩いただろうか、俺はぽつりと先ほどの感想を口にした。

 

「ちょっと……いや、かなりサービスしすぎたな……」

「……私もそう思います……」

 

どちらかというと独り言のつもりで言ったのだが、のどかも同感だったらしく、重めの口調で俺に同意する。

まぁ今更といえば今更だが、西田さんに上手く乗せられてしまったというべきだろう。

自分たちの決断の軽率さを悔やむより、西田さんの手腕を褒めるべきかもしれない。

せめて放課後とか、もっと時間に余裕のあるタイミングだったら、交渉で写真のポーズをおとなしめのものに変えるとか選択肢もあったんだが。

てか、ほんとに雑誌の表紙で使われたらもはや後戻りできないってか、ぶっちゃけやばくね? 日本中に俺たちの関係が暴露されるわけだ……胸が熱くなるな。

ま、とはいえ未成年を表紙に使うことはあるまい。記事の1ページ程度ならともかく、まともな社会常識のある会社ならさすがにそんな暴挙には出ないはずだ。

……出ないよね?

心配の種は尽きないが、今は別に考えることがある。

 

「ところでのどか。ちょっと相談があるんだが」

「はい」

 

デリケートな問題なだけに、俺はまず前置きでワンクッション入れる。

 

「……どこまで手を繋いで行くことにする?」

「え……あの、ど、どうしましょうか……」

 

頬を染めて俯き加減で歩くのどかの横顔を見て、このままでもいいか、と俺は呑気に考える。

早朝という時間帯もあって、今のところ付近に人気はないが、もう少し歩けば大通りに出るため人目が増える。

また、学校に近づけば近づくほど登校中の生徒の数は多くなっていくだろうし、手を繋いで歩いているところを生徒たちに目撃されてしまえば、もはや対外的に二人の関係は言い訳できなくなる。

それらの諸要素を考慮した上で、別にいいかと判断したのだ。

今更自重したところで、多少遅いか早いかの問題でしかない。

俺とのどかの関係はもはや引き返せないところまで至ってしまっている。

それならば、のどかが手を離したいと思うまではこのまま繋いでいようと開き直ったのだった。

もしかしたらのどかもまた、俺と同じことを考えていたのかもしれない。

 

 

 

――結局、俺たちは学校に到着するまで繋いだ手を離さなかった。

 


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