そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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新年明けましておめでとうございます。
そして更新遅れてすいません。年末年始はやっぱり忙しかったです。という言い訳。


「『始まり』を始める為に」

 かしゃん、と乾いた音が響く。フェイトの手からバルディッシュがこぼれ落ちた音だった。

 

 綺麗な光沢に荘厳さを秘めていた金色のデバイスの表面には、痛々しいほどの亀裂が刻まれていた。これまでの戦闘やプレシアさんからの雷撃のダメージが積み重なり、先ほどの落下が決定打となったのだろう。

 

 フェイトは自身の手のひらからバルディッシュが落ちても、呆然としたままだった。

 

 バルディッシュの落下音を、局員さんの声が塗り潰す。

 

「次元震が発生! 同時に時の庭園中心部で高エネルギーの魔力波長を確認! 加速度的に増大していきます!」

 

「庭園内に反応多数! 総数四十、六十……くそっ、数え切れない! どんどん増えていってます! 出現した反応は魔力によって操られた傀儡兵のようです! いずれもAクラスの魔導師並みの魔力を有しています!」

 

「発振される魔力数値が既に閾値(いきち)を超えています! このままでは、いつ次元断層が起きるか分かりません!」

 

 プレシアさんとの通信が断絶した数十秒後に、巨大な次元航行船であるアースラの艦体がかすかに揺れた。

 

 同時に、ブリッジにいる通信や分析を担当している局員さんが、目の前に置かれている専用モニターを見ながら叫ぶように報告する。

 

「この反応は……魔導炉の異常運転、強制稼働? 暴走状態にして出力を力づくで上乗せしてるんだ……」

 

 指が霞むほどの速度で平面のキーボードを叩いていたエイミィが、危険なレベルにまで至った魔力波の原因を突き止める。

 

 昨日、アルフを挟んでプレシアさんになのはとフェイトの一騎打ちを提案した後、アルフから時の庭園の話を聞いた。それを思い出せば、今の事態も理解できないことはなかった。

 

 時の庭園は、まるで一つの小惑星のような規模の建造物であるにもかかわらず、単独での次元間航行が可能らしい。そんな無理を通せるのは、(ひとえ)に庭園のおよそ中心部を占めている大掛かりな魔導炉があってこそだ。

 

 そもそもプレシアさんは、魔導炉を設計・製作するという職に()いていた。会社で作っていたように、足を引っ張るような連中や小煩(こうるさ)い上司がいなければ、途轍もない品質の魔導炉を作り出していただろうことは想像に難くない。

 

 大規模かつ質の高い動力源を心臓部に備えているからこそ、城のような巨大な時の庭園は次元の海を渡ることができるのだ。

 

 そんな動力源を――大型の魔導炉を暴走させればどうなるかなど、その道に明るくない者でもすぐにわかる。周囲の魔力に変動を与えて不安定にさせ、時空の歪みを生み、次元震を誘発させ、果ては次元断層にまで悪化する。

 

 (ただ)ちに停止させなければ、被害は次元的に近距離にいる俺たちだけで済まない。ジュエルシードの発動に大型魔導炉のオーバーロードが重なればその被害規模、被害範囲は甚大になるだろう。その場合、周辺の世界がまるごと消え去る。俺やなのはが生まれ育った地球も、当然範囲に含まれる。

 

 そんなこと、させるわけにいかない。大事な人たちをこの星ごと、この世界ごと消し飛ばすなんてこと許せはしないし、プレシアさんたちにもそんな罪科(つみとが)を背負って欲しくない。

 

 まだ、間に合うのだ。まだなにも終わっていないのだから。まだなにも、始まってすらいないのだから。

 

 俺は拳を握り締め、しゃがみ込んで生気を失っているフェイトを見る。

 

 なのはとアルフに支えられてなんとか倒れない状態を保っている少女にとって、(くし)の歯を()くように艱難辛苦(かんなんしんく)が降りかかるだろうが、ここでへたり込んでいては現状はなにも好転しない。立ち上がって前を向き、真正面から向き合わねばいけないのだ。

 

 俺がフェイトに声をかけようとしたところで、クロノが緊迫した声音で全員に聞こえるよう指示を出す。

 

「ジュエルシードの複合発動も脅威だが、魔導炉の暴走も早く止めなければ手遅れになる。すぐに現場に向かうぞ」

 

「突入の際、傀儡兵の妨害が想定されます。注意してください。ルートはこちらがナビゲーションします」

 

「武装局員も出撃の準備を。協力して傀儡兵を退け、道を開いてください」

 

 クロノの言葉にエイミィとリンディさんが続く。

 

 にわかに慌ただしくなり、張り詰めた空気が漂い始めた艦橋の中で、一人の少女が話に割って入った。

 

「フェイトちゃんはどうするの?! このままにしておくの?!」

 

 フェイトの肩を抱いたままのなのはだ。悲しげに眉を曇らせて悲痛な叫びを放った。

 

 フェイトを心配するなのはの気持ちは痛いほどわかる。フェイトは母親から魔法で攻撃された上に鋭い言葉の刃で心を滅多刺しにされ、心神耗弱のような状態に陥っている。そんなフェイトを捨て置けないのだろう。

 

 心配するのは当たり前だし、他のみんなだって同情はしているだろう。先の映像とフェイトの出生の背景、プレシアさんから浴びせられた痛烈な罵倒を聞いて同情しない人間は人情に欠けるとすら言っていい。

 

 だが、しかし同時に、今の状勢が逼迫(ひっぱく)しているのもまた事実なのだ。少しの遅れが致命的なミスに繋がりかねない。それ程の事態にまで進行している。

 

 これらを理解しているから、周囲の局員さんたちもフェイトに関心を傾けるだけの余裕がない。非情ではあるが、今は被害者がフェイト一人でも、手を(こまね)いて対処が遅れれば被害者数は数億倍か、またはそれ以上に膨れ上がる。最悪を避けるための、現実的な考え方であった。

 

 言い辛そうにするクロノに代わって、俺がなのはに返答する。一歩前に出て(かが)み、視線をなのはに合わせた。

 

「フェイトは俺が部屋まで運んで寝かせておく。なのはは先に庭園内部に向かってくれ」

 

「な、なら! わたしも一緒に……」

 

「庭園内には傀儡兵とやらが蔓延(はびこ)ってるらしい。向こうではなのはの力が必要なんだ。なのはは、なのはにしかできないことをやってくれ。フェイトは俺が責任持って休ませておくから、安心して行ってくれ」

 

「徹お兄ちゃんの力も必要だよ……」

 

「俺はちょっと魔力使い過ぎちゃったからな、少しだけ休憩させてもらっとく。俺が現場に着いた時に邪魔されないように、傀儡の群れは片付けといてくれな」

 

「わかった……先に行って全部蹴散らして待ってるね」

 

「それは頼もしいな。そっちは任せたぞ」

 

 頭をひと撫でするとなのはは小さく頷いた。

 

 お姫様はすっくと立ち上がり、フェイトの身体を俺に預ける。離れる間際、一言二言なにかを茫然自失としたままのフェイトに話しかけ、クロノの元へと足を向けた。

 

 一度軽くこちらを振り返ったクロノには、なのはを頼んだぞ、と目配せを送っておく。クロノは力強い視線で持って無声の返事をした。

 

 こんなことしなくても責任感の強いクロノなら職責を果たそうとするだろうが、まあ形式的なものである。

 

 なのはの後を追うようにユーノが連れ立つが、俺の隣で足を止めた。

 

「兄さん、体調が(かんば)しくなければアースラに残っていてくださいね。僕たちだけでも頑張りますから!」

 

「寂しいこと言うなよ。俺じゃ戦力にならないってか?」

 

「ちっ、違います! 無理をしては怪我をしたりするかもしれないと思って……」

 

「わかってるって。意地悪して悪かったな」

 

「まったく、兄さんは……。あ、忘れてました。一つ注意があるんです。生きていたモニターで確認されたんですが、魔導炉が暴走したことで時の庭園周辺の力場が不安定になり、虚数空間が発生しているんです。庭園へと転移する時は気をつけてくださいね」

 

 俺が冗談で話を区切り、ユーノはなのはとクロノに追いつこうと身体を傾けたが、足を踏み出そうとした寸前で(きびす)を返してまたも俺に振り向いた。

 

 ユーノの注意とは『虚数空間』なるものについてだったのだが、聞き慣れないワードに疑問符が浮かぶ。俺たちの世界の数学的な虚数とは関係がないことはなんとなくわかるが、それ以外はさっぱりである。

 

 まるでどんなものか理解できていない俺の様子を感じ取ったのか、ユーノが続けて説明する。

 

「虚数空間とは、簡単に言ってしまえば魔法が使えない空間のことです。飛行魔法も発動しませんし、兄さんが空中戦の時に使用している障壁も展開できません。一度落ちてしまえば、そのまま時空の彼方を放浪することになります」

 

「そんなのがあんのかよ……怖いな。なんでそんな危険な空間ができ始めてんの?」

 

「虚数空間は次元震や次元断層によって引き起こされると言われています。魔導炉とジュエルシードの莫大な魔力で、次元に穴が開いてしまったものと思われます。とにかく落ちないように気を配ってください。助けに行くこともできませんから」

 

「そうか。了解。安全ロープでも持って行けば気休めにはなるかもな」

 

 俺の半分以上真面目な提案を聞き、ユーノは一瞬きょとんとして、次には堪えきれずといった風に噴き出した。

 

 安全第一の作戦を笑われてしまった。画期的な妙案を閃いたと思ったのだが。

 

「そ、その時は最初から腰とか身体に巻きつけといてくださいねっ、片っぽの縄を投げてもらえれば僕、一生懸命引っ張りますからっ」

 

「笑いながら言ってんじゃねぇよ。あれはな、高所作業者の命綱なんだぞ。大事なものなんだぞ」

 

 先に行って待ってますね、と口元を手で隠しながらなのはを追ったユーノだが、目元が笑っているままだったのを俺は見逃さなかった。魔法の利便性を過信せずに、既存の道具も利用するのが一番利口ではないだろうか。

 

 ユーノを見送り、なのはがいた位置に俺が入れ替わりフェイトの身体を支える。

 

 フェイトの身体に触れて、正直ぞっとした。反対側でアルフもフェイトの身体を抱いているといえど、それを踏まえてもフェイトの身体がとても軽く感じたのだ。水面に浮かぶ月のような儚げな印象はもともとあったが、今は存在感まで薄れてしまっている。煙みたいに空気に溶けて消えてしまうのでは、という危惧さえ覚えた。

 

 内心の動揺は呑み込みつつ、俺は同じくフェイトに寄り添うアルフへと水を向ける。

 

「……アルフ、フェイトのことは俺に任せてくれ。アルフにはなのはたちに同行してもらいたい。土地勘ってのもおかしい言い方だけど、中の仕様に精通しているアルフがいれば心強いんだ」

 

「そう……だね。わかったよ。あたしも、あたしにできることを精一杯がんばる。徹はフェイトの傍にいてあげてね」

 

「いつまでも隣にはいられないと思うけどな」

 

「……なんでさ、そこは約束してよ」

 

「こいつはいつまでも同じ場所でうずくまってはいないだろ。すぐに立ち上がって、俺を置き去りにして飛んでくさ」

 

 肩を(すく)めながら俺が言うと、アルフはくすくすと笑みをこぼした。

 

 目元に浮かんだ涙をぐしぐしと手の甲で拭ったアルフは、明朗な口調ながらもどこか水気を帯びながら俺に返す。拭ったはずの涙は、すぐ瞳に溜まって潤ませた。

 

「あははっ、そうだね。……そうだよ。フェイトはこんなところで立ち止まったりしないさ。そんなこと、一番近くにいたあたしが誰よりも知ってることだったのにね」

 

「そうだろうよ。今は少し疲れて羽を休めてんのか、それじゃなきゃ高く翔ぶ為に力を溜めてるかどっちかだ。だから、こっちのことは気にかけなくていい」

 

「うん、任せたよ」

 

 フェイトの肩から手を離し、正面に回ったアルフはフェイトの頬に手を添えて話しかける。アルフから言葉を受けても、フェイトの表情は変わらず、瞳は虚ろな闇を灯したままだった。

 

 そんなフェイトを、アルフは優しい微笑みを(たた)えながら数秒見つめ、自分の(ひたい)をフェイトのそれに触れさせる。体温を分け与えるかのように、気持ちを伝えるかのように身を寄せるその姿は、主従を超越した関係性を如実に表していた。

 

「行ってくるね」

 

 アルフは最後にフェイトへ一言呟き、転移門へと歩みを進めた。

 

 フェイトは、聞こえているのかいないのか判断つかない無表情のまま、微動だにしなかった。

 

 

 アルフを拘留していた部屋へとフェイトを抱き運び、ベッドの上へと横たわらせる。

 

 俺はベッドのすぐ隣に椅子を置き、そこに腰掛けた。

 

 布団から出ているフェイトの手を、両手で包み込むように握り締める。

 

 これで正しかった。そう思っていても後悔を止めることができない。

 

 プレシアさんから悪言(あくげん)悪口(あっこう)を放たれ続けるフェイトを庇うことはできた。だが、そこで一時庇ったところで事態が好転するとも、問題が解決するとも思えなかった。だから、フェイトの優しくも脆い心が傷つくことがわかっていても口を挟まなかった。

 

 結局はこれも、自分の都合でしかない。プレシアさんが抱いているフェイトへの感情を確認したかったがために見過ごしたのだから。

 

「フェイト……ごめんな、フェイト……」

 

 きゅっ、とフェイトの繊細な手を握る両手に力が入る。小さな少女の細い手は、ひどく冷たかった。

 

 必要、だったのだ。フェイトにはどうしても必要な過程で、乗り越えてもらわないといけない難関だった。プレシアさんと、母親と向き合うにはどうしても。

 

 両手の中で、ぴくりと小さく動いた。フェイトが力なく口を動かす。

 

「母さんにとって、私……いらない子、だったのかな……」

 

 声に抑揚はなく、張りもない。蚊の鳴くようなか細い声で、ただ読み上げるかのように発した。

 

 その単調な声音からどれほど心に傷を負っているかが悟れてしまって、胸が張り裂けそうになる。

 

 でもここで俺が慰めるわけにはいかない。人からの意見ではなく、自分の信念で奮い立たなければ意味がないのだ。

 

 俺は下唇を噛み締めて口を噤み、ただフェイトの手を握り続ける。一人じゃないんだと体温と共に伝え続ける。

 

 ぽそり、ぽそりとフェイトは独語する。口に出しているのか心で念じているのかさえ、フェイトにはわかっていないのかもしれない。

 

「母さんにとって、私は……代用品で、ただの身代わりのお人形で……偽物だったんだ。全部、これまでのこと全部……アリシアのためだったんだ」

 

 ベッドの上で、フェイトの視線はただ天井を差していた。なにか意図があるわけではない、注視するものがあるわけでもない。目線の先、正面を向いていただけだった。

 

 諦めてしまったような、投げ出してしまいたいというような諦観に満ちた表情と声が、途方もなく悲しかった。

 

 フェイトの手は依然として、冷たい。

 

「私……なんのためにジュエルシード集めてたんだろう。あの子ともいっぱいぶつかって、アルフもたくさん傷ついた。関係ない世界の人も危険に晒しちゃったし、いろんな人に迷惑をかけた。本当に私、なにしてるんだろう……。結局、ジュエルシードを全部集めてきなさい、ってお願いも叶えられなかったし、アリシアを助けることもできなかった。こんなことなら……」

 

 ――私なんて、生まれなかった方がよかった――

 

 フェイトが独白する。

 

 双眸から一筋、涙が流れた。

 

 声は揺れ、唇は小刻みに震え、手は凍えるように力なく俺の手を握り返す。

 

「…………っ!」

 

「とお、る……?」

 

 その光景を見て、俺は黙して座するままでいられなかった。

 

 フェイトの肩を掴み上半身を起こさせると、腕を回してきつく抱き締める。

 

 目頭が、じんと熱くなる。だがそれよりも心の奥がずっと熱くなっていた。

 

 手を出してはいけないと、そう思っていたのに込み上がってくる想いと衝動を抑えることができなかった。『生まれなかった方がよかった』なんて悲しいセリフを、意気(いき)阻喪(そそう)して涙を流しながら言う少女を放っておくなんてできなかった。

 

 強く、壊れるほど強く抱き締めながら、フェイトに語りかける。

 

「フェイト……フェイトはまだプレシアさんを、自分の親を信じているか? リニスさんを、自分の家族を信じているか?」

 

 俺には、自分がクローンで誰かの代替品であったと言われたフェイトの気持ちを、百パーセント理解することはできない。悲しい気持ちを共感はできても、辛い立場を同情はできても、実際にその境遇に置かれていない以上理解はできない。

 

 だから俺は、そちらに対して慰めはしない。千の言葉を駆使しても、万の言葉を操っても、フェイトの心の傷を治してやることはできないから。痛みを和らげることはできるだろうが、根本的な解決にはなりはしないのだ。

 

 だから今は、足を止めて崩折(くずお)れてしまいたくなるほど苦しくても、前に進めるように道を呈示して背中を押すことが俺の役目だと、そう思う。人生の岐路に立っていて、ここが運命の分水嶺だと教えてやることが、俺にできることなのではないかとそう思ったのだ。

 

 俺の問いかけに、フェイトは応える。

 

 細く艶やかで柔らかい髪が僅かに左右に振られた。

 

「わからない……もうわからないよ……。母さんとリニスがなにを考えているのか、もう……っ」

 

「そう、か……」

 

 『わからない』

 

 それがフェイトの解答だった。

 

 無理もないだろう。ジュエルシードを集めても厳しく叱責され、不手際があれば容赦なく雷撃を浴びせられ、極めつけは『代用品』や『もういらない』などという暴言だ。

 

 不信や反抗心を育むには過ぎるほどに充分。

 

 恨みや猜疑心が芽生えていないのが不思議なほどだ。

 

 そこがフェイトの優しさ、なのだろう。こうまでされてなお、絶対的に嫌うことができないという愚かなまでの優しさが、フェイトの数多くある美点の一つだ。

 

 信じきれない、でも断じて疑いきることもできない。その二つの(せめ)ぎ合いの結果がフェイトの言う『わからない』なのであれば、まだ、救いはある。

 

「……優しかった頃のプレシアさんを、フェイトは憶えているか? 俺が前にケーキを差し入れした時は、優しく接していてくれたんだろ? その時のプレシアさんを……いや、その時だけじゃなくてもいい。他の、ずっと前のことでもいい。穏やかに話すところを思い出せるか?」

 

「……うん、思い出せる。おかしくなっちゃったのはつい最近のことだから、それまでのことなんてすぐにはっきりと思い出せる……。徹からもらったケーキ、おいしかったよ。母さんも、リニスも、おいしいって言ってた。みんなで笑ってた……」

 

 まだ温かくて幸せで、光に溢れていた日々を想起したフェイトは、声に水気を含ませながら話してくれる。

 

 フェイトの右手が俺の背中に回る。きゅっ、と服をつかんで俺を引き寄せるフェイトの手は、寒さに耐えるように震えていた。痛みに耐えるように、震えていた。

 

 俺は左腕をフェイトの後頭部に持っていき、自分の胸元に抱き留める。そうでもしないとフェイトが壊れて崩れてしまうのではと思った。

 

「その時のプレシアさんの振る舞いが、リニスさんの表情が、明るく暖かい雰囲気が嘘だったってフェイトは思うか?」

 

 最低限の光しか灯っていない暗い部屋でも輝いて見える金の長髪が、俺の胸元でもう一度左右に振られる。

 

「絶対、嘘なんかじゃなかったよ……っ」

 

 触れただけでも割れてしまうガラス細工のような、細く透明感のある綺麗な声には、今度ばかりは力強さがあった。

 

 偽られたものではない、そんなものであるはずがない、と短い言句でフェイトは主張する。

 

「なら、確かめに行こう。こんなところで座り込んでないで、立ち尽くしてないで、直接会ってプレシアさんに本心を、真意を訊きに行こう」

 

「でも、できないよ……」

 

「どうして?」

 

「もう一度拒絶されたらって思うと……足が(すく)んで、動かない……」

 

「ここで逃げたら、一生訊けないままになる。なによりフェイトの隣にはアルフがいつもいるだろう。物理的な距離じゃない、精神的な距離でいつもすぐ近くに寄り添ってくれているだろう。一人じゃないんだ。力になってくれる」

 

「……庭園には迎撃用の傀儡兵が無数に出てきてる。母さんの元まで辿り着けないよ」

 

 フェイトの反論に、俺は一瞬言葉が詰まる。

 

 現在、時の庭園には六十体を超える無人迎撃機が出現している。それら一体一体はAクラスの魔導師並みの魔力を持っているとの報告もあった。魔導師ランクAクラスの強さがどれほどなのかは俺にはいまいち判然としないが、相当な強度を有していることは間違いないだろう。

 

 それらの敵の群れを薙ぎ払って突き進んでも、まだ他に投入していない兵力が残っているかもしれないし、全く別の罠も配置されているかもしれない。

 

 いくら執務官に任ぜされている実力者のクロノや、一点の攻撃力と突破力に優れているなのは、支援に長けたユーノや防御に近接格闘に拘束にとマルチな能力を持つアルフといえど難しいのでは、とリスクの計算に思考が回り、返答が鈍った。

 

 確然とした根拠なんてなくたっていい。今はフェイトが再び立ち上がるだけの力が欲しい。

 

 なにを言うべきか思案していると、ベッドの脇に置かれたサイドテーブルから眩い光が壁に向かって放出された。

 

「な、なに?」

 

「なにかの映像データか?」

 

 なにが光っているのかと目線を送れば、テーブルの上に乗せていたバルディッシュであった。(ひび)の入った身体で、時折明滅しながら壁に向かって光を放ち続ける。

 

 ベッドが置かれた壁とは反対側の壁に照射された映像は、庭園内部の状況を映したものだった。人の背よりも数メートル上から撮影されているらしく、周囲を見渡しやすかった。

 

 時の庭園のどこのエリアかは詳しくわからないが、見た限り横幅も広く高さもある廊下を進んでいての会敵だったようだ。

 

 モニターの奥に見える、辛うじて人型といえるような形状をした機械群が傀儡兵なのだろう。

 

 傀儡兵にも様々な種類があるようで、ところどころ形が異なっていた。一体は、人間で言うところの腕のような部位の先端から刃が伸びていたり、一体は下半身に当たる部分が巨大なミサイルのような形状をしていたり、と。それぞれが戦闘レンジや攻撃方法に応じた工夫がなされているのだろう。プレシアさんやリニスさんが、非合理的な迎撃システムの組み立てをするはずがない。

 

 行く手を塞ぐ壁のように、大量の傀儡兵が密集していた。

 

 フェイトの口から微かに吐息が漏れる。

 

 やっぱり突破なんてできない、そう言うような溜息だった。

 

 映像内で動きが現れる。先に動いたのは傀儡兵の群れであった。

 

 大きな波のように、幾筋もの輝線が局員さんたちへと撃ち放たれる。波に呑まれて陣形が砕けるかと思われたが、敵群から射出されたそれら(ことごと)くを、見覚えのある淡い緑色と橙色の障壁が受け止めた。

 

 行使者を見ずともわかる。ユーノとアルフの強固な防御魔法だ。

 

 いつもより大きく、後ろに控えている局員さんたちを守るためにワイドに構築された障壁だが、さすがに二枚の障壁では防げない穴ができる。その穴を埋めるように、幾つもの色とりどりの障壁が展開されていた。

 

 傀儡兵の大群から飛来した射撃魔法と思われる攻撃を防いだら攻勢が逆転した。

 

 魔力の壁に跳ね返された射出体が、跳弾したり爆ぜて魔力粒子に還ることで発生した煙の中から、三色の攻撃魔法が飛び出した。

 

 まず一番最初に噴煙を切り裂いて出てきたのは鮮やかな赤に輝く、途轍もなく数の多い弾丸。カウント不能なほど煙から吐き出された魔力弾は敵の目前で左右に分かれ、壁側前列にいた傀儡兵の装甲を容易く食い破り、貫通して後ろで団子状態になっている傀儡兵にも襲いかかる。あまりの射撃魔法の量により、赤い蛇とも見えた。

 

 次いで姿を見せたのは、周辺を桜色に染め上げるほど太い砲撃。廊下のど真ん中を焼き焦がして敵の群れへと吶喊(とっかん)する。先陣を走った淡い赤色の魔力弾が左右に分かれて飛翔したのは、敵に回避行動を取らせて幅が広い廊下の真ん中に集めるためだったようだ。立ちはだかるものはなんであろうと撃ち貫く、と自己主張しているように激しい光を散らす桜色の砲撃は、壁となっていた敵群に巨大な穴を開けた。

 

 遅い出番を(いきどお)るように、高速で螺旋の軌道を描く水色の射撃魔法が(まば)らに残る傀儡兵を噛み砕くように破壊していく。傀儡兵が躱す暇も、防御する隙も、迎撃する時間も与えずに不可解な動きの射撃魔法は次々に敵の身体を貫いては次の標的目指して飛ぶ。

 

 レイジさん、なのは、クロノの三者三様の攻撃魔法により、廊下の床に足をつけている傀儡兵は掃討された。

 

 しかし、射撃・砲撃魔法を跳躍又は飛行により回避した傀儡兵は相当数いる。廊下の天井が高いこともあり難を逃れることができたのだ。

 

 地上からの侵攻は諦め、上から攻めにかかった傀儡兵群だったが、局員さんたちに近かったものから続々と撃ち落とされていく。様々な色の射撃魔法が、傀儡兵が飛ぶ前に準備されていたようだ。

 

 指揮官(クロノ)は、ある程度躱されることも見抜いていたのだろう。

 

 第一射で床に足をつけた傀儡兵を粗方(あらかた)沈め、第二射で残存する傀儡兵を片付ける。役目を振り分け、防御に徹する人間と攻撃に徹する人間を分けたのが功を奏した。第二射の射撃魔法は、障壁の構築に回っていない局員さん総員のものだったのだ。

 

 一戦が幕を閉じ、廊下は爆煙と瓦礫、傀儡兵の亡骸で壮絶な有様となっている。傀儡兵のすべての個体が沈黙したのを確認すると、クロノを先頭とする一団は歩みを進めた。

 

 傀儡兵群は全滅、管理局側は無傷。いくら数で下回ろうと、平均的な魔導師ランクで劣ろうと、戦術次第で戦力差を乗り越えることができる。それを証明した一戦だった。

 

 壁に照射されていた光が徐々に弱まり、掠れ、そしてついには完全に消える。傷ついた身体で無理をして疲れたのか、バルディッシュは二度ぱぱっと点滅すると、再びサイドテーブルの上でいつもの沈黙を保つ。

 

 バルディッシュが自身の身に鞭を打ってまでこの映像を俺たちに、というよりもフェイトに見せた理由がようやくわかった。

 

「どうだ、フェイト。みんなが協力してくれる。手を貸してくれる。道を開いてくれるんだ。今も魔導炉は暴走を続けてる。すぐ動かないと間に合わなくなる。さあ、どうするフェイト。お前が決めるんだ。ここでうずくまって全てが終わるのを待つか、傷つくのを覚悟でプレシアさんの元へ向かうか。二つに一つだ。後悔しない方を選べ。どっちを選んでも、俺はフェイトの意思を尊重する」

 

 フェイトは俺の服に顔を(うず)める。しばしの静寂のあと、小さく己に言い聞かせるように何言か唱えた。

 

 俺の背中に回していた右腕を解いて正面に持ってくると、フェイトは俺の身体を微かに押した。

 

 ほんの少しだけ離れたフェイトは、顔を上げて俺を仰ぎ見る。その表情には不安の色こそ残っていたものの、決意を固めた瞳をしていた。これまでの昏迷(こんめい)に囚われた顔ではなくなっていた。

 

「まだ、私たちは終わってない。始まってすらない、んだよね……? ここから始まる……ここから始めなきゃいけないんだよね?」

 

 俺の目を真っ直ぐに見て戸惑いながら弱々しく、それでも中心に一本芯が入ったようにしっかりとした声音でフェイトが尋ねる。

 

 その文言は、ジュエルシードを賭けた一騎打ちをした時、なのはがフェイトに言ったセリフ。フェイトの中で、なのはの存在が大きなものになっていることを表していた。

 

 そんなフェイトを見て、そんな言葉を受けて、俺は今度こそ本当に感極まりそうになった。目頭に集まった熱が冷めるまで顔を天井に向ける。

 

 使い魔でありパートナーであり姉であり妹でもあるアルフや、一番近くでまさしく一緒に戦ってきたバルディッシュにしか示していなかった関心や信頼を、フェイトはなのはや俺たちにも傾けてくれた。散々な目に遭ってなお、プレシアさんやリニスさんに歩み寄ろうという姿勢を取った。

 

 健気で純粋な少女が懸命に、変わろうと、前に進もうとしているところを見て、思わず感動してしまった。

 

 お年寄りかよ、涙腺緩んでんじゃねぇよ。

 

「と、徹……? わ……私、間違って、た……?」

 

 落涙せぬように顔を上に向けたことで結果的に無反応になってしまった。そのせいでフェイトが不安な色をさらに濃くし、眉を曇らしていた。俺を押し退けていた右手はいつの間にか服の裾を摘んでいるし、繋がったまま離れようとしない左手には少し力が篭っている。

 

 心が弱り、弱気になっているフェイトが涙目で見上げてきているというシチュエーションは、俺のメンタル(主に理性)に多大なるダメージを与えた。

 

 動揺と跳ね上がった心音を悟られぬよう、一度深呼吸してからフェイトへと向き直る。ピュアな視線が痛かった。

 

「い、いや、うん。フェイトの言う通りだ。まだ始まってないし、終わってなんかもっとない。行こう、フェイト。『始まり』を始める為に」

 

「うんっ。早速動かないと、だね。えっと……だからね、徹。ベッドの上から降りてもらわないと、私動けないかなって」

 

「うおあっ! ご、ごめん!」

 

 ここまで完全に意識の外へ追いやられていたが、フェイトを抱きしめた時に俺はベッドに乗っかってしまっていたのだった。簡単に言えば、布団を被っているフェイトの足に(また)がるような構図で俺がいた。

 

 悪意と偏見のある者が見れば、幼い少女の寝込みを襲う卑劣な暴漢とも思われるやもしれない。誰も入ってくる前に気づいてよかった。

 

 しかし被害者に言われるまで気づかない俺も俺……いや被害者ってなんだ、俺はまだ何もしていな……まだってなんだ、これからいかがわしいことでもするような言い草じゃないか。ちょっと落ち着こう。冷静になろう。

 

 俺はいそいそとベッドから降りた。

 

「ううん、気にしないで。おかげで温まったから。…………心も」

 

「仄かに頬を染めながら言わないで。勘違いするし誤解されるから」

 

 くすくす、と笑みまで浮かべてフェイトはベッドを出て立ち上がる。迷いなく踏み出し、サイドテーブルに置かれているバルディッシュを手に取った。

 

「バルディッシュ……疲れてると思うけど、もう一度だけがんばってくれる?」

 

『no problem』

 

 三角形の待機状態だったバルディッシュは全身に光を纏い、その形状を変えた。

 

 亀裂は上から下まで、持ち手部分にまで走り、軋むような音を至る所からから発しながらも、フェイトの願いに寡黙な戦士は全力で応えた。

 

 フェイトは傷だらけのバルディッシュを愛おしげに眺め、両手で握る。目を瞑り、力を込めた。

 

 フェイトの身体が金色に輝き、光のカーテンはバルディッシュにも覆いかぶさる。

 

 光が収まった時には、フェイトの服は入院服のような質素なものから肌を晒しすぎなバリアジャケットに変わっていて、ぼろぼろだったバルディッシュはひび割れが修復された綺麗な姿に戻っていた。

 

 二人を包んだ金色の光はフェイトの魔力だったようだ。魔力をバルディッシュに通し、機体を修繕したのだろう。

 

 それを見て俺は、そんなことできるのかよ、と正直驚いていた。魔力が潤沢にある人はいいですね。

 

「徹。手、出して?」

 

 自分とちっちゃい子たちとのポテンシャルの差から俺が遠い目をしていると、着替え終わって準備万端のフェイトが左手を伸ばしてきた。

 

 こんな時に握手か? とも思ったが、手のひらを見せるように突き出してきているのでどうにも握手ではないようだ。

 

 差し出そうとした右手をどこにやればいいかわからず、しばし宙を泳ぐ。何をする気なのか見当はつかないが、手を出せと言われたのにノーリアクションというのはまずいと踏み、テンパりながらフェイトと同じように手を開いて突き出し、フェイトの指の間に俺の指を絡ませるようにして握った。自分でやっておいてなんだが、なにかおかしい感じはした。

 

「べ、べつに問題はないけど……なんで恋人繋ぎ……? 手を合わせるか、なんなら指を握るだけでもよかったんだけど……」

 

 目を丸くしていたフェイトが頬を紅潮させながら俯き、ぽそりと呟いた。

 

 俗に言うところの、恋人繋ぎ正面バージョンであった。

 

「ご、ごめん、そうだよな。なんか違うなぁ、とは薄々感じてたんだ」

 

 無駄に恥をかいた。

  

 再度指を開いて手を離し、仕切り直そうかとしたが、今度はフェイトの指が俺の手を絡め取った。

 

「じ、時間もないから……これでいいよ。うん、これがいい。これじゃなきゃ、だめ」

 

「いや、さっき手を合わせるだけでもいいって……」

 

「今から一緒に庭園に転移するんだよ? 手を合わせるだけだったら繋がりが浅すぎて、一緒に向こうまで転移できないと思う。時空の狭間に取り残されちゃうよ? それでもいいの? だめだよね? このままでいこう、ね?」

 

 常にはない、人を圧倒させるような気迫がフェイトの語調にはあった。

 

「あ、はい」

 

 小市民たる俺にはYes以外の解答は用意されていないようである。

 

 フェイトは赤らめた表情のまま、バルディッシュに魔力を通して術式を構築する。

 

 フェイトの足元を中心として魔法陣が描かれた。魔法陣は直径二メートルから三メートルほど。フェイトと手が触れるほどの距離にいる俺は、無論魔法陣の上に立つ格好となっている。

 

「……時の庭園へ」

 

 フェイトが一言呟くと魔法陣は光り輝き、俺とフェイトを呑み込んだ。

 

 明確に言い表せない感覚が押し寄せる。強いて言えば浮遊感に似たようなものだろうか。重力を消し去って上へと引っ張り上げられるような感じ。

 

 専用の機械を介さない転移というのは初めての経験なので、後学のためにフェイトが発動した魔法に魔力を通して内部プログラムを覗き見る。身体が転送されるまでなので短時間しか猶予はない。手っ取り早く知的好奇心を満たすとしよう。

 

 転移する座標は魔法の行使者、つまりフェイトが指定しなくてはならないようだ。転送される人や物は、魔法陣の空間内に限定されている。

 

 この魔法を個人で使えるなんて通学する際には便利そうだな、などと低俗な考えが過ったが、利便性に比例して消費魔力も相当に多いらしい。

 

 足から床に接地していた感触が消失し、いざ転移という段階に至って俺はふと思った。

 

 これ、手を握る必要あったのかな、と。

 




最近本当に寒い。こたつから出られません。皆さんも体調にはお気をつけください。特に、こたつで寝たりなどしないように。

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