今回は少しだけ長いです。そして後半はとても暗いです。
頭を下にして落ち続けていたのだから、てっきり脳天をかち割るような痛みは頭部をメインとして身体の上半身部を占めると思っていたが、予想外なことに、衝撃は頭にではなく背中にきた。
「もう……無茶しないでっていつも言ってるのに! 徹お兄ちゃんはっ!」
『死地に率先して身を投げ入れるその考え方を、改める気はないのでしょうか。もはや心配するこちらが馬鹿馬鹿しくなる程です』
「うぉ……な、なのは?」
『……私もいますよ』
「……と、レイハ」
海面ぎりぎりで俺とフェイトの身体を拾ってくれたのは、バリアジャケットの露出度アップを果たしたなのはと、砲身から少しだけ白い煙を昇らせているレイハだった。なのはの服装はフェイトからの射撃魔法を被弾したことによるもので、レイハはおそらく大技を使ったことによる放熱だろう。
しかし、どうせ拾い上げるのならもう少し早めにお願いしたかったところである。どれほどぎりぎりだったかというと、俺の足首から下が海面に入って波を立たせているくらいにぎりぎりのぎりだった。土俵際の瀬戸際である。とても注文をつけられる立場ではないのだけれども。
「助かった、ありがとう。背中超痛いけど」
「なに? 不満なの? フェイトちゃんはこっちで預かって徹お兄ちゃんだけ落っことしたほうがいい?」
『少し頭を冷やさせましょうか、海水で。この時期の海は大変冷たいですよ、つい先程私とマスターは全身浸かったところなのでよく知っています』
「ごめんなさい、落とさないで。そもそも俺泳げない」
「わかったのならじっとしててほしいの。二人分抱きかかえるのはけっこうしんどいんだよ?」
「その割には簡単そうに持ち上げてるけどな」
俺の正面に、というよりも腕の中にフェイトがいて、俺の背中側からなのはが小さく細い腕を精一杯に伸ばして抱えて飛んでいる状態だ。
男子高校生の平均よりも
悪いなぁとは思いつつ、なんでなのはにそんなことができるんだろうとクエスチョンマークを脳内に浮かばせていると、レイハが赤く丸いその身を一つ瞬かせて答えてくれた。
『マスターの身体能力は魔力循環を多めにすることで底上げされていますからね。これも魔力が豊富にあるマスターなればこそです』
「レイジングハート、なんで教えちゃうの?……せっかく……借……作……」
『えぇっ!? だだ、ダメだったんですかマスター?! すいません!』
「ほんとレイハは俺の時となのはの時で態度も人格も変わるよな」
腕を回しているなのはの力が少し強くなる。同時に、首の後ろにこそばゆい感覚。
なのはが俺とフェイトを抱いて安全に飛ぶために力を込めてくれているようだ。背中にぴったりとなのはの身体が密着している。背中から伝わる温もりには頼もしさと心強さがあった。
しかし、身体の前面にはフェイトがいて、背後にはなのはがいるというこの状況は、見る人が見れば誤解されてしまいそうだ。これでは、ロリコンの
「そういえば、新技凄かったな。正直驚いた。頑張ったんだな、なのは」
「わ、わたしも成長してるってとこ見せなきゃ、だからね。威力の微調整ができなくてフェイトちゃんにはやり過ぎちゃったかもしれないけど」
『あの技を作った第一要因は徹でしたからね。ただひたすらに長所を伸ばしたらあんなことに』
「おい、俺相手なら別にいいみたいな言い方してんなよ」
あんな魔法を叩きつけられたら一般人あがりにはたまったものではない。是非ともやめて頂こう。
俺の物言いに、レイハが即座に返事を寄越す。
『何を言ってるんですか。どうせ直接対戦したらなんだかんだ策を巡らせて防ぐか躱すかするのでしょう』
「そうだよね、きっと徹お兄ちゃんなら……
「無茶苦茶なこと言ってくれる。あの威力を防ぐ手なんて俺にはないし、あの規模の砲撃になったら回避し切るなんてできねぇよ。撃たせる前に対処する他ないんじゃないか?」
「徹お兄ちゃんは接近する時の速度がすご……
『近づいてきたら研鑽を積んだホーミングバレットで沈めて差し上げます。マスターと二人で研究したのですよ?』
「そうなんだよ、空いてる時間にいっぱ……
「俺の空中移動術を忘れたのか? さほど早くない射撃魔法を躱すことに関しては、撃たれまくったおかげで悲しいことに得意になったんだぜ?」
「……徹お兄ち……
『それすらも考慮に入れて研究をしたのですよ。次、手合わせする機会があれば精々気をつけることですね』
「……徹おに……
「それまでに俺も新技作って、逆に驚かせてやるよ」
「……とお……
『もうそろそろさすがの徹でもポテンシャルの限界でしょう。無理に格好つけなくていいですよ』
「…………」
「『さすが』だなんて……い、いきなり誉めんなよ。照れるだろ」
「………………」
『そこだけ聞き取るんですか……。都合の良い耳をしていますね』
「……………………」
なのはの
べ、ベアハッグなんて、どこで習ったのだ。
「ぃぎっ……いづづづ! な、なのは! 肋骨折れるって! 五臓六腑が口から出るって!」
『いっ! ……ま、マスター……少し、ほんの少しだけ握る力が強すぎはしませんか……? そ、それに送られてくる魔力が強すぎますっ。飛行魔法にこの魔力は過剰ですっ!』
「……べつに? すねたりしてないもん。今回も助けたのわたしなのに、なんでまたのけ者にされてるのかなぁ……なんて思ってないもん」
どうやら、レイハとのお喋りに熱中し過ぎてなのはを蔑ろにしてしまっていたようだ。なのはさん、相当お
打てば響くようなレイハの返答が楽しすぎるのが原因だな。要約すればレイハが悪い。
レイハと二人でへそを曲げてしまったお姫様を慰めつつ、俺は念話を送る。宛先は、アースラにいるはずのクロノ。
『クロノ、魔力の反応は追えたか?』
『事前に、きっと攻撃が来るだろう、と徹が言ってくれていたからな。準備は万全だったんだ、問題なく捕捉した。今は確認できた座標への出撃準備を整えているところだ』
急遽取りつけた一騎打ちは、どうやら想定していた最大の戦果を
しかし慢心は禁物だ。ここはまだ序の口、本番はここからである。
みしみしと俺の肋骨を締め上げていたなのはの腕が緩んでいくのを知覚しながら、クロノへ念話を返す。ああ、ようやく肺いっぱいに空気が吸えるようになった。
『あんまり人を送りすぎるなよ。言っちゃ悪いが、どうせ返り討ちになるだけだ』
『誰が行っても……きっと僕が行っても結果としてはそうなるだろう。対抗できるのは母さ……こほん、艦長しかいない』
俺の包み隠さない本音に、クロノは乾いた笑いを零しながらリンディさんの名を挙げる。
クロノなら冷静な戦力分析ができると思っていた。次元跳躍なんて魔法を使える尋常から遠く離れた魔導師と、互角に渡り合える人材なんてそうはいない。
それよりもリンディさんであればプレシアさんに太刀打ちできるというクロノの品評に、分かっていたつもりではいたが、そこはかとない驚きを持つ。
普段はふわふわぽわぽわしていて、母性本能が服を着て歩いているような女性であるが、艦長としてだけではなく、やはり戦闘にも精通している実力者のようだ。
『ま、再確認する必要もなかったか。脅威は目で見たわけだし』
『罪を認めて自首してくれたら一番ありがたいのだが』
『そんな薄っぺらい希望は抱かないほうがいいぞ。すぐに打ち砕かれるから』
『……わかっている。言ってみただけだ。それよりも、年下の女の子たちといちゃいちゃしてないで早く戻ってこい。みんながモニターに映るお前を白い目で見ている。ところで、女性クルーの何人かは僕に『残念だったね』みたいな、哀れみにも似た目を向けてくるのだが、なにか心当たりはないか?』
『知らん、帰投する』
要件を済ませたクロノとの念話を、俺はぶつりと手荒に切った。
☆
「クロノ、待たせたな。現在の状況は?」
「十人ほどの隊員を捕捉した座標……時の庭園だったか? そこへと出動させた。ところで、怪我は大丈夫なのか?」
「ああ。治療してもらったし、受けた攻撃も浅かったからな。もう痺れも残っていない」
クロノとエイミィには、プレシアさんの次元跳躍攻撃が放たれた直後にサーチを掛け、どこから飛ばされてきたものかを探知する、という役を頼んでおいた。プレシアさんが撃ってくるだろうとは読めていたので、スムーズに事は運んだようだ。
秀才揃いの局員さんたちのおかげで、プレシアさんがいる空間の特定に成功した。
そこからクロノは、判明した座標へと速やかに武装した局員さんたちを転送させたようである。
クロノは目線を俺から外し、俺の背後にいるフェイトを見る。
「……そっちの子、フェイトはもう大丈夫……なのか?」
「身体に受けた傷は、な。精神的なものは、俺たちにはなんともしがたい」
なのはとフェイトの一騎打ちが終幕してから、既に三十分程が経過している。
アースラへと帰艦後、なのはとフェイト、ついでに俺も、医務室へ半ば強引に運ばれた。
一通りの治療を受けると、あられもない格好になっていたフェイトは入院患者が着るような、白を基調とした質素な服装に着替えさせられた。フェイトを抱っこしてアースラに戻ってきた俺が言うのもなんだが、とても男の前に出られるような有様ではなかったのだ。
意識があるのかないのか定かではないフェイトの両手首には、無骨な金属製の輪っかがはめられている。今のフェイトからは戦意など微塵も感じ取れないが、敵対している組織の一員ということもあるので、こればかりは仕方なかった。
手錠で身動きを封じられているフェイトの右手には、三角形の金色の宝石、
規則を準拠に判断すると、敵員が艦内にいるのにデバイスを持たせたままにするのは問題なのだが、預かるだけだから、といくら諭してもフェイトは一向に離そうとはしてくれなかった。そんな押し問答を繰り返していては時間が勿体ないので、特別に許可を貰うことで対処した。
自分の武器を取り上げられたくない、なんて理由であればこちらも強く出ることができたのだが、まるで家族と離れるのが嫌だ、という様な切羽詰まった様子でバルディッシュを握り締めるフェイトを見てしまっては、強引に徴収することは躊躇われた。俺を含めて、その場にいた全員の良心が甚だしく痛んだのだ。どうせフェイトが掛けられている手錠には魔法の発動を阻害する効果があるのだから、という言い分でリンディさんを押し切って納得してもらうことに成功した。
リンディさんも、その場にいた他の女性局員さんも心情はフェイトに傾いていたのだろう。フェイトにはなにか、守ってあげたくなるような、
医務室を出た後は、俺、ユーノ、なのはに加えてフェイト、フェイトの使い魔であるアルフの五人で艦橋まで足を運んで今に至る。
「フェイトちゃん……」
ちらりと振り向く。俺の斜め後ろ、フェイトの横で心配そうに見つめるなのはが呟く。
なのはの反対側には、アルフが無言でフェイトに寄り添っていた。
隊員さんたちの動向を追随していたモニターの映像に進展が現れる。時の庭園の廊下を進んでいた隊員さんたちが、ある部屋へと押し入った。
広々とした室内だが、受ける印象はとても冷たい。
大理石のような石材が敷かれた床。木材なのか石材なのか、はたまた金属製なのか、見たことのない材質の壁。壁と一体化するように、等間隔で柱が並んでいる。全てを通して色合いは寒色でコーディネートされていた。
隊員さんたち全員が入ってもまだ余裕があり、狭さを感じさせないその部屋には、家具の類が一つを除いて一切存在していない。
なにも置かれていない
リニスさんが隣に侍っているということは、もはや考えるまでもなく、椅子に腰掛けているのはプレシアさんなのだろう。
資料で拝見したプレシアさんと今の彼女とは、外見からかなり変わっていた。
紫がかった黒色の長い髪は左目を隠すようにかかっている。瞳はまるで
なによりインパクトがあるのは彼女の服装である。胸の中間あたりからぱっくりと開いており、素肌が外気に触れている。豊かな胸の上は金の留め具でマントを羽織っており、胸のすぐ下で、バックルが銀色の輪になっているベルトのようなもので押さえられているおかげで、双丘と二つの丘を隔てる谷間が強調されている。ベルトでみぞおち付近は閉じられているが、そこからまたも服が左右に分かれているのでウエストが、特におへそが丸見えだ。
下はロングスカートになっているようだが、スカートの横側が開いていて露出度がとても高い。しかもチャイナドレスのスリットのような下から開いているものではなく、腰の付け根部分からふとももの真ん中ほどまで晒していた。スカート脇のスリットから微かに覗く、光沢感のある黒のサイハイソックスが一味違う魅力を上乗せしている。
フェイトもリニスさんもアルフも、プレシアさんの服装を見ているからあんなに肌をさらしているのだろうか。今気にすべき点はそこではないが。
管理局の人間が突入してきたにもかかわらず、プレシアさんはそれらを歯牙にもかけず肘掛けに肘をついて体重を預け、
『不遜』
まさしく、プレシアさんの姿態はその一言に尽きた。
リニスさんもリニスさんで突然の来訪者を気を取られることもなく、瞑目して直立不動の姿勢を保っていた。
『プレシア・テスタロッサさんとその使い魔、リニスさんですね? 貴方達には時空管理法違反、及び、管理局艦船への攻撃容疑がかけられております。武装を解除したのち、御同行願います』
赤髪の隊員さんが一歩分前に出て、彼女たちへと話しかける。
良い声な上に聞き取りやすく丁寧な口調だな、と思っていたら、声をかけた隊員さんはレイジさんだった。
隊を率いているところを見るに、レイジさんはなかなか高い職位についているらしい。
『…………』
『…………』
レイジさんの勧告にも、彼女たちは反応を示さない。まるで聞こえていないかのような無反応だった。
それでもレイジさんは数秒、二人が自主的に投降してくれないものかと待っていたが、諦めたかのようにため息をついてもう一歩前に出る。今度は杖を構えて、だった。
プレシアさんに再度話しかける前に、レイジさんは近くにいた他の隊員さん――おそらく副隊長さんか何かなのだろう――に声をかけた。
いくつかの指示を受けた副隊長さんは首肯すると、後ろに隊員四人を連れてプレシアさんたちの横を素通りし、部屋のさらに奥へと進んだ。モニターでは見え辛かったが、部屋の奥にもう一つ違う部屋があるようだ。
空間に浮かび上がっているモニターが一つ増えた。レイジさんをメインに映していたモニターとは別の場所を捉えていて、現在も移動している。どうやら副隊長さんを追う映像のようだ。
『このまま動かないとなりますと、実力行使にて引致せざるを得なくなってしまいます。その前にもう一度通告致します。武装を解除し、出頭してください』
最初から浮遊しているモニターに映っているレイジさんが、再びプレシアさんに告げる。
先と違い、今度は声に威圧的な音を聞き取ることができたが、表情は強張っていた。
優しく真面目で仕事は丁寧。ついでに顔も整っているという正義の味方の
しかし、レイジさんの表情が険しくなっているのはきっと、それだけが理由じゃない。力量の差がどれだけ違うかを理解しているから、魔導師としての格の違いを肌で感じているから、緊張から表情も声も固くなっているのだ。
ここでようやく、プレシアさんが動きを見せた。しかしそれは、レイジさんの最後通告を受諾したわけではない。どころかプレシアさんはレイジさんへは目もくれず、脇をすり抜け部屋の最奥へ進んだ副隊長さん率いる一隊に注意を傾けた。
些かの興味も抱けないというふうに無表情だった彼女の顔が、
『リニス、こっちは任せるわ』
『わかりました』
リニスさんと短く会話を交わしたプレシアさんは、席を立ち、部屋の奥へと消えた副隊長さんたちを追う。
『動かないでください! これ以上は敵対行動と
『申し訳ないですが、あなたたちにはここで退場してもらいます。お疲れ様でした』
席を離れて奥へと歩むプレシアさんを止めようと、レイジさんは一歩足を踏み込んだが、行く手を遮るようにリニスさんが立ち塞がった。
リニスさんはどこからか取り出したステッキの先端を、レイジさんを筆頭にして背後で杖を構えている隊員四名に突き出す。
そのリニスさんのモーションに、俺は見覚えがあった。
朧気な記憶を手繰る。
以前、俺からエリーを奪おうとして倉庫で戦闘になったあの日の終盤。モニターの中と同じように、黒い杖の上端、金色の台座の上に鎮座している同じく金に輝くの球体を、リニスさんは膝をついた俺に向け、そして『放った』のだ。
「クロノ、砲撃がくる。隊員さんたちを離脱させろ」
「しかし、彼女たちの身柄拘束はまだ……」
「プレシアさんたちが無抵抗に投降しないと決まった時点で、身柄の拘束なんてできるわけないだろ。無闇に怪我人を増やすことはない。撤退させてくれ。彼らは現場の情報を俺たちに伝えてくれた。その働きだけで充分だ」
「……わかった。艦長、よろしいでしょうか?」
「ええ、私も異論はないわ。戦力と態勢を整えて、もう一度出てもらいます。その時はクロノ執務官、あなたも一緒に出撃してください」
「わかりました」
上官であるリンディさんの許可を求めた後、クロノは現場のレイジさんへと指示を送る。
だが、艦橋でやり取りをしている間にリニスさんの魔法が発動してしまった。
俺と戦っていた時と同じ砲撃魔法が放たれたのだ。
威力だけを比較すれば、なのはの砲撃に軍配が上がるだろう。しかし、総合的な見地で考えた場合、リニスさんの砲撃がなのはの砲撃に劣っているとは言い難い。
なのはの砲撃の魅力が障壁越しにでも相手にダメージを与えられる点だとすれば、リニスさんの砲撃の真骨頂は発動までの速度と隙の少なさである。しかも極限まで磨かれたその技術は、相手を沈めるだけの最低限の威力を見抜き、魔力を浪費しないよう工夫されている。無駄を限界まで削り取った、継戦能力と機能性、実用性を追求した術式なのだ。
『総員、一度アースラまで撤退します! 私が時間を稼ぐので準備を!』
がきぃっ、と甲高い金属音が響き、火花が散る。
リニスさんの砲撃は、確かに発動し、確かに撃ち放たれた。にもかかわらず、局員の人たちには擦り傷もない。
レイジさんが驚くべき速さでリニスさんに肉薄し、自身が携える杖型デバイスを振るってリニスさんの杖を打ち据え、矛先を逸らしたのだ。
一連の流麗なレイジさんの動作に、思わず口からため息と
「は、速っ……」
「それはそうだろう。優秀でないのに隊を任されているわけがない」
「いや、それにしたって、準備動作なしに急速接近して杖を振るうなんて……」
「レイジ・ウィルキンソンは、飛行魔法と射撃魔法の同時展開数だけなら僕を上回っているからな。加えて他の隊員からの信頼も厚く、指揮能力も申し分ない。難を言えば、物腰が穏やかすぎることくらいか」
クロノが苦笑いを浮かべながら、レイジさんの人となりをさらりと評する。
一度手合わせして知っていたつもりだったが、それはあくまで『つもり』に過ぎなかったようだ。
「飛行魔法? 今の動きとなんの関係が……」
模擬戦でもクラスター爆弾顔負けの密度を誇る射撃魔法は目にしていたが、クロノが言うような飛行魔法の妙技は見られなかった。
クロノの言葉を疑問に思ってモニターを注視すると、違和感を発見した。身体がほんのわずかではあるが上下に揺れ動いている。レイジさんの足元を確認すれば、床と接地していなかった。
「浮いている……飛行魔法を使っているのか? どんな制御能力をしているんだ……」
「飛行魔法の細やかなコントロール、初速から最高速までに至る早さ、空間把握能力、どれを取っても一級だ。これで決定打になる攻撃手段の一つでもあれば言うことなしなんだが」
「射撃魔法はすごいだろ。主力になるんじゃないのか?」
「展開数だけは目を見張るものがあるが、いかんせん重さに欠ける」
たしかにレイジさんの射撃魔法は、俺のへっぽこ障壁でも防げる程度の威力でしかなかった。目眩ましや弾幕などの牽制にはなるだろうが、火力が物足りなく、射撃魔法では主力にならないというのは事実のようだ。
模擬戦で俺と戦い、早々に勝ちを譲ったのはそういうところに理由があるのかもしれない。
モニターへと意識を戻す。
レイジさんは類稀な飛行センスによって付かず離れず巧みに相互間の距離を取り、リニスさんの攻撃を回避し続ける。
無茶な機動で
額に汗を浮かべるレイジさんが、リニスさんへと声をかける。
『お強いですね、感服致しました。今はここで退きますが、またすぐにお会いすることとなります。それでは失礼します』
『次は手加減しませんから、そのつもりで。なかなかに楽しめましたよ』
息一つ荒げることなく、服に乱れすらないリニスさんは、手にしている黒と金の杖をくるくると手慰みに回しながら、余裕綽々と言い放った。
「徹。プレシア・テスタロッサの使い魔というあの女は、本気で戦っていたと思うか?」
「手を抜いていたわけではないと思うけど、全力ではないだろうな。リニスさんが使った魔法は射撃と砲撃の二つだけ。しかも射撃は単発ずつだったし、砲撃の発射速度もゆっくりだった。流していた、と見るのが現実的だろ」
リニスさんの真価は、蜘蛛の巣のように張り巡らされた魔法の連係性にある。一つ一つの魔法が独立しているのではなく、一つの魔法がその後に発動する魔法を引き立たせるようなコンビネーションの関係にあるのだ。
誘導弾で相手が回避する場所を絞り込み、逃げた地点に設置型の拘束魔法を仕掛けておく、などといった罠や策が、恐ろしいことにリニスさんとの戦闘では目白押しとなる。つい先ほどモニターの中で行われた戦いではそれが見られなかったので、お世辞にも全力で戦っていたとは言えようはずがなかった。
そもそもレイジさんを長とした一隊に杖を向けた一番最初からしておかしかったのだ。リニスさんの砲撃はチャージの時間が過言でなく瞬く間で終わり、ぱっと見ではチャージなしにも思えるような、杖を向けられた時にはすでに砲撃の発射が終わっているような代物なのだ。杖の照準を合わせてから発射されるまでに間があったことからも、リニスさんが有りっ丈の力を尽くした、ということはないだろう。
ともあれ、レイジさんの分隊――レイジさんと一般隊員さん四名――は魔力こそ消費したものの、手傷を負うことなく時の庭園から離脱できたのだから良しとしよう。
そういえば途中で分かれたもう半分の人たちはどうなっているのだろうと、レイジさんを映していたモニターの隣に生み出された二つ目のモニターを見やれば、ちょうど薄暗い廊下を渡り切って奥の部屋の扉の取っ手に手を掛けたところだった。
副隊長さんが軋み音を伴わせながら、重厚感とシックな
「ぇ……。フェイト……ちゃん……?」
モニターを見上げていたなのはが、呆然と呟いた。他のみんなも、口に出しはしなかったものの、驚きを隠せないようで息を呑んでいる。彼女たちの事情を少なからず把握している俺ですら、言葉を失った。
横幅こそ狭いが奥行きのある、鰻の寝床のような部屋。部屋の入り口から奥までずっと、部屋の左右に立ち並ぶ、子どもであれば入れそうな大きさの円柱型のガラス菅と、部屋の中央に据えられている一つの巨大な透明のカプセル。
液体で満たされたそのカプセルに、
年齢はだいたい五〜六歳前後といったところ。フェイトよりも小柄で、少なくとも二つ三つは年下に見えるその少女は、膝を抱くようにして丸まっている。長い金色の髪はカプセルの中でふわふわと揺らめいていた。
カプセルの中にいる少女の外見は、なのはが呟いた通りフェイトに瓜二つ、そっくりだった。
「アリ、シア……? でも、なぜ……たしか被害者は……」
言葉を口の中だけで抑えるのが精一杯だった。
アースラの情報集積室で調査をして、ハッキングまで行使して機密資料にも目を通したのだから、フェイトにそっくりな(本来的にはフェイトがアリシアに似ているのだが)アリシアの顔も知っている。
しかし、俺が戸惑っている、あるいは動転している理由となっている事柄はそこではない。なぜアリシアの身体に傷一つなく、この場に存在しているのか。それこそが
整理のつかない俺を置いてけぼりに、モニターの映像は進んでいく。
扉を開いてから、室内の雰囲気に呑まれていた副隊長さんはようやく止めていた足を動かして踏み入れようとした。踏み入れようとした、という表現は、アリシアが眠る部屋に踏み込もうとした副隊長さんを含めた計五名が、紫色の光によって薙ぎ払われたことで、実際に室内に入ることができなかったためだ。
『アリシアに、近寄らないでもらえるかしら』
まるで箒で塵や埃を掃くかのように管理局の武装局員さんたちを払い除けたプレシアさんは、悪びれる様子もなく冷たい瞳で倒れ伏す彼らを見下ろす。
意識を失った彼らから関心が失せたのか、プレシアさんは局員さんたちから視線を外して部屋へと入り、アリシアが入っているカプセルへと近づく。アリシアへと手を伸ばすようにカプセルに手を添わせ、寄り添うように頬をつける。
『もう……終わりにしましょう』
プレシアさんが、誰にともなく囁いた。ぽつねんと残った副隊長さんを追っていた浮遊カメラが、プレシアさんの声を拾い、映像をアースラへと送り続ける。
『今あるジュエルシードのエネルギーだけで辿り着けるかは分からないけれど、もう限界よ。この子の代替品を娘扱いするのは、もう……限界』
浮遊カメラに背を向けながら、プレシアさんは先ほどより声を張って、語り始める。
独り言のようなボリュームではない。映像機器の存在を認めている上であえて、自分の考えを俺たちに向けて放っている。
凍えるほどに感情のない、一本調子な喋り方。
誰も声を出せず、黙って聞き入ることしかできなかった。
『アリシアの記憶を写してあげたのに、まったくアリシアとは似ていない。似ているのは外見だけ。ジュエルシードを集めてきなさいという単純なお願いさえ、まともにこなせない役立たずの模造品。人形なら人形らしく、操手の指示通り動けばいいのにそんなことも満足に果たせない。まるで出来損ないの
背を向け、両手はアリシアのカプセルにぴたりと密着されたまま、プレシアさんはフェイトを突き放すように辛辣な言葉を浴びせかける。
急展開についていけていないなのはやユーノたちに、エイミィとクロノが説明してくれた。プレシアさんの事情、魔導炉暴走事故の経緯、元の個体と寸分違わぬ素体を作り出す技術、肉体と同時に記憶までをも写し取り焼きつける記憶転写型クローン技術、使い魔を超えた人造生命体の生成、その研究を行っていた、プロジェクト『
『あなたの姉を助ける為なのよ、と言っているのに、ジュエルシードの回収よりも自分の都合を優先して、敵である組織の人間に筋を通そうとする。本当に愚かだわ』
声音はひどく冷たく、相変わらずそこに抑揚はない。
左手はアリシアに寄り添わせたまま、かすかに振り返って右目だけ浮遊カメラへと向ける。細く鋭い槍で貫かれるような迫力があった。
カプセルから離れた右手は、強く握り込まれる。
プレシアさんは、語り始めと変わらぬゆっくりとしたテンポで途切れることなく、考える間も与えようとせずに続ける。
『あなたと違って、アリシアはとても良い子だった。私の言うことはよく聞いていたし、時々言う我儘も可愛いものだったわ。あなたは、アリシアとは全然違う。結局は作り物、所詮は偽物だったということよ』
目を見開いて震えながら、フェイトは母親から投げつけられる言葉の刃を受け止める。
そんなフェイトの手を、なのはは隣でぎゅっと握り、アルフは肩に手を置いて安心させようとしていた。二人とも、寒そうに震えているフェイトの力になろうとしていた。
しかし、プレシアさんは尚も続ける。黒に近い紫色の長い髪とマントを見せつけるようにしながら、鋭利な
『……フェイト、あなたはもう……ぃ、いらないわ。どこへでも行けばいい……』
注意を引きつけるように数拍の間を置いてからまた紡ぐ。
低く抑えつけられていた声が、かすかに揺れた気がした。
腕を振りながら浮遊カメラへと振り向き、プレシアさん目を
『いいことを教えてあげるわ……っ、失敗作っ。私はね、あなたを作った時から! 今日ここに至るまで! 一瞬たりともあなたをっ……娘だと思ったことはなかったわ!』
突如豹変したように声色が変化する。感情の
フェイトの喉から、掠れた声が空気と一緒にこぼれる。言葉になっていない。言語にすらできていなかった。母親から黒い感情をぶつけられたフェイトはもう、限界に近かった。
肩を上下させて息を荒げるプレシアさんは、叫び出した時と同じように唐突に沈黙し、顔を伏せる。右手を開いて浮遊カメラに伸ばした。
プレシアさんの右手に紫色の光が集まる。
『フェイト、あなたなんか……大嫌い……だったわ』
アースラの艦橋のモニターは、プレシアさんの底冷えするような一言と、彼女の紫色の魔力光を最後にぶつりと途絶えた。プレシアさんが射撃魔法か何かで浮遊カメラを射抜いたのだろう。
「フェイトちゃん!」
「フェイト!」
俺の背後で、人が倒れるような音と共になのはとアルフの声がした。
振り向けば、フェイトが生気の失われた瞳で崩れ落ちていた。信頼し信愛していた母親からの
くしくもその姿は、プレシアさんが言っていたように、まるで糸の切れた操り人形のようだった。
前半と後半の落差。
痛い、心が痛い。辛い、話を進めるのが辛い。