ひたすらに、暗い。
アースラ艦内の一室、クロノに教えてもらった部屋で俺は頭を捻る。彼女たちのことを調べるにしても、どこから手をつけるべきか悩んでいた。
「やっぱりまずは、フェイトたちのリーダー的な存在である『プレシア』さんとやらから調べるべきだよな……」
『プレシア』という名は、リニスさんと約束を交わしたあの日、十三日前。暴走状態に陥ったリニスさんがぽろっと零していたものだ。
フェイトたちの勢力が四人しかいないというのは本人たちが言っていて、リニスさん自身、家族以外の人間と触れ合う機会がない生活を送っていた、と述べていた。プレシアさんという人がフェイトたちの勢力の最後の一人だと考えて間違いない。
俺に攻撃してきたのもそのプレシアさんということになるのだが、今は脇に置いておこう。
「フェイトと、アルフと、リニスさんと交わした全ての会話を思い出せ。調べるのは情報を整理してからだ」
普段有効活用されていない自分の頭脳をここぞとばかりにフル回転させ、記憶の底に沈殿して埋もれている会話の一文一文を想起していく。会話だけでなく、彼女たちの仕草や表情、様子まで思い出す。断片を繋ぎ合わせ、確固たる情報を得るのだ。
プレシアさんという人間について、細い糸を紡いで解答を
彼女たちの勢力はプレシアさんを中心に構成されている。フェイトやアルフ、リニスさん個人個人に、なにか成し遂げたい野望のようなものがあるようには感じ取れなかった。三人がジュエルシードを得ようとする理由にはプレシアさんが密接に絡んでいるのだろう。おそらくはプレシアさんが強く、ジュエルシードというエネルギーを求めているのだ。
そしてプレシアさんという人は、他と一線を画すほど凄まじい魔導師であることも、これまででわかっている。
アースラに帰投して医務室で検査を受けている時にクロノから教えてもらったが、次元跳躍攻撃という魔法は俺の予想を大幅に超えるレベルの技術らしい。考えてみれば当然だ。離れた位置、それこそ次元すら飛び越えて相手がいる場所にピンポイントで砲撃を撃ち込むなどもはや反則だ。誰もが使えるわけがない。
しかし、かなり有用な魔法ではあるが、有用さに相応しく、相当な量の魔力を食うらしい。それを今回、アースラを貫き、俺へと落とし、威力は小さかったとはいえフェイトの意識を刈り取ることに使った。常人であれば一発どころか発動さえできない魔法を三発も放ったのだから、プレシアさんの魔導師としての格が知れる。
そしてクロノ曰く、使い魔であるリニスさんの魔力からも、主人であるプレシアさんの実力が
例えばなのはが使い魔を召喚した場合バハムートみたいなのが出て、俺程度がやった場合はサボテンダーあたりが出てくるというような感じだろう。サボテンダー、結構じゃないか、回避に長けた俺にぴったりだ。
とにかく、リニスさんがあれほどに強力な魔力を有しているということは、プレシアさんはそれを凌ぐほどの力を持っていることを意味しているのだ。
「戦力充実しすぎだろ……」
戦闘経験によりなのは以上、よくて同等レベルのフェイトがいて、防御魔法に才のあるユーノと張り合うことができるアルフがいて、クロノを上回る技術を自在に駆使するリニスさんがいるのに、そのリニスさんよりさらに強い魔導師が後ろに控えている。
なんだこのパワーインフレ、俺置いてけぼりじゃないか。
ネガティブになりそうなので戦力に関する思考は投げ捨て、違う方向へと考えを切り替える。
俺が雷撃を撃ち据えられる寸前、フェイトが誰ともなしに呟いていた『母さん』という言葉。誰が撃ってきたか判明した今ならその意味も見えてくる。
プレシアはフェイトの母親なのだろう。
ならば、フェイトがこれまで辛そうな顔をしてジュエルシードを集めていた理由がわかる。母親のため、だったのだ。フェイトは母親のために身を粉にして収集作業をして、アルフは主人であるフェイトのために骨を折っていた。
それは必死になるというものだ。なにせ自分の大切な人のため、家族のためなのだから。
「ふぅ……一応整った。まずはプレシア・テスタロッサさんについて調べる」
じんわりと熱を持ち始めた頭を、深呼吸して休ませる。酸素を取り込みクールダウン。
ここから頭を使う頻度は増えるのだ。ここでオーバーヒートさせて使い物にならなくさせるわけにいけない。
気ばかり焦っては真相が見えなくなるし、答えを取り違う原因にもなる。一旦小休憩としよう。
「中身がなんなのかは、結局教えてくれなかったんだよな……」
別れ際にリンディさんが持たせてくれた容器を手に取る。硬めの紙コップにプラスチックの蓋が被さり、ストローが刺さったものだ。
容器の側面は白、蓋は白色の半透明で中身を確認することはできない。
常識的な感性をお持ちのリンディさんのことだから、変わったものが
コップの中身の液体が流れ込んできた。まず訪れたのは、味覚を麻痺させるほどの甘み。続いて到来したのは口内を蹂躙するような甘み。飲み込めば喉の粘膜に甘みが纏わりつき、飲み物を飲んだはずなのに逆に喉が乾くほどの甘みが俺の脳を支配した。
何が言いたいのかを一言で表せば、甘すぎる。
「甘すぎるッ!」
噴き出さずに飲み込んだだけでも、自分を褒め称えたい気分だ。
蓋を開けて中身を覗き込んだら白緑色をした液体がなみなみと入っていた。
後味にほのかな抹茶の香りとミルクっぽい舌触りがある。これは前にリンディさんが作っていた抹茶オレ……をさらに甘くした新人類の飲み物だ。
常人なら三杯も飲めば糖尿病になりそうなほどの甘さである。前回飲んだ抹茶オレがおいしく思えるほどだ。
大事なことを失念していた。リンディさんの感性は常識的だが、味覚は非常識的だった。
「これもリンディさんの優しさ、なのかね」
リンディさんは俺が頭を使うだろうことを予期して、あえてこの、甘ったるいなんて形容では生ぬるいほどの甘味飲料をチョイスしたのかもしれない。他の人間であれば確実に嫌がらせだと判断するが、この糖尿病患者量産飲料をくれたのは他ならぬリンディさんだ。これを美味しく飲み干せるリンディさんはきっと、脳に糖分を与えたほうが効率が上がるでしょう、などと考えて、好意で俺に差し入れとしてくれたのだろう。ならば、ありがたく受け取っておくべきである。
早くも糖分の効果があったのか、それともリンディさんのふわふわぽわぽわした笑顔のイメージ映像が流れたからか、疲労を訴えていた頭は幾分軽くなった、気がする。もう少しは頑張れそうだ。
「複雑な心境だけど……ありがとう、リンディさん」
最後にもう一度極甘抹茶オレを口に含んで気合を入れて、ホログラムディスプレイを照射している端末を操作する。現代日本の情報端末とは形式や操作方法に違いはあるが、そのあたりは使ってみればわかるだろう。
「『プレシア・テスタロッサ』……有名な人、みたいだな。いろんな意味で」
魔導師としてばかりかと思えば、この人は科学者としても名を馳せているようだ。いや、名を
ホログラムディスプレイにはプレシアさんについての情報が並んでいた。時空管理局の局員だけでなく、一般人でも閲読できるページのようだ。論文やレポート、魔法理論についての発表と、それらに対する世間の評価などが表示されている。
そういった記事を押し退けて、一番上には物騒な言葉が記されていた。
「魔力駆動炉の暴走事故……原因は、プロジェクトリーダーのプレシア・テスタロッサによる無理のある進行……。それと無理を強いさせた会社側、か」
大型魔導炉の完成・実現を急いだあまり、手段を選ばず違法な規模のエネルギー密度を機構に取り込み、最優先されるべき安全確認を二の次にして
これらがそのページにあった記述だ。フェイトの母親で、リニスさんの主人のプレシアさんの過去が、書かれてあった。
あくまで事件ではなく、事故なのだ。故意に魔導炉の暴走を起こそうとしたわけではない。
本来ならその魔導炉を有効に使おうとした。平和的なエネルギーとして活用しようと、人々の役に立つエネルギーの一つとして設計されて製作された物のはずだ。少なくとも、悪意はなかったはずだ。
しかし、この事故は規模が大きすぎる。
俺が閲覧した記事がすべて正しいかどうかはわからないが、このような事故にプレシアさんが関わったことは事実だろう。そんな人がジュエルシードを欲している。自分は表に出ずにフェイトたちを顎で使い、力づくで無理を押して集めさせようとしている。
そこにはどのような目的があるというのだ。
展開がきな臭くなってくる。心臓が早鐘を打つ。
「いや、駄目だ。結論を出すのはまだ早い。焦るな、焦りは勘違いの元だ」
一度ディスプレイから目線を外し、リンディさん特製の極甘抹茶オレを口にする。甘さはあまり感じられなかった。
情報が不足している。抜け落ちたピースを想像だけで埋めようとしてはいけない。冷静さを保つように自分に言い聞かせながらディスプレイへと目を戻す。
もっと深く調べようと時空管理局のデータバンクへのリンクをタップしたが、突如ウィンドウが表示された。そこにはパスワードを記入する欄が設けられている。
これ以上は一定以上の階級、役職の人間でないと閲覧してはいけない、情報規制というやつか。面倒だ。
機器に手を触れ魔力を通す。ゼロコンマ五秒でパスワードウィンドウは消滅し、新たなページが開かれた。
クロノを呼んでページを開いてもらっても良かったのだが、説明するのも手間だし、時間がかかる。なのでハッキングさせてもらった。罪悪感はそれほどない。
「なるほどな……見れないようにしているのは正解だ」
閲覧禁止ページの奥には、事故が発生した現場の写真といった画像データが置かれていた。
記事のページで『見るも無惨な』という表現があった。俺はそれを大袈裟な言い方をする記者だな、などと捉えていたが、画像データに目を通すと俺の考えがいかに甘いものだったかがわかった。
「これは、地獄だ……」
『見るも無惨な』との表現は、まだオブラートに包まれた可愛いものだった。血が入った巨大な水風船を破裂させたかのような惨状。赤黒い水溜りが至る所にできている。阿鼻叫喚でもまだぬるい、叫んで喚くだけの人すらいないのだから。
作業員によって被害者のご遺体は端に寄せられ、そのご遺体の山から川のように血が流れている。文字通りの屍山血河に絶句する。
目を瞑り、亡くなった方々へのご冥福を祈りながら、俺は画像データのページを閉じた。長い時間見ていられるようなものではなかったのだ。
次は画像データファイルの近くにあったファイルを開く。被害者の名簿一覧のようだ。
ずらりと列記された人名の数に気分が
閉じる直前、一つの名前が視界に入る。アリシア・テスタロッサ。その名前を見つけた。
今回ばかりは、優れた自分の目を褒めてやりたい。多くの名前が表れては消えていくページの中で、たった一つの名前を捉えることができたのだから。
「この事故自体、だいぶ昔にあったことだから、このアリシアっていうのはフェイトの姉に当たるのか? ……あぁ、そうか。なるほどな……」
アリシア・テスタロッサは被害者名簿の中に名を連ねている。ということは考えるまでもなく、儚い命を散らしていて――有体に言って死亡している。
これが、彼女たちがジュエルシードを追い求める理由なのだ。リニスさんの言っていた『家族のため』、以前に収集する訳を問うた俺に返したアルフの返答『聞いたら徹は戦えなくなるよ』との言葉。その真相がこれなのだ。
命を落とした家族を取り戻す。そのために危険を冒してエネルギーの結晶であるジュエルシードを血眼になって求めている。プレシアさんは娘のために、フェイトは母親と姉のために。
「でも、ジュエルシードでどうやってアリシアなる少女を助けるっていうんだ……。命を蘇らせるなんて、そんなことできないだろ……」
彼女たちの目的は理解したが、その手段はいまだ判然としない。
エネルギー結晶体のロストロギア、ジュエルシード。それは魔力エネルギーが結晶化しているだけであって、本来ジュエルシード自体になにかできるわけではないはずだ。
魔力は謂わばガソリンである。魔法を使う燃料になるというだけであって、ガソリンを使う自動車がなければ無用の長物と化す。
目的に沿った効果を安全に生み出す行使者、もしくは機械がなければ無意味に危険な代物でしかない。
それでなくてもジュエルシードは悪意ある改変を受けているのだ。自分たちの願い通りに使おうとするのは困難を極めるだろう。
事故後の報告を流し見しながらアリシアを蘇らせる方法を模索するが、浮かばない。そんなアイディア浮かぶはずがないのだ。死んだ人間を黄泉の国から再びこの世に戻すなんて、できない。きっと、できてはいけないのだろう。
「会社は倒産……当たり前か」
暗い気分のままディスプレイに目を通す。
事故の後、会社側は多額の賠償金に加えて信用を大幅に失墜させたことで経営破綻したようだ。事故とはいえ、その管理責任は追求される。当然の帰結と言えた。
首謀者のような扱いを受けていたプレシアさんだったが、刑事罰は免れたようだ。しかし重要参考人としてマークを受けていたようで、事故の後の職歴は細かく記載されていた。
プレシアさんは職場を失ったことで、各地の研究所を転々としたようだ。各地のというと
大きな事故だったのだ。プレシアさんの名前も、事故の原因とともに当時は広まってしまったのだろう。
かなりのペースで違う研究所へと転職を繰り返している。数年と同じ場所にはいない。
その研究内容にまで軽く触れて記されている。分野は多岐に渡っていた。
「細胞学、人体力学、人間科学、生物化学、機械工学……医療用機器の研究なんてものまでやってるのか。これはまた、手広く……やって……」
他にも発生生物学、人体生理学、人体解剖学、人間医学など種々様々な学問の研究に携わっていたようだ。亡くした娘の影響か、人体に関係する分野に傾倒している節はあるにしても、統一感はないように思えた。
普通であれば、研究する学問などころころ変えるものではないだろう。一貫性のなさに不思議には思っても、とくに際立って疑問を持つわけではなかった。
『遺伝子工学』、『分子生物学』、この二つが目に入るまでは。
「この並びで……遺伝子工学に分子生物学? いや、それは……ありえないだろ……」
嫌な予感が脳裏を駆け抜けた。その嫌な予感を否定する材料を探すために思考を深める。だが浮かび上がるのは、これまで得てきた断片的な情報と、引っかかった細かな違和感。肯定する材料ばかりが記憶から湧き上がる。
「アリシア……アリシアという少女をまず知らないといけない……」
心臓を凍てつかせるような不安を払拭したい。その一心で端末を操作する。
アリシア・テスタロッサという女の子は被害者名簿に載っていた。もしかしたら簡素な個人情報も一緒に入力されているかもしれない。
一縷の望みを抱いて調査する。ファイルを開いて調べて、目当てのものではないとわかれば閉じて、階層をいくつも潜りながらデータバンクを探していると、ようやく見つけた。
「アリシア・テスタロッサの……個人情報」
プレシア・テスタロッサの家族として、事故に関係した研究者の情報と一緒に記述、付随されていた。ご丁寧に顔写真まで、一緒に。
「はは……フェイトにそっくりだ。順番で言えば、フェイトがこのアリシアって子にそっくりなんだろうけど…………っ!」
拳を握りしめデスクに叩きつけようとして、寸前で止める。八つ当たりしても仕方がない。今は情報収集して結論を導くのが先決だ。
ディスプレイに映し出されるアリシア・テスタロッサという少女とフェイトが一卵性の双子ということは考えられないか、と藁にも縋る思いで考察するが、事故から今まで時間があきすぎている。現実から目を背けた思考を唾棄する。
「まだ……まだ違うという可能性はある。こんな答えは俺の早合点に決まってる。こんなこと、許されるわけがないんだ」
途中まで辿っていたプレシアさんの経歴をさらに読み進める。いろんな分野の研究所を渡り歩いていたみたいだが、急に足取りが途絶えていた。
俺たちの世界、日本でいう警察的な機関から――おそらくは管理局だろうが――それからの重要参考人としてのマークが外れたのか、それとも行方をくらましたのか。ページを文章を読み進めていくと、どうやら後者のようだ。
そこから下の欄には、プレシアさんが携わった可能性のある研究や事件が幾つか並んでいた。
どれもグレーな匂いのする表題であったが、そのうちの一つに目が止まる。始めて見るはずの研究タイトルなのに、聞き覚えのある単語が含まれていた。
震える手を動かして、その項目を開く。
「……ある個体の細胞を用い、組成を完全に複写して寸分違わぬ素体を作り出す……人造生命の生成。『プロジェクト
喉が詰まり、声は細く小さくなる。精神状態の動揺の度合いと比例するように、俺の口からこぼれる言葉は不安定に揺れていた。
人造生命体の生成、砕いて言えばクローンを作るということ。その
フェイトは、儚い笑みが印象的なフェイト・テスタロッサは、人の手によって科学的に生み出されたクローンだった。
その中でもプレシアさんは、元になる
なのはとフェイトがエリーを同時に封印しようとして二人の記憶を、辛かった時の思い出、寂しく悲しい願いをエリーが願望器として抜き取った。そして俺が、エリーを改悪されたプログラムの檻から助ける時、頭に流れ込んできたそのイメージにどことなく違和感を感じた。抜き取られたフェイトの記憶を見た時、俺はどこか引っかかるような感覚を覚えていたのだ。
その記憶のイメージの中でも、フェイトの姿形はほぼ変わりはしない。昔の記憶のようで少し幼かったが、それ以外に外見に変わったところはなかった。ただ一つ、記憶の中でのフェイトが動いた時、異なる点があったのだ。
「利き手が違ったんだよなぁ……」
記憶の中では隣で眠る猫を撫でる手も、コップを取る手も、紙に文字を綴る手も、左手だった。しかしフェイトは右利きだ。バルディッシュを振るう時も、砲撃を放つ杖を持つ時も、必ず右の手で持っている。
違和感の正体はそこにあった。
つまり、俺が見た記憶は。
「フェイトの記憶じゃ……なかったんだ」
あの時の映像は、フェイトの記憶は、上から貼り付けられただけの模造品の記憶で、作り物の思い出。
「そんなこと、あっていいのかよ……っ」
プレシアさんは少なからず、フェイトやアルフに事情を説明しているのだろう。そうでなければアルフが俺に対して、理由を知れば戦えなくなる、などと忠告はしない。
ならばフェイトへと正直に、お前はアリシアのクローンだ、と教えているのだろうか。誰もおらず、冷たく張り詰めた空気が充満する部屋で俺は首を横に振る。そこまで教えているわけがない。
誰だって自分と瓜二つの人間を見れば戸惑う。しかも、自分はその瓜二つの人間の代わりに生み出された代替品のクローンなのだと言われたら、どれだけ図太い神経を持っていようとショックを受ける。
それらを承知して、命がけとなる危険な任務に喜んで飛び込むような人間はいない。そんなお人好しが現実にいてたまるものか。
アリシアは昔あった事故のせいで目を覚まさない。その治療のためにはたくさんの魔力が必要。だからジュエルシードを集めなければならない。
憶測でしかないが、フェイトやアルフに伝えている情報はこんなところだろう。
たったそれだけで善良で心優しいフェイトと仲間思いで主人想いのアルフは、家族を助けるため、母親の願いを叶えるため、仲間のため、主人が大切にしている人のために奔走する。簡単に想像できる。目に浮かぶようだ。
ジュエルシードを収集する理由を伝えなくても、フェイトなら母親のためにと駆けずり回るだろうが、それでは不信感が芽生えるかもしれないという危険性を排除できない。理由をつけ、感動的なエピソードまで添えて
人材を動かすのに必要なのは飴と鞭だが、人材に
そこまで理解して実行しているのだとすれば、プレシア・テスタロッサという女性は恐ろしく悪魔的である。人心を掌握する術に通じている。
「いや、でも……それならフェイトに辛辣に当たる理由がないんじゃ……」
今まで俺はフェイトがクローン技術によって生み出されたという点にばかり焦点を合わせていた。自分の立場からでしか、今回の件を見ていなかった。
しかしプレシアさんから見ればどうだ。利き腕が右と左で違うということから、細かな部分ではフェイトとアリシアで違いがあるのかもしれないが、容姿はまるっきり同一なのだ。認めるのは癪だが、クローン体の生成自体は成功したと判断していい。
であれば、ジュエルシードを集める理由はなくなるのではないか。
プレシアさんの過去から、目的は一貫して娘であるアリシア嬢を取り戻すこと。そのためにクローン技術にまで手を出して、追求ならぬ追究をし続けていた。娘と同じ姿形のフェイトが隣にいる今、ジュエルシードは不要となったはずなのだ。
考えが詰まる。
俺は他に手がかりがないかと記憶を探った。
「そういえば、アルハザードってなんのことだったんだ?」
十三日前、初めてリニスさんと会話をして朝食をご馳走になり、リニスさんの性癖を垣間見た日。暴走したリニスさんがそんな単語を口走っていた。アルハザードがどうたら、と。必死に脳みそを絞ると、そんなことを想起してしまった。
正直思い出したくない記憶の一つに数えられているので、できることなら厳重に封をして記憶の底に沈ませておきたかったがそうも言っていられない。なにか手がかりになるのならトラウマだろうが心の傷だろうが抉り返してみせる。
アルハザード。その言葉はちらりとだが見たことがある。
姉ちゃんの部屋に死蔵されている雑多な書籍の中には神話に関する品がちらほらとあり、その中にクトゥルフ神話に触れたものがあった。時間を余していた俺は暇潰しに
本の中ではたしか道具として扱われていたように記憶しているので、おそらく今回の件とは関連性はないだろう。
『アルハザード』という単語はリニスさんの口から聞いたのだ。こちらの世界の話ではなく魔導師たちの世界、延いてはミッドチルダの言葉なのだろう。
「……ググるか」
いくら頭を捻っても、向こうの世界を詳しく知らない俺にわかるわけがない。せっかく情報端末が目の前にあるのだから調べてしまえばいい。
検索すると、案外すぐに見つけることができた。
次元と次元の間、狭間に存在すると言われている土地。失われた秘術が眠る都。その地には時間すら操作できる魔法や、死んだ人間を蘇らせる魔法が隠されている。概要としてはこんなところだった。
「次元の狭間、時間を操作、蘇らせる……」
がちり、と歯車が噛み合う音が聞こえた気がした。
プレシアさんと俺は、少なからず似通っている部分があるように思う。生まれた世界や、個人が持つポテンシャルに大差はあれど、大切な人を
そこで考え方を改める。プレシアさんからの視点で考えを進めたが、もう一度自分の身に置き換えて想像してみた。俺の細くて脆い神経は擦り切れそうだが、やむを得ない。
死んだ人間。もし両親が、もう一度俺の前に当時のまま、容姿も完全にそっくりで現れたとしよう。同じ顔、同じ身体の両親と相向かって、そこでかすかな違いを目にした時どう思うだろうか。利き腕が違い、性格が異なり、笑い方に変化を感じたら、どう思うだろうか。
目を閉じて想像してみる。
静かな部屋全体に心音が鳴り響いているのではと思うほどに、俺の心臓は強く早く脈を打つ。口から心臓が飛び出してきそうだ。気分が悪い。ひどい立ち眩みがする。背中にはじっとりと汗をかいていた。
俺なら、容認し難い異変と受け取るかもしれない。
外見だけ似せて作っても中身が違うのであれば、それは別の人間だろう。不気味の谷とは違うが、見た目が似ている分、さらに忌避感を抱くかもしれない。少なくともすぐには受容できない。
プレシアさんも、そう感じたのか。娘と同じ顔と姿をしたフェイトを見て、俺が想像したような感情を抱いたのか。
忘れていた。プレシアさんは最初から一貫して『アリシア・テスタロッサ』だけを求めていたのだ。自分の娘を探し求めるプレシアさんにとって、わずかな差異も容認できようはずはない。完全に、完璧に、最愛の娘と同一でなければいけなかったのだ。
「行き着いた果てがアルハザード……。次元の狭間にあるとされる希望の都。次元という壁を突き破るためのエネルギーに、ジュエルシードが必要なんだ……。そのためにフェイトたちを……」
道具のように扱った。ジュエルシードを収集するためだけの、
プレシアさんからしたら、フェイトはアリシアに似ているだけの別人。器が似ている分、愛情が裏返って憎悪の対象になっていてもおかしくはない。
人造生命としては成功したが、本来の目標であるアリシアの複製としては失敗だったのだ。
クローンではアリシアを作ることはできないと踏んで、プレシアさんは次の手段に移行した。最後の手段に頼った。存在するかどうかもわからない絵空事の夢物語、アルハザードを信じたのだ。
「フェイトの母親だろう……たとえクローンであっても、母親であることに違いはないだろう……」
娘であるアリシアのDNAを基盤として生み出されたのだから、フェイトもプレシアさんの娘と
そんな子どもを、使い捨ての道具のように扱うなんて親のすることではない。親のする所業ではない。
「こんなの、どうしろってんだよ……」
彼女たちが戦う理由、ジュエルシードを求める理由は見つかった。俺の当初の目標は達成できた。
だが、それ以上に大きな問題を抱えることとなってしまった。
プレシアさんのやっていることは人道に
しかし、彼女の心理もまた、俺は理解できてしまうのだ。
大事な人を亡くし、しかもその原因が自分たちを中心とした組織によるものだった。失意の底に沈んだ時に、もしかしたらもう一度幸せな日々をこの手に掴むことができるかもしれないとすれば。一条の希望の光が差し込み、一本の蜘蛛の糸が垂らされれば。
考える時間なんていらない。そんなもの、誰だって手を伸ばす。上った先になにが待ち受けているのだとしても、迷うことなく。
両親が事故で死んだ時、その選択肢があれば――目の前に提示されていれば、俺も選んでいた。そう確信できるからこそ、俺にはどうすればいいかわからない。もう、なにが間違っていてなにが正しいのかがわからなくなった。
デスクに手をつき
「はは、アルフの言った通りじゃねぇか……」
拳を向けるだけの大義を、見失った。
掠れた笑いは、冷たい部屋に虚しく響いた。
原作では、魔導炉の暴走事故で死んだのはアリシア一人だそうです。拙作では僕の勝手な都合により死者多数となっております。しかも死因は魔力粒子が空気と反応したことによる窒息ということですが、それも変更しました。それらに伴い色んなところに設定の改変が入りました。ご容赦ください。
ローテンションで進む話は文章を打つスピードもなかなか乗りませんでした。こういった話は苦労します。