そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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「俺から取り上げようとするんじゃねぇよ」

『え?名前の由来?ああ、学校の宿題で出たのね?』

 

『うん。親に聞いてきなさい、だって』

 

 短い黒髪にあどけない顔立ちをした少年と、黒髪を肩のあたりで揃えている素朴ながらも美しい女性が並んで座りながら話をしている。

 

 俺はそれを、モニター画面を見るような感覚でつらつらと眺めていた。

 

『お姉ちゃんの名前の由来は知ってる?』

 

『ううん、知らない。なんなの?』

 

『本当の意味で、大切な人を守れる子になってほしい、って願ってつけたんだって。お父さんが考えたそうよ。いい名前よね』

 

『うん、お姉ちゃんにぴったりだよ。僕をいつも守ってくれるもん』

 

 明晰夢、というものがある。夢の中にいながら、自分が夢を見ていると自覚している状態をそう言う。

 

 今の俺がまさしくその状態にあった。

 

 これが夢であると断言できたのは、すごく簡単な理由だった。

 

少年の、幼少期の俺の質問に答えている女性は、俺の母さんだからだ。

 

俺の母親も、姉ちゃんの父親も、すでにこの世にはいない。

 

二年前に交通事故で死んでいるのだ。

 

母さんが出てくるということは、それは夢でしかあり得ない。

 

 つまり、俺がこの夢で見ているのは視ているのは昔の光景なのだ。

 

遠い過去に『自分の名前の由来』という宿題を課された覚えもあるし、その質問を母さんにした記憶もある。

 

 ただ、今更なんでこんな夢を視ているのかは、俺には皆目見当もつかない。

 

『それじゃあ僕の名前はどうやってつけたの?』

 

『徹の名前はね、お母さんがつけたのよ。えへへ、面と向かって言うのはちょっと照れくさいわね。正しくなくたっていい、周りから非難されてもいい。そりゃあ人から受け容れられることのほうがいいし、人に優しいことならそれが一番だけどね。徹の選ぶ道がなんであっても、それでも徹自身が後悔しないように、自分の…………』

 

 突如、過去の光景が投影されていたモニターの画面にノイズが走る。ノイズに掻き消されて母さんの言葉は聞こえなかった。

 

 それでもなお、俺は画面から吐き出される雑音と、垂れ流され続ける砂嵐をぼんやりと眺めている。

 

 俺にはわかっていたのだ、きっと母さんの答えは聞こえないだろうと。理由は明白だ。あの時母さんの言った言葉を、今の俺の記憶には遺っていないのだから。俺が何か月にも渡って苦労して記憶に封をし、心の奥底に沈めたのだから。

 

 自分の記憶に遺っていないものを思い出すことはできないし、夢として視ることもできない。

 

 できないはずなのに、何故俺は今になってこんな夢を視させられているのだろうか。

 

 

 

 

 

 目を開けば、清潔感のある白色の天井に穏やかな光量の照明。

 

嗅覚を刺激するのは消毒薬の匂い(エチルアルコールの臭い)

 

身体にはふわふわの毛布が優しくかけられており、とても温かかった。

 

下には包み込むような柔らかさと絶妙な反発性を渾然一体とさせたアイボリーカラーの布団が敷かれている。

 

 クロノにアースラを案内された時にこの部屋を見させてもらった。

 

ここはアースラ艦内の医務室だろう。

 

すべて魔法に頼ることをせず、医学に通じた品々が棚に納められているのを見て、なんとなく感心したのが印象的だった。

 

「何時間くらい寝てたんだろ。記憶がすっぽり抜け落ちてんだよなぁ……」

 

 プライバシー保護の観点からか、カーテンに仕切られていて周囲を見渡すことはできない。

 

時計を探したかったのだが、俺の願いは叶わなかった。

 

 これが普通の病院とかなら窓の外を見れば空の色から大体の時間を察することもできるが、ここは時空を航海する船の中。窓などありはしないだろう。

 

 まあ、特段構いはしないのだが。ここが医務室なのはわかるのだから、きっとここで勤務している医師がいるはずだ。その人に声をかければ教えてくれるだろう。

 

「ん……? 手が、温かい……」

 

 右手の中に俺の体温よりも少し高い熱源がある。寝転がったまま、右手を目の前まで持ってくる。

 

 指先でつまんで掲げれば、淡い青白色に輝く宝石。エリーの姿があった。

 

 記憶が曖昧で夢か現実か判断できなかったのだが、俺はこの手に取り戻すことができていたようだ。

 

 エリーと紐つけて思い起こされるのは、倉庫で戦いを繰り広げたリニスさんのこと。

 

 なぜあんな敵意を煽る態度を取ったのか、結局最後までわからず仕舞いだ。言葉を()わし、拳を(まじ)えても、リニスさんは決して教えてはくれなかった。

 

 しかし、大まかな見立てならつけられる。あれほど優しく、知的で温和な性格の彼女が敵愾心(てきがいしん)を向けさせる言動をした理由。そんなもの、彼女の周囲にいる人、つまりフェイトやアルフ、彼女の主人のために他ならない。自分だけの意向で、自分本位の欲望だけであんな真似をする人ではない。俺は今でも変わらずに、そう信じている。

 

 うつろな記憶を辿れば、リニスさんは口で挑発するばかりで自分からは暴力という手段に打って出ることはしなかった。手を出したのだって――リニスさんに仕向けられたとも言えるが――俺が怒り心頭に発して殴りかかってからだ。

 

 能動的にではなく、リニスさんはあくまで受動的な姿勢を保っていた。

 

 戦闘の端々、切れ目切れ目で俺に言葉を投げかけ、印象は悪かったにしろ投降するように勧告してきてもいた。まるで、これ以上傷つけたくないと言わんばかりに。

 

 だが、どう考えを詰めても彼女の行動と結びつかない。リニスさんたちの目的、時空管理局へのあからさまな敵対行為、再三に渡る徹底した挑発、彼女の悲痛な表情。やはり、まだ情報が足りない。結論を出すだけの論拠が不足している

 

 このあたりで推考を切っておくべきか。足りないピースを想像だけで埋めるのは大きな取り違えを起こす原因になる。

 

 やはりもう一度、リニスさんとは話をしなければならない。今度は腹を割って胸襟(きょうきん)を開き、面と向かって正々堂々真正面から建前や偽りなしに、本音を言い合わなければならない。その際もおそらく、九分九厘今回と同じく戦闘に及ぶのだろうが――今回よりも苛烈で熾烈な死闘を演じる羽目になるのだろうが、それでもこれだけは避けて通れない道だ。また彼女たちと笑い合ってお喋りしたいと願うのならば、どんな障害があっても乗り越えなければならない。

 

 答えを急ぐ必要はない、いずれまた機会があるだろう。その機会を逃さなければいいだけだ。瞑目して深く息を吐いた。

 

 それはそうと、リニスさんにエリーを返してもらってから、俺はずっと握り締め続けていたのだろうか。だとしたらエリーに申し訳ない。手汗とかかいてないかな。

 

「エリー、おかえり」

 

 ぽわん、ぽわん、と規則正しく明滅していたエリーに声をかけると、何度かそのままついたり消えたりを繰り返して、その後、ぱぱぱ、と強く瞬いた。まるで、寝ていて俺の声掛けに気づかなかったが、寝ぼけ眼を擦りつつ目を開いたら俺が起きていてとても驚いた、みたいな反応だ。なんて人間味に溢れたリアクションだろうか。

 

 無機物ではあるが、ペットは飼い主に似る的なアレでエリーも俺に似たりするのかもしれない。だとしたら大層困ることになってしまう。底意地の悪い人間は俺だけで充分、これ以上は供給が需要を追い越してしまう。いや、もともと需要なんてないだろうけども。

 

 エリーを定位置に、胸元のネックレスの台座へと戻らせ、身体を起き上がらせようとしたのだが左腕がのっしりと重く、上半身を上げることはできなかった。

 

「なぜになのはがここに……」

 

 俺の左腕を両手で抱き締め、まるで抱き枕の要領でなのはが寝ていた。

 

 十日ほど前にもこんなことあったな、なんて思いながら、今回はどんな言葉でなのはをいじって起こそうかと無駄なことを考える。

 

「目元……涙の、跡……?」

 

 なのはの肩を揺すって夢から現実へと帰ってきてもらおうと右手を伸ばしたところで、ようやく気づいた。少し影になっていてわかり辛かったが、なのはの目元が赤くなっている。目尻から頬、そこから輪郭に沿うように、涙が通った形跡があった。

 

 肩からなのはの顔へと右手の行き先を変える。顔にかかった髪を指先で払えば、さらにはっきりと見て取れた。

 

「最近なのはのこと泣かせすぎだな、俺」

 

 目元に優しく触り、涙の跡を消すようになのはの頬に手を伝わせる。うにゅ、とむず痒そうに日本語とは思えない言語を呟いたなのはに、俺はつい笑ってしまった。

 

『起きた途端にマスターへセクハラ行為とは……徹の病気は一度や二度死んだくらいではとても治りはしないのでしょうね』

 

 緩んだTシャツから覗くなのはの首元の近くに、赤色の球体が転がっていた。ネックレスの台座に繋がれたままのレイハが光を放ちながら、俺に失礼なことを言ってくる。

 

「やっぱりいたか、レイハ。そして病気扱いしてんじゃねえよ。これは愛情だ、愛情」

 

『これほど歪んだ愛情があるのですね。年の差七歳の愛情ですか。極めてグレーに近いクロです』

 

「せめて逆にしてくれよ。それじゃあ俺クロじゃねえか、アウトじゃん」

 

『…………』

 

「いきなり黙るなよ。どうした」

 

『人に死ぬほど心配をかけておいて、一言の謝罪もなしというのはいかがなものでしょうね』

 

「あ、あぁ、えっと……。心配……してくれてたのか?」

 

『当たり前でしょう。命に関わるほどの出血量だったのです。マスターはもちろん、私とて……心配、しないわけないでしょう』

 

 もう少し自愛してください、とレイハは最後に添えた。

 

 リニスさんとの戦闘。ところどころ記憶が抜け落ちているし全体像も朧気であるとはいえ、ちゃんと憶えている部分もある。それに戦闘開始から中盤までは、完璧に記憶を保持しているのだ。戦いの半ばまででもかなりの数の怪我をしていたはず。そのせいでまた、なのはにもレイハにも心配をかけてしまっていたのか。同じ轍を二度も三度も踏む上に懲りない男だな、俺も。

 

 ……って、ちょっと待て。なにやらレイハの言葉の中に聞き逃せない言詞が含まれていたような気がする。

 

「……命に関わるほどの出血量?」

 

『ええ、そう聞いています。徹の周りには血の池ができていた、と管理局の執務官から』

 

 なのはには申し訳ないが、右手でなのはの両腕による拘束をゆっくりと緩め、左腕を引き抜いて上半身を起き上がらせる。身体の一番上、頭に手をやり怪我がないか確認するが、傷はなにもない。顔、首、肩へと徐々に検査する箇所を下ろしていくが、足まで調べても見当たらなかった。本当にレイハが言うほどの重傷を負っていたのか信じられないほどに、跡形もない。

 

 思えばあれだけの激しい戦闘を行ったというのに身体に(だる)さがないし、リンカーコアに疲弊した感覚もない。魔力は滞りなく全身に流れているし、ハッキングに魔法の演算にと酷使されていた頭は些かも重くなく、どころか倉庫に急行する前よりはっきりとしている。

 

 アースラの医務官が治療してくれたのだろうか。だとしたら腕が良すぎて怖いくらいだ。ブラックジャックでも雇っているのか。

 

「本当に言ってたのか? 大袈裟なんじゃねぇの?」

 

『執務官は真っ青な顔をしていたので嘘ではないと思いますが、まあそのあたりは本人から詳しい話を聞けばいいでしょう。それよりもマスターのことです。泣き疲れて眠ってしまうほどに心配していました。慰めるのは徹の仕事です。任せましたよ』

 

「わかってる。それより今は何時なんだ?」

 

『七時です、午後の』

 

 俺とクロノが現場に向かったのが昼過ぎだったので、だいたい六時間ちょっとか。

 

 案外すぐ目覚めることができたようだ。

 

 安堵のため息を吐いた俺の目に、レイハの光が入る。言い辛そうに、その身に灯す光量を少し抑えまでしてレイハは続けた。

 

『徹、勘違いしているようですが……今日は日曜日ではありません。火曜日です。徹は丸二日以上眠り続けていたのですよ』

 

「なっ……ふ、二日……? じょ、冗談だろ……」

 

『いえ、事実です。今日は第九十七管理外世界の暦で、四月二十九日の火曜日、十九時です。だからマスターもこんなに心配しているのですよ。この二日間、マスターは【心ここに在らざれば視れども見えず】といった感じでした』

 

「ふ、二日も……ふつ、か、も……」

 

 レイハは頭上に赤色の光を放射してホログラムのように、今日の日付と現在時刻を映し出した。

 

 二日も眠りこけていたというレイハの言葉にインパクトがありすぎて、他の情報が俺の頭に入ってこない。冷静だったり心の準備ができていれば、難しい(ことわざ)知ってるな、とか、そんな機能あったのかよ、など突っ込みを入れることができたのに、そんな余裕は俺にはなかった。

 

 学校にどう報告すれば、親友や最近できた友人になんて伝えれば、そしてなにより……たった一人の家族になんて言えばいいんだ。

 

「ん……ぃゅ。あぇ……とお、るおにぃちゃ……?」

 

 これから待っているだろう質問攻めに俺が呆然としていると、布団がもぞもぞと蠢いた。どうやら姫がお目覚めのご様子だ。

 

 懸念事項はひとまず頭の隅っこに追いやり、気を煩わせてしまったなのはの相手をするのが先決だろう。別にこれは現実逃避ではない、あしからず。

 

「おはよう、なのは。心配かけて悪かったな」

 

 半分ほど閉じていたなのはの瞼は大きく見開かれ、かと思えば悲喜交交(ひきこもごも)というふうな表情になった。

 

「徹お兄ちゃ……よかっ、よかったよぉ……」

 

 つぶらな瞳から大粒の涙を落としながら、なのはは俺の腹のあたりに抱きついてきた。

 

「おー、よしよし。もう大丈夫だ、俺はもう完全復活したからな」

 

「無茶しないでって、言ったのにっ……」

 

「ごめんな、俺もこんなことになるとは思わなかったんだ」

 

「ずっと目が覚めないかもって思って、怖かったんだからぁっ……」

 

 嗚咽をもらしながら、なのはは俺の服をぎゅうっ、と握る。

 

 まるで、もう離さないとでも言うようななのはの仕草に心が痛んだ。一人取り残されることにトラウマを抱えているなのはのことだ、よほど気を揉んでいたことだろう。

 

 よく見ればなのはの目元には薄っすらと(くま)ができている。俺の自意識過剰なのかもしれないが、もしかすると睡眠も満足に取れていなかったのかもしれない。それなら俺の隣で寝落ちしていたのもわかる。

 

 一人ぼっちの寂しさは俺も知っているのに、なのはに味わわせるなんてなにやってんだ。

 

 左手でなのはの身体を引き寄せるように手を回し、右手は寝癖がついてしまった髪を撫で付けるように頭に置く。

 

「もう大丈夫、大丈夫だからな。俺はいつだってなのはの隣にいるんだ。安心してくれていい。ほら、まだ眠たいんじゃないのか? 帰りは俺が送ってやる、もうちょっとゆっくりしてろ」

 

「だめ、だよ。わた、し……もっと、とお……りゅお兄ちゃ、と……お喋り、す……」

 

 背中に回した左手でゆっくりと一定のリズムで背中をぽんぽんとして、なのはの頭に持っていった右手で優しく、優しーく撫でてやると、なのはは再び眠たげに瞳をとろんとさせ、夢の世界へ旅立った。

 

 睡眠不足であったようだし、その上緊張の糸も緩んだのだから眠気が押し寄せてくるのはもはや必然。なのはは俺の足と足の間に身体を入れ、俺の腹部に顔を埋めたまま眠りに落ちた。

 

 身体が傾かないように少しばかりなのはの体勢を変えさせてもらい、左手で倒れないように身体を固定しながら布団をかける。

 

 医務室の中は空調が効いているとはいえ、風邪をひいては事だからな。

 

『なんという手際の良さ……。幼女をオトすことにかけては他の追随を許しませんね……ここまできたら尊敬の念すら抱きます』

 

「眠りに落とすって意味だよな? そういう意味で合ってるんだよな? 今回はいかがわしいことしてないぞ」

 

『今回は? これまでにいかがわしいことをしたような口振りですね」

 

 口が滑った。

 

『問うに落ちず語るに落ちる、とはこのことを言うのです』

 

「違うな、言葉の綾と言うのだ」

 

『ふんっ……戯言を』

 

「戯言っ?!」

 

 なのはを起こさないように、小声で話しながら大きなリアクションをするという妙技。授業中に恭也と雑談に興じる際によく使う技術である。ちなみに教師にはよくバレる。教壇からではおかしな動きをする生徒はよく目につくらしい。

 

 レイハと歓談(半分以上は俺への悪口)していると、こんこん、と扉を叩く音が聞こえた。

 

「はい、どうぞ」

 

 部屋の中には俺とレイハ以外の話し声はしないし、なのはの穏やかな寝息以外に音もない。どうやら医務官はご不在のようだ。在室しているのは俺たちだけのようなので、一応返事は俺がした。

 

「失礼する」

 

 短い一言とともに扉が開く音がした。扉からまっすぐに、俺のベットへと足音は近づいてくる。

 

 ベッドとベッドを仕切るカーテンを開け放って姿を現したのは、黒を基調とした服に身を包む少年、クロノだった。

 

「目を覚ましたか、徹。よかった」

 

 俺を見て、クロノは優しげに微笑んだ。クロノは安堵からか笑みを浮かべているが、どこか憔悴(しょうすい)したような色が表情に含まれていた。十四歳の男の子が見せていい顔じゃない。

 

「迷惑かけて悪かったな、クロぐわっ」

 

 カーテンを開いたクロノは一歩二歩と近づいてきて、俺の額に人差し指と中指を揃えてこつん、と突いてきた。

 

 滅多に謝らない俺が珍しく謝罪の意思を示しているというのに、この子ども執務官はなんてことをしてきやがる。

 

「かけたのは『迷惑』じゃない、『心配』だ」

 

「そ、そうか。すまん……」

 

 クロノはそう言うといつも通りに腕を組んで斜に構える。

 

 クロノのくせに生意気な。ちょっと格好いいとか思ってしまったじゃないか。

 

「クロノが向かったほうのジュエルシードはどうだったんだ? 回収できたのか?」

 

「起きてすぐそれか……。いいや、僕が到着した頃にはすでに奪われた後だった。敵の姿もなかった」

 

 眉間に皺を寄せて、俺の質問にクロノは首を振った。

 

 おそらくそんなことだろうとは、内心想定できていた。

 

 結果として見れば、都市部に近いジュエルシードも、山間部のジュエルシードも向こうに持って行かれたということ。クロノが幾つか提示した可能性の一つが見事に当て嵌まった形だ。

 

 どんな罵倒でも甘んじて受けようと腹を括っていたが、クロノの対応は俺の予想の真逆だった。

 

「すまなかった……僕のせいだ」

 

 組んでいた腕を外してだらりと力なく下ろし、拳を握りながらクロノは言う。顔を伏せ、下唇を噛み締めた。

 

 クロノの心中が、俺にはわかる。自分の不甲斐なさを悔やんでいるのだ。

 

 だからこそ、わかるからこそ、クロノの態度に静かな怒りを覚える。

 

「……は? なにがどうなればクロノの責任になるんだ?」

 

 いつも通りに返事をしようと心がけたが、一段階声が低くなってしまった。

 

「僕がもっと早く徹がいた倉庫まで向かっていれば、徹が負傷することもなかった」

 

「俺が我儘を言ったから別行動を取ることになったんだろうが。責められる理由はあっても、謝られる理由は一欠片もない」

 

「徹の提案に一理あると判断したのは僕で、その提案を認めたのも僕だ」

 

「クロノが否定できないように俺が話を進めたからだろ。無理矢理俺の案を飲ませたんだ。クロノの責任外だろうが」

 

「そもそもレーダー機能を乗っ取られていた時点で出遅れていたんだ。出遅れた状況で最善を求めた作戦を、僕は責めることはできない。ハッキングを受けたことを気づけなかった僕の手落ちだ」

 

「その話はもう決着がついただろうが。あれでは誰もハッキングされてたなんて勘づくことはできはしない。俺が気づけたのは現地の情報を持っていたからだ」

 

「しかし……」

 

「いい加減にしろッ……」

 

 うだうだと、なんだかんだと並べて自分を責めるクロノの胸ぐらを、俺は乱暴に掴んで顔を近づける。

 

 他人の失敗を包み込めるクロノの度量は、立派なリーダーと評して余りあるだろう。

 

 だが元はと言えば、俺が自分の目的のためにクロノを(そそのか)して誘導したのだ。なのに、それすらもクロノは自分の責任だと言って抱え込もうとする。その態度が俺は気に食わない。

 

「俺のミスまで、俺の責任まで、俺の失策まで背負おうとすんじゃねぇ。俺はそこまで弱くない。これは俺の問題だ。お前の勝手な判断で、俺から取り上げようとするんじゃねぇよ」

 

 手を離してクロノを解放する。

 

 今の俺はどこかおかしい。クロノの優しさだってわかっているのに、クロノの気遣いだって理解しているのに、怒りを抑えられなかった。

 

 クロノは驚きに目を丸くして、しばし沈黙したのちにくくっ、と楽しそうに笑う。

 

「……なんだよ」

 

「いや、すまなかった。徹を侮っていたわけではないんだ。自分の責任は自分で背負う、そういう男だったな、徹は。僕は少し神経質になっていたのかもしれない、注意する」

 

「俺も怒鳴って悪かった。なんか気が立っていたみたいだ。……そういえば俺の傷って誰が治してくれたんだ? なんか重傷だったらしいけど」

 

 クロノが生温かい視線を送ってくるので話を切り替える。レイハが小馬鹿にするようにぴかぴかと光を照射してくるので、心なし強めに左手で握り締めた。

 

 クロノは真面目な表情を取り戻しつつ、俺に返答する。

 

「誰も治していない」

 

「は? でも怪我してたんじゃ……」

 

「大怪我は負っていた。僕が到着した時には徹の全身に傷があり、かなり危険なレベルで血も流していた。正直なところ、ぞっとした。なんたって血だまりが出来ていたからな。だが、僕たち管理局は何もしていないんだ。いや……正確には何もできなかったんだが……」

 

 要領を得ないクロノの説明に俺は首を傾げつつ、続きを催促する。

 

「徹の身体、頭から足の先まで全身を包み込むように、青白い魔力に覆われていたんだ。徹のネックレスにくっついている『それ』が、徹の傷を治した。十分か、十五分か。僕が触れようとしても弾かれて、結局傷を治しきるまで介入することはできなかった。徹がジュエルシードをアクセサリーにしていることにも驚いたが、ジュエルシードが自ずから人間を助けるような行動を取ったことに驚いた」

 

「エリーが、俺を助けてくれたのか……」

 

 シルバーの台座に繋がれたエリーに目をやれば、どこか照れくさそうにほわほわと瞬いた。

 

 前には俺を手伝ってくれて、今回は俺を助けてくれた。やはりエリーは、リニスさんが言うような危険な代物ではない。

 

『徹、気をつけてください。その青いのはいい子ぶってます』

 

 左手の中にいるレイハが音を(こも)らせながら俺に忠告してきた。その忠告には一切の根拠がなく、理屈が伴っているとも思えない。なんだかやっかみのような言い方である。

 

 レイハの言葉はエリーにも聞こえていたようだ。抗議するようにぴかぴかと力強く輝いた。

 

『ふふん、文句があるなら直接言うことですね。見ましたか、徹。その青いのは図星を突かれて狼狽(ろうばい)しているのです。気を許してはいけませんよ。寝首を掻かれます』

 

 レイハからの根も葉もない誹謗中傷に、エリーは怒りに比例して光量まで増加させた。

 

 更に眩しくなるとそろそろクロノからお叱りを受けそうだし、俺に小さな身体を傾けているなのはも(まぶた)を貫く眩しさに起床しかねない。自分たちで気づいてくれるのが一番良かったのだが、このままではレイハの悪口とエリーの輝きは青天井に増していくばかりだ。仕方がないのでここらで割って入るとしよう。

 

「エリー、落ち着け。レイハはいつもこんな風に罵詈雑言を吐くのが趣味なんだ。レイハ、喧嘩するなよ。仲良くやれとは言わないから」

 

「徹の周りはいつも賑やかだな。羨ましいとは思えないが」

 

 俺とレイハとエリーのやり取りを眺めていたクロノが微苦笑を浮かべた。

 

 寂しいよりかは賑やかなほうがいいだろう。時に賑やか過ぎるのが玉に(きず)だけれども。

 

 姉ちゃんへの言い訳を考えながら、レイハに注意し、エリーを(なだ)め、クロノに日曜日にあったことについて報告をする。

 

レイハとのやり取りやエリーの光、なのはから送られてくる温もりを受け、俺は日常に戻ってこれたことを実感した。俺にはもう、こいつらがいないと日常とは呼べないほどになっているのだ。


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