そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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日常~勉強会~10:05の断罪と、10:15の開幕。

 月村家メイド長、ノエルが操縦する車が送迎を終え、車庫に入ったのは勉強会が始まる十時ぴったりであった。

 

 有能なメイドたるノエルが、勉強会開始時間前に到着できなかったのにはわけがある。

 

迎えに行く面子の家までの道案内を申し出た忍が寝過ごした上に、誤解を解いて仲直りしたすずかとお喋りに(ふけ)り、出立する時間が押したのだ。

 

 本来であれば二十分から三十分ほども到着時間がオーバーするはずであったが、最短ルートを道路交通法許容範囲ぎりぎりを掠める速度で突っ走った結果、深刻な遅れは出さずに済んだ。

 

 送迎用車両の後部座席から吐き出されたのは月村忍、高町恭也、鷹島綾音、鷹島彩葉、長谷部真希、太刀峰薫の計六人。

 

行きは道案内のため助手席に着いていた忍だったが、全員を拾って月村邸に戻る際には後部座席に移っていた。

 

 月村邸に初めて訪れた綾音、彩葉、真希、薫の四人は、壮麗で豪奢なその内装に、四者四様各々に各々らしいリアクションで賛美の言葉を述べた。

 

 私立聖祥大学付属学校の生徒には裕福な家庭が多いとはいえ、月村邸ほどまでに大きな屋敷となるとそうはいない。

 

招かれていた四人の家も一般人とは一線を画す階級の家であるが、月村邸の次元の違う敷地面積の広さに賛嘆の声をあげていた。

 

 ノエルの先導に一同はついて歩き、今日のために用意がなされた部屋へと着到する。

 

 扉が開け放たれると、そこには見るからに快適であろう空間が広がっていた。

 

勉強会という名目ではあるが、個々人で勉学に(いそ)しむわけではなく、それぞれが得意な分野を教えあうというのが内情となる。

 

そのことを考慮し、隣について教えやすいようにと足の短いテーブルが採用された。

 

床には細い糸で編み込まれて鮮やかな紋様が描かれた絨毯が敷かれ、そのまま腰を下ろしても心地の良い状態となっている。

 

 その勉強用のスペースから少し距離を置いたところには、三人掛けソファが三つ、『コ』の字に設置されていた。

 

真ん中にはローテーブルが設けられており、飲み物を飲んだりお菓子をつまんだりと休憩できるようにという配慮も尽くされている。

 

 なるほど勉強するには申し分ない、どころかこれ以上ない一室であった。

 

 ノエルに引率されて先に入った四人は、部屋の中を見て驚きと戸惑いのあまり固まった。

 

四人の様子を不思議に思った忍と恭也も中を覗き、四人と同様に動きを止める。

 

扉の近くで凍りつく集団の中で唯一動いていたノエルは、やれやれ、やってしまいましたね、とでも言いたげに首を左右に振る。

 

 部屋の中には先客がいた。

 

この屋敷に住んでいる月村すずかと、すずかの親友である高町なのはとアリサ・バニングス、仕込みのために朝早くから来ていた徹の四人だ。

 

 四人はテーブルの上に教科書を広げ、すでに勉強をしている様子であった。

 

部屋の壁に掛けられているアンティーク時計の針は十時五分過ぎを指している。

 

勉強会の開始時間は十時ジャストなので、ほかのメンバーが集まりきっていないとはいえ、勉学に励んでいるのは特別おかしくはない。

 

一刻も早くやろうとしているぶん、学習意欲旺盛で逆に褒められるべき行為とも言えた。

 

 ただ一つの問題は、室内にいた四人の勉強の仕方であった。

 

そして、それが入室した忍や恭也たち六人が固まった理由でもある。

 

 決して小さく、ややもすれば大きいテーブルなのに、その片隅で徹たちは固まっていた。

 

徹の崩した足の上にはなのはが座り、右横ではアリサが腕を絡め、左にはすずかが身を寄せていた。

 

 テーブルの天板にこそ教科書を開いて置いてはいたが、勉強をしているかどうかと問われると、見る者によってその答えが変化してもおかしくはない。

 

 事実、勉強中と捉えているのはなのは、アリサ、すずかの三人だけのようで、少女に纏わりつかれている徹も部屋に入ってきた恭也たち六人と同様に固まっていた。

 

少なからず後ろ暗いことをしているという自覚はあったようで、徹は扉へと顔を向けながら頬を引くつかせ、額に冷や汗を浮かべていた。

 

 時間が止まったような静止空間の中、変わらずに動きを続けるのは徹の周りにいる三人の少女のみ。

 

「なのは、そろそろ変わりなさいよ。もう充分徹を味わったでしょ」

 

「アリサちゃんは一番最初に抱いてもらったんだからもうちょっと待って。わたしは最後だったんだし、長めでもいいと思うの」

 

「順番はじゃんけんで決めたんだから関係ないでしょ! なのは早くどきなさいよ」

 

「後ろから優しく包まれるのもいいけど、すこし強く乱暴に抱かれるのもけっこういいよ?」

 

「なにそれっ! すずかそんなことしてたの?! わたしの時はそんなのなかったわ! 不公平よ!」

 

「身体の中からあったかい感じなの」

 

「なのはちゃん、さすがに長すぎると思うよ? 二週目に入れないよ」

 

「余韻に浸ってないではやくどきなさいよ!」

 

「いちばんいろいろと勉強が必要なのわたしだもん」

 

「変な屁理屈こねないの。筋が通ってないわよ」

 

 来訪者に気づかなかったなのはたちの、純度百パーセントの楽しげなお喋り。

 

だが内容は、聞き手によっては意味を歪んで汲み取ることもできるものである。

 

 結論から言えば、その会話がロリコン男断罪劇の火蓋を切って落とすこととなった。

 

 恭也と忍は自身の最高速度をもって、右と左に分かれて徹を挟みように回り込む。

 

いつものようにまっすぐ一直線に殴り飛ばしては、少女たちにまで被害が及ぶと危惧してのことだった。

 

 恭也と忍はテーブルを迂回し、徹へと肉薄する。

 

恭也と忍の手刀は、徹の両隣に侍る少女の頭上を通過してホシの首を左右から挟み落とすように迫り、徹の意識を刈り取った。

 

 後日、徹は、『まさしく神速だった。首を落とされたかと錯覚した』と、首をさすりながら語った。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

「お前ら遅れてきたくせに人を気絶させるとか、どんな神経してんの」

 

「すまんな、徹。三人の穢れなき少女を一度に食ったのかと勘違いしたんだ」

 

「ごめんね、徹。すずかに手を出したのかと思ったら冷静でいられなかったわ」

 

「俺じゃなかったら死んでるからな」

 

「徹以外にやるわけないだろう」

 

「徹以外にやるわけないでしょう」

 

「清々しいほど正直だな。怒りすら消え失せるわ」

 

 アリサちゃんとなのはが早めに来たので、俺は恭也たちの到着を待たずに先に勉強を教えていた。

 

テーブルに並ぶ教科書に向かい、得意不得意がはっきりとわかれているなのはをメインに据えて三人に勉強を教えていたが、予定時間を五分ほどオーバーした頃、恭也たちが部屋に入ってきた。

 

扉の前にいた二人の姿が霞んだかと思ったら、気づいた時には俺はソファで寝ていた。

 

その間の記憶は欠落している。

 

 だが記憶になくても首の痛みと経験でわかる、恭也と忍の二人で俺の気を失わせたのだ。

 

状況となのはたち三人の勢いに流されたとはいえ、いきなり暴力というのはあんまりである。

 

 時計へと目を送れば、時計盤の短針と長針は十時十五分を指していた。

 

十分ほども寝ていたようだ、忍も恭也も手加減がなさすぎる。

 

 俺が目覚めたのに気づいたのか、長谷部が近づいてきた。

 

 俺はソファから立ち上がり、長谷部へと身体を向ける。

 

「おはよう、逢坂。朝からすごいものを見せてもらっちゃったよ」

 

「おう、長谷部。俺はひどい目にあったぞ」

 

「……おはよう。やっぱりちっちゃい子が、好きなの……?」

 

「おっす、太刀峰。そして開口一番に何言ってんだ。せがまれたからやってただけだ。深い意味はねぇよ」

 

 長谷部は俺の肩をぽんと叩いてテーブルの一角へと足を運び、太刀峰は肩には手が届かなかったようで俺の下腹部をぽんと叩き、長谷部の隣に座った。

 

いくら手が届かなかったとはいえ、なぜ下腹部を触るのだ。

 

かなり際どいところだったのだが。

 

「お、おはようございます、逢坂くん。身体はもう大丈夫ですか?」

 

「おはよう、そしてありがとう鷹島さん、心配してくれるのは鷹島さんくらいだ。もう大丈夫だよ」

 

 挨拶して、そのまま長谷部や太刀峰の元へ向かうかと思ったが、意に反して鷹島さんはまだ俺の前に残った。

 

口を開いたり閉じたり、視線を右へ左へ泳がせたりしてなにか訊きたいことでもありそうな様子だ。

 

 俺は首を傾げて、どうしたんだ?というジェスチャーを取る。

 

「い、いえ……やっぱりなんでもないです……」

 

 鷹島さんは歯切れ悪くそう言うと、小さな撫で肩を落としながら、やっぱり長谷部たちの所へととぼとぼ歩いていった。

 

 あ、しまった。

 

さっきの機会に、ちゃんと勉強道具を持ってきたのか尋ねておけばよかった。

 

「お久しぶりです、逢坂さん」

 

「彩葉ちゃん、久しぶり。来てくれたんだ、よかったよ」

 

「はい……でも、あの……」

 

 彩葉ちゃんの姿が見えないと思ったら、鷹島さんの後ろに控えていたようだ。

 

 姉と同じ栗色のふわふわした髪、鷹島さんは肩の辺りまでだが、彩葉ちゃんは腰付近まで伸ばしている。

 

しっかり者を象徴するようなきりっとした目。

 

折り目正しいその振る舞いは、天然の姉に苦労させられたことを窺わせる。

 

 当の彩葉ちゃんは挨拶したきり俯いて両の指を絡ませてもじもじとしていた。

 

以前夜の街を歩いた時は明朗快活に喋っていたのに、今日の彩葉ちゃんはどうにも様子が変だ。

 

 数日前の夜を想起して、思い当たった。

 

そういえば鷹島さん宅へ彩葉ちゃんを送った際、鷹島さんが言っていたーー人見知りなのに、と。

 

 同じクラスとはいえ、なのはたちとはそれほど交流がないらしいし、この場にいる高校生のほとんどには面識がないのだから、人見知りな彩葉ちゃんが尻込みするのも無理からぬことか。

 

 長谷部や太刀峰とは顔見知りらしいが、年代が違えば話題も様変わりするし、高校生組は高校生組でグループを作ってしまっているので、その輪に割って入るのは難しい。

 

かといって小学生組は(少し度の超えた)仲良し三人組なので、こちらに参入するのはもっと難しいだろう。

 

 初対面の人が多いこの空間は、彩葉ちゃんにとって居心地のいいものではないのかもしれない。

 

 彩葉ちゃんと目線が合うように、俺はカーペットに膝をつけた。

 

「なのはから聞いたよ、彩葉ちゃんすごく賢いんだってね」

 

「そ、そんなことないです。クラスの一番はバニングスさんなので……」

 

「若いのに謙遜しちゃって、まったく。学校の授業の中でわからないものはないと思うけど、苦手な科目とかってある? 勉強なら俺でも力になれるよ」

 

 トップクラスの成績を誇るとはいえ、まさしくトップの結果を叩き出しているアリサちゃんがいるからか、彩葉ちゃんはあまり褒められ慣れていないようであった。

 

耳まで赤く染め上げてさらに視線を下にする。

 

 しばしどうするか悩む素振りを見せたが、彩葉ちゃんはおずおずと口にした。

 

「えっと、算数の計算が早くできなくて……そのあたりを……」

 

「計算は俺の得意分野だ。手伝えることがあってよかったよ」

 

 俺の言葉を受けて、彩葉ちゃんは顔を上げる。

 

一拍遅れて栗色の髪がふわりとたゆむ。

 

やっと、今日初めて、どこか儚げではあったが笑顔を見せてくれた。

 

小学三年生の九歳か十歳そこらで、なんて寂しげな表情をするのだこの子は。

 

 その触れたら壊れそうな笑みの真相は今は脇に置いておく。

 

下手に触れてはいけない部類だと判断した……怖気づいたと言い換えてもいいが。

 

 なにはともあれ、早速苦手な計算を克服すべく、テーブルのあいている場所へと誘導しようと彩葉ちゃんの手を取ったが、そこで『にゃあ』と聞き慣れた動物の鳴き声が俺の耳朶に触れた。

 

 月村邸に棲息する猫たちの鳴き声ではない。

 

忍の家で飼っている猫の声を、俺は皆目聴いたことがないので、聞き慣れているわけがない。

 

 鳴き声の発信源を辿れば、彩葉ちゃんのものと思しきバッグ。

 

そのバッグが、中に生き物でもいるかのようにもぞもぞと蠢いていた。

 

ていうか、絶対中に入っているだろう。

 

 バッグの口から白い物体が飛び出てきて、しゃかしゃかしゃかと手慣れた動きで俺の頭まで登った。

 

ついさっき彩葉ちゃんとの初めて対面した日のことを回顧したからか、この感触にもすぐに目算が立った。

 

「もしかして……ニアスか?」

 

 知性は相変わらず健在なようで、ニアスは俺の質問に正解ですと言わんばかりに『にゃあ』と一鳴きして返した。

 

 連れてきたの? という疑問を視線に乗せて送るが、驚きに目を見開かせてから彩葉ちゃんはふるふると首を横に振る。

 

どうやらニアスはバッグの中で勉強道具に紛れて勝手に潜伏していたようだ。

 

 子猫とはいえ、多少重みもあるのだから気づきそうなものではあるが。

 

 せっかく頭まで登頂したところを悪いが、ニアスを抱っこして顔の前まで持ってくる。

 

前に会った時と変わらぬ真っ白の毛並みは、つやつやさらさらとしていてとても触り心地が良い。

 

 俺は動物は好きなのだが、動物は俺のことを好いてはくれぬようで通常触らせてくれはしない。

 

手に触れる距離に近づいてきてくれないどころか、さらには目に触れすらせず姿さえくらますのだから、その嫌われっぷりは推して知るべしである。

 

 そんな俺に唯一懐いてくれるのがニアスなので、そりゃあもう可愛くて仕方がない。

 

ニアスのお腹に顔を寄せて和毛(にこげ)の感触を堪能する。

 

「きっと逢坂さんに会いたくてバッグの中に入ってたんだと思います。ニアスは逢坂さんと会ってから、家で逢坂さんの話をするたびに『にゃあにゃあ』と鳴いてましたから」

 

 『にゃあにゃあ』とニアスの鳴き真似をする彩葉ちゃんはとても可愛かったが、そのことを本人に伝えると話にならなくなりそうなので黙っておく。

 

「たった一回しか会ってないのに憶えてくれてたのか。やっぱりお前は賢いなぁ。……ん? 俺の話とかしてたの?」

 

「あう……いえ、えと時々……」

 

「なんか恥ずかしいな……て、そっちはいいか。そろそろ始めようか。今日の主旨は勉強だからね」

 

 彩葉ちゃんはこくりと首肯した。

 

 ニアスにはあまり騒がないように、と言い含め、再度頭上に乗せる。

 

ニアスは頭にのっぺりとしがみつきながら、『にゃあ』と了承の返事をした。

 

 彩葉ちゃんと連れ立ってテーブルの空きスペースへと座る。

 

「徹! その仔猫どうしたの?! すごくかわいい!」

 

 バッグをごそごそと探って彩葉ちゃんが教科書やノートなどを取り出すのを待っていると、鷹島さんといちゃいちゃしていた忍が無駄に大声で話しかけてきた。

 

 目をらんらんと光り輝かせながらにじり寄る忍の迫力に気圧されたのか、頭頂部にいたはずのニアスは後頭部へとずり下がった。

 

 再びニアスを持ち上げて正面に持ってくる。

 

ニアスは猛獣の檻に放り込まれたウサギのように、ぷるぷると震えて怯えていた。

 

尻尾は(すが)るように俺の腕に巻きついている。

 

 きっと本能で危ない人だとわかるのだろう。仔猫とはいえ、さすがに猫である。

 

「彩葉ちゃんと鷹島さんの家で飼われている猫だ。名前はニアスという。前に一度話したろ」

 

「そういえば言ってたわね。この仔が……かわいいぃ……」

 

 忍の瞳には星がきらめき、頬は緩みきっていた。

 

この屋敷でも猫を嫌という程に飼育しているのだから、たいして珍しくもないはずだが……猫それぞれに違う魅力でも感じるのだろうか。

 

「おお……徹に懐く動物が実在したとは、前に言っていたことは本当だったのか」

 

 忍に同行して恭也もやってきた。

 

 恭也の場合はニアスに、というよりも『俺が近づいても逃げない』という点にこそ驚いているようだ。

 

 しかし、『本当だったのか』などと吐くということは、俺の話を疑っていたのか。

 

なんてことだろう、親友二人は揃って、俺の言葉を容易に信じない傾向にある。

 

「さわってもいいかしら?」

 

 誰にともなく、強いて言えばニアスに許可を求め、返事を待たずに忍はニアスの純白色の頭を撫でようと手を伸ばす。

 

だが、掲げられた忍の手は、ぺにっという柔らかな音とともにニアスの右前足によって無情にも叩き落とされた。

 

 忍の表情は笑みをかたどったまま凍りついた。

 

まさか拒まれるとは思わなかったのだろう。

 

忍はもう一度手を伸ばすか、リプレイを見ているかのようにもう一度同じ具合でニアスに弾かれた。

 

ニアスは断固として拒否する構えである。

 

 拒否する時でもちゃんと爪を出さずに肉球で打つのがニアスの優しいところで、同時に賢いところでもある。

 

「…………ぐすっ」

 

「ちょっ、待て。待て待て、今はニアスの機嫌が悪いだけだ。忍自身に非があるわけじゃないと思うぞ」

 

 猫好きとしては仔猫に抵抗されるというのはかなりのダメージだったようで、心に傷を負った忍は涙ぐんだ。

 

口はへの字を描き、目は水気を帯びる。

 

 数多くの猫を育ててきた飼い主としてのプライドというべきか、自信というべきか、そういった経験から懐かれやすいという自負があったのだろう。

 

それらを木っ端微塵に打ち砕かれたのだから、忍の傷心もわからないわけでもなくもないでもない。

 

 いやまあ、正直なところよくわからない。

 

懐かれない経験のほうが豊富な俺からすれば、他にいっぱい懐いている仔達がいるのだから欲張りすぎだとさえ断言できる。

 

 そう考えるとあまり同情の余地はないな、あとのフォローは恭也に一任させよう。

 

 忍と恭也が移動したのが気になったのか、鷹島さんと長谷部、太刀峰もこちらにきた。

 

結局高校生組が全員集合してしまった。

 

「気にしなくてもいいよ、忍さん。その仔猫は誰にでもそんな態度なのさ」

 

「懐いているのは、綾音と彩葉にだけ……。逢坂が、おかしい……」

 

「おいこら、太刀峰。おかしいってのは言い過ぎだろうが」

 

「ニアスはあんまり人に慣れていないみたいなんです。私と彩葉に近づいてくるのも時間がかかりましたから。なのであんまり気にしないほうが……」

 

「ぐすっ……そうなの?」

 

「それでは俺もやってみようか」

 

 鷹島さんの言を証明するため恭也も試しに撫でようとする。

 

 これで恭也には肉球パンチを繰り出さなければ忍は泣き出してしまいそうな勢いだが、空気を読んだのか、はたまた単純に嫌だったのかは本人しか知りようがないが、ニアスは忍の時と同様に恭也の手を払いのけた。

 

 もう仕事は済んだよねと言わんばかりに、ニアスは俺の腕を伝って肩まで登る。

 

俺の右肩の上で、ニアスは器用に(くつろ)ぎ始めた。

 

 左手でニアスの頭を撫でると、ごろごろと喉を鳴らしてもっとやれとせがむようにすり寄ってきた。

 

「私がダメで徹がいいなんて、納得いかないわ」

 

「お前は家で飼ってるのがいるだろうが。それで満足しとけよ」

 

「わかってないわね、人に個性があるように猫にも個性があるの。私は猫を愛でたいんじゃない、その仔を愛でたいの」

 

「いいこと言ってる風だけど、結局ワガママ言ってるだけだよな」

 

「徹、あとで覚えておきなさいよ」

 

 俺が思ったことを正直に言うと、忍は俄かに目を据わらせて拳を握りこんだ。

 

 たかがこれだけのことで人を殴ろうとしないでほしい、怖いから。

 

「そ、そういえば忍さんのお家ではたくさん猫を飼っているんですよね? どこにいるんでしょうか?」

 

 さすがの鷹島さんである、助け舟を出してくれた。

 

 可愛らしく辺りを見渡して小首を傾げる。

 

「この部屋に来る時にも見かけなかったね、猫専用の部屋でもあるのかい?」

 

「大勢の人……怖いのかな……?」

 

「人には慣れているし、普段であれば誰かが遊びにくれば呼びもしないのにやってくるが、この場に来ないのはひとえに徹のせいだな。ちなみに猫専用の部屋もある。きっと今ごろはその部屋に逃げ込んで身を寄せ合っていることだろう」

 

 鷹島さん、長谷部、太刀峰の疑問には恭也が答えた。

 

 すべての責は俺に帰結するという口振りの恭也だが、いかんせん、返す言葉を俺は持ち合わせていない。

 

「さっきもちらと言っていたが、徹は基本的に動物から避けられる体質なんだ。徹がこの家に近づくだけで、猫たちは危険を察知するかのように逃げ出していく。もちろん徹が猫たちを虐めたとかではない。不思議だが、昔からそうなんだ」

 

 恭也の説明を受け、鷹島さんを筆頭とした三人は俺に憐れみの目を向ける。

 

 なにか言い返そうかとした矢先、背後で引っ張られるような感触を覚えた。

 

振り向けば、彩葉ちゃんが俺のシャツを人差し指と親指でつまんでいる。

 

 ニアスという撒き餌に(いざな)われた忍が食いついてからというもの、彩葉ちゃんをほっぽりだしてしまっていた。

 

テーブルには算数の教科書と、丁寧な字で事細かに書き込まれているノートが広げられている。

 

準備が完了してから、話が終わるのを邪魔にならないよう黙って待っていたのか。

 

 用意が済んだことを伝えるための手段が服の裾を小さく引っ張るなんて、なんていじらしい子だろう。

 

 それに恭也たちは、俺と彩葉ちゃんを取り囲むような位置にいる。

 

初めましての顔が多いこの場では心細かったことだろう。

 

 特に忍と恭也には恐怖心まで抱いていてもおかしくはない。

 

なんせ初めて会ったばかりでどういう人間性なのかもわからない状態で、部屋に入った途端に二人で手を組んで俺を気絶させるに至らしめたのだから、怖い人だと捉えるのも無理からぬことだ。

 

忍は美人でぱっと見近寄りがたい雰囲気を漂わせているし、恭也は表情があまり動かないので顔が整っていることも相俟(あいま)って気難しい印象を受ける。

 

 こんな奴らに接近されてたいそう不安であったことだろう。

 

注意が回らなかった俺の手落ちだ。

 

 すぐにやるからね、という意味を込めて服をつまんでいる彩葉ちゃんの手を握る。

 

「俺の話はもういいだろ。今日の主旨忘れんなよ、勉強しろ勉強。忍、お前は恭也たちを頼む。俺は彩葉ちゃんやなのはたちに教えるから」

 

「ちょっと待ちなさいよ、そっち賢い子ばっかりじゃない。こっちはあほの子が多いのよ? 私の負担が大きすぎるわ」

 

「あほの子……わ、私のことでしょうか?否定できないのが悲しいですけど……」

 

「それじゃあ僕はあほの子その二、かな。先生の説明は眠たくなるんだよね。科学の授業なんて子守唄みたいなものさ。実験とかは好きだけど」

 

「わたしは……あほの子、その三? 暗記が苦手な……だけ、なのに」

 

「俺は自習だけで充分間に合うから含まれないな、うむ」

 

 忍によってあほの子認定された鷹島さん、長谷部、太刀峰がそれぞれ返答する。

 

 恭也だけは、自分はそのカテゴリには当てはまらないと言いたげだった。

 

 実際恭也は家業の手伝いや剣術の修練に手を取られて予習復習の時間がなかっただけであるし、それほど授業に遅れているわけでもない。

 

一日本気で頑張れば取り返せる程度であった。

 

「わかったわかった、俺も見て回るし手が足りないようなら俺も手伝う。それならいいだろ?」

 

「仕方ないわね、その段取りでやりましょうか」

 

 忍は俺の提案を承諾すると、俺の後ろにいる彩葉ちゃんへと目線を合わせた。

 

「彩葉ちゃん、だったわよね。初めまして、よろしくね。あと、徹にやらしいことされたらすぐに報告しなさいね。私が懲らしめてあげるから」

 

 またも忍は俺のネガティブキャンペーンを実行していた。

 

 会う人会う人に誤解させて回るような忍の所業に慣れてきつつある俺も俺だが、形だけでも否定しておこう。

 

聞き入れてくれるとは思えないが異議を唱えておかなければ、いずれ忍の言っていることが事実としてみんなに受容されてしまいそうだからだ。

 

「お前は……初めて会う子にそういうことを……

「けっこうです。逢坂さんはそんなことしませんから」

 

 俺がもはや恒例となりつつある抵抗の意思表示をしていると、忍に悪質な洗脳を施されそうになっていた彩葉ちゃんが途中で言葉を挟んだ。

 

彼女らしからぬ声色で、どことなく棘まで感じる。

 

身体のほとんどを俺の背に隠していなければ、かなり剣呑な語調であった。

 

 初めて忍の悪口雑言をきっぱりと切って捨てた子を見た気がする。

 

 忍は彩葉ちゃんに向けていた視線を横にスライドさせ、俺へと焦点を合わせた。

 

「あんた……もう(たら)し込んでたの? いつもいつもどうやって取り入ってるのよ。奇跡的なまでの手際の良さね」

 

「聞こえが悪いわ。俺のことを信じてくれてるんだよ、彩葉ちゃんは。残念だったな、お前の策略は失敗のようだぜ」

 

「ここは退くしかないようね。さすが徹、ちっちゃい子を籠絡させたら他の追随を許さないわね」

 

「とんでもない言いがかりをつけてんじゃねぇよ」

 

 限りなく不名誉な称号を俺に授与すると、忍はあほの子ナンバー二(長谷部)ナンバー三(太刀峰)を引き連れて、テーブルのもといた席へと戻った。

 

恭也は彩葉ちゃんと一言二言程度話をして忍の後を追う。

 

 鷹島さんは、すでに天板に広げられたノートに向き合う彩葉ちゃんを見遣り、笑みを浮かべてから俺の耳元と口を近づけた。

 

「彩葉のこと、お願いしますね。人見知りなのに寂しがりやの甘えんぼなので」

 

「うん、任せてくれていいよ。うまいことできるかどうかはわからないけど、なんとか頑張ってみるから」

 

 はい、お願いしますっ、と隻句呟き、忍の背中を追った。

 

 姉の顔、とでも表現すればいいのだろうか。

 

鷹島さんからはいつものふわふわぽわぽわしたオーラが抑えられていた。

 

妹を心配する立派なお姉ちゃんである。

 

 俺はしばし鷹島さんの後ろ姿を目で追い、テーブルの上の教科書へと視線を落とした。


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