書いている時に何日か間が空いてしまうとどうしてもテンポが悪くなってしまいますね。
気をつけます。
きゃいきゃいと文句をつけてくるアリサちゃんをいなしながら食後のデザートを楽しんでいると、バタバタバタとヘリコプターのメインローターブレードが空気を叩く音が聞こえた。
この家はヘリポートまで備えているのか? ……今となってはあって当然な気もしてきた。
「徹くん、応接室へ案内します、ついてきてもらえますか? 旦那様がお話をしたいそうですので」
お話……アリサちゃんをからかいすぎた件でかっ……あまりに早すぎるっ。
「えっ、パパ帰ってくるの? なんでこんな時間に?」
「今日の正午にあった誘拐未遂の件についてです。大変心配なさっていました」
あぁそっちか、焦った。
娘を誘惑する男がいると知って、怒り心頭でヘリまで使って帰ってきたのかと……別に誘惑はしていないが。
「それでは徹くん、行きましょうか」
「は、はぁ。でも何を話せばいいんだ?」
「行けばわかります。さぁ、こちらへ」
応接室。
本革を使用したソファが片側二脚ずつ、ソファの間に背の低いセンターテーブル、インテリアにも気を使っているのだろうが、高級そうだなぁとしか感想が出ない自分の知識の浅さが悲しい。
えぇっと、たしか入り口から遠い方が上座だったよな……一番入り口から近いソファに座っておこう。
「なにしてるのよ、客なんだから奥に座りなさいよ」
アリサちゃんに押されるように奥側のソファへ着席、俺の隣にアリサちゃん。
いや……いやいや、バニングス家の家主である君のお父さんと話をするんだぞ、俺が上座に座っちゃだめだろう。
ということをアリサちゃんへ言うと――
「お仕事の話をするわけじゃないしいいでしょ。それにパパは細かいこと気にしないわ」
――という言葉を頂いた。
いいのかなぁそれで。
しばらく待っていると扉越しにばたばたばた、という足音が聞こえてきた。
徐々に足音が大きくなり近づいてきて、そして、ばんっと勢いよく応接室の扉が開かれた。
一応腰を上げる、座ったままというのは失礼だろうし。
アリサちゃんと同様の黄金色の髪を短く整えた、精悍な顔つきの男性。
スーツには詳しくないのでわからないが立派なものを召している。
ちらりと見えたが腕時計はショーパールか? 雑誌で見たモデルさんよりも格好良く見えるな。
靴はフェランテだろうか、やはり上に立つものは見せつけるというわけではないが、相応の物を身に着けておかなくてはいけないんだろうな。
入ってきた男性は額に汗を滲ませながら、荒々しく呼吸している。
「アリサっ! 無事だったのかっ、怪我はないか?!」
「あっパパ。お帰りなさうぶっ、ちょっと……苦しいっ」
バニングスさんは部屋に入りアリサちゃんの姿を視認するや否や、ぎゅうっ、と力強く抱きしめた。
文字通りに可愛い愛娘が誘拐されかけたんだ、それはもう胃に風穴が開くほど心配していたことだろう。
ひとしきり抱擁して安心できたのか、アリサちゃんのパパは一歩後ろへ下がり俺へと視線を向けた。
「君が逢坂くんだね。まずは感謝したい、ありがとう。君のお陰でアリサに悲しい思い、辛い思いをさせずに済み事無きを得た。本当にありがとう」
「い、いえ助けることができたのは偶然居合わせただけですんで、本当にお構いなく……」
今日は年上によく頭を下げられる日だ。
こんなに立場の高そうな人に頭を下げられると、さすがに恐縮する。
「自己紹介が遅れたね。アリサの父、デビット・バニングスだ。初めまして、そしてよろしく」
バニングスさんは俺に近付き右手を差し出してきた。
うっお、外国人みたいな挨拶だ。
俺も手を出して握手する。
大きな手、父親の手というのはこんなに大きいものなんだな。
「初めまして、逢坂徹です」
「君の手は…………重たい手だね……」
「はい?」
「いや、なんでもないよ。さっそくですまないが、話を聞かせて貰えるかい?」
バニングスさんが俺の手を見て何か言ったような気がしたが、よく聞こえなかった。
ソファに座り直して、俺の正面の席へ座ったバニングスさんを捉えて口を開く。
「誘拐未遂についての説明は私からしましょう」
いざ喋ろうとした時に鮫島さんに横から入られた。
前のめりになってしまった俺を見てバニングスさんが目を細めて笑う、どこか少年のような印象を持つ笑顔だった。
いつの間にかいなくなっていた鮫島さんは、いつの間にか飲み物を用意して突然現れた。
扉が開く音もしなかったんだけど、どうやったんだろう?
鮫島さんは用意した飲み物をテーブルに置いて行く。
俺にはお茶、アリサちゃんにはオレンジジュース、バニングスさんには紅茶を。
紅茶は飲めないし、コーヒーは砂糖とミルク必須なのでお茶で大いに助かった。
しかし、飲み物を置く順番は俺が最初で最後がバニングスさんだったんだが、それでいいのか?
先にバニングスさんに置くべきでは……。
飲み物を配り終えた鮫島さんが全員から見えやすい位置へ移動し、今回の件について説明し始めた。
鮫島さんは、リムジンの前を邪魔するようにセレナが割り込んできたところから、俺が介入して現場を収めたところまで、一から十までを理路整然と分かりやすく解説してくれた。
思えば俺は途中から助太刀に入ったんだから、説明するのに適しているとは言い難かったな。
「つまり逢坂くんが助けに来てくれていなければ連れ去られていた、ということだな。本当にもう、君には感謝してもしきれないな」
「いえ、大したことはしていません。連中の身柄を取り押さえたわけでもありませんし」
「そうかな、僕にはそうは思えないんだけどね。アリサが君をそこまで信頼しているんだ、それだけで十分に大したことをした、と僕は考えるけれど」
バニングスさんが言う『そこまで』というのは、今現在俺の左手を掴んでいるアリサちゃんの右手を指しているんだろう。
話の途中、アリサちゃんが男達の車へ入れられ連れ去られそうになったくだりで、ソファの肘掛けに置いていた俺の左手をアリサちゃんが握ったのだ。
誘拐されそうになった恐怖を思い出したのか、俺の手を握るアリサちゃんの右手がかすかに震えていたので、俺はその小さな手を握り返した。
安心できるように優しく、でもしっかりと。
バニングスさんがやんわりと言葉に出し、視線を向けたことでアリサちゃんは素早く右手を引っ込める。
胸の辺りで右手を左手で押さえ、視線を落とす姿にきゅんときた。
不謹慎ながら、いつも気の強いアリサちゃんが弱さを見せるというギャップに萌える。
「しかし鮫島、君も老いたなぁ」
ソファに浅く座って前かがみになるように話を聞いていたバニングスさんはやっと深く座り、背もたれに身体を預けながら斜め後ろにいる鮫島さんへ声をかける。
アリサちゃんを守れなかった事を責める様な口調ではなく、からかうような言い方だ。
「寄る年波には勝てません」
苦笑いを浮かべながら鮫島さんが返す。
主従という関係ではあるが、長い年月を共にした友人のような雰囲気だ。
だが鮫島さん、あなた入り口の扉の前で話していた気がするのですが、いつの間にバニングスさんの後ろへ移動していたのですか、瞬間移動ですか。
「道場がなくなってからは研鑽を積む機会がなくなり、衰える一方です」
「……えっ! 道場なくなったの!?」
あまりに自然に話すので危うく聞き逃すところだった。
道場がなくなった? そんな馬鹿な! 師範はあと百年は生きていけそうな人だったのに……。
「ご存知なかったのですか? 徹くんが道場をやめ、少しした時に師範が『次はちょっくら、世界を見てくるわい』と言い修行の旅へと出かけてしまいまして。なので今は道場は閉鎖されています」
やっぱり師範が死んだわけではなかったのか、安心した。
師範の触れ込みは『トラックが乗っても大丈夫』だからな、そう易々とくたばるような人間じゃない。
すでに分類が人間じゃないかもしれないが。
しかし困った、バイトを休みにしてもらったのは魔法の勉強もあるけど、師範の下で近接格闘を学び直したかったから、という理由もあったんだけど……。
「鮫島、逢坂くんとは知り合いだったのかい?」
「はい、言わば同門というもので。彼はまだ若いながらとても優秀です」
「ほう、なら後で練習試合でもしたらどうだ? お互いいい経験ができるんじゃないかな。僕としても仕事をほっぽり出して帰ってきてしまったんだ、エキサイティングな催し物でも見物しなければ仕事に戻れそうにないよ」
「ほんとにパパは子供っぽいんだから。でもわたしももう一回見てみたいな、徹の戦うとこ」
どうしよう、と鮫島さんに視線を送ると、お好きなように、と手で合図された。
「それなら俺からもぜひ。ご教授願える相手を探していたので」
「それでは後ほどお手合わせお願いしますよ。徹くんと試合をするのは久しぶりなので年甲斐もなく張り切ってしまいそうです」
張り切らないでください、俺が死んでしまう可能性があるので。
でもこれは僥倖だ、同じ道場の鮫島さんからなら盗める技もあるかもしれない。
「楽しみが増えたよ。さて、話を戻そうか。アリサを守ってもらったんだ、逢坂くんにはなにか礼をしたいんだが……」
「徹には前にも助けてもらったからその分も必要ね」
気にしなくていいと言っても恐らく聞かないんだろうな。
大きな家ということもあるし、なにかしらの体裁もあるのかもしれない。
そう思って俺は先手を打っておいたのだ。
「豪華な食事をすでに頂きました。それで十分ですよ」
これでバニングスさんも気にする必要ないだろう、俺賢いっ!
バニングスさんは俺の言葉を受け、一瞬きょとんとして、吹き出すように笑った。
な、なんだ、なにがおかしいのだ。
「変わった青年だな。無欲なのかい? ふふっ」
「あははっ、徹はこういう性格だもんねっ! ヒーローだもん、お礼なんかなくたって人助けするんだもんねっ」
「助けていただいた時も何も言わずに立ち去ろうとしていましたね、そういえば」
俺のとっておきの策を笑われた、腹が立つというほどではないけれど少しおもしろくない。
そんな気配を察したのか、バニングスさんが慌てて訂正する。
「いやすまない、馬鹿にするつもりはないんだ。仕事では弱味を見せたり、ましてや借りを作ってしまうと何を催促されるかわからなくてね。正直な話、無茶な要求でもされるのかと思っていたところに君が、『食事で十分』なんて言うものだから、ついね」
まぁ確かに、仕事上の駆け引きを知っているバニングスさんからしたら俺の言葉は笑ってしまうほどに甘い、大福に練乳掛けて粉砂糖ふりかけるくらいに甘いんだろうな、なにそれおいしそう。
「ですが俺はこれといって何か欲しいわけでもないんですけど」
「それなら今答えなくても構わないよ。また今度、思いついた時にでも言ってくれればいい」
その申し出はありがたいな、なにか思いつけばお願いすればいいし、このままうやむやにすることもできる。
配慮ありがとうございます、という俺の言葉で今回の件についての後処理は九割方終了。
話の終わりが見えたので、アリサちゃんがパパと雑談し始めた。
俺とのお喋りがすごく楽しかった、という話から口火が切られ、今日話題として挙げられたことを転々と話し、それにバニングスさんが温かい笑顔で相槌を打つ。
アリサちゃんの話は、気持ちが先走ってしまって支離滅裂だし要領を得ない部分もあったけど、きらきらした笑顔で心の底から楽しそうに、身振り手振りをまじえながら話すもんだから自然とこっちまで頬が緩んでしまった。
「そうだ、忘れてたわっ! ねぇパパ、徹はオーラが見えるんだって!」
上がっていた口角が引き攣った。
ガッデム! なぜここでそれを思い出す! 忘れたままで全く構わなかったのに!
オーラという言葉が出た瞬間、鮫島さんの口からかすかに空気が漏れるような音が聞こえた。
笑うなよ、笑うんなら助けてよ。
「おぉ! 逢坂くんにはそんな能力があるのか、すごいじゃないか。折角だし僕も見てもらえるかい?」
こんのっ……親子そろって純粋なのかっ! バニングスさんは仕事やってく上でそれでいいのかっ?!
……でもいい機会かもしれない、今回の件の後処理……その残り一割をそれとなく忠告しておくチャンスだ。
この後に話すタイミングはないかもしれないし。
「え、えぇ……わかりました。少々お待ちを」
アリサちゃんにはわからない程度にぼかしながら、それっぽい言葉を頭で考え組み立てる。
「色褪せた金色、不適な黒点、獅子身中の虫」
俺のイメージ上の占い屋さんを思い浮かべてそれらしい言い回しをする。
アリサちゃんの時と占い結果の表現方法が違うが、それには目を瞑ってもらおう。
「なんと……いや、本当に……?」
目を見開いて驚愕の色を隠せずにいるバニングスさん。
曖昧な言い方をしたおかげでアリサちゃんは不得要領といった感じで首を傾げている。
後処理の残り一割、これが本題とも言えそうだが……アリサちゃんを誘拐しようとした連中の出所、どこのどいつが誘拐を企てたのかという問題だ。
俺の占い結果――実際のところ、占いではなく考察の結果だが――で、バニングスさんを揶揄しつつ鎌をかけてみた。
バニングスさんの反応からすると心当たりがありそうだな。
誘拐しようとした男達は、服装からも分かるが統率された動きをしていて、ナンバープレートに傷や歪みがあったってことはどこかから盗んだんだろう、事前に用意されていて今回使った。
行き先を決めずにドライブしていたアリサちゃんの足取りを掴めるような相手、リーダー格の男が言った『指令』という言葉。
つまり計画性があって組織的、誘拐するよう指示した人間がいる。
車の動向を把握できたのはGPS発信器でもつけていたのだろう、探せば出てくるんじゃねぇかな。
俺の言葉で驚いたバニングスさんのリアクションから、バニングスさんの会社の内部に男達に命令した人間がいるという、俺の推察はそう間違っていなさそうだ。
誘拐しようとした理由まではさすがに知りようがないな、情報が足りない。
バニングスさんは俺の言葉をゆっくり考え、のみ込んで再び口を開いた。
「はは……そうだね、君の言う通りだ。組織が大きくなるといろんな考え方を持つ人が出てくるからね。僕の考え方と違う人達が僕を疎んじて……という事はあり得るだろう。上に立つ者が下を抑えられないようじゃいけないんだけどね」
俺の言いたいことは伝わったようだ、これでアリサちゃんの安全面が考慮されたら嬉しい。
色褪せた金色はバニングスさんを、不適な黒点は誘拐を目論んだ人間を、獅子身中の虫はバニングスさんの会社に犯人がいるんじゃないか、というメタファーだ。
上に立つ者……詳しくは言っていないのでわからないが、やっぱり高い役職についてるんだな。
だいぶ調子乗ったこと言っちゃったのに怒らないとか、どれだけ寛容なんだバニングスさん。
「若輩の身で生意気言ってすいません」
「いいんだ、はっきりと物を言ってくれる方が信用できる。社内で僕の近くにいる人はこんなこと言ってくれないからね、ありがたいよ」
「きょ、恐縮です……」
懐が深いというか、器が大きいというか。
こんな立派な大人の男にこう言われると、なんだか認められたような気がしてすごく嬉しい。
「ねぇ、なんの話をしてるの? よくわからないんだけど……」
アリサちゃんに袖をくいっと引っ張られて訊かれた。
どう説明したものか、社会の……人間の黒い部分について話していたからな。
「アリサ、逢坂くんはとても優秀だね。アリサが気に入るのもわかるよ」
「っ! でしょっ! ま、まぁ優秀なのは当然だけどね!」
さすがアリサちゃんのパパ、話をそらすのもお手の物である。
「私の初めて男なんだからっ」
空気が死んだ。
凍るとかそんな陳腐な表現じゃ足りないほどの静寂。
アンティーク調の古式ゆかしい古時計が規則正しい音を奏でていなかったら、本気で時間が止まったと錯覚していただろう。
鮫島さんもバニングスさんも、当然俺も表情が固まる中、アリサちゃんは自分が何を言ったのか理解していないようで、笑顔のまま話し続けている。
アリサちゃんへと向けられていたバニングスさんの視線が、すすっと横へスライド、俺へとまるで銃口を向けるように照準が合わさった。
「ち、違う、バニングスさん違いますって! アリサちゃん? 初めての『男の親友』なんだよね? 言いたかったことはそういう意味だよね?」
「あれ? わたしそう言わなかった?」
「……ちっ……責任を取らせてゆくゆくは会社に引き込もうと思ったのだけど……」
「バニングスさん、聞こえてますからね」
やはりこの人は純粋なだけではない、茶目っ気もあるが会社のトップなだけあって黒い部分もあるようだ。
「徹くんがこの家に入ってくれれば、私の仕事も楽になると思ったのですが残念です」
「なにを期待してんの鮫島さん」
危うく俺の将来が決定されてしまうところだった。
なるほど、これがバニングスさん言うところの『弱みを見せたら負け』ということか……社会の怖さを身に染みて感じたぜ。
「さ、僕もそろそろ会社に戻らないといけない時間が近づいてきたし、中庭に移動して鮫島と逢坂くんの試合を見ようじゃないか。ほらアリサ、逢坂くんの格好いいところを見に行こう」
「うんっ! ほら、はやく行くわよ二人ともっ」
バニングスさんの後ろをアリサちゃんがてこてこついていくのを見ながら、俺は鮫島さんと顔を見合わせ苦笑いをこぼした。
人数が多いときの会話が難しい。
これからの課題。