巨大かたつむりの殻を置いていた小道から、気を失ったフランちゃんを抱いてみんなのいる小部屋まで戻ってきた。
部屋にいたのは長い足を組んで本を読むランちゃんだけだ。その姿はまるで小洒落た喫茶店のオープンテラスで柔らかな日差しの下読書に興じているかのような優雅さで、実に様になっている。ここが陰気で閉塞的な土壁に囲まれた一室とは思えない。黙ってさえいれば。
「おかえりなさぁい。どこ行って……あらん?抱えているのはフランちゃんかしらぁ?」
「ああ、ちょっといろいろあってな……。フェイトやクレインくんは?」
「フェイトちゃんとクレインちゃんは休憩のローテーションよ。二人とも徹ちゃんが戻ってくるのを待ってるって言ってたんだから」
「あー……言いそう」
「いつ戻ってくるかもわからなかったし、徹ちゃんが戻ってきたらすぐ休むように伝えておくわぁ、って背中を押して無理やり休ませたの。私に嘘をつかせるようなことにしないでほしいところねぇ」
「そりゃ休むって。俺も疲れてるし」
空いていたベッドにフランちゃんを寝かせ、ランちゃんの近くに椅子を引いてくる。
「ランちゃん、本読むんだな。なに読んでんの?」
「『十三番目の彼女』っていうミステリーホラーで、ちょっと古い作品だけどいまだに根強い人気があるの」
「ミステリーホラー……それならすごい似合ってるな」
「あら、なんだか褒められているようには聞こえないわねぇ。お嬢ちゃんじゃあるまいし、私だって読書くらい嗜むわよぉ?」
「たしかにアサレアちゃんが本読んでるほうが意外かもしれないな。……そういえば、そのアサレアちゃんは?ローテーションならランちゃんとアサレアちゃんが起きる番なんじゃねえの?」
そう俺が尋ねると、ランちゃんはふぅ、と一つため息をついて、ふたたび文字列に目を落とした。
「お嬢ちゃんならまだ寝てるわぁ。のんきにね」
「寝てるわぁ、って起こさなくていいのか?」
「警戒なら私一人でもできるもの。お嬢ちゃんがいても騒がしいだけでお邪魔だし、フェイトちゃんとクレインちゃんもゆっくり休めるし、私はこうして一人でじっくり本も読めるし、全員にとって好都合よぉ」
「はは、優しいな」
「あら、私の株上がっちゃったかしらん?そうでしょう、仲間思いでしょう。全部本音なのだけれどねぇ」
「本音なのかよ。……まあ、アサレアちゃんに聞かせるのもどうかと思う内容だからな。俺にとっても都合がよかった。ちょっと相談しときたかったんだ……フランちゃんのことを」
「徹ちゃんのお顔を見る限り……あまり楽しくなさそうなお話になりそうねぇ?」
ランちゃんは開いているページに栞を挟んで、ぱたんと本を閉じた。
あまりにも血なまぐさい話なのでそうそう語りたくはない内容だが、せめてランちゃんには伝えておいたほうがいいだろう。俺がその場にいない時、みんなの指揮を執ってもらわないといけない。
それに、客観的な意見も聞きたかったのだ。
ブックカバーに包まれた文庫本をテーブルに置き、俺に身体の向きを合わせたランちゃんに伝えた。
上層で見つけた物、別行動になって入った小部屋に置かれていた絵本。俺が単独で動いて発見したもの。巨大かたつむりの殻を置いた小道でのフランちゃんの言動。すべて俺が見て、触れて、聞いた事実のみ。俺の想像や推測は一切省いた。
「……先に言っちゃうと、きっと私も徹ちゃんと同じような考えでしかないわ」
俺が話し終えて、頭の中で整理するようにしばし口を噤んでいたランちゃんはそう切り出した。
「疑わしいし怪しいけれど、証拠は状況だけ。確証はないわ」
「……その通りだ」
あくまで間接的な証拠でしかない。俺もそれをずっと考えていて、そのせいでずっと悩んでいた。犯人を特定するには、当事者の証言か、もしくは推認できるだけの確度の高い情報が必要だ。
現時点で、それだけの情報はない。
つまりは、今の段階で誰が犯人だと決めつけることはできない。やはりランちゃんも、俺と同じ結論だったか。
「それに記憶をなくしたみたいなフランちゃんの発言も考察してみないと。『助けて』とそう言ったのなら、まったく別の線も……フランちゃん以外の存在の可能性もあるわ」
「そうなんだよなあ……。仮に、あくまで仮になんだけど……フランちゃんがやったって考えても、不可解な点は残ってる」
「どれだけかはわからないけれど、数十人規模の人数を殺めることがフランちゃん単独でできるとは思えないってところよねぇ……。確実に抵抗されるでしょうし、フランちゃん自身もただじゃすまないでしょうし、なにより動機もわからないもの。大量殺戮しておいて、未だにこの鉱山にい続ける精神性も理解できない」
「そう。……でも、フランちゃんじゃない第三者がやったって考えるのも現実的じゃない」
「獰猛な魔法生物の目をかいくぐって鉱山に侵入し、迷路のような坑道を魔力を奪われながら大広間まで踏破して、なおかつ住民を殺害する。いったいどれだけの魔導師がそんなことできるのかしらね。『海』にもそうそういるとは思えないのだけれどねぇ」
「それに第三者がいたのだとしたら、フランちゃんだけ生き残れたってのも筋が通らない」
「そうねぇ。その第三者が女子どもを殺さないなんていう考えを持っていたのだとしても、フランちゃん以外にも女性や子どもはいたでしょうしフランちゃんだけを殺さない理由は見当たらないわ。普通なら、事件の発生が露見しないようにフランちゃんを含めて全員口封じするところよねぇ」
「なにより……フランちゃんがやったなんて感情的に認めたくない……」
「……私も、あのフランちゃんがまさかって思うもの。仲良くなった徹ちゃんなら特にでしょう。……まぁ、あれよぉ。なににしたところで、情報が乏しい現状下で決めつけるのは
「俺も同意見なんだけどさ……でもこの限られた空間で、しかも事情を聞けそうな人物はフランちゃん一人だけ。探し回った結果見つけられた情報がさっき言ったあれだけなんだぜ。そう簡単にみっけらんねぇよ」
「そうでしょうねぇ。正直、この短時間で情報収集できていたのに驚いたくらいだけれど。もしかしたら今回は持久戦になるかもしれないわねぇ。幸い、寝る場所も飲み水も、一応食べ物もフランちゃんが提供してくれるわぁ。一、二週間くらいは大丈夫でしょうねぇ」
「その場合俺が大丈夫じゃねえよ。学校どうしてくれんだ」
「踏ん切りつくんじゃなぁい?この際、すっぱりと学校なんてやめちゃって嘱託魔導師でやっていけばいいの。よっぽど活躍できるわぁ。その時はユーノちゃんも誘って一緒に組みましょ?」
「なんかちょっとそれも楽しそうだなって思っちゃたけどだめなんだって。姉に学校は卒業してくれって言われてんだから」
「あら、そう?残念ねぇ」
どこまで本気なのかわからないが、ランちゃんは頬に手をあててくすくすと笑った。
「…………」
不意にランちゃんの視線が俺を外れて、テーブルに置かれた文庫本へと注がれる。何か言いたげに口を開くが、躊躇いがちに閉ざされた。言い淀むなど、彼にしては珍しい仕草である。
「どうした?」
「……いいえ、べつに……もしかしたらと、思ったのだけれど……ちょっと荒唐無稽ねぇ」
「いいよ。なんか感じたんなら話してくれ」
再び口ごもってから、ランちゃんは切り出した。
「この本ね、ミステリーホラーって言ったけれど、主要人物に多重人格の子がいるのよ。本の中で紹介されていた症状、と呼んでいいかはわからないけれど、その症状が……さっき徹ちゃんが言ってたフランちゃんの言動と重なるというか……」
「多重人格……。フランちゃんが……」
「きっとついさっきまでこの小説を読んでいたせいね。バーナム効果みたいなものかしら。あんまり本気にしないでねぇ」
「いや……絶対に関係ないって決まったわけでもないんだ。よかったらどういったものなのか教えてくれ」
「え?ええ、いいけれど。といっても、私もさほど詳しいわけじゃなくて、この本で書かれていたこと程度しか知らないわよぉ?」
「それでもいい。それでもなにか手がかりになるかもしれない」
「それじゃあ……」
ランちゃんは頭の中を思い返すように目を閉じたり、記憶が不安な時には文庫本のページを遡ったりしながら、どういったものなのか概要を教えてくれた。
まとめると。
多重人格障害、解離性同一性障害とも呼ばれる、一つの身体に複数の人格を有する精神疾患。第九十七管理外世界にも存在する疾患とほぼ同一なようだ。
複数の人格が一つの心の中にあり、スイッチが切り替わるようにして別の人格が表層に浮上する。そのスイッチは何らかの外部からのショックで、多くの場合ストレスが引き金となる。人格が入れ替わる際は気を失うことがほとんどで、入れ替わり中は人格間で記憶の共有はない。
「そんな精神疾患が発生する理由は……」
わざわざ聞かずともわかっていた。そういった心の病気を発症する原因なんて、気分のいいものではないのが通例だ。
「……肉体的、精神的な激しいショック……つまりは強いストレスよ」
「…………」
自分を殺してしまうほどのストレスから、自分の心を守るための手段。防衛本能。
「フランちゃんが犯人ではないのだとしたら、この国の人たちを……自分以外を殺害されたことによる強烈なストレスから逃れるために人格が分裂したとしても、おかしくはないんじゃないかしら」
「ありえない話じゃ、ない……。あくまで一つの可能性として、だけどな……」
ありえない話じゃない、どころじゃない。きっとそうだ、そうに違いない、と決めつけようとする自分がいる。
フランちゃんが犯人じゃないと信じている。いや、信じたがっている。そう思考にバイアスがかかっていることを自覚しているのに、どうにも一歩引いて考えられない。冷静に判断できない。
今は正否の確認は脇に置いておいて、解離性同一性障害の疑いがあるとして保留するしかないだろう。どちらにせよ、俺もランちゃんも、精神科医でもなければ心理学者でもないのだ。診断なんてできない。断定なんて、もっとできない。
「ん……っ、はい!とりあえずお
手探りの思索が暗中を空転し始めた時、ランちゃんがぱちんと
まったく身構えていなかったのでちょっと驚いた。
「え、えっ……突然なに?」
「答えなんてすぐに出ないもの。この件を引きずって時間と体力を費やすのは無意味よ。だから、うじうじ考えるのお終い!」
どんよりした息苦しい空気を打ち払うように、明るい声色、明るい表情でランちゃんはそう言った。
思わずつられて俺も頬が緩む。
「は、はは……そうだな。どうせ考えたところで答えなんて出ないんだしな。建設的じゃねえや」
「そうよ。もっとゆったり考えましょ。……さて、情報共有も済んだことだし、徹ちゃんはそろそろお休みなさいな」
「よし、そうさせてもら……あれ?俺どこで寝ればいいんだ……」
この部屋で暮らしていた家族は四人家族だったのか、ベッドは四基しかなかった。
休憩のローテーションに入っているフェイトとクレインくんで二基、抱えてきたフランちゃんを寝かせて一基、そして幸せそうな寝顔で絶賛お寝坊中のアサレアちゃんでもう一基。
そんなわけで、据え置かれているベッド計四基はすべて埋まってしまっていた。
「ま、フェイトのベッドでもいいか」
「お嬢ちゃんを叩き起こしましょう。そもそもこのねぼすけさんが悪いのだからねぇ」
冷たいというか、とても残念な人を見る目でランちゃんはすやすやと気持ちよさそうに寝息を立てるアサレアちゃんを見下ろす。
ランちゃんはよりにもよって肩とかじゃなく頭を引っ掴んで起こそうとしていた。家では一緒に寝ることも多いので、俺はフェイトのベッドにでも入らせてもらえばいい。そうランちゃんを止めようと肩に手を置こうとして、気づいた。
「ランちゃん、肩、後ろのほう破けてるぞ」
「あぁん、ゴーレムと戦っている時に引っかかっちゃったのよぉ」
恥ずかしいのか、くねくねと身をよじらせて顔に手をあてていた。自分よりも背の高い屈強な人間のそんな動きは、間近で目の当たりにするとちょっとしたホラーだ。
「いやいや……服が破けただけでよかったな。下手したら勢いよく引っ張られて身体ごと持ってかれるとこだっ……た……」
頭の中で、一つの
あとは、確固たる証拠があれば。
「さて、どうやってこのお嬢ちゃんを叩き起こしてあげようかしらん?」
アサレアちゃんの頭に伸ばされるランちゃんの手を掴む。きょとんとした顔で振り返るが、俺はそちらに意識を割けなかった。
脳内を駆け巡ってとどまらない一つの可能性についての検証で、それどころじゃない。
「……まだ起こさなくていい。ちょっと確認したいことができた。俺が戻ってきて、まだアサレアちゃんが眠ってたらその時に起こせばいい」
「その確認は、せめて身体を休めてからでもいいんじゃないかしらぁ?いったいどれだけ働くつもりなのよ、徹ちゃん」
「いいんだ、気になって眠れそうにないから。こっちのことは任せた」
「はぁ……。そこまで言うのなら無理に引き留めはしないけれど……でも適度なところで休むのよ?あとできるならフェイトちゃんが起きる前に戻ってきてほしいわぁ。徹ちゃんを休ませるってフェイトちゃんと約束しちゃってるんだもの」
「わかってるって。俺も休みたい気持ちは一応あるんだ。探し終わったらすぐに戻ってくるから」
*
ランちゃんの『休憩してから調べれば?』という甘い誘惑を振り切って、俺はまた大広間に戻ってきた。
目的は二つ。これまでに出てきた物の再確認と、俺の推測を裏付ける証拠の再調査だ。
目的の一つの『再確認』についてはすぐに済んだ。
やはり、犯人はフランちゃんじゃない。
その推論は俺のささくれ立った精神を若干でも和らげる効果があった。
しかし問題は、もう一方の『再調査』のほうだった。
「……はあ。くそ、見つかんねえ……」
犯人はフランちゃんではなかった。なら他の誰かがやったということになるが、その証明ができない。俺が求めているもう一つの、第三者がいたという痕跡が見つからない。
住人を殺したのはフランちゃんではない第三者だったとして、ならばどうやってこれだけの数の遺体を埋められたのか。浅くはない、しっかりと隠れるほど埋めようとすれば、労力はかなりのものになる。しかもその第三者が隠蔽しようとする理由もわからない。
大広間の痕跡から、まず間違いなくフランちゃんのゴーレムが使われているはずなのだ。
探せど探せど、見つからない。探し始める前から、というか推測を立てた時から見つかる確率はだいぶ低いだろうと覚悟していたが、二時間近く忠犬の如く土を掘り返しても出てこない。
こうして一所懸命に捜索しても、下手をすればそもそも存在しない可能性だって充分にありえるのだ。と、考えて、すぐに弱気で後ろ向きな思考を絞め殺す。諦めるための言い訳を作る時間なんてまるで意味がない。
「……疲れた」
どうにかして自分を奮い立たせようとするが、さすがに疲労困憊だ。捜索は継続するが、せめてランちゃんの勧め通り休憩してからにすればよかった。
小休憩がてら、畑に
一休みしつつ、とある方向に目をやる。大広間の端のほう、ランちゃんとクレインくんが通ってきた坑道がある。ゴーレムと戦っていた場所だ。
その付近には大きな穴ぼこと、大きな土の山。ゴーレムを作り出した時の穴と、ゴーレムを解除した時の土の山だ。
そこから少々中央寄りに、地雷でも爆発させたように撹拌された地面が二十メートル近く延びている。フランちゃんが俺を圧し潰そうと巨大なゴーレムの腕を部分構築して繰り出した土石流の爪痕である。
魔法の使用が制限されている環境下では、これ以上恐ろしい魔法もない。
「あっと、果汁が……。これうまいけど水分多いなあ……」
ぼんやりと戦いの跡を眺めながらフルーツを食べていたら、ぽたぽたと果汁が滴り落ちた。手がべたべたするのは仕方がないとして、服が汚れるのは嫌だ。服についていないだろうかと下に目線を向けた。
「っ……はあ。不意に出てくるとやっぱびっくりする……」
また骨があった。しかも一番人とわかりやすい頭蓋骨だった。
探すぞ、と覚悟を決めてやっている間は気を張っているので大丈夫だが、こうして気が緩んでいる時に出てこられると、さすがに背筋に寒いものが走る。
「ってあれ、これ……砕けて……」
本当に、運命の悪戯じみた偶然だった。
視界に入ったその頭蓋骨は、頭のてっぺんから硬く重たい物で押し潰されたように一部が砕けていた。
他とは明らかに違う殺害方法だ。
「っ、やっと…………」
畑で
地面が撹拌されたようにぐちゃぐちゃになっていて、おかげで地面は柔らかく掘りやすいがどうやら頭蓋骨から下の骨は周囲に散乱してしまっているようだ。それでも犬っころ顔負けに地道に周辺を探る。
「…………」
どれだけ時間が過ぎただろう。骨を掘り出すという行為に心が拒否反応を示さないくらい神経が麻痺し始めた頃だ。
「っ、見つけた……っ!」
ようやく、ようやく見つけた。
先に見つけた頭蓋骨、そこから下の部分。
死者が着ていた衣服と、手付近の骨。
服には血痕はあっても焼け焦げた跡はない。
指の骨には見覚えのある金属質の輪っか。
この国にいたはずの第三者の証拠どころのものじゃない。発見したものはもっとわかりやすく、特定できるに足る物品だ。
「やっぱり……フランちゃんじゃなかった。でも……これは……」
出土した指輪を手に取る。
その趣味の悪い指輪を握り締め、我慢できずに悔しくやるせない思いが口から溢れ出す。
「ああ……やっぱり、こうなるんだな……」
ここまで独立した一つの点でしかなかったピースが、明らかな意味を持ってその存在を誇示する。
この世界の在り方。
生き物の習性。
鉱山の性質。
光る石と魔力を吸収する金属。
絵本の内容。
オンタデンバーグという国の国民性。
フランちゃんの精神状態。
『十三番目の彼女』。
埋められた遺体。
「わかったところで、今更……」
点と点が繋がり、線になり、一つの結末を描いていく。
描かれた結末は、やはりくそったれなものだけれど。