そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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私たちの王

「話の前に言っておきたい。君はたぶん、俺を昔の王と勘違いしてる」

 

「……?」

 

フランちゃんから詳しい話を聞く前に切り出した。

 

誤解されたままのほうがスムーズに情報を引き出せるかもと打算は働いたが、それでもはっきりと言っておきたかった。騙したままではフランちゃんを利用するみたいで気持ちが悪いという感情的な面もあったが、なにより後になって違うと露呈したほうが都合が悪い。騙されたと感じ、致命的に信頼が崩れれば話をするどころではなくなる。それが一番困ると、そう考えた。

 

結局はメリットとデメリットを天秤にかけてどちらがより得をするかを比べているところに、自分で自分に呆れ果てる。

 

「昔の王?」

 

「徹、なんの話?」

 

「アサレアちゃん。二人に事情を説明しといてもらえるか?」

 

「え?う、うんっ!わかったわ!」

 

ランちゃんは別行動だったし、フェイトは疲労でダウンしていた。絵本から知り得た情報を二人は知らない。

 

先にフランちゃんと話がしたかったので二人への説明はアサレアちゃんにお願いした。のだが、妙に元気というか、機嫌がよさそうだった。

 

「俺の名前、おぼえてる?」

 

フランちゃんにそう聞いてみる。彼女は生白い指で俺をさした。

 

「……タウル。オンザークーニヒ 」

 

「俺はそのタウルって人じゃないんだ。……わかる?」

 

「…………?」

 

かすかに髪が揺れるくらい、ほんのわずかに頭を傾けた。わかっていなさそう。

 

「あー、くそ……。ベルカ語勉強したけど、読み書きくらいしか……あっ」

 

閃いた。

 

思わず声に出してしまったせいで、フランちゃんがびくんと肩を跳ね上げた。

 

伝わるかわからないが、驚かせてごめんね、と謝って、フェイトのリュックから荷物を取り出す。

 

「フェイトー、ノート借りるぞー」

 

「うん、いいけど……なにするの?」

 

「え?筆談」

 

取り出したのはノートとボールペン。

 

時間が余った時にフェイトの勉強を見ようと思い、リュックに入れておいたのだ。まさかこんな使い方をするとは想定していなかったが。

 

不思議そうにじっと見つめる覗き込むフランちゃんの視線を感じながら、文字を綴る。

 

『書いて話そう』

 

ノートの頭にそう書いた。

 

正直、文法とか単語の綴りとかが正しいか自信はない。聖王統一戦争後は穏やかとはいえ、時代や地域によって文章にはある程度の差異があるのだ。

 

ノートに目を落としたフランちゃんはこっちを見て、こくこくと頭を縦に振る。通じたようで一安心。

 

彼女はノートに手を伸ばして、短く

 

『うん』

 

と書いた。

 

「それは書かなくてもわかるけどな」

 

「……?」

 

首を傾げる様子が、なんだか面白かった。

 

さて、本題だ。

 

ボールペンを受け取って、書き出す。

 

『俺は君の言うタウルって人じゃない。徹、だ。君の求める人じゃない』

 

短文でさえ自信がないのに長文になるともっと不安になる。伝えたいことさえ伝わってくれていれば、それでいいのだけれど。

 

俺が書いた文章をフランちゃんは指先で追う。

 

何度か指で往復して、フランちゃんはペンを手に取った。

 

『わかってる。本人じゃない。生まれ変わり。ワタシたちを救う王様の後継者。ワタシたちを導く王。ワタシの王』

 

読み終えた瞬間にもう一度読み直した。読み間違えているか、そうでないなら俺がベルカ語を誤って憶えてしまったのだと思ったほどだ。

 

読むのに時間がかかっている俺を見かねたのか、俺の横に腕がくっつくほど近くまできて、文章を音読しながら指でなぞった。ベルカ語をちゃんと理解できていないと察してか、ゆっくりとした口調だ。

 

そうして教えてくれる中、文章の末尾で聞いた単語が出てきた。

 

「オンザークーニヒ。……マインクーニヒ」

 

フランちゃんが何度か口にしていた『オンザークーニヒ』とは私たちの王、我らが王、などという意味合いだった。

 

言葉の意味がわかっただけ進歩ではあるが、根本的な誤解が依然として残っている。

 

もどかしい気持ちを抑えて文章を作る。

 

『そうじゃなくて、生まれ変わりでも子孫でもない。ここには仕事で訪れた』

 

「…………」

 

メモ帳を見て、一瞬固まってすぐに手が動いた。

 

『そんなわけない。じゃないとおかしい。ワタシの王。ワタシたちを救ってくれる。ワタシを助けにきてくれた』

 

最後は書き殴るような勢いだった。雰囲気が少々ぴりついたのを肌で感じた。

 

あまり深く突っ込んで鬼やら蛇やらを出す間抜けは演じたくない。

 

遠回しでも構わない。この山、この国のことを聞けるのは今のところ彼女しかいないのだ。勘違いは晴らしたいが、彼女の機嫌を損なわせるようなことはなるべく避けたい。

 

切り口を変える。

 

『なんで俺がタウル王だと思ったんだ?』

 

額に汗を滲ませながら、質問した。

 

どう転がっていくか不安で心臓がばくばくと音を立てているが、俺の不安をよそに彼女の雰囲気はどことなく柔らかなものになった。楽しそうにボールペンを走らせる中、フランちゃんの表情を盗み見る。頬が(ほころ)んでいるように見えた。

 

『この山の特性と対処法を知っていた。シュランクネヒトの弱点を知っていた。生身でシュランクネヒトを倒した。ワタシのことをわかってくれていた。ワタシの方法を知っていた。だれも知らなかった。だれもわからなかったのに、知っていた』

 

ペンを置いてメモを俺に向ける。前髪の間から熱っぽい瞳で見つめていた。肌が白いせいで紅潮しているのがすぐにわかる。

 

恥ずかしがっているのか、それとも照れているのか、どちらにせよ壮大なる勘違いで、壮絶なる好意的解釈だ。

 

気持ちが(たかぶ)っているのか、文章もよくわからないことになっている。この子がどこでスイッチが入るのか、よくわからない。

 

「マインアインズィガクーニッヒ……」

 

俺の手に、思い込みの激しいフランちゃんの手が重ねられる。ぐっとくる柔らかさと、ぎょっとする力強さがあった。存外積極的なのか。

 

「ちょっ、ちょっと待って!」

 

俺のリアクションが面白かったのかくすくすと笑みをこぼす。どこか妖艶さまであった。

 

じわじわと伸びてくる彼女の手を防ぎながら、文章を噛み砕いていく。

 

読み解くに、魔力を吸うこの鉱山のこと、シュランクネヒト(文脈から推測するにゴーレムの正式名称だろう)の倒しかたを知っていたこと、フランちゃんがどうやって俺たちの場所を把握しているかを知っていたこと。極めつけに、名前に類似性があったから、王の子孫だと気付いた。ということらしい。

 

彼女の立場からすれば、たしかに俺たちが最初から情報を知っていたように思うのかもしれない。そこから王の子孫だという結論に行き着くには二つ三つくらい発想の次元跳躍が必要だけれど。

 

「…………」

 

だが、全ては偶然だ。

 

いくら彼女の中では筋が通っていて、その結論が正しいと思い込んでいても、まったくもって偶然だ。

 

数奇な運命が絡まった成れの果てだ。

 

生き延びるために必死で情報の断片をつなぎ合わせて暫定的に叩き出した仮説が運良く嵌まっただけ。

 

「…………」

 

それらを説明すべきなのか。彼女の考えを全否定すべきなのか。少し訂正しようとしただけで血相を変えて反論したというのに。

 

「…………」

 

彼女の極度の思い込みや、自身の考えと反することへの忌避感。急激な感情の昂りは、精神的に不安定であると言えるのではないだろうか。

 

この山の中でフランちゃんただ一人しかいないことを鑑みても、とても平常であるとは言い難い。俺を王の子孫だと、この国の関係者だと妄執的に信じ込んでいるのも、心を安定させようとしている無意識下の防衛本能ではないだろうか。

 

「っ……」

 

自覚する。思考にバイアスがかかっていることを、いやになるくらい自覚する。

 

こんなもの、フランちゃんの心に負担をかけないための言い訳を並べているだけだ。

 

俺は、これ以上彼女の深部に踏み込みたくないのだ。踏み込む決心がつかない。

 

鉱山の奥までくることはできた。おかげでランちゃんたちとも合流できた。

 

しかし、奥にくることはできても、帰る道はわからないのだ。この大広間以外は魔法も使えない。この大広間だって魔力が戻ることはない。

 

鉱山から出る道は、ここの住人に教えてもらうしかない。その情報源はフランちゃん一人しかいないのだ。

 

彼女に見放され、協力してもらえなければ、俺たちはここから出られない。帰れない。

 

ならば、彼女の心を揺さぶるような行為は無闇にすべきではない。少なくとも、彼女をよく知りもしない状態で行うべきではない。

 

「っ……」

 

あまりに消極的で保身的で、独善的な考えだ。結局、フランちゃんに嫌われないように利用しようとしているのと変わらない。

 

「アッレスオル……えと、だいじょうぶ?」

 

書きもせず、喋りもせず、ただ伏し目に黙する俺を心配したのだろう。ごちゃごちゃと脳内で損得勘定を走らせてる俺を、純粋な善意で心配してくれていた。

 

「ああ、大丈夫。ありがとう……ダンク、だったっけ」

 

「っ!ニヒツツーダンケンっ」

 

教えてもらった読み方で応えると、驚いたように目を見開いて、彼女は微笑んだ。

 

「オンザークーニヒ」

 

私たちの王(オンザークーニヒ)と、細い声で俺を呼ぶ。純銀の双眸(そうぼう)が俺をまっすぐ射抜く。

 

その声に応じることも、否定することもできず、曖昧な笑みを浮かべるのが精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

結局、デリケートな部分に踏み込むことはできず、うやむやに誤魔化してノートでの筆談を続けていた。

 

フランちゃんの誤解を解くことは後回しにして、鉱山の話を聞いたり、書いた単語をフランちゃんに読んでもらったりしている時だった。

 

「っ……」

 

ばっ、とフランちゃんが身体を跳ねさせた。

 

「なんだ、どうした?」

 

「あ、あー……」

 

「なんかあったのか?」

 

「ちょっと……まつ」

 

どうかしたのかと訊ねると、右に左にあたふたして手のひらを向けて待っているようジェスチャーした。

 

ふらふらと住居の外に出た。

 

何事かと背中を追うと、ぺたりとしゃがみこむ。

 

「お、おい……大丈夫か?」

 

「あ、う……ない、おと……んん……」

 

「ない?音?」

 

「ん、んっ」

 

フランちゃんは口の前で指をばってん(・・・・)の形に交差させた。

 

「……あ、喋んなってことね」

 

フランちゃんの真似をして、了解の意味を込めて頷いた。

 

すると彼女は、両手を地面につける。そのまま数秒ほどじっとしていた。何をしているのだろう、ゴーレムづくりの他にも錬金術とかできたりするのだろうか。

 

「徹ちゃん、どうしたの?」

 

「いや、フランちゃんがな……」

 

「っ……」

 

急に外に出た俺とフランちゃんを心配して、ランちゃんも続いて外に出てきた。

 

様子を見にきてくれたランちゃんに対して、フランちゃんは前髪の隙間から睨んだ。

 

「わ、私、嫌われちゃってるのかしらぁ……」

 

「い、いや、たぶん人見知りなだけなんじゃ……そうか、音か」

 

「音?」

 

「音、足音だ。動かないようにしてくれ。中の二人にも」

 

「ええ、わかったわ。フェイトちゃーん、お嬢ちゃーん」

 

一番扉に近いランちゃんに、その場を動かないようにフェイトとアサレアちゃんに伝えてもらい、俺はフランちゃんの動向を見守る。

 

その後、十秒ほどで地面から手を離して立ち上がった。手をぱちぱちと叩いて土を払う。

 

またもフランちゃんが着ている膝丈のワンピースが土で汚れてしまったが、そちらを気にするそぶりは一切なかった。ゴーレムの中に入っているくらいなので、このくらいどうってことないのだろう。

 

「あ、えと、しごと……たたく……」

 

「アーバイツ?シュラッグ?」

 

「ヤー。はららく(・・・・)。ん」

 

働く(・・)、な。なんか仕事があんのか。でも叩くってなんだ?」

 

フランちゃんが片言(かたこと)のミッドチルダ語で、俺が片言のベルカ語を使うという、よくわからない会話であった。

 

「徹ちゃん、なにかあったの?」

 

「仕事がある、らしい。ちょっと物騒っぽい」

 

「物騒……みんなで行くべきかしら?」

 

「クレインくんは休んだばっかりだからな……。フランちゃん」

 

ぼーっとしてた彼女の名を呼ぶ。ワンテンポ遅れて呼ばれたことに気づいて、てこてこと近づいてきてくれた。どうやらもう動いていいらしい。

 

俺は住居を指差して、問う。

 

「ここって安全?」

 

「……あん、ぜん?」

 

「えっと、なんだったけか……ダスハウセイヒャー?……で、合ってんのかな……」

 

そう訊くと、フランちゃんはちゃんとしたイントネーションで復唱して、こくりと(がえ)んじた。

 

発音はともかく言葉自体は正しかったようで一安心。ランちゃんに向き直る。

 

「家の中は危険はないみたいだ。でもクレインくんが起きて誰もいなかったら不安だろうから、誰か一人残ったほうがいいな」

 

「……徹ちゃん、とうとう喋れるようにもなったのね……」

 

「フランちゃんが筆談で出てきた単語の発音と意味を教えてくれたんだ。まだわからないのも多いけどな」

 

「……クーニヒ」

 

フランちゃんに袖を引かれた。とある方向を指差す。

 

「ああ、フランちゃんはやらなきゃいけないことがあるんだよな。ごめんな(シュルディグング)

 

「だい、じょうぶ」

 

「はは、ありがと(ダンク)

 

「……徹ちゃんはフランちゃんと一緒に行くべきねぇ」

 

「そうか?俺が残ってもいいけど」

 

「フランちゃんとコミュニケーション取れるの徹ちゃんしかいないでしょ」

 

「それもそうか。人見知りだからな、この子」

 

「そこじゃない、そこじゃないわぁ……」

 

「おお、そうだった。ランちゃんまだ弾残ってる?」

 

「弾?無駄遣いはできないくらい、かしらぁ。もうゴーレムと戦うことがないのなら、帰りの分はありそうよん」

 

「そんじゃランちゃんはついてきてくれ。あとは……フェイトだな。兄妹は残っといてもらおう」

 

「もしかしてこれから行くところって……」

 

「ここみたいに魔力を吸い取られないとは、限らないからな」

 

フランちゃんが指差したのは、大広間から離れる方向。大広間以外ということは、ここまでの道中と同じ環境ということだ。

 

 

 

 

 

 

クレインくんが起きた時のためにいてあげてくれ、と言うとアサレアちゃんは少し不服そうな顔をしたが、家族を思いやるのって大事だよな、と追い討ちしたら残ってくれた。家族愛の強いアサレアちゃんと、その家族愛を利用する俺という対比がひどい。

 

アサレアちゃんに無事で帰ってきなさいよ、と心配されながらトンネル状の住居を出発してから、十分も経っていない頃。というかおそらく五分くらいしか経っていないだろう。

 

「はぁ、はぁ……」

 

「フランちゃん、びっくりするくらい体力ないな……」

 

よたよたと怪しげだったフランちゃんの足が、とうとう完全に止まった。この周囲はまだ光る石の結晶体からの光が届く。確実に目的地はここではないだろう。

 

息を荒く継いで、膝に手をついていた。ばてていた。今にも地面にへたり込んでしまいそうだ。

 

「……まだ、住居、見えるんだけれどねぇ……」

 

「まだ一キロも歩いてないよ」

 

「…………」

 

「はぁ……っ、くふぅ……はぁ」

 

深刻なスタミナ不足である。

 

「フランちゃん、おんぶしようか?」

 

「だ、だい、じょうぶ……。……ちょっと」

 

ちょっと大丈夫って、ほとんど大丈夫じゃないってことかなと思ったが、どうやら違った。ちょっと離れていてってことらしい。

 

なにする気だろうと見ていると、突如フランちゃんの下半身くらいまでがずぶずぶと沈んだ。

 

「うおっ、フランちゃん?!」

 

「だいじょうぶ」

 

まったく大丈夫には見えない現象だったが、沈むのは下半身、ウエストくらいまでで止まった。フランちゃんは両手を地面につけると、そこからは沈むどころかぐぐっと周囲の土も巻き込みながら盛り上がっていった。離れるように忠告したのはこのためか。

 

「……シュランクネヒト」

 

ゴーレムを創り出す魔法。そういえばフランちゃんは戦っていたときもこの中に入っていた。きっとフランちゃんが直接乗り込んでいるゴーレムは移動用の足も兼ねているのだろう。

 

着ぐるみのように全身まるっと被ると喋れないからか、下半身と腕だけゴーレムにくっつくという、脱皮途中みたいな状態で停止した。案外融通が利くようだ。

 

「便利ねぇ。これなら足場の良し悪しも関係ないし、落盤も怖くないわぁ」

 

「でも、これで動いて自分の足で歩いてないから体力がないんじゃ」

 

「おっと、そこまでだ。真実でも口に出しちゃだめなこともある」

 

フランちゃんに頼んでみんな腕に乗せてもらい、楽をしながら目的地へ向かう。

 

大広間からだいぶ離れてきたからだろう、徐々に様子が変わってきた。

 

「ランちゃん、フェイト、気をつけろよ」

 

「魔力が吸い取られる場所ってこと?」

 

「それならもう注意してるわよぉ?」

 

「それもだけど。……奥のほう、なんかでかいのがいる」

 

最初に感じたのが、空気中の微小な魔力すらないある種の枯渇感。次いで感じたのが妙な湿気。じめじめとして、梅雨時のような鬱陶しさ。そして、ゴーレムの足音に紛れて響く、がりがり、という擦過音。

 

左目が、大きな魔力の光を捉える。(いびつ)なものもあるが、基本的に丸い形。周りに魔力がないせいで明瞭に見て取れた。大きな魔力の光は空気中に滲むように溢れて、天井や床、壁に吸収されていくことから生き物なのだろう。

 

だからこそ、この空間で平然と活動していられるのかがわからない。

 

巨大な生き物がいるのは確定だが、ゴーレムの足は迷いなく前へ進む。

 

「危なくないのか?」

 

「ない。たたく。する。あぶない」

 

「……危ないのか危なくないのか、どちらかしらぁ……」

 

「刺激すると危ないってことだ。それまでは敵意は向けないのかもな」

 

さらに距離を詰めてようやく、フランちゃんの言う『お仕事』の内容が見えてきた。

 

本音を言うと、生理的な嫌悪感が半端ではなかった。

 

「と、徹……なに、あれ……」

 

蝸牛(かたつむり)……に似てるけど、サイズが比じゃないな……」

 

「きっもちわっるいわぁ……」

 

端的に表現すると、ばかでかいかたつむりである。

 

直径が俺の背丈と同じくらいの殻を背負って、粘液を纏った軟体が這い、長い触角が不規則に動いている。そんな巨大なかたつむりが、道を塞ぐほどにわらわらと(うごめ)いて、(ひし)めいている。

 

梅雨時の、雨露にぬれる紫陽花(あじさい)とちらほら見えるかたつむりには、その時期ならではの優雅な趣を感じていた。それほど悪印象はなかったのだが、こうも大きく、こうもわらわらぬらぬらとしていると、さすがに怖気が走る。

 

これ(・・)。たたく。はたらく」

 

「なるほど……あのかたつむりを退治するのがフランちゃんのお仕事ってわけか……。ちなみに遠くのものを示す時は『あれ(・・)』な」

 

「ヤー。あれ(・・)。たたく」

 

「そうそう」

 

「ふふっ。これ(・・)。まつ。いい?」

 

「おしい。ここ(・・)、な?」

 

ここ(・・)。まつ」

 

「待ってるだけでいいのか?手伝おうか?」

 

「あ……うん?」

 

「んっと……イヒヘルフェディア」

 

「っ、ヘァツリッヘンダンク……」

 

「ゲァンゲシェーエン……だったか?」

 

「〜っ!」

 

「ちょっ、ちょっと……徹ちゃん!」

 

「ん、なに?」

 

「ゴーレムがぷるぷるしてるのだけれど、な、なにを言ったの?」

 

ゴーレムの右腕に座っていたランちゃんが振動に(おのの)きながら聞いてきた。なかなかの高さがあるので落ちるのが怖いのだろう。いつもと違って、飛行魔法も使えないことだし。

 

「ああ。俺が『手伝うよ』って言ったら丁寧に『ありがとう』って返してきたから『どういたしまして』って」

 

「そ、それだけでこんなに揺れるのかしら?」

 

「それは俺もわかんねえや」

 

ゴーレムの左腕に座っている俺、の膝に座っているフェイトがもぞもぞと動いた。

 

「徹、かっこいいね」

 

「ベルカ語喋ってるのがか?言っとくけどめちゃくちゃ片言だし、正しいかどうかも怪しいぞ。フランちゃんがうまいこと拾ってくれてるんだよ」

 

「それでも気持ちを伝えられてる。……かっこいいよ」

 

「そう、か?褒められるのは嬉しいな。ありがとうフェイト」

 

感謝のお返しにふわっと抱きしめると、猫撫で声のような声をもらした。愛い奴め。

 

「さて、あれを追っ払うか。フェイト」

 

「うん。……なるべく近づきたくはないけど」

 

俺の膝から下りて、そのままゴーレムの腕からも飛び降りた。なかなかの高さがあったがフェイトは軽やかに降り立った。

 

「クーニヒ」

 

「ん?どした?」

 

「……さげる(・・・)

 

「え?ああ、下ろす(・・・)、な」

 

「ヤー。おろす(・・・)

 

「ダンク」

 

「ありがとうねぇ、フランちゃん」

 

「…………」

 

「……私には見向きもしてくれないの、悲しいわぁ……」

 

「ま、まあまあ、ランちゃん」

 

太い腕が下がり、スロープのような形になる。そこを俺とランちゃんは滑り降りた。

 

「シュランクネヒト」

 

俺がゴーレムから引っこ抜いた卵型の金属とおそらく同じ金属をフランちゃんは腰に回したポーチから三つほど取り出し、投げて呟いた。

そもそもが狭い通路なので、横にゴーレムが三体並べば幅いっぱいといったところだ。

 

「…………」

 

盛り上がって俺たちの知っているゴーレムの姿に成型されたあとは、フランちゃんは手を前に突き出すこともなく『発進』とか『戦え』とか『パンチだ』とか命じることもなく、巨大かたつむりにゴーレムを進軍させた。

 

なんだろう。自分の頭の中で操作すればいいんだから口頭で命令を出す必要はもちろんないんだろうけど、こう、燃えるものがない。

 

「ランちゃんとフェイトはできる範囲で援護射撃。できるか?」

 

「ゴーレムにあたらないようにしないといけないけれど、まぁこの距離で、あのターゲットの大きさなら問題はないでしょうねぇ」

 

「私も」

 

「よし、そんじゃ頼んだ」

 

「徹は……やっぱり前に?」

 

「それしか攻撃手段がないしな。ゴーレムがいるから様子を見ながらだけど」

 

どう動くか流れを確認していると、地響きが聞こえた。

 

フランちゃんのゴーレムが接敵したようだ。

 

「っ!……案外、厄介そうだな……」

 

ゴーレムの腕の振り下ろしを受けても、かたつむりの殻は砕けなかった。

 

「簡単にぱきっといって、くちゃってなるかと思ってたけれど、硬いのねぇ」

 

「……外の生き物も頑丈だった。それと同じだ。魔導師と同じような理屈で、魔力を使って強化してんだ」

 

ゴーレムは魔法で作られているとしても、その攻撃自体には魔法は絡まない。純粋な物理攻撃だ。防御魔法を使えない俺たちには有効だったが、なんらかの防衛手段を持つかたつむりには効き目が弱い。もちろん、ずっと殴り続ければ破壊できないことはないだろうが、それでは何体いるかわからないかたつむり相手に消耗戦になる。泥沼化は避けたい。

 

こちとら、限界のある人間なのだから。

 

「二人とも、撃ち抜いてやれ。一発で仕留めるつもりでな」

 

「弾幕で押し潰すっていう手が使えないものね」

 

「砲撃は魔力の収束やチャージの時間を考えるとロスが大きいしな」

 

「射撃魔法で確実に命中させるほうが、効率がいい?」

 

「そういうこと」

 

この場では魔力球を待機させているだけでも魔力を吸われていく。ゴーレムという前衛がいる今、後ろから単発で放ったほうが魔力の温存という意味ではいい。

 

二人はデバイスを構え、発射した。鋭い槍の形をした金色の魔力弾と、一回り大きな灰色の弾丸は、ゴーレムを掠りもさせずにかたつむりに直撃した。

 

「さすがの腕前だな。こうやってフォローしあっていけば……」

 

フェイトとランちゃんの魔力弾は確実に命中した。フェイトの魔法はその魔力の性質も併せて効果を上げるし、ランちゃんの魔法の威力は何度も現場を見た俺が保証する。だというのに。

 

「……予想の十倍頑丈……」

 

「……無傷、というのは、ちょっとプライドが傷つくわぁ……」

 

「まっじかあ……」

 

かたつむりの殻は健在だ。見た感じでは壊れた様子どころか(ひび)すら確認できない。

 

「この調子だと、何発費やしても結果は変わらないかしら」

 

「砲撃ならいけるかもしれない……けど、魔力の消費量が……」

 

「…………」

 

「だからフランちゃんはゴーレムで直接攻撃してるのかしら。魔法の効果が薄いから」

 

「徹、どうしたら……」

 

「……ちょっと試したいことがある。フェイトはもう一度さっきと同じようにやってみてくれ。次はどうやって防いだが、どんな反応をしていたかちゃんと見る」

 

「……わかった。やってみる」

 

「さんきゅ。ランちゃんはかたつむりの軟体部分。殻じゃないところを狙って欲しい。やれるか?」

 

「これだけターゲットとの間に障害物があって、しかも動いているのに狙って当ててほしいだなんて、徹ちゃんったら鬼ね」

 

「ランちゃんの腕を見込んで頼んでる」

 

「そう言われちゃうと、期待に応えたくなるわね。任せなさい。外さないわ」

 

「よろしく」

 

今度はしっかりと、命中する前から集中して観察する。生き物である以上、何かトリックが、防ぐための手段があるはずだ。条件も制約もなしに二人の魔法を無効化なんて、できるはずはない。ノーダメージで済む道理などない。

 

「徹、いくよ?」

 

「私もいけるわぁ」

 

「二人のタイミングでやってくれ」

 

まずはフェイト、次いでランちゃんが発砲した。前衛を張っているゴーレムの足をかいくぐって、かたつむりまで届いた。

 

「ああ……なるほど。そういう原理か……」

 

爆煙が舞っても直視し続けた甲斐はあった。

 

「徹、なにかわかったの?」

 

「相変わらず分析が早いわねぇ。頼りになるわぁ」

 

「……どうやら殻も本体のほうも、どっちも魔力で守られてる」

 

「魔力?かたつむりがどうやって?」

 

「それこそ魔導師と同じように、だ。この世界特有で、かつ、必要不可欠な進化とも言えるけど」

 

「でもなおさらおかしくないかしら?それなら、私たちの時と同じように魔力を絞り取られて枯れちゃうんじゃ……」

 

「俺も最初見たとき真っ先に思った。なんであのかたつむりはこの鉱山に入っても動けるんだって。その理由は、きっとフランちゃんのゴーレムと同じなんだ」

 

「あのゴーレム?」

 

「ランちゃんには言ってたっけ?あのゴーレム、胴体が弱点とは言ったけど、その胴体には魔力を吸収する金属が埋まってるんだ。その金属は魔力を吸収し切ったら放出するようになる。バッテリーみたいなもんだ。だから外側から吸い取られても動ける。時間制限はあるだろうけどな」

 

「だとしたら、あのかたつむりにはその金属が埋められているのかしら?でも、そんなの誰が……」

 

「誰かじゃない。自分で取り込んでるんだ。それがおそらく、あの巨大かたつむりがわざわざこの鉱山に入る理由だろ」

 

「かたつむりはこの鉱山に住んでるんじゃないの?」

 

「それはないだろうな。飽和状態になってる一番奥の大広間ならいざ知らず、こんな吸収されやすい坑道ならまず干からびる。この鉱山に多少無理を押してでも入ってくるのは、ここに巨大かたつむりにとって必要なものがあるからだ」

 

「必要なもの?」

 

「俺たちとかたつむりの目的は同じだったんだ」

 

「……あ、魔力を吸収する金属を狙ってこの鉱山に?」

 

「そう。あの殻にはかなりの比率で魔力を吸収する金属が含まれてる。たぶん魔力が豊富にある外で殻に魔力を溜め込んでから、鉱山に入って金属を食いにきてんだろ。だからこの鉱山の中でもしばらくは活動できるし、溜め込んだ魔力を使って身を守ることもできる」

 

おそらく、かたつむりの殻や軟体を覆う粘液に魔力が練り込まれていて、それらが身を守る鎧の役割を果たしている。と、考えるとだいたい筋は通る。実際、殻に魔力弾が直撃した後は、殻から放出されている魔力の光が弱まっていた。わざわざこの鉱山に入ってくるのは、殻を成長させる為の成分をここに摂取しにきているのだろう。

 

そう考えると、なぜフランちゃんが巨大かたつむりを『外敵』と呼んで排除しようとしているのかも察しがつく。かたつむりが魔力を吸収する金属を食い尽くしてしまえば、鉱山の中まで魔法生物がなだれ込んでくる。あの金属は危険な魔法生物が鉱山の中に侵入してこないようにする柵であり塹壕。ここはまさしく、天然の要害だ。

 

「けど、結局防がれちゃうんじゃあんまり意味がないわねぇ……残弾は心許ないわぁ」

 

「魔力も余裕は……ないかな」

 

「あのバッテリー代わりの殻も魔力使ってんだから攻撃を続けりゃ弱ってく。でも一匹にそんな何発も使ってりゃこっちがもたねえ。本体に当てると多少怯むけど、あの混戦状態だと当てるのがまず一苦労だ」

 

「集中しなきゃいけないものねぇ」

 

「何度も精密射撃できる自信はないよ。……悔しいけど」

 

「だから、多少魔力は(かさ)むけど一つ策を考えた。フェイト、こっちゃこい」

 

「うん」

 

フェイトを呼び寄せ、バルディッシュに触れる。

 

「悪いな、バルディッシュ。ちょっとお邪魔するぞ」

 

『構いません』

 

「あら、インテリジェントデバイス?いいもの持ってるわねぇ」

 

「うん。作ってもらったんだよ」

 

バルディッシュの中に魔力を侵入させ、未使用のデータ領域を使って新しい術式を書き込ませてもらう。

 

基本骨子は射撃魔法、そこにとある魔法の術式を参考にして組み込む。

 

「……よし。フェイト、これ使ってみてくれ」

 

『ユニークなアプローチです』

 

「さんきゅ、バルディッシュ」

 

「もうできたんだ……」

 

「構想はしてたし、プログラム自体は元からあるやつを切り貼りしてるだけだからな」

 

早速魔法の発動に入った。魔法陣が足元に現れ、射撃完了になるまで砲撃魔法くらいに時間がかかっていたけれど。

 

「徹、これ、処理が重い……」

 

「周りに魔力を吸われないようにするために魔力弾の実体化を極力遅くしてる。そのぶん術式も複雑になったんだ。鉱山の外ならもうちょい早くできるんだけどな。耐えてくれ」

 

普段、フェイトが使っている魔力弾よりも一回り以上大きな球体。魔力の消費量はおおよそ一・五倍から二倍近いだろうが、ちゃんと命中させられれば効果は倍どころではないはずだ。

 

いつもと使い勝手は違うだろうにフェイトは巧みに標準を合わせ、かたつむりを撃ち抜いた。

 

今度ばかりは手応えがあった。

 

「さすがに一発で仕留めるとまではいかないか。ま、スタンモードだし、ここの環境だ。貫通したら逆に危ない。これくらいが妥当かね」

 

爆煙が晴れる。魔力弾が命中した箇所は殻が剥離して、その周囲は亀裂が走っていた。かたつむりの動きが鈍っているところを見るに、魔力ダメージはしっかり与えられているようだ。

 

「と、徹。すごいよ、これっ」

 

「なにしたの……徹ちゃん?」

 

「徹甲弾と似た構造にしてみた。魔力弾の表面にバリアタイプの防御魔法を展開させたんだ。表面の障壁がかたつむりの魔力の壁を貫く手助けをして、障壁で守られた魔力弾が弱まった殻を突き破る。名付けるならシェル・ピアシングってとこだな。うまいこと作用してくれてよかった」

 

もともとは自分のために考案していた魔法だ。障壁で難なく防がれるだろう俺の脆弱な射撃魔法を、どうにかダイレクトに撃ち込めないかと頭をひねった結果の産物である。

 

フェイトの場合はいい感じの仕上がりになったが、俺の場合はそもそも直撃させても大したダメージにならないという致命的すぎる欠点を抱えていたので実装には至らなかった。こうして日の目を見ることになって大変嬉しく思う。

 

「ぱぱっと恐ろしいもの作り上げたわねぇ……」

 

「つっても、一発じゃ行動不能にはできない。でも今はフランちゃんのゴーレムがついてるからな」

 

フェイトの射撃を受けたかたつむりを見やる。

 

次の瞬間、巨腕を振り下ろしたゴーレムに叩き潰された。ぐちゃり、と。思わず直視してしまったが、こういった類に耐性がない人にとっては完全にトラウマ案件である。俺もちょっと気分が悪い。

 

「……魔力で強化し、その上どこにも傷や(ひび)がないからこそ、あの殻はゴーレムからの物理衝撃に耐えられていた。あのゴーレムの力なら、穴が空いた殻なんてアルミ缶潰すようなもんだ」

 

「……うっぷ」

 

「目、つぶればよかった……」

 

どうやらランちゃんとフェイトは耐性ない側の人間だったようだ。

 

「役割分担だな。フェイトとランちゃんでかたつむりの殻に傷をつけて、フランちゃんのゴーレムで潰す」

 

「え、ええ……わかったわぁ」

 

「うん……そうだね。それじゃあ、徹はここに残って指示を……」

 

「俺は発破で殻を無視して本体に攻撃する」

 

「な、なんで?徹は行かなくても、私たちだけで……」

 

「みんなに命令して働かせるだけって給料泥棒じゃん。俺も働かないと。ってわけで、あとはよろしく」

 

「ちょっと、徹っ」

 

「……仕方ないわね。すぐに片付けましょ、フェイトちゃん」

 

フェイトとランちゃんの呆れた声を背中に受けながら、倒れたゴーレムにのしかかろうとしているかたつむりへ吶喊(とっかん)する。

 

発破を使って内部を破壊しようにも、相手の硬度がわからなければ望んだ効果はあげられない。物は試しと、ふつうに殴ってみた。

 

「おらあっ!」

 

人間よりも巨大な生物に素手で殴りかかっている物騒な奴がいる。と思ったら俺だった。

 

手に伝わる感触としては、障壁や魔力圧の壁とも違う。魔力で強化された魔導師を殴りつけた時の感触とイメージは似ている。こちらのほうが手応えが硬く、ずっと重いが。

 

「ふつうに殴っても意味はなし、か。……まあいい。もう、こつ(・・)は掴んだ」

 

もう一歩踏み込み、拳を触れる寸前まで近づける。

 

「しっ!」

 

表面よりも内部。威力を奥へと伝播させる発破。

 

には(・・)、変化はなかった。

 

「よし、こっちは効くな」

 

どすん、と大きな音を立てて、かたつむりが横倒しに倒れた。かたつむりの殻の中には内臓などが収められている。サイズは途方もないくらい俺の知ってるかたつむりとかけ離れているが、この巨大かたつむりも構造自体は似たようなもののようだ。少なくとも自由に活動はできなくなっている。生死の確認は、ちょっとできないし、したくもないけれど。

 

巨大かたつむりは数は多いし、一匹一匹頑丈で退治するのは骨が折れるが、相手に反撃する手段がないのならそれほど脅威ではない。いずれ殲滅できる。

 

などと、愚かにも少し緊張感を緩めたその時だ。

 

近くにいたかたつむりの殻が、動いた。

 

注意が甘かった。ゴーレムが倒れていた時点で気付いて然るべきだった。俺たちと戦っていた時、上半身をいくつか吹っ飛ばされても核さえ無事なら平気で直立しているようなゴーレムが、生半なことで倒れたりするはずがないのに。

 

「ぐっ、お……っ」

 

そんなに動かして中身大丈夫なのか、とこちらが心配したくなるくらい殻がぐりんと動き、接触した。大きさ相応の質量、質量相応の運動エネルギーだった。大型トラックもかくやという衝撃に、両の足が浮く。そのまま飛ばされ、壁に背中を(したた)かに打ちつけた。

 

全身に走る鈍痛に声もなかったが、動かないわけにいかなかった。

 

見た目に反してかたつむりは機敏で、そしてまた想像の埒外(らちがい)だったのだが。

 

「こいつっ……雑食なのかよ!?」

 

人間でも食っちまおうとするほどの食いしん坊でもあった。

 

軟体の部分がぐぐっと起き上がり、その大きなお口でディープキスされる間際、俺は転がるように逃げた。かたつむりの歯舌(しぜつ)を初めて生で見た。

 

「徹っ!」

 

「だ、大丈夫だ!怪我はないし、ちゃんと顔には目も鼻も口も残ってる!」

 

「じゃなくてっ、ゴーレムが!」

 

「は?フランちゃんが操ってるんだから、ゴーレムは敵じゃな……っ?!」

 

再び跳躍して逃げる。すぐ近くをゴーレムの腕が通過した。

 

何で俺を、と動転したが、狙いは俺じゃなくてその後ろに迫っていたかたつむりだった。

 

ゴーレムではかたつむりに致命傷を与えられないと思っていたが、これまでとは少し違っていた。

 

「腕、形変わってる……」

 

最初に打ち込んだ腕の先端はピッケルのように尖っており、もう片方の振りかぶっている腕は金槌のような形状をしている。

 

ハンマーじみたその腕を、ピッケルじみた腕に打ち据えた。

 

ぱきゅっ、という間の抜けた音がした。

 

細く尖った腕がかたつむりの殻を穿ち、中身へと達していた。

 

加える力を一点に集約させることで頑健な殻を突破する。これは効率よくかたつむりを駆除しようと工夫したフランちゃんの努力の成果だ。

 

「すごいな、フランちゃん!即興で作り変えるなんて……フランちゃん?」

 

助けてくれたことの感謝に加え、かたつむりに対する適応力を褒めようとフランちゃんに視線を送るが、様子がおかしい。

 

彼女の長い白髪が逆立ったように見えた。銀色の瞳が輝いたように見えた。彼女の表情には、怒りが色濃く見えた。

 

「ゾーゲーツニヒトッ!シュランクネヒト!」

 

初めてフランちゃんの大きな声を聞いた。

 

彼女の叫びに呼応するようにゴーレムが一斉に動き出し、かたつむりに殺到した。

 

だけではない。

 

「待て待て!フランちゃん、ハルトっ、ハルト!……くそ」

 

フランちゃんもゴーレムを纏い、前線へと猛進してしまった。

 

「フェイト!ランちゃん!」

 

「わかってる……っ!」

 

「フェイトちゃん、好きに撃ちなさい。同じところに私も撃てば、さすがに死に至るでしょう」

 

「了解」

 

ゴーレムの勢いに気圧されて退きつつあるが、かたつむりは通路に密集していて撤退は捗らない。

 

手前側では、かたつむりとゴーレムが交戦していた。

 

ゴーレムの腕の変化は堅固な殻を突破するに足るが、片方のピッケルを打ち、もう片方のハンマーで叩き込むという二段階を経なければいけない。その間に殻を動かされれば、中身まで突き刺すことができない。一匹二匹は同じやり方で始末したが、他には抵抗されてうまくいかなかった。

 

しかも、急遽ゴーレムの腕の形状を変化させた為か、バランスが悪い。ハンマー状の腕を振り上げている時に殻をぶつけられ、大きな足を以ってしても重心を戻せずに容易く仰向けに倒された。

 

フランちゃんが入っているゴーレムまでの間に、もう壁はなかった。

 

「まじかこいつっ!」

 

かたつむりならかたつむりらしく、のんびり動けばいいものを。

 

倒れたゴーレムを踏み潰すように踏み台がわりにして高さを稼ぎ、フランちゃんと対峙した。

 

それだけならまだゴーレムのほうが上背がある。いや、あった。

 

だが、かたつむりは殻を後傾させ、触角のある頭のほうを器用に起き上がらせた。なぜそんな挙動ができるのかわからない。生き抜くための進化の結果なのか。ゴーレムという踏み台のぶん、立ち上がったかたつむりのほうが高さが上になった。

 

粘液を伴う軟体は取りつくようにゴーレムに覆い被さり、押し倒した。かたつむりの歯舌の位置は、ちょうどフランちゃんがいるあたりだった。

 

戦っていた時も思っていたが、ゴーレムはあまり細かな動きは苦手なようだ。覆いかぶさるかたつむりを引き剥がすこともできていない。そもそも、今は腕がピッケルとハンマーみたいになっているので、さらに押し退けることは難しくなっている。

 

背後は床、正面にはかたつむり。フランちゃんに脱出する術はなかった。

 

がり、ごり、と不気味な音がしていた。かたつむりが、ゴーレムの表面を頬張り始めていた。

 

「そこをッ、どけぇッ!」

 

鮫島さん直伝の足技に、襲歩の加速、循環魔法による運動能力の底上げ。なによりも、感情が(たかぶ)ってしまっていた。

 

一閃。かたつむりの殻を横にかち割るような軌道で薙いだ。

 

かたつむりの頭部を弾き飛ばし、殻の半ばまで砕いたところで足が止まった。殻を真っ二つとまではいかなかったが、とりあえず命は絶ったようだ。

 

必死すぎて意識しなかった一撃に、今更になって足がじんじんと痛んだ。

 

「硬いし……重いな、本当に……」

 

殻に抉り込んだ足を引っこ抜き、そのまま蹴ってゴーレムの上から押し退ける。

 

軟体の部分が酸でできているとか、そういうぶっとんだ進化をしていなくてよかった。足がどろどろでねばねばしてとても不快なこと以外はなんともない。

 

「もうだいたい逃げ始めてんのか……フェイト、ランちゃん、警戒頼む」

 

「うん、わかった」

 

「はぁい」

 

近くにかたつむりが迫っていたらフランちゃんを助けるどころではなくなる。辺りを見回すと、大きな殻を横倒しにしたかたつむりばかりで満足に動けるものはほとんど残っていなかった。まだ生きているかたつむりもいるのにみんな逃げるとは、薄情なものだ。

 

「フランちゃん、大丈夫か?!」

 

かたつむりに喰われていたゴーレムの表面を見る。かなりの硬度があるはずのゴーレムだが、正面のあたりはぼろぼろになっていた。

 

一瞬ぞっとしたが、かたつむりの歯舌は中まで到達してはいないようだ。

 

もぞもぞと身じろぎするゴーレムを裏返しにして、背中を掘る。

 

黒茶色の土の中に、真っ白な髪を見つけた。そこから輪郭をなぞるように土を掻き出し、フランちゃんの身体を引っ張り出す。

 

「フランちゃん……ああ、よかった……。怪我はないか?」

 

「クーニヒ……フェアツァイウング……」

 

「ごめんな。助けてくれようとしたんだよな」

 

「クーニヒ……」

 

フランちゃんが命がけで、身を呈してまで助けようとしたのは、きっと俺を王だと勘違いしているからだろう。なのに、俺は狡猾にも誤解を晴らさずに現状を維持しようとしている。そんな自分の悪どさに辟易する。

 

(クーニヒ)じゃないと喉まで言葉が出かかって、俺はそれを呑み込んだ。

 

「……助けてくれてありがとう(ダンケフュアイーレ)

 

「ニヒツツーダンケンっ!イッヒダンケアゥフ!」

 

感謝されるほどじゃない、こちらこそありがとう。

 

純真無垢な微笑みでそう言う彼女を、俺は直視できなかった。

 


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