そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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「……ええ、本当に」

 

「徹さんっ……その格好っ!っ!」

 

「……すずか、似合ってるだろ?ああ、わかってる、もちろん悪い意味だ」

 

「とーる!ほんとに似合ってるよ!迫力あるっ!」

 

「…………」

 

ファリンの言葉に他意も悪意もないことはわかっている。純粋な気持ちで褒めようとしているのだろうことはわかるが、迫力という表現は人を褒める時にはあまり使わないと思うのだ。

 

「で、でも、本当に似合ってますっ!ワイルドで、男らしくてっ!」

 

「すずか……ありがとう」

 

持ち得る語彙力を総動員して、どうにか人を傷つけない言葉を選んでくれているすずかだった。

 

そんな健気で心優しいすずかに、アリサちゃんはとある物を見せつけた。

 

「すずか、これを徹がかけても同じこと言えるの?」

 

「アリサちゃん、その手を止めるんだ。もう俺はサングラスなんてかけない」

 

「お嬢様、でしょ?」

 

「……へい、お嬢」

 

「ぶふっ……そ、それやめなさいって言ったでしょ!」

 

「ふっ、ふふっ……お嬢っ、ぴったり……」

 

「グラサンかけてよー、とーるー!ぜぇったい似合うってー!にんきょー映画の役者さんみたいに似合うってー!」

 

「そんな似合い方、俺は求めてない」

 

一応は褒めようというスタンスのファリンが肩にかけている大きいケースを受け取る。ヴァイオリンのケースだ。

 

アリサちゃんの分のケースは忘れてしまっていたのだが、そこはベテラン執事である鮫島さんが前もって車に運んでくれていた。

 

しかし、ヴァイオリンの教室というのは各々ヴァイオリン持参でいかなければいけないものなのだろうか。楽器なんて、そうぽんぽんと購入できる金額でもなかろうに。とくにヴァイオリンなんて高価な楽器の代表格のようなイメージだ。

 

お金面の下衆な考えを巡らせながら、しまわれているヴァイオリンどころかケースすら傷つけないよう細心注意して納め、トランクルームを閉める。

 

「そろそろ行こうか。鮫島さんが法定速度のぎりぎりを攻めてくれたおかげで多少のゆとりはあるけど、時間は差し迫ってるし」

 

「そうね、いくわよ。ほら、ぽんこつ執事さん。エスコートなさいな」

 

「へい、お任せを」

 

「あはは、徹さんも乗り気じゃないですか」

 

後部座席の扉を開き、アリサちゃんとすずかを乗せる。

 

「それじゃファリン、またな」

 

「うんっ!うちのお嬢をよろしくね!」

 

俺がアリサちゃんにしていた呼びかたがファリンに感染して(うつって)しまっている。このまま矯正しなければ後々ノエルさんにお叱りを受けるだろう。

 

「おう。お任せあれ、だ」

 

「今度はふつうに遊びにきてね!」

 

「次に遊びに来たときは料理の勉強するからそのつもりでな」

 

「うぇ……身体動かすほうが好きなのにぃ……」

 

頬をひくつかせるファリンに見送られながら俺も車に乗り込む。

 

ファリンの『お嬢』呼びは訂正しなかった。また今度、ファリンの姉のノエルさんにそれとなく聞いてみよう。面白い話を聞けるかもしれない。

 

アリサちゃんの髪型や、俺の服装についてすずかに説明するうちに、ヴァイオリン教室があるビルの前に到着。振動や揺れやふらつきをまるで感じなかったのは、車がいいのか車を運転する鮫島さんの腕がいいのか。

 

「徹くん、少々いいですか?」

 

「ん?どうしたの、鮫島さん」

 

扉を開いてお嬢様二人に先に降りてもらい、二人分のヴァイオリンケースを取り出して担いでいるところで声をかけられた。

 

内心、執事として未熟が過ぎる点について叱責を受けるのかとどきどきしている。

 

「お嬢様方をよろしくお願いします。私は一度、旦那様の会社へ向かいます」

 

お叱りの言葉じゃなくて一安心。

 

「まだバニングスさんの会社ごたついてるの?」

 

「そのようです。二〜三年後の大きな仕事の契約内容に不備があったとのことで……。いくら注意をしてもある程度はヒューマンエラーは発生するものですが」

 

「まあ……そうだね。一つのミスもなくってほぼ不可能だし。えっと、そんじゃ帰りはタクシーかなにかで帰ればいいの?」

 

「教室が終わった頃合いでこちらに戻れるようにします。お昼は徹くんが手ずから振舞ってくださるそうですからね」

 

「そういう話になってたか、そういえば。そんじゃ俺はお嬢様のエスコートがんばっとくよ」

 

「ええ。徹くんが傍にいるのなら安心です。お任せします。それでは」

 

こつんと拳を突き合わせて、鮫島さんは運転席へ戻る。静かに発進し、緩やかな加速で車は走って行った。

 

存外ずっしりとした感触を肩に与えてくるケースを担ぎ直していると、ぺしっと足を蹴られた。

 

黄金色の髪を見るまでもなく、そんなことをする子はアリサちゃんしか心当たりがない。

 

「なにいつまでも二人で喋ってるの!」

 

「ごめんごめん。待たせちゃったな、お嬢様、すずか」

 

「徹が持ってるんだから、徹がついてきてくれないと始められないじゃない」

 

「わ、わたしは待ってない、です……。アリサちゃんっ」

 

「な、なによ……」

 

「すずか、いいよ。ありがとう。ほら、鮫島さんが裏道とかまで使って間に合わせてくれたんだ。遅刻する前に教室に向かおう」

 

背の高いビルが立ち並ぶこの都心部界隈においても、一際大きく立派で綺麗な高層ビルの一フロアに、アリサちゃんとすずかが通う教室がある。

 

アリサちゃんの斜め後ろからついて歩き、むやみに大きなエレベーターで目的の階まで到着。音楽教室の扉の前でヴァイオリンケースを二人に返し、扉を開く。

 

慣れた様子で受付のお姉さんとやり取りをする二人を見て、気づいてしまった。

 

「俺、なにしてればいいんだろ……」

 

暇になってしまった。

 

これから二人がどれくらいの時間練習するのかわからないが、その間、この場を離れて時間を潰すわけにもいかない。

 

待ち(ぼう)けるにも、こんな服装の人間が音楽教室の玄関にいたら業務妨害か何かでお巡りさんを呼ばれてしまいそうだ。

 

そうやって俺が手持ち無沙汰にしていると、アリサちゃんと目があった。

 

名案閃いた、みたいないい笑顔を咲き誇らせた。

 

「わたしたちを待ってる間、徹も一緒に楽器習ってみる?」

 

「えっ、いや……俺楽器なんて学校の授業以外で触ったことないし……」

 

「それならなおさらじゃない!この機会に挑戦してみるのも悪くないわ!」

 

「つってもな……ヴァイオリン用意すんのは、なかなか懐が痛いというか……」

 

「そう?それじゃそれもこっちで用意し……」

 

「それは心が痛い!」

 

オーダーメイドのスーツを仕立ててもらったばかりか、基本的な価格帯が高価な楽器まで用意してもらったら、今でも充分立場が怪しいのに、完全にヒモである。体裁上比較的必要なスーツはともかく、楽器のほうは執事の仕事に絶対必要というわけでもないのだし。

 

「やっぱり普通に待っとくよ。二人の練習してるところを見学させてもらっとく」

 

「えーっ!」

 

不服そうなアリサちゃんの隣に立っていたすずかは困ったような笑みを浮かべていたが、不意に、あ、と声をもらした。

 

「そうだ、徹さんのおうちに楽器、ありましたよね?」

 

「ヴァイオリンなんて高尚な趣味ないぞ」

 

「いえ、ヴァイオリンではなく」

 

「あった、か?リコーダーすら処分しちゃったんだけど……」

 

「なんなら徹の部屋にはこれといって物がなかったけど」

 

「余計な注釈は足さなくていいよお嬢様」

 

「えっと……徹さんのお部屋ではなく、真守さんの部屋に……」

 

姉ちゃんの部屋、そう言われて、姉ちゃんの部屋を思い浮かべる。

 

鮭を(くわ)えた木彫りの熊やら、一度も行っていないどころかおそらく興味もないだろうロシアの民芸品のマトリョーシカやら、時計なのに時間を確認しづらいブロッコリーを模した時計やら、ルールを知らないのに絵が可愛いからという理由で置いているタロットカードやら、健康優良児のくせに何のために折ったのかわからない千羽もいない千羽鶴やら。

 

俺の部屋とは打って変わって雑多に物が溢れている部屋なので思い出すのに大変苦労するが、ある。

 

たしかに、姉ちゃんの部屋にあった。

 

「ああっ!ギターか!」

 

姉ちゃんの部屋には使われているのかいないのか定かではない、まあ十中八九使ってはいないだろうアコースティックギターが、スタンドに立てかけられている。

 

すずかも姉ちゃんの部屋にギターがあったなどと、よく憶えているものだ。

 

すずかにいつ姉ちゃんの部屋に入るタイミングがあったのかは、皆目見当つかないが、しかしそんな瑣末事(さまつごと)は、アリサちゃんは気にも留めなかったらしい。

 

「ナイスよ、すずか!徹、ギター習っておきなさい!ヴァイオリンとギターでデュオをやってる人たちもいるし、徹が弾けるようになればわたしとすずかと徹で合奏ができるわ!」

 

「アリサちゃん最近、練習意欲がわかないって言ってたもんね」

 

「うん!単調でつまらなかったけど、合奏するって目標があれば練習にも身が入るわ!」

 

「え、あれ?これもう決まってんの?姉ちゃんのギターだったらあるけど持ってきてないし……」

 

俺を除け者にして俺の予定が埋まっていく。手元にないことを理由に遠慮しようとするが、受付のお姉さんは一連の流れをばっちり目撃していたようだ。

 

「楽器の貸し出しもしていますよ」

 

商売上手なお姉さんが営業をかけてくる。

 

「お話にも出てましたけど、基本的に高価なものが多いですからね。通常は当店でのレンタルで練習するケースも多いんです。楽器の扱いに慣れてから、もしくは続けると決心してから、ご自分の楽器を購入されるパターンを推奨しているんですよ」

 

外堀が音を立てて埋まっていくのを感じる。

 

「でも、アリ……お嬢様もすずかも自分のを……」

 

「わたしたちは家でも自主練してるもの」

 

「慣れているので、自分の楽器で」

 

「家でもやってんの?ヴァイオリンだって音小さいわけじゃないし、近所迷惑に……ああ、ならないんだ」

 

「ならないわね」

 

「ならない、ですね……あはは」

 

近所迷惑なんて気にしなくていいくらいに二人の家が大きいことを失念していた。なんなら近所と呼んでいい範囲内に部外者の家が含まれていない。もはや家というか、邸宅や屋敷などと表現したほうが適切なのだった。

 

「はい、それじゃ決まり!今日はギター借りて教えてもらいなさい!」

 

「でも、アリサちゃ……」

 

「お嬢様」

 

「……お嬢様。俺、芸術関係は(うと)くて」

 

「ならこれはいい機会ね!一芸持ってるとなにかと便利よ!」

 

「そ……そう」

 

勢いで俺を押し切ったアリサちゃんは、五割増しに輝いて見える笑顔を受付のお姉さんに向ける。

 

「ごめんなさい、都合してもらえるかしら?ギターと、部屋と……あと講師ね。代金はバニングスと合わせておいてもらえる?」

 

「かしこまりました」

 

楚々として優雅に、お姉さんはお辞儀した。

 

その行き届いた教育と佇まいのせいで、危うく聞き逃しかけた。

 

「アリサちゃん、この代金は……」

 

「お嬢様」

 

「お嬢様。この代金は自分で払うって。プライベートに近いんだし……」

 

そう追求すると、じとっとした目でアリサちゃんは俺を睨みつけた。

 

「主人に恥をかかせるつもり?」

 

「いや、そういうつもりはないけど……って、なんでそうなるの」

 

「使用人の教養のための費用よ。こっちが負担するのは義務なの」

 

「使用人って言っても正式なものじゃないし……お願いから始まったことなんだから臨時とも呼べないくらいで」

 

「うるさいわね!徹は私の言うことに従ってればいいの!」

 

きんきんとした声で言い捨てると、腕を組んでそっぽを向いてしまった。

 

手続きの途中で言い合いになってしまって、受付のお姉さんを大変困らせているだろうと申し訳なく思って顔色を(うかが)うと、なぜか可愛いものでも見るように微笑んでいらっしゃった。

 

どうすればいいかわからず困り果てていると、くい、とジャケットを引っ張られた。

 

すずかだ。

 

内緒話みたいなジェスチャーをするので姿勢を下げて顔を寄せる。

 

「……これは、アリサちゃんなりの感謝なんです」

 

元の儚げな声にウィスパーエフェクトがかかった、脳を蕩けさせるような囁きが、吐息の温もりを纏って俺の耳朶(じだ)に触れた。

 

「徹さんみたいに、アリサちゃんに真正面からぶつかって、意見を言える人って、ほとんどいませんから……。徹さんさえよければ、ぜひ受けてあげてください」

 

「でも、なぁ……」

 

アリサちゃんが俺を気に入ってくれているというのは、純粋に心から嬉しい。

 

だが、それでお金を出してもらうのは話が違う気がする。まるでアリサちゃんからの好意を笠に着て利用しているようで、後ろめたい。

 

素直にアリサちゃんと接することができなくなりそうで、なんだか、嫌だ。

 

難色を示す俺のすぐ近くで、すずかはふにゃりと柔らかく笑う。安堵したようなその表情に、少しばかり面食らう。

 

「……徹さんがそういう人だってわかってるから、アリサちゃんもいろいろしてあげたいって思うんですよ、きっと……」

 

「……そういう人?いろいろ?それはどういう意味で……」

 

話の輪郭が曖昧で、今ひとつ要領を得ない。

 

なのはと違って語彙力も文章力もあるすずかのことだ。これはあえてはっきりと話していない節がある。

 

俺の質問には答えず、すずかは話を戻した。

 

「徹さんがギターを習って合奏できるようになれば、アリサちゃんももっとがんばれるし、なによりもっと楽しめるようになると思います。そうなったら……わたしも、嬉しいです……」

 

「そう、か……」

 

つまりは、これは俺のためではなく、アリサちゃんの意欲向上に繋げるため、というニュアンスで受け取れということだろう。アリサちゃんの申し出を受け入れてもいい理由を作ってくれたのだ。

 

これ以上固辞するのは、好意で勧めてくれたアリサちゃんと、気を使ってくれたすずかにかえって申し訳ない。

 

「……そんじゃ、今はその優しさに甘えるとするか」

 

ありがとうの気持ちを込めてすずかの頭をぽんぽんと撫でて、へそ曲げ中のアリサちゃんへと近づく。

 

「お嬢様の心遣い、ありがたく頂いてもいいかな?」

 

アリサちゃんはゆっくりとこちらに向き直る。

 

「……ふんっ!わかればいいのよ、わかれば。わたしは寛容だから、許してあげる」

 

むすっとした表情を作ろうとしているようだが、若干口角がぴくぴくと上がっている。機嫌は直してくれたらしい。

 

「スーツといい、ここの代金といい、バニングスさんを頼ってるのはちょっと怖いけど」

 

なし崩し的にいつの間にかバニングスさんの会社に組み込まれそうである。

 

「ふふ、パパの会社への推薦状ならいつでも書いてあげるわよ」

 

「それは……遠慮しておこうかな」

 

管理局のほうで今現在やらなければいけないことがたくさんあるのだ。これ以上関わる仕事を増やしては回らなくなる。

 

なので前と同様にやんわりとしたお断りだ。

 

「いい心がけね。そうよ、徹はわたしの執事なんだから、パパの会社には譲らないわ」

 

「いや、ちがう。執事の仕事があるからバニングスさんの会社には行くつもりないとか、そんなつもりで言ったんじゃない」

 

「それじゃ、一旦別行動ね」

 

俺の弁解を聞いているのかいないのか、アリサちゃんは流れをばっさり切った。

 

ヴァイオリンのケースを重たそうに担ぎ直して、続ける。

 

「わたしたちはヴァイオリンの教室に行ってくるわ。すぐに案内されると思うから、徹はちょっと待ってなさい」

 

「それでは……また後で、徹さん」

 

「……わかったよ、お嬢様方」

 

お嬢様呼びに、それで良いと言わんばかりの誇らしげなアリサちゃんと、面映(おもはゆ)げに頬を染めるすずかを見送る。

 

「優しいお嬢様ですね」

 

やっぱり全部聞こえていたらしい受付のお姉さんが言う。

 

俺はというと。

 

「……ええ、本当に」

 

肯定以外の選択肢なんてなかった。

 

 

 

 

 

 

「どう?ギター覚えた?合奏できる?」

 

音楽教室が終わり、鮫島さんの迎えの車に乗り込むや、アリサちゃんが身を乗り出すように聞いてきた。

 

「触って初日、しかも一時間二時間そこらで演奏するレベルまでいけるわけないって……。弦の押さえ方とかの基礎から教えてもらって、簡単なコード、指運び、バレーコード、最後のほうでハイコードをちょこっとくらいだ。譜面や押さえるコードを記憶できても指がついてこないって」

 

与えられた時間いっぱい使ってもこの程度だった。おかげで指が痛い。地味にじんじんくる。

 

「初めてでそこまでできたら充分すぎるんじゃ……」

 

「一曲二曲くらいできるようになってきなさいよ!」

 

「すまない、お嬢様」

 

「アリサちゃんの掲げている目標は高すぎるよ……」

 

「家でもお姉さんのギター借りて練習すること!あと音楽教室も一緒に行くんだからね!」

 

「う……よ、予定が合えば、喜んで……」

 

「あわせるの!」

 

「あ、アリサちゃん、徹さんは忙しいんだから……」

 

「むぅ……。それはわかるけど、でもすずかも三人で合奏したいでしょ?」

 

「それは、したいけど……それでも徹さんを困らせちゃだめだよ。今はアリサちゃんの執事さんでも、ふだんは違うんだから」

 

「うー……わかったわよ」

 

すずかが優しく忠告すると、アリサちゃんは素直に矛を収めた。きっと、ここになのはや彩葉ちゃんも含めて日常的にこんなやりとりが繰り広げられているんだろうと思うと、微笑ましいものがある。

 

「昼食はどうなさいますか?時刻はただいま昼過ぎですが」

 

ちょうど会話に一段落ついた頃合いで、運転中の鮫島さんが言う。

 

予定より、時間が遅くなってしまっている。

 

「もうこんな時間だったんだ。俺がギターを教えてもらってたのが長引いちゃったからだな……ごめん。鮫島さんも表で待たせちゃったし」

 

「私は気にしておりませんよ。しかし、この時間からですと、徹くんが作ってくれるという料理のほうは少々難しいでしょうか」

 

「そうだね……材料調達して作って、ってなったらもっと時間かかっちゃうし」

 

「明日も執事をしてくださるようですので、ご相伴にあずかるのは明日にしましょうか」

 

「そう、だね。そのほうがいいか」

 

「前もってリストアップしていただければ、食材の準備もこちらでさせていただきますが」

 

「ほんとに?ありが……って、いやいや鮫島さんはただでさえ忙しいんだからちょっとでも休める時は休んでてよ。いろいろよくしてもらってるんだから、雑用があれば俺がやるって」

 

俺がそう申し出ると、安全運転を続ける鮫島さんはほんの一瞬だけバックミラーで俺を見て、くすりと小さく笑った。

 

「それではお教えしますので、一緒にやってみましょうか。今日はもう会社のほうへは戻らなくても良いので」

 

「おっけ!任せてよ」

 

「……主人をほっぽってなに和気あいあいとしゃべってるのよ徹!」

 

「え?いや、先輩と後輩の業務連絡というかコミュニケーションというか」

 

「それは!大事だけどっ……主人が優先でしょ!鮫島も安全運転!目をそらしちゃだめじゃない!」

 

「失礼致しました」

 

「ま、まあ、アリサちゃん……そうだ、お昼は翠屋にしようよ。なのはちゃんもいるかもしれないよ」

 

お怒りのアリサちゃんを、すずかは慣れた様子でうまく鎮める。勢いのいなし方を心得ていた。

 

俺もそれに乗っからせてもらおう。

 

「ナイスアイディアだ、すずか。中途半端な時間だし、あんまり食べ過ぎたら夕食が入らないから翠屋ならちょうどいいな。お嬢様もそれでいい?」

 

「な、なんだか流されてる気もするけど……まぁいいわ」

 

「ここからであれば近いですね。すぐに向かいます」

 

アリサちゃんの機嫌が直ったことで、俺は油断していた。失念していたのだ。

 

休日なんて忙しい日には奴らが絶対待ち構えているだろうということを。

 

 

 

 

 

 

「あははっ、あはははっ!げほ、ごほっ、くふふ……すっごい似合って、似合ってるわよ徹!誇っていいわよ!」

 

「ああ、本当に似合っているぞ。堅気に見えない」

 

「くそっ……こいつらがいることを忘れていた……っ」

 

俺を指差して目元に涙まで浮かべながら大笑いしている忍と、にやにやと性根の腐った悪い笑みを隠そうともしない恭也に、俺はがっくりと肩を落とした。

 

今は昼食代わりの軽食を済ませ、本日おすすめのデザートに舌鼓(したつづみ)を打っていたところだった。

 

昼食と三時の中間ほどという微妙な時間帯もあいまって、俺たちが昼食を終えた頃には他にお客さんはいなくなっていた。だからこそ二人は俺たちのテーブルに来たようだ。訂正、笑いに来たようだ。

 

お客さんがいた時は必死で我慢していたのだろう、その分を取り返すかのごとく、忍がけらけらと高笑いしている。

 

「ふっ、ふふ……それで、そんな格好してどうしたのよ。極道に身を落としたの?」

 

「ちがうわ、忍お姉さん。徹は執事よ、うちのね」

 

「臨時の、な」

 

「ところでアリサちゃん、頭に乗せているそのサングラスは?今日の服装とは微妙に毛色が違う気がするが」

 

翠屋の制服に身を包む恭也がつつかなくていい部分をつついた。

 

ちなみに、営業中ということもあり、恭也も忍も椅子に腰かけたりせずに立ったまま話していた。店外の道からも見ようと思えば見えるし、俺たちが(一応立場上は)お客さんだから気をつけているのだろうが、俺からすると座ってくれても全然いいから俺に関する話から離れてほしい。

 

「鮫島が徹に用意したの」

 

「とうとう偶然持っていたっていう芝居もやめたのか……」

 

「すごく、ぷふっ……すごく似合ってたのに、いやがるからわたしが預かってるのよ」

 

「あ、そうだったんだ……気になってたの、わたしもつけてるところは見てなかったから」

 

「あら、すずかも見てなかったの?よし、徹。グラサンかけなさい」

 

「なんでだ、いやだ。絶対笑うだろうが、お前」

 

「結果によるわね」

 

「せめてここは否定しとけや」

 

「なるべくなら嘘つきたくないもの」

 

「嘘って言っちゃってる!少しは魂胆隠せよ!」

 

「別にサングラスをかけるくらいいいだろう。何かが減るわけでもない」

 

「減るんだよ、俺のメンタルがごりごりと」

 

徹底的に拒絶していると、店員二人は揃って我が主人に視線を移した。

 

やめろ、今の俺の最大のウィークポイントを的確に狙ってくるな。

 

「徹?」

 

「は、はい。お嬢様」

 

忍と恭也の無言の要請を受けたアリサちゃんは、きらきらした笑顔で俺に向いた。

 

「かけなさい?」

 

「……はい」

 

今日明日に限っては、俺とアリサちゃんの上下関係は明白である。断るなんて選択肢はそもそも存在しない。

 

手渡されたサングラスしぶしぶ受け取り、かけようとしていると、店の奥からぱたぱたと足音が聞こえた。

 

「恭也、忍ちゃん、次休憩行ってもらっていいわよ〜」

 

「もどったよー、って……あ、お客様がきてにゅわぁっ!」

 

なぜ恭也と忍しかいないのだろうと思っていたが、桃子さんとなのはは休憩中だったようだ。交代早々になのはには悲鳴で出迎えてもらったが。

 

「なのは、失礼でしょう。大変申し訳ありま……あら?」

 

「大丈夫だよ、俺だから。徹だから」

 

「徹お兄ちゃんっ?!な、なんていうか、すごいかっこ!」

 

「ああ、そうだろう。『すごいかっこいい』を言い間違えたんだろうと前向きに聞き間違っておくぞ」

 

タイミングよくなのはと桃子さんが休憩から戻って来たからか、恭也と忍は笑って動けていない。

 

「すごくかっこいいです!徹さん、似合ってます!」

 

「素直に褒めてくれるのはすずかくらいだなあ……この姿を褒められるってのもちょっと複雑だけども……」

 

「あ、あたしもっ!あたしも、にっ……にあってるって思うの!でも、なんでそんなヤクザ……あ、えと、スーツ着てるの?」

 

「今はっきりと言いやがったな……」

 

「なのはの疑問にはわたしから答えるわ!」

 

「アリサちゃん?」

 

それはね、と前置きをしながら立ち上がり、胸を張って言う。

 

「わたしの執事になったからよ!」

 

簡潔に表せば確かにその通りではあるけれど、付け足すべき文言が欠けてしまっている。

 

その言いかたでは意味を取り違える人も出てしまうだろう。

 

例えば、単純な人とか。

 

「な、なにそれ!聞いてないの!翠屋はどうするのっ、徹お兄ちゃん!」

 

そう、なのはとか。

 

「執事してるのは臨時で……っていうか翠屋はバイトだし……」

 

「月村の家でもポストを用意してるのにねー」

 

「それって忍の(てい)のいい召使いだろ」

 

「徹お兄ちゃん!どうするのっ!いろいろっ!いろいろとっ!」

 

「やめ、せつめっ、説明するからっ」

 

俺の胸ぐらをちっこい手で掴んでぐらぐらと揺する。きっと魔法に関することを言及したいのだろうけれど、この場で(つまび)らかに言うには躊躇(ためら)われたのだろう。

 

迂遠な言い回しをしようにも、なのはの残念な国語力ではこのあたりが限界か。数学は強いのに。

 

「前に言ってたアリサちゃんへの借りを返してるんだよ、執事って形でな」

 

「前に言ってた……。それじゃ、べつにアリサちゃんのお家に嫁いだわけじゃ……」

 

「なんかもうどこから突っ込んだらいいかわかんねえけど、とりあえず違うな」

 

「もう半分くらい、うちに内定したようなもんだけど、ね?」

 

優雅に紅茶を傾けながらアリサちゃんが言う。周りの喧騒なんて関係ないと示すような、実に優雅な所作である。

 

「玉の輿だな、徹。将来安泰だ」

 

「恭也お兄ちゃん、笑えないよ」

 

「冗談にしては少したちが悪いですよ、恭也さん」

 

「お、おお……すまない……」

 

恭也にヘイトが集まったかと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。

 

「ほんと恭也お兄ちゃんはデリカシーとかないんだから……あっ?!」

 

何か大事なことでも思い出したように、なのはは大きな声をあげた。

 

可愛らしいお顔に険しさを塗り足して、俺に向ける。と同時に小さな身体が霞んだ。

 

俺の視界から、なのはが消えた。

 

「なにがごぶぉっふぉっ……」

 

何が起きたのかと思うよりも早く、腹に衝撃が走った。衝撃というか、爆撃とさえ言える。どごむっ、という音が響いたのだ。果たしてそれが周りに響いたのか、それとも俺の体内に響いたのかはわからない。

 

その爆撃の正体は、当然判明している。

 

「聞いたのっ!」

 

なのはである。

 

当たり前だ、他にいない。

 

というか、手を伸ばせば届く距離という加速なんてできない位置にいながら、どうしてここまでの破壊力を生み出せるのか。なのはの健脚は驚くべき成長を遂げていた。とうとうブースターでも装備したのかこの子。

 

「な、なんの恨みが……」

 

込み上がって来そうなお昼ご飯を必死に堪えて、床に倒れ伏しながら腹部に突き刺さっているなのはに問う。

 

すると、なのはが言い募ろうとするが、その前に桃子さんがなのはを窘めた。

 

「なのは、徹くんに謝って立ちなさい」

 

「だ、だって!」

 

「なのは」

 

「……はい。徹お兄ちゃん、ごめんなさい」

 

「ごほっ……べ、別にいい。とりあえず殺害動機を聞かせてくれれば……」

 

タックルされた理由を俺がわかっていなかったせいか、しおらしくしていたなのはの声に再び怒気が含まれた。

 

「最近アリサちゃんとすずかちゃんを家に泊めたんでしょっ!」

 

「……そうだったわ。その話をしなくちゃいけなかったわね」

 

「ちょっ……恭也、忍を抑えてくれ……。もう俺には体力が残っていないんだ……」

 

「俺には荷が重い」

 

「あたしだけ仲間はずれ!すっごくさみしかったの!二人ともいつもと髪型ちがったし!アリサちゃんは貴族のお嬢様みたいでかっこよかったし、すずかちゃんはねこさんみたいでかわいかったし!」

 

「そうね、あの猫耳は実に可愛いもので……ん?あれ?猫耳……髪型……真守さん……うっ、あたまが……」

 

いつの日か姉妹揃って猫耳にするという野望を姉ちゃんが企てていることを、忍は思い出してしまったようだ。頭を抱えてよろめいた。

 

姉ちゃん、ありがとう。おかげで忍という脅威は取り除けそうだ。

 

と、言っても。

 

「ずるいのっ!呼んでくれてもよかったのにっ!そんなにお家離れてないのにっ!離れてないのにっ!」

 

まだへそを曲げたなのはが立ちはだかっていた。立ちはだかっているというか、ダメージが抜け切らずまだ起き上がれない俺に(またが)っているのだが。

 

ちっこい手で俺の胸ぐらを掴んでぐらぐらと揺すってくる。

 

「ま、前から泊まるって決めてたわけじゃなかったし……当日いきなり、き、決まったわけで……」

 

「それなら決まった時に呼んだらいいのに!いいのに!」

 

どうしよう。あの時は忘れてたんだ、とは言えない。

 

「ご、ごめんね、なのはちゃん……」

 

「なのははいいじゃない。よく一緒にいるんでしょ?」

 

「最近はめっきり会ってなかったもん!なんっにも!連絡の一つも!びっくりするくらいないもん!」

 

「……悪いって。こっちもばたばたしててな」

 

ぷくっと頬を膨らませてじと目を向けるなのはの視線から逃げるように、俺は身体を(よじ)る。

 

「そうだったのね。それならうちに遊びにくる?今日は泊まる予定だから」

 

逃げた先にいたアリサちゃんが、あっけらかんとした態度でなのはを誘った。

 

もしかしてその『泊まる』っていうのは『俺が』ってことなのだろうか。なにそれ当人であるはずの俺まで話が届いていない。

 

あまりに唐突な行動予定に俺がぽかんとしていると、その様子があまりに見るに忍びなかったのか恭也が口を開いた。

 

「あー……アリサちゃん。徹がまるで今聞かされたかのような『俺聞いてない』って顔をしているんだが……」

 

「あれ?言ってなかったっけ?まあいいわ、今言ったし。そういうことだからね、徹!」

 

恭也からの助け舟はいともあっさりと沈められた。

 

仕方ない、どうにか理由をこじつけて回避しよう。

 

「い、いや……いやいやちょっと待ってくれ。ほら、俺姉ちゃんのご飯とか作らないといけないし!」

 

「そこは安心して。前もってお姉さんにはわたしから連絡して許可ももらってるし、お姉さんのご飯も鮫島が手配してるわ」

 

「俺には一言も伝えてなかったのにすでに綿密な根回しが!ていうか鮫島さんいないと思ったら手配してくれてたんだ?!」

 

「そんなわけで、明日までじっくりとわたしの執事よ。よかったわね」

 

「…………」

 

反論の余地も逃亡の道も残されていなかった。まさか家にも帰れなくさせられているとは。

 

「せいぜい頑張んなさい、徹。貴重な体験よ」

 

「少し同情はするが……得難い経験ではある。どのみち逃げ道はないんだ、いっそ開き直って楽しむんだな」

 

「うぐぐ……まあ、そうなんだけども……」

 

「忍さんと恭也お兄さんもくる?うちの鮫島と徹が模擬戦するんだけど」

 

「さっきから俺の知らないイベントばっかり!」

 

「本当か!?……くっ、しかし……今日は手伝いが入っているからな……」

 

「見たいところだけど……今日は難しいわね。なのはちゃん、私たちの代わりに見届けてきてね?」

 

「む、なのはも店の手伝いが……」

 

「いいの?!」

 

忍から援護射撃を得たなのははビーチフラッグのスタートばりに俺から立ち上がり、反論しようとした恭也を押しのけた。

 

可哀想に、恭也。もう話の流れは確定してしまった。

 

恭也が何か口答えする前に、忍が追い打ちを加える。

 

「いいのよ、なのはちゃん。いってらっしゃい。桃子さん、いいですよね?」

 

「もちろんよ。ご迷惑をかけないようにね。なのはのぶんは恭也が働いてくれるわ」

 

「え……」

 

「やった!ありがとっ、お母さん!忍さん!」

 

「いや、俺の意見は……」

 

「ありがとうっ!恭也お兄ちゃん!」

 

「え、いや……あ、ああ……。楽しんでくればいい……」

 

抵抗する暇すらなく、桃子さん、忍、なのはに押し切られて、恭也はOKを出した。なのは()に満面の笑みで言われてしまえば、恭也()に抗う(すべ)などないのである。

 

とはいえ、俺も恭也と似たようなもの。

 

「それじゃあ今日はみんなでお泊まりね!楽しくなるわ!」

 

アリサちゃん(お嬢様)から命令されれば、(執事)に拒む権利などないのであった。

 

 


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