そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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つい先日、失恋しました


最後の贈り物

 

「徹は、どうして会いにきてくれたの?」

「どうしてって……きたらダメだったのか?」

 

俺がそう尋ねると、フェイトは金髪をふるふると横に振った。

 

ちなみに水を飲ませてあげるのが下手だったせいでびしょ濡れになってしまった服は着替えた。チェストに着替えの服があったのだ。

 

アリシアにはなかったのにフェイトにはあるのかと疑問を抱いたが、その替えの服は以前見た拘束衣に近いデザインで、とりあえずサイズが合うものをチェストにしまっておいた、という印象だった。

 

身に纏う衣服がどんなものであろうと輝きが失われないフェイトは慌てるように否定する。

 

「ううんっ、ちがう。そうじゃなくて、徹も忙しいのになんでわざわざ時間をさいてきてくれたのかなって」

 

「単純にフェイトの顔が見たかったからだ。時の庭園から戻ってから一度も会ってなかったしな。それになのはから(ことづ)けも預かっていた。仲のいい友だちに会いに行くのに、理由なんかいらないだろ?」

 

「う、うん……そう、だね。友だち……うん」

 

「フェイト?おい、どうした?」

 

ちょっと良い事言った風に決めたのだが、フェイトには響かなかったようだ。俯いて虚ろな目をして小声で何かを呟いていた。どうやら俺は格好つけようとしてもつけられない星の下にいるらしい。

 

「…………ねえ、徹はっ」

 

「お、おう。なんだ?」

 

再起動したらしいフェイトが向き直って俺を呼ぶ。一時的に会話が成立していなかったのに急にフェイトにしては大きな声で名前を呼ぶので、すこし驚いた。

 

ミネラルウォーターの一件の時と同様に再びベッドに二人並んで座っているのだから、いつも通りの声量でも充分聞こえるのだけど。

 

「徹はっ……えっと……も、もといた世界に戻ったんだよね。そっちの生活はどんな感じなの?」

 

改めて訊ねてきたので何かと身構えれば、俺の近況のことについてだった。そこまで力強く訊いてこなくてもいいだろうに。

 

「どんな感じって言ってもなあ……前と変わらずってとこだぞ。今は嘱託魔導師の勉強もしてるけど、それ以外は普通に学校にも行ってるし」

 

俺が答える前からなぜかベッドに手をついてがっくりしていたフェイトにそう言うと、小首を傾げた。

 

「学校……なにするの?」

 

「なにするのって……そうだな、勉強したり、運動したり、とか?」

 

「徹、『運動』は得意そうだよね」

 

「なんでさりげなく『勉強』の部分を排除した」

 

「え……だって」

 

フェイトの視線が俺の頭のてっぺんに移動すると、そのまま足元まで下がっていく。再び顔に戻ってくると、口を開いた。

 

「お勉強できそうには見えないから?」

 

「完全に外見で判断したなこの子は!」

 

「きゃっ……ひゃっ、あはは」

 

お仕置きとしてフェイトの頭を乱暴に撫でる。

 

最初こそ驚いた様子だったが、楽しそうに笑っていた。これではお仕置きになりそうにない。

 

「これでも一応成績だけは優秀なんだぞ」

 

「成績『だけ』ってところに含みを感じるけど」

 

「…………」

 

成績は良くとも教師陣からの印象が軒並み低いところが問題なのである。

 

「それにほら、俺は随所で知的なイメージを残してるしさ」

 

「……知的な、イメージ?……徹に?」

 

「本気のきょとん顔はやめてくれよ……」

 

「あ、口がうまいイメージはあるかな」

 

「それは……たしかに知的なイメージではないな……」

 

何回か舌先三寸でけむに巻いた覚えがあるので否定もできなかった。

 

「学校って楽しい?」

 

フェイトの中での印象があまり良くないことを知って傷心中の俺を置いて、フェイトが続けて質問してきた。

 

一昔前の俺なら一も二もなく否定していたところだろうけど、今なら答えは真逆になる。それもこれも、取り巻く環境に変化があったからだろう。二人の親友のほかに、友人ができたから、だろう。

 

「そうだな。わずらわしいこともたくさんあるし、中には性格悪い奴もいるけど……楽しいぞ」

 

「そう、なんだ。なのはも学校に行ってるの?」

 

「ああ。俺は高等学校、なのはは小学校で場所は違うけどな。なのはも行ってるぞ」

 

「そっか……」

 

俺が学校の話を広げたからか、それともなのはも学校に行っているという話を聞いたからか、フェイトは少し寂しそうに呟いた。

 

フェイトやアリシアには、いや、テスタロッサ家の全員には安全な世界で平和に暮らして幸せになってほしい。それが俺の願いだ。

 

だが、裁判の結果を良くするためにフェイトやプレシアさんたちは管理局で働かなければいけなくなる。必ずしも安全で平和とはいかないだろう。

 

だとしても、管理局に籍を置いているとしても、学校生活を送るというのはいいことではないだろうか。平和で安全できっと楽しくなるだろう学校生活で、危険な仕事も少なくはない管理局の仕事を誤魔化すようにも捉えられてしまうかもしれないが、それでも。友人と(たわむ)れ、お喋りして、平凡でありふれた日常を過ごすことがフェイトにとって悪いことだとは思わない。

 

独善的ではあるが、俺としてはなのはやアリサちゃんやすずかや彩葉ちゃんのいる学校で、ともに遊び、ともに学び、ともに成長していくフェイトやアリシアの姿を見たいと、見てみたいと、切に願ってしまう。

 

「いつか、さ。いつになるかはわからないけど、いつか……なのはのいる学校に行けるようになったら、フェイトは行きたいか?」

 

期待の念を込めて、フェイトの想いを確認する。

 

俺の問い掛けに、フェイトはかすかに不安そうな色を顔に浮かべながらも、大部分が喜色で彩られていた。

 

「行きたい……っ、なのはと一緒に、学校に行ってみたいっ」

 

その言葉は、俺にとってどんな謝辞よりも心に深く響く。純粋に、嬉しかった。

 

「そうか……っ!それじゃ、俺もがんばってみるよ。フェイトが自由に好きなことができるように、なにか助けになれるようにがんばってみる」

 

乱暴に撫でてしまったせいで乱れてしまっているフェイトの頭を、今度は優しく丁寧に撫でつける。

 

「ふふっ、徹はいつも私たちを助けてくれてるよ」

 

フェイトがくすぐったそうに身をよじる。

 

思わず頬が緩んだ。たとえお世辞でも、そう言ってくれるのは嬉しかった。

 

「あ、そういえばアルフはどうしてるんだ?会えてるのか?」

 

いつまでも撫でていると、さしもの心優しきフェイトでも鬱陶しく感じるだろうと思い、頭から手を離す。

 

フェイトの笑顔の輝きがしゅんと下がったように見えた。

 

「……うん。エイミィが気を使ってくれてる。付き添ってくれて、会わせてもらってる」

 

「そっか……よかったな」

 

最近は頻繁にアースラに来ているわりにエイミィの顔を見ないと思っていたが、仕事の(かたわ)らエイミィはフェイトたちの為に奔走してくれていたようだ。リニスさんの部屋に行った時もお昼ご飯を運んできていたし、相当よくしてくれているらしい。また今度、俺からもお礼を言っておかなければ。

 

お茶菓子でも持っていくかな、などと考えているとフェイトが俺の腕を掴んだ。そしてにこやかに、話を続ける。

 

「エイミィのおかげで、徹のお見舞いにも行かせてあげられたんだ」

 

「……お見舞い?」

 

たしかこれは、クロノも口にしていた話だった。

 

要領を得ないまま、フェイトは先に進めていく。

 

「私とアルフが一緒にいる時に、たぶん念話だと思うけど……連絡があったんだって。徹が目を覚ました、って」

 

「…………」

 

フェイトとアルフが一緒にいるということは、その場にエイミィも立ち会っていたのだろう。そしてちょうど時機を見計らったかのように、眠りこけていた俺が目覚めたという連絡が入る。エイミィの耳にも入ったということは、おそらくクロノあたりがエイミィに念話を送ったというところか。

 

「アルフは徹とすごく仲がよかったから、エイミィにお願いしてみたんだ。『アルフをお見舞いに行かせてあげられない?』って」

 

「……………………」

 

アルフと交わした約束。ジュエルシードの、ひいてはプレシアさんの一件が落着したら続きを話そうという約束を交わした時、フェイトもその光景を見ていた。だから、ほとんど姉妹みたいな関係ではあるが形式上はアルフの主人(あるじ)であるフェイトが気をつかったのだろう。

 

俺がいる病室に行かせてもらえるように、フェイトはエイミィに頼んだ。

 

推察するに、見舞いに行かせたい理由も、その時エイミィは聞いたのだ。でなければ、エイミィがクロノに言っていたらしい『アルフさんにも粉をかけて』という言葉は出てこない。

 

まるでパズルのピースをはめるように、気にしていなかった情報と情報とが繋がっていく。

 

頭の隅っこに居座っていた違和感や疑問が解けつつあるというのに、俺の心は晴れない。それどころか、暗雲が立ち込めてくる。嫌な予感が止まらない。

 

「どうだった?どんなお話ししたのかアルフにきいてもはぐらかして教えてくれなかったから、気になってて」

 

「………………………………」

 

会っていない。

 

時の庭園で気を失い、アースラの医務室で目覚めたあの日、俺はアルフと会っていないのだ。

 

だが、アルフと顔を合わせていないからといって、俺がいた医務室にアルフが来ていなかったという証明にはならない。

 

いや、むしろ反証が存在する。

 

クロノは言っていた。二股がどうのこうのとかいう閑話の際に『フェイト・テスタロッサの使い魔が徹の病室にまで見舞いに来ていれば』と、クロノはそう言っていた。

 

クロノは、アルフと会っていた。病室の近くまで来ていたことを知っていたのだ。

 

目覚めたあの日、クロノが退室したのはリンディさんが医務室に訪れてすぐのことだった。クロノが病室まで見舞いに来ていればと発言していた以上、アルフが近くにまで来ていたことは疑いようがない。

 

「ど、どうしたの、徹……顔色、悪いよ?」

 

「いや……大丈夫、だ……」

 

アルフはあの日、エイミィの厚意で部屋から出してもらい、俺のいる医務室近くにまで来ていた。無論用件は俺の見舞いだろう。

 

なのに、俺はアルフの影すら見ていない。ならば、アルフはいったいどこに居たのか。どこ(・・)で、どんな話(・・・・)を、聞いていたのか。

 

「……そんな、そんなわけ……っ」

 

最悪の想像が、俺の頭を駆け巡る。眩暈(めまい)に近いふらつきがある。

 

心臓は早鐘を打つ。激しい脈動が身体を伝い、どぐんどぐんと頭を殴りつけられているような感覚すらある。

 

「徹、体調悪い?熱は……」

 

心臓はばくばくとけたたましく動いているのに、身体の芯は氷でも刺さっているのではと思うほど冷え切っている。自分でもそう察するほどなのだ。外から見ればそれは相当なものだろう。

 

血の気が失せた俺を心配したフェイトがおでこをあてて体温を確認する。

 

顔がごく至近距離にあるというのに、まともに実感できない。

 

「熱はない、というかすごく冷たい……。徹、ベッド入る?一緒に寝たらあたたまるかもしれない」

 

「大丈夫、だから。……ありがとう」

 

本人に会って、確かめなければいけない。

 

もとよりアルフとも話をしに来たのだ。当初の目的とほとんど違いはない。あるとすれば、話の方向性が暗くなるだけだ。

 

「だめだよ。徹はすぐに無理するから。ベッドに入って。一緒に寝よ?」

 

「本当に大丈夫だってば。俺、行くところがあって……」

 

「だめ。病気になる前に体力をもどしておかないと」

 

逃さないようにか服の裾を握り締め、フェイトが俺をベッドの中央に引っ張る。

 

なまじ親切心や思いやりの心で勧めてくるぶん、強引に手を振りほどくこともできない。

 

体温の下がっている俺を(おもんぱか)って、病気にならないよう一緒に寝て温めようとしてくれているのだろうけど、フェイトと同じ布団で仲良く寝た暁には、違うもっと重い病に、根治の目処がない不治の病に罹患(りかん)してしまいそうだ。

 

どうにか諦めてくれないかと模索していると、背後から扉が開く音がした。

 

「フェイトちゃーん、次、フェイトちゃんの番だよー……あれ、徹くん?なんでいるの?」

 

エイミィだった。そういえば、俺がこの部屋に入った時にフェイトが、アルフの番がどうとか言っていた。裁判に関する手続きか、もしくはアリシアと同様に健康診断的なものでもあるのかもしれない。

 

「そうだ!徹くんには聞きたいことがあったんだよ!徹くん、もしかして二股してっ……」

 

「エイミィ。アルフは今どこにいるんだ?話がしたいんだ」

 

脇道に逸れる前に制する。

 

俺の顔つきを見て、エイミィは真面目な話であると察してくれたようだ。

 

「アルフさんなら部屋に戻ってもらったけど……なにかあったの?」

 

「……俺の個人的な用件なんだ。直接会って、聞かないといけないことがある」

 

「それって、もしかして……アルフさんが徹くんのお見舞いに行った時の?」

 

「なんで、それを……」

 

「戻ってきた時のアルフさんの様子が少し……おかしかったから。どんなお話をしたの?」

 

「…………」

 

その質問に、俺は沈黙で答えた。いや、正直に答えるべきか悩んで、答えられなかったのだ。

 

「私……余計なことしちゃったのかな?」

 

「そんなことない。そんなこと、あるはずないだろ。エイミィは気をつかってくれたんだ。その行いが間違っているわけない。ただちょっとだけ、俺とアルフの間で……捉え方(・・・)がすれ違っているだけなんだ。ちゃんと面と向かって話をすれば、解決できるはずだ」

 

「そう、なの?」

 

「そう。だからちょっとアルフに会いに行ってくる」

 

「え、えっと……徹、なんの話?」

 

俺とエイミィの会話についていけていなかったフェイトが袖を引っ張りながら訊ねる。

 

フェイトに俺とリンディさんがしていた後遺症の話を(つまび)らかにするわけにはいかない。当たり障りない言葉を選んで組み立てながら、袖を握ったままのフェイトの手を取る。

 

「ちょっとアルフに約束してたことがあるんだ。だから行ってくる」

 

「でも徹は体調が……」

 

「ほら、もう大丈夫だろ?平気だって」

 

体調を崩しているわけではないことを示すように、フェイトと(ひたい)を合わせる。エイミィと言葉を交わしたおかげですこし冷静になった。体温ももう戻っているだろう。

 

「……うん、あたたかくなってる。でも調子が悪くなりそうだったらすぐに休んでね」

 

「ああ、わかった」

 

「あ、体温測ってたんだ……びっくりしたー。そうだ、私フェイトちゃんを呼びにきたんだった。次フェイトちゃんの番だから、私と一緒にきてね」

 

エイミィに促され、フェイトはこくりと頷いた。

 

扉のほうへと一歩踏み出して、金色の柳髪を翻す。

 

「……徹」

 

「ん、どうした?フェイト」

 

「アルフとなにがあったのかわからないけど、仲直りしてね?」

 

「仲直りって……まあいいか。ちゃんと気持ちを確認してくるよ」

 

俺とアルフは喧嘩して仲違いしているわけではない。喧嘩よりももっとたちの悪い複雑な状態だ。

 

だがそれをフェイトに言うわけにもいかず、どちらともとれるような曖昧な言い方で濁した。

 

フェイトはそんな返答でも満足したらしく、ふわりと笑んだ。

 

「……また遊びにきてね」

 

その可愛らしいお願いには、はっきりと、笑顔で答えることができたのに。

 

 

「あたしは……徹の隣には立てないよ」

 

「っ…………」

 

久しぶりに顔を見れたのに、アルフは沈痛な面持ちをしていた。

 

盗み聞きするつもりなんてなかったんだけど、とばつの悪そうな顔で目を逸らしながらアルフは言っていた。

 

おおよそ全て、俺が想像していた通りだった。

 

俺が目覚めたあの日、エイミィ経由で報せを受けたアルフはフェイトの真摯なお願いの甲斐もあってお見舞いに行く許可を頂いた。病室のすぐ近くでクロノと鉢合わせして、そこでクロノに『徹なら艦長から叱られている』と伝えられていたそうだ。そう聞いていたこともあり、アルフは邪魔にならないタイミングを病室の前で窺っていた。

 

だがリンディさんの叱責も、俺の謝罪も聞こえてこなかったことを不思議に思い、聞き耳を立てた。そこで、俺とリンディさんがしている話を聞いてしまったのだと、アルフはつらそうに語った。

 

もしかしたら、と思っていたことが現実のものとなってしまっていた。一番聞かれたくない話を、よりにもよって一番聞かれたくない相手に聞かれてしまっていた。

 

懺悔(ざんげ)するように語り、長い沈黙の後、アルフが声を絞り出すように、囁くように言ったのだ。冒頭のセリフを。

 

『隣には立てない』

 

そんな、心を抉るような残酷なセリフを。

 

「ま、待ってくれ。俺の言い分も聞いてほしいんだ。俺は……っ」

 

まだ取り返しはつく。リニスさんにも後遺症のことは露見してしまったがちゃんと話したことでもとの関係に、否、もとの関係以上の絆が生まれた。しっかりと説明すればきっと気持ちは伝わるはずなのだ。

 

それにリニスさんの時と違い、今なら狭まった視界や失われた適性の代用策も立っている。左目にも利点はあると知れた。

 

失った力が多かったことで一時は傷つき落ち込み嘆いたが、今は違う。

 

再び戦えるようになった。俺はもう気にしていない。だからアルフもそこまで思い詰めるようなことはしなくていい。

 

そう続けようとして、アルフに遮られた。

 

「『俺は気にしていない。だから気にしなくていい』なんてことを、徹は言うんだろうね……」

 

俺が口にするだろう言葉なんて、アルフにはすでに予想がついていた。

 

しかし、予想していて、理解していてなお、アルフは俺を遠ざけようとする。

 

その真意を、俺は未だ悟ることができないままでいた。

 

「わ……わかってくれてるんなら、どうして……」

 

「ちがうんだよ。徹が気にしてなくても、あたしに気にしなくていいって言ってくれても……徹の隣には立てない。……隣に立つ覚悟がない」

 

アルフは、俺を見てはくれない。勝気な(まなじり)は悲痛に下がり、唇は固く閉じられていた。

 

「覚悟って……なんだよ。そんなもの必要ないだろ。ただ、隣にいてくれさえすれば……」

 

「あたしが弱いせいなんだ。ごめん、ごめんなさい……一緒にはいられない」

 

「なんで……謝るんだよ。弱いってなんなんだよ。わかるように言ってくれよ」

 

アルフは血が出そうなほど下唇を噛み締めて、何かに堪えるようにして、口を開いた。

 

「徹を、徹を見てるとっ……苦しいんだっ!っ、っ……」

 

ようやく正面から見れたアルフの顔は、ひどい悲しみで満ちていた。

 

「あたしのせいだっ……あたしがあの時っ、アリシアのカプセルを割っちゃったから……っ!あたしのせいで徹は左目もっ!魔法もっ!失ったんだっ!ぁ、あたしのっ、せい……で……っ。あたしが、奪ったんだ……」

 

「ちが、う……違うって、違うだろ?……アルフはなにも」

 

「なにも違わないっ!」

 

「っ……」

 

思わず息を呑む。

 

アルフの言葉には、人を黙らせるだけの気迫がこもっていた。

 

「あたしがあの時大岩をもっと違う方法で防いでいたら、アリシアのカプセルを割らずにすんだ……。けがもたくさんして、魔力もほとんど使い果たしていた徹があの場所で無理を押してアリシアを治療せずにすんだ……。あたしが、失敗したから……あたしのせいで……っ!」

 

『あたしのせいで、あたしのせいで……』そう、アルフは繰り返す。(だいだい)色の頭をかきむしるように激しく抱えて、虚ろな瞳でアルフは自分を責める。自分を傷つけ続ける。

 

「違うだろ……違うだろうが!それは俺が不甲斐なかっただけで……っ!降ってきた大岩を砕いたのだって、あれが間違ってたなんて思ってない!」

 

あの時、ジュエルシードが暴走した影響で足場は非常に脆い状態だった。あの場面で、障壁で防ごうとしていたら大岩の重量に耐えられずに岩盤が崩壊していたかも知れない。そうなっていた場合、虚数空間で永劫(えいごう)の時を彷徨(さまよ)い落ちる羽目になるのは、大岩の下にいたなのはやフェイトたちだけじゃない。俺も含めて、あの場にいた全員が、重力の底まで自由落下していた。

 

アルフが瞬時に反応し、対応できていなければ、みんな、ここにはいない。

 

「アルフはみんなを守ったんだ!その後アリシアを助ける時に魔力が足りなくなったのは、俺の能力が足りていなかったからだ!俺の才能が足りていなかったからだ!アルフのせいじゃない!」

 

俯くアルフの腕を掴む。肩を揺すって声を張り上げても、いつもの明るい表情を俺に見せてはくれない。

 

「……だからって、あたしが原因になったことは変わらないよ。左目を。徹の主力を。あたしが見たことない徹の新しい武器を。……根こそぎ奪った。そこはこれからどうあっても変わらない。あたしがどんな(つぐな)いをしても……その事実は変えられないよ」

 

「だからッ!そんな償いなんていらないんだってッ!……よく聞けよ、左目は索敵魔法で代用できた。魔力の循環量をコントロールすることで、魔力付与の代わりにはなる。今はもう戦う手段は戻ってんだよッ!」

 

「……それでも、前と同じじゃない」

 

「同じじゃないって……この程度ほとんどッ」

 

「索敵魔法を使ってるぶん……魔力が余計にかかってるんじゃないの?常に消費し続けてるんじゃないの?」

 

「っ……」

 

即座に反論できない。アルフの言うことが事実だからだ。

 

術式の微調整を行なって不要な性能、サーチャーの隠密性などを削って魔力の消費量削減を計ってはいるが、最低限の機能を維持するためには限度がある。

 

だとしても、それこそその程度の消費量なら目を(つぶ)ることができる程度でしかない。作戦行動時にサーチャーを広範囲にばら撒くのであれば多少話が変わってくるが、左目の代わりとしてサーチャーを使うのであれば気にするほどのものではない。

 

なのに、反論はできない。アルフの言う通り、たしかに以前と全く同じではないのだ。気にするほどでもない消費魔力であろうと、消費していることに違いはない。

 

目を逸らした俺をわずかに見て、アルフは嘆くように小さく笑う。

 

「……ほらね。魔力付与の代わりだってそう。出力は魔力付与と同じくらいあるのかい?使い勝手は?」

 

「いや、それは……」

 

新技法、循環魔法は被撃しない限り魔力を消費しない。継戦能力に秀でているが、反面、瞬間的な爆発力は魔力付与に劣る。

 

口籠る俺に、アルフは力なく続ける。

 

「……新しく使えるようになった魔法は?なにか代わりになるようなものはあった?」

 

「そっちは……でも、射撃魔法はもとからそこまで素質がなかったから、たいして影響は……」

 

「射撃魔法、だったんだね……。知ってるかい?魔導師の最低条件みたいな魔法だよ、それは……」

 

しくじった。そう思った。

 

失った二つの適性のうち、アルフが知っていたのは魔力付与だけで、もう一つが射撃魔法であるとは把握していなかった。迂闊だった。

 

クロノは俺の後遺症について、もしかしたら俺以上に憤慨し、悲嘆してくれていた。そのクロノが、取り分け強く射撃魔法について言及していた。リニスさんとの戦いでしか使わなかったので実感が薄かったが、魔導師において射撃魔法はそれだけ大きなウェイトを占めるということなのだろう。

 

だとすれば、それだけ大きくアルフが責任を感じてもおかしくはない。

 

狭窄していく思考の中で、どうにか解決の道がないか探る。

 

「っ……違う、待ってくれ……。ほ、ほら、アルフと戦った時なんかも射撃魔法なんて使ってなかったのに、できてただろ?ジュエルシードの九頭龍を退治した時も射撃魔法なしでやってきた……。なくても、なんとかなるんだって!」

 

「射撃魔法が使えなくても、あれだけ活躍できたんだ。……失ってなければ、もっと優秀な魔導師になれていたはずさ。徹の近接格闘術とハッキングに加えて、見えない弾丸……もしかしたら管理局の歴史に名を残すほどの魔導師になれたかもしれないのに……」

 

「そいつは考えすぎってもんだろ?!そこまで大した人間じゃねえよ!……なあ、アルフ。そこまで思い詰めることないって……」

 

壁に背をつけたアルフの腕を強く掴む。言葉が、心が届かず、力が入ってしまう。さらに押し付けるように、身体を近づける。

 

「あたしは、徹の武器を奪っただけじゃない……徹の将来まで、奪ったんだ」

 

「ッ!」

 

将来まで奪った、その発言だけは看過できなかった。

 

左目を、魔力付与を、射撃魔法を失ったのは事実だ。否定のしようもない。

 

だが、将来まで失ったわけではない。そんな発言は認められない。

 

「奪われてない!俺にもわからない未来にまで……誰にもわからない未来にまで、アルフが関われるわけないだろうが!」

 

俺がそう叫んでも、アルフは変わらなかった。最初から一貫して、居た堪れないように身体を縮めるだけ。

 

「……ごめん、なさい……」

 

「な、んで……っ」

 

聞いたことのないアルフの悲愴で悲痛な声。罪悪感に押し潰されたような、(かす)れた『ごめんなさい』だった。

 

「あたしが、悪いんだ……。自分がここまで弱いなんて、知らなかった……。好きな人が自分のせいで苦しむことがこんなにつらいなんて、知らなかった……っ」

 

「…………あ、ぁ……っ」

 

アルフは、俺と一緒にいることが『苦しい』と言った。『つらい』と、そう言った。

 

俺がどう(つくろ)っても、俺がどう抗|(あらが)っても、消せないのだ。アルフの抱えた罪悪感は、消せない。

 

視力と魔法適性が失われたことを、アルフは『奪った』と表現した。

 

アルフにとって『奪った』ことがなにより肝要なのだ。今現在、代用品があろうがなかろうが関係ない。

 

ならば、俺に何ができるのだ。

 

アルフの瞳から溢れる涙を止める言葉が、俺には見つからない。見つけられない。

 

止め処なく流れ頬を伝い滴り落ちる涙を、拭うことも隠すこともしないまま、アルフは不安定に揺れる声を絞り出す。

 

耳を塞ぎたくなるような、深い痛みと悲しみを(たた)えたその声で。

 

「っ……好きなのに、こんなに好きなのに、徹を見てるだけで……徹がいるだけで胸が痛いよぉ……っ」

 

「…………」

 

想いは同じはずなのに、向かい合っているはずなのに、背中合わせだ。どこまでも、交差することはない。

 

「そう、か……」

 

アルフは今、罪の意識で苦しんでいる。子どものように泣きじゃくるほど、苦しんでいる。

 

その理由はもう、知っている。好意を寄せてくれているからだ。

 

好きでいてくれているから、俺が傷つくことをアルフは悲しんでくれている。

 

「……は、はは……」

 

なら、俺にできることは、アルフにしてあげられることは、もう、この一つしかない。罪悪感を消し去ることはできなくても、その根幹の感情を消し去ることは、できる。

 

「くっ、くはは……はははっ」

 

演じきれ。心を殺せ。

 

これが俺にできる、彼女への最後の贈り物だ。

 

「あははははっ!無様だなー、もっと簡単にものにできると思ってたのになー」

 

「と、徹……?」

 

呆然とした表情をしたアルフから、目を逸らさずに続ける。

 

「もしかして本気で俺に好かれてると思ってた?安心してくれ、ただの勘違いだから。お前の思い上がりだ」

 

感情を切れ。表情をコントロールしろ。言葉を捻り出せ。それが、それだけが、俺にできること。

 

これが、俺のけじめだ。

 

「相手の懐に潜って情報を収集する。よくある手だろ?お前が一番簡単に(なび)きそうだったから手をつけただけだ。それ以外に理由なんてなかった。情報が遮断されていて思ったより引き出せなかったのは肩透かしだったけどなー」

 

心が、痛い。身体が軋むようだ。肺が空気を取り込んでくれない。息苦しい。

 

「情報を吸い取るか、あとはこっちに寝返ってくれたらよかったんだが、やっぱりそう容易くはいかなかったな。そこだけは褒めてやるよ」

 

顔は引き攣っていないだろうか。声は震えていないだろうか。

 

俺は、うまくできているのだろうか。

 

「マンションで交わした約束も、恋愛感情を維持させるためだ。会えない時間が感情を膨らませる。強い印象を植え付けるためだ」

 

アルフは力なく肩を落とし、項垂(うなだ)れる。前髪に遮られて様子はうかがえない。

 

ただ、涙はもう止まっているように見える。

 

もう充分俺の印象は地の底についているだろうが、ここまできたら最後の最後までやりきる。ここで手を抜いて、不安要素を残したくはない。

 

とどめを刺すように、完全にアルフに嫌われるように、俺は演じる。

 

いや、こうして流れるように屑極まる発言ができているということは、もとから俺はそういう人間なのかもしれない。仄暗い感情から滲み出てくる言葉を、吐き出し続ける。

 

「惚れさせて使い潰してやろうかと思ったが、ここまで面倒な女だとは思わなかった。もういらねえわ」

 

「……最低」

 

アルフは小さく、端的に呟いて、俺を(にら)む。腕を振り上げる。

 

「…………」

 

これでいい。

 

俺の粗野(そや)驕傲(きょうごう)な態度に怒り、手をあげれば心の中で踏ん切りがつく。こんな人間だったのかと失望すれば、気持ちも離れる。

 

これでいい、はずだ。

 

好いてくれていて、でも顔も見れないような状況なら、嫌われていて、でも姿を見れるほうがまだいい。まだ、救われる。

 

それならまだ、俺の努力は報われる。

 

アルフの腕が動く。

 

痛みはあるだろう。魔法を使わなくたって、アルフの身体能力なら相当なものだろう。

 

だが甘んじて受ける。受けなければならない。

 

下卑た目で、野卑な態度で、アルフを見下ろす。

 

「最低っ……。ほんと、最低だ……あたし」

 

頬にアルフの手があてがわれる。(はた)くなんてものでは、決してない。あくまで柔らかく、どこまでも優しかった。

 

「徹に嘘までつかせて、なにやってるんだろうね……。あたしの大事なもの、ぜんぶ守ってくれた恩人を傷つけて……ほんとなにやってるんだろ……」

 

「は……はあ?な、なに言って……」

 

嘘、とアルフは言った。

 

露見してしまっては意味がなくなってしまう。好意による罪悪感を、嫌悪による蛇蝎視(だかつし)で塗り潰さねば、アルフが苦しみ続けることになる。

 

反論しようと口を開くが、その前にアルフの手が動く。俺の目元に親指を滑らせる。

 

その指は、濡れていた。

 

「徹はさ、頭も舌も回るけど……嘘だけは下手なんだね……。知らなかったよ」

 

「な、んで……俺、泣いてんだ……」

 

「あたしのせいで、嘘までつかせて……ほんとうにごめん」

 

「ちがう……違うって……」

 

「嘘だってわかったら、納得できるね。……徹の考えそうなことだよ。酷いことを言って嫌われてしまえば、あたしが苦しまずにすむって、そんなとこだろう?」

 

「ちがう……お前の、勘違いだ……」

 

「……はは、そうか。そう言うしかないもんね……。これはあたしの勘違い、なんだろうね」

 

アルフは痛みに耐えるように歯を食いしばりながら、慈しむように俺の頬を撫でる。これが最期と、言外に示すように。

 

「っ……それなら、勘違いのまま、言うよ……」

 

涙は、もう流れていない。泣かないように、必死に我慢しているのがわかってしまった。

 

「あたしが初めて好きになった人……。好きで、大好きで……大嫌いな人……」

 

震える手のひらが、掠れて揺れる声が、決意を秘めた瞳が、俺へと向けられる。

 

「今まで、ありがとう……さよなら」

 

互いに強く想いを宿しているが故に、互いに強く想いを残したまま、俺たちの関係は終焉(しゅうえん)を迎えた。

 

 




こういう展開になったのは、べつに僕が失恋したこととは関係ありません。八つ当たりとかじゃないです。
報われなかったとしても、それで完全に終わりということでもありません。また縒りを戻せる可能性は残っています。
べつに自分の失恋と重ね合わせているわけではありません。

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