そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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子故の闇

「母、さん……っ! 母さんっ!」

 

「ダメだ、フェイト!もうっ……」

 

 崩れた岩盤の縁に駆け寄り、フェイトは落ちていった母親へ手を伸ばす。身を乗り出して自分まで落ちてしまいそうなほどに、手を伸ばす。

 

 そんなフェイトの危うさを見かねて、アルフが肩を掴んで引き戻した。フェイトを説得しようと試みるアルフも、先程の光景を受け入れることはできないのだろう。声を震わせ手を震わせ、目には涙を湛えていた。

 

 ()く言う俺も、冷静ではいられなかった。衝動的に、言葉が口をついて出る。

 

「それはないだろ……プレシアさん……。娘の目の前で投身(それ)はないだろうが……ッ!」

 

 ぐらぐらと揺れ続ける床を蹴り、駆け出した。

 

 全身に(わだかま)る気怠さや疲労感など、激情が塗り潰した。

 

 皆が呆然とする中、抜け出した俺についてくる影がある。小さなオーカの頭。ユーノだ。

 

 ユーノは出だしで一歩遅れたが、そこは体力が落ちた俺。すぐにユーノは俺の隣に並んだ。

 

「ダメですよ、兄さん! 虚数空間に落ちた以上、助ける術はありません! これ以上は被害が増えるだけです!」

 

「ああッ! 助ける術なんかない! 魔導師にはなッ! ……ユーノ」

 

「は、はいっ!」

 

「任せたぞ」

 

「ちょっ、兄さんっ!」

 

 俺はユーノに丸投げし、さらに駆ける。ユーノは戸惑って足を止めた。

 

 目の前に金色と橙色が近づく。ぽんこつの足に力を込め、その手前で踏み切る。

 

「ちょっと待ってろ、すぐに連れて帰ってくる」

 

「ダメだよ、徹! ここからは魔法は使えないんだ!」

 

 跳躍しながら、岩盤の縁で座り込むフェイトに声をかける。落ち行く俺の目に、フェイトは目線を合わせた。

 

「お願い……母さんを、たすけてっ……」

 

「すぐに連れ戻してやる。安全なところで待っててくれ」

 

 フェイトに約束を交わし、俺は虚数空間へと飛び込んだ。

 

 プレシアさんから離れた位置にいた為、動き出すのに時間を食った。思った以上にプレシアさんは深く落ちている。自然落下では間に合わない。

 

「使えるものは……あった」

 

 崩れ落ちた岩盤を蹴り、さらに落下の速度を増す。落下中は空気の抵抗を出来る限り減らし、プレシアさんに追いつく為に試行錯誤した。

 

 プレシアさんは背中を下にしている。丈が長いマントは空気を受け止めやすく、落下スピードがまだ緩やかになっていた。そのおかげで、間に合った。

 

「プレシアさんっ……手を伸ばして……っ!」

 

「どうして!?」

 

 それは、どうしてここまで来てるのか、という問い掛けなのだろうか。それならば答えは、あなたを連れて帰る為、なのだが、そんな暇は零コンマ一秒もありはしない。

 

「いいからっ……手を出せッ!」

 

「っ!? あ、う……っ!」

 

 猶予がないことで声を荒げてしまった。

 

 プレシアさんは、びくん、と肩を跳ね上げて言われるがままに右手を伸ばした。俺は突き出された右手をしっかと握り締める。

 

 その直後、腹部へ衝撃が走った。

 

「うっぶ……ぐふっ。腰椎(ようつい)引っこ抜かれるかと……うっぷ、思った……」

 

 五臓六腑が口から飛び出るかと思ったほどの痛みと気持ち悪さだったが、なんとか耐えた。プレシアさんの右手も掴んだままだ。

 

 プレシアさんの手から離れた杖は、ゆっくりと回転しながら岩などと共にどこまでも落ちて行く。それらがなにかとぶつかるような音も聞こえてはこない。彼女の杖と砕けた岩盤はこれから悠久の時間、自由落下を楽しむことになるのだろう。プレシアさんの手を掴むのがあと少しでも遅れていたら、と考えると背筋が凍る思いだ。

 

「君はなぜここまで来たの?! それよりなんでこの空間で浮かんで……」

 

「なんでって、プレシアさんを行かせるわけにはいかなかったから……だけど。まずは上まで戻ろう。話はそこからだ」

 

「話を……聞いていなかったのかしら。私が残っていても、良い事なんて何もないのよ。それどころか状況は悪化しかしないわ。手を放しなさい」

 

 プレシアさんは腕こそこちらに伸ばしているが、しかし俺の手を握ろうとはしない。彼女の身体を支えているのは俺の右手の握力のみ。

 

 平常時なら片手だけでも女性一人くらい引っ張り上げることは余裕でできる。

 

 だが、今のコンディションは万全からかけ離れたものだ。体力も愕然とするほど落ちている。

 

 そして、この虚数空間による影響。魔力は体内を循環しているが、体表面に身体強化等の魔法を展開しようとしても全く発動する気配がない。魔法が使えなくなるという意味を実感する。

 

 体力は低下しているのに、魔法のバックアップはない。そう長くは掴んでいられそうにない。

 

「バカなこと言ってないで……早く俺の腕掴んでくれない?もうそろそろ限界、なんだけど……っ」

 

「ならもう放しなさい。私は決断するのが遅すぎた。もう手遅れよ」

 

「手遅れ……? 手遅れなんてことはないよ。全然遅くなんて、ない。プレシアさんはまだ生きてるし、リニスさんも、フェイトも、アルフも、みんな生きてる。ここからまたやり直せばいいだけだ。ここまで頑張ってきたのに、こんなところで終わって良いわけがないんだ……っ」

 

 手が滑る。力一杯握っているつもりでも、徐々にプレシアさんを支えられなくなっている。

 

 小指が彼女の手から離れた。

 

「何もかも手に入れようとするのは……傲慢(ごうまん)と言うのよ。アリシアとフェイト……どちらも守ろうとして、私はどちらも失った。それならせめて、あの子達の為に……」

 

「だから一人で大罪を背負って黄泉の国へ参らん、とでも言うのか? はっ……冗談だろ。それは決意や覚悟とは違う。ましてや親心なんかじゃもっとない。ただの自己満足だっ……。残されたフェイトはどんな気持ちになると思ってやがる……っ、目の前で母親が死んだ子どもの気持ちを考えろッ!」

 

 全力を振り絞っても力が緩んでいく。薬指も外れた。

 

 瞼を固く閉じて手のひらに神経を集中させる。

 

 プレシアさんの信念を(ひるがえ)させるために説得しなければいけないのに、他のことなんて何も考えられない。プレシアさんへの返答もこれで正しいかと考える余裕すらなく、思ったことが口を()く。

 

「今日まで途方もない時間を使って、想像を絶する努力をして、骨身を削って追い求めて、悲しみの底にありながらも幸せな未来を夢見たんだろう。常人では及びもつかないほど精魂を傾けて、苦しみながらも希望に(すが)って、甚大な労力を払って願いを叶えようとしたんだろう……ならこんな中途半端なところで諦めるなッ」

 

「アリシア一人を取り戻す為にクローン技術まで持ち出した。違う世界の人たちを犠牲にしてでもアリシアを救おうとした。私のやろうとしたことは人道に(もと)る行為よ。申し開きなんてできないわ」

 

「俺は……プレシアさんたちの世界の法律には詳しくない。それがどの程度、法に触れるものなのかはわからないけど……それでも確かに、あなたのやろうとしたことは倫理や道徳に反するんだろう。でも、あなたの気持ちはわかるよ……。もう一度、大切な人の笑顔を見たい。その気持ちは痛いほど……わかる。どれだけの人があなたを非難しても、どれだけの人があなたを否定しても……俺はあなたに、賛同するよ」

 

 その時初めて、プレシアさんの顔つきが変わった。きつく閉じられていた唇が、おそらく驚愕でわずかに開く。

 

 それほど驚くようなことではないだろう。きっと、誰だって同じなのだから。

 

 死んだ人間はもとには戻らない。両親を亡くした時、俺にはなにもできることがなかったから、取れる手段がなかったから、踏ん切りをつけることができた。もちろん忘れることなどできはしないし、してはいけないのだけれど、過去を振り返ることはやめられた。

 

 だがプレシアさんのように『もしかしたら』という可能性が、死者蘇生の秘術が存在するかもしれないという一縷の望みが目の前に垂れ下がってきていたら、きっと俺だって同じことをした。なにを捨ててでも、どれほど多くのものを犠牲にしてでも、残酷な運命から取り返そうとしただろう。

 

 プレシアさんの行いはたしかにいけないことではあったが、それでも俺には彼女を糾弾することはできなかった。

 

 子故の闇、だ。今でも我が子を愛しているから、前よりずっと愛しているから、手段なんて選んでいられなかった。

 

 願いは、ただ一つ。愚直にひたむきに、実直にひたすらに、たった一つの願いだけを追い求めただけなのだ。

 

「プレシアさんも……いっぱい考えたんだよな……。悩んだ末の解答で、模索した上での方法で、苦心した結果の行動だったんだろ……」

 

 大切な人を失ったプレシアさんの気持ちがわかるから、俺は彼女の行為を否定できない。

 

 でも――

 

「でも、それは……ダメなんだ」

 

 プレシアさんには痛いほど共感できる。でも、俺も親を亡くしたから、フェイトがこれから抱くであろう気持ちもわかってしまう。

 

 胸に大きな穴があいてしまったような、途轍もない喪失感。悲しいなどという言葉では言い表せない感情が心を埋め尽くすのだ。

 

 そんな気持ちを、フェイトに与えてはいけないだろう。

 

「我が子を想い、我が子を愛し、我が子の将来を考えての行動なんだろうけど……でもそれは間違ってるんだ。フェイトのことを、アリシアのことを想っているのなら、あなたは生きてなきゃいけない……ッ」

 

 右腕はじんじんと痛みを増して、とても熱い。それでも手は離さなかった。

 

 歯を食い縛って痛みに耐える。呼吸が荒くなり、腕だけでなく全身まで熱を持ち始めた。

 

 熱い瞼を開いて、プレシアさんを見やる。呆然と、彼女はまっすぐに俺を双眸(そうぼう)を射抜く。

 

「プレシアさんは言ったよな……私が残っていても、良い事なんて何もないとかなんとか。笑わせてくれるよ……子どもにとっては、親は側に居てくれるだけでいいんだよ……。たった……それだけで、いいんだ。子どもには……親の愛が必要なんだよ……」

 

 雫が一つ(したた)って、プレシアさんの頬に落ちた。

 

「俺もがんばるからっ、プレシアさんももう少しだけがんばってくれないか……。どうにかするから、絶対になんとかするからっ!」

 

「君は……なぜ、そこまで……」

 

「あなたの、幸せになるために築き上げた努力は決して無駄にはしない! 俺がさせない!」

 

 クレバーな(たくら)みなど、一切頭になかった。ただ思うがまま、心の底から溢れてくる熱い感情の(おもむ)くがままに叫んだ。

 

 話の内容は支離滅裂だし、全く論理的ではない。方法も提示できないのに、ただ信じろなど虫が良すぎるのもわかっている。

 

 だが、今の俺にはそれくらいしかできなかった。

 

「っ……くっ、もう……」

 

 右手前腕(肘から先)の筋肉を酷使し続けたことで、痙攣まで起こり始めた。もう指に力が入らない。

 

 手が離れる、その寸前。右手首に圧迫感を感じた。

 

「約束、してくれるかしら……」

 

 プレシアさんが左腕を伸ばして、俺の手首を力強く掴んでいた。

 

「あの子達だけは絶対に守ると……約束してくれるかしら」

 

「約束するよ……フェイトたちだけじゃなくて、プレシアさんのことも」

 

 体勢を安定させるためプレシアさんを引き上げる。

 

 彼女自身がしっかりと手を掴んでくれているので少しくらいなら揺れても大丈夫だと判断し、勢いをつけて引っ張り上げた。肘から先はもう力が入らないので、多少強引ではあるが上腕と肩、あとは背筋で力尽くに。

 

 右腕を後ろに引き絞り、プレシアさんの身体が浮いたところを左腕で拾う。腰のあたりに手を回して抱きかかえた。

 

「んっ……」

 

「あ、ごめんなさい。俺、汗かいててちょっと気持ち悪いかも……」

 

「ち、違うわ。そういうことではないのよ。ただ……リニスにあまり強く言えないな、と思っただけよ……」

 

「なんでここでリニスさん?」

 

「な、なんでもないわ」

 

 俺はプレシアさんを落っことさないように左腕に力を込めて抱き寄せて、プレシアさんは落ちないように俺の背中に手を回している。ぴったりとくっついているため彼女の顔色は(うかが)えなかった。

 

「そろそろ引き上げてもらおうか。あんまりこんな場所に長居したくないし……」

 

 プレシアさんの肩越しに真下を覗けば、どこまでも続く異次元の世界。気が(たか)ぶっていたとはいえ、よくも躊躇いなく飛び込んだものである。冷静になると肝が冷える思いだ。

 

「結局聞けなかったのだけど、君はどうやってこの空間で落ちずに……」

 

「っ!」

 

 プレシアさんの、女性にしては低めの落ち着いた声が俺の耳をなぶる。背筋に電気が走ったように身体がびくんっ、としてしまった。

 

「ど、どうしたの?」

 

「なんでも、なんでもないです……」

 

 俺の不審な動きに、プレシアさんはおずおずと尋ねてきた。間違っても本当のことは言えなかったので誤魔化す他になかった。

 

「そ、それで本題はなんだっけ?」

 

「えっと……だから、なぜ君が落ちずにいられるのかと……なにかしら、この紐……」

 

 プレシアさんが俺の腰の後ろ側から伸びているロープにとうとう気づいた。俺は指を差しながら解説する。

 

「これは高所作業用の安全帯。入り用になるかもと思って一応持ってきておいたんだ。長いのを。まさか本当に使うことになるとはね」

 

「この幅の広い紐でいったい何をするのかしら……」

 

「これでなにかをするってわけじゃなくて、高い所で作業するのは危ないから安全確保のために身につけるんだ」

 

「……魔法を使えばいいのに」

 

「…………魔法を使えないからこんなことしてるんです」

 

 安全帯をくいくい、と引っ張ると俺の意図が伝わったのか、ゆっくり巻き取られていく。ユーノ一人ではかなり大変だと思うが、近くにはアルフもいたし引っ張り上げることについては問題ないだろう。

 

 随分深く落ちてしまったので、みんなの場所まで戻るのはそこそこ時間がかかった。

 

 観覧車並みの速度でじわじわと上がって、ようやく岩盤に手が届くところまで来る。先にプレシアさんを登らせ、次いで俺が手をかける。もはや右手の握力は女子小学生レベルにまで疲弊していたので相当な苦労をしたが、引き上げてくれる力も借りてなんとか登ることができた。

 

「さあ……逢坂徹。君の言い分を聞かせてもらおうか」

 

 虚数空間から抜け出して早々にお目見えしたのは、額に青筋を立てて仁王立ちするクロノ少年だった。

 

 ちらりとその後方に目を向けると、疲労困憊が目に見えるユーノと、安心やら喜びやら勝手なことをした怒りやら、様々な感情が渾然一体となった表情をしているなのはがいた。

 

 目線を横にスライドさせると、プレシアさんに抱きついているフェイト、プレシアさんとフェイトの肩を抱いているアルフ、一歩離れた位置で涙ぐんでいるリニスさんがいる。どうやら向こうの心配はしなくて良さそうだ。

 

 それよりも俺は自分の身の心配をしたほうがいい。今日この日に至るまでに見たことがないくらい冷たい目をしたクロノが、俺をすぐ近くで見下ろしているのだから。

 

「……た、高飛び込みのフォームを確認したかったんだ」

 

「それで認められると思っているのか?」

 

「そもそも徹お兄ちゃん泳げないの」

 

 とにかく何か言うべきだと思って口走ってみたが、想像以上に気の利いた言い訳は出てこなかった。なのはに不備まで指摘された。

 

 咄嗟に言い訳を用意しようしたらこんなものである。

 

「どれほど危険なことをしたかわかっているのか?! 普通の魔導師であれば虚数空間に踏み入ったが最後、重力の底まで真っ逆さまだ!」

 

「あの状況でプレシアさんを助けようとしたら、あれしかなかったんだ。こんなこともあろうかと安全帯を持って来てたし」

 

「本当に持ってきていたんですね兄さんっ!? 冗談だとばかり思ってましたよ、僕は!」

 

 乱れた呼吸を整えていたユーノが若干肩を怒らしながら駆け寄ってきた。

 

 クロノには知らせていなかったから仕方がないが、なぜユーノまで怒るのだろうか。ユーノには前もって知らせていたというのに。それこそ、時の庭園に突入する前から。

 

「ユーノが言ったんだろ。使う時は声をかけてくださいね、って。だから声をかけて、しかも任せるとまで言ったのに。怒られる(いわ)れはないな」

 

「本気で持ってきているなんて想定してなかったんですよぉっ!」

 

「はぁ……もういい。この件についての説教はまた今度だ。今はここから退避することが先決だ。……エイミィ、脱出ルートを……」

 

 俺とユーノの口論を見て頭が冷えたのか、クロノは対処に困るみたいな顔をして頭を振り、話を変えた。

 

 俺たちから視線を外し、アースラの管制室に連絡を取る。

 

 プレシアさんを連れ戻すことはできたが、依然ジュエルシードは暴走したままなのだ。

 

 こんな危ない場所からは早く逃げ出すべきである。足場となる岩盤も崩れ始めているし、遠くから爆発も轟いている。

 

「身体……重っ」

 

 時の庭園を出るにあたって、プレシアさんに確認しておかなければならないことがあった。

 

 俺は立ち上がり、心配させてしまっていたなのはとユーノ二人の頭を撫でると、テスタロッサ家の人たちへと足を向ける。久しぶりの家族団欒に水を差すのは大変心苦しかったが、申し訳ないとは思いつつも割って入った。

 

「プレシアさん、聞きたいことが……」

 

「徹っ……ありがとうっ」

 

「おわっ、フェイト? どうした?」

 

 プレシアさんに声をかけたつもりだったが、いち早く反応したのはフェイトだった。俺の服を掴む。

 

「私のお願いを叶えてくれた。母さんを助けてっていう無茶なお願いを……」

 

「ああ、その約束か。それなら感謝はまだするべきじゃないぞ」

 

「え、どうして……?」

 

「お願いはプレシアさんを助けることだ。罪を減じさせて、また家族みんなで暮らせるようになってそれで初めて助けたことになる。感謝の言葉はもうちょっと先だな」

 

「徹、やっぱり性格ひねくれてるね」

 

「うるさい」

 

「でもそういう真面目なところ、私は好きだよ」

 

「っ! ……あはは、ありがとう。俺もフェイトが好きだよ」

 

「えへへ」

 

 照れたように身をよじるフェイトはとても可愛かった。ずっと愛でていたいが、それはまたの機会にしよう。

 

 すぐにでも脱出を始めるからクロノの近くにいるように、とフェイトに指示を出し、移動するように言う。フェイトは素直に頷き、クロノの近く、にいたなのはのもとまで走っていった。

 

 フェイトの隣にいたアルフにも二三声をかけようとしたが、ふいと目を背けられ、フェイトの後を追って行ってしまった。

 

 アルフのおかしな挙動に戸惑いつつも、プレシアさんに向き直る。

 

「これからアースラに向かうことになるんだけど、アリシアのカプセルってすぐに動かせるの?」

 

「ええ、すぐにでも出来るわ」

 

「庭園の上層にある研究室からこんなところにまで運べるのですから」

 

 問いかけると、プレシアさんは膝についた砂をぱたぱたと払って答えた。

 

 リニスさんが注釈をつけ加えてくれたのはいいのだが、文章の最後に『当然でしょう?』というような文字が隠されている気がする。小馬鹿にされた気分である。

 

「すぐに移動できるのならそれに越したことはないな。揺れも激しくなってきてるし、かなり不安定だ。ジュエルシードが本格的に暴れ出す前に脱出しよう」

 

「それには賛成なのだけど……徹君はアリシアを救う手立てを持っているのかしら。ジュエルシードを使ってもまだ……足りなかったわ。君は他に方法を知っているの?」

 

「その前にプレシアさん、大事なことだからあえて訊くんだけど……魔力駆動炉の暴走事故、あれについてどれくらい調べた? 特に、被害者についてなんだけど」

 

「っ……」

 

 プレシアさんの表情が苦渋に染まる。

 

 当たり前だ。その事故のせいで、研究者として腕があるにも拘わらず悪評が広まってしまったために地方の研究所に半ば追いやられることとなり、なによりも、アリシアが目覚めることのない眠りについたのだから。

 

「徹、それをプレシアに訊くというのは」

 

 隣に並ぶリニスさんの目つきが鋭くなる。主人の心中を察してのことだろう。向けられている感情が敵意ではなくても、その眼光はとても怖い。

 

「いいのよ、リニス。徹君にとってその件は、訊いておかないといけない大切なことなんでしょう」

 

 俺に言い募ろうとしたリニスさんを、プレシアさんは片手を伸ばして制した。

 

「あの事故でアリシアを失ってしまったから、私にとってはあまり触れたくないことだったわ。だから……他の被害者、その遺族の方々には申し訳ないけど詳しくは調べていないのよ。後になって事故の報告書も私に回ってきたけど、冒頭から事実を捻じ曲げて記述されていたから目も通していないわ」

 

「そうか……うん、わかった。悪いんだけど、あと一つだけ。プレシアさんたちは事故現場から一番近くにいたのになんで被害に遭わなかったんだ?」

 

「……駆動炉のオーバーロードにはすぐに気がついたのよ。でも、どうやっても、なにをしても……暴走は止められなかったわ。近くにいるのは危険だけど、離れるだけの時間的猶予はないと判断して結界を張ったのよ。駆動炉が放つ高密度の魔力に当てられたら命に関わるから、それを防ぐ為に。施設の人間を集められるだけ集めて、ね。その前に付近へ報せていれば、被害者数はもっと少なかったかもしれないわ……」

 

「当時のことなんて思い出すだけでも苦痛だろうに、教えてくれてありがとう」

 

 プレシアさんの解答で、確証を持てた。彼女の、アリシアを助ける為の研究はアプローチがずれていたのだ。

 

 事故の報告書を読んでいたら、被害の規模を調べていたら、もしかしたら違う結末を辿っていたのかもしれない。その場合も技術的な難関はあるが、研究者たるプレシアさんが心血を注げば年月はかかるにしてもどうにかできていた可能性がある。

 

 いや、過ぎてしまった事に対して、ああしていれば良かった、などと振り返るのは時間の無駄か。問題はこれからをどうするかなのだ。

 

 アリシアを救い出す算段はついている。ならば俺はその方法論をプレシアさんに呈示し、その手助けに全力を尽くすのみだ。

 

「徹、答えてもらえませんか? 結局どういった意図があってあんな質問を?」

 

「アリシアを助けるためだよ。どうにかなりそうだ」

 

「そ、それは本当なのかしら……徹君」

 

「本気で言ってるんですか、徹。いったいどうやって!」

 

 リニスさんが身を乗り出して俺に問い(ただ)す。今にも掴みかかりそうな勢いなので落ち着いてもらえるよう(なだ)めた。

 

「ちょ、ちょっと待って。話を始めると長くなるから、まずは安全な場所にまで退避してからゆっくり話そう。そりゃあ時間も掛かるし設備も整えなきゃいけないけど、理屈としてならいけるはずだ。大丈夫!」

 

 目を丸くしている二人に、はっきりと言い放つ。

 

「みんなで、アリシアを助けよう」

 

 俺の断言に相変わらず気抜けしているプレシアさんとは対照的に、リニスさんは口元を押さえてくすくすと笑いだした。

 

 リニスさんは、まだ驚いて放心状態のプレシアさんに寄り添う。そして微笑みながら言った。

 

「プレシア、わかりました? 徹はこういう人間なんですよ」

 

「正直なところ、まだ現実の事として認知出来ていないけど……徹君の人間性はよくわかったわ。こんな子が、フェイトやアルフの近くにいてくれて……本当に良かった」

 

 プレシアさんは固くなっていた表情を、ふわりと(ほころ)ばせた。

 

「ほら二人とも、早く行こう。上から瓦礫(がれき)がぽろぽろ落ちてきてる。いつ崩れるかわからない。早いとこ退避しよう」

 

「そうですね、行きましょう。プレシア、歩けますか?」

 

「大丈夫よ、それくらい。私は一人で歩けるわ。リニスはアリシアをお願い」

 

 プレシアさんともひとまずは話がついた。詳しい説明をするためにもまずはアースラに帰投しなければいけない。

 

 アースラに入ってしまえばプレシアさんとリニスさんは勿論、フェイトやアルフも恐らくは艦内の一室に拘束されるだろう。自由な行動は制限されることになるとは思うが、そこは艦長のリンディさんに話を通して融通してもらえるよう働きかけよう。

 

 アースラ帰艦後の予定を組み立てながらクロノたちが集まっている場所へ足を運ぶ。

 

 俺が先頭を歩き、その後方にプレシアさん。それより少し遅れてリニスさんがカプセルに手を添えてアリシアを移動させる。

 

 ちらちらと後ろを気にしていたせいか、それとも疲れで足が重かったせいか、床に刻まれた亀裂に足を取られて(つまず)きそうになった。

 

「徹君、大丈夫? 足場がだいぶ悪くなっているから気をつけなさい」

 

「は、はい……気をつけます……。アリシアのカプセルはこんなところ通れんの? ところどころ穴が空いてるし、岩とかも散乱してるけど」

 

「ほら、見なさい」

 

 プレシアさんが目で、後ろを見るように指示をする。それに従ってプレシアさんのさらに後ろ、リニスさんを見やれば事もなさげにカプセルを押しながら歩いていた。

 

 見られている事に気がついたリニスさんは『どうかしましたか?』とでも言うように小首を傾げる。

 

「アリシアのカプセルは浮いているもの。余程大きな岩とかでない限りは問題ないわよ」

 

「そうだった……。まあ安全なのはいい事だな。俺、あのカプセルが倒れて割れたりとかしたらどうしようって考えてたよ。中の液体も流れ出しちゃうし……そういえばあの液体ってなんなの? ホルマリン?」

 

「あの液体には人体を維持する成分が全て入っているのよ。無菌状態で常時循環させているわ。今はこうして独立させているから経時劣化はしてくるけど、すぐに悪くはならないわよ」

 

 カプセルの中に充填され、一糸纏わぬ金色の幼女、アリシアを包むオレンジ色の液体はなかなかに重要な役割を担っているようだ。簡単に捉えると点滴の上位互換みたいなものだろうか。

 

 じっとアリシアの顔を見てみる。

 

 やはりフェイトとよく似ているが、若干フェイトよりも幼い。小学一年生か、下手するとそれ以下にも思える。外見年齢はおおよそ五、六才といったところだろうか。事故当時から成長はしていないようだ。

 

「徹君は……そういった趣味があるの?」

 

「え、趣味? なんの話?」

 

 話し掛けられたのでプレシアさんへと首を回す。プレシアさんは言いづらそうに俺から目を逸らしていた。

 

「その……あまりにアリシアをじろじろと舐め回すように眺めるものだから、小さい子にしか欲じょ……いえ、興味が持てないのかと」

 

 身に覚えのないぶっ飛んだ誤解を受けていた。

 

「なっ?! ち、違う! 疚しいことはなにも考えてない!」

 

「さっきもフェイトに好きとか言ってたでしょう。頬を緩めながら。私を抱き上げた時はにこりともしていなかったから、てっきり幼い女の子にしか好意を抱けないのかと思ったのだけど……違うのかしら」

 

「とんだ思い違いをしてるよプレシアさん!」

 

「徹君がフェイトのボーイフレンドだと私もいろいろ安心できるわ」

 

「随分と歳の離れたボーイフレンドだ。その『ボーイフレンド』には男友達という意味以外のニュアンスがちら見えしてるよ……。だから違うってば。設備を整えて理論通りに助け出すとしても時間がかかるから、あのオレンジ色の液体をどうやって手に入れるかを考えてたんだ」

 

「それなら大丈夫よ。特殊な機材が必要なわけではないの。一般的な研究室レベルの設備があれば問題ないわ」

 

 プレシアさんの答えを聞いて一安心する。作るのが難しいのであれば、庭園自体が揺れるこの状況下においてでも彼女の研究室まで走って、予備のカプセルを探さなければいけないところだったが、どうやらその手間は省けたらしい。

 

 寄り道がいらないとわかったのなら、すぐさまここからはお暇させていただこう。

クロノはアースラのオペレーターに、彼の言から察するにはおそらく艦橋(ブリッジ)にいるエイミィに連絡を取り付け、脱出経路を調べてもらったのだろう。庭園の中枢に寄った位置で、クロノたちは集まっていた。

 

 転移魔法なる便利な魔法があるとはいえ、そうぽんぽん使えるものではない。たしか時の庭園の一箇所に出入り口になる扉を敷設(ふせつ)していた。先遣隊隊長を務めたレイジさん、その次に突入したクロノやなのは、ユーノ、アルフといった面子はその転移魔法の出入り口を通ってこちらに来ていたみたいだ。

 

 エイミィが示す経路というのは、その出入り口までの最短ルートを指すのだろう。

 

「作れるんならいいや。容疑を晴らしたらリンディさんやクロノの手も借りて研究室を工面してもらおう。今できることは、なによりもまずここを抜けることだ。急ごう」

 

 歩みを気持ち早める。

 

 庭園の揺れが大きくなってきているし、爆発音が聞こえる間隔も短くなっている。庭園の外縁部ではなく、中核の部分が崩れ落ちるのもそう遠くない。

 

 ここまでやって退避に遅れて瓦礫の下敷き、もしくは虚数空間にどこまでも流される、なんてお断りだ。

 

 早歩きから軽い走りくらいに移行し始めた時、視界に不純物が混じったような青白い色が入った。

 

 十と三つのジュエルシード。それらが相互作用で確実に魔力を高めていっている。

 

 ユーノの本来の目的は二十一あるジュエルシードすべての回収なので、本音を言えば暴走をいや進行させる十三個のジュエルシードも確保したかったが、とてもではないがそんな余力はない。致し方なしと諦めてジュエルシードの処理は、限界を超えた魔力圧による大爆発か、庭園の崩壊に任せよう。

 

 大規模な魔力爆発が起きればさしものジュエルシードといえど使い物にはならなくなるだろうし、虚数空間にでも落下すれば拾える人間はいない。期せずしてではあるが、処理をするにはうってつけだ。

 

「ん……早く、なった……?」

 

 視線を前方へと向ける間際、ぐるぐると同じ場所を回転するジュエルシードの速度が上がった。目を再度ジュエルシードに合わせて熟視すれば光りかたも変わっていて、胸を(ざわ)つかせる危うさを孕み始めていた。

 

 波が身体を打つように、肌に得体の知れない圧迫感を受ける。リニスさんと戦っていた時にも感じたプレッシャー。それと酷似していた。

 

 胸元でエリーがかたかたと震え、警戒を促すようなライトを照射する。居ても立ってもいられないとばかりにエリーは台座から浮き上がり、俺と目線と同じ高さで浮遊した。

 

「プレシアさん、リニスさん、急ごう! 相当危険に……っ」

 

 エリーがここまでの反応をするということは、ジュエルシードの暴走が予断を許さないステージにまで来てしまったということに他ならない。

 

 プレシアさんとリニスさんを急かすが、俺は遅きに失した。

 

 これまでとは違う、近くで鳴り響く爆発の大音声と、立っていられないほどの大揺れ。頭上からは直径の大きな岩も降ってくる。動きようがなく、足を止めざるを得なかった。

 

 降りしきる岩石の雨と立ち込める砂埃の向こう側では、クロノたちも似たような状況だった。

 

 ごごご、と空気を震わせる不吉な音と振動。頭上の岩盤には(ひび)が数多に入り、一つ一つの罅が繋がり、そして深い亀裂を刻んだ。

 

 一瞬の静寂を経て、がきぃっと音を立たせながら一際大きな岩が落下した。

 

 遠目にでも大型トラックの全長ほどもありそうな大岩がクロノやなのはたちの真上の岩盤から剥がれ落ちるのを視認し、ノータイムで俺は叫ぶ。

 

「上だッ!逃げろッ!」

 

 大岩の真下にはクロノやなのはたちがいる。揺れの影響でバランスを崩していて、すぐに体勢を立て直せる状況にない。

 

 最悪の事態に血の気が失せる。

 

「このくらいなら、あたしにだってやれるよ!」

 

 俺の声と、頭上から押し潰さんと迫る大岩にいち早く対応したのはアルフだった。

 

 野生動物顔負けの柔軟性と姿勢制御、反射によって飛び上がり、拳を振るう。

 

 被害が及びそうな範囲にいる仲間を抱えて避けるより、被害を生み出す大岩の破壊を行ったほうが安全確実だとアルフは考えたのだろう。

 

 クロノは自力で避けれそうではあったのでともかくとして、実際フェイトはまだ立っていたとはいえ上半身がぶれてしまっていてすぐに動けそうではなかったし、ユーノは床に手をついて身体を支えていた。なのはに至っては尻餅をついていた。その三人を引っ掴んで大岩から離れるより、いっそのことぶち抜くほうが安全だと判断するのは、妥当な線と言える。

 

 もちろんアルフが、そんな七面倒臭いリスクリターンの計算をしたかどうかはわからない。危ない物が落っこちてきたから本能で叩き壊そうとしただけかもしれない。

 

 アルフが何も考えていなかったとしても、そのアクションは間違っていなかったと、俺は断言する、確言する、明言する。限られた時間の中で、危険が迫る状況の中で、アルフはベターな選択をしたと俺が保証する。

 

 回り回って、巡り巡って、結果として悲劇を生み出しただけなのだ。バタフライエフェクトのように、些細な違いが大きな結末を引き起こしてしまっただけなのだ。

だから、アルフは悪くない。

 

 何が悪いのかとあえて言及するのならば、運が悪いとしか言いようがない。

 

「アリシア……っ! アリシアっ!?」

 

 プレシアさんがアリシアの身体(・・・・・・・)を抱き上げる。

 

 足元にはガラス片が散乱し、近くには大きな岩が転がっていた。

 

「こんなのッ……たちの悪い冗談だろ……ッ!」

 

 アルフは落下した巨岩を打ち砕き、フェイトやなのは、ユーノを守った。

 

 しかしそれは、結果として不運(死神)を誘き寄せる。


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