忍と武が歩む道   作:バーローの助手

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第四話

重い瞼をゆっくり開けると、先ずは木造の屋根が映った

心地よい温もりと柔らかさを持つ布団から、名残惜しくも身を起して周囲を見る。

 

時計を見れば、早朝の五時半

ほぼ予定通りの起床に、男は意識を覚醒させながら床を立つ

そして身に纏っていた寝巻を脱いで、「川神」と刺繍された上下のジャージに着替える。

 

次いで部屋から出て、最寄りの洗面所で洗顔して身嗜みを整える

その足で早朝の務めを果たすべく、長い廊下を歩く。

 

徐々に大きく響いてくる、数多の掛け声

渡り廊下の外を見れば、そこには多くの人間が掛け声と共に突きや蹴りの動作を行っていた

自分が今居る「川神院」の門下生達の早朝稽古だ。

 

朝から勤勉な事だ

そう心の中で皆にエールを送り、自身もまた務めを果たすべく足を進める

彼らには彼らの、自分には自分のすべき事がある。

そして彼は、「調理場」と書かれた一室に着く。

 

「おはようございます」

 

一例しながら入室する

そこには既に、調理用の前掛けをした長髪の男性や割烹着姿の女性がいた。

 

「応、おはよう!」

「今日も早いねー、それじゃ早速仕込みを手伝って!」

「了解です」

 

短く答えて、自分も調理用の前掛けをして準備に出る

空いた調理台の一角に場所を取り、包丁とまな板を設置する。

 

「今日は浅漬けがイイ感じに出来たから、そっちをお願いね!どんどん切っちゃって良いから!」

「分かりました」

 

そう言って、漬けられていたキュウリを取り出し、切り分け、小皿に盛りつけていく

そんな作業を繰り返して、終わりを迎える

 

「できました」

「わっ!もう出来たの! 相変わらず仕事早いねー」

「恐縮です」

「新入り!じゃあ次はこっち頼む!」

「分かりました」

 

呼びかけに短く答えて、男は再び作業に取り掛かる

調理場にだんだんと朝の空腹を刺激する匂いが充満し、作業台の上にどんどん朝食が盛り付けられていく。

その作業も粗方の終わりが見え始めた頃、調理場に新たな影が見えた。

 

「おっはようございまーす!」

「あら、一子ちゃん!」

「今日も元気がいいねー」

 

茶色いポニーテールの髪を揺らしながら、一子と呼ばれた少女が調理場に姿を現す

 

「今日も手伝いに来ました!」

「あら本当、いつもいつも本当にありがとうー」

「いえいえ、気にしないで下さい。好きでやってる事ですので」

 

そう言って一子は笑いながら受け答えて、盛り付けが終わった朝食を次々と運んでいく

そんな一子を見て、一人の長髪の男が言う。

 

「新入りー、もうそっちは良いから一子ちゃんの手伝いをしてやってくれ!

 終わる頃にはこっちもメシにできるからよ!」

「了解です」

 

簡潔に答えて、再び朝食の膳を運びに来た一子の隣に立つ。

 

「…あ、えーと、確か新しく入った…」

「イタチです、自分も手伝います」

 

そう言うと、一子は笑顔で「ありがとう」と答えて再び朝食を運ぶ

イタチも続いて膳を持って、一子と共に朝食を運ぶ。

そしてその作業も終えて、調理場に帰る

そこには、すでに自分の朝食が用意されていた。

 

「こっちもご飯にしましょう」

 

そう妙齢の女性が言うと、先程まで朝食の準備をしていた面々は各々の朝食の前に座り

それぞれが朝食を取る。

 

「いやーしかし、一人増えるだけで大分違うもんだな」

「そうだな、少し前はもっとバタバタしてたからな」

「本当、イタチさんは仕事が早くて丁寧で…本当に助かるわー」

「恐縮です」

 

イタチが短く答えると、皆はそれぞれ談笑を進める

そして話題は自然と、最近新しく入ったイタチの話になっていった。

 

「しっかし、お前も難儀だよなー記憶喪失なんてよ」

「どうだい? 最近なにか思い出したかい?」

「いえ、特には…まだもう少し、こちらのお世話になるかと思います」

 

ポリポリと胡瓜を噛んでイタチが答える。

そしてイタチの隣に座っていた初老の男性が、ポンと背中を叩いて

 

「ま、お前みたいなヤツだったらこっちも歓迎よ」

「本当本当、イタチさんには助けられてるんだから。昨日も裏庭の草むしりやって貰っちゃったし」

「あれ? 俺は道場の掃除を一通り終わらせたって…」

「え?ちょっと待て? 俺は本堂の廊下掃除を全部終わらせたって聞いたぞ?」

 

皆が皆、口々に不思議そうに語る

この川神院の敷地は、兎に角広いのだ

道場、裏庭、本堂…これら一つ一つ見ても、その敷地面積はちょっとした運動場並にある。

 

「そうですね。その三つは昨日やり終えた処ですね」

 

そして当のイタチは、その事実をあっさりと肯定する

 

「…お前、朝だけじゃなくて…昼と夜の仕込みもこっちにいたよな?」

「はい、お手伝いさせていただきましたよ?」

「…さっきの掃除の合間に?」

「夕食の前には粗方終わっていましたけどね」

 

掃除もそうだが、川神院には所属する門下生も多い

そんな門下生たちの食事を担うのが、この調理場である

勿論、その一食を準備するだけでもかなりの体力を要する。

 

「…お前、どんな体力してんだ…?」

「単純な体力だけなら、ここの門下生より上なんじゃねえか?」

 

彼らは呆れた様に呟く

今イタチが行った事、やるだけなら他の人間でも可能だろう

だがそれを「一日」で他の仕事と「並行」で行い、更には「丁寧な作業」をするには体力と時間がとても足りないだろう

それを何でもない様な様子で告げるイタチに、周囲の面々は驚きが混じった表情で見つめ

 

「世話になっている身ですから、何か作業していないと居心地が悪いだけです」

 

そう言って唖然とする面々を尻目に、イタチはずずっと味噌汁を啜った。

 

 

 

百代との手合わせから五日経った

イタチは病院を退院した後、川神院に身を寄せていた

どうやら百代が祖父の鉄心と話をつけてくれたらしく、期間限定でも身元引受人は必要だったためにイタチはその厚意に甘える事にしたのだ。

 

そしてイタチは、ここに居る間は自分に出来る事を手伝う事にした

流石にタダ飯食らっていて平然としていられる程、自分の神経は太くなかった様だ。

 

幸い作業自体は簡単なモノが多く(量は桁違いだが)、記憶のない自分でも十分できたし

勝手が分からないモノも多少あったが、自分は物覚えが良いらしく、少し説明を受ければ対応できた

 

最初こそは、その特殊な経緯で川神院に住む事になったイタチには多少なりとも疑惑の目は向けられていた

川神院は日本の武術の総本山

川神院の師範である川神鉄心は「日本の武術の父」と称される程の人物であり

更には「最強」「不敗」「無敵」のありとあらゆる称号を持つ川神百代までいる。

 

そんな者たちを武術以外の方法、法の外からの方法で排除しようと企む輩も、少なからず存在する

そうでないにしても身元不明の不審者を住まわせる事自体、反対するのが普通の考えだろう。

 

しかしイタチの驚異の仕事効率や真面目で実直な性格

これらの要因によって、ここ数日でイタチに対する不審な目は大分なくなっていた。

 

しかし、そんなイタチにも悩み事はある

一つは未だ戻らない己自身の記憶の事

 

そしてもう一つは…

 

 

 

「それで、どうなんだよ? 百代嬢ちゃんとの方は?」

 

 

ニヤニヤとしながら、長髪の男が尋ねる。

 

「…彼女には、頭が上がりませんよ」

「だーかーら、そういうんじゃないってー!」

 

その言葉を切っ掛けに、周囲の人間がその流れに便乗する

どうやら皆が皆、この話題に興味深々な様であった。

 

「俺は百代嬢ちゃんがランドセル背負ってた時から知ってるけどよー、こんな事は初めてなんだよ!」

「毎日病院に通って、それであの鉄心さんにお前の事頼み込んだだろ?」

「一子ちゃんの時とは、大分状況も違うし…気にするなって方が無理な話よー」

 

彼らは思い思いに自分たちの考えを語り、イタチに視線を向けてくる

彼らの言いたい事は、単純な話だ。

 

――お前ら、できてるの?――

 

という話だ

先日の手合わせのせいか、百代は何かとイタチを誘う(手合わせ)事が多く

またその姿も多くの門下生や手伝いの人に目撃されていて、少し川神院の中で噂になっていたからだ。

 

「…ご期待に背く様で悪いですけど、彼女とはよき友人です。彼女の方も似た様な感じだったのでは?」

「いんや、あっちは『今一番のお気に入りだ』って言ってたぞ?」

 

「…は?」

 

「もしも記憶が戻って、貴方が此処から出て行ったら?って聞いたら『追っかける、会いに行く』…だそうよ?」

「…………」

 

――何を言っているんだあの人は――

と、思わずイタチは頭を抱えたくなった

確かに彼女の言っている事は紛れもない事実だろう、嘘偽りが一切ない感情だろう

だがしかし、その根源となる前提があまりにも違い過ぎるのだ。

 

「…もし仮に、そういう話だとしても…正直言って、俺の方は余裕ないですよ。

 なにせ身分や住所はおろか、自分の名前まで忘れている始末ですので」

 

だからイタチは、強引に話を切る事にした

あまりあらぬ噂を掻き立てる必要はないし、自分にそういったモノに気持ちを向ける余裕がないのもまた事実だったからだ

 

流石に記憶喪失の事を持ちだされると追及しにくいのだろう

先程までイタチに質問していた面々も「それもそうか」と各々で話の区切りが着いていく

元々彼等の方も深い意図があって聞いた訳ではないし、度が過ぎる個人の詮索はしない

ここら辺の切り替えや仕分けが素早く出来る辺り、畑は違えどやはり「川神院」に属する者だというのが良くわかる。

 

「んじゃま、朝はこの辺にしとくかー。昼の仕込みは10時半からだからなー、忘れんなよー?」

 

長髪の男が自分の食器を下げながらそういうと、イタチを含め周囲は返事をして食器を片づける

そして各自が次の仕事まで間、体を休めようと調理場から退出していった。

 

 

 

 

 

「――と言う様な事があったんですよ」

「あっはっは!何だそれ!随分面白い事になってるなー!」

 

夕方

川神院から少し離れた山地の森林部にて、疲れた様な男の声と女の笑い声が響く

声の発信源は、現在休憩時間中のイタチと帰宅した百代だ。

 

イタチは川神院から支給されたジャージを身に纏い、百代の方は白の道着姿だ

そしてその二人は現在、動き易い服装で人目がつきにくい場所で談笑している。

 

お互いに拳打や足刀を交えながら――。

 

今日もイタチが百代のリクエストに応える形で、二人は手合わせを行っている

人気がない場所を選んだのも、それが理由だ

そして今日の手合わせは、いつもと趣向が異なっている。

 

「しっかし、武器の方もいけるとはなー。本当に万能だな貴方は?」

「…なんとなく、のレベルでしたけどね」

 

イタチは現在、右手に木製小太刀、左手に木製短刀を持って百代の相手をしている

武器の扱い一つ見ても修練と鍛錬を感じさせる技量は、相手をしている百代が舌を巻くほどだった。

 

「…それで、先程の話の続きですが」

「ん?ああ、私と貴方が男女の仲になっている…という噂だろ? まあ別に良いんじゃないか?そんなに否定しなくても」

「それで良いんですか?」

「むしろ否定しまくる方が怪しく見えないか?」

 

その百代の返しを聞いて、イタチも「確かに」とつい納得してしまう。

言ってしまえばこの手の噂は日常に潜む娯楽

話し手と聞き手が楽しめていればそれで良いのであって、ぶっちゃけた話だと事の真偽はあまり関係ないのだ。

 

だがしかし、イタチが考えている事はソコではない

問題は、そんな噂を裏付ける行動を自分たちがしている事だ。

 

「やはり、今後はこの様な密会は控えた方がいいかと」

「それこそ考えられんな、あの退屈の日々に戻るのは御免だ」

 

百代の右の一撃を短刀で捌いて、小太刀で突く。

突きを体勢を斜に変えて突きを避けるが、平突きからの「斬り」が更に百代に追撃を掛ける

次いで百代が迫る太刀を、回避の動きをそのままに地面に伏せる

そこからイタチの足元に水面蹴りを放つ。

 

 

「いえ、そうではなく…別にこんな密会じみた形で手合わせする必要はないのでは?」

 

 

水面蹴りをよけながら、イタチは前から疑問に思っていた事を百代にぶつける

そもそも自分たちは別に後ろ暗い事をしている訳ではないのだし、別に堂々と手合わせでも試合でも模擬戦でもやればいいのでは?

と思っていたからだ。

 

「あー、その事か」

 

迫る小太刀の横腹を叩いて捌きながら百代は言う

 

「ほら、前にも川神院について話しただろ?一応あそこはこの国の武術の総本山…みたいな扱いなんだ」

「ええ、仰ってましたね」

「で、ほら…一応私ってそこの最強な訳よ」

「はい、仰ってましたね」

「で、貴方はそんな最強の私より強い訳よ」

「そうですね」

 

「…その事が周りに分かると…すこーし面倒くさい事になりそうなんだなー」

「…噂や与太話、ですか?」

「ま、簡単に言うとそうだな」

 

正体不明の記憶喪失の男が、あの川神百代に勝った

確かにこの事実が広まれば、その分イタチに関する情報は集まりやすいだろう。

 

だがしかし、それと同時に根も葉もない噂話が飛び交うのは間違いないだろう

情報が集まっても嘘偽りに塗れたモノは意味はない

それにこの手の事は、どうしたって「興味本位の悪意」というのが付き纏う。

 

イタチに関して良からない噂や風評が蔓延することも十分あり得る

一度ついた人間のイメージや先入観というのは中々に抜け難い、そしてそれが原因で余計なトラブルが起きる可能性もあるだろう

そしてそれ以上に困るのが、そんな嘘偽りの中に「確かな事実」が埋もれてしまう事だ。

 

「川神には良い意味でも悪い意味でも、お祭り騒ぎが好きなヤツが多いからなー

 貴方が良ければ別に良いんだがな…正直な話、メリットよりもデメリットの方が多いぞ?」

「…そうですね、情報は少しでも多く欲しい所ですが…それで事実が分からなくなってしまったら、元も子もありませんし」

 

 

木刀と拳打を交えながらも、二人はお互いの考えを進めていく

そのやり取りの中で、百代はイタチが自分の考えに納得した様子を見て

 

(……ま、暫くの間はこの「楽しみ」を私が独占していても良いだろう……)

 

と、百代は小さく心の中で呟く。

この人の実力が周囲に知れれば、その誰もがこの男の事を放っておかないだろう

これは何も自分に限った話ではない…それは武道家・武術家問わずの業や性と言っても良いだろう。

 

「ま、ジジイが警察の方に問い合わせているらしいから、そう遠くない内に分かるだろ?それを抜きにしても、何かの拍子で記憶が戻ればそれで良い訳だしな」

「焦って危ない橋を渡る必要はない…という事ですか」

「そういう事、だアァ!」

 

会話の区切りを縫って、百代が動く

会話と会話、動きと動きの小さな隙間を通す様にその一撃を放つ。

 

今までの駆け引きで放たれたモノとは違う、力と気合を込めた一撃

その勝敗を決する一撃を前にして

 

イタチも同時に前に出る。

 

百代の拳に完全に力と速度が乗る前にあえて前に出て

首筋に小太刀、胸の真ん中に短刀を静かに添えた。

 

「…ぬぅ」

「勝負有り、ですね」

 

悔しそうに百代が唸って、イタチが宣言する

寸止めとはいえ、首筋と心臓という急所を二点同時に押さえられたら負けを認めざるを得ない様だった

そして互いに一礼をして、百代は先程の勝負を振り返る。

 

「…貴方から見て、今の勝負はどうだった?」

 

次いでイタチに先の手合せについて尋ねる

相手が思う素直な感想を聞いてみたいと思ったからだ。

 

「そうですね。狙い自体は悪くなかったと思いますよ?ですが先読みの範囲内でしたので、こちらも対処できました」

「…そんなに解り易いか?私の動き…」

 

どこか納得できない様に百代が呟く

言っては何だが、目の前の男以外に大敗した記憶はないし、今まで幾多の達人や強者に勝ってきたからだ

だがしかし、ここでイタチから思いもよらない言葉が出る。

 

「…と言うよりも、貴方自身が俺に狙いを教えていましたから」

「何?」

 

イタチの言葉を聞いて、百代は驚いた様に言葉を漏らす

流石に百代自身、イタチの言葉は意外な物だったからだ。

 

「…例えば先の一撃、会話の言葉に合わせて語気を強めていましたね?」

「…む」

「それとここ数日のやり取りで分かったのは…牽制や威嚇の為の攻撃と、本命の攻撃とでは予備動作が違い過ぎます

特に本命の方は無駄に予備動作や力みがあって、コレに関しては自分でなくても見極めが可能だと思います」

「む、むぅ…」

「貴方程の技量なら威力や速度を変えずに、もっとスマートにもっとコンパクトに出せる筈です

ですがソレが出来ないのは、貴方が『勝つ事』よりも『楽しむ』事を優先しているからだと思います」

 

その言葉を聞いて、百代自身も心当たりがあった

武人としての退屈な時間が長く続き、何でもない相手との手合せでも最大限に楽しもうとした。

 

相手が少しでも長く戦える様に、こちらが調節すればいい

 

そんな事を考えて、長い間戦ってきた

今イタチが指摘した点は、正にその事だろう。

 

自分としてはイタチ相手に一切手は抜いていなかったのだが、長い間に染み付いた癖が僅かに残り弊害となったのだろう。

 

「それに前もそうでしたが…手合せの最中に、感情を少しも隠そうとしないのも大きいですね

感情の起伏や変化、更に言えば表情や視線の変化等もそうですね

よほど鈍感でもない限りそこから先読みを働かせて来るでしょうし…

勿論、貴方がその事を含めた上で駆け引きに使っている…と言うのなら、話は別なのですが…」

「…うーむ」

 

「まあ、今の貴方には肉体の修行よりも精神面…『心の修行』を優先した方が良いかもしれませんね」

 

――ギクリ、と

その何気ないイタチの言葉が、百代の胸を撃ち貫く

心の修行をしろ

心の修行が足りない

この言葉は、常日頃祖父が自分に対して…それこそ耳にタコが出来る程言ってきた言葉だからだ。

 

「…ここにきて、ソレか…」

「どうかしましたか?」

「いや、少し自分の考えを改めていた所だ」

 

少し反省をしたかの様に、肩を竦めて百代は呟く

下らない年寄りの説教

口五月蠅い爺の愚痴

そんな風に聞き流していた言葉が、第三者から飛び出すとは思わなかったからだ。

 

(……まさか爺の奴、いや爺はそういう事を他人任せにはしないだろうしな……)

 

一瞬、祖父の差し金か?と考えるが、その考えを百代は即座に捨てる

普段から厳しさや説教を含めて考えても、百代は祖父の武人としての在り方には確かな敬意を持っている

そして祖父は武人としても身内としても、最も百代に近しい人間の一人でもある

そんな祖父が、こんな回りくどい方法を取ってくる事とは百代には思えなかったからだ。

 

「…流石に、無碍には出来ないか…」

 

小さく呟く

感情を殺し、雑念を払い、勝負に徹する

これは凡そ全ての武術やスポーツにおける基礎だ。

 

確かにここ最近、楽しむ戦い方をしていた百代が疎かにしていた事だ

先程の予備動作や力みの問題同様、長年の間に染み付いた弊害の一つかもしれない。

 

「戦いを楽しもうとする貴方の姿勢を否定する訳ではありません

寧ろ貴方の強さはそれに裏打ちされたものでしょう…ですが、やはり直せる部分は直して行った方が良いかと思います」

 

武人にとって…闘いを楽しむ事は決して悪い事ではない、むしろ好ましい事だろう

だが、それによって基礎や基本が疎かになってしまっては意味がない。

 

「…楽しむ事と…勝つ事、か…」

 

少なくとも、自分が確かな敬意を向ける武人二人が揃って同じ事を指摘したのだ

嘗ての自分なら兎も角、全力の勝負で敗北しより一層の高みを目指すのなら…もはや、この問題は無視できないだろう。

 

確かに今までの自分の戦い方では、同格以上の者には通じないかもしれない

少なくとも、目の前の男には通じない

それに、百代には一つ、この男に関して直感している事があった。

 

(……この人は、まだまだ隠し玉を持っている……)

 

今日見せた武器の扱い一つ見てもそうだ

得物が変わるという事は、即ち戦い方が変化するという事だ

 

今までの動きを見る限り、この人は恐らく純粋な格闘家ではない

恐らく状況に応じて使う得物を変え、その時の状況に応じて最適な戦術で臨む万能タイプだ

 

仮に殴り合いでこの人を上回っても、今日の様に得物を使われたら逆転されるかもしれない

今までの様な力のゴリ押しは通じないと考えた方が良いだろう

それに何より

 

(……この人は多分、もっととんでもない『何か』を秘めている……)

 

百代の武人としての勘がソレを告げている

自分がこの人に全ての手の内を晒していない様に、この人も自分にまだ晒していない手札があると考えた方が良いだろう。

 

「…まだ時間はありますか?」

「夕飯の仕込みを考えると、あと五分程ですね」

「充分だ」

 

そう言って、百代は眼を瞑って深呼吸をする

息を深くゆっくりと吸って吐く、それに同調する様に体内で力をゆっくりと練り上げる。

 

「貴方の言葉、ありがたく頂戴した」

 

そして、静かに滑らかに構えを取る

その表情は雑念を感じさせない、今までの様な分かりやすい感情の起伏を感じさせないものになっている。

 

「やはり私は、戦いを楽しむ事は止められない。

 私が今まで武の道を歩み、支え、培ってきた物の根底は…やはり、どうあっても止める事はできない」

「…そうですか」

 

「だから、私は集中する」

 

強い意志と決意を秘めて、百代はイタチに宣言する。

 

 

「私は集中する、戦いを楽しむ事を…そしてそれ以上に、貴方に勝つ事に集中する」

 

 

百代の言葉を聞いて、イタチもまた頷いて木製の小太刀と短刀を構える

そして二人は弾ける様に互いに駆け出し、拳と木刀が交差した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…やれやれ、モモの奴…好き勝手やってくれるわい」

 

同時刻、二人が手合わせしている森林部から少し離れた場所

木々に隠れるようにして、その老人は二人の手合わせに視線を置いていた。

 

白く長い髭を生え伸ばし、髪を剃り上げた頭、白い道着に少々小柄な体躯

この老人こそ、川神院の師範にして百代の祖父である「川神鉄心」である。

 

「…しっかしあの御仁…本当に凄いのー、モモ相手にあそこまで手玉に取るとは」

 

感心したかの様に鉄心は呟く

恐らく、単純な力や速度で言えば両者の間に殆ど差はない

寧ろ百代の方が優勢な位だ。

 

だが、技術や経験と言ったモノで言えば…二人の間に歴前の差がある。

 

(……見た処、二十歳くらいかのー?……)

 

果たして自分があの領域に辿りついたのは、一体何歳ぐらいだっただろう?

少なくとも二十歳そこそこでは辿りつけていなかった筈だ

あの御仁は強い、それこそ孫娘があれ程惚れこむ程に

 

 

(……一体いつ以来じゃろうな…あんなに楽しそうなモモを見るのは……)

 

 

先程までの、感情むき出しだった孫娘の表情を思い出す

心の底から楽しそうに笑い、手合わせしていた孫娘の顔を思い出す。

 

それに今回の発端、行き倒れになっていたあの青年を百代が病院にまで運んだ事は紛れもない善行

あの青年の方も進んで百代に付き合っている節もあるし、このくらいの「ご褒美」はあってもいい…鉄心自身、そう判断したからだ。

 

(……何だかんだで、ワシも人の子じゃのー……)

 

その事実を、改めて実感する

 

最初は、孫娘を心配しての祖父としての行動だった

孫娘は武人として確かな腕前を持っているが、それ以外は年相応の娘だったから

 

世の中、何も腕っ節が全てを決める訳ではない

寧ろ昨今の様々な技術が発達した世界において、武術では対応できない様々な技術が台頭している

そんな技術を「悪意」ある者が使えば、それは例え相手が「最強」と言われる孫娘でも危険に晒されるだろう。

 

だからこの数日…否『最初から』鉄心は二人の事を見ていた

 

(…ま、そこの所は取り越し苦労だったみたいじゃが…)

 

孫娘と再び手合わせを行っている青年を見据えて、鉄心は心の中で呟く

今までの川神院での勤勉で真面目な態度、職場を同じにする者からも評価は高く概ね好評

 

まだ数日程度の付き合いだが、鉄心自身も殆どイタチに対しての疑惑や疑念は無くなっていた。

そして鉄心自身、イタチに対してこう直感していた。

 

……この者は、悪い輩ではない……と

 

だがしかし、それでも全ての疑惑が無くなった訳ではない。

 

 

(…あれ程の腕を持ちながら…未だに身元の特定ができないとはのー…)

 

 

鉄心は考える

あの若さであの腕を持っていれば、もっと武術の界隈で注目されていてもおかしくない

その事を抜きにしても、未だにイタチの身元が特定できない事は鉄心も疑問に感じていた。

 

警察の知人に頼んで、捜索願・行方不明者のリストに該当者なし

殆ど着のみ着のままの恰好で発見された事から、付近の住民もしくは観光旅行者の線も調べられたが…それでも該当する人物はいなかった。

 

果たしてあの青年はどこから来たのか?

ある日唐突に川神に現れた…としか思えない程だ。

 

(……ま、前科者や指名手配犯でないのは不幸中の幸いだったの……)

 

念のため、警察の知人にイタチの指紋やDNAのデータを渡して調べて貰ったが

警察の犯罪者リストにそれらと一致するモノはなかった。

 

元々川神院には住み込みで働く者も多い

まあ当面は何とかなるだろう…と、鉄心が考えた処で二人の手合わせ終わる

どうやら、今日はここまでの様だ。

 

(……そろそろワシも戻るか、ルーの奴に見つかったら説教されそうだし……)

 

ここ数日、少し自分自身の仕事を疎かしていた事を思い出す

そう考えを纏めて、鉄心自身も帰宅しようとし。

 

「――っ!」

 

その脚は止まる

何故なら、先程の百代と手合わせしていた青年が…イタチが、自分に向って一礼していたからだ。

 

 

(…バレとったか…こりゃ驚いたわい…)

 

 

距離を取り、障害物も挟み、更には気配も消していたのに

それでも自分を認識してたイタチに対して、鉄心も驚きを隠せなかった。

 

(…モモと良いあの青年と良い…最近の若者は侮れんわい…)

 

孫娘といいあの青年といい、最近の若者は将来が有望な者が多い

その事を、鉄心は改めて実感して

 

――若者の時代が来とるのかもしれんの――

 

小さく、そう呟いて

 

 

「ま、簡単には譲らんがの」

 

 

次いでニカっと笑いながらそう宣言し、鉄心自身もまた帰宅する為に脚を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがき

すいません、少し体調を崩して今回は少々投稿が遅れました
次回はもう少し早めに仕上げたいと思います。

…というか、前回の感想&閲覧すげえ!
これからも皆さんの期待に応えられる様に頑張りますので、これからも応援よろしくお願いします!

さて今回は日常パート、とりあえずイタチの当面は川神院の居候です。
今回は次回に比べると少し話の動きが少ない回でした、次回はもう少し話を動かしたいと思います。

それでは、また次回でお会いしましょう!



追伸 ちなみに構想段階では、百代のポジションに居るのは釈迦堂さんの予定でした(笑)…………………………マジです。



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