忍と武が歩む道   作:バーローの助手

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第十一話

 

不幸とはどういう事だろうか?

例えば、事故に遭って大怪我をする事だろうか?

例えば、全財産が入った金庫を盗まれる事だろうか?

例えば、何の前触れもなく記憶喪失で行き倒れになる事だろうか?

 

恐らく、人によってその答えは様々だろう

不幸の種類も、内容も、度合いも、恐らく人の数だけ存在するだろう。

 

簡単な例で言えば、「今月の生活費は20万円」

これを聞いて、20万円『も』使えると喜ぶのか、20万円『しか』使えないと嘆くのか

その人の生活環境や家庭環境で、意見は大きく変わるだろう。

 

要はそれと同じことだ

同じ事実でも同じ事柄でも、結局は人によって受け取り方は大きく違うのだ。

 

結局は、ソレをどう思うのかはその人自身の問題だろう

何が幸せで不幸なのか、何が幸運で何が不運なのかは、結局その人自身しか決められない。

 

他人からどう諭されようが、周囲の環境がどう変わろうが、結局はその人自身思った事が全てであり、絶対の事実になる

 

そして川神に一人、そんな不幸な女が訪れていた。

 

 

 

 

 

 

 

「………はあ………」

 

時刻は昼過ぎ、商店街の道を歩きながらその女は軽く溜息を吐いた

年は大体20前後、明るい色のノースリーブのシャツにタイトなレギンスにスラリとしたその身を包み

ややクセの付いた銀髪を後ろでに纏めて髪型、表情こそは暗く影のある物だが、それでもその貌は非常に整っていて、世間で言う所の「美人」に属するだろう。

 

女の名は橘天衣

嘗て武術の総本山・川神院が認める若手最強の称号「四天王」に属していた女である。

 

「…四天王、剥奪か…」

 

小さく儚げに呟きながら、その事を思い返す

嘗て教え子同然に可愛がっていたあの娘に負けた事

武人としてあの娘と再び肩を並べ、堂々と向き合う為に武者修行に出て…そして、その先で出会った強者に敗れた事

 

既に最低限の報告こそは済ませていたのだが、天衣は川神の街に戻ってきていた

別に意識していた訳ではない、次は何処に向かおうと考えていたら…自然とここに来ていた。

 

「…………」

 

自分の明暗を分けた二つの勝負、そこに不満は一切ない

自分は全力で挑み、戦い、そして敗れた…自分が望んだ強者との戦い、その結果が敗北だっただけの話だ。

 

しかし、だからと言ってそう簡単に気持ちの整理も、納得もできないのもまた事実だった

恐らくあと数日もしない内に、自分の四天王の称号は正式に次の者に継がれるだろう

別に肩書きや称号に固執していた訳ではないが、いざ無くなるとやはり一抹の寂しさがあるのも事実だった。

 

(……これから、どうしよう……)

 

彼女は考える

四天王の称号こそは失ったが、自分は武人だ

手持ちの資金も心もとないし、色々な意味で行動しなければならないだろう

これから何か行動を起こすのなら、今まで鍛え培ったその力を活かせるような仕事に就きたい。

 

天依は自分の手の中にある、その紙を取り出す

ここに来るまでに偶々見つけた、自衛官募集の紙だった。

 

 

「……自衛隊、か……」

 

 

彼女は呟く

たまたま手にした情報だが、これは一つの切っ掛けかもしれない

これからの生活のためにはやはり安定した収入が必要不可欠だし、自衛隊の様な仕事なら様々な場面で自分の力は活かせるかもしれない。

 

それに自分の力を国のためや人助けのために役立てれば、いつの日か再びあの娘と堂々と肩を並べられるかもしれない

――と、そこまで考えた所で

 

 

「アンタ、中々珍しい運気をしてるね」

 

 

不意に声を掛けられ、振り向けば後ろは占い師風の格好をした中年女性がいた。

 

「何? 占いの押し売り?」

「いやいや、そんなんじゃないよ。滅多に見れない様な運気を漂わせてるお嬢さんが眼に入ってね、つい声をかけちゃったのよ」

 

「……ふ~ん」

 

素っ気無く天依は応えるが、その内心では少々驚いていた

自分の『運』に対する言葉をきく限り、どうやらそれなりに見る眼はあるようだ。

 

「これも何かの縁だし、占ってみてもいいかい?勿論お代は要らないよ」

「…じゃ、お願いしようかな」

 

天衣がそう言うと、占い師の女性はニコっと笑って「お手を拝借」と言って天依の手をとって手の平を見つめる

真剣な表情と視線で手相や掌紋に指紋、指の付け根辺りを見回して

 

「…アンタ、かなり運がないでしょ?しかも今…運命の分かれ道に差し掛かってるね」

「分かれ道?」

 

占い師の女性はあっさりと簡潔に、その事を断言する

天依は天依で自分の事をあっさり言い当てた事に驚きながらも、更に続くその言葉に興味が沸いた

 

「…今アンタが行こうとしている道、かなり悲惨な未来が待ってるね…出来ることなら思い止まった方がいいね」

「…そういう曖昧な事を言われてもね…もっと具体的な事は分からないの?」

「下手すりゃ両手両足が吹っ飛ぶかもね」

「――――」

 

言葉を失うとは、正にこの事だろう

流石にそのレベルの不幸は今までに体験した事なかったからだ。

 

「それと近い内…それもかなり近い未来だね。運命の出会いがある」

「………」

 

先程とは違った意味で天衣は黙る

運命の出会い、これはまた自分にはまた縁の無い言葉が飛び出てきたからだ。

 

「運命の、出会いねー」

 

「とは言っても、どんな運命なのかは分からないね。仕事、健康、恋愛…どんな意味での運命の出会いかは分からない

アンタの運命を変える出会いなのか、それとも運命を決める出会いなのかも分からない…でも運命の出会いが訪れる」

 

「……ま、参考程度に留めておくよ」

 

粗方占いが終わったのか、占い師の女性は天依の手を離す

珍しい運勢を見れたからなのか、その表情は満足げであった

天依もまたその女性に「ありがとねー」と軽くお礼を言って、その場を後にする。

 

 

(……運命の、出会いねー……)

 

 

 

歩きながらも、天依は先の言葉を頭の中で反芻する

それと同時に、今までの人生を軽く振り返る

 

『不幸体質』それが一番、自分を的確に表す言葉だろう

基本的な占い、例えばおみくじなんかで言えば自分は凶より下しか引いた事がない

財布を落とす、鳥の糞が落ちてくる、雨や風で荷物や所持品がダメになる…その手の事は日常茶飯事だ。

 

基本自分には小さな不幸が着いて回っている

そしてそれは特に大きな物、それこそ神がかり的…としか思えない様な時もある。

 

自分が普段見舞われている不幸

恐らく内容を聞けば、「そんなの誰だってそうだ」「世の中もっと不幸な人はたくさんいる」と簡単に言い返されるだろう

それもまた、彼女の悩みの一つだ。

 

確かに、その不幸の一つ一つは誰もが経験している事だろう、日常的に訪れる可能性ある事だろう

だがそれだけだ

確かに、この世には自分よりも不幸な…それこそ比べ物にならない人はたくさんいるだろう

だが、それだけだ

 

塵も積もれば山となる

どんな小さな不幸でも、それが積み重なれば意味合いが違ってくる

普通の人なら一週間に一回体験するかしないかの不幸が、自分には数時間に一回は確実にくる

普通の人なら一ヶ月に一度あるかないかの不幸が、自分には三日あれば御釣りが来る

 

小さな不幸に目を向ければ、それこそ一時間単位で来る事も珍しくない

不幸不幸とあまりに口に出せば、周囲はもちろん自分自身も気分が落ち込んでくるので普段は口にしないが

 

心の中では、いつも溜息と共に声無き声で「不幸だー」と呟いてた。

 

決定的だったのは、幼き日の思い出

自分を遊びに招いてくれた友人宅に、隕石の欠片が落ちてきた事だ

運命の悪戯、神の気まぐれ、正しくそんな言葉を体現した様な出来事

あの日あの時あの瞬間、天衣は自分の不幸体質を実感させられた。

 

自分が不幸なだけなら、まだ耐えられた

だけど自分の近くにいる人、自分の傍にいる人、自分と親しい人、自分に優しくしてくれた人

そんな人が自分の不幸体質に巻き込まれる事だけは、天衣は耐えられなかった。

 

 

今にして思えば、ただの偶然

それこそ天衣とは全く関係のない事が要因で起こっていた不幸も、数多くあったのかもしれない。

 

だけど、自分はそう思う事ができなかった

そんな簡単に、割り切る事ができなかった

 

今までの人生における不幸の積み重ね、どうしても「自分が原因」という沈んだ答えがいつも頭の奥底にこびりついていた。

 

だからこそ、先の占い師の言葉は天衣の頭に根付いていた。

 

 

――運命の出会い――

 

 

世間一般的には使い古された言葉だが、天衣が占いでこの手の結果が出たのは初めての事だった

先のやり取りから考えるに、あの占い師の腕は確かだろう。

 

故に自分自身にどの様な出会いがあるのか、天衣は興味があった

と、そこまで考えた所で天衣は自分の空腹に気づいた。

 

 

「そういえば、朝ごはんから食べてなかったっけ」

 

 

考え事が長引いたせいか、気づけば昼過ぎて大分立つ

まだ所持金には大分余裕がある、たまには外食しても良いかもしれない

そんな風に思いながら、天衣は上着にしまってあった財布に手を伸ばして

 

 

「―――え?」

 

 

その顔が一気に青ざめる

ポケットに中にある筈の感触が、全く感じられない

中の布ごとひねり出すが、そこにはあるべき財布がやはりない

 

「ない、ない!無い!!」

 

全身をベタベタ触るが、やはり財布はどこにもない。

思い出せる限りで自分が来た道を引き返して探すが、やはり自分の財布はどこにもない

当面の路銀や生活費が入った財布を紛失した事実に、彼女の顔色はますます青味を帯びていき

 

「…あ、はは…は」

 

つい、そんな乾いた笑が漏れ出る。

何が運命の分かれ道だ、何が運命の出会いだ

そんな物に浮かれている間にこの様だ。

 

自嘲気味に嗤い、彼女は再び足を運ぶ

もう過去の経験で嫌という程に経験しているが、やらないよりはマシだ

そう考えを纏めて、彼女は最寄の交番に立ち寄る。

 

たまに、財布だけでも回収できる事があるからだ。だが――

 

 

「う~ん、やっぱり届けられてないね」

「…そうですか」

 

 

最早、彼女にとってお決まりのやり取りを探す

渡された届出に記入をして、警官に手渡す

 

今はテント住まいだが、プリペイド式の携帯電話は所持していたので(よく無くすので)

何かあったら連絡すると警官は言ってくれたが、恐らくそれはないだろう。

 

「……はあー」

 

届出を出した後、交番から一歩でてつい溜息がこぼれる

何しろ全財産の殆どが消えてしまったのだ

 

テントにはまだカンパンや保存食が残っているが、これもいつまで持つか分からないし、こちらも予期せぬ不幸で台無しになる可能性がある。

 

「……はあー」

 

再びの溜息、もう過ぎてしまった事はどうしようもない

ならば早く気持ちを切り替えて今後の事を考えよう

 

そして彼女が再び足を運ぶ、その時だった。

 

 

 

「――すいません。財布の落し物なんですけど――」

 

 

 

不意に、自分の後ろからそんな声が聞こえてきた。

 

「……え?」

 

その声に反応して、後ろを振り返る

そこにいるのは上下に白いジャージを着た、少し長い黒髪を束ねた若い男

そしてその男が警官に差し出した、その財布こそ――

 

「ああああぁぁぁー!」

 

思わず叫ぶ、叫ぶような声がでる

少し驚いた様に警官とその男の人が振り向く、次いで警官の方も自分の言わんとする事が分かった様で

 

「…あー、もしかして?」

「――!―!」

 

確かめるような警官の言葉に、天衣は声にならない声と共に首を大きく上下させて肯定を示す

その後に確認作業を行うと、財布は勿論中身も無事だった。

 

「よかったー…!よかったよぅー!!」

 

戻ってきた財布を抱きしめながら、感激に表情を輝かせて噛締めるように呟いて

天衣はサイフを届けてくれた男に、改めて向き直って

 

「ありがとう!本当にありがとう!ありがとうございます!」

「いえいえ、こちらこそ持ち主が見つかって何よりです」

 

大げさとも言える所作で、天衣は何度も何度もその男に頭を下げる

男の方も天衣のオーバーとも言える感謝を受けて、小さく笑みを浮かべて返し

 

「あ、そうだ。お礼、一割」

「いえ、お礼なんていいですよ」

「ううん。本当に感謝してるんだ、滅多にこんな事ないからさ」

だからちゃんと受け取って欲しい

そう言って、天衣は財布を開いて紙幣の枚数を改めてチェックする

 

今にして思えば、彼女はきっと浮かれていたのだろう

自分の体質の事が頭から抜け落ちるくらいに、浮かれていたのだろう。

 

普段の彼女なら、こんな些細なミスはしなかっただろう

風の強い春先、交番の目の前とはいえ外で、紙幣を覗かせる様に財布をやや広めに無防備に開いて、紙幣を取り出す

この様な『愚行』を、普段の彼女は決してしなかっただろう。

 

 

次の瞬間、突風が吹いた。

 

 

「「……ぁ……」」

 

二人の声が重なる

何の予兆もなく吹いた強い突風に、一瞬とは言え無防備になった紙幣

それは正に偶然の一致、神がかり的なタイミングと言っても良かった。

 

 

バサバサバサっと、そんな軽い音を立てながら天衣の財布から紙幣が飛び立った。

 

 

「ああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

再び天衣が声を上げる、先の声とは真逆の意味で声を上げる

全ては初動の差だった。

 

普段の彼女ならこんな風に紙幣が風に拐われる事もなかっただろう

仮にそうなっても紙幣が空に舞い上がる前に、その身体能力をもって全て回収する事も可能だっただろう。

 

全ては1秒以下の初動の差、そしてそれが決定的な致命傷となった。

 

 

 

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「……はぁ……」

 

夕日は西の空に沈んでいく光景を見ながら、天衣は小さく溜息を吐いた

今居るのは彼女が仮の拠点にしている河辺、そして自らが張ったテントの中にいた。

 

項垂れる様に溜息を吐いて、そして目の前にある紙幣に視線を置く

あの後、天衣は空に羽ばたいた自分の全財産を全力で追いかけた

自分とて「スピードクィーン」と称された武人、自らの能力を持ってすれば紙幣の回収は可能だと思ったからだ。

 

しかし、状況が悪かった

途中折追っていた紙幣は方々に散らばり、障害物や地形の関係でその数の半分を見失ってしまった

そんな状況の中、彼女は確実に回収できる分だけ回収しようと躍起になったのだが

 

「回収できたのは、これだけか…」

 

目の前にある紙幣、諭吉さんが一枚、野口さんが三枚、計一万三千円

ここに来て、再び本領を発揮する自分の体質

貴重な諭吉さんを一枚回収できただけでも、彼女としては運が良い方なのだが…如何せん、所持金の大半を失った事実の方が重かった。

 

「はあぁー…本当にどうしよう」

 

いざとなれば日雇いの仕事をするなりの手段があるのだが、ここは川神の街だ。

顔を合わせにくい人、できれば会いたくない人というのが多少なりとも存在する

だから天衣としては、なるべくこの街に長居はしたくなかったのだ。

 

「…隣の七浜あたりに足を伸ばそうかな?でもそこまで行ってお金の都合がつく保証なんてないし…」

 

滞在か転居か、どちらを選んでも確実な保障はない

意地で金は得られない、金で意地は買えない、要はそういう問題だ

だがどう考えても今の所持金では心もとない、最悪なけなしの貯金を崩す事もできるが…それは出来れば最後の手段にしておきたい。

 

やはり、確実に事を運ぶのなら見知らぬ街よりも、勝手知ったる川神の方が良いだろう

自分の不幸体質を考えれば恐らく大差はない、だったら確実に体力と路銀の節約ができる方を選ぼうと判断をした。

 

彼女の中で金と意地の天秤において、金が傾いた瞬間だった

結局は世の中金、金が無ければご飯は食べる事は出来ない、ご飯が食べられなければ死んでしまうのだ。

 

と、天衣の中で粗方の考えが纏まって

 

 

「……あの人にも、失礼な事しちゃったな」

 

 

昼間に出会った、自分の財布を拾って交番に届けてくれた人を思い出す

そもそもあの人が財布を届けてくれなかったら、自分はこの一万三千円すら回収できなかったかもしれないだ。

 

それなのに、自分はその人の前で紙幣を再び紛失した

あの時は慌てて即座に紙幣を追ったため、あの人にはきちんとお礼も出来なかったし、後味の悪い思いをさせてしまっただろう。

 

その事実が天衣の中で未だに尾を引いていた。

 

 

「…お腹、空いた…」

 

 

そこまで考えて、再び感じる自分の空腹

先のトラブルで昼ご飯も食べ逃したから、実質半日食事をしていなかった。

 

食事にしようと保存食に視線をやるが、先に川に仕込んでおいた魚採りの仕掛けを思い出した

もしかしたら夜のおかずに一品つけ足しが出来ると思ったからだ。

 

テントを出て、沈む夕日を反射する川の傍に歩み寄る

仕掛けの場所を見つけて引き上げて見るが、こちらに戦果はなかった。

 

…まあ、こんなものか…

 

心の中で自嘲気味に呟いて、仕掛けを改めて川に戻す

とりあえず手持ちの保存食で夕食を済ませてしまおう、そう思った次の瞬間だった。

 

 

「……あ……」

 

 

ソレを見つけて、天衣は驚いた様に小さく呟く。

 

 

視線の先に居るのは、川原の道を歩く男性

白いジャージに、長めの髪を後ろ手に括った若い男

つい数時間前に、自分の財布を拾ってくれた男だった。

 

自分がその姿を認識したのか、男もまた手を軽く振って小走りする様に自分に駆け寄る

そして自分の元まで駆け寄ってきて

 

「先程はどうも」

「…ど、どうも」

 

小さく一礼する男に対して、天衣は驚きまじりについ同じ様に返す

予期せぬ男の出現に、天衣は少し驚きながらも直ぐに今日の出来事を思い返して

 

「さっきはありがとう…それと、ごめん。折角財布を届けて貰ったのに、あんな事になって」

「アレは仕方ありませんよ。流石に予想外の出来事でしたから」

「でも、私の不注意だった事には変わらない…それに十分予想できた筈の事だったし…」

 

そう言って、天衣は自嘲気味に小さく笑う。

そう、十分予想できた事だし、十分対処できた筈の事なのだ

それができなかったのは、一重に自分に油断があったからだ。

 

「そうだ、さっきのお礼も兼ねて一緒に食事でもどう?

 散らばったお金、ある程度は回収できたんだ」

 

次いで天衣は改めて男に向き合って、その事を提案する

この男に対してちゃんとお礼をしておきたかったし、この機を逃したらいつ礼をできるか分からなかったからだ。

 

しかし

 

「ああ、その事なんですが」

 

そう言って男は自分の懐に手を入れて、『ソレ』を取り出して天衣に差し出した。

 

 

「どうぞ」

「―――え?」

 

 

唖然とする様に間の抜けた声が響く

男が天衣に差し出した『ソレ』見て、天衣は呆気に取られた様な表情でそれを凝視して

 

 

「……わたし、の…ぉ、金…?」

 

 

途切れ途切れに呟き、男は小さく頷く

確証があった訳ではないが、何故か直感した

この男が差し出した紙幣の束は、さっき自分が回収し損ねた分だと――

 

「…どう、し、て…?」

「貴方と同じですよ、自分もあの後自分なりに追いかけたんですよ」

 

次いで男は「ご確認を」と言って、天衣に紙幣の束を渡す。

そして言葉を続ける。

 

「普通に追いかけても見失う可能性が高かったので、周りの建物の屋根を少々借りて高台に移動しました

見失う可能性も高かったですが、貴方が追いかけていたお陰で紙幣を見失わずに済みました

後は見失わない様に自分も追跡し、風の強さと向きで着地ポイントに当たりをつけて順々に回収して回りました

後は貴方に返すだけ…だったんですけど、肝心の貴方を見失ってしまったので、聞き込みしながらここに来ました」

 

流石に全部は無理でしたけどね、と最後に添えるが天衣にとって最早ソレは些事だった

この男が言った内容、それがどれ程難しいことなのか天衣には分かっていたからだ。

 

「…………」

 

改めて天衣は渡された紙幣を見る

確かに全額はなかった、しかし自分が回収した分を合わせると九割以上のお金が手元に戻ってきたのだ

その事を改めて実感し、その現状を考える。

 

――何なんだ、今日は一体なんなのだ?――

 

――九割のお金が戻ってきたから幸運なのか?――

 

――それとも、所持金の一割を無くしたから不幸なのか?――

 

そんな思考が、グルグルと頭の中で巡る

相反する想いが同居するという矛盾

普段起きない事が今日はあまりにも多く起きて、天衣の頭の中は軽くパニックになり

 

 

「…なん、で…?」

「はい?」

「…私達、今日会ったばかりの…赤の他人じゃない。ここまでする必要ないよ…普通」

 

つい、そんな事を口走ってしまう

無礼な事を言っているのは解っていた、本当はお礼を言うべきなのは解っていた

本当はこんな下らない事を口走るよりも、感謝の気持ちを表すべきなのは解っていた。

 

でも言わずにはいられなかった

感謝よりも、現状に対する疑問や困惑と言った気持ちが強かったからだ。

 

そしてそんな天衣の言葉を聞いて、男もまた少しの間押し黙る

「フム」と顎に手を置いて、少しの間考える様な仕草をして

 

 

 

「そうですね、確かに普通じゃないですね」

 

 

 

あっさりと、男は天衣に返す。

 

「今日初めて会った赤の他人の為に、散らばった紙幣を街中駆け回って掻き集めて全額返す」

「…………」

「行き倒れになっていた得体の知れない身元不明の怪しい男を引き取り、世話をしてくれる」

「………?」

「確かにそこまでする必要はない、確かに普通はそこまでしない、俺もそう思いますよ」

 

その男の予期せぬ返しと予期せぬ言葉を聞いて、天衣は一瞬首を傾げるが

次いで男は小さく笑って

 

「だから多分、そういう事ですよ」

「…どういう事?」

 

 

「この街にはそんな『普通じゃない人』が意外と多い、多分そういう事ですよ」

 

 

 

どこか納得した様に、どこか嬉しそうに男はその言葉を天衣に言う

天衣にというよりも、寧ろ自分自身に投げ掛けたかの様に、男は小さく頷く

しかしそんな風に語られても、当の天衣には理解できる筈も無く。

 

「…少し、意味が分からない」

「ご安心を、俺自身よく分かっていませんから」

「何それ?」

「一体なんでしょうね?」

 

そんなやり取りを繰り返して、誘い笑いを受けた様に天衣もまた小さく笑う

それが切っ掛けなのか、困惑気味だった天衣も少々落ち着いてきて

 

「まあ確かに、考えても仕方ない…そういう事もあるか」

 

気づけば、天衣自身の考えも纏まっていた

思考停止、考えの放棄、だがなんとなく…それが現状の正解の様に思えたからだ

そんな風に考えて、天衣は小さく微笑んだ後に、小さく息を吐いて

 

「さっきは変な事を言ってごめん。それと、改めてありがとう

そう言えば、まだ自己紹介してなかったね。私は橘天衣、武者修行中の武術家…って所かな」

 

名乗りを終えて、天衣は視線で「貴方は?」と訴える

次いで男もまた天衣を見据えて名乗った。

 

 

「イタチです、訳在って川神院で世話になっている者です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





後書き
 前回の更新から再びの約一月ぶりの更新です、最近やっと更新ペースの方が安定してきました。
今回のメインは原作の不幸担当こと天衣さんです。この作品の天衣さんはまだ自衛隊入りしていないので普通の人間です
本当はマジ恋A5をプレイしてから書きたかったのですが、ちょっとフライング気味に本編に登場です
……だっていつ出せるか分からなくなっちゃうんだもん(笑)

アニメはやさぐれてたしSでの出番は短かったので、ちょいとキャラが不安定かもしれないですが何とか上手に使っていきたいと思います
次回も天衣さんの話がメインかと思います。それでは、また次回に会いましょう。

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