リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り)   作:不落閣下

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6 「お買い物と猫、です?」

 シロノは何処か目をキラリとしたノエルとファリンにより恭也のお下がりによるコーディネイトがされ、数分という神業でしたて直された黒いシャツに濃い灰色のカーゴパンツと黒皮のブーツで身を包んでいた。明らかにお下がりというよりは恭也用備蓄品に構成された格好だった。モスグリーンのリボンで長く伸びる群青の髪をウルフテールに束ねて、普段はやや鋭い目を柔らかくしたその雰囲気は少し寡黙な格好良い少年と言った様子である。ふっとやり遂げたノエルとぐっと親指を突き出すファリンに苦笑しながらシロノは礼を言う。

 基本仕事以外には出不精なシロノは服のセンスは私服見回り用バリアジャケットデザインを見る限り無難と言ったものでしかない。日本人としての記憶から風呂と食事はしっかりしているが、それだけだった。自己鍛錬により体を適度に酷使し、執務により心を過度に酷使し、被害者からのお礼の言葉と笑顔が毎日の糧であったシロノがお洒落に無頓着なのは仕方が無いものもある。それに、男である自分がお洒落してどうなるんだと将来が楽しみに分類されるプチ美形の顔をアドバンテージにも思っていない辺りが致命的な点だろう。

 士官教導センターでは同年代の女子にはクロノと同じく人気だったし、隙を見てアピールする女子への反応も精神年齢の差からかあしらうそれであったし、シロノは自分の魅力というものを知っていなかった。エイミィの言葉もお世辞かからかいだろうと性格故に誤解していたりと、クロノ同様シロノも残念な恋愛ルーキーであった。

 

「わ、シロノさん格好良いです。似合ってます!」

「あはは、そうかな? すずかちゃんも清楚なお嬢様って感じで可愛く似合ってるよ」

「おお……、恭也に着させるつもりだったけど、中々の美形くんよシロノ君♪」

「素材が良かったですから、恭也様お泊り備品から見繕いました」

「はい、ばっちりです!」

 

 シロノの髪色に合わせたのか群青色のワンピースと家では外していた純白のヘアバンドで髪を留めたすずかは褒めの言葉に少し興奮気味であるが、お嬢様な気品のある美しくも可愛らしい様子だった。恐らく、服のチョイスは白いシャツに長袖の黒いレディースジャケットに青のスカートと清楚かつ動き易い格好の忍がしたのだろう。

 貴族の社交場では気になる異性の髪色や瞳の色に合わせて着飾り、気になる異性へアピールするという風習もあったくらいだ。そんな社交場の場へ出た事もある忍がそれを真似るお茶目をするくらい何となく分かる。

 ノエルとファリンはすずかの格好を見て内心しまったと負けを認め、流石は忍お嬢様、と服のチョイスの経験をメモリへ足すのであった。そんな事を知らぬ忍はシロノとすずかの手を取って高級車と一目で分かるベンツへ歩み出す。

 

「それじゃ、行くわよ!」

「いってらっしゃいませ、忍お嬢様、すずかお嬢様、シロノ様」

 

 恭也と同じ大学へ通う忍はたまにノエルの送迎ではなく自分で車を運転する気分屋だった。シロノが生活する環境を整えるためにノエルは屋敷の維持活動と備品を出す整理整頓を任されているのでお留守番である。ベンツの後部席に普通に乗り込むすずかに手を引かれる形で高級車初搭乗を果たしたシロノはその豪華な内装に視線を遊ばせていた。座席の柔らかさや動き出したというのに揺れぬ車体に内心感動しつつ、右手をきゅっと握るすずかの手に優しく握り返した。

 上機嫌になったすずかの雰囲気が文字通り手に取って分かったシロノは背もたれに身を任せて、地理を覚えるため窓を見やる。一度高い木の上から眺めている地理ではあるが、斜めと横から見る景色は違う。そして、遠いそれと近いそれでは圧倒的な差がある。マルチタスクで屋敷までの脳内マップを作りつつ、穏やかな休日の光景を懐かしく眺めていた。

 シロノは中学に上がった頃には心臓の病気で病院の個室で外を眺める日々を過ごしていた。子供たちの喧騒、同年代の少年少女の笑い声、遠くから聞こえる踏切の音、走って行く車の姿をずっと眺める毎日だった。闘病生活は外へ出る事も許されない時間でしかなくて、小学生の頃の友人たちが持ってきてくれたノートパソコンとアニメのDVDが日々の癒しだった。あの頃と比べる様に、シロノは窓から見える光景に思いを馳せる。その顔は年相応な好奇心のそれで、けれどもその横顔を眺めるすずかが儚いと思ってしまう程に遠く見えた。きゅっとシロノの右手を握る左手を強めて、遠くへ行ってしまいそうなシロノを繋ぎ止める様に握った。

 過去の感傷に浸っていたシロノもふと現実に戻り、強めに握り締める右手を見てからすずかを見やる。赤い頬が微笑ましく思ってふっと微笑みが浮かぶ。冷たい氷の上に咲いた一輪の紫苑の如く、慈愛に満ちたその笑みを直視したすずかの鼓動は高鳴る。

 

(し、シロノさん。その笑顔は反則だよ……ッ!)

 

 頬が上気して行き熱で溶けてしまいそうになるすずかは悶えていた。乙女心に機敏で無いシロノはその様子に手を握って照れてるのかなと勘違いしていた。そんな微笑ましい四歳差の幼いカップルの様子に運転席の忍はニヤニヤが止まらなかった。ファリンが助手席でこっそりと回すビデオカメラの内容が楽しみだ、と信号待ちが終わった忍は前へと向いてアクセルを踏む。

 進みだした景色にまた視線を向けたシロノと違い、隣でにやけそうになる顔を抑える幼い乙女の葛藤があったりしたが、ベンツは月村家御用達の高級ブティック等を内包するデパートへと進み、月村家専用駐車スペースにさくっと駐車した。

 揺れない環境のため車酔いをしなかったシロノがすずかの手を取って外へ出る。広いけれども車内だった場所から解き放たれた開放感に身を包んだシロノたちは、メイド服ではなくパンツスーツの少し引き締まった格好で現れたファリンを連れた忍と合流してデパートと繋がるエレベーターへと歩いて行った。

 

「取り敢えず……、シロノ君の服から見ましょうか。生活用品は恭也の分の予備を使えば良いし、服を見終わったら食事をして解散かしらね。ファリン、任せたわよ?」

「はい! お庭で練習した成果をご披露しますよー!」

 

 最近ノエルに運転技術を学び運転免許を取得したファリンがガッツポーズする。引き締まる姿であっても何処か抜けている雰囲気なのはファリンの良さというものだろう。何処となく不安な顔でその背中と横顔を見やるシロノとすずかは苦笑せざるを得なかった。

 エレベーターが電子音で止まり目的の階層に着いた。忍とファリンを前に、後ろに手を繋いだままのシロノとすずかという二列で大規模デパート特有の広い通り道を四人は歩いて行く。最初に辿り着いた先はメンズの有名ブランドの店であり、ちらりと見た値段に高給取りでありながら市民感覚のあるシロノが戦慄する。マジで、と言わんばかりで三人を見るが特段驚く様子も無く平然としていた。

 

(さ、流石お金持ち……。上級階級の貫禄がある……)

 

 シロノはそれから三人によるコーディネイト対決で着せ替え人形になる事で、高級な服への違和感と大切な何かを失った気がした。結局、解き放たれたのは二時間も後の事で、遣り切ったと言わんばかりに楽しんでいる三人をシロノは女の子パワー恐るべしと眺めるしかなかった。買った服の総計をシロノは見る気がせず、黒いカードで支払う忍により服は郵送される事となった。店員の様子も手馴れた感じがあり、以前に恭也が同じ目に遭っているのだと悟ってしまうシロノであった。

 

「ふぅ、いやー白熱したわね」

「素材が良いですもんね。楽しかったですー」

「こちとら疲労困憊ですがね……」

「あはは……、シロノさんお疲れ様」

 

 姦しい二人にシロノはすずかの気遣いに癒される。すずかは何処か一歩後ろに居てフォローする協調性の達人といった雰囲気の少女である。さり気無い好感度稼ぎは忍譲りの何かがあるに違いない。コーディネイト対決ではしれっと参加側であったというのに男心を分かっているすずかである。読書数は伊達じゃない、と言うことなのだろう。腹黒いとかそういう類の片鱗で無い事を祈るばかりだ。

 

(クスクス笑ってゴーゴーですよゴーゴー……? 何の本の台詞だったっけ?)

 

 シロノは何やら黒い何かをすずかから片鱗を感じてびくりと背筋を震わせたが、結局正体は分からず終いだった。忍が選んだレストランは普通のファミリーでも踵を返しそうな高級なファミリーレストランだ。ファミリーレストランの字が横文字の筆記体で書かれている時点で察して欲しい。

 四人はやけに豪華なテーブル席に座り、すずかに出口側を塞がれながらファミリーレストランの賑やかさと真逆なシックで落ち着いた店の雰囲気に絶句しているシロノの手は震えていた。メニューが紙にビニールを張った様なものではなく、何かの皮を使った高級感溢れるメニューに書かれた品々に値段が無いのだ。そこで漸くシロノは察する。このデパートは確実に月村家の手が入っている、と。言わば経営サイドの上にふんぞり座る立場である、と執事の様に完璧な店員からメニューを手渡された時点で気付くべきだった。

 庶民風が吹くシロノと違い、わいわいとメニューを見て食事を選んでいる三人には上流階級の風が吹いている。ふぅ、とシロノは色々と諦めた。シロノは陸の執務官として色々と揉まれて巻き込まれて磨り減らされる環境に居た。異常が通常という場所で、異常とばかり感じていても仕方が無い。ならば、慣れるしかないのだとシロノは開き直る。

 

「えー、お昼にフォアグラは無いわよ。キャビアのクラッカーが精々じゃない?」

「そうですかねー? あ、すずかお嬢様・本マグロの大トロ御膳なんて良さげじゃないですか?」

「うーん……、如何思いますシロノさん」

 

 が、内心の決意を前言撤回したくなったシロノだった。結局すずかに生返事の返してシロノはどうせならとハンバーグを選んだ。ハンバーグステーキと書かれているし、きっとお肉もファミレスレベルのものだろうと考えての事だ。だが、シロノはこの店の雰囲気を改めて思い出すべきだったのだ。目の前に運ばれて来たのはランク5Aの特選ブランド牛肉と名高い肉の百%のハンバーグだった。添えてある野菜も聞いた事の無いブランド野菜に違いなかった。

 戦々恐々としながらハンバーグを口にして、正気に戻ったのはファミレスの店員全員にお見送りされた直後だった。忍曰く何かに取り付かれたかのように食事に集中していたらしい。庶民舌のシロノがヘヴンする程のハンバーグだったようだ。美味しかったのに何処か胃が痛くなってきたシロノは考えるのを止めて溜息を吐いた。

 

「それじゃ、私は大学に行ってくるわ。ファリン、二人を頼んだわよ」

「はい! 任されました! お気をつけていってらっしゃいませ!」

 

 屋敷から送迎に来たノエルの車の助手席に乗って颯爽と忍は大学へと向かって行った。色々と疲れた様子のシロノとそれを心配げに見やるすずかも車へと戻る。ファリンの運転は丁寧かつたまに不安になるものだったが、すずかは歩き疲れたのかうとうとしてたまにシロノの肩にぶつかるくらいには穏やかなものだった。まどろむすずかが肩へ倒れてきたのをすっとシロノは場所を調整して避け、その行き先を自身の膝へと誘導した。そっと下りてきた頭を受け止めてやると暫くしてすーすーと寝息が聞こえ始める。そんなすずかの髪をさらさらと手漉きしながら頭を撫でた。信号待ちになりミラーを見てくすっとファリンが笑みを浮かべた。

 

「寝ちゃいましたか」

「ええ、そうみたいです」

「すずかお嬢様大変楽しそうでしたから無理もありませんね」

「ですね。この寝顔を見れば分かります」

 

 先程寝返りを打って仰向け気味になったすずかの表情はえへへと笑う可愛らしいものだった。ぎゅっとシロノの膝を右手で掴んだかと思えば、すりすりと頬擦りしたりと大変可愛い寝相がそこにあった。ふふっと二人して笑みを浮かべる。屋敷までの車内は優しい沈黙で包まれていた。

 部屋に横抱きですずかを寝かせた後、シロノはふぅと息を吐いて中庭に出ていた。中庭に作られた今朝の踏み込みのクレーターもどきを足で戻してからテラスの椅子に座りぼーっと空を眺める。

 地球に降り立って二日。去れども怒涛な二日間に思いを馳せる。地上本部の執務室で書類を読む時間でも、密売に手を出す職員や不法入国のテロリストを潰す時間でも無い一人の時間。いつもなら仕事でフル稼働なマルチタスクもメインのみで特段する事も無く感慨深く呆けているだけだった。不思議な時間だとシロノは思う。一人なのに、寂しさが無い。振り向いて屋敷へ入ればファリンが出迎えてくれるだろうし、部屋に行けば寝ているすずかに癒されるだろう。誰かが傍に居る時間がこんなにも温かくて、緩やかに過ぎて行くものだと久し振りに感じた。

 

「この気分は……、士官教導センター以来かな」

 

 寡黙に凍る表情のクロノと明るく騒がしいエイミィとの喧しくも楽しかった日々を思い出す。あの時も、こんな風に一人でベランダで黄昏を見ていたっけとシロノは口元を緩ませる。今では陸と海という正反対の針路に進んでしまって疎遠になりがちな関係を続けていた。クロノからの精神通話は仕事上次元が隔てて繋がらず、次元通信による個人通信も仕事がお互いに忙しくて擦れ違う事が多々あった。

 先日久し振りに通信越しではあるが顔を見れば、相変わらずぶっきらぼうな顔をしていたし、そんなクロノに抱き付くエイミィも夏の草原に咲いた向日葵の様に明るかった。

 ――変わったのはぼくだけか。

 そんな感情を内心で抱いてしまう程に少し羨ましかった。けど、そんな感情も今じゃ懐かしい過去に過ぎない。正直に言えば、シロノは今の生活が仕事をしている時よりも幸せだった。社会の歯車として錆付く考えだが、磨り減る毎日は歯車に徹せ無い少年には辛いものがあった。せめて、災厄な過去があったのならば、そんな感情を持て余す程の復讐心があったのならば、こんなに幸せな苦痛を抱かずに居られただろうに、と皮肉ってしまう。自嘲して漏れた笑みは何処か空虚だった。なにやってるんだろう、と空虚さに手を伸ばしてしまう。

 

「……駄目だな。錆付いていただけなんだな本当に」

 

 どうせなら凍ってしまえば良かったのに。氷を溶かす存在にあってからこの幸せに溺れてしまいたかった。錆付いた歯車を回せば他の軋轢が歪みを生んで、全部が駄目になって行く。シロノ・ハーヴェイは本来空虚な人間だった。病死した最期の気持ちと言葉が今のアンニュイな気分に同調して遣る瀬無くなる。何もかもしたくなくなってしまう。何もかもに諦める様にぶらりと手を下ろして。

 

「どうせ、悲しむなら最初から何も――」

 

 その続きは紡がれる事は無かった。中庭からがさがさと茂みを分けて出てきた茶猫がにゃあと鳴いたからだ。感じていた空虚感が馬鹿馬鹿しくなり、近寄って足に心配する様に擦り寄る猫を抱き上げて瞳を合わせる。蒼い瞳と蒼い瞳が重なる。その透き通る様な猫の瞳にシロノは満足したのか微笑を浮かべる。途端、猫がびくついたように震えたがシロノは疑問に思わず膝に下ろして毛並みの良い頭を撫で始める。猫は仕方が無いなと言わんばかりにされるがままであったが目を細めて満更でも無さそうだった。

 

「……はぁ、駄目だな。こんな顔をクロノに見られたらまた心配されてしまうな……」

「にゃ」

「ん? なんだ、慰めてくれるのか」

「にゃにゃ、にゃあ」

「……うん、よく分からんが優しいな君は。……気分が晴れたよ。ありがとね」

「うにゃにゃぁ……」

 

 猫は尻尾をシロノの足に巻き付ける様にしながら喜び、ごろごろと首元や尻尾の付け根辺りを撫でられてご満悦の様だった。うとうとと膝の上で寝てしまった猫にどうしたものかとシロノは困った様に笑った。日が落ちる程ゆっくりしてしまったシロノは肌寒さを感じて猫をそっと持ち上げる。その際に何も無いお腹を見てメスだと知ってしまったが、相手は猫なので特段気にする事も無かった。その後、月村家の猫で無いとファリンに指摘されて困ったシロノの顔は少し楽しそうに見えた。


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