リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り)   作:不落閣下

46 / 50
A’s46 「未来を想うという事、です?」

 

「ぼくの補佐官ねぇ……」

 

 赤星勇人は人生で二番目に入るくらいの緊張感でシロノと対峙していた。超不機嫌雰囲気なシロノを前にしているため足が震えている勇人の背を遠くから見つめるのはアリス・ローウェル。アリサの露骨な気遣いから勇人との仲が深まっている経緯があり、最近では学年公認のカップルとして名高い片割れである。因みに勇人が最も緊張したのは、夏休みにバニングス邸でお泊り会をした際にエンカウントしてしまったアリサの父、デビット・バニングスのと一対一の対話であったのは特筆する事でも無いので割愛する。

 どうしてシロノが目に見えてしまうくらいに黒い雰囲気を醸しているのか。それは休日にすずかとの時間を潰す輩が現れたからであり、ただでさえ週に一度しか会えないのもあって不機嫌指数は右肩上がりである。勇人がすずかに土下座して勝ち取った時間は三十分という短い時間であるが仲睦まじい二人からすれば十分長い時間であった。それ以上は無理かなとアリスであっても屈服しそうな笑ってない笑みを浮かべていたすずかのキラースマイルによって禁じられているため、速やかにこの交渉を成功させなくてはいけないというプレッシャーが勇人を襲っている真っ最中。蛇に睨まれた蛙の如く気持ちで勇人はシロノの返事を待つ。

 

「……はぁ。そう言えばそんな事を言った気がするね。確か、君の同意を経て破棄したと覚えているけど?」

「そ、それは……」

「君の感情を時系列的に遡るになのはちゃんとフェイトちゃんが嘱託魔導師の試験に合格したからだろう? 又は吊り合わない天秤を感じての焦りかな。確かにバニングス家は日本経済を支える大黒柱の一つと言って過言ではないしね。一般家庭の君では重荷が多いし、そもそも吊り合いが取れない、だなんて考えてるんだろう。だが、何故ぼくに泣き付いて来たのか全く分からないのだけれども」

 

 

 勇人とて分かっている。シロノが勇人たちの面倒を見てくれていたのはすずかのおまけとしての気紛れであった事を。なまじ精神年齢が高い小学三年生であるので、剣道一本で打ち込んでアリスを嫁に貰える可能性が低い事は理解している。実の娘のアリサはともかく、妹の忘れ形見であるアリスをデヴィットが生半可な器量な野郎にくれてやる訳が無い、と。ならば文武両道を貫き有名大学を卒業してオリンピックにでも出ればデヴィットとてプロの領域に居る勇人を評価をしてくれるに違いない。だが、それが好意的かどうかは分からないのが現実だ。剣道に優れている人間を鼻で笑う事はしないだろうが、社会に出て何の役に立つかを尋ねられたら呻く事間違い無いだろう。

 

「……その、ですね。年収千万程の人間にお前は成れる男かってデビットさんに尋ねられて思ったんです。バニングスグループに入社したとして出世できる様な才能が自分にあるのかって。正直言って剣道の強さ以外に誇れる事が無いです。幾ら精神年齢が、勉強が出来てもそれ以上を出すためには知識と経験が必要だと思いました。だから、シロノさんの下で働かせて貰えればその経験が積めるかな、と」

「紙に書いて覚えてきただろう言い訳は良いから本音は?」

「アリスより弱い自分が情けなくて……ッ」

「あー……、そういえばアリスちゃん高町道場に通ってるんだったね」

「はい、そうなんです。試しに剣道で挑んだら二秒で瞬殺されました。まさか胴を受けて気絶するとは……」

 

 要するにアリスを守る勇人でありたいので、シロノの副官として働く事で経験を稼ぎたいと言う事だろう。アリスの武術への興味は自衛以外の熱意が無いため、実戦経験を積む機会は高町家戦士の模擬戦ぐらいしか無い。最も、相手が高位な武術家である事は稀である。なので、執務官の仕事はもっぱら違法魔導師による外道戦闘率が高いからその様な経験を積みたいのだろう。

 確かにそれなら利に合ってるなぁとシロノは不機嫌な雰囲気を少し薄める。執務官の仕事は犯人の裏を取って捕縛するまでが一セット。なので、どんな手を使おうとも捕まえる気概は勿論ながら、そのための知識や経験が必要となってくる。悪漢から守るためならばこれ以上に適した経験値貯めは無いだろう。何せ、相手も外道、此方も外道。やりもしないような手を使ってでも逃げたいし、捕まえたい関係なのだ。しかも、シロノの担当するクラナガンは一番その様な手合いが多い激戦区だからかなりの経験値を狙えるだろう。

 ……もっとも、アリスが倒せないレベルの悪漢である事が前提なのだが。因みに夏の合宿の際に、門下生のアリスが一度野生の熊をその身一つで倒す程に成長した、と恭也が嬉しそうに言っていたのをシロノは思い出したが勇人に言わない事にした。

 

「んー……、その程度で良いなら君も高町道場に通った方が早いと思うんだけど?」

「……アリスの進路がミッド方面なんです」

「あー……」

 

 それはシロノとて盲点だった。そもそもアリスが地球ではなくミッドに住む気ならば二人の関係に壁は異世界渡航の許可以外に存在しない。勇人曰く、アリスも嘱託魔導師に成りたがっている様なのでそれに合わせて自分の進路を決めたいとの事。言うなれば内定が欲しかったのだろう。勿論経験も積みたいのも本音だが、手に職就けて置けば安泰だろうというのが真の本音なのだろう。

 執務官補佐は過酷な前線を行ったりする執務官よりも給料は安いが、他の職と比べれば銀行員くらいの地位がある職種であるのでそれなりに高い。なので、若い内からシロノに媚を売っておきたいのが勇人の思惑なのだろう。シロノはその心情を察してからか同感した。確かに若い内から働いていた身であるので、早ければ早い程出世への道は開ける。特に執務官は高難易度職であるが故にその上というものが無いので、積めば積む程キャリアとして自慢できる職なのだ。

 

「成る程ね、そう言う事なら人生の先輩として後輩に手を貸してあげない事も無い」

「本当ですか!?」

「ただし、条件がある」

 

 シロノは不機嫌から上機嫌になり、冷酷な笑みを浮かべた。それは決して冷たくはないが、直視する勇人が凄く嫌な予感がする程に威圧的であった。勇人の耳にその条件を囁いたシロノは三つの条件を突きつけた。一つ、二つ、三つと進むと勇人の顔が引き攣る。

 一つ目、此方が用意した鍛錬メニューを例外と判定できない時以外毎日必ず行う事。

 二つ目、勉学のテストに置いて二桁の位置に居る事。

 三つ目、執務官補佐試験を一発合格する事。

 四つ目、アリスに告白しOKを貰い、高校卒業までにミッドチルダ移住の件を親から許可を取る事。

 これらの条件を守るなら、というシロノの言葉に勇人は神を見たかのような思いを抱いた。執務官補佐試験を一発合格したら補佐官として引き取るという高条件の答えを貰えた勇人は思わずガッツポーズ。尚、その際に下を向いてしまったためにシロノの口元が一瞬吊り上がったのを見逃した。その事に後悔するのは一体何年後の勇人だろうか。それはともかく、良い返事を貰えて上機嫌で帰って行った勇人とアリスを見送ったシロノはニィッと笑った。

 シロノの計画に必要である人材――魔力ランクが低い魔導師が手に入った、と。

 元々前回シロノが勇人に声を掛けたのはそのためであり、むしろそれ以外に戦力として考えていなかった。シロノの計画に必要なのは三つのファクター。その一つは現在開発中、そして一つの内後詰めを残してシロノの手で鍛える事が出来る人材を手に入れる事ができた。これによりシロノの計画は三割の進捗が見られた。

 

(それにしても……、どんな気変わりかな? 確か、すずかの話を聞く分にはアリスちゃんはアリサちゃんにぞっこんだったらしいのに……。ああ、もしかして勇人くんが頑張ったのか。何やら“仮面”から陰気も見え隠れしてたし。病は気からとも言うからねぇ。健全に育って欲しいもんだね。……まぁ、高町道場のアレは健全の分類に、いや、一般常識の範囲内に入れていいのか本当に苦しいくらいに考え物だけど……)

 

 アリスはアリサに依存している。

 幾度の邂逅とすずかのお土産話によってそう結論付けていたシロノであったが、暫く見ない間に様変わりしているアリスの様子に首を傾げざるを得ない。シロノの見解としては、大切な何かを失った事による依存欲求の発露の節がアリスに見えていた。それは、一時期盲目的にアリサを過保護に護っていた時期や勇人に庇われるあの瞬間までのアリサ優先の行動と――“アリサ・ローウェル”と正反対に全く違う人物へと偽る(なりき)事で母親の死の事を遠ざけていた事から憶測できるものだった。アリスが人前で一人称をわたくしと偽り、淑女のような振る舞いをしているのはその背景があったからだった。アリスは“アリサ・ローウェル”に自分が似ていたからこそ母親の悲劇が起きたのだと思い込んでいる。いや、思わずには居られなかったのだ。

 それは転生者である事で精神年齢が幼い体と適合せず、目の前の悲劇を重過ぎるくらいに受け止めてしまった事が要因となっている。もしも、アリスが人並みの幼い精神年齢だったなら、臭い物に蓋をするかのように母親の悲劇を何処か遠い事だと未成熟な心を護っただろう。初めて目にした身近な人の死、そして、原作知識を持っていた事による更なる罪悪感と葛藤により、アリスは半ば壊れていたと言って過言ではなかったのだ。気丈に振舞う事で弱さから目を逸らしていたのである。

 シロノでさえ呻く高町式鍛錬に参加する事に忌避感を覚えないくらいに、アリサのために自分を蔑ろにしていたアリスの心的外傷(トラウマ)を勇人が何かしらの方法で取り去った又は分かち合ったのだろう、そうシロノは結論付けて祝福と言わんばかりにプレゼントを用意する事にした。

 複数浮かび上がった設計図の内の一つだけを残し、シロノはその設計図に少し手を加える。原作知識を持っていなかったのに関わらず、虫の知らせのような無意識的な感情によって一つの機構を付け加えたのだった。その機構は表に出れば大騒ぎになるであろう画期的過ぎて、そして人道的な面で批判されかねない代物。

 ――コアリンクシステムを。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告