IS〜インフィニット・ストラトス〜 【異世界に飛んだ赤い孤狼】 作:ダラダラ@ジュデッカ
城ヶ崎の言葉に絶句する真耶。
同時に、彼女は息を呑んだ。とても正気とは思えない彼女の提案に。
馬鹿げている。決して、向こうが交渉してきたというわけではない。というよりも、まずは此方の言葉が通じるかすら怪しいというのに。
城ヶ崎の独断で推し進めないだけまだましか。大倉をこの場に呼びつけるという事は、彼にも了承を取る魂胆なのだろう。
今の彼の雇い主は大倉利通なのだから。
「……城ヶ崎先生、そのお言葉――――本意ですか?」
「本意も何も、現状ではこれが最善手だと私は考えています」
「その根拠は?」
「――――騒動の発端である
「それだけでは理解に苦しみます。それに、例え南部君を差し出したとしましょう。……あの化け物たちが退かなかった場合、どうなさるおつもりですか?」
真耶の鋭い視線は、城ヶ崎に否応なく突き刺さった。
しかし、彼女はどこ吹く風かのようにふんと鼻を鳴らす。
「その時は、あの化け物たちと雌雄を決するしかないでしょうね」
「南部君を捨石にしろと!? そんないい加減な道理がまかり通ると思わないでください!」
「……では、山田先生。他に打開策があるというのならば、それを提示してみてください」
「…………! それは……」
嘆息一つ。心底呆れたといわんばかりに、城ヶ崎は真耶を睨み返す。
打開策――――。散々議論を重ねても、教師陣ですら見いだせていない。
いつあの化け物達が行動を起こすかわからない。至急の対策が求められるにも関わらず、一向に話は進まないのだ。
その現実を今、真耶が突きつけられている。何も答えられない様子の麻耶を見て、城ヶ崎はさらにもう一つ嘆息をして見せた。
「答えられないでしょう。ですから、可能性が少しでもある方法に賭けるべきだと、私は思いますが?」
「ですが!」
「――――山田先生、他に方法はないんです。此処にいる他の生徒たちや非戦闘員を含めればおよそ三百を超える人員を我々は預かっているのですよ。天秤に掛けるとすれば、答えは明白でしょう」
「……っ」
ただ一人の命とその他大勢の人命。
そうだろう。誰から見ても、答えなんて明白だ。その一人の命で皆が助かるのならば、その一人は英雄といわれてもおかしくはない。
それでも。それでも――――真耶には許せなかった。ありえない選択だった。
「何か……何か、他に解決策があるはずです。彼が―――いえ、皆が犠牲にならずにどうにかできる方法が――――」
「そんな夢みたいなことを考えているのは、この中では貴方一人だけでしょう。それに、この案に関しては私一人で考え抜いたわけではありません」
「え……?」
てっきり、また城ヶ崎の独断だと思っていた真耶は、意外な言葉に目を少しだけ見開く。
それでは、他に城ヶ崎とともにこのような案を出した者がいるという事。一体誰が、と真耶が辺りを見渡す。
「――――織斑先生。貴方が出した案なのですから、山田先生を説得してくださいな」
「え――――」
また、真耶が息を呑み、近くに控える千冬の方に視線を向ける。
腕組みをしながら目を閉じている千冬。信じられないといった様子の真耶の視線に気づいたのか、千冬は静かに目を開けて城ヶ崎の方を見る。
「私は案を出しただけだ。可能性が少しはある、ともいったか」
「可能性があるのならば、その案に乗るべきではないでしょうか。少なくとも、意味のない議論を繰り返すよりも効率的だと私は思いますが」
「…………」
千冬はもう一度目を閉じた。
やるのならば勝手にしろ、という意思表示。それに、真耶は驚きを隠せない。
更に、城ヶ崎の意図も伺えた。仮に響介を生贄として彼らが響介を殺し、退いたとする。
非道な案を出したのは千冬という事にし、城ヶ崎はノーダメージとするつもりか。
失敗した場合も同じだ。千冬の案に乗ったのは城ヶ崎だが、おそらくは全ての責任を千冬に擦り付ける魂胆だ。
(なんて、卑怯な……!)
千冬が出した案を、これ幸いと採用したのだろう。
どうあっても、千冬を追い落とすための方便にされる。城ヶ崎が千冬の事を嫌っているのは知っているが、まさかここまでとは。
千冬も利用されると知っていて、なぜそのような案を出したか。
他の教師陣を見渡しても、皆が俯いていた。疲弊しているのもあるが、他に意見もなければ案もない。――――肯定の証だと城ヶ崎は受け取った。
ちょうどそのような時であったか。奥の扉が開かれたかと思うと、其処から白衣の人物が入出してくる。
「おやおや、結構な話をしてくれるじゃないか」
「ようやく来ましたか。こちらの意見が纏まったので、報告をと思いまして」
「纏まった、ね。大方予想はつくよ。――――南部君を、奴らに差し出す、とか」
ケラケラと笑っていた大倉は、そこまで言って表情を変える。
いつものような人を小馬鹿にしたような態度ではなく、至って真面目な大倉の表情。
意外と感じたが、続けて城ヶ崎は口を開く。
「話が早いですね。その通りです。我々IS学園は、南部響介を奴らに差し出すという考えで満場一致しました」
「満場一致!? 私は一言も……!」
真耶が反論しようとしたが、大倉は静かに真耶を手で制す。
そのようにされれば真耶も不本意であるが黙るしかない。しかし、普段の彼女にはできないような鋭い視線を城ヶ崎に送っていたが、城ヶ崎はどこ吹く風かのように気にはしていなかった。
「ああ、いいよ。別に。どうせそんな事だろうとは思っていたからね。それで? 君は僕になんて言ってほしいの?」
「現状、彼の管轄は大倉博士に任されています。ですので、ご承認をと思いまして」
「ご承認も何も――――」
はは、と人を小馬鹿にしたように笑う。
城ヶ崎の眉がピクリと動き、その言動にいら立っているのが分かる。しかし、大倉はすぐに表情を戻した。
「
「……我々の意思はお伝えしました。貴方は、それを受けてどうするのです?」
「はん、決まっているじゃないか。――――僕の所有物を狙ってくる奴は誰であろうが許さないさ。相手が化け物だろうが、それは変わらないよ」
「無謀な。たった一人のために、貴方は心中すると? 馬鹿げていますね」
「馬鹿で結構。僕にとっては、最高の褒め言葉さ」
その態度が、城ヶ崎にとっては嫌味にとしか思えなかった。
それに、強情な男だ。あんな化け物達相手に啖呵を切ったところで、果たして正気が見いだせるとは到底思えなかった。
「ただ、現状で南部君を此処から動かすのは得策じゃない。という事で、僕たちはこの旅館を拠点として使おうと考えているんだ」
「何……?」
「防衛するには最高に不向きな場所だけれども、彼の事を考えれば当然の事。巻き込まれたくなければ、君たちはどこかに避難することだね。いや――――尻尾を巻いて逃げるべきだ、というべきかな」
「………っ」
城ヶ崎の眉根が更に寄せられる。
いけしゃあしゃあとまあ、と千冬は思う。
ただ、キョウスケは
「で、どうするの? 僕等は此処から動く気もないし、もう既にそれなりの迎撃準備も済ませてしまっているのだけれど」
「……この場所は、貴方の所有地ではない筈ですが?」
「この土地を買うくらいの金なら、今回の件が終わったら幾らでも用意してやるさ。――――僕は本気だよ、城ヶ崎君」
「……っ」
本当に、愚かだと思う。
もちろん、キョウスケを奴等に差し出したところで、何も変わらないかもしれない。そんな可能性は城ヶ崎も当然考えた。
しかし、可能性があるのならば。こんなところで自分が終わる筈がないと信じきっている彼女は、この状況下さえ切り抜ければどうにでもなると。
楽観的考え。徹底抗戦の大倉も愚かであれば、この女もまた然り。
「……ふん。言われなくても、このような所で死ぬ気など更々ありませんから。山田先生、生徒たちと旅館の従業員、それから周囲の警備隊に退避命令を」
「……一体、何処へ行かれるというのです?」
「先日、各種武装運用を行ったビーチです。あそこはシェルターにもなりますので、少なくともここよりは安全でしょう」
「…………」
拳を握りしめ、真耶は城ヶ崎を睨んだ。
自分たちは安全な所へと避難し、本当に大倉達に戦わせるのかと。
勿論、真耶だって死にたくはない。命が助かるのなら、それに越したことはない。
だが、これはあんまりだ。今にも麻耶が城ヶ崎に対して何かを言おうとしたその時。
「――――山田先生、避難命令を出すんだ」
「織斑先生!? 貴方まで、何を……」
見かねたのか、真耶に命令を出したのは千冬だった。
真耶は驚いて千冬の方を見たが、今まで腕組みをしながら座っていた千冬は立ち上がり、真耶の方に向き直る。
「君の気持ちは十分にわかる。だが、このままここにいたところで無用な犠牲が増えるだけだ。君は、一時の感情で全体を危機に晒すつもりか?」
「それは……」
言われて、真耶は視線をそらす。
千冬の言っていることは正しい。自分たちはキョウスケだけではなく、その他大勢の生徒たちも預かっている身だ。
その全てを危険に晒すことなど、出来はしない。先に城ヶ崎が言った通り、キョウスケの命とその他大勢の生徒たちの命を天秤に掛けているのだ。
そんな考えなど、と思う。だが、否定できないのも事実だった。
涙を流しそうになりながらも、必死に耐えた。何もできない自分が悔しくて、悲しくて。
そして、今度は大倉の方を見る。彼は白衣の両ポケットに腕を突っ込んでいる状態だったが、真耶の視線を感じると、気にするなとばかりに片手を上げる。
「気に病むことはないよ。これは多分、君たちにとっては最善の策だろうから」
「……っ!」
あまりフォローになっていないが、その言葉を聞いて、真耶は大倉に深々と頭を下げる。
そして、彼女は頭を上げた後、踵を返して大広間を出ていくのだった。
「――――さて、君等もご退室願おう。これから、この大広間は我々が作戦室として使わせてもらうのでね」
「言われずとも。――――貴方の憎たらしい顔を二度と見られないかと思うと、清々しますがね」
「そうかい。そっくりそのまま、その言葉を君に返すよ」
「……ちっ」
盛大に舌打ちをして、今度は城ヶ崎が出ていく。
それに続き、今まで話を聞いていた教師陣も彼女にならって部屋から退出していった。ただ、皆バツが悪そうな顔をしていたのは覚えている。
一部の人間に至っては、大倉に頭を下げる始末だ。全く、城ヶ崎はどれだけ幅を利かせているのだと思う。
最後に残ったのは、大倉と千冬のみ。皆が退出したのを見ると、千冬も退出するために歩みを進める。
「……約束は守れそうにないね、千冬ちゃん」
「何のことです?」
それ違いざま、大倉は自嘲気味に千冬に言った。
一体何のことやらと千冬は思い、彼の隣で立ち止まる。ただ、彼の方に視線を向けることはしなかった。
「言ったでしょ? 元混沌の№Ⅳの情報を持ってきてあげるってさ」
「……別に構いません。私がやる事は変わりませんので」
そう――――。千冬としても、こんなところで死ぬわけにはいかない。
彼女の目的は、混沌の殲滅。化け物達の餌食になるつもりなど到底ない。
だが、意外だ。大倉がそんな話を覚えているとは、と千冬は思った。
「ま、達者でやりなよ。正直――――君には辛いかもしれないけれどね」
「……それでも、私が選んだ道です。誰に何を言われようと、私はこの道を張り続けます」
「全く、強いね――――君は」
「どうだか……。それでは」
千冬は軽く頭を下げると、歩みを進めて部屋から出ていく。
その後ろ姿を見送った大倉であったが、やれやれといったように軽く首を振った後、改めて部屋を見渡した。
「さて……覚悟を決めますか」
ふうと一つ嘆息を吐き、大倉はモニターの方に向き直るのだった。
■
しんと、まるで嵐の前の静けさのような旅館内。
それもそのはずで、人気というものはない。真耶の指示で旅館内の人間の殆どは避難している。
一部の人間は教師陣の判断に反抗したそうだが、千冬の前ではそれもすぐに鎮圧されたという。
一番反抗したのが千冬の弟である一夏であったが、千冬が何をしたのかは分からないが、数分後には気絶した状態で千冬に抱えられていったという。
ただし――――そんな中でも、二人の人物は此処に残ると譲らなかった。
誰の説得も聞かず、更に千冬の声すら届いていない様子だったその人物は、ラウラ・ボーデヴィッヒ。そして、小原節子の二人だった。
「本当にいいのかい? こんなバカなことに君たちが付き合う必要なんてないんだよ?」
「私が選んだ事だ。それに、私が響介を見捨てて尻尾を巻いて逃げるとでも?」
「……ちょっと前は南部君の事を殺したがっていたらしいのにね。どういう風の吹き回しだい?」
大倉の問いに、ラウラはふんと鼻を鳴らす。
「――――変えられたんだよ、あの男に……な」
それはまあ、と大倉は嘯く。
何があったのかに興味はないが、まあ残ってくれるのならば頼もしいに違いない。
しかし――――意外だと感じたのは、セツコまでこの場に残ったという事だ。
彼女はキョウスケと仲が良いことくらいは知っているが、まさかこんな馬鹿げた行動に付き合うとは到底思えなかったのだ。
「君も残るなんて意外だね、小原ちゃん」
「そう……ですか?」
「うん、まあ。この間会った時には、言い方は悪いけれど悲壮感たっぷりだったし。……まさか」
死に行く為に? と大倉が問おうとしたが、当のセツコは少しだけ過去の自分を思い出したのか、恥ずかしそうに頬を染める。
ただ、すぐに首を振ってそうではないという意思を大倉に示す。
「――――確かに、前の私でしたらそのような考えもあったかもしれません。けれど、私もラウラさんと同じで……変えられたんです。南部さんのおかげで」
入学してすぐのころを思い出す。
あの時は、キョウスケを始めとした周りの人間に助けられた。
こんな私を、ということは今でも思っている。それでも、彼はセツコを気にしてくれた。声を掛けてくれた。
彼等は大切な友人であり、セツコの恩人ともいえる。その恩人が危機に陥っているときに――――見捨てる事など出来ようか。
「ですから、私も……勇気を出してみようと思うんです。南部さんが動けないのならば、私が―――私たちが、彼を助けてあげなければって」
私、ね。南部君も隅に置けないなぁと大倉は思う。
「そ。ま、君等二人が残ってくれたのは非常に大きいよ。もっとも……もう一人、此処に残っているIS操縦者はいるのだけどね」
「何?」
その言葉を聞き、二人は大倉の顔を見た。
ラウラとセツコ以外のIS学園の面々は既に退避を終えている。誰かがこっそり抜け出してこの場にいるとは思えない。
では、誰か? と問われれば、該当する人物は一人しかいないわけで。
「まさか……」
「ふっふーん。そのまさかってやつかしら?」
クスクスと小さく笑みを浮かべながら、奥の襖から出てきたのはエクセレン・ブロウニングその人だ。
セツコは意外とばかりに口元を押さえ、ラウラもまた内心では驚いていたが、考えられない事ではないと考える。
恐らく、エクセレンの目的は
確かにこの場はIS学園の管轄内ではあるが、学園側もエクセレンがどう動くのかに関しては何も言わないつもりなのだろう。
それがたとえ、無謀とも思われるようなことでも。
「ぶ、ブロウニングさん!?」
「もう、硬いわね~。わたしの事はエクセレンでいいわよ。あ、別にエクセ姉さまと呼んでくれても構わないわよ?」
「は、はぁ……」
戸惑うセツコ。それもその筈で、彼女にしてみればエクセレンという存在ははるか上にいるような存在。それが目の前にいて、尚且つこんなにも砕けた態度を取られるとどうにも反応し辛い。
しかし、エクセレンとしてはこの反応こそが不満なのだろう。やや口を尖らせてそのような態度を取ったが、一方のラウラは訝しげな表情を浮かべながらエクセレンに問う。
「……何故、貴方がこの場に?」
「大体は察しているでしょ、ラウラ・ボーデヴィッヒちゃん? 私の任務は、
「その為に、私達に手を貸すと?」
「手を貸すというよりも、私からすれば貴方達の方が力を貸してくれるって考えかしらね。それに人数は多い方がいいでしょ。あんな化け物相手に、一人は寂しいじゃない?」
うちの隊長なら、大喜びで突撃しそうだな~と呟き、小さく笑みを浮かべる。
もっとも、カチーナ・タラスクがこの場にいれば、心強い存在になっていただろう。人数的な話にしても、彼女の性格からしても。
一体どんな人なのだとカチーナの事を知らない二人は思うが、何はともあれエクセレンというIS界隈では伝説的な存在が味方だというのだから心強いことに変わりはない。
「とまあ、これで戦力は君たちのIS三機に此方の防衛システム……といっても、海岸沿いに配備できるのがやっとで、これは焼き石に水みたいなものだけれど。あとは……ちょっとした隠し玉くらいかな?」
「隠し玉? もったいぶらずに教えたらどうだ?」
「それは後からのお楽しみってことで」
「……」
この期に及んで何を言い始めるのかとラウラは感じる。
ただ、それもないよりはマシという程度のものだろう。
もっとも、そのシステムを使うことになるのはISがやられたという事。実質的には負けに等しい。
だからこそ、命運はラウラ達に掛かっていることは確か。たった三機であの化け物群に対するなど無謀に等しいが、それでもやるしかないのだ。
「大倉、今現在奴らの動きはどうなっているんだ?」
「相も変わらず、不気味なほどに静かだね。ただ――――その数はどんどん増えているよ。もう数えるのも馬鹿らしくなるくらいにね」
戦力差など歴然。逃げる方が賢いとも思われる。
それでも――――それでも、守りたいものがある。命を賭して守る価値のある人物がいる。
その為ならば、セツコもラウラも覚悟はできているという事なのだろう。
大倉も無謀とは思える戦いに首など突っ込みたくはないのだが、キョウスケに関わる事なのだから動かざるを得ない。
面倒な拾い物をしたと思うと同時に、心のどこかでは面白いとも感じている。本当に飽きさせない人間だよ、君はと思いながら。
「ただ、もしかしたら勝機がないというわけでもないかもしれないんだよ」
「というと?」
エクセレンが問うと、大倉はパチンと指を鳴らし、一つのモニターを映し出す。
映っているのは、化け物達の立体映像のようなものであったが、その中央部はまるで化け物達が密集しているように集結しているのが分かった。
「すごい数……」
「おおよそ、
「今さら奴等の現状を確認したところで意味など感じられないが?」
敵の数がすさまじい事など、今更の事だとラウラは言いたいようだが、その隣で伺っていたエクセレンが大倉の方に視線を向けながら問う。
「ねえ博士、この中心部――――かなり密集している部分は何か意味があるのかしら?」
「確かに、中央部だけやけに密集していますね。何かを、守っているようにも思えますが……」
守っているのか、それとも何かをしようとしているのか。
見当などつかなかったが、それでもそこに何があるのか――――いや、
「
「そればかりは僕も予想がつかないけれど、確かにこの部分にはかなりのエネルギーが集中している。それに、この周囲に発生しているあの光の壁のような物も、この場所から発生しているという予測だ」
碌でもないことを仕出かそうとしているという事はわかる。
もしかすれば、このまま放置すればとんでもない事に繋がるかもしれないとも。
今でこそこの檻のような場所に閉じこもっているが――――。
(檻……? まさか――――)
何かに感づいたラウラが、ハッとなって顔を上げる。
恐らく、エクセレンとセツコもラウラと同じことを考えたのだろう。二人とも神妙な面持ちをしていることからも、そう考えた。
そして、この考えは大倉も同様か。こいつ等の狙いは、キョウスケだけではなく――――。
「何かを、作り出そうとしているのでしょうか……?」
「たぶん、そういう事だと思うよ。こいつ等は、
「わお、随分とスケールが壮大だこと」
恐らく、その機を伺っていたか、あるいはたまたまそこに居合わせたか。それでも、現状は最悪と言っても過言ではない。
もしも、あれが完成――――
そうすれば、次に奴らが行うことは言わずとも分かる。
「この場所は――――奴等にとって卵のようなものなのか」
「卵かもしれないし、もしかしたら繭かもしれない。だからこそ、
三人が大倉の方に視線を向ける。
そう、彼の言うとおり叩くのならば今しかないのだ。
完成してしまえば手の施しようがないが、これを外の世界に出す前になんとかしなければならない。
無暗に奴らがこちらに攻撃を仕掛けてこないのも、こいつ等にとっては中央の部分こそが重要なので、その防御に徹すればいいとの考えなのだろう。
「ということで、此方に残された時間は結構少ない。それに、援軍は多分見込めない。僕たちだけで、あれを壊さないといけないんだ」
「ですが……学園側に理由を話せば、あるいは……」
「無駄でしょ。あの城ヶ崎って人、そう簡単に話を聞くような素振りは見せないし。今さら、彼女が決定を覆すとは思えないわよ」
少ない交流期間ではあったが、エクセレンはずばりと言ってのけた。
そう簡単にあれが信念を曲げるとは思えない。まるでお堅い軍上層部と同じだと彼女は苦笑した。
「という訳で、明日の明朝よりこいつ等に対する攻撃を仕掛ける事にするよ。それまでは、各々好きにして構わない」
「今すぐにでも出撃の方がいいのではないか? 事は一刻も争うと思うのだが」
「こっちにも準備ってものがあるんだよ。それに、君たちも心の整理が必要だろう?
色々とね」
彼なりの気遣いか、余計なことをと思う。
ただ、今はそれに甘えるとしよう。ラウラはすっと立ち上がり、少しだけ彼の方に視線を向けた。
「では、そうさせてもらおう。失礼する」
それだけ言うと、彼女はさっさと歩みを進めてこの場から立ち去ってしまった。
何処に行ったのかは検討がつく。恐らく、響介の様子でも見に行ったのだろう。
いつまでもセシリア一人に独占させるなど、彼女からすれば面白くはないのだろうから。
「そういえば、大倉博士……セシリアさんは、この作戦に参加されないのですか?」
そう問うのは、セツコだ。
彼女もまた、この旅館に残っている。彼女は今や大倉研究所所属であり、響介の看病に付きっきりだ。
この三日間、碌に眠らずに響介の看病をしている。セツコも何度か響介の元を訪れたが、献身的に看病をするセシリアの姿を覚えている。
といっても、彼女自身に看病等の経験などなく、如月に教わりながらではあったが。
それでも、彼女の響介への想いというものは本物だ。それはラウラにも譲らないであろう。
ただ、問われた大倉は少しバツが悪そうに後頭部に手を持っていく。
「ああ、勿論彼女も僕の所有物であるから、迎撃に参加してもらいたいのだけれど……今の彼女はそんな精神状態じゃないからね。それに――――彼女には、別の役割を用意しているから」
「別の、役割……ですか?」
「そ。ま、君たちは気にしなくても大丈夫さ。それじゃあ、僕もやる事があるからこれで」
そのまま、大倉は逃げるようにしてその場から離れて行ってしまう。
ただ、含むところがあったのは間違いない。残されたセツコはポカンとした表情を浮かべていたが、エクセレンとしては本当に何をやらせるのだろうかと内心で訝しむ。
この状況下、戦力を出し惜しむなどもっての外だ。
IS一機が加わったところでとも考えるが、それでも戦力が足りないのは事実。それを承知したうえでの考えなのだから、現場としては憤りすら感じられる。が、エクセレンとしては思うところがあったらしい。
(――――ま、やろうとしている事は察しがつくけれど……)
と、其処まで考えたときにセツコの姿が彼女の目に映る。
見た目は大人しそうな委員長みたいだと思う。彼女としても、あんな異形の化け物達と戦うなどと夢にも思わないだろうし、それに対する恐怖もあるだろう。
それでも、彼女は此処に残って戦うという意思を示した。それは立派なことだと思うが、不必要に若い命を散らすべきではない筈。
そんなに命を懸けるに等しい人物なのか、キョウスケ・ナンブという人間は。
(俄然、興味が湧いてきたけれど……寝ているのなら、仕方ないわね)
キョウスケの顔は、テレビで散々報道されていたため、彼女も知っている。
ただ、どうにも初めて見た顔ではないと思った。いや、彼女の記憶が確かならば会ったことすらない日本人だから、この感覚がおかしいのは間違いない。
しかし、馬が合いそうとか、そんなことが過った第一印象。いつか、お忍びでIS学園に乗り込んで会ってやろうかとも思っていたが、当の本人があんな状態ではどうしようもない。
――――それでも、少なくとも彼が此処にいた三人の女性から愛されているという事はわかる。
そうでなければ、ラウラやセツコがこの場所に残る筈がない訳で、先ほど話題に上がったセシリアも同様だ。
皆、キョウスケの事が好きなのだろう。それも、こうして命を賭けてもよいと思われるほどに。
(羨ましいわね……)
自分に、果たしてそのような人物がいるだろうか。
部隊の皆が今はそうか。いや――――部隊は、あくまで
まだまだ若いとは思っているが、こうも自分の中で関係をドライにし過ぎているのは如何なものかと。
それから、
(…………)
止めだ、とエクセレンは首を振った。
辛気臭いのはこれまで。自分には似合わないと考える。そう、自分が余裕ではなかったらこの子達にまで不安を与えてしまう。
エクセレンは笑顔を作り、セツコの両肩を両手でつかんで彼女に接近した。
「わっ!? あ、あの……」
「あら、驚かせちゃったかしら。えっと……」
「あ……小原節子と、申します」
ラウラの事を知っていたのは、彼女がドイツ軍でも有名な存在であったためだが、正直なところエクセレンはセツコの名前を知らなかった。
それに気づいたセツコが自己紹介をする。セツコとすれば、あの伝説的なIS使いが目の前にいるというのだから驚きだが、エクセレンはいつもの調子で笑顔を作りながら彼女に対していた。
「節子ちゃん、ね。じゃあ、セッちゃんね」
「え……? せ、セッちゃん……ですか?」
「そ。セッちゃん。すっごく可愛いと思うわよ?」
そんな感じで、彼女の砕けた感じに面食ってしまうセツコ。
カチーナに「口を開けば残念だよな」などと辛らつなことを言われたことがあるので、そんな表情など慣れっこだ。いや、実はちょっぴり傷ついたか。
ただ、あだ名などあまり付けられた事はなかったので、セツコが驚いてしまったのも無理はない。
しかし、エクセレンほどの人物に名前を覚えてもらうのは光栄なことであるし、恐らくは気を使ってくれているのだろうと思い、内心で彼女に感謝したのだった――――。
■
響介が寝かされている寝室は、相変わらずセシリアの姿が見える。
傍でともにキョウスケを診ていた如月はIS学園の決定には逆らえず、避難している。
それも致し方がないと思う。セシリアはIS学園が避難した本当の理由は知らなかったが、彼女の心の中ではそんな事などどうでもよかった。
今は、キョウスケが一刻も早く目覚める事。そのために自分は此処にいると考えながら、生まれて初めてともいえる看病を行っている。
こんな行為をするとは夢にも思わなかった。それもこれも全て、この男に出会ったからかとセシリアは思う。
初対面の時から、セシリアの心を滅茶苦茶にした男。彼女のプライドも、意地も、この男の前では届かないと感じた。
キョウスケにしてみれば、そんな事はないと彼は言うだろう。ただ、セシリアにとっては運命的な出会いだったに違いない。
セシリアの家柄に惹かれた汚い大人やそれまで周囲にいたような者達とは違う。
セシリアを真っ直ぐに見てくれた最初の人。全力でぶつかって、一緒に訓練をして――――つい最近の出来事の筈であるのに、遠い昔のように思える。
そんな事を思い出し、顔が綻ぶ。あの時から、セシリアの眼中にはキョウスケの事しかないといってもいい。
――――だからこそ、ふがいない姿を見せたくはなかったのに。
完膚なきまでに叩きのめされ、相棒であるISもボロボロにし、挙句の果てには代表候補生の資格まで奪われた。
失意のどん底に落とされたようなものだ。だからこそ、セシリアにはキョウスケしかいないと考えているのかもしれない。
彼は変わらず、セシリアの横にいてくれた。それが堪らなく嬉しかった。
だから。だから、だから――――
(
涙脆くなったと思う。
今も、セシリアはキョウスケの横で大粒の涙を流している。
このまま一生目が覚めないのではないか。そんな不安が彼女の脳裏を過っては、抑えきれない負の感情に蝕まれる。
ギュッと、キョウスケの手をそのか細い両手で握りしめる。
不安で堪らなく、辛抱ならない。もはや、感情の抑制ができていないと自分でも思う。
命に別状はない。だから、すぐに目を覚ます筈――――そのように考えて、三日。
(早い、ものですわね……)
そう思いながら外の方に視線を送ると、襖の奥に人影が見える。
IS学園、旅館の面々はすでに退避済みだ。だとすれば大倉研究所の者かと考えたが、それにしては少々小柄のように感じる。
キョウスケの手を名残惜しくはあるものの、離す。その手をそっと置き、セシリアは誰かを確認するために、出来るだけ静かに襖を開けた。
「ボーデヴィッヒさん……!?」
「随分とやつれているな、オルコット」
開口一番、そんなことを言ってのけるのはラウラであった。
対して、少々驚いたのはセシリアの方。彼女からすれば、IS学園の面々がこの場所に残っているはずもない。それも、あのラウラが。
千冬も避難している筈だから、当然ついていくだろう。そんな彼女が、今目の前にいるということに驚くしかなかった。
「どうして此処に……?」
「どうしても何も、私が嫁の事を放って逃げるわけがないだろう。お前には、私がそんな白状者に見えるのか?」
何を当たり前のことを、とも言ってのけるラウラ。
彼女の性格上、惚れた相手にはとことん付きまとうタイプなのだろう。キョウスケが聞けばげんなりするだろうが、今はそんな時ではない。
「それは…………」
「心外だな」
心底不服そうなラウラ。
ただ、そう思われても仕方がない。ラウラ自身、先日の出来事がなければこんな場所に残ってはいないだろう。いや、そもそもこの場所に来てすらいなかったかもしれない。
先日初めて会った時よりも柔らかくなったラウラの印象。それも全て、キョウスケ・ナンブの仕業か。
「―――少し話がある」
「え……?」
「お前に話があると言ったんだ。何度も言わせるな」
ムッとした表情になる。そんなに呆けているのか、ともいいそうになったが、それは言わないでおいた。
ただ、茫然としていたセシリア。しかし、彼女の心配事は後ろの人物。
今、キョウスケの傍を片時も離れたくはなかった。悪循環には違いないだろうが、彼女の中でそんな気持ちが大きいのも事実。
ラウラもセシリアがキョウスケの事を気にしていることが伝わったのだろう。ふん、と鼻で笑うように鳴らした。
「少しくらい響介を一人にしておいても問題ないだろう。それに、四六時中お前と一緒にいると、響介も息が詰まるぞ」
「な……!?」
必死で看病しているのに、なんだその言い草はと内心で思う。
ただ、ラウラはそれだけ言うとさっさとその場から歩き去ってしまう。この場で話をするという気はないのだろう。
少しだけキョウスケの方を顧みるセシリア。静かに寝息を立てている彼の姿が瞳に映るが、ラウラの事を無碍にするわけにもいくまい。
(―――――。申し訳ありません、響介さん。すぐに戻りますので……!)
内心で謝りつつ、セシリアは静かに襖を閉めた。
キョウスケの顔が見えなくなったことに名残惜しい気持ちが残りつつも、セシリアはラウラを追いかけるために備え付けのサンダルを急いで履き、彼女を追いかける。
ここでラウラと話さなければ後悔する――――。そんな気持ちがセシリアの中を過った。
だから、追いかけた。ラウラと話をする為に。
(一体、何を……?)
今の彼女が思う事は、それだけにつきる。
追いかけると、ラウラは旅館の外れにいるのが分かった。
近づくと、気配を感じたのかラウラが振り向く。その眼差しはセシリアを射抜くようで、どうにも慣れない。
しかし、セシリアとしてもいつまでもこんな所で立ち止まっているわけにもいかない。さっさと要件を済ませようとラウラに近づいた。
「来たか」
「……。それで、話とはなんですの?」
ムッとなった表情に、ラウラは内心で苦笑する。
しかし、彼女も至って真剣な表情でセシリアに眼差しを向け、口を開く。
「――――明日の明朝より奴らに攻勢を仕掛ける」
「―――――!」
セシリアが息を呑む。
ラウラがこの場に残ったという事からある程度の予想はついていたが、遂にその時が来たかと思う。
この状況下を抜け出せるのは容易なことではない。敵は何万という大群だ。
それでも、やるしかない。セシリアの目付きも変わるが、ラウラは首を振った。
「だが、奴等に対して打って出るのは私を含め三名のみ。お前は……待機だ」
「え……?」
その言葉に、セシリアは耳を疑う。
てっきり、セシリアにも出撃してくれとでも言うのかと考えた。しかし、現実に出た言葉は待機だという。
ただ、それはそれで納得がいかないのも事実ではあったが――――ラウラの言葉を聞いたとき、少し安心してしまった自分がいた。
(……っ)
そのような考えを持ってしまった自分が情けなかった。
こんな緊急時に、そんな弱い自分を出したくはなかった。キョウスケが聞いたら呆れるだろうか、それとも笑い飛ばすだろうか。
ギュッと拳を握り、下を向くセシリア。恐らく、このような心情では出撃したところで役には立たないだろうと判断されたか。
それだけを言うと、ラウラはセシリアの横まで移動する。本当に、用件だけを伝えただけであったが、俯くセシリアの横を通り過ぎようとしたとき、その足が止まった。
「私が言いたい事はそれだけだ。ただ、これだけは言っておく」
ラウラの眼差しがセシリアを射抜く。
彼女はなおも俯いたままであったが、ラウラは気にはしなかった。
「響介を――――頼む」
「……!」
セシリアが振り返るが、ラウラは既に走り出していた。
手を少しだけ伸ばしたものの、それがラウラに届くはずもなく。走り去っていくラウラの姿が見えなくなるのは、そう時間が掛からなかった。
「ボーデヴィッヒさん……」
「――――本当は、もっと話したいことがいっぱいあった筈さ。だけど、あれだけで済ませるとは、いやはや……彼女も不器用だよね」
今度は横の方から声が聞こえ、セシリアは驚いて振り向く。
そこには腰かけた大倉の姿があり、いつの間にそんなところにいたのかと思わせるほど。
ただ、大倉としては気にしていないのか、すっと立ち上がってセシリアに近づく。
「君に待機をさせようと決めたのは僕だ。だけど、それは別に君を守りたいからそう決めたわけじゃない。君にやってもらいたい事があるからそう決めただけさ」
「わたくしに、やってもらいたい事……?」
意図が分からず、セシリアが大倉に尋ねる。
軽い感じの雰囲気は全くなく、しっかりとセシリアの瞳を覗く大倉。
「これだけは聞いておきたい。君は――――南部君のために、命を賭けることはできるかい?」
そんな事か、とセシリアは思う。
聞かれずとも、セシリアの答えなど決まっている。彼女は大倉を見返し、頷いた。
「当たり前ですわ」
「そうかい。まあ、答えは分かっていたけどさ。念のために聞いただけだよ」
では何故聞いたのかと問いたいが、どうやらそれどころではなさそうだ。
「君に頼みたい事はたった一つ。だけど、この行動で南部君が
「――――響介さんを目覚めさせる算段があると仰るのですか?」
「荒療治ではあるけど、そうせざるをえない状況だ。このままだと、一週間―――いや、一年か、それとも今後一切目を覚めさないかもしれないからね」
それでは困る。大倉に何か方法があるというのならばと、セシリアは彼に詰め寄った。
「それで、いったいどんな方法ですの!? わたくしに出来る事だったら、なんでもいたしますわ!」
必死な形相のセシリアに、大倉は思わず吹き出しそうになった。
半年前に初めて会ったときは、結構な高飛車であったはずだったのに。人は此処まで変わるのかと若干引きながらも内心で笑んでいた。
「まあ、事は一刻を争うからね。君には説明しておくか」
こほん、と大倉は一つ息を整える。
それからは急に真剣な眼差しでセシリアを見る。
ただ事ではないと彼女が思い始めるのと同時に彼は口を開き始める。
「―――ただ待っているだけじゃ、響介君は目覚めない。恐らく、彼の意識は……ISによって強制的に眠らされている状態に近い」
「ISの自己防衛機能――――」
「その通り。だけど、さっきも言った通りに事は一刻を争事態だ。だから、君には――――
「…………
その意味が分からず、セシリアは聞き返す。
大倉はうんと頷き、セシリアのブルー・ティアーズを指で刺した。
「君には、響介君の意識下に潜ってもらう。ようするに、響介君を連れ戻してきてほしいって事だよ」
■
セシリアと大倉が話している間、ラウラはキョウスケの元に赴いていた。
この数日間、碌な見舞いも出来なかった。キョウスケにはセシリアの存在がチラついたから――――などではなく、彼女はIS学園の生徒である前に軍人でもある。
学園側より意見を求められるのは当然の流れであった。先ほどの会議には出席していなかったが、彼女もまたあの場で幾度も話し合いに参加している。
ただ、状況は芳しくなく、おまけに城ヶ崎のペースで進んでいた。
なぜ、千冬は何も言わないのだと。あのような女に好きにさせておくことなどと、ラウラとしては我慢ならなかった。
結果として、IS学園側の決定は先の通り。千冬が言い出したことと聞いたときは、多少なりとも怒りを覚えた。
――――もっとも、その決定は間違いではない。そう感じていても、ラウラは此処に残った。
(教官の言葉に逆らったことなど―――あの人が私を見てくださった時以来だな)
すべてに絶望していた時の自分を思い出す。
世界最強だろうが何だろうが、当時のラウラの渇きを癒せるものなどいないと思っていた。
周囲とは違ってISという新しい物に適合できず、腐り、欠陥品と言われ、荒んだ。
そんなラウラが、初めて出会った千冬に素直に従うはずもなかった。当初は千冬の命令に従わず、自己中心的な行動を繰り返した。命令こそ絶対――――そのように教え込まれたにも関わらず、彼女はそのような行動を取った。
(私などどうでもいい。いなくなったほうがいい。死んだ方がいい――――。そのような考えを持っていたか)
そんな時、千冬はラウラをその手で平手打ちを食らわせた。
殴るのではなく、平手だ。殴られることなど想定はしていたが、そちらの方は全くと言っていいほど頭の中にはなかったのだ。
ぶたれた左頬を押さえ、呆気にとられているラウラに対し、千冬はまるで母が子を叱りつけるような言葉でラウラに話しかけてきたという。
母――――いや、両親などいない彼女にとって、それは初めての体験であった。そして、このように自分の事を見てくれる人がいるのだと彼女は身を以て知ることができた。
――――そのことを教えてくれた人の命令を、ラウラは聞かなかった。何故なら。
(すべて……お前のせいだぞ、響介)
ラウラの柔らかな表情がキョウスケに向けられる。
もっともキョウスケは相変わらず目を覚ましていないし、彼女自身も自分がそのような表情を浮かべているとは夢にも思っていない。本当に、無意識のうちにそんな表情を浮かべていたのだ。
彼の頭をそっと撫で、その寝顔を改めて拝見する。寝顔など相部屋なのだから何度も見てきたし、その寝こみを何度も襲おうともした。すべてかわされてしまったが、いつかは必ずと心に誓っている。
ただ、こうして彼の寝顔を見るのは全く飽きない。不思議なことだとは自分でも思うが、これが惚れたという事かともなぜか納得もしてしまった。
(響介……)
もしかすると、もうこの顔を見る事は出来ないかもしれない。
怖くはない。この男を守るために戦うというのならば、それは本望だ。
だからこそ、今はキョウスケの顔を見ていたい。見ておきたい。もう、後悔などしないように。
「私は必ず、お前のところに帰ってくる。だから――――」
それまでに、目を覚ませ。
口にはしなかったが、彼女の願いはそれに尽きる。そして、私の前に元気な姿で現れてくれ、と。
その為に彼女は戦う。圧倒的、絶望的な状況であろうとも。この男を守るためなら――――。
だから、今だけは穏やかでいさせてくれ。この時間を大事にさせてくれ。
セシリアが帰ってくる、その時まで。ラウラ・ボーデヴィッヒは、この場に留まり続けるのだった――――。