IS〜インフィニット・ストラトス〜 【異世界に飛んだ赤い孤狼】   作:ダラダラ@ジュデッカ

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第四十八話 いざ、海へ

 バス旅も終わり、IS学園一年生一同は旅館へと到着していた。

 正面では女将である清州景子に挨拶を済ませ、各自荷物を置きに部屋へと向かう。

 

「…………」

 

「どうしましたの、響介さん?」

 

「いや、中々大きい旅館だと思ってな」

 

 旅館を見ながら、そう呟くキョウスケ。

 セシリアもキョウスケと同じように旅館を見ると、なるほど中々に大きな旅館である。

 なんでも、この辺りでは一番有名な旅館を今回貸し切ったという。流石は天下のIS学園か、景気がいいというべきか。

 そもそも、今回の臨海学校には部外者以外立ち入り禁止な為、一般人が此処に入ってくることを許されてはいない。先ほど、バスの中で一瞬だけ見えたが、敷地外ギリギリのところでは、厳しい警備体制が敷かれているのをキョウスケはその目で見ている。

 いくらなんでも物騒すぎるとは思ったが、あれぐらいやらなければ違反する愚か者も出てくるという事だろう。警備の者を見る限り、武装した者も見受けられたので、そういう事らしいが。

 なにはともあれ、部外者に邪魔されるという事は何が何でも阻止したいらしい。いや、それもそのはず。こうして周囲に女しかいないのだから、そういった面に気を付けなければならないのは最もな事か。

 

(二泊三日、か。長い行事になりそうだ……)

 

 場所が変わっただけで、普段のIS学園とそう変わらないのは分かっている。

 ただ、環境が変わるというのはそれだけ生徒達も浮き足立つ。目的が何であれ、今回の臨海学校は一年生にとって初の課外授業だ。

 規則は絶対であるが、当然それに従わない者も出てくる。ガチガチに規制はしたいものの、浮き足立っている連中にそれも酷な事か。

 

「響介さん、そろそろわたくし達も参りましょう」

 

「―――ああ、そうだな」

 

 セシリアに促され、キョウスケも旅館の中に入っていく。

 今回、この旅館でキョウスケに用意されたのは、なんと個室であった。

 一夏と同部屋かと思ったが、それはそれで女子たちが押し掛け、かなりの混乱になると判断した山田先生は、一夏とキョウスケを別々の部屋に配置した。

 一夏の部屋は分からないが、個室といってもそれは教務員室の隣に配置されている。更にその隣にいるのは、あの織斑千冬だ。

 中に入ってしまえば分からないかもしれないが、少しでも騒ぐとすぐに織斑先生にばれてしまう。説教&反省文、更には何らかのペナルティをつけると生徒には事前に通達されており、おいそれと近づく者はそうはいないだろう。

 寧ろ、キョウスケもその方がありがたい。息が詰まるような――主に、あの銀髪が原因か――生活を続けていたのだ、この旅館では出来るだけ静かに過ごしたい。

 

「響介さんの部屋は、確か個室でしたわよね?」

 

「ああ、そうだ。久しぶりにのんびりとしたいものだ」

 

「のんびりと……と、ところで、本日は一日自由行動ですし、当然響介さんも泳がれるのでしょう?」

 

「まあ、一泳ぎするぐらいはな。折角の海だ、それぐらいはしようかと思う」

 

 それを聞き、セシリアは心の中で意気込む。

 新しい水着を新調したにも関わらず、当の本人が来ないのでは話にならないからだ。

 しかし、セシリアは考える。キョウスケも水着に着替えるという事は、彼の肉体をその目に焼き付ける事が出来るという事。

 いや、ISスーツ姿の彼を何度も見たことはあるが、素肌を晒した姿というものは、セシリアは見たことがなかった。ISスーツを見る限りでは男らしく屈強な姿をしているという感想を抱いていたが、その下はどうなのか。

 

(は、破廉恥ですわ……。ですが、響介さんの身体―――見たいですわ。ええ、見たくてたまらないですわ!)

 

 想像しただけで、彼女の顔が真っ赤になる。

 自然と隣で歩いているキョウスケの姿をチラチラと見るようになり、脳内ではその姿が妄想される。

 にへら、とセシリアの表情も緩くなり、もはや他人に見せていい状態ではない。本人は自然に振る舞っているつもりでも、これでは説得力がなさ過ぎた。

 

(何を考えているかは知らんが―――俺には関係ないと思いたい)

 

 そんな、他人には見せられない状態のセシリアを尻目に、キョウスケは一人歩いてゆく。

 妄想全開少女はさておき、とりあえず少々重たい荷物を置き、それから考えようと思う。何も、焦って行動を起こす必要などないし、一息ついてからでも十分に間に合う。

 しかし、此処最近で一日自由行動など、なかったのではないだろうか。ガチガチの日程に、覚えなければならないISのシステム、寝る暇も惜しんで勉強したこともある。

 代表候補生達とは違って、そういった知識に疎いキョウスケは、人一倍勉強する必要もあった。現に、持ってきた荷物の中にはISに関しての参考書もいくつか入っており、このような所でも遊びに現を抜かさず、気は抜けない。

 

(此処か……)

 

 隣の部屋を見てみると、教務員室と書かれてある。その隣の部屋なのだから、この部屋で間違いないだろう。

 部屋の中に入ってみると、其処は中々に広い室内になっていた。此処は本来であれば二人部屋だそうだが、それにしては広すぎるとキョウスケは思う。

 構造的には畳となっており、ゆったりと出来る空間が広がる。窓の外は一面の海が広がっており、覗いてみると、砂浜では既に女子生徒の何人かが遊んでいる姿も見受けられる。

 元気な事だ、とキョウスケは思う。が、普段の鬱憤を此処で払うというのもあるのだろう。なにせ、勉強という環境から解放されたのだから、それはしゃぎたくもなるだろうから。

 

 そんな時、ドタドタドタと廊下を走る音が聞こえたかと思うと、部屋に入る為のドアを勢いよく開け、一人の少女が入り込んでくる。

 

「さあ、響介さん! 早速海へと参りましょう!」

 

「……元気だな、セシリア」

 

「ええ、それはもう! さあ、早く早く!」

 

 ―――何故か、目が血走って見えるのは気のせいだろうか。

 海という単語には、セシリアですら興奮させるものなのかとキョウスケは心の中で嘆息し、仕方ないとばかりに別に用意していたカバンを手に取る。

 

「急かすな、セシリア。海は逃げないぞ」

 

「ですが、今日という一日の時間は逃げてしまいますわ! さあ、響介さん、わたくしと共に参りましょう!」

 

 そういってキョウスケの手を取り、別館にあるという更衣室へと向かって行くセシリア。

 何をそんなに急ぐ理由があるというのか。おかしくなっているテンションのセシリアに促され、キョウスケはやや呆れながらも別館に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 さて、別館の更衣室に到着したわけだが、此処に来るまでに女子たちの更衣室の横を通り過ぎなければならなかった。

 それはそうか。本来であれば女子しかいないこの場において、男子はキョウスケと織斑一夏のみ。本来であればイレギュラーである彼ら二人を覗けば、辺り一面は女子しかいない。

 当然、黄色い声なども聞こえてきたわけだが、キョウスケはそれを無視して男子用の更衣室に入り込む。

 其処には既に先客がおり、キョウスケが入ってくると此方の方を見てくる。

 

「うおっ! な、南部か……」

 

「俺以外に此処に入ってくる奴が、何処にいる」

 

「そ、それはそうだけどよ……」

 

 そういって苦笑するのは、もう一人の男子生徒である織斑一夏。

 まあ、先客といえば彼しかいないか。どうやら一夏もこれから海へと赴くみたいだが、その顔は少し赤くなっている。

 原因は――――今も聞こえてくる女子たちの黄色い声か。確かに、男が聞けば何故か恥ずかしくなるような会話を、彼女達は堂々とやってのけているのだから肝が据わっていると言えよう。

 いや、寧ろキョウスケ達の存在を忘れているのだろうか。いや、そうに違いない。そうでなければ、あのような声などあげないと思われる。

 

「全く、皆恥じらいってものを知らないのか……?」

 

「さあな。俺に聞くな」

 

「だけど、俺達がこうして聞いてるんだぜ? もう少し、危機感ってものをだな……」

 

「そんな事を一々気にしている場合じゃないんだろう。俺も、気にはしないようにしている」

 

「その図太い精神を俺にも分けてくれ……」

 

「知らん。自分で身につけろ」

 

 はぁとうな垂れる一夏。しかし、自分でも不思議なぐらいにこうした黄色い声をキョウスケは気にはしないようになっていた。

 興味がない、という訳ではない。それはキョウスケだって男だ。ただ、そのような声に一々反応しているのは馬鹿らしくなっているのかもしれない。

 そんなこんなで着替え始めるキョウスケであったが、後ろから視線がキョウスケに向けられている。いや、この部屋には二人しかいないのだから、それは誰なのかは一目瞭然か。

 

「……何だ、一夏」

 

「いや、いい身体してるなって、素直に思っただけだよ」

 

「―――俺にそっちの趣味はないぞ」

 

「そういう訳じゃねえよ! ただ、相当鍛えられているなって思っただけさ」

 

「…………」

 

 まあ、確かに普通の男からすればキョウスケは相当いい身体をしている。

 かなり引き締まった肉体を自分で見てみるが、フッと自嘲気味に笑う。

 

「な、なんだよ」

 

「いや、何でもない。そういうお前も、いい身体をしているぞ」

 

「ば、馬鹿野郎! 先に行くからな!」

 

 そういって、一夏は更衣室から飛び出していく。

 同じことを言ったつもりだが、こうも反応が違うとは。思わずキョウスケでも吹きだしそうになったが、それはともかく。

 男の着替えなど、簡単なものだ。服を脱ぎ、用意してあった水着を着用する。花と葉が散りばめられている模様の水着を着用し、いざ海へ―――。

 ただ、その手には『日刊競馬新聞』と書かれた新聞紙が手にしてあり、耳には赤鉛筆と完全に泳ぎに行くようなスタイルではない。ただの競馬好きの兄ちゃんである。

 しかし、そんな自分のスタイルを何ら疑うことなく、彼は颯爽と浜辺へと乗り出した。目の前に広がる広大な海原に、海岸付近特有の潮風がキョウスケに当たる。

 此処に来て、ようやく海に来たと実感するキョウスケであったが、目の前に広がるのは女子、女子、女子だ。

 見渡してみると、泳いでいるのもいれば、肌を焼いている者、浜辺で遊んでいる者など様々。

 しかし、記憶がないとはいえ、海など何年振りか。いや、そもそも海に来たことがあるのか、などと考えてしまう。

 何を馬鹿な、と人は笑うかもしれないが、それすら覚えてはいない。楽しかったこと、悲しかったこと、辛かったことなど――――全て、覚えていない。

 

(―――――)

 

 今、こうして過ごしているのも本当に自分自身の本来の感情なのか。

 もしも、記憶を取り戻してしまえば、今の自分は消え失せるかもしれない。それが道理だと思っても、多少の怖さはある。

 今を生きるなどと、キョウスケは楽観的思考にはなかなかどうしてなれない。そういう意味では、競馬等の博打好きというのは記憶を失う前から好きな事だったのだろうか。

 いや、これは身に染みついているといっても過言ではないのかもしれない。情けない事であるが。

 と、そんな時であったか。後ろに気配を感じたので、キョウスケはさっと振り返る。

 

「きゃっ!? きょ、響介さん!?」

 

「……なんだ、セシリアか」

 

「な、なんだとは失礼ですわね。って、その新聞は……また競馬ですの?」

 

「生きがいだ、見逃せ」

 

「もう……」

 

 むすっと頬を膨らませ、キョウスケを見るセシリア。

 その手には簡単なビーチパラソルとシート、更にはサンオイルがある。

 格好は勿論水着で、鮮やかなブルーのビキニ。腰にはパレオが巻かれており、それが優雅さを引きたたせる。更に、水着に強調された胸部は中々に扇情的であり、並みの男であれば卒倒しかねない。

 が、この男はキョウスケ・ナンブである。気恥ずかしさ、というものを完全に失っているのかは定かではないが、そういった部分に対しての耐性が出来ているのか、しっかりとセシリアの方を見やる。

 

「そ、そんなに見られると、流石のわたくしも恥ずかしいですわ……」

 

「そうか、なら、俺はあちらに行こう」

 

「ちょっ―――! そ、そういう意味ではありませんわ!」

 

「どういう意味だ……」

 

 いきなり情熱的―――セシリアが勝手に思っているだけだが―――に見られると、さしものセシリアも気恥ずかしさを隠し得ない。

 キョウスケの感想からしてみれば、似合っているというものだが、それを彼は口にはしなかった。きちんと言葉にしなくては分からないものだが、彼は口にはしない。

 ただ、セシリアの方ももっと見て欲しいというのは本音であるが、それを口はしない。いや、出来ない。見てくれることは嬉しいのだが、それはそれで何かが違うと思ったからだ。

 もっと、こう―――無意識にでもセシリアの方を見てくれるような、そんな形を期待していたのに。

 

「…………」

 

「何を剥れている。何かしたか?」

 

「べ、別にそういう訳ではありませんわ。と、ところで、響介さん、その……水着姿、似合っていますわね」

 

(あと、その身体も……いい、いいですわ!)

 

 それこそ、セシリアが見たかったものに違いない。

 期待通り、キョウスケの身体はかなり鍛えられており、引き締まったものになっている。

 少しだけ一夏の方を見てみるが、彼と比べてもそれ以上の肉体か。いや、同年代の男子を見比べてみても、此処までの男が世界のどこにいるか。

 ―――などと、キョウスケにべた惚れのセシリアはそんな事を思ってしまう。熱のこもった視線にキョウスケはやや困惑するしかない。

 

「……俺の身体を見て、お前は楽しいのか?」

 

「ええ、それはもう―――はっ! ち、違いますわ! そうではありませんわ!」

 

「…………」

 

「そ、その疑う様な目は失礼ですわよ!」

 

 どの口が言うのだろうか、とは流石に口には出せないか。

 顔を真っ赤にしてぶんぶんと手を振るセシリア。はぁと内心で呆れるキョウスケに対し、彼女は今度はこのような事を言い始める。

 

「そ、それはともかく! 響介さん!」

 

「何だ?」

 

「一つ、お願いがあるのですけれど……宜しいですか?」

 

「―――内容によるな」

 

 内容による―――いきなり無理難題を向けられたところで、無理なものは無理だ。

 ただ、セシリアは少し恥ずかしそうにこほんこほんと軽く咳払いをした後、キョウスケの目を見てそのお願いとやらを言う。

 

「その、サンオイルを持ってきたのですけれど、自分では背中にサンオイルが塗れませんので……えっと、是非とも響介さんに塗って欲しいのですけれど……」

 

「知らん。他を当たれ」

 

 即座の否定。一瞬、セシリアが固まってしまう。

 

「同性なら、その辺にたくさんいるだろう。別に俺でなくても構わないんじゃないか?」

 

「わ、わたくしは響介さんがいいのです!」

 

「好き好んでセクハラをするつもりなどないぞ」

 

「わたくしがいいというのですから、それはセクハラではありませんわ! さあ、響介さん! さあ!」

 

 そういってセシリアは投げるようにパラソルを砂浜に突き刺し、さっとシートを敷いてその上に寝そべる。

 いきなりの行動に、キョウスケは内心で苦笑してしまう。いやはや、何故に其処まで必死なのかは分からないが、まあオイルぐらいならば塗ってやろうと思い、彼女が持ってきていたサンオイルを手に取る。

 

「“背中だけ”だな?」

 

「せ、折角ですし、その……手の届かない所もお願いしたいのですけれど……」

 

「知らん」

 

「いけずですわね……」

 

「其処まで面倒は見きれん」

 

 基本的に、其処までのサービスは行っていない。それに、サンオイルを塗るのも仕方なく、だ。せがまれて、このような態度を取られてはキョウスケも無下には出来ない。

 何より、何処か必死なセシリアが少し可笑しかった。いや、いつもこんなものかとキョウスケは思うが、サンオイルを手に落とし、少し揉むようにして温める。

 

「……響介さんは、誰かにオイルをお塗りになった事があるのですか?」

 

「そういった記憶はないが、身体が無意識に動いた。まあ、身体が動いたのなら、恐らくあるのだろうな」

 

「そう、ですか……」

 

 残念そうに、セシリアはがっくりと肩を落とす。

 何処か手慣れた様子のキョウスケを見ると、記憶を失う前はその何処かの誰かにこうしてオイルを塗っていたのだろうか。

 そう考えると、心がもやもやしてくる。顔も見たことがない誰かではあるが、今はセシリアがその立場だ。今は、その優越感に浸ろうではないかとも思うのだが。

 

「塗るぞ」

 

「え、ええ……その、優しくお願いいたしますね?」

 

「…………」

 

 何処に荒くオイルを塗る奴がいるのだろうかと思ったが、世の中は広いのだからそういった塗り方をする奴もいるのだろうと勝手に納得する。いや、そんなことなど考えなくていいのだが。

 それはともかくとして、キョウスケはセシリアの背中に手慣れた手つきでオイルを塗っていく。すべらかな素肌がキョウスケの指に掛かり、普通の男ならばたまらんシチュエーションではないのだろうか。

 

「ん……。お上手ですわね」

 

「お前がそういうのなら、そうなんだろう」

 

 詳しくは知らんがな、と言いながら丁寧に塗っていく。

 しかし、背中というのは思った以上に狭いものなのか。丁寧にしているつもりでも、すぐに終わってしまう。

 

「終わったぞ」

 

 キョウスケが手を放すのを少々不満に思いながらも、セシリアは今まで紐解いていた水着の紐を結び直し、起き上がる。

 

「あ、ありがとうございます、響介さん……」

 

「構わん」

 

 本当であれば、もっと塗って欲しい―――いや、触って欲しかったが、これが南部響介の性格か。

 ただ、それでも彼に惚れたのだ。それに、こうして塗ってくれたという事は、脈はある……と信じたい。いや、そうでなくてはならない。

 

(それに、あんなに情熱的にわたくしの水着姿を見てくれたのですから、そんなことありませんわ! ええ、絶対に!)

 

 そう、自分自身に言い聞かせる。

 ただ、当の本人は彼女の気持ちなど知る由もないのか、持ってきていた『日刊競馬新聞』を広げ、赤鉛筆を持ちながら思案している。

 海まで来て博打の事しか考えられんのか、バカやろー! とでもいえば、彼が考えを変えてくれそうには―――ない。

 はぁと嘆息するが、思えばこの空間にはキョウスケと二人っきりだ。まあ、この空間も悪くないとセシリアは思い、キョウスケと背中合わせになって座り込む。

 

「…………」

 

「…………」

 

 想いを寄せる男が近くにいる、それも背中合わせしている事を意識し、顔を赤く染めるセシリアと、そんなシチュエーションにも関わらず、競馬新聞を読み続ける男。雰囲気はキョウスケのせいで台無しであるが、そんな姿もキョウスケであるとセシリアは軽く笑んだ。

 この雰囲気、距離感こそが今はいい。距離は、徐々に近づけていけばいい。今は、無理に行動を起こす必要もない。

 今は、これでいい。今は――――。

 

 

 と、此処で終われば良かったものの、そんなキョウスケの目の前に二人の人影が。

 競馬新聞を読んでいたキョウスケも、その気配に感づいて新聞を下におろし、その人物達を見る。

 

「な、南部さん、セシリアさん。こんにちは……」

 

「ん、小原か」

 

 恐る恐るといった感じではあったが、声を掛けてきたのはセツコであった。

 少し恥ずかしそうにしている彼女も当然水着姿で、その姿はセシリアと比べても大差ない程のスレンダーな身体であった。

 それはシンプルな水着ではあったが、控えめな彼女と相まって可愛らしくなっている。やや頬を染めているところを見ると、少々恥ずかしいようだった。

 照れくさそうに笑んでいる彼女を見て、セシリアがむむと唸ったが、キョウスケは無視して話を続ける。

 

「お前も泳ぎに来たのか?」

 

「はい。折角の海ですし、これぐらいはと思って……」

 

「そうか。……それで、後ろの奴は何だ?」

 

「えっと……その、信じられないかもしれないんですけど、ラウラさんなんです……」

 

(これがか?)

 

 そう、キョウスケが訝しむのも無理はない。

 セツコの後ろにいたのは、全身をバスタオルでくるんだ何か。いや、人型なのは理解できるが、この暑い中でそのような格好をして一体何になると思ってしまう。

 おまけに、その中身はラウラ・ボーデヴィッヒなのだという。普段は堂々と、それでいて恥ずかしげもなく奇天烈な行動を起こす彼女が、一体どうしてこのような姿になっているのか、キョウスケには理解できなかった。

 

「大丈夫ですよ、ラウラさん。せっかく着替えたんですから、南部さんに見て貰わないと」

 

「う、うむ……。だ、だが、まだ心の準備が……」

 

 確かに、その中から聞こえてきたのはラウラの声であった。

 しかし、その声はどうにも弱弱しく、いつものラウラではない。セツコの呼びかけにも声は詰まっており、どうにも前進はしない模様。

 一体なんだ、こいつはとキョウスケは思うが、その様子を伺っていたセシリアが仕方なさそうに嘆息すると、急に立ち上がり、ラウラの元へと近づいて耳元で囁く。

 

「恥ずかしがっているようでは、響介さんは振り向いてくれませんわよ?」

 

「わ、分かっている。だが、どうにも……」

 

「振り向かせるのでしょう? このわたくし以上に」

 

「――――! い、いいだろう。おい、響介!」

 

「何だ?」

 

「わ、笑うなよ? いいか、笑うなよ!?」

 

「約束は出来ないが……努力する」

 

「むっ……。ええい!」

 

 勢いよく、ラウラは身に纏った幾つかのバスタオルを投げ捨てるように取り払う。

 其処から出てきたラウラの姿は、水着姿であった。いや、それは分かる。

 その姿は、黒の水着であり、おまけにレースをふんだんに扱ったもの。なるほど、一歩大人に見せつけようと努力している姿が見受けられる。

 そして、特徴的なのは水着もそうだが、髪型も同じか。いつもは特に飾る事もなくそのままにしてある銀色の長髪が、今日は左右一対のアップテールとなっている。

 ただ、その姿を見られることがラウラにとってはこれ以上なく恥ずかしいのだろう。いや、今までこのようなオシャレすらしてきたことがないのだから、自信がなくても不思議ではない。

 

「――――フ」

 

「わ、笑ったな!?」

 

「いや、お前もそういった格好が出来るのだと思ってな。想像以上に似合ってるぞ、ラウラ」

 

「なっ、な、なななな!!! せ、世辞などいらん……」

 

「本心を言ったまでだ。信じるか信じないかは、お前に任せる」

 

「むぅ……」

 

 其処まで言われれば、ラウラも何も言えなくなった。

 似合っている―――。自分では聊か信じられないが、キョウスケがそう言ってくれるのなら、これを買った意味もあるのだろうと思う。

 クラリッサに言われた時はどうしようかと思ったが、これはこれでいい。

 ただ、隣にいるセシリアやセツコを見ると、どうにもスケールダウンしてしまう自分もまた、悔しいものだった。

 

「よかったですわね、ボーデヴィッヒさん」

 

「あ、ああ……。……オルコット、肩を掴む手が少し強くないか?」

 

「いいえ、いいえ。そんな事などありませんわ」

 

 言いながら、グッとラウラの肩を強く掴むセシリア。

 本音を言えば、少しばかり悔しい。セシリアにもキョウスケの口から、似合っているなどという言葉を聞きたかったものだ。

 そんな言葉を口にしたのも、ラウラが不安がっているが故か。ただ、嬉しそうなラウラを見て、妙に悔しくなった。

 

「ところで、この髪は一体誰がセットされたんですか?」

 

「それは、シャルルさんです。とっても可愛らしいですよね」

 

 言われてシャルルの方を向けば、彼女は軽く手を振って此方に応える。

 

「髪型……わたくしも変えてみれば……」

 

 ちら、とラウラの方を見ながら呟くセシリアさん。その特徴的な髪型を変えるのは、少々骨が折れると思う。

 

「―――さて、折角の海だ。そろそろ一泳ぎするか」

 

 いつまでも競馬新聞を読んでいる訳にはいかないとばかりに、キョウスケはその重い腰をようやく持ち上げる。

 

「泳ぐのか、響介?」

 

「そのつもりだ」

 

「……だったら、私も付き合おう。私も、泳ぎは得意だからな」

 

「そうか。お前達はどうする?」

 

「わたくしは此処でもう少し肌を焼こうかと」

 

「私も、あまり泳ぎは得意じゃないので……お二人で楽しんできてください」

 

 やけに控えめな二人だが、どう見てもこの二人が泳ぐのならばガチンコな勝負が繰り広げられるのだろう。

 セシリアも流石にそこまでの体力はなく、セツコは言わずもがな。いや、本来であればついてきたいが、命が幾つあっても足りなさそうだ。

 

「行くぞ、ラウラ」

 

「ああ。勿論、競争だろう?」

 

「そのつもりだ。まあ―――手柔らかに頼む」

 

「それは出来ない相談だ。勝負事は、全て本気でいくのが私の主義だからな」

 

「――――ほう、だったらその勝負、私も混ぜろ」

 

 その時、ラウラの後方から声が聞こえた。

 声を掛けられた瞬間、ラウラの肩がビクッと動き、いきなり直立不動になる。妙なプレッシャーが彼女にかけられているのだろうか、と思うぐらいに。

 ただ、ラウラがそのような態度を取ったというのなら、相手が誰なのかは一目瞭然。キョウスケもその方向に目を向けると―――其処には織斑千冬の姿があった。

 

「きょ、教官! 何故このようなところに!?」

 

「織斑先生と呼べ、馬鹿者。僅かな自由時間もお前は取らせてくれないのか?」

 

「い、いえ! 決してそのような事は!」

 

 ビシッと、直立不動のラウラ。ただ、やや緊張しているのか、その表情は先ほどよりも更に固くなっている。

 しかし、千冬の姿も水着―――当たり前か―――なのだが、彼女はラウラとはまた印象の違った黒の水着をばっちりと纏い、そのスタイルのいい鍛えられた肉体を惜しげもなく陽光の下に晒していた。

 それは、まさに完成された大人の魅力といってもいい。ラウラとは比べものにならず、セシリアやセツコすら凌ぐその美しい肉体に、キョウスケといえども目を引かざるを得ない。

 

「どうした、南部。私の身体をそんなにジロジロ見て」

 

「いえ―――。不快な思いをさせたのならば、詫びますが」

 

「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ……」

 

 そういって、千冬は少しだけ視線を下に落とす。

 その様子にキョウスケは軽く首を傾げたが、千冬は軽く首を振り、キョウスケに尋ねる。

 

「あー、ごほん。南部、お前は……私の水着、どう思う?」

 

「どう、とは?」

 

「素直な感想を言ってくれ。お前が思った事を、素直にな」

 

 と、千冬はキョウスケにそのような事を問う。

 いきなり何を言っているのだろうかとキョウスケは眉を寄せたが、相手は織斑千冬だ。言われた事は、素直に答えるしかないと思い、口を開く。

 

「やはり―――黒というのは、“織斑先生にとって特別な色”だと思いますが」

 

「―――――!」

 

 その言葉に、千冬の息が詰まる。

 それは、過去に響介に言われた言葉。捻くれた態度しか取れなかった、あの時の自分を思い出す。

 

「……それは、似合っているという事か?」

 

「ええ、まあ」

 

「―――回りくどい話し方をするな、お前“も”」

 

(“も”?)

 

 その言い回しをキョウスケは訝しむ。が、それを考えたところでどうしようもなかった。

 

「―――ともかく、だ。私も自由時間は短い。泳ぐのならば、さっさとやろうか」

 

「たとえ教官といえど、負けるつもりはありません」

 

「ふん、それは私とて同じだ。南部、準備はいいな?」

 

「ええ、大丈夫です」

 

 キョウスケに対する呼びかけの声は、どことなく嬉しそうに聞こえた。

 何か先ほどの言葉で変なところは――あるか。だが、その単語がふと頭の中に思い浮かんだのだ。

 誰かが囁いたわけではない。自らの意思で、あの言葉を選んだ――――。千冬は、何か思うところがあるらしいが。

 

 それはともかくとして、果たしてこの二人相手に競泳で勝てるのか? という疑問がキョウスケには思い浮かぶ。

 答えは……考えるまでもないだろうが、今はやるしかなかったのだった――――。

 

 

 


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