IS〜インフィニット・ストラトス〜 【異世界に飛んだ赤い孤狼】 作:ダラダラ@ジュデッカ
キョウスケとラウラは、ほぼ同時に動き出していた。
どちらが合図したわけでもなく、ごく自然に。
それは彼ら――じわじわと距離を詰めつつあったシャルルと一夏だ――から逃れる為でもあり、またキョウスケが思いついたという奇策を実行に移すために。
突如として同時に動き出したことに、いち早く違和感を感じるシャルル。眉を微かに寄せ、ハイパーセンサーにて二人の動きを予測させる。
更に、これまでの二人の戦闘データを踏まえて結果を予測させる。
が、この数試合では流石にデータ不足なのか、それとも初めての動きだったためか、予測結果が出ないという結果に陥った。
このことに多少なりとも不安を覚えるのはシャルル・デュノア。
しかし、後手に回る訳にもいかず、一夏にキョウスケを追うように指示を出し、自身もラウラを追いながら脳内ではこの行動に関して思考する。
(この行動……二人が何かを考えている事は明白だと思う。
でも、今まで連携らしい連携も取れていなかった二人が、一体何をするつもりなんだろう……?)
シャルルが唯一不安に感じていたのは、そのことに尽きた。
予測結果が出なかったのも、この二人――当然だが、ラウラとキョウスケ――が、それまで連携らしい行動を取ったことはまずない。
先ほどはキョウスケがラウラを庇ったものの、所詮はそれまで。連携というよりキョウスケが無理やり行った形に過ぎない。
二人が連携行動を一切しないという前提の元、シャルルによって、二人は踊らされている筈だった。
本来ならば、これから二人を分散させてから一気にケリをつける予定だった。
その為に一夏には零落白夜にて一撃で仕留めさせるためのエネルギーは残していたし、シャルル自身もまだ“奥の手”を使用していない。
しかし、彼らに先手を取られたとなれば話は違ってくる。このまま敷かれたレールの上を真っ直ぐに突っ走ってくれると考えていたシャルルの表情が、一瞬だけ曇った。
(―――。一応、最悪の想定が今現実になった訳だけど……でも、何かを仕掛ける前に南部君の方を仕留めさせてもらうよ)
そう、後手になってしまったとはいえ、当初の予定通り分散させる事には成功している。
少し計画が変わっただけだ。軌道修正はお手の物であり、今更何をしようと戦局を握っているのは紛れもなくシャルル達の方だ。
シャルルは微かにキョウスケの方に視線を移し、一夏の瞬時加速(イグニッション・ブースト)にてキョウスケに一気に接近できる距離であることを確認し、一夏に向けてプライベート通信を開いたと思った瞬間、どうしたことかすぐに切断した。
すると、一夏が雪片弐型を握る手に力を込めたかと思うと、背中のウイングスラスターが勢いよく火を噴き、キョウスケに迫る。
そう、この行動は攻撃開始という合図。シャルルと一夏の二人が決めた、相手にとどめを刺す際のサインだ。
(貰った!)
一夏は、眼前のキョウスケの撃墜を確信した。
白式の瞬時加速(イグニッション・ブースト)は、文字通り爆発的な加速を持って敵機に近付く近接格闘戦用の機体ならば出来て当然の技能だ。
背後を取る+一撃必殺の単一能力だ。仕留められぬわけがない。だが――。
「――――フッ」
キョウスケは、そのような事などお見通しという感じなのか、アルトアイゼンを加速させる。
瞬時加速(イグニッション・ブースト)に引けすら取らない爆発的加速によって、キョウスケは一夏から逃れるように加速した。
とはいえ、アルトアイゼンがそのような爆発的加速を行えるのも直線限定だ。ならば、そのような行動など無意味に等しく、追い詰めて斬り裂けばジ・エンド。
「逃がすかよ!」
当然、一夏はキョウスケを追うようにして再び瞬時加速(イグニッション・ブースト)を行う。キョウスケを倒すと心に誓っていた少年が、彼を追わない筈がない。
しかし―――。一夏が瞬時加速(イグニッション・ブースト)を行う瞬間、加速を行っていたキョウスケが突如として叫んだ。
「ラウラ、今だ!」
「――――ああ、了解した」
キョウスケが呼びかけた相手は、当然というべきかラウラ・ボーデヴィッヒだった。
何をするのかとシャルルは眉を寄せた瞬間、ラウラは急に反転したかと思うと―――恐らくはAICを発動するためであろうが右手を突き出す。
「へえ、私を止める気? 無駄だよ、そんな事をしたところで」
「お前を止める? 違うなっ!」
やはりそう思ったか、とラウラは微かににやけていた。
その様子を見て、面白くないのはシャルル。アサルトライフル《ガルム》を駆使し、ラウラの動きを阻止しようとしたその瞬間。“それ”は、右斜めの方向から飛来した。
「!? きゃあ!!」
“何か”は――白い、物体だった。
センサーにも引っかかることなくシャルルに飛来した物体は、ノーマークだったシャルルの機体【ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ】の装甲を削った。
「これは……まさか、“ステルス・ブーメラン”!?」
はっと驚き、機体の装甲を削った後地面に突き刺さった代物に目を送る。
ステルス・ブーメラン―――その名の通り、ステルス迷彩を施したブーメランの事―――であり、IS界においても一部で使用されている武装の一つ。
しかし、ラウラもキョウスケもこのブーメランを使用したというデータは存在しない。おまけに“設置型”のブーメランなど、話すら聞いていなかった。
―――この時、シャルルは全てを悟った。“初めから、キョウスケはこれを狙っていたのだ”と。
小細工? いや、違う。これは立派な戦術だ。今の今までデータ重視で行動してきた、シャルルの落ち度。
予想しない出来事が起こった場合、対処がやや遅れてしまうという欠点。
しかし、この一瞬の隙が命取りになる。シャルルがラウラに意識を戻した時、彼女は目を見開いた。
「なっ―――?」
ラウラが右手をかざしている相手とは、キョウスケの方だった。
加速中のキョウスケが見事に制止しており、ピクリとも動く様子はない。しかし、ラウラはキョウスケをAICで制止させると、すぐさま彼からAICを解除した。
すると、キョウスケは上空に向かって少しだけ加速。そしてすぐに制止。
打って変わってその真下には、いきなり止まってまるで斬ってくださいと言わんばかりのキョウスケに向かっていた一夏が、入れ替わるようにしてその場所へと到着する。
「しまった! 織斑君、退避を――」
「えっ、なっ!?」
一夏が事態に気が付いた時、キョウスケは既に彼の背後をとっていた。
右肘を折りたたみ、ステークの炸薬を回転させる事によって炸薬の充填を確認。
鋭い眼差しを一夏にぶつけ、キョウスケは振り返って無防備な一夏の腹部にステークをぶつけた。
「がっ―――!」
「仕留めたぞ、一夏」
轟音を鳴らして炸薬を打ち鳴らすと、それを連続で六発。
当然、至近距離にてリボルビング・ステークを撃ち込まれて無事である筈がなく、零落白夜や瞬時加速(イグニッション・ブースト)により随分と減っていたシールドエネルギーの分も相まってか、あっという間に一夏は戦闘不能となる。
一夏は機体ごと地表に落ち、悔しげに地面を叩いた。
「く……そぉ……!」
嵌められた。やられた今だから分かるが、その事を悟った時にはすべてが遅すぎた。
何故、ラウラがAICをキョウスケに向けたか。それは、アルトアイゼンの急加速を瞬時に遮る為だ。
いくらISといえども、加速中に急停止し、更に上昇するように加速するという事は体に負荷が掛かる。それに、効率的に悪いのだ。
だからこそ、ラウラは加速中のキョウスケにAICを発動させた。
一夏の方にAICをぶつけた方がいいのでは? という疑問もあるとは思うが、そうなるとシャルルの存在が邪魔になってくる。
いくらステルス・ブーメランにより不意を突いたとはいえ、それも一瞬の出来事に過ぎない。
一夏を止めている間にラウラがシャルルに攻撃されれば元も子もない。先ほどの二の舞になりかねないのだ。
だからこそ、無茶苦茶だと人が思おうともこの策を選んだ。シャルルにも邪魔をされず、的確に面倒な一夏を落とす策。
「やられたね……。こっちがまんまと分散させられちゃったわけか……」
「そういう事だ。どうしてもお前には孤立してほしいというのは、私とあいつとの共通意見だ。その為にまず邪魔な奴を落としたいからな」
「へぇ……。そうなんだ」
嫌な汗が滴り落ち、シャルルは珍しくも苦笑いに近い表情を浮かべた。
“そう来たか。それは流石に私も予想以上だったね”、と表情に書いてあるようにじわじわと迫りくる焦りを隠せないようにも見えた。
事実、ラウラもキョウスケからこの策を聞いた時、馬鹿馬鹿しくて愚かだと思った。だが、こうも思えたのだ。
(私には思いつきもしないような事をやってくれる―——)
そう、彼女にはその事しか思えたのだった。誰だってそうは思いつかないだろうが、それを実行してのけるキョウスケ・ナンブという存在。
南部響介という人物との出逢いが、ラウラ・ボーデヴィッヒをそのような考え方に出来るようにしたのかもしれない。昔では考えられなかった事も、奴が言うのならば馬鹿としか思えないが、それなりに信頼は出来る。
あり得ないと思っていたことが、今現実で起きている。この不思議な気持ちに、ラウラは最初、当然戸惑った。
しかし。少しは信じてみようとも思ったのだ。
赤い機体を駆る男―――キョウスケ・ナンブの事を。
憎かったはずなのに、何故かこの男と合わせている自分を、心の中で嘲笑しながらも。
「さて、残るはお前一人だ。覚悟はいいな?」
「あははっ。いきなり余裕な表情になったね、ボーデヴィッヒさん。
でも―――確かに一人になったとはいえ、私も簡単にやられる訳にはいかないんだよね」
先ほどまでの焦りは何処に行ったのか、急にシャルルは一息入れると、目線を鋭くさせ、武器を構える。
これまでとは事情が違う。咄嗟に判断したラウラではあるが、だからといって臆しなしない。両目でしっかりとラウラはシャルルを睨み返す。
(ドイツのヴォーダン・オージェ—―通称、オーディンの瞳。
確か、彼女が属する部隊である“黒ウサギ隊”は構成員の全員が彼女と同じ処理を施してある……。
そのおかげで、巷では【化け物部隊】だとか、【人外部隊】とかいわれているらしいけど…確かに、その通りかもね)
まるですべてを見透かされたように輝く金色の瞳。シャルル自身は抵抗などないものの、それを恐怖に感じて恐れる人物は当然のように存在する。
例を上げればきりなどないが、一例を上げよと言われれば政府の高官達など。
彼らにとって、ラウラなどの存在は人として見られてはいない。精々、都合のいい兵器程度の認識だろう。
実際、シャルルもそういった教育を受けてきた。
しかし、同じ人間なのだから差別などする事などないとも彼女は思う。もっとも、彼らの前ではそのように合わせていたが。
「さて、無駄話は此処までかな。私もちょっとだけ、本気を出してみようと思うんだけど……いいかな?」
「減らず口を叩けるのも……」
「それまでだ」
いつの間にか、キョウスケをもシャルルの背後をとっており、ラウラが動き出すと同時に猛スピードで突っ込んでくる。
とりあえず、AICを使ってくる兆候はない。シャルルは一瞬でどう動くのかを判断し、ラウラには《ガルム》を、キョウスケには近接専用ブレード《ブレッド・スライサー》を向け、砲撃と共にキョウスケが突き出したステークを遮る。
「くっ……! 南部、私が奴の動きを止める!」
「ああ、任せる」
先手を打たれて苦々しく表情を変えたラウラだが、少し下がったところで彼女はシャルルに右手を突き出した。
「させはしないよ」
一方、シャルルはラウラの方など見るまでもなく《ガルム》をラウラ目掛けて発射する。
ISは360度見渡せる作りとなっている性質を利用し、ラウラにAICなど使わせないとばかりに銃を乱射していた。
そして、キョウスケのステークを腕一本で見事に受け止めており、その姿は先ほどのシャルルのものとは思えなかった。
まるで、別人になったかのような雰囲気を醸し出し、キョウスケも彼女を正面から見やる。シャルルは眉一つ動かさず、黙ってキョウスケを見つめ返した。
「なるほど、本性を露わにしたという事か」
「まあ、そうかもね。言っておくけど、私は南部君たちが思っている以上に手強いよ」
「確かにそうだろうな。だが―――」
フッと、キョウスケの口元が歪んだ。
それは、キョウスケが彼女を捉えたという合図。それが何なのか、シャルルは瞬時に気が付いたが、時すでに遅し。
「この距離では、俺のとっておきを避けるのは難しいと思うが?」
「―――っ。クレイモア……!」
「今更気付いたか。だが……少し、遅かったな」
しまったと思った時には、既にアルトアイゼンの両肩のハッチが解放されていた。
なるほど、あれもフェイクだったらしい。ラウラがAICを使うと見せかけて、片腕の一本を封じさせる。一方、キョウスケはステークしか有効手段がないかと思えば、それは間違いだ。
彼には、両肩に必殺のスクエア・クレイモアを多量に搭載している。一夏を仕留める際にそれを使わなかったのも、全てはこの時の為だったのだ。
「……南部君も相当、サマ師だね。ステルス・ブーメランも、ヒートダガーを排除して入れ込んだんでしょ?」
「―――お前ほどじゃないさ。だが勝ちはいただくぞ、シャルル」
「―――うん。君になら、負けてもいいかも」
とても先ほどのシャルルとは思えない笑顔を見せたところで、キョウスケは迷うことなくベアリング弾を発射した。
キョウスケにとって、この距離こそスクエア・クレイモアを使う絶好の距離なのだ。
両者の間で爆発こそ起こったものの、キョウスケは発射の勢いにて後ろに後退し、被害を免れる。
一方、シャルルの方は甚大な被害だ。あんな至近距離から威力の高い攻撃を放たれれば、幾ら専用機に改良したISとはいえ、もはや動けないほどのダメージを被ることと同じ。
遠慮なんて言葉すら知らないのかな、とシャルルは地面に転がりながらも可笑しくなってきて、クスクスと小さく笑った。
それも、煙が晴れるまでであったが、久しぶりにシャルルが笑顔を見せた瞬間であった。これまでのような、“作った笑顔ではなく、本当の笑顔を”。
「あーあ……。負けちゃった」
シャルルの小さな呟きと同じく、試合終了を知らせるブザーが会場内に鳴り響く。
客席は勝敗がついたことで大いに沸き、保健室にて試合を観戦していたセツコとセシリアがキョウスケの勝利にほっと安心したように息を吐く。
(データは結構取れた……。今回は負けちゃったけど、私の任務の第一段階任務は成功ってところかな。……でも、本番はこれからだけどね)
―――考えるだけで、嫌気が指してくる作戦指示内容。
こんなスパイの様な事をしているだけでも嫌なのに、これからも皆を騙し続けながらこのIS学園で生活を送らなければならない。
胸が張り裂けるように痛く、心が苦しい。誰にも相談する事も出来ず、シャルルは一人で思い悩むしかない。
此処には、いい人がいっぱいいる。彼らを欺くことなど、本来のシャルルならば無理な話であろう。
しかし、彼女にもやらなければならない理由がある。人質としてシャルル――いや、シャルロット・デュノアの父親であるゼィフリー・デュノアに囚われている母親を救い出すために。
(お母さん……。私、頑張るから。お母さんも、もう少し待っててね……)
ギュッと胸を押さえ、心の中で呟くシャルル。
そんなシャルルの前に、一人の人物が近づいてきたかと思うと、その人物は座り込んでいるシャルルに手を伸ばした。
「大丈夫か、シャルル? 結構派手に攻撃を食らってたけど……」
「あ…織斑君。私は大丈夫だよ。心配なんてしなくていいから」
「それならいいんだけど…」
近づいてきた一夏に、シャルルは今できる精一杯の笑顔を見せた。
その笑顔を見て、一夏は一応安堵したかのように胸を撫で下ろす。
そして、シャルルは一夏の手を掴んでようやく立ち上がると、向こうの方で何故か向かい合っているキョウスケとラウラの方に目をやり、自然と口を開いた。
「シャルル。今回は負けたけど、次は絶対にあいつに勝ってみせる。―――絶対に」
「あんまり気負わない方がいいと思うよ? 無理に気負ったところで、逆効果だと思うけど」
「それでも、俺はあいつに……響介に勝ちたい。あいつを、超えたいんだ」
力強く握り拳を作り、意気込む一夏。シャルルとしては熱心だな~と多少感心しながらも、一夏の方を向いて口を開いた。
「じゃあ、これからもっともっと訓練しなくちゃいけないね。よかったら私も手伝うけど、どうかな?」
「ああ、頼む。俺、絶対にもっと強くなるから。それまで、宜しく頼む」
「うん、こちらこそ」
シャルルから先に差し出された手を、一夏はゆっくりと掴んだ。
―――無論、シャルルには別の目的がある。それでも、任務とは別にこの少年を見てみたくなったのだ。
いけない事をしている事など理解しきっている。でも―――それでも、彼が成長するのならば。
「ラウラ」
「な、なんだ? 急に呼びかけるな。心臓に悪い……」
「それは悪かったな。だが……やったな」
「………………ふん」
キョウスケが差し出してきた拳に、ラウラは微かに視線を送ったが、ぷいと顔を逸らす。
そのまま場を去っていくのが通常のラウラであろうが、あろう事かキョウスケが差し出してきた拳に自分の拳をコツンと当てたのだ。
「……予想外だな。まさか、本当にやってくるとは思わなかったぞ」
「お、お前からやってきたのだろう? だ、だったら……少しくらい、やってやってもいいと思っただけだ」
顔を逸らしながら言い放つラウラであったが、その顔は真っ赤に染まっていた―――。
■
『お、お前からやってきたのだろう? だ、だったら……少しくらい、やってやってもいいと思っただけだ』
準決勝が終わった後、ラウラは逃げるようにアリーナを後にし、更衣室にて試合後にてキョウスケと拳を突き合わせた事を思いだす。
いつものラウラならば、反吐が出ると切り捨てだろう。
だが、今の自分は顔を赤面させ、まるで逃げるように――いや、実際に逃げてきたのだが――ここまで走ってきた。
果たしてその言葉が出る前の感情はなんだったのだろうか。僅かにだが胸が高鳴り、悪くない気分がラウラ自身を支配したあの感覚は。
(…………。く、くそっ、思い出すな! 違う、これは違うんだ!)
思い出しただけで、表情が綻ぶ自分がいる。ハッと気づいて首を激しく振る事によってその言葉をかき消そうとするが、思うようにいかない自分が歯がゆい。
こんな感情を抱く事すら初めてなのだ。そんな気味の悪い言葉を、行動をかけてきたキョウスケに対する怒りよりも戸惑いが彼女の中を支配する。
『それより、南部に固執し過ぎるなよ? ああ見えて、いざとなった時の破壊力は抜群だからな』
今になって、千冬の言葉が脳裏に蘇ってくる。
あり得ないとその時こそ言い切ったが、本当にこのままでは彼女の言う通りになってしまいそうだ。
「ち、違うぞ! 断じてそのような事など!」
誰もいない個室の中で、ラウラが顔を真っ赤にさせながら言い放つ。
しかし、見渡してみるとやはりいるのはラウラのみ。羞恥心が彼女を包み、可愛らしく縮こまった。
部屋の隅で体操座りをしながら、二本の腕で体を抱え込む。
どうしていいのか分からない。今の状態で奴に―――キョウスケと面と向かって顔を合わせる事が出来そうにない。
「あいつが……あいつが悪いんだ……。私を、こんな風にしたのも……全部、あいつのせいなんだ……」
小さく顔を上げ、呟くラウラ。しかし、彼女の口からは刺々しい口調ではなく何処か子供のようなものを彷彿とさせる。
彼女の心は揺らぐ。南部響介―――その存在がある限り。
■
「おいおい、メンテ直後にいきなりかよ。あーあ、マシンキャノンが完全にお釈迦じゃねか……」
「すいません。ですが、あれも俺の戦い方ですので」
「そりゃこっちも承知してるけどよ…。まあ、仕方ねえか。あの嬢ちゃんとお前だからな」
アルトアイゼン及びシュヴァルツェア・レーゲンの損傷度を一通りチェックした田中は、呆れた表情を浮かべながら頭を掻く。
隣にいたキョウスケは特に悪びれもせず、堂々と言ってのける。確かに言葉通りなのだが、これが整備士泣かせってやつかと田中は苦笑した。
「まあ、損傷部分は徹夜すれば直るから安心しな。だが、次の勝負ではダガーを使うんだろ?」
「その予定です」
「じゃあ、その換装もすませねえとな。損傷部分の修復に、武装の換装――ホント、メンテナンスルームが使えてよかったぜ」
「助かります、田中さん」
「こっちも仕事だ。当たり前の事をするだけよ」
にっと笑顔を見せる田中であったが―——その時、何かを思いだしたのか、頭をぼりぼりとかき始める。
「そういえば嬢ちゃんの方もなんとかしなきゃいけねぇんだよな……。はぁ、整備班をもう少し連れてくれば良かったぜ」
「ラウラのISも整備を?」
「ああ。武装のチェックと一緒にやって欲しいだとよ。これはいよいよ、徹夜で終わるか分からなくなってきたな……」
まあ、弱音なんか吐いてられねぇと言いながら、田中は早速ISの修復作業に入り始める。
彼には迷惑をかけるが、だからこそ明日は負けられないとも思う。
「では、アルトアイゼンをお願いします」
「おう。機体の状態は万全にしとくからよ」
手を上げて田中が応えるのを確認すると、キョウスケは踵を返してメンテナンスルームから出ていく。
見送った後、田中は軽く嘆息する。これから徹夜の突貫作業が待っているから。
と、その前に。田中は備え付けられた―――どう見ても不自然だが―――ロッカーの方に目をやり、大きく息を吐く。
「……所長、そろそろ出てきたらどうですか?」
「あれ、バレてた? いやー、流石はうちの整備班班長。鋭い洞察力は感服しますね」
「俺を馬鹿にしているんですか、所長。それより……こいつ、どうします?」
「ああ、“あれ”ね」
急に真顔になる田中に、大倉もロッカーから出てくるなり彼の方に近寄ってモニターの方に目を移す。
モニターに映し出されているのは、ラウラのシュヴァルツェア・レーゲン。この二人は何かを発見したのか、画面上から目を離さない。
更にはシュヴァルツェア・レーゲンの周りには警告を示す赤字が点々と存在していた。
「まさかあんなものが搭載されていたなんてねぇ…。流石は条約破りで有名なドイツさんだこと」
「ですが、発見しちまった以上は俺達も見過ごすわけにはいかないと思うんですが…。今なら“これ”の排除も可能ですぜ」
「いや―――その必要はないよ、田中君。それは、そのままでいい」
「なあっ!?」
大倉の言葉に驚き、思わず彼の方に振り返る。
大倉は表情を一切変えず、立ち尽くしていた。再度彼に尋ねようと田中は大倉に詰め寄ろうとした瞬間、大倉は田中の口元に人差し指を持っていく。
「ちっちっちっ。田中君、所長のいう事は絶対だぞぉ?」
「ですが、あれは条約違反のみならず嬢ちゃんを死に至らしめるかもしれないシステムですぜ!? 分かっておきながら見過ごす事なんて俺にはできません!」
「ふぅ。甘いね、田中君は。そう簡単にシステムを切り離してどうするのさ?
それに、そのシステムを搭載したのは一個人じゃない。国家、国なんだよ。それを君は敵に回す気?」
「それは……。それなら! IS国際委員会に報告すればいいだけじゃないですか! あんたは……」
「でも、結局は報告した報復を受けるのは結局のところ僕たちなんだよ。
それくらいの事は分かるでしょ、君。殺されるんだよ、僕たち」
田中の首元を突き出した人差し指でそっと撫で、怪しく笑う大倉。
大倉の発言はもっともだ。しかし、田中の拳は更に固く握りしめられ、今にも大倉を殴りかかってもおかしくはない。
それくらいは大倉も分かっていたが、表情を崩さぬまま部屋を歩く。コツコツと靴音が室内に響き、田中の苛立ちがさらに積もった。
「見過ごすこともまた勇気さ、田中君。
君の正義感は認めるけど、僕にとってはそんなものは無意味。他人の為に命を投げ出す人間の気持ちも理解できないし、理解したくもないんだよ」
「だからアンタは他人が理解できないんだよ……!」
「ああ、そうだね。でもそれが僕の生き方だし、ツッコミは野暮ってもんだよ。それに―――見てみたいんだよ。その兵器の性質をさ」
「所長!」
気が付けば、田中は大倉の胸元を掴んでいた。
ものすごい形相で大倉を睨み、硬く握った拳が大倉の頬へと直撃する。何の抵抗もないまま殴られた大倉であったが、特に痛がりもせずにもう一度田中を見やる。
「―――気は済んだかい、田中君?」
「ぐっ……!」
歯を食いしばりながら拳を下し、大倉の胸倉も離す。
乱れた服を少しばかり整えていた大倉であったが、軽く田中の肩を叩いて先ほどまで田中が座っていた椅子へと腰掛ける。
「君は少し休むといい。後は僕がやっておくよ」
「ですが……」
「休め、田中君」
「―――――……はい」
ようやく、といった方が正しいのか。
田中は怒りを抑えきれない様子を現しながらも、ふらふらとしながら部屋を出ていく。ドアが閉まるのを確認すると、大倉はふうと息を吐いた。
「ま、常人の分際じゃああれが当然の反応だよね。
あーあ、これだから常人とつるみたくないんだよ…。いわゆるバカって奴だけどね。……それに感化されている、僕もどうかと思うけどね」
吐き捨てるように呟き、田中が行っていた作業を始める大倉。
いつしか鼻歌を交えながら作業し始める大倉は、何処か楽しげにも見えた―――。
■
既に日暮れ時。夕日が学園内を照らしだしているようなそんな時間帯に、俺は中庭で小原の姿を見かけた。
彼女は何かを考えている様子で、中々声を掛けづらい雰囲気を本人が醸し出している。
なにかあったのだろうか? と俺は首を傾げる。此処最近は比較的明るくなり、以前のように一人で考え込んでいるような姿も見せなくなったが―――今まさにその姿を久しぶりに見たような気がする。
と、その時。小原の方が俺の存在に気付いたのか、俺の方に視線を向けてきた。
「あっ……。南部さん」
「どうした、小原。こんなところで」
「そうですね……。考え事、でしょうか」
隠す気はないらしく、小原はやや恥ずかしそうに顔を染めながらも俺に今の悩みを話してくれた――。
「初戦が終わった後、鷹月さんが言っていたんですけど……やっぱり、人に向かって銃火器を撃つのが怖いって。でも、私の場合はどうだったのかなって考えてしまって…」
「お前の場合?」
「はい。幼いころに両親が死んで、施設に入れられて……気付いたころにはISに乗せられて。私には鷹月さんのような感情はなかったのかなって…」
確かに分からないでもない。
いくらスポーツとはいえ、所詮は兵器だ。それを平気でぶつけ合う今の世の中に疑問を持つ人々がいてもおかしくはない。
ましてや、今まで銃を手にしたこともない女子生徒に。それを指摘され、小原は今悩んでいるという事だろうか。
「なるほどな、確かに一理ある」
「南部さんもそう思いますか? 私も……よく考えてみればそうだなって思っていて。ですけど―――」
「もう引き返せない、か?」
「………はい。ツィーネという倒すべき目標が決まってしまった以上、私はこれに乗るしかないんです…」
バルゴラの待機形態となっている腕輪を眺めて、セツコは呟いた。
ツィーネ・エスピオ。つい数か月前にIS学園に強襲をかけてきた混沌(カオス)の構成員であり、俺達に煮え湯を飲ませた女。
レビと同じく取り逃がした相手であるが、いつかまた鉢合わせることになるだろう。なにより、奴の狙いはどういう訳か、小原なのだから。
「ところで、南部さんは……目標って、あります? その、その辺りのお話は聞いていませんでしたから…」
「目標、か……」
質問されたのはいいが、実はというと考えたこともなかった。
成り行きでISに乗って、今まで突き進んできた。止まりもせず、一直線に。
目標など記憶を取り戻してから――などと思っていた時期もある。しかし、このまま記憶が戻らなかったら俺は何をすべきなのか。
「今は……分からないな。今は、記憶を取り戻すという方が先決なのかもしれないが」
「そう、なんですか……」
「だが、そのうち決まるとは思う。俺が何を成すべきなのか……。時間はまだまだあるからな」
「そうですね。南部さんならいい目標が決まると思います。私とは違って……」
微笑んではいるが、その笑顔は何処か苦しそうだった。
小原の目標―――いや、目標とすらいえるのか分からないが―――は、復讐なのか。それともツィーネは単に倒すべき敵なのだろうか。
どちらにせよ、俺も小原と形は違えど似たようなものなのかもしれない。なんとなく、だが。
「そ、そういえば。南部さん、決勝戦進出おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。お前も三回戦は惜しかったな」
「出来れば勝ち進みたかったんですけど…あれが精一杯なのかなって思い知らされました。
私もまだまだですね…」
「だが、初期に比べればマシになってきている。いい傾向だ」
「そうですか? 自分では意識してなかったんですけど……南部さんがおっしゃるのならそうなんだと思います。
その、うまく言えませんけど……決勝戦、頑張ってくださいね。私も応援していますから」
やや嬉しそうに顔を綻ばせる小原。
俺も彼女に対して軽く笑う事で返す。彼女の悩みが完全に消えた訳ではなかろうが、果たして小原はそれをどう乗り切るのか。
俺は、そんな彼女をどこまで支えてやれるのか―――不安はあるものの、やるしかないと思ったのだった。
■
保健室。
セシリアは今、一人だった。セツコは少し考え事があるといって退室し、絶対安静中のセシリアは今も保健室でベッドに寝転ぶ始末。
本当なら、いの一番でキョウスケに向かって行きたいのだが。流石に今はそんな精神状態でもなく。
キョウスケが活躍するのは嬉しいが、どんどんと彼が遠くなっていくような気がして怖くなっていく。
大丈夫だと自分自身に言い聞かしても、今度はいつ辞令が届くかビクビクする日々が始まる。
「はぁ………」
やや疲れたように溜息を吐き、保健室から見える外の光景に目を移す。
夕暮れ時の太陽がセシリアの瞳に映り、彼女を照らす。下を見ると、寮に帰っていく生徒がちらほらと見受けられ、中には見た顔も含まれている。
その中にキョウスケとセツコが話をしている姿を見た時。セシリアは下唇をギュッと噛んだちょうどその時に、ガラッと音がしたかと思うと保険医の如月遥が中に入ってきた。
「オルコットさん、ちょっといい?」
「……あ、はい。どうかなされましたの?」
急に遥がセシリアを呼ぶのでセシリアも表情を戻して遥の方を向く。
―――もっとも、その内心ではキョウスケとセツコが一体何を話しているのかが非常に気になっており、意識は其方の方に向いていたのだが。
「貴方宛てに手紙が来ているわよ。でも、差出人は書いてないみたいだし……何か心当たりはある?」
「手紙…ですか? ちょっと貸してくださいな」
遥から手紙を受け取り、表裏共に確認してみる。やはりというべきか、遥の言う通り差出人が書いてある様子はなく、セシリアを指名してきているのを見て彼女は眉を顰める。
本国からの通達ならばこんな妙な真似はしないと思うし、家からの手紙でもない。不思議に思って彼女が手紙の中を開け、内容を読む。
「……………っ!?」
「どうかしたの?」
「い、いえ、なんでもありませんわ」
あははと愛想笑いをし、セシリアは手紙を隠すようにしまってしまう。
彼女の様子に遥は首を傾げたが、他人のプライベートに深くかかわるのもどうかと思って身を引く。
ただし、もう一度だけ彼女に問う事にした。
「本当に何もないのね?」
「ええ、勿論ですわ。……信用されてないんですの?」
「そういうわけじゃないけど……まあ、貴方が何でもないって言い切るのならそれでいいけど」
言って、遥は引き下がる。セシリアは相変わらず愛想笑いを浮かべていたが、その心中では別の事を考えていた。
もはや、キョウスケとセツコの会話など忘れ、その手紙の事だけを考えている。
(そうきましたのね……。だったら、こっちは……)
何かを決意したように頷くセシリアに、遥は気付くことなくコーヒーを啜るのだった。