すこやかふくよかインハイティーヴィー   作:かやちゃ

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特別編:すこやかこぼれ話
第XX話:生誕@健やかなる夜に祝福を


[???]

 

- PM4:00 -

 

 とっておきの香水を化粧箱の中から取り出すのはいつぶりくらいになるだろう?

 そんなことを考えながら、爽やかな甘みを伴う柑橘系の香りを首筋や手首に纏っていく。

 あまりきつい香りにしてしまうと相手も困ってしまうだろうし、食事の時に鼻に付くのは困るから、基本私はそこまで大量に香水を振りかけたりはしないんだけど。

 

 ――今日はトクベツな日。

 

 そんな意識がついいつもよりもより強く気合を入れて、お化粧から服装の選別から何から入念な準備に取り掛かる原因となっているのは間違いない。

 一番のお気に入りでもある若草色のフレアーチュニックワンピの上から薄手のカーディガンを羽織り、年齢からするとちょっと甘めのイメージで。首には薄桃色のストールを巻いて、野暮ったくならない程度に防寒もバッチリこなしつつ。

 ちらりと壁掛け時計の針の位置を確認すると、もう家を出なければ約束の時間に間に合わないかもしれない所まで迫っていた。

 

「――っと。お財布もあるし、携帯も持ったし、あとは――あっ、チケット!」

 

 机の上に丁寧に畳んで置いてあった封筒に手を伸ばし、中身を確認。うん、確かに間違いない。

 中身の確認をしてからバッグに押し込んで、鏡台の上に出しっぱなしにしてあった桜色のリップを引っ手繰るようにポケットに入れて部屋を飛び出す。

 今日だけは、何が何でも遅れるわけにはいかない。

 そんな決意を持って臨むことになった本日最大のイベントは、ここ数年に及ぶ惨めな独身女の一日(いちじつ)を振り返る余裕すら奪い去ってしまうほど希望に満ち溢れたものだった。

 

 

 

 眼下に夜景を望む展望レストランの一角にて。

 私は一人、煌びやかな夜の町並みを眺めながら優雅な食事を摂っていた。

 ――ああ、実際にはまだ食前のワインを少し喉の奥に流し込んだ程度のことではあるんだけれども。

 ちらちらと視線をお店の入り口のほうへと飛ばしてみるものの、そこには望んだ人の姿はまだ見えない。まだかな――と考えては頭を振って、考え直す。

 この程度の待ち時間、どっしりと構えていられないで何が淑女かと。

 

 私のほうが年上ということもあるのだから、常に余裕は見せておきたい。

 もう一口ワインを流し込む。鼻腔を擽るようにして甘さと渋さが仄かに香ると同時に、不意にグラスに歪んだ待ち人の姿が浮かび上がった。

 その人物は入り口の店員さんに小さく手をかざして案内を断ると、まっすぐとこちらに向かってやってきた。

 口の端が歪んでしまうのを堪えつつ、唇に残ったワインの残滓を身近なテーブルナプキンで掬い取る。

 

「すみません、遅れてしまいました」

「少しだけだよ。当日の急な呼び出しなんだから、仕方が無いことだよね」

「それでもこんな特別な日に主役の女性を待たせるのは男としては失格ですから。どうかお許しいただけますか、姫?」

「……クスクス。いいけど、それはちょっと似合わないかな」

 

 恭しく首を垂れる彼に、小さな笑みで答えを返す。

 普段着慣れないであろうピシッとしたスーツ姿に少しだけ見惚れながら、席に座るように促した。

 

 未成年の彼にワインを飲ませるわけにはいかないので、代わりにノンアルコールのスパークリングジュースを注文しておいたのが正解だった。

 私にとってはちょうど良い、けれども大きな手の彼にしてみれば少し小さく見えてしまうシャンパングラスに注ぎ込まれていく液体を見つめていると、ふと彼――京太郎君と視線が合った。

 

「どうかした?」

「やっぱり大人の女性――なんですよね。普段近くにいるように感じるぶん、すごく新鮮というか……」

「ちょっとは見直してくれたってことかな?」

 

 注いでくれた男性給仕(ギャルソン)にお礼をして、小さく笑みを湛えながら並々と注がれたグラスを手繰り寄せる。

 

「――じゃ、まずは」

「――乾杯」

 

 チン、とグラスが音を立てる。

 コース仕立てになっている料理は、野菜がふんだんに使われているオードブルからはじまって、白身魚のカルパッチョ、カボチャのスープ、魚料理、口直しのシャーベット、メインの肉料理と続く。しばらくはお互いの近況を話しながら美味しい料理を堪能し、とても楽しい時間を過ごす事が出来た。

 最後のデザートが運ばれてきた頃、京太郎君が表情を引き締めたのが見て取れて。

 ドキリと胸の鼓動が高鳴るけれど、それを表情に出したりはしない。

 ゆっくりと懐に忍ばせた右手が、握られた何かを伴って緩やかな灯りの元へと晒される。

 

「誕生日プレゼントです。本当は郵送しようかと思ってたんですけど――少しトラブルがあって。でも不幸中の幸いっていうか、手元に残っていて良かったです。こうして直に手渡せましたから」

 

 テーブルの上で交差する二人の右手。差し出されたそれを受け取って、手のひらの中に抱え込む。

 

「ありがとう。開けてもいいかな?」

「どうぞ」

 

 送り主の許可を得てリボンを解く。包装紙を丁寧に剥がし、中から出てきた小箱を開ける。そこには、星を模った台座の中央で煌びやかに輝く淡い薄桃色の宝石が誇らしげに鎮座していた。

 

「これ――」

「クンツァイトっていう宝石らしいです。店で見たとき、健夜さんに似合いそうだなと思って」

「付けてみて良い?」

「もちろん。そのために贈ったものですから」

「ありがとう、京太郎君。えっと、あのね、これはどの指に填めれば良いのかな……?」

「そ、そうっすね。できれば、薬指にでも……」

「――っ、そ、そっか。うん、分かった」

 

 皆よく知っているだろうと思うけど、指輪は填める指によって意味が異なってくるといわれている。

 最もシンプルで有名なのが婚約指輪と結婚指輪。これらは決まって、左手の薬指に填める事が習慣として決められているという。

 京太郎君は薬指にでもと言っただけで「左手の」とは言わなかった。

 

 もしかすると彼は――私を試しているのかもしれない。ここで右に填めるか左に填めるかによって、私が京太郎君のことをどう想っているのかを知る事が出来るから……彼は本当にそれを知りたいと、そう思ってくれているのかな。

 ドキドキと胸の鼓動が高鳴る中で、私はその指輪を右手で摘む。その時点で、ごくりと息を呑む音が聞こえてきた。

 左手に填めるためには、まず右手で掴む必要がある。故に私が取った初動が既に、抱えている気持ちのすべてを表現してしまっているということに遅ればせながらに気付いてしまう。

 一気に頬の温度が上昇し、真っ赤になっていくのが自分でも分かった。

 

 そのまま微動だにできなくなった私。

 そんな様子を見て、京太郎君は意を決したかのように手の中から指輪を抜き取ると、まるで壊れ物を扱うような柔らかい手つきで私の左手を引き寄せる。

 

「あっ……」

「こっち、でいいんですよね?」

「――」

 

 こくりと頷いて、俯いた。

 それはあたかもシンデレラに与えられたガラスの靴であるかの如く。まるでサイズを予め知っていたかのようにして、ぴったりと薬指に嵌まりこむ薄桃色の輝き。

 それがあまりにも眩しすぎて……思わずだらしない笑みが零れてしまいそうになるのを必死で堪えながら、精一杯の笑顔を浮かべて私は言った。

 

「……どう、かな」

「はい。とてもよく似合ってます」

「ありがとう。大切にするね」

 

 雀士というのは主に指を使う職業だから、牌に傷をつけないためにも本来であれば指輪というのはあまり好んでつけたりはしないもの。結婚指輪のようにシンプルで引っかかるような装飾が付いていないのは別だけど、お洒落アイテムでデザイン重視のものは対局時に外すよう求められることも少なくない。

 でも、これは普段から填めていても厭味にならないくらい清楚な色とデザインで、とても可愛らしい。何よりこれを贈ってくれた彼の心が嬉しすぎて、この指輪を外すなんて選択肢はもう容易に選べそうもなかった。

 プロとしてのケジメもあるかもしれないけど、それ以上に私は女だったということか。

 注意されたらされた時のこと。いまはただこの幸せな気持ちを堪能して、後のことはその時に考えよう。

 

 

 まるで夢のような時間。しかし、ディナータイムは永遠には続かない。

 二人してデザートを食べ終わってしまった今、これ以上ここに留まっている理由はもはやない。話を続けるにしても、場所を変える必要があるだろう。

 彼が勇気を振り絞って渡してくれたというのなら、今度は私の番。

 決意を固めた拳を握り締め、ルームキーをテーブルの上に置く。

 

「あ、あのね。実は、お部屋の宿泊も……できちゃうんだけど……。一緒に……ど、どうかな?」

「俺のほうこそ聞きたいです。本当に、俺でいいんですか?」

「……私は、京太郎君じゃないと……イヤ、だから」

 

 それだけ搾り出すのが精一杯で。俯いた顔も頬が熱を持っているせいか、とても熱かった。

 

 

 

- PM11:00 -

 

 窓の外に広がる夜景を二人並んで見つめながら、どれくらいの時間が経過しただろうか?

 語る言葉は少なくても、伝わる思いはとめどなく。

 不意に、肩に回された彼の長い腕が少しだけ力を込めて私の身体を引き寄せる。

 

「改めて言わせてください。誕生日、おめでとうございます。健夜さん」

「あっ、ありがとう……京太郎、くん」

 

 じっと見つめ返される視線。ここには真実、私と彼と、その二人しか存在していなくて。

 ふわり――と身体が宙に浮いたかと思えば、近くには彼の胸板が。所謂お姫様抱っこというものだとすぐに気が付いて、おずおずと両腕を彼の首筋に巻きつけた。

 宙を浮かぶような感覚で、少しずつ視界がその場所へと近づいていく。

 一歩、また一歩と近づいていく。

 全体が綿毛に包まれるかのように、ゆっくりとベッドの中央へと沈む私の身体。

 目の前には真剣な表情をした弟子の――ううん、一人の男の人としての、京太郎君の顔がある。

 

「あ、あのね。私、こういうのは……その……は、はじめてのことで……」

「大丈夫、むしろ嬉しいっす。健夜さんの初めてを俺が――」

「あっ、京太郎く――」

 

 ――――――――――――

 ――――――――

 ――――

 ――

 

 ――バンッ!

 

 どことなくふわふわとした、夢のようなまどろみに落ちかけていた時、部屋の扉が豪快に開いた。

 

「ちょっと待ったすこやん! 東京でやっちゃうと条例違反だってあれほどいったでしょ――!」

「こっ、こーこちゃん!? な、なななななななんでここに!?」

 

 

『スクープ! 小鍛治健夜プロ(28)に熱愛発覚!? 誕生日のお泊りデート!!』

 

 目の前に突きつけられる新聞の一面。

 なんでも私と若い男が連れ立ってホテルの一室に入って行く姿をたまたま別件でそこを訪れていた記者が目撃し、スクープとして掲載したらしい。

 ハッ! と飛び起き――たつもりではあったものの、そこでふと大いなる矛盾に気が付いた。

 ていうかついさっきのことなのにいつの間に記事にして売り出したの?

 それよりこーこちゃんはどうして私と京太郎君がこの部屋に泊まっていることを知ってるの?

 いやいやちょっと待て。そもそもどうして私は長野で高校に通っているはずの京太郎君と、平日にこんな場所で優雅にディナーなんて味わっていた!?

 

 あれ、なんか状況が全体的におかしくない? てことは、もしかしてこれって――。

 

 

「――ッ!」

 

 ……あれ?

 キョロキョロと周囲を見回してみると、そこはよく見慣れたJR常磐線の車内だった。ついでにいうと、目の前には車掌さんらしき人物がいる。

 

「……?」

「お客様、終点の上野駅に到着いたしましたよ」

「上野、駅……?」

 

 ホームについてだいぶ経っていたのか、車掌さんと私以外には誰もいない車両の中で。

 椅子にもたれ掛かったまま、呆然と事態を反芻する私。

 アレが全部夢の中の出来事だったとようやく気が付いたのは、それからたっぷり五分ほど経過した後のことだった。

 

 

 

 

[現実]

 

- AM8:00 -

 

 子供の時にはただ単純に嬉しかったことなんかでも、大人になると憂鬱にならざるを得ないことがある。

 小学生の頃は大喜びで追い掛け回していた昆虫なんかを大人になって見てみたら、予想以上にグロテスクな構造で思わず引いてしまったり。

 あるいは大きな容器に入ったアイスや水飴なんかを思う存分食べてみたいという願望を大人になって実行した時に感じる「あの時の夢ってこの程度か」という失望感にも似た感覚。誰もが一度は味わった事があるものだと思うけれど。

 

 今回の()()は、それらとはベクトルが違うものの……似たような環境にある女性はおそらく皆一様に感じている虚しさというか、焦りというか。そういったものを共感してもらえるのではないかと思うわけ。

 できればしれっと回避したいという願望、でも私が人である以上は避けようとしても避けられない現実との板ばさみ。まさにその人一人分の隙間がようやく開いているかどうかといった感じの隙間に挟まれた状態で、今朝方の目覚めは訪れた。

 

 ……はぁ。

 目覚めと共に深いため息を付くいまの私は、おそらく幸せからはほど遠い存在であるといえるだろう。

 ちらりと目覚まし時計を見てみると、デジタルの数字の隣に小さく刻まれた『11月7日(MON)』の文字。

 ああ、また今年もこの日がやってきてしまったか……。

 もやもやとした感情が渦巻いている心内を無理やり晴れ渡らせるようにして、ベッドから身を起こし、伸びをする。

 

「ん~……っ!」

 

 ふと、ベッドの枕元に置かれっぱなしになっていた一冊の小説のタイトルが視界に映った。

 ――特別でないただの一日。

 あの物語に登場していた二人の女の子たちのように、私にとっても今日という日がただの一日になってくれることを祈らんばかりだと思いつつ、お母さんの作ってくれた朝ごはんを食べるために部屋を後にした。

 

 

 月曜日。それは悪魔の誘いであるかの如く――というのは若干大げさに過ぎるけど。

 週休二日制が主流になってからこっち、特に月曜日に対する世間様の風当たりは強い。金曜日のそれと比べると目も当てられないくらいに。事実、私も小瀬川さん程ではないにしろ、月曜日の朝の出勤は正直とてもダルかった。

 それでも今日は朝からクラブハウスに行かなければならない理由もあって、憂鬱な気分を引きずっていながらも朝も早くからきちんとこうして出勤してきているんだけど。

 

 特にイレギュラーが発生しない場合、月曜日のスケジュールはだいたいこんな感じかな。

 午前九時を回る頃に選手スタッフコーチ陣のほぼ全員が揃って、定例のミーティング。だいたい週内の練習スケジュールの調整だったり、次の対戦相手の情報を交換をする場だったりするんだけど、社長のムダに長い社訓という名の自分語りだけはどうにかして早々に打ち切りたいというのがその場に集う全員の共通した認識である。

 午後は練習という名の後輩指導――だけど、私個人が実際に卓に付くことはあんまりない。コーチ陣曰く「小鍛治さんにこいつらと同じレベルの練習とか必要あんの?」だそうで。むしろ指導役に借り出されることのほうが多い。選手分のお給料しか貰ってないはずなのに、この辺は普通に理不尽だよね。

 

 まぁ、その代わりといっては何だけど、私はよほど他にやることがないという状況でもない限り、月・火曜日の練習に顔を出すことは強制されていない。といっても完全なオフというわけではなくて、やるべきことは色々とあったりするけれど。お昼過ぎから練習に合流することもあれば、雑誌の取材を受けたりラジオの収録を行うために都内へ行くこともあるし、お仕事に応じて自由行動が許可されているといったところかな。

 

 

 ――で、本日の小鍛治健夜さんのご予定はというと。

 まず、来季のチーム編成における補強に関する最終的な打ち合わせ――という名前の雑談というか、聞き取り調査が待っている。

 このまま一部リーグに昇格したとして、きちんと運営が出来るかどうかなんてことは正直なところ私にはさっぱり分からない部分だ。そういうところは専門職の事務員さんたちにお任せしておいて、私が主に担当する部分は来季のチーム分けに関するアドバイスというか、意見を述べること。

 

 現状のレギュレーションに則ると、試合は一週間に二度行われる。と言っても二日に分けるのではなくて、朝十時~昼過ぎまでの半荘戦×五戦、三十分の休憩を挟んでそこからまた半荘戦×五戦を行うという風に、一日に二ゲーム行われるのが今の主流となっている。

 この形式が来季も採用されることはほぼ確実で、そうなると一つのレギュラーチームだけで回していてはどうしても疲労の蓄積具合がハンパないことになってしまう。

 

 今は午前と午後で二人メンバーを入れ替えて何とか回している状態だけど、わりとプレッシャーが緩々な二部リーグでならばともかくとしても、精鋭が集う一部リーグでそれをやると連続で戦う選手に大きな負荷がかかってしまうことになるのは確実だ。

 そこで、一部の常連クラスに名を連ねる各クラブなんかは、だいたい常に動かせるよう三チームくらい持っていて、トップチームを固定しつつ以下のサブチームを疲労具合によってローテーションで使う、という形式を採用している所が多い。

 

 まぁ、トッププロと称される人たちは連続で試合に出続けるなんてことも普通にこなすものなんだけど……それは逆に言えば、疲労を抱えた状態でも万全な状態のサブ選手よりもチームにとってより高い効果を発揮できるという確固たる信頼を勝ち得ている選手、つまりはエースと呼ばれる者たちにだけ許されている特権ともいえる。

 今つくばの若い子達にそれを望むのは少々酷というものだ。将来的には別としても、実際にその重圧を受けたことのない未知数の状態で一期丸々対策も講じずにポジションを任せ続けるなんてチャレンジャーなことはさすがにできないし、保たないのは試すまでも無く分かりきっていることだった。

 

 まずは一部に残留すること――うちのような昇格クラブにとってはささやかながらもそれが間違いなく第一目標となるのだから。

 

 

 ま、そんな感じで来季はつくばも内部にチームを二つ、ないしは三つほど抱えてシーズンを戦おうという流れになっているらしく、予想される激しい戦いに耐えうる人材を広く集っているのが現状である。

 週明けに行うチームミーティングを終えて、先日持ち込んだ案件の最終打ち合わせをする時間がやって来た。

 

「……私もインターハイの試合は見ていました。だけど小鍛治プロ、この選手はつくばのチーム方針に合いますかね?」

 

 メガネをかけたいかにも仕事が出来ます的な雰囲気を醸し出している妙齢のこの女性、クラブお抱えスカウトの三木さん(元プロ雀士)というんだけど。

 彼女が言うところのチーム方針というのは、所謂『地元との繋がりを大切に』というものだ。子供たちへの麻雀教室もその一環。ただし、選手もできるだけ茨城に所縁のある人を取りたがる部分があって、少しだけ融通が利きづらい部分でもある。

 もっとも、ここ数年は地元から有力なスター候補選手が出てこないため、外部から招き入れざるを得ない状態が続いてはいるんだけどね。

 

「地元密着型を目指すのも大切ですけど、肝心の人材が地元から出てこないことにはどうしようもありませんから……ただ、彼女の将来性は私が保証しますし、我が極端に強いタイプでもないので方針から外れてスタンドプレーに走るようなこともしないと思います」

「ふむ……問題は競合先がありそうなところですか。まぁ、他に宛もないような状況で小鍛治プロ直々の案件を袖にする理由もありませんけど」

 

 ほっとため息を漏らす私。元から許可を取っていたにも拘らず、こうしてチクチクやってくるのがこの人の悪いところだと思う。

 まぁ、名の知れた私が表立って派手に青田刈りのような行為をしないようにと釘を刺しているんだろうから、それが分かっている以上もちろん口答えはしないけど。

 

「将来性がある、実に結構な話じゃないか。でも小鍛治君、育ってから強豪チームに引き抜かれてゼロ円移籍でハイさよならっていうのはクラブとしても非常に困る。その辺はどうなんだね?」

「それは、まぁ……」

 

 ない、とは言えない部分も確かにある。

 いくら人が良さそうで情に篤い人間であっても、将来的にずっとそのまま変質しないでいてくれるとは誰も保障なんて出来ないのだから。

 今は彼女にとってプロの舞台というのは憧れそのものであって、煌びやかなステージに見えているのかもしれないけれど。実際に自分の足でそこに立つ事が増えて来た時、彼女がその胸の内にどんな彩の感情を抱くのかは未知数だ。

 もしかすると私のようにそこに灰色で無機質なモノを見てしまって舞台から去って行くかも知れないし、虹のような輝きを見つけ、より豪華なステージに上り詰めたいという野心――いや、あえて向上心と評しようか。を抱いて別のクラブへの移籍を希望することもあるかもしれない。

 

 でも、それは仕方が無いことなのだと割り切るしかないのである。

 私は彼女を再び窮屈な茨の檻に閉じ込めるがためにここに呼びたいわけじゃない。彼女の才能が大きな黒翼となって大空へと羽ばたくことができるなら、それを繋ぎ止める理由こそが私にはないのだから。

 もちろんそれがクラブを応援してくれているファンの人たちの信頼をも裏切る行為になってしまう可能性はどうしても捨てきれないことだけれども。

 

「大きな獲物を逃がさないですむように――将来的に、つくばが魅力のあるクラブになっていれば問題は無いんじゃありませんか?」

「……それはその通りだがね。難しいことを簡単に言ってくれるなぁ」

「そうですね。でも、私はあの子は義理堅いと思いますよ。もちろんそれに胡坐をかいていいわけではないとも思いますけど、最後はやっぱり誠意と誠意じゃないですか。少なくとも、あの子が最初からここを踏み台にするつもりがあるような野心家じゃないということだけは、小鍛治健夜の名前と一緒に保障しておきます」

「そうか。実際に背負う必要も無かった義理を果たしてこのクラブを救ってくれた他ならぬ君の言葉だ。私がそれを信じないというのはさすがに恥知らずに過ぎるだろう……分かった。三木くん」

「――はい」

「女子一位指名は姉帯豊音でいく。条件面は上限一杯、きちんと詰めて先方にはできるだけ早く連絡を入れておいてくれ」

「了解しました」

 

 

 想定通りの言葉をきちんと引き出せたこともあって、肩の力を抜いてソファにもたれかかる。

 一礼して会議室を出て行った三木さんの後姿を眺めながら、ふと。社長が懐から丁寧に装飾が施された何かを取り出したのを見て、何度か瞬きをしてしまう。

 にっこりと笑いながら、それは私の目の前のテーブルに置かれた。

 

「あの、社長?」

「誕生日プレゼント、というやつだ。君はあまり喜ばないかもしれないが、私からの個人的かつささやかなお礼だと思って受け取ってくれないかね」

「い、いえ。ありがとうございます」

 

 正直、この歳になって家族以外の誰かから祝福の言葉を貰えるなんて思ってもいなかったから普通にビックリしてしまった。しかもプレゼント付きである。

 手のひらに乗るくらいのサイズで、きちんと包装されてリボンまで掛けられている四角状の物体。

 こういう場合って、すぐに開けてしまうのはマナー違反だよね? それとも開けずに仕舞ってしまうほうが失礼なのかな……ど、どうしたらいいんだろう?

 

 まさかの事態に思考は定まらず、受け取ったまましばらく呆然としてしまう。そんな困惑気味な私の様子を見てか、社長は苦笑しつつもう一つ何かをテーブルの上に置いた。

 封筒のようにも見えるそれは、皺一つ無い状態で目の前に置いてある。これは、もしやこれもプレゼントということだろうか?

 

「うむ、なかなか面白い反応を見せてくれたからもう一ついいものを君に渡しておこう。東京の某高級ホテルペア宿泊券、ディナー付きだ」

「――!? ホテルのペア宿泊券!?」

「ディナー付きだ」

 

 いやそこを念押ししなくてもちゃんと聞こえてますから!

 ええと、ペア宿泊券ってことは当然二人で泊まる事が前提になっているということだから、つまり……。

 

「小鍛治君もそろそろ良い歳だし、どこかにホテルに連れ込みたいような好い男はいないのかね? ん? ああ、でもゴシップ的なスキャンダルは困るがね」

「つ、連れ……っ!?」

「――社長、それは普通にセクハラですよ」

 

 私がまともに対応できていないのを見かねてか、扉の向こうから三木さんが現れる。

 お盆を右手に乗せた状態で持ちながらも、いくつかの書類を左手に持っているところをみるに、もう先ほどの案件を処理してきたのだろうか。さすがにちょっと早すぎない?

 

「まったく、小鍛治プロが初心なのをいいことにおからかいになるなんて。そういうのはせめて私がいる時になさってください」

「すまんな。つい待ちきれずに始めてしまった」

 

 って味方じゃなかった!?

 ニヤニヤとしながら私の前に紅茶の入ったカップとケーキを一つ置いていく。

 そのケーキは表面が艶々としたチョコレートによって綺麗にコーティングされている、オーストリアの銘菓ザッハトルテ。私の好物の一つだった。

 

「小鍛治プロは今日は練習に参加しないと聞きましたので先にこれを。ああ、チームの皆さんが誕生日プレゼントにと色々と買って来て冷蔵庫に冷やしてあるので、退社の時に持って帰るのを忘れないようにしてください」

「え? これだけじゃないの?」

「ええ、シュークリームから瓶入りプリンまで、なんだか色とりどりたくさんありましたね。一番好きそうなものを持ってきましたが、まだあと十個くらい箱の中にありましたよ。きいちゃんが言うには全部小鍛治プロのものだそうで」

「十個も……」

 

 きっと面と向かって「誕生日おめでとう」と言わないのは、普段からこーこちゃんによる風評被害で過敏なほど年齢を気にしている私に気を使ってくれたのだろう。

 それでも皆がケーキを買って来てくれたというのは、なんだろう。ちょっと嬉しい。

 

「あとこれは姉帯豊音さんに提示する条件です。一応担当として確認をしておいてください。食べた後で構いませんので」

「あ、はい。ありがとう三木さん」

「いいえ。同じ女性として複雑な気持ちはよく分かりますから、あえて続きの言葉は納めておきます」

「う、うん。でもそれって言っちゃうとあんま意味無くないですか?」

 

 そんな素朴な疑問にあえて返答をすることなく、一礼して去っていく。

 やっぱりあの人曲者だなぁ、なんて心の中で漏らしつつ、まずは目の前のザッハトルテを切り崩す作業に没頭することにした。

 

 

 

 社長から頂いた二つのプレゼント。片方は東京の高級ホテルの宿泊用チケットで、もう一つは、薄い白銀色のチェーンの先端部分に十字の飾りがあしらわれているネックレスだった。

 ああいや、正確には十字というよりは中央に据えられた無色透明の宝石(ホワイトトパーズ)を中心にして、そこから三枚の小さな羽根と一枚の大きな羽根が四方に向けて咲き誇っているといった感じだろうか。それぞれの羽根の部分には大小四つもの眩い黄金色の宝石が填め込まれていて、その周辺を飾り付けるようにしてオレンジ色と無色透明の小さな宝石たちが交互に鏤められている。

 羽根の部分に用いられている黄金色の宝石は、おそらく黄玉(トパーズ)と並んで十一月の誕生石といわれている黄水晶(シトリン)だろう。

 メインの宝石の大きさといい、あしらわれている周囲の宝石の数といい……これ、けっこうお高いんじゃないの? と思わず手を引っ込めてしまったのもご愛嬌。デザイン自体は可愛らしくも上品で、とても気に入った。

 

 もし社長がもう少し若くて独り身だったとするならば、思わずコロッといっていたかも知れないけれど……それはまず有り得ない。相手は六十過ぎのお爺さんだし、娘さんは私よりも年上だ。

 さらには箱の中に添えられていたメッセージカードに「次は彼氏から貰える事を願っているよ」なんて丁寧な楷書体で書かれていれば千年の恋も冷めるというもの。まぁ、一年未満ほども恋心は芽生えてすらいなかったけどさ。

 

 近くに置いてあったパソコンで調べてみたら、パワーストーンとしてのシトリンには幸運を齎してくれる力があるという。

 暗にドラフトのくじ引きの時はお願いするよと言われているような気分になってちょっと億劫になったものの、アクセサリに罪はない。せっかくの心遣いなのだからここはありがたく貰っておくことにして、本題のほうに入ることにしようかな。

 

 姉帯さんへ提示される条件をぱっと読んでみたところ、高校卒業と同時に指名される新人のものとしては、わりといい感じの契約内容になっていた。

 私自身がお給料を限度額一杯まで下げていることもあって、もし私が連れてきた子ならば似たような境遇でも許されると勘違いしていたらどうしてくれようかと思っていたけれど、そんな危惧は綺麗さっぱり消え去ったといえるだろう。

 社長が限度一杯と言ったように、初のドラフト参戦ということでここは妥協せずにきちんと頑張ってくれたのが契約内容からも見て取れる。感謝しないとね。

 

 帰り際に室内練習場に寄ってチームの皆にケーキのお礼をしておきつつ、帰路に着く頃には十二時を軽く超えていた。

 

 

 家に着いてからお母さんが用意してくれていたお昼ご飯を食べ、皆から貰ったケーキを冷蔵庫の空いた部分に強引に詰め込んでから部屋に戻った。

 ついでに社長から贈られた例の宿泊チケットを取り出してみる。

 そこには、東京の中でも老舗であり超有名どころのホテルの名前がはっきりと書かれていて、しかも超スイートルームっぽい部屋番号が記されていた。

 

 社長は一体これをどういう経緯で入手したのか……素直に私のために用意した、と考えるのは素人のすることだ。あの人は私がこれを貰ったところで一緒に行くべき人物が不在であるということをよく分かっているはずで、だからこそ最初からその目的ありきで手に入れたわけがないと断言できる。

 まぁそれを差し引いても、この『ディナー付き』というのは大変に魅力な部分ではあるけれども。あそこのレストランは全体的にお高いけれど、値段に見合うだけのお味だそうだし。

 私にこれをくれたということは、宿泊というよりはそちらがメインということなのだろう。ああ、念を押すように二回言っていたな、そういえば。

 

「……食事だけでも行ってみようかな」

 

 そこまで言われるほどの料理となれば、一度くらいは食べてみたいという欲求は私にもある。この場合は自腹ではないというところがミソだね。

 花より団子と言う無かれ。相手がいないんだからしょうがないでしょ。

 連れ込みたい男――なんて、いたら速攻結婚に向けてまっしぐらだっていうのに。

 そもそも携帯電話に登録されている自分と同年代か年齢以下の男の子なんて数人しかいない。それも全部つくばのクラブ関係者、つまりビジネス上の定期連絡網だというのだから世も末だ。

 となると、最初に候補として思い浮かぶ異性は必然的に京太郎君ということになる。でもなぁ……。

 

「今晩暇? 暇だったら私と一緒にディナーでもどうかな? もちろんお金はこっち持ちだし、宿泊場所も提供するよ」

 

 ――なんて。

 いくら京太郎君が寛容でも、いきなりそんな意味の分からない電話をかけたりしようものならさすがにドン引きされること請け合いである。

 週明けの月曜日に食事のためだけに長野から出て来いというのは、傲慢にしても酷すぎるでしょうよ。

 それにたぶん、あの子は今日が私の誕生日であることを知らないはずだ。催促のような電話をかけるのは非常にみっともないし、なんというか自尊心のようなものが許さない。

 大人としてのものなのか、はたまた女としてのものなのか、あるいは師匠としてのものなのか。

 ……まぁなんでもいいや。どれでもたぶん残念具合は似たようなものだろう。くすん。

 

 だがしかし、そうなるとペア宿泊券を活かすために誘いをかけられそうな相手というのは、性別に関わらず一人しか該当者がいない。

 友好関係が狭いのは事実だけど……はぁ、こういう時に面倒くさい選択肢が発生しないというのは果たして喜ぶべきなのか、それとも悲しむべきなのか。

 慣れた操作で見覚えのある番号を呼び出して、コールする。しばらく待って相手が電話口に立ったのを確認して、

 

「――あ、突然ごめんね。今大丈夫? あのね、今晩なんだけど――」

 

 

- PM5:30 -

 

 というわけで、私はこうして普段着に毛が生えた程度のお洒落をしつつ電車に乗って上京してきたわけだけども。

 特に疲れていたということもないのに、まさか電車の中で夢を見るほどの眠りについてしまうなんて……しかもなんだ、あの内容。願望垂れ流しにも程があるじゃないか、私の頭よ。

 肝心の部分があやふやなのも実にそれらしいというか……言ってて虚しくなるからそれはもういいや。

 切ない事実は夢の内容もろともに記憶の隅にでも封印しておくことにして。約束の時間までもう少し余裕があるから、喫茶店にでも行って頭をきちんと冷やしておこう。

 

 

 

 

- PM9:00 -

 

 綺麗な夜景を望む高級ホテルの一室にて、ふと思う。

 ……こんな調子で私は本当に恋愛結婚できるのだろうか、と。

 料理は確かに美味しかったし、この部屋から見える景色も一流だ。でも、傍らに佇むのは理想的な男性というには程遠く――。

 

「うっわー、なにこれ! さすが一泊ン万超えのスイートルーム……格が違うぜ。いやぁ、これはシャチョーさんに感謝しないと」

「……そうだね」

 

 ベッドの上でぴょんぴょこと跳ね上がりながら、嬉しそうに笑い転げている相方の福与恒子さん。

 

 彼女の言うように、たとえ自腹でも二度と泊まることはなさそうなほどに豪華な装丁の部屋であることだけは間違いない。

 それが余計に惨めというか、切なさを醸し出している要因でもあるんだけども……。

 ただ一つ、あの夢で見た光景が欠片一粒ぶんでも良いから現実の光景であればと願わなくも――ああでも、そうなれば条例違反待ったなし! になるわけで。どちらにしろ一夜の()()で終わるなら、このままのほうがいいのかもしれない。

 

 悲しいけど、これが二十八回目の誕生日の現実なのよね。はぁ。

 

「すこやんなにしょぼくれてんの?」

「ううん、なんとなくこうなるんじゃないかなと思ってただけ……気にしないで」

 

 結局、社長からの粋なプレゼントはこうして女二人で慎ましやかに消費されていくことになった。

 まぁ今はまだ、こんな感じでも良いのかなと思わなくもない。

 ――だって、あの子が一人前の紳士になるまでには、まだまだ時間がかかりそうだから。私が淑女になるまでにもね。




という感じで、作中で無事(?)に28回目の誕生日を迎えた健夜さんでしたとさ。

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