「悪いな、あずみ。休憩時間にも関わらず付き合わせてしまって」
先頭を歩いていた征士郎が、その少し後ろを歩く従者の一人に詫びた。
場所はなんてことはない九鬼極東支部へとつながっている地下通路である。しかし、今は日も暮れ、蛍光灯に照らされた通路は少し不気味であった。
4人――征士郎が目的の場所へと迷いなく歩を進め、その後ろを他3人がついて来ている。彼ら以外に人影はない。時折流れるアナウンスが通路全体に響いている。
「いえ、緊急の用件と李からは伺っていたので構いません」
忍足あずみ(おしたり・あずみ)。九鬼従者部隊の序列1位。現在の九鬼は若手育成に舵をきっているため、他の一桁台に席を置く者――老人らを差し置いて、彼女が据えられていた。加えて、征士郎の弟である英雄の専属従者でもある。
茶髪のショートボブをセンターで分け、武器に小太刀を使う風魔忍者。傭兵をしていた頃、ある事件を切っ掛けに九鬼従者部隊に入り現在に至る。
そこで別の従者が声をあげる。
「征士郎様、一体どこへ向かっているのですか?」
李静初(りー・じんちゅう)。短い黒髪に涼やかな瞳の元暗殺者。序列14位。あずみの部下でもあり、クラウディオに鍛えられ頭角を現している若手の一人である。全身に仕込まれた暗器を使い、戦闘をこなす。
同時に征士郎の専属従者である。元暗殺者――過去に九鬼帝を狙った者という前科があるため専属にすることは局を始め多くの反対があったが、働きぶりとその性格から判断した征士郎は李を指名したという経緯がある。
李の隣を歩いていたもう一人の従者が、それに相槌を入れる。
「ただの散歩なら李一人で十分ですもんね。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?」
ステイシー・コナー。オレンジのウェーブがかった髪をツインでまとめ、クリクリとした青い瞳が陽気さを感じさせるが、彼女の経歴も他2人に負けず劣らず、『血まみれステイシー』の呼び名で戦場を駆け回っていた元傭兵である。
序列は李の一つ下で15位。李とは同期であり上司は同じくあずみ。彼女を九鬼へ引き入れたのはヒュームであり、それ以降彼のシゴキを受け続けている。悪態をつきながらも着実に力を伸ばしている従者の一人である。
そうこうしている間に、征士郎が警報装置の前で止まった。赤いランプの下にはカバーがかけられたボタンが設置されている。押せばたちまち甲高い音が鳴ることは、容易に想像できた。
しかし、征士郎は気に留める様子もなくカバーを開き――。
「ステイシー風に言うなら――」
その警報装置のボタンを押しこう続けた。
ロックな殴りこみだ――。
警報が鳴ることはなく、代わりにその傍の壁が音もなく開いた。偽装されていた扉――どうやら、そのブザーが合図になっているらしい。
入口から中を覗くと、階段が地下深くまで続いているようでまるで先が見えなかった。
□
「な……なんだこりゃ?」
その異様な光景に声をあげたのはステイシーだった。
4人がようやくたどり着いた先は、ほの暗い一室。そこには緑色に発色している液体で満たされた容器――それが数えられるだけでも十数本並んでいる。サイズにして大人がすっぽりと入れるほどである。またゴポゴポと不気味な音ともに、容器の下から上へと気泡が昇っていた。
その容器の奥では何らかの機械が稼働しているのか、電子音が微かに聞こえている
注意深く辺りを探る中、あずみがその容器に取り付けられたラベルを読みあげる。
「平清盛、足利尊氏、北条政子……?」
「こちらは武田信玄、明智光秀……豊臣秀吉と書かれています」
李の見ていた場所は戦国時代の武将の名が並んでいた。
征士郎はそれらの名を聞きながら、少し考えをまとめているようだ。彼の後ろにはステイシーが立ち護衛に勤めている。その両手には銃が握られており、先ほどまでのお気楽な様子は微塵もない。
ウィン――。
唾を呑みこむ音も聞こえそうな静寂を破る扉の開く音。
それに反応したあずみと李は観察をやめ、征士郎の前へと立ち盾の役目を果たす。あずみは小太刀を抜き、李は飛刀を指へと挟みこんだ。従者たちの瞳がすぅっと細くなり、それにともない空気が張り詰めた。
「武器を下ろしな、ガールたち。戦闘をする気はこちらにはないよ」
暗がりの先からしゃがれた声が聞こえ、次いでその声の主が姿を現した。
あずみはそれでも武器を下げることなく声を荒げる。
「マープル! なぜお前がこんな所にいる?」
「おや? ここの事に気づいたから、足を踏み入れたんじゃないのかい?」
マープル。九鬼従者部隊序列2位にして、星の図書館と称されるほどの知識を有している老女である。まるで葬式に出席するような黒のドレスに、顔を隠してしまいそうなツバの大きな黒帽子、そして、その手には黒の日傘が握られている。その姿は物語に登場する魔女に陰気な雰囲気を纏っていた。
その後ろには笑みを浮かべたままの桐山鯉――青髪の青年が控えている。彼もここにいる者たちと同じ従者部隊の一員であり、序列42位。従者の間ではマザコンとして有名な男である。
征士郎は盾となっている二人の肩を叩くと、そのまま前へ進み出た。
「この場所に気付いたのは俺だ、マープル。まぁ……何が行われているのかは知らなかったが、とりあえず危険はなさそうだったから最低限の人数で踏み込んだまでだ」
「これはこれは征士郎様。貴方様は揚羽様ほど頑丈ではないんですから、危険はなさそうなどという曖昧な感覚でほいほい飛びだされては、護衛する身としては困りますがね。そういうのは帝様お一人で十分ですよ」
「確かに一理ある……が、生憎俺はそこらの一般人と同程度の感覚ではないんでな。なんなら、今俺達が立っている下の仕掛けを作動させてさらに地下深くまで落としてみるか?」
征士郎はカンカンと足を鳴らした。落とされることなど微塵も考えていないらしい。
マープルはその言葉を聞いてニヤリと笑う。
「恐ろしいお方だね」
一呼吸おきマープルがさらに喋り出す。
「私の負けです。まさか征士郎様を傷つけようなんて、これっぽっちも考えていないさ。しかし、帝様の仰られたことは正しかったか……ガールたち、いい加減その物騒な殺気を仕舞いな」
「その口ぶりだと父さんはここの存在を黙認していたんだな。ヒュームとクラウディオあたりはもちろん承知の上か……」
「ええ。あの二人が最初にここの場を探り当てましたからね。そして、当然帝様へと報告がいき――」
マープルは何の抵抗をするでもなく、この施設がなんであるのか、そして何を計画していたのかなど洗いざらい全て話し始めた。日本の現状。さらには将来に希望が持てないこと。若者の頼りなさ。それを阻止するためのクローン技術による偉人復活。そして、その偉人による日本統治。
この計画の総称は『武士道プラン』。
征士郎は、その話に口を挟むことなく静かに聞き入っていた。
しかし、九鬼を乗っ取ることも辞さないと聞いたとき、征士郎の後ろに控えていた3人の雰囲気が強張る。忠誠を誓う者にとってその話は聞き捨てならなかったようだ。
しかし、マープルがそれを気にした様子はない。
「帝様にはこう言われたよ『おもしろい。やれるものならやってみろ。そして、成功したなら、そのときはお前の好きにしたら良い』と」
「我が父ながら豪胆というか何というか」
マープルはそのときのことを思い出したのか、くっくと喉を鳴らす。
「その場にいたヒュームもあのクラウディオも一瞬呆気にとられていたよ。もちろん、私もだがね。そして、最後にこう付けくわえられた『俺の子供たちは手強いぞ。少しでも手抜いたら、喉元に噛みつくからな』と」
(これくらいに対処できないなら、全てを統べる九鬼も任せられないか……)
征士郎は軽くため息を吐いた。信頼してもらえるのは嬉しいが、賭けられているチップが九鬼財閥というぶっ飛びようである。
マープルはそんな彼を見ながら、言葉を重ねる。
「加えてこうも仰られた。『特に征士郎には注意しときな』と」
「俺に、ねぇ……」
「それに反して、征士郎様は何の動きも見せることはなかった。計画は順調そのもの。そして、私の予測ではここが露見するのは計画が発動してからのはずだった。そのときにはもう手遅れの状態でね。それがどうだい? 征士郎様は何かを調査したわけでもなく、ここを探り当てられた。序列1位、14位、15位といった若手筆頭を引き連れて。いっそ清々しいほどだ。こりゃあ、征士郎様の目の黒いうちは悪いことはできないね」
「少なくとも、悪いこと企むなら俺の目の届かないところがいいかもな」
「それは世界の裏側でしょうか? それとも……」
「星の図書館と呼ばれるほどだ。どうせなら、地球にこだわることを止めたらどうだ?」
マープルの笑みは深くなる。
「そうですね。覚えておきますよ」
マープルは自身の計画が上手くいかなかったにもかかわらず、どこか満足げであり遂には声を出して笑いだした。その後ろで、桐山はこの世の終わりだとでも言わんばかりの表情を作っていたが。
征士郎が口を開く。
「とりあえずは、その九鬼家分裂の危機を未然に防げたってことでいいんだな?」
「ここがばれた以上、私は何かをしようとは思っていません。どのような処分が下ろうと甘んじて受けましょう」
「それについてはとりあえず父さんとも話し合わないとな。ただし、九鬼から追放するなんてことはしない。その頭脳、これからも九鬼のため、民のために活かしてもらう。加えて、この事は他言無用だ。余計な混乱を起こしたくないからな。マープル、お前に加担した者にはお前から全てを伝え、最後にこう付けくわえておけ」
『納得できない者がいるならば、九鬼征士郎がいつでも相手になろう』
マープルは静かにその頭を垂れた。
◇
場所は打って変わって、征士郎の自室。
マープルの計画を阻止したあと、征士郎は彼女から提出された資料に目を通していた。
「父さんは隠れて、こんな面白……んん、興味深い計画を進めていたとは。川神を掃除していたのは、紋が俺達と同じ学園に通うからという理由だけではなかったのか」
「帝様なら、それだけの理由でも掃除をなされた可能性はありますが」
李が相槌をうった。
「あり得るな。まぁ父さんがやらなければ俺が直々にやっていたかもしれんが」
「征士郎様は紋様のことを大切に思われているのですね」
「妹を守るのは兄として当然だ。それにきな臭い場所も早々に何とかしておきたかったしな。今回の件は俺にとっても渡りに船だった」
征士郎は資料をめくり、目を見張った。そこには武士道プランによって生み出されたクローンの簡単なプロフィールが載っている。
「おいおい……源義経、武蔵坊弁慶、那須与一は俺の一つ年下で、葉桜清楚にいたっては同い年だと? どれだけ長丁場で計画が練られていたんだ? マープルめ、さすが最古参の一人といったところか」
「征士郎様、こちらは片付いたので反対をお向きください」
李の声が征士郎の頭上から降ってきた。それに反応して、彼は手に持っていた資料をテーブルで置く。
「うむ。こんなことまでしてもらってすまないな、李」
「いえ、好きでやっていますので」
征士郎は体を反転させると、また李の太腿へと頭を置いた。現在、耳掃除の真っ最中。
顔は李の方へと向いているため、征士郎は目を閉じ、じっとしている。甘い香りが鼻孔をくすぐり、ともするとまどろんでしまいそうでもあった。
テーブルの上には李特製のアロマが置いてあり、征士郎のリラックスに一役買っていた。しかし、その大半は彼女の膝枕にあるのかもしれない。
李は傷つけないように、慎重に耳かきを動かす。
「しかし驚きました。マープル様があのようなお考えを持っていたなんて」
「だな。若造が信用できないか……いつか、ぎゃふんと言わせたいもんだ。いや言わせる。でも何事もなく片がつきそうでよかったよ。仮に計画が上手くいってたら、川神を巻き込んだ騒動になってただろうしな」
「征士郎様もよくお気づきになられましたね」
「……まぁあれだ。俺の中の何かが囁いてきたんだよ、ここに何かあるってな。あとは俺の左腕で辺りの構造を解析したら――」
「あの場所を発見したと?」
「技術を持っているのは何もマープルだけではない。今の俺なら007の真似ごとくらいできるさ」
この左腕もあるしな、征士郎はそう付け加えた。
「御冗談を……そのような任務は従者である我々におまかせください。無茶をなされば局様が悲しまれます」
「そう言われると弱いな。……このあとの予定は?」
「21時よりヒューム様による鍛錬。22時より座学。23時30分よりインドのシン氏との会談が組まれております」
「ふむ。強くなるチャンスが早速きたな」
「私の話を聞いていてくださいましたか?」
「もちろんだ。しかし力はあるに越したことはない。いざというときの選択肢は多くなければ」
「そのような状況に陥らせないための私達ですが?」
「む? そう拗ねるな。もちろんお前たちのことは信頼している。だが、いつ何が起こるかはわからないものだろう? 豪運の持ち主と呼ばれる父ですら3回誘拐されたことがあるのだからな」
しかし、その3回の誘拐も難なく切り抜け笑い話にするあたり、さすが帝である。
征士郎もそのときの話を面白おかしく聞かされたことがあった。そして、一度ぐらいは誘拐も経験しとけと息子である彼に薦めてくる始末。それを聞いた局は割と本気で怒り、帝がアタフタしていたのを覚えている。
「帝様は、その……なんと言いますか……ある意味、超越された存在ですね」
李の優しく包まれた言葉に、征士郎はたまらず笑い声をあげた。
「母曰く、未だ宝探しに夢中な目の離せない人……らしいがな」
耳掃除を終えた李が、立ち上がった征士郎にコップを差し出す。彼はそれを受け取ると一気に飲み干した。
「今日はまた少し味が違うな?」
「征士郎様の体調管理も私の大事なお役目ですので」
「俺に合わせて調合し直してくれたというわけか。真剣な目つきで俺を見ていたのは、反応が気になったからか?」
征士郎は空になったコップを差し出した。それを受け取りながら、李は先の言葉に少し慌てる。
「その……私の方でも味見をしていたのですが、お口に合うかどうか気になったもので」
「良薬口に苦しというが、これに限って言えば十分旨いぞ。おかげで俺は日々健やかに過ごせている」
「その感謝はあずみ汁を教えてくれたあずみにお伝えください」
「元は確かにあずみ汁だろう。しかし今では、英雄の飲んでいる物とは全く別物であると俺は認識しているぞ」
征士郎の言葉通り、これは一番近くで彼を見てきた李が、彼女の得意分野でもある漢方を織り交ぜ作りだしたもので、言わば征士郎専用のものである。
最初の頃は失敗も多かったが、あずみやクラウディオ等に意見をもらい、現在では征士郎の体調に合わせなんなく作れるようになった。
褒めてほしかったわけではない。しかし、主である征士郎に違いが分かってもらえていたことが、嬉しかった。
李の瞳が一際大きく見開かれた。征士郎は笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「感謝している。では行ってくる」
征士郎は固まっている自身の従者の頭をポンと撫でると、颯爽と部屋を出て行った。
「勿体ないお言葉です……」
誰にも聞こえることのないか細い声が、静けさの中に溶けて行った。
九鬼帝の命を狙った身でありながら、今ではその息子である征士郎の傍に立つことを許されている。我ながら数奇な運命を辿っていると李は思った。
優秀ならばと自身の命を狙った者さえ雇い入れる帝も帝だが、息子も息子で変わっているのだろうか。
少しの間、李は過去へと思いを馳せる。
李の序列14位は、専属になったことで、主により相応しくと頑張った結果です。
6.21 修正