真剣でKUKIに恋しなさい!   作:chemi

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18話の最後部分を変更しているので、よろしければそちらを読んでから19話をお楽しみ下さい(6.25 18話修正)。


19話『特別』

 全ての業務を片づけたとき、気づくと時計の針は既に0時を超えていた。

 静初は征士郎に別れの挨拶を行ったのち、自室へと戻ってきていた。そのまま浴室へと向かいそこに設置されているボタンを操作して、バスタブにお湯を張っていく。その間に下からあげられてきた報告書に目を通していった。

 ピピッという電子音が、十分にお湯が溜まったことを知らせてくれる。報告書は残り最後の一枚。驚異的なスピードのように見えるが、これが静初の普通であった。

 

「ふぅ……」

 

 メイド服を脱ぐと同時に緊張が解ける。薄いピンク地に黒の刺繍の入った下着をはずし、湯気でこもった浴室へと入っていく。そして、軽くシャワーを浴びたところで湯船に浸かった。少し熱めの湯が一日の疲れを溶かしていくようである。

 

「静初……か」

 

 静初は肩まで浸かりきると自身の名を呼んだ。今日の出来事を思い出して嬉しさがこみ上げる。そして、それは小さな笑いとなって浴室に響いた。

 この名を呼ぶのは征士郎だけ。結局他のメンバーが自身の名を呼ばなかったのは、年上ということで遠慮したのかもしれない。または他に理由があったのか。

 静初自身が皆にも薦めれば、きっと呼んでくれたに違いない。しかし彼女はそれをしなかった。

 

「征士郎様だけに……呼んでほしい」

 

 これはただの我がままであるが、欲張りだろうか。自分自身に問いかけるが、答えがあるわけではない。バスタブのへりに腕をついて、その上に頬を乗っける。

 

(ただ呼び方が変わっただけなのに)

 

 李も静初もどちらも自身を指す呼び名である。しかし、それが静初になっただけでこうも受け取り方が違う。

 

「それともやっぱり……その相手が征士郎様だから?」

 

 両方かも。静初はそう心の中で呟く。

 離れていても結局は征士郎のことを考えている。よくよく考えてみれば、静初の生活の9割は彼が絡んでいるといっても過言ではないだろう。言い換えれば、彼がいる生活こそが静初の普通となっていた。

 

「あずみのことを笑えません……」

 

 静初はへりから体を離すと湯の中に沈み、さらに口すらもお湯の中に浸けてしまう。ぷくぷくと空気を吐き出しながら、征士郎のことを思う。

 きっと今頃授業の復習をしているだろう。

 静初とおやすみと言って別れたはずなのに、征士郎のおやすみはまだまだ先である。

 

(おやすみと言ったのは私を休ませるため)

 

 本当なら征士郎が起きている間は、その傍で控えていたいというのが本心である。しかし、彼はそれを望まないし、その気遣いを無駄にすることもできない。

 こっそりと調合しておいたあずみ汁は冷蔵庫に入れて、一緒にメモ書きも貼っておいてある。欲を言えば、寝る直前の征士郎に合わせて作りたかったが仕方がない。

 今自分にできるのは明日の朝元気な顔を見せることだけだ。

 よしと気合を入れ、気持ちを切り替えると同時に体を起こした。

 

「早く寝ましょう」

 

 長湯をするつもりはないため、ある程度汗をかけば十分である。バスタブから出た。

 シャンプーで髪を洗いコンディショナーを馴染ませるとタオルでまとめて浸透させる。 その間に泡だてたボディソープを手にとり、体を滑らせていく。肌が綺麗だと征士郎に言われたことは静初の密かな自慢であり、ケアも念入りである。

 

(そうは言っても征士郎様から触れられることはあまりないのが……)

 

 そこまで考えてその思考を打ち切った。なぜなら、それではまるで触ってほしいと思っているみたいではないかと恥ずかしくなったからだ。

 一緒に流れてしまえと言わんばかりの水圧で全てを洗い流し、最後に洗顔を終えると浴室から出ていった。

 

 

 ◇

 

 

『自分がどういった人間か自覚したら臆病に生きろ』

 

 今は亡き父が静初に向かって言ってきた。

 これは夢だ。静初はすぐさまそのことを理解した。遠い昔の出来事に感じるのは、現在が恵まれすぎているからだろうか。捨て子であった自身を育ててくれた父には感謝している。たとえそれが闇の道を進む原因であったとしてもだ。

 

『それじゃあ静初、行ってくる』

 

 その父が最後に見せた笑顔が目の前に映し出される。その後は闇と血で染まる光景ばかり。

 もうすぐ目が覚める。静初の見るこの夢はこれの繰り返しである。そして、起きた時には寝汗と気だるい感覚が纏わりついているのが常だった。だから、この夢はあまり好きではない。

 しかし、今日はそこで途切れない。場所は変わって明るい川神学園の教室。

 

『おう、李。聞いてくれよ、またヒュームの爺が私に』

 

 ステイシーが現れるとともにいつもの愚痴が響く。次に現れたのはあずみ。

 

『英雄様が李のこと褒めてたぜ。征士郎様にはお前がお似合いだとよ。よかったな』

『最近困ったことはありませんか? ギャグで笑いがとれない? おかしいですね……では私と一緒に新しいギャグを考えましょう。なに簡単なことですよ』

 

 クラウディオの姿も見えた。それに続く揚羽や英雄、紋白にヒュームらといった従者部隊の面々。

 その九鬼の全員の前に立つのは帝と局。

 

『征士郎はお前を選んだか! さすが俺の息子、見る目があるねぇ』

『李、征士郎のことをくれぐれもよろしく頼むぞ』

 

 帝の言葉は征士郎とともに報告へ言った時のものだ。逆に、局のそれは専属となってから働きを認めてくれたときに受け取ったものである。どちらも嬉しかったことをよく覚えている。

 そして、彼らが消えると同時に背後から声がした。

 

『李さーん、おはよう! そして恒例のスキンシーップ!』

 

 百代である。その隣には彼女が最初に紹介してくれた友達の弓子。

 

『おはようで候。李も嫌ならちゃんと言ったほうが良いで候』

 

 虎子に彦一、清楚や燕の姿も現れた。さらに2年間で知り合いになった同級生たち。

 

『つまらない物ですが、実家から送られてきたので皆さんで食べていただければ』

『どもることなくお友達にお裾分けとか、成長したまゆっちにオラ感動!!』

 

 いつぞやの由紀江と松風である。今では風間ファミリーに紋白や伊予といった理解者も増え、笑顔でいるところを見かけることがあった。その風間ファミリーも由紀江の後ろに立っている。

 しかし、肝心な人物が登場していない。静初はどこにいるんだろうと周りを見渡す。

 

『どうした?』

 

 声を聞いただけで安堵してしまう自分がいる。静初が振り返ると、そこには日の光に照らされる主の姿があった。その主が苦笑交じりに話しかけてくる。

 

『肩の力を抜け。いつもそれでは……ってそれがお前の常か。真面目な所もお前の長所だが気張りすぎるなよ。お前は一人じゃないからな』

 

 征士郎は静初に近づくと頭を撫でた。はいと返したいのに声が出ないのは夢だからだろうか。そのうち彼の手が自身の目を覆っていく。

 

『ゆっくり休め……おやすみ、静初』

 

 今日が終わったときに征士郎と交わした挨拶とシンクロしていた。この夢を見たのは名前を呼ばれたことが、強く印象に残っていたからかもしれない。

 静初はそう思いながら、征士郎の手をすんなりと受け入れていく。不思議と恐れはなく、逆に安心すらできそうであった。夢はそこで終わる。

 

「征士郎……さま。あぃ……て……」

 

 静初の寝顔はとても安らいでいる。すぅすぅと小さな寝息だけが聞こえていた。

 

 

 □

 

 

 服装を整えた静初は本部内の廊下を歩いて行く。体が軽く感じられるのはよく眠れたからであろう。夢の内容はよく覚えていないが、何か良いものを見たという曖昧な感覚だけがあった。だから思い出したいと思うのだが、そのことを思えば思うほど消えていってしまう。

 

(残念です……)

 

 静初はそっと息を吐いた。

 従者たちの多くは既に動き出しており、静初は彼らに挨拶をしながら征士郎の部屋を目指す。その中にあずみの姿が見えた。

 

「おはようございます、あずみ」

「おはよう、李。今から征士郎様を起こしに行くのか?」

「はい。あずみはそろそろ出発ですか?」

 

 静初の問いかけに、あずみはそうだと答えた。野球部である英雄は朝練があるからだ。

 

「征士郎様も英雄様に期待されております。英雄様の調子はどうなのですか?」

「絶好調としか言い様がねぇよ。去年は川神を騒がしただけだが、今年は間違いなく全国を騒がせると思うぜ。優勝の2文字でな」

 

 あずみは主の活躍を確信しているのか不敵に笑う。

 春季大会では準決勝で当たった和歌山の紅陽高校に僅差で敗北。十分に全国で戦える実力を見せつけたが欲しいのはただ一つ。それを今年の夏奪いに行くのである。

 そして噂をしていたらなんとやら、その本人が登場した。

 

「李ではないか! おはようっ! 今日も清々しい朝であるな!!」

「おはようございます、英雄様。絶好の練習日よりかと」

「うむうむ。我の体は早く野球がしたくて疼いておる。……して、こんなところに立ち止ってどうしたのだ?」

 

 英雄の疑問に、あずみが即座に反応する。

 

「はいっ! 李はこれから征士郎様を起こしに行く途中なのですっ!」

「なに!? そうか……兄上は未だ夢の中か。何かとお忙しい身であられるからな。睡眠は大事である」

 

 英雄は腕を組んで大げさに頷いていたかと思うと、かっと瞳を見開いた。何かを思いついたらしい。

 

「ようし、せっかくだ! あずみ、我も李に同行し兄上を起こしに行くぞッ!!」

「了解しました英雄様ぁぁ!!」

「そうと決まればさっさと行くぞ! 兄上に爽快な朝の目覚めをお届けにッ!!」

 

 英雄は高らかに笑い声をあげながら、征士郎の部屋へと歩みを進めていった。

 

 

 ◇

 

 

 こっそりと入る必要があったかどうかは別として、3人は征士郎に気づかれることなく部屋へと侵入することに成功していた。部屋をあけられたのは専属の静初がいるからだ。

 そして、英雄は位置について静初へと開始の合図を出す。あずみがカーテンを目一杯開くとともに静初が声を発する。

 

「征士郎様、朝でございます。起きてください」

 

 そして征士郎の体をゆさぶるのは英雄。これは彼が思いついたちょっとした悪戯である。穏やかな日常にはサプライズも必要とのことだった。

 

「征士郎様、征士郎様」

 

 静初の声に合わせて、英雄が征士郎の体をゆさぶる。日の光に声、そして体への刺激で、征士郎の意識が徐々に覚醒していった。

 遂に征士郎の瞳が開く。

 

「征士郎様、おはようございます」

 

 声は静初のもの。でも目の前にいるのはドアップの英雄。

 ゆっくりと3つ数えるくらいの間、寝ぼけ眼の征士郎はその英雄を見つめていたが、やがてまた目を閉じた。

 

「静初が英雄になって……喋っている。これはなんの悪夢だ……」

 

 征士郎はそれだけ言うと、そのままもぞもぞと布団を持ち上げ頭まですっぽりとかぶっていった。

 あずみはその行動に思わず可愛いと思ってしまう。これがあの征士郎様なのかと。彼女は寝起きの彼を知らなかったのだ。

 そこでようやく英雄が喋り出す。

 

「フハハハッ! 悪夢などではありませんぞ、兄上。我です! 弟の英雄が兄上を起こしに参ったのですよ。さあ起きてください! 今日も良い天気です。まるで我ら九鬼を祝福しているようではありませんかッ!」

 

 征士郎はまた布団から顔を出すと、今度は10数える間英雄の顔を見ていた。

 

「なんだ……英雄か。お前、朝練はどうした?」

「これから向かうところです。ちょうど李が兄上を起こしに行くというので、我も同行した次第」

「起こしに来てくれるのは有難いが……起きて早々、お前のドアップとか心臓に悪いんだが?」

「フハハハッ! 弟からの粋なサプライズです!」

「今度からはその役目を紋にしておいてくれ。そして、英雄にはヒュームを宛がってやる」

「それは中々刺激のある朝となりそうですな!」

 

 兄弟が仲良く会話している中、あずみはある事に気がついてこっそりと静初に話しかける。

 

「あれ? 征士郎様って今、李のことを静初って……」

「はい。昨日からですが――」

 

 静初は少し照れくさそうに昨日学園であったことをあずみに伝える。その間、あずみはニヤニヤとしたままであり、それがより静初の羞恥心を煽った。別に恥ずかしいことではないにも関わらずだ。

 あずみは全容を聞き終わると大袈裟に頷いた。

 

「なるほどねぇ……そういや李は今日早上がりだろ? 夜ちょっと付き合えや」

「あずみ、もしかしなくても私を弄る気でしょう?」

「おう。ついでにステイシーも呼んでな」

 

 隠すことなくキッパリと答えるあずみ。彼女の誘いを断る理由もないが、静初は気がのらない。ステイシーまで来るということは2倍の弄りが待っているのだ。

 

「しかもステイシーまで……」

「いいじゃねぇか。付き合いの長い3人でな。あー今日は旨い酒が飲めそうだ。それにどうせすぐに九鬼全体に広まるんだからよ。征士郎様『だけ』が李を静初って呼んでいるって」

 

 あずみはわざわざ「だけ」の部分を強調した。当然、彼女は静初の想いを知っている。知っているが故に可愛い部下をからかってしまうのだった。

 

「別に……普通のことでしょう。名前で呼ぶなど」

「おやおや? その割には顔がうっすら赤くなっているように見えるな?」

「今日は良い天気ですからね。少し暑いくらいです」

「そうだなー今日暑いもんなー今の温度は……おっと20度かーそりゃ顔も赤くなるわーこっちまで暑くなりそうだしなー」

 

 暑い暑いと言いながら、あずみはパタパタと手で仰ぐ仕草をとった。

 

「あずみ、もしかして以前に英雄様のことで相談したときの対応根に持っていますか?」

「李が何を言ってるのかわからねーな」

 

 そこへ英雄から声がかかる。

 

「あずみ! 兄上を起こすという目標も達成された! 我はすぐさま学園へ向かうぞッ!!」

「了解ですッ! すぐに人力車の準備を始めます!!」

 

 相変わらず変わり身の早いあずみである。2人は征士郎と静初に別れを告げると元気よく部屋を飛び出して行った。

 外から鳥の囀りが聞こえ、しばらくあとに英雄とあずみの声が征士郎らの耳に届いた。

 征士郎は体を伸ばすと大きな欠伸をする。

 

「あの2人は朝から元気一杯だな」

「そのようで。おはようございます、征士郎様」

「おはよう、静初」

 

 はいと静初は微笑みを返した。しかし、征士郎は眉を寄せて苦悶の表情を浮かべる。

 

「目が覚めたらニコッとした英雄の顔。それが頭から焼き付いて離れん」

「英雄様とても楽しそうでした」

 

 征士郎はそれ以降受け答えをせず、じっと静初を見つめる。それを不思議に思った彼女であるが、首をかしげるばかり。しかしそれが長くなってくると、見つめられているという事実がじわじわと彼女の意識を刺激してくる。

 最初は視線をそらして床を見たり、次に両手を前で重ね合わせて少しもじもじしたり、そして遂に声をあげる。

 

「あの! 征士郎様! そんなに見つめられると……」

「よし! 英雄の顔は消え去ったぞ。礼を言う」

「いえ……」

 

 静初は頭にハテナが浮かんでいたが、征士郎はそれで納得できたようなので良しとした。彼が顔を洗いに行っている間に、今日着ていく服装の準備を行っていく。シャコシャコと小気味よい音が聞こえてくるのは歯磨きも一緒にやっているからだ。

 静初はクローゼットの小物類が入っている引き出しを開ける。色とりどりのそれらから、配色などを考えて組み合わせるのは彼女の役目であった。選び終える頃には、征士郎が戻って来るので彼の意見も聞きながら調整し、等身大の鏡の前で身支度を整えていく。

 最後はいつものように髪型をチェックして準備完了である。

 

「うむ、完璧だ」

「よくお似合いです」

「静初のおかげだな。さてご飯を食べに行くとしよう」

「今日から松永納豆を朝食でお出しすることに決まったようです」

「燕は早々に売り込んでいたというわけか。抜け目のない奴だ」

 

 主従は部屋を出て廊下を歩いて行く。静初はカラカラと笑う主を見ながら思う。

 

 今日もいい日になりそうだと――。

 




これからは本文中の李の表記を静初でいきます。今まで李できたのでそちらに慣れているかもしれませんが、よろしくお願いします。

英雄の日常的な部分書くのも楽しい。あずみに李を弄らせるのも楽しい。

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