シュテル・ザ・デストラクターは美少女である。少女というには少し幼い体躯である気もするが、とにかく顔が整っているのは間違いない。
一方、コウサカ・チナもまた美少女だ。三つ編みこそ無いが、縁の太いメガネの似合う鉄板のザ・委員長と言うべき容姿だ。
さて、そんな二人に挟まれた、筋金入りのガンダム好きが辿る運命は、両手に花でも、修羅場でもなかった。
「つまり貴方は、私と先輩の間に恋愛関係が成立していると誤解していたのですね。申し訳ありません。先輩に貴方のような恋人がいると分かれば、もう少し誤解されないような距離を保っていたのですが」
「ここここ、こいびとって、そんな……」
「おや、そうではないのですか? 見たところ、貴方と先輩の間柄は、友達のそれ以上に緊密だと思うのですが。それに、もし恋人でないなら、どうして『それだけはだめーっ!』と叫んで私達の間に割り込んできたのでしょうか」
「ええと、その……だってイオリくんが、貴方みたいな年下で、小学生くらいの女の子と仲良くお話してて……その……」
「あぁ、なるほど。……でしたら本人に聞いてみましょうか。先輩。貴方はロリコンなのですか?」
「うぇぇっ!? どうしてそこで僕に、というかなんでロリコン!?」
チナのメガネが、何故かいつもより眩しく、真っ白に光った。
一方シュテルの表情はいつも通りのポーカーフェイスだ。
二人の板挟みになったセイは、得体の知れないプレッシャーを感じていた。
イオリ模型店にて現在進行形で行われている言い争いは、痴話喧嘩というよりはむしろ漫才に見える。
わざとなのかそうでないのか、シュテルが初々しい二人を引っ掻き回し、てんやわんやの反応が帰ってきて、それに対して更に爆弾発言が投下される。いわば倍々ゲームだ。
「イオリくん、どうなの!?」
「どうなのですか先輩」
「二人とも近い、近いよ! その、どうって……そんな訳無いよ、違うから!」
「ふむ、嘘をついてはいないようですね。ですが、ロリコンでないというのも逆に困りものかもしれません」
「シュテルちゃん、それってどういうこと!?」
「貴方の体型はどちらかと言うと控えめですから、先輩がロリコンでなく大人の女性好きであるならば、むしろ苦境に陥ったのかも」
おのずから光を発するかのように輝いていたメガネに、ピシリ、とヒビが入った。
シュテルはこのキラーパスを果たして自覚しているのかしていないのか。その顔からは何も伺えなかった。
「イオリくん…………?」
「ちょ、委員長、そんなに睨まないで!」
チナの顔がますますセイに近づいていく。
今の委員長にビームを撃っても弾かれるぞ、とセイの脳髄からその父親が告げた。
大丈夫、チナちゃんはまだ成長株だから、とついでに母親も告げた。
大抵のガンダム作品における主人公の両親よろしく、全く役に立たなかった。
「先輩、いいかげん、堪忍したほうが良さそうですよ」
「こんな状況にした張本人の言うことかよ、それ!」
「イオリくん…………?」
「ひっ、い、委員長っ……」
(セイにチナも、年下相手に翻弄されてやがんの、くっだらねー)
男一人に女二人。端から見れば両手に花だが、交わされているのは実にトンチンカンな会話である。
喧騒から切り離されているレイジは半分呆れながら、肴にするは丁度いいとばかりに、出かけた先で調達してきた肉まんをぱくつきながら眺めていた。
二人の仲がこじれて大事になるかも、と考えることはない。
何故なら。
「えと、僕は……委員長ぐらいのプロポーション、じゃなくってスタイルが、一番だと、思うよ」
「イオリくん!」
二人の喧嘩にはこれまで何度か遭遇したが、顛末は必ず決まっていたからだ。
恋人の褒め言葉に感極まったチナがセイに抱きついて、セイもおずおずと抱きしめ返す。そうすればケリが付くどころか、二人の距離は更に縮まったという寸法だ。
夫婦喧嘩は犬も喰わないという。それを今まで目の前で何度も繰り返されたレイジは、またか、とうんざりした顔で肩をすくめた。 最もレイジだって、週1回どころか2日に1回は同居人のアイラと痴話喧嘩しているのだが。どうやら、痴話喧嘩であるとすら認識していないようだ。
「めでたしめでたし、ですね」
「お前は余計なこと言って邪魔してただけじゃねーか!」
一仕事やり終えた、という顔で腕を組むシュテル。恋のキューピッドをしているつもりなのだ。しかし、実際は場を混乱させてしかいない。
そんなボケボケ女にあそこまで振り回されたセイが可哀想になって、ぶっきらぼうに突っ込むレイジであった。
その場が一応収まった所で、シュテルはイオリ家の作業スペースを借り、早速ガンプラを製作することにした。
折角だからということで、セイが強く薦めたのだ。なんだかんだで出来た、ガンプラ作りの後輩への優しさだった。
しかし、もう一つ理由がある。
レイジとセイが世界大会出場者だと知ったシュテルが、二人と是非とも戦いたい、と言い出したからだ。
無論、セイはそれを止めた。自分はともかく、レイジというファイターは初心者にとっては強すぎる。
しかし、シュテルは頑として譲らず、レイジも特に止める様子は無かったので、結局その場でガンプラを作り、戦わせることになったのだ。
「本当にいいの、レイジ? あの娘は初心者だよ? 弱い奴とやるなんてつまらない、じゃなかったの?」
訝しげに問うたセイに、攻撃的な笑いを向けながらレイジは答えた。ガンプラファイターとして、戦いに向かって心を踊らされている時の表情だ。
一体あの小さな女の子のどこに、レイジほどのファイターを動かすものがあるのだろうか。世界大会で何人もの強者を見ているというのに、いや、だからだろうか。セイには理解できなかった。
「初心者なら、ワザワザ強いのに喧嘩を売ることもねーだろ? でも、あのガキの目は本気だった。本気で俺に勝てると思ってた」
「でもそれは……レイジの実力を知らないからだよ」
「ところがそうは思えない。お前が散々『レイジは強い』って言って釘を指しても、目の色が変わらなかった。あのガキはお前を信用してるのに」
そう言われて、セイはちらりと、作業机に向かってプラモを作っているシュテルを見た。
その手はせわしなく動いていて、既に胴体、頭、手が完成し、机の上に転がっている。
自分が最初に側で教えたゲート跡の処理やシールの貼り付け、墨入れも丁寧に行っており、とても初心者の作業風景とは思えない。
本人曰く「私は良く凝り性と言われる」らしいが、ガンプラ作りにもその天性が遺憾なく発揮されているようだ。
これらのことから、シュテルには少なくとも、ビルダーとしての才能はあると見ていいだろう。
しかし、ファイターとしてはどうなのだろうか? と考えれば、それは全くの未知数である。もしかすると、本当はかなりの実力者かもしれないし、やっぱりずぶの素人なのかもしれない。
「まさか、レイジに対して何か勝算があるってこと……?」
「まぁ、俺の考え過ぎかもしれないけどな。けど、お前ら弄ってた時とは明らかに眼の色が違う。本気なのは間違いない」
「……」
「久しぶりにここに戻ってきても、中々新しい燃える相手と出会えなかったんだ。そんな時に挑戦してきやがって……もしかすると、もしかするかもしれねえぜ」
景気付けなのだろうか、肉まんの最後の一つを丸呑みにして、指を鳴らしながらレイジが取り出したのは、セイが作ってレイジの動かす機体の一つ、ビルドガンダムMk-Ⅱだ。
前年のスタービルドストライクに続き、今年の世界大会でもセイの手によって活躍したスタービルドストライクコスモスを選ばないのは、流石にレイジも手加減をしているのだろうが。
しかし、弘法筆を選ばずとも言うように、ザクでもボールでも、どんな機体でもその実力は変わらない。
こてんぱんに叩きのめされてるだろうが、どうかそれで、ガンプラを嫌いにはならないで欲しい。
セイの不安などお構いなしに、レイジは久しぶりのバトルに胸を踊らせ、機体を手に持ちながらイメージトレーニングに没頭する。最近は店番も忙しく、アイラとの付き合いもあってか、これが久しぶりのガンプラバトルなのだ。
「まぁ、あいつが素人でも凄腕でも、最後に勝つのは俺だ! そうだろ、セイ?」
「れ、レイジ……」
とはいえ、レイジの自信には一分の欠けも存在しない。大声で、あえてシュテルに聞かせるように勝利を宣言した。
「……!」
その言葉に触発されたシュテルは、今まで以上に張り詰めた表情でガンダムマーカーを握る。なんと部分的に塗装までしているようで、マスキングテープを使用した痕跡が残っていた。
使っている道具の殆どは初使用だというのに、その手には震え一つない。
丁寧ではあるが、その奥には力強さがある。セイのモデラーとしての感覚がそれを感じていた。
両者の間、静かに、そして確実に高まる熱気。その真剣な空気に、セイもチナも思わず息を飲んだ。
そして、そんな雰囲気に惹かれたのだろうか。また一人、ガンプラに情熱を燃やす男が姿を表す。
「ふむ、レイジ君、久しぶりに燃えているようだな」
ガッチリとした身体つきを壁際に寄りかからせて、したり顔で解説しているこの35歳の中年男性。イオリ模型店の常連、ラルさんの登場だ。
少年少女ばかりの場所に平然と現れた異分子だが、没頭しているシュテルとレイジは勿論、セイも全く動じていない。出会った当初は変なおじさんと思っていたチナだって、今回は少し驚いただけだ。
ガンプラある所ラルさんあり、ガンプラバトルある所ラルさんありなのだ。
「そして、あの少女……目つきが普通のそれではない」
「ラルさんまで、レイジと同じことを!」
「普通じゃないって、どういうことなんですか?」
訳知り顔で語るラルさんに、セイもチナも同時に問いかける。
段々と形になっていくシュテルのガンプラ、ガンダムヴァサーゴCBを見ながらラルは答えた。
「初めてガンプラに触り、初めてガンプラバトルを行うというのに、不安や恐れが全く見受けられない。それがまるで『いつものこと』であるかのように」
「なら、やっぱりシュテルちゃんはガンプラバトルを……」
していたのに、嘘をついていたのか。と聞きただすチナだが、ラルさんは首を横に振った。
「いや、未経験だというのは本当だろう。ただレイジくんに挑戦するなら、わざわざ嘘をついてここに乗り込む必要はあるまい」
「じゃあ、どうして!」
「それは……」
続きを言おうとして、ラルさんは口ごもった。
まさか、いやしかし。
確かにあの少女は、まるで『自分の武器を磨く』ようにヤスリをかけている。『戦闘要綱を確認するように』ヤジマ商事のバトルシステム説明書を読み込んでいる。
しかし、あんな歳幼い少女が。ラルさんは自らの目と歴戦のカンを疑ったが、その二つが間違っていたことなど滅多にない。
「お待たせしました」
椅子を引き、ゆっくりと立ち上がったシュテルが、出来上がったガンプラを左手に持って周りに見せる。
その完成度は、過去幾つものガンプラを見てきたラルや、セイを感心させる程の出来栄えだった。
只の素組みではなく墨入れや部分塗装、つや消しまでしているそれは、今日初めてガンプラに触った人間の作品とは考えられない。
しかしながら、やはり初心者は初心者。武器の付け替えやカスタマイズは全く行われていない。その点で、セイの作品であるビルドガンダムMk-Ⅱと比べれば見劣りしてしまう。
つまり、これからシュテルが戦うのは、機体の完成度も、そして恐らくはファイターの腕前においても勝る相手。
しかし、シュテルは怯むこと無くレイジに向かい合い――笑った。
「では、戦いましょう。我が心の赴くままに、全力で貴方と戦いましょう」
セイが見たその笑いは、レイジのそれとそっくりで。しかし、少しだけ違う、どこか乾いた刺々しさのある笑み。
チナが見たその笑いは、まるで女の子らしく無く。自分の常識とはまるで異なった、恐ろしさをも感じさせる表情。
そして、ラルさんが見た、その笑いは。
(やはりだ、やはりあの娘は……ファイターではない。あれは、戦士だ。戦場へと赴く兵士だ)
鉄臭く、オイルの匂いの混じった、鋼鉄のコクピットの中で。
ランバ・ラルが、ノリス・パッカードが、ウィッシュ・ドナヒューが。ニムバス・シュターゼンが、アナベル・ガトーが、ラカン・ダカランが。
血に塗れて浮かべる、悪鬼の笑いであった。