クロノの休暇が始まって、今日はその二日目。
普段は持ち帰った書類や無骨なデジタルの置き時計しか置かれていない机に、二本の足ですっくと立っている小さな人型。それが、クロノが作ったガンプラだ。
机のそこかしこには、プラスチックの小さな破片が散らばっていた。ニッパーなどで部品を切り取る時、なるだけ綺麗に処理しようとすると、パーツとランナーの間にあるゲートがそこかしこに飛び散るのだ。
説明書は開いたままで放置されているし、墨入れ用のペンも隅っこの辺りに転がっている。去年引っ越すその前から使われていたデスクだが、ここまで雑多なものを置かれたことはそうない。精々書類の山か、現地で買ってフェイトにプレゼントするお土産くらいだろう。
「出来た……」
クロノの生涯の中で、ものづくり、という経験はそうあることではない。士官学校の時はキャンプの設営などもやらされたが、実際役に立つことはなかった。設営には設営の専門家がいて、そちらに任せたほうが効率もよいのだから。
だが、魔導師としての資質として、集中力の高さを鍛え上げてきたクロノである。朝一番に取り掛かって、太陽が真上に登るくらいの時間には、全てを組み上げることが出来た。
塗装はせず、スミ入れのみ。しかしながら、元のプラモデルの完成度が高いからか、それなりに形にはなっている。というのがクロノの抱いた感触だった。
「お兄ちゃん、見せて見せて!」
出来上がったとわかった途端、雑誌を読みながらベッドで寝転んでいたフェイトが起き上がり、クロノの側に近寄った。最初は付き添って手取り足取りニッパーの使い方やゲート跡の処理を教えていたのだが、流石にクロノも飲み込みが早く、そうなると邪魔になるで下がったのだ。
それに、ガンプラを作るというのは基本一人きりの作業である。そこにいちいち介入するのは邪魔である以前に野暮というものだろう。
「わぁ、結構良く出来てる」
「そうか? フェイトが作ったのに比べたら、そこまで手も込んで無いと思うが」
クロノはちらり、と、フェイトが参考に、と並べてくれた完成品を見た。
デスサイズヘル。ピクシー。コルレル。武者農丸。そして、バーザム。
フェイト自慢の逸品はどれも黒と金で入念に塗装され、ガンプラ製作の巧緻さと経験を感じさせる出来栄えだ。
「最初でこれなら上出来だよ!」
たしかにクロノはガンプラに関してはまだ素人だし、作るのもこれが最初だが。フェイトのそれに対して自分の量産型νを見せるのは、なんだか気恥ずかしく思えてしまう。
兄の性というやつ、なのだろう。
「そうかな……」
「そうだよ、私が最初に作った時なんて」
だから謙虚な言葉を重ねるクロノに応じて、フェイトは優しく、そんなことはない、と返す返す言い続ける。
それが何度も続いて、互いに遠慮しあうというどうにももどかしい会話になりかけたその時。
「あ、電話だ……もしもし? あ、はやて?」
ベッドに置かれていた携帯が鳴り、フェイトは再びベッドへ戻って座りながら着信に応じた。
椅子に座りながらクロノがその様子を見る。最初はにこやかに応対していたフェイトだが、何やら驚くようなことを聞かされたらしく、外から見て分かるくらい慌てながら会話を続けている。
「で、でもはやて……えぇー……わ、分かったけど、うん」
はやてのやつ、フェイトに何か無茶なことでも言ってるんじゃないのか。そう思って、クロノは苦々しい顔をした。
闇の書事件が解決してから大分経つが、はやては随分明るくなっている。明るくなったのはいいが、その分何かとお茶目な振る舞いもするようになってしまった。トラブルメーカー、という程ではない。模擬戦場を壊したり、訓練でやり過ぎたりする点ではむしろなのはの方がお騒がせ者だ。
しかしはやては、アースラクルーだったり、時にはアリサ・すずかまで丸め込んではしゃぎ回る。時折纏まって旅行などする時、その中心には決まってはやての姿が見えるのだ。その組織力と協調性は素晴らしい個性ではある。だが、少女たちのお兄さん的立場であるクロノとしては、やり過ぎてしまわれたら厄介極まりないとも思うのだ。
「ごめん、お兄ちゃん! ちょっと出かけなきゃ行けないから、私はこれで」
「あぁ、いってらっしゃい。母さんには伝えておくよ」
「ガンプラバトルにも一緒に行きたかったんだけど……本当に、ごめんね」
「いいさ。その代わり、はやてが何か企んでたら止めてくれよ」
うんっ、と大きく首を縦に振って、フェイトは部屋から外に出た。
頼むぞ、と念を押すクロノだったが、実際押しの弱いフェイトのことだから、そこまで期待もしていない。後でなのはか、ユーノあたりをけしかけて釘を打ってやろうと考えていた。
こうして、部屋にいるのはクロノと、完成したガンプラだけになった。改めて、そのボディを手でそっと握り、持ち上げる。
「量産型νガンダム、か」
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の主役機、νガンダムの量産型。とはいえ本編に登場したわけではなく、『M-MSV』という外部企画によって設定が作られたという。宇宙世紀において本来は秘匿とされていたが、情報公開法の改正により公開された――というバックストーリーは、ある種胡散臭さにも似た強引さを感じさせる。
そうして設定された量産型νは、当時主力量産型として生産開始されていたジェガンの、更に上を行く量産MSとして設計されていた。ただしコスト高騰などを理由として、実際に配備された記録はない。そもそものνガンダム自体が量産可能な設計にすることで、消極的な連邦軍からようやく予算を獲得できていたというのに、その更に量産型が生産されるはずはなかったのだ。
「……残念だな」
率直な感情が、クロノの口から漏れ出た。
昨日の夜、クロノはユーノからなのは所有のDVDを送られて、逆襲のシャア本編を見ていた。ロボットアニメの映画としては最高峰の完成度を誇ると激賞されただけあって、見応えのあるアクションはクロノの目を魅入らせるのに十分すぎる程であった。フェイトも何回か見ているようで、良いシーンが近づく度に、
『これはね、νガンダムのビームなんだ。音圧が凄いし、ほら、あそこでレズンが援護の艦隊か、って言ってるよね? つまり敵からは戦艦並みのビームに見えるってことなんだよ』
とか、
『うわぁ、ぎゅんぎゅん動いてる……! 互いにファンネル一つしかなくてこれなんだよ、凄いよねお兄ちゃん』
などと、普段の大人しいフェイトからは考えられないくらい子供っぽく、目をキラキラさせながら口を動かしていた。
「だけど、な……」
だけど。
あの作品に、量産型νガンダムは出てこなかった。連邦側のMSといえばジェガン、リ・ガズィ、νガンダム。そしてジムⅢのみだ。
作劇上、そうなるのが当然なのかもしれない。あの映画で描かれているメインテーマはアムロとシャアとの決着であり、その二人に相応しいMSが配されているのなら、他の機体は揃って脇役である。余りバリエーションを増やし過ぎるのだって良くはないのかもしれない。
大体、『M-MSV』自体が、逆襲のシャアが公開された同時期に展開している外伝的企画である。本編を元に作り出された設定が、その本編自体に出て来るはずがないのだ。
しかし、そう考えていても、やっぱり惜しい。こんなにかっこいい機体が、アニメになって、動いていないなんて。
青を基調に整えられた機体を、もう一度しげしげと見続ける。確かにトリコロールみたいな派手さは無いし、白黒のかっちりとした印象深さも備わっていない。宇宙の色と合わせれば、映えるどころかむしろ見えなくなりそうだ。
でもそれはかえって迷彩色ということになるだろうし、大型のビームサーベルも兼ね備えている背中のビームキャノンは大いに特徴的だ。武装もバルカン砲からライフル、サーベル、右腕のスプレーガンにハイパーバズーカと豊富で、あらゆる状況に対応できる。更に必殺武装、というと言い過ぎだがフィンファンネルとインコムだってあるじゃないか。
だから、あの本編でνガンダムが見せつけたのと同じ、いやそれ以上に見栄えの良いシチュエーションだって、こいつなら構築出来るはずだ。
「……む、こうか」
クロノが動かしたのは、まず右腕。ライフルを持たせて、正面に構えさせた。次いで左腕をその支えにする。手首をはめ替えて、左手を平手にするのも忘れない。シールドを腕の裏側にくっつければ尚良しだ。
困るというか、悩むのが脚部のポージングである。宇宙空間では立たずに宙ぶらりんになる足だが、うまく動かせばケレン味のあるポーズを実現できる。ある程度ポーズのついた上半身を一旦取り外し、長いこと悩んだ末にようやく固まった。
そしてインコム装備のカバーを開き、リード線をくっつけて展開させれば。
宇宙を疾駆する量産型νガンダムの完成である。
「……うん、いいぞ」
満足気に頷いたクロノは、量産型νの腰を右手で掴んで、さっ、と眼前で動かした。
いいじゃないか。まるで本当にビームを撃ってインコムで牽制しているようにも思えてしまう、戦っているのはヤクトドーガにしよう。同じ高級機同士だし。
次はどのポージングを取らせようか。よし、バズーカを構えつつビームサーベルで接近戦だ。
なんて、浮き立つ気分で箱から余りの武装とサーベルのクリアパーツを取り出したのと同時に、とんとん、とドアをノックする音が聞こえた。
「クロノー、いるかい?」
ユーノの声にびくっ、と反応して静止するクロノ。危ないところだった。もしユーノにノックをするという律儀さが無ければ、今頃赤っ恥をかいていた所だ。
「あ、あぁ、少し待ってくれ」
安心しつつプラモを仕舞いこむクロノの顔は、トマトのように真っ赤であった。
それから二人で、リンディに渡されたプレートの上の緑茶(砂糖の大瓶付き)を飲みながら話し合う。
「ふうん、フェイトがね」
「そうだ。お前からも言って、悪い遊びはしないようにと言って欲しいんだが」
「あはは、残念だけど、今回僕は誘われてないよ。だからここにいるんじゃない」
事も無げに言われたので、クロノも怪しむことなくそれもそうか、と納得した。
「それはそうと、出来たの? 量産型νガンダム」
「あ、あぁ。ちょっと待ってくれ」
箱の中のガンプラに、先程取らせていたポーズはそのままで残っている。ユーノに見えないよう身体で隠して、慌てて直立に整え、ユーノに見せた。
しげしげと見つめるユーノもフェイトと同じように、良く出来ている、と賞賛してくれた。
「これなら、ガンプラバトルに出しても問題ないと思うよ」
「……完成度や塗装なんかが評価されるんだろう? これで大丈夫なのか?」
何のためらいもセずにガンプラを見せびらかした癖に、いざ公の場に出すとなると躊躇するクロノ。いつも公人として恥じない立ち振舞を見せてくれる少年の、ともすれば年齢相応の反応が何やらおかしくて、ユーノは苦笑した。
「大丈夫。何なら一緒にやろうよ。僕も新しくガンプラを作ってきたし、援護するよ」
そう言って、ユーノがでん、と取り出してきたのはクロノと同じ1/144HGの箱。ユーノの魔力色と同じく、緑色を基調としたMSは、目が二つついててアンテナが生えているから、恐らくガンダムタイプなのだろう。
「ケルディムガンダム。『機動戦士ガンダムOO』のセカンドシーズンに登場した、狙撃型のガンダムさ」
「狙撃型? お前のことだし、防御系の機体を使うのかと思ったが」
「んーとね……なんだろう、僕もね。たまにはなのはみたいにバキューン、ってやりたいのさ」
言ったのと同時にユーノは右手を指鉄砲の形に変え、バン、と撃つ真似をする。
なるほど無理もない、とクロノは得心した。日々管理局で行われている訓練や、なのはの日課となっている早朝の特訓。そういう所で、なのはの砲撃や射撃を一番間近で見ているのはユーノなのだから。
「だがなのはのそれは、狙撃ではなくて砲撃だぞ?」
「ま、そこは僕なりの好みってやつかな。それにこの機体、防御も硬いし」
そう言ってユーノが紹介したのは、ケルディムが持つ他の狙撃型機体とは大きく違う特徴の一つ、GNシールドビットだった。遠隔操作のオールレンジ兵器で、ビーム砲が内蔵されているファンネルみたいなものだが、その本質は防御にあるのだという。
「……なるほどな」
クロノが思い浮かべたのは、結界魔法を巧みに使い、仲間を守るユーノの姿だった。
背中を預けるに足りる人物を、クロノは幸いにして数多く知っている。その誰もが一騎当千の実力者かつ人格者なのだが、こと安心感、という点で比べるなら、ユーノ・スクライアの結界魔法はどの相手とも僅差で競り勝つほどのシロモノだ。
そういう人間が操る狙撃・支援用の機体が、後ろにいる。それだけで、初心者のクロノとしては大助かりだ。
「よし分かった、で、何処でやるんだ? あのホビーショップか?」
「あぁ、それなんだけど……」
少し、言いにくいようにもごもご口を動かした後、ユーノは思い切ったように言い出した。
「街の外れにさ、『穴場』があるんだ」
「穴場?」
「そう。観光客向けの小さいホテルなんだけど、そこのゲームコーナーにバトルスペースがあってさ。そこなら殆ど人もいないし、どうかなって」
だが、人が居なければ対戦する相手だって探しようがないだろう。と疑問を抱くクロノだったが、ユーノは人差し指を立て、ちっちっち、と左右に振る。
「バトルシステムにはコンピューター戦があるんだ。予め無人機が設定されてて、それを相手にする練習モードさ」
「なるほど、まずはそこから始めろってことか、しかしどうして街外れまで」
「ええと、勿論普通のお店にも練習用の筐体はあるんだけど……大抵すぐに埋まっちゃって、順番待ちが普通だし! ……ね、どうかな、どう?」
その気の利かせ方はユーノらしいが、どうにも押しの強い薦め方が、クロノの心に一瞬だけ引っかかった。もし、任務中の張り詰めているクロノだったら、その違和感を目ざとく突き詰めていたかもしれない。
しかし、今のクロノの心理は執務官のそれから殆ど外れ、すっかり14歳の少年のそれになっていた。しかも、手に持っているガンプラを、少しでも早く動かしてみたかった。
だから手にした緑茶を一口で飲み干し、外出用のバッグを持ち、その中にガンプラを箱ごと入れて、肩に下げた。
「少し遠いが、まぁいいかな」
「そっかぁ、うん、行こう、今すぐ行こう、クロノ!」
応じて、ユーノもガンプラをしまって立ち上がる。
そしてドアへと向かう為、クロノに背中を向けていたので。
――あぁ、よかった。という呟きと安堵の表情を、クロノに見られることは無かった。
海鳴の市街地から電車で二駅ほど離れると、中央駅前から放射線状に広がるビル群は鳴りを潜め、緑豊かな地区へと移り変わる。駅から歩いて20分。自転車も無しにひたすら坂を歩き続けた二人は、ようやくお目当てのホテルの中に入る事ができた。
中に入ると、ホテルはそこそこ賑わっているようで、ロビーには何人かの宿泊客が屯している。そんな中、態々ゲームコーナーだけを使うというのもどうだろう、と急に不安になったクロノだが、ユーノ曰く、そこまできっちりとはしていないらしい。
「元から日帰りの温泉なんてのもあるからさ。それに、あそこのバトルシステムって追加料金制だし」
なんでも、GPベースをセットする場所にコイン入れがくっついているらしい。一プレイで100円余計に取られることになるが、元々旅館にはガンプラなんて売っていないのだ。バトルで壊れたガンプラの補充に筐体の設置代回収を期待できないのであれば、苦肉の策も止むを得ないだろう。
「その代わりに、機体のダメージレベルがCになってるから」
「ダメージレベル?」
「バトルでガンプラがどれだけダメージを受けるかの設定。Aが通常で、Cは完全ノーダメージ」
それならやりやすいでしょ、とユーノが言うので、クロノも首を縦に振って同意した。
折角手をかけたガンプラだ。人とのバトルならまだしも、無人機戦程度で失いたくはない。まあ、一種の模擬戦のようなものだと思えばいいだろう。
そうしている内に、二人の足はロビーの奥にあるゲームコーナーへと辿り着く。時代遅れのアーケード筐体や、古ぼけたスロット、景品の賞味期限が気になってしまうピンボール。そんな懐かしさを押しのけて、真ん中にある真新しい筐体がガンプラバトルのバトルシステムだ。
「さ、クロノ」
言われて、クロノはバッグから自分のガンプラとGPベースを取り出す。ホビーショップで合わせ買いしたそれに、情報登録は予め済ませてある。
登録名、クロノ・ハラオウン。登録機体名、量産型νガンダム。
『Pleese set your GP base』
かちり、とはめ込めば、プラフスキー粒子の光がバトルフィールドに満ちる。そして同時に、クロノの周囲へ操作用のコンソールが出現した。
執務官としての目を走らせて確認すれば、デザイン、機能性、どれをとっても良く出来ているホログラムだった。クロノは改めて感心する。ミッドチルダと地球の技術力は、実のところそこまで離れているわけではないのかもしれない。
『Field 3, forest』
具現化したのは、ちょうどこのホテルを取り囲む森のように、鬱蒼とした森林地帯。とはいえ開けた平原やなだらかな丘も有り、ガンプラの操作を覚えるにはぴったりのマップだ。
『Please set your GUNPLA』
いよいよだ。クロノの心がとくんと揺れる。例えそれが遊びでも、初めて、というのは緊張するものらしい。手の中から離れ、目の前に立たせるのは、自分のガンプラ。その後姿を見て、これから、こいつと一緒に戦うのだと思うと、クロノの冷静な表情も少しだけ昂ぶりを見せる。
その横で、ユーノもケルディムをバトルシステムにセットした。
その周りがたちまちプラフスキー粒子に包まれ、出撃用のカタパルトと化す。
「クロノ・ハラオウン。量産型νガンダム」
「ユーノ・スクライア。ケルディムガンダム」
瞬間、ちらり、と互いを見合って。
「出るぞ!」
「行きます!」
青と緑の人型は、いざ、戦いの地へと降り立つ。