【ネタ】第三勢力はお疲れのようです【完結】   作:ろんろま

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※後書きに登場人物の簡易説明があります。飛ばしていただいても全く問題ありません。


いい加減お仕事を始めましょう

 そこは、岩と山しかない不毛の大地であった。

 どこまでも枯れ果てた山脈が続く、見渡す限りの灰色の大地。しかし岩肌の硬質な大地が広がる中、場違いなほど優美な白が一つ存在した。

 

 高く聳える山脈を一望できるその場所にあったのは、まるで荘厳な城のテラスのようだった。

 

 そんな空に最も近いその場所では、二人の男が盤面を見つめていた。

 

 枯れ木のような細い指が黒の城兵をもってして白の僧正を捉える。

 盤上から除かれる僧正の駒を見つめて、僧正を捕えた男はゆるりと目を細めた。

 

「どうやら珍しい客が出歩いているな」

 

 左右から伸びる、天を向く角。

 腰ほどまで伸ばされた銀髪は良く手入れが行き届いているのか、枝毛一つ見えない。

 身に付ける装備はどれを取っても至高の逸品。

 そしてそれを纏う身体は神々が丹精込めて創り上げた騎士にも劣らない、見事な覇気を放っている。

 

 惜しむらくは年老いていることか。

 しかし叡智を湛えた3つの瞳は揺るがない。そんな身体を持つ男には、年による衰えを全く感じさせない威風があった。

 

 手番が回り、騎士を動かす道化風の男が尋ねた。

 

「ウフフ、珍しいですね大魔王様。貴方様が他者を客と呼ぶなど、何百年ぶりでしょう?」

「ふふ、茶化すでない死神。余とて価値を認めれば客と呼ぶ。珍しいのはそなたの主と同様、余にとって価値を認められる存在が滅多に存在しなかっただけのことよ」

 

 大魔王。

 そう呼ばれた男は上品に蓄えられた髭をするりと撫でると、無造作に兵士を動かした。

 それは敵陣に乗り込んできた騎士を誘い込む陣形だ。

 

 道化風の男はそれに気づいたのか自陣の王を守っていた白の城兵を動かすも、一手遅かった。

 兵士に隠れた女王の駒が、もう一体の白の城兵を捉え一気に王に迫る。

 

 あらら、と気の抜けた声が道化風の男の仮面の奥から響いた。

 王手(チェック)だ。

 

 男の見る限り、王はどう足掻こうが女王に倒されるだろう。

 

「もう、戯れにも程がありますよバーン様。冥竜王様の代わりにチェスの相手なんて、魔界一の指し手には叶いませんって」

「戯れだ、とくと許せ。天界などに封印されるそなたの主が悪いのだ」

 

 おかげでチェスを打つ相手がいなくなってしまった。そう言って大魔王――名をバーンという――は白の王を指で弾いた。

 キルバーンと呼ばれた道化風の男は、笑みを象った仮面はそのままに肩を竦めた。

 

「やれやれ、バーン様も全くもって容赦ない。冥竜王様もあれで万策尽きるまで動いたのですよ?」

「……その結果が自領の消滅では元も子もなかろうに。まあ相手が悪かったのだ。

 天界の援護(バックアップ)を十分に受けた竜の騎士相手では、余とて梃子摺ることになろう。尤も負けることは有り得ぬがな……」

「…………」

 

 大魔王はそういうと、背後に控えた男を見た。

 

 それは全身を包み隠すような真っ白な法衣を身につけた男だ。顔すらもフードにすっぽりと覆われており、一見して掴みどころがない姿をしている。

 服に関して最も目の引くのは、様々な魔石を連ねた上に中央に三つの宝珠の埋め込まれた首飾りだろう。

 

 しかしその男の最も目の引く部分はそれではない。

 法衣から垣間見える底の見えない闇こそ、その男の特徴を最も主張しているのであった。

 

 そんな深い谷底を覗き込んだような暗黒を顔にする男は、まるでよくできた執事のように主の側に控えていた。

 

「ウフフ、今のボクはバーン様の部下ですから冥竜王様のお話はそれまでに……。

 それで結局、お客人とはあの方でよろしいので?」

「その通りだ。お前達もよく知っていよう。余とヴェルザーに次ぐ実力の持ち主……」

 

 バーンの3つの瞳が大地を見下ろす。どこか故郷、魔界を思い出す不毛の大地に思いを馳せ、大魔王はゆっくりと口元を釣り上げた。

 

「『歩く大災害』が地上に訪れた、か。余の邪魔になることは決してしないだろうが……不安要素は解消しておくに限る」

 

 

 

 

 

 それは夕食を終えた直後のことだった。

 宿の女将の料理を満喫し部屋に戻るその瞬間、ブラッドは馴染み深い魔力の波動を感じ取った。

 それは魔界にいるはずの親衛隊長のものだ。

 

 思わずびくりと身を震わせるブラッド。だらだらと頬に額に冷や汗が滴り落ちる。

 あまりに青ざめた顔色を見せるブラッドに、心配そうな表情を浮かべたアバンが尋ねた。

 

「……どうかしましたか?」

「……弟の魔力の気配がする。通信呪文が来ているな」

「弟なんていたのか」

 

 珍しく純粋な驚きを浮かべるヒュンケル。

 しかしそんな彼の姿を見ても、ブラッドは扉の前で顔色を青ざめたまま動かない。否、動けずにいた。

 

(怒ってる。この魔力の波動は確実に怒っている……!)

 

 もしも魔力の波動が目に見えるものであれば、それはどす黒い暗雲の形をしていただろう。

 それほどまでに部屋の中から感じられる魔力は怒りの感情に満ち溢れていた。

 

 動けないブラッドを見かねてか、アバンはヒュンケルに何やら耳打ちする。

 そしてヒュンケルがそれに頷くと徐に扉を開放した。

 

 その瞬間。蛇に睨まれた蛙のようにブラッドは竦みあがった。

 

「おいやめろ! 扉が開いたら魔力に篭った怒りの感情がダイレクトにくるだろう!?」

「普段から俺をクソガキ呼ばわりするんだ、お・と・な、なんだろ? 現実を見ろ」

 

 これ以上ないほどいい笑みを浮かべ、ヒュンケルが部屋に走る。

 それを止める間もなくアバンはブラッドの背を押した。

 

「ここで立ち止まってるのも他の客の迷惑です。さ、入りましょう」

 

 全くの正論に何も言えず、ブラッドは意を決して部屋の中に踏み入った。

 ……なぜだろうか。地上の、人間の世界のごく普通の宿屋のはずであるが、この部屋の中だけジオン大陸にいる時と全く同じ瘴気が溢れているような錯覚をブラッドは受けた。

 

 入り口で無言で立ち止まっていたブラッドの目の前に、見覚えのある袋が差し出された。

 視線を下げると得意げなヒュンケルの表情が目に入った。

 

「ほら、荷物」

 

 したり顔を浮かべるヒュンケル。その手から荷物を受け取り、ごくりと唾を飲み込む。

 

 数分の沈黙の後、ブラッドは腹を括ったようであった。

 無言で荷物袋から手鏡を取り出すと、取っ手に付けられた水晶を弾くように触れる。それに反応したのか、水晶はきらりと輝いた。

 

『あーテステス。聞こえてますか? クソ兄貴。聞こえていたら返事を下さい』

 

 およそ一週間ぶりに聞く親衛隊長の声が水晶から響いた。魔法で合成されているはずの声には、地響きのような重厚な威圧感が滲み出ていた。

 

 ブラッドはそっと鏡から目を逸らし、無言のままアバンを見つめた。助けろ、と唇だけで伝える。

 そんなブラッドに対しアバンは沈痛な面持ちでゆっくりと首を横に振った。

 

 ――諦めてください。

 

 そんな声なき声が聞こえ、ブラッドは全てを諦めたような虚ろな表情を浮かべると鏡に向き直った。

 

「…………ああ、聞こえているぞ弟よ。何も問題はない」

『良かった、沈黙が長いようなので心配しましたよ。我が兄であり王である貴方が弟であり腹心中の腹心でありいくら冥竜王の依頼があったとはいえすべてを丸投げにするほど信頼高い私の通信を無視するなど、そんなありえないことするわけないですよね』

 

 ノンブレス・ノンストップで吐き出される毒に、ブラッドはそっと鏡から目を逸らす。

 先ほどまでの行動を鑑みれば何も言えるはずがなかった。

 

 その様子が目に浮かんだのか、水晶の先から非常に深いため息が聞こえた。もしも鏡が互いの様子を映していたのならば米神を抑える親衛隊長の姿が見えたことだろう。

 

 重い沈黙が下りる。

 数瞬か、数分か。先に口を開いたのは親衛隊長であった。

 

『あの後大変だったんですよ! 貴方が割った鏡の修復とか、積み重なる戦闘報告とか、王都の運営とか、本気で引きこもった外交官の説得とか! 特に外交官どうしろと!

 実家に帰った後泥のように眠ったきり目覚めてこないって奴の同僚が泣きついてきたんですけど!?』

「本当に引きこもったのかあいつ!

 ……外交官については休ませてやってくれとしかいいようがない。奴も辛かったんだ……。

 その他については反省している。丸投げしてすまなかった」

 

 怒涛の報告事項にブラッドは親衛隊長の一週間の苦労を悟った。

 親衛隊長は外交官のように一月不眠不休で王都と他の大陸を往復して働いていた訳ではないが、本来の仕事と影武者両方をこなすのは至難であったのだろう。

 いかに強靭な魔族の身体といえど限度があるのだ。

 

 一方で外交官についてブラッドから労いの言葉を聞いた親衛隊長は暫し沈黙した。

 しかし呪怨王が飛び出す寸前のおかしな様子を思い出したのか、数秒の沈黙の後『一月の休暇の許可を出します』と報告した。

 

 少しだけ落ち着いたのだろう。平坦な声になった親衛隊長の様子に安堵の息を吐くと、ブラッドは魔界の近況を尋ねた。

 

『魔界の近況ですか? ジオン以外ですと平和なものですよ。

 三日前に活火山の噴火はありましたが、外の弱小魔族が飲まれただけでこちらに何の問題もありません』

「平和なのかそれ」

 

 ヒュンケルの静かな突っ込みにブラッドはごく普通に頷いた。

 至って平常の魔界である。

 

「何の問題もないな。弱者が淘汰され強者が生き残る、いつも通りの魔界だ。そもそもマグマに飲まれた程度で死ぬ魔族はいない」

「修羅だ。修羅の国だ。マグマに飲まれたら普通死ぬだろう!?」

「強酸と超高熱程度魔力や闘気で何とかして当然だろう?」

 

 至極当然とばかりに言い切るブラッドに、ヒュンケルは頭を抱えた。

 

 彼は知らない。将来自分も似たような状況に陥ることを。

 そして重傷を負ったものの普通に生還してしまうことを。今の彼は知らなかった。

 

 話に聞いた魔界の余りの修羅場ぶりにアバンは引きつった笑みを浮かべた。

 

「マグマと不毛の大地ですものねえ……自衛出来て当然ということですか」

「地上が恵まれているんだ。

 ……他に何か変わりはあったか?」

『大有りですとも。一部親衛隊員に不在がばれたのもそうですが……三馬鹿がジオンから脱走しました。ご愁傷様ですクソ兄貴』

「――――」

 

 最後の報告を聞き、まるで石化したようにブラッドの動きが止まった。

 報告された事柄を反芻し、頭痛を堪えるように眉間を解す。報告された大問題にブラッドは深いため息を吐いた。

 

(……親衛隊にばれたのはこの際いいか。三馬鹿の脱走とか、嫌な予感しかしない)

 

 三馬鹿魔族はどう考えても呪怨王を探し回って魔界を暴走しているだろう。

 結界がある今、西区画以外のどこから脱走したのか尋問含め、早急に捕獲しなければならない。

 

 親衛隊にばれたのも頭が痛いことだった。

 説教を短くするためにもこれは早急に冥竜王の依頼を終わらせて魔界に帰らなければならない、とブラッドは決断した。

 

 ……そして諸々の責務を押しつけてしまった親衛隊長に休みを与えなければならない。

 魔法で合成されているはずの親衛隊長の声には、隠し切れない疲労感が滲んでいたのだった。

 

「今日から一週間以内に三馬鹿連れて帰る。それまで残りの親衛隊への口止めを頼む」

『どう考えても手遅れな気がしますが、了解しました』

「頼んだ親衛隊長。お前が頼りだ」

『はいはい……そういえばクソ兄貴、何か声がしますが誰か一緒にいるんですか?』

「ああ、地上の勇者とその弟子で中々面白い連中と……」

 

 そこまで口を滑らせ、ブラッドははっと口を塞いだ。一瞬の後激しい後悔が襲いかかる。

 思わずアバンやヒュンケルに視線を向けるも、二人はぶんぶんと首を横に振っていた。その顔には「巻き込むな」という言葉が強く浮き上がっている。

 

 一方で水晶の向こうは沈黙していた。

 猛烈に嫌な予感を感じ、ブラッドは極限まで声を抑えて呟いた。「怒っているか?」と。

 

 その直後、猛烈な怒りの魔力が水晶から放たれた。

 

『馬鹿じゃねーのっ!? 怒ってないわけないだろ、なんっっで人間なんかと、しかも勇者と一緒にいるんだよ意味分かんねーよ!』

「いやもうそれは尤もなんだが! 落ち着け敬語とれてる! 一応まだ公的だよな!?」

『馬鹿じゃないですか怒らないわけがないでしょう以下略!

 ……前言撤回します。親衛隊全員に不在を通達するので、戻ったら覚悟しておいてくださいクソ兄貴』

 

 それきり通信呪文が途切れたのか、声は聞こえなくなった。

 

 

 

 

 弟がこわい。

 そう呟いてブラッドはテーブルに頭を突っ伏した。

 通信呪文の媒体であった水晶は既に輝きを失い沈黙している。

 

 しかしそれが取り付けられている手鏡には怨念すら漂う血文字が浮かんでいた。

 

『一週間以内に帰らなければ百年外出禁止』

 

 魔界の文字で書かれたそれを読み取り、アバンは困ったような表情を浮かべた。

 

「弟さんもこう言ってますし、ブラッドってば魔界のお偉いさんでしょう? 帰った方がいいのではないですか?」

「何故分かった!?」

「いや当然でしょう。報告がどーたらもそうですけど、あれだけ態度に出ていればねえ」

 

 そう言ってブラッドに出会った時のことやロモス王国でのやり取りを挙げるアバン。

 論理的な説明に全く反論できず、ブラッドは深いため息を吐いた。

 

「一応俺はお前らで言う魔王以上の立場なんだがなあ……親衛隊長からの扱いがぞんざいすぎて泣けてくる」

「今のお前、正直言ってハドラーより情けない魔王だぞブラッド。

 家出ならさっさと帰ったらどうだ?」

 

 茶化すように鼻で笑うヒュンケル。

 ブラッドは視線を上げると眉根を寄せて彼を睨みつけた。「帰れるものならすぐに帰る」と呟く声に力はない。

 

「そも家出じゃない。あー外交官の気持ちが今なら分かる……仕事したくねえなマジで……」

 

 そのまま再び机に伏せるブラッド。

 大雑把で破天荒な魔族の青年の初めて見る姿に、ヒュンケルはぎょっと目を見開いた。

 

 ふとロモスで尋ねかけたことを思い出す。

 今なら答えてくれるだろうか、という僅かな期待を込めてヒュンケルはブラッドに尋ねた。

 

「お前結局何しに地上に来たんだ?」

「んー……一言で言えば昔なじみの尻拭いだ。あのうっかり竜、態度も図体もでかいくせにうっかり者なせいでドジを踏んでな。その救援依頼さえなければ俺は地上に来るつもりはなかったんだ」

 

 ブラッドの脳裏に初めて地上に来た時の感動が蘇る。

 

 魔界とは全く違う暖かな日差し。植物たちの緑の息吹。海の、硬質でない美しい輝き。

 どれも魔界に居たままでは見ることが叶わないものだ。

 

 親衛隊長に怒られはしたが、地上に来たことは後悔していない。

 一週間という短い間であったが、魔界と全く違う豊かな大地を踏みしめたのは本当に楽しかったのだ。

 ……人間(アバン)達との旅を含め、本当に久しぶりに味わう新鮮な出来事だったのだ。

 

 突っ伏したままであったブラッドはテーブルから顔を上げた。

 

 個人(ブラッド)としての旅はもう終わり。

 呪怨王は呪怨王として動く時間が来たのだ。未練はあろうともそれは変わらない。

 

 そんな複雑な感情を乗せた赤い目が、アバンをまっすぐ見つめた。

 

「地上観光はここまでだ。これから俺は、俺の役割を果たしに行く」

「……やはり、そうなりますか」

 

 アバンは残念そうに眉根を下げた。

 薄々感づいていたのだろう。理知的な光を宿す目が一度伏せられる。

 

 次の瞬間。その目に宿る光は変わっていた。

 

 理知的な光は覚悟を湛えた戦士の眼に、均整のとれた身体からは内なる闘志が溢れ出る。

 

 『勇者』としての力を少し出したアバンを、ブラッドは静かに見つめた。

 

「私はかつて、勇者と呼ばれ魔王と戦い平和を掴みました。

 魔界の王よ。貴方の果たす役割は、その平和を脅かすものではありませんか?」

 

 発せられた声は常の穏やかなものだ。

 しかしその問いの裏に隠された戦士としての覚悟を感じ取り、ブラッドはそっと目を伏せた。

 

 その問いに返す答えは決まっている。

 

「答えは是。俺が動けば地上の一部は瘴気に侵され、不毛の大地と化すだろう」

「……そうですか」

 

 アバンは残念そうに顔を歪めた。

 

 それが決定打であった。

 

 平凡な宿屋の空気が安穏とした日常から戦場に切り替わる。

 それを齎したアバンの姿には勇者としての鋭い覚悟の闘志が宿っていた。

 

 戦士としての教育を施されているヒュンケルは直ぐに理解した。これが勇者アバンとしての師の姿だと。

 愚直なまでに真っ直ぐで清澄な闘気を放つ勇者の姿なのだと。

 

 テーブルを挟んで静かに目と目を合わせたままの勇者と魔王の姿に一歩も動けないまま、ヒュンケルは必死の思いで息をのんだ。

 

 どれほどの沈黙が続いたのだろうか。

 

 先に口を開いたのはアバンであった。

 

「正直なところ、私は貴方と戦いたくありません。その役割を果たさず、魔界に帰ることはできませんか?」

「なっ」

 

 アバンの言葉に目を見開いたのはヒュンケルであった。

 

 何か言葉を紡ごうとしているのか、唇が震えている。しかし言葉は出ない。

 だが怒りとも安堵とも言える複雑な感情が幼い眼差しに浮かんでいた。

 

 ヒュンケルは動揺に震えたままアバンとブラッドは交互に見詰めた。

 

「……そんな表情するなよヒュンケル。いつものクソガキ面はどうした」

「だって。そんな、先生、だって!」

「あははは、支離滅裂だぞ。何がお前を刺激したのかはわからんが……まあ、最後にそういう表情を見れただけよしとするか」

「最後って! お前、本当にいなくなるのか!?」

 

 ヒュンケルの叫びにブラッドは答えなかった。

 ただ一週間の間良く行ったように、皮の手袋を身に着けた手でぐりぐりとヒュンケルの銀髪をなでつけた。

 それだけの動作が彼の真意をヒュンケルに伝えていた。

 

 常であれば即刻その手を振り払っただろう。しかしヒュンケルは今日だけはそれを受け入れた。

 

 ふとヒュンケルの脳裏にロモス王国での出来事が過ぎる。

 

 ブラッドに振り回され、色々な店を回ったこと。

 怪しい露店で綺麗な紫水晶をもらったこと。

 一緒にロモス名物のロモス芋を食べたこと。

 

 振り回されて迷惑だったそれらの出来事が、ヒュンケルには何故か遠い過去のように思えた。

 それがどことなくアバンと出会う前の温かい思い出と重なってしまった。……だから涙などが溢れるのだ、とヒュンケルは思った。

 

 大きな手が小さな頭から離れる。

 ブラッドは涙を流すその姿に何とも言えない表情を浮かべると、ヒュンケルはバッと顔を背けた。

 

 それを見届け……ブラッドは一連のやり取りを静かに、穏やかに見つめていた勇者に向き直る。

 

「そろそろ勇者の問いに答えさせてもらおう」

 

 部屋の緊張感が高まった。

 アバンはあくまで自然体のまま、ヒュンケルは感情に震えながらブラッドを見た。

 

 真摯な感情を伝えるアバンと、複雑な感情を訴えるヒュンケル。

 そんな対照的な二人をじっと見つめる。

 

 数秒の沈黙の後、ブラッドは言葉を紡いだ。

 

「依頼を放り投げることはできない。あんなうっかり竜でも俺の恩人だ。

 恩には恩を返す。それが俺の流儀だ」

 

 それは、決別の言葉であった。

 

 

 




○ちょっと出てきた人達
ミストバーン
 大魔王バーンの部下。非常に無口な白い衣をまとった男。
 その素顔は謎に包まれている。

キルバーン
 大魔王バーンの部下。元は冥竜王ヴェルザーの部下だが数百年前からバーン軍で働いている。
 ミストバーンとは違いおしゃべりな性格。通称死神。

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