魔族の中でも貧弱な分類にしては、自分はよく生きた方だ。
黒い岩肌の天井を眺め、かつて少年であった魔族の青年は思った。
ヴェルザーと出会って早百年。彼は今、床に伏せていた。
最近現れ始めた青い肌の魔族たちに比べ、古い魔族と言われる白い肌は血の気が失せ、顔色は土気色に差し掛かっていた。
青年に外傷めいた傷はどこにもない。
しかし確かに彼は床に伏せ、命の灯火は消えようとしていた。
それは端的にいえば病であった。
【……馬鹿め。この瘴気の中で過ごせば、いずれそうなると分かっていたはずだ】
簡素な寝床を横から覗くように冥竜は鼻を鳴らした。
百年が経った後も変わらずこの竜は溜まりに溜まった瘴気を出さないため、この地にとどまっていた。
青年とは異なりその巨体には一つの陰りも見えない。
出会った頃そのままの姿に青年は安堵の息を吐いた。
その姿を霞んだ視界を少しでも鮮明にするように青年は目を細めた。
【……でも僕はここで過ごせて良かったと思います。僕は魔族にしては貧弱な方だから、外だったらもっと早く死んでいたでしょう】
【さもありなん。お前ほど弱い魔族は俺様の長い竜生でも初めて見たわ】
いつか戦い方を教えた日のことを思い出してヴェルザーは嘆いた。
青年には魔法の才能はなく、かといって暗黒闘気の使い方を教えてもそれを使う肉体が貧弱に過ぎた。
暇さえあれば常に襲いかかってくる瘴気を自力で撃退できた回数は両手にも満たない。
ヴェルザーの庇護下になければ次の日にでも死んでいただろう。
出会った日のことを思い出したのか、青年は小さく笑みを浮かべた。
【あの日、僕はもう何も考えず、ただ神様に文句を言いたくてここに来たんでした。懐かしいなあ】
【……あの日から百年か。今でも謎だ。お前みたいな弱小魔族が結界を通過して来たことも、ここに居続けることも】
【あの日どうやって来たのか、正直僕も覚えてないですよ】
きっとここの瘴気に呼ばれたんだろうなあ。
長い結界生活の中での経験か、青年は確信めいたものを持ってそう呟いた。
ヴェルザーと共に外に出る選択肢は幾度となくあった。でも、外に出る気は起きなかったのだ。
まるで何かに引き止められるように。
青年の直感じみた不確かな物言いに、流石のヴェルザーも長い首を傾げた。
その視界の隅に瘴気が湧き出る。適当に魔法力を飛ばし消しとばすも瘴気はしぶとく揺らめいた。
そんな見慣れた光景に苦笑を浮かべる青年。だが直後に咳き込み、口元から赤い血が溢れた。
【あー……限界みたいです。中身、ボロボロだ】
【……声を出すな。死にかけの雑魚魔族の声など聞きたくもない】
【あはは。冥竜様、もう聞けなくなるんだから聞いてくださいよ。結構、頑張って出してるんですよ?】
そう言ってゴホゴホとむせこむ青年。今となっては珍しい赤い血が撒き散らされる。そんな青年の血の匂いに釣られたのか、周りの影から更に靄が立ち上がるのが見えた。
それを見たヴェルザーは舌打ちを一つすると、指先に魔法力を溜め始める。
青年は霞んだ視界にそれを入れ、申し訳なさそうに呟いた。
【結局何もできませんでした。それなのにあなたを一人にしちゃうのは、申し訳ないです】
【突然何を言うか、百年程度いただけの若造が】
【でも僕はあなたといれて、楽しかった。自惚れじゃなければ、あなたも】
【黙れと言っている】
青年が見る限り冥竜ヴェルザーはずっと一人だった。
時折結界を出て領地に戻ることはあっても、しかし配下を連れて戻ってくることはない。
彼がいつからここにいるのかは知らなかったが、彼の領民のいる地はこの結界の近くだ。マグマの海を挟んで隣の大陸。それが冥竜ヴェルザーの領地だ。
いくら冥竜がここを領域として定めていても、帰るべき場所は別にある。
そして帰ろうと思えばいつでも帰れたはずなのにここに居続ける理由を、青年はなんとなく感じていた。
【冥竜なんて呼ばれてるのに優しいですよね、貴方は】
【……いずれ全てが俺様のものになる世界を、瘴気などという汚物に汚染させる気がないだけだ!】
全く竜らしい、けれどどこか強欲な人間のような物言いに、この竜らしいと青年は笑った。
ヴェルザーはそれだけ言い切ると青年を一度睨みつけ、靄への迎撃に移る。
響き渡る爆発音や振動に咳き込み、青年は寝床を朱に染めながらぼんやりと映るその勇姿を見つめた。
【冥竜ヴェルザー、ありがとう。もし僕に生まれ変わる機会があるなら、今度はーー】
その背後。
血の撒かれた岩陰から、様子を伺うように黒い靄が顔を出して居た。
靄は血に同化するように進んでいき、ゆっくりと青年へと腕を伸ばして、そして。
『ーー何故来たこの愚か者が』
「開口一番、ひっでえなあ冥竜王」
昔と変わらない罵倒に、ブラッドは苦笑を浮かべた。
呪力移動呪文で冥竜王ヴェルザーの元へ直接向かったブラッドを待って居たのは白い世界であった。
雲でできたようなふわふわとした白い大地。青い空を背景に広がるそれはまさに天上の景色といえる。
その中に建てられた白い牢を思わせる一室。そこから景色を見回しブラッドは一つ頷いた。
冥竜王ヴェルザーの魂の元へ直接転移する呪文、呪力移動呪文は無事に成功したようだ。
冥竜王ヴェルザーはかつて瘴気を封印していた折にその魂まで瘴気に浸っていた。
彼だからこそ溶かされずに済んでいたが、それでもその魂にはブラッドの一部とも言える瘴気がこびりついている。
呪力移動呪文はその瘴気を出入り口にして移動するのだ。
次元も結界も関係ない。そこに瘴気があればどこでも行ける。逆にいえば瘴気があるところに彼は存在できる。呪力移動呪文はそういう呪文だ。
そしてそれは、純粋な魔族でなく特異な存在である呪怨王ブラッドだからこそできるのだ。
「……んでここどこ? 天界なのはわかるけど、空気綺麗すぎて俺死ぬかも」
『死ね。天界の連中が言うには戒めの塔とか言うらしい。それと気持ち悪い故、さっさと出ぬか』
ちなみに今のブラッドは石像になっているヴェルザーの腹から突き出るように出現している。
本人としても嫌だったのかさっさと這い出て、服の埃を払うかのように叩いた。
赤い目が警戒するように周りを見回した。
今のところ、何かが近づいてくるような気配はないようだった。
「んじゃま、改めて久しぶりだなヴェルザー」
『帰れ黒ヘドロ』
ど直球な罵倒であった。
石像であるはずのヴェルザーの額に青筋が浮かび上がったようにすら見える怒りようである。
勿論錯覚であるが、内心では間違いなくそうなっているのだろう。
取り付く島もない冥竜王の辛辣な言葉に、ブラッドはバツが悪そうに後頭部に手を当てた。
「……酷くないか? 一応お前の部下に助けを求められて来たんだけど」
『死神(キル)には呪わせろとだけ伝えたはずだ。直接助けに来いとは誰も言っていないぞ歩く危険物。天界ごと爆破して死滅しろ。お前だけ滅びるのでも可』
「ひどすぎる!? さては機嫌最悪だなおめー!?」
遠慮なく浴びせられる罵倒の言葉にブラッドは額に青筋を浮かべる。しかし冥竜王の口は止まらない。
『当たり前だ! 転生を待つ無防備な瞬間を封印された上に、それが敗北であると認定されて石化まで被ったのだぞ!
あとお前ももう少し呪いの認定を甘くしろ! ただでさえ天界の封印が硬い上にお前の呪いまで加わって流石の俺様も動けぬのだ!』
「いやお前……竜の騎士に負けてるし封印まで食らって敗者じゃないって言いたいの……?」
『この俺は冥竜王だぞ。不死の魂を持つ俺様に敗北はない!!』
ブラッドはとりあえず冥竜王の腹を蹴った。
石特有の硬い感触と反動が帰って来たが、むしゃくしゃしたのだ。蹴らざるを得なかった。
「とりあえず言いたいことは山ほどあるけど帰るぞうっかり竜」
『誰がうっかりドラゴンか!』
「追い詰められて黒の核晶に魔法力ぶっこんで自分の大陸ごと吹っ飛ばした奴がうっかりじゃないとでも!?」
『……うっかりではない。力加減を少し間違えただけだ馬鹿め』
それを人、うっかりという。
先ほどまでの勢いを落とした冥竜王にため息をついてブラッドは帰還の準備に入るべく動き出した。
その赤い背を見てヴェルザーはつぶやいた。
『……どうしてここに来た。お前は俺様とバーンの決着が着くまで静観するはずだったろう』
「急にどうしたよしおらしい。気持ち悪いぞ」
『茶化すな悪食。答えろ』
「そんなの、いうまでもないだろう」
そう言ってブラッドは困ったような笑みを浮かべた。
冥竜王の言葉に遠い日のことが思い出される。
それはかつていたとある魔族の最期の日。
今まで漠然と動き、意思という意思を持たなかった彼が初めて明確な意識を得た日のことだ。
「お前のことは頼まれちゃってるんだから、仕方ない」
天界を封じる結界に小さな穴を開け終え、かつて託された思いを呟く。
『……余計なことを』
「諦めろ。頼み事もそうだがお前は遠い昔俺を生かしてくれた。滅ぼすこともできたのに育てる道を選んでくれた。
なら、助けない選択肢は始めからないんだ」
真摯な思いを湛えた赤い目が灰色に染まった竜の黄色い目と重なった。
冥竜王は押し黙ったままであった。
そんな古い知己に言葉を重ねるべくブラッドは口を開いたがーーその視線はすぐに険しいものに変わった。
ブラッドは己に向けて放たれた光の砲弾をステップで回避すると、それが飛んで来た方向を睨みつけた。
「人の話中に割り込むなよ。マナー違反だぜ?」
「邪悪なるものを感知。冥竜王の封印に未だ異常は見られず。しかし天界の守護結界に穴を発見。浄化を開始する」
白い衣をまとった男が機械的な口調で告げる。
一見人間のようだがその背には人間にはない翼が生えていた。
その姿を見てブラッドは天界の精霊か、とあたりをつける。
男の周囲には九人の精霊たちがそれぞれ弓矢と槍を構えており、戦闘要員であることは見て取れる。
包囲完了と言いたげな彼らの様子を目にし、ブラッドは小さくため息をついた。
「大歓迎だな。か弱い精霊にしちゃあご立派な装備してるじゃないか」
『ああ、アレには全て呪文封じのまじないが掛けられている。まあ俺様が暴れたら追加されたものだがな』
「なるほど。やっぱり一度くたばれヴェルザー!」
心なしか得意げに見える冥竜王を罵倒しつつ、ブラッドは全力で回避に走った。
本来呪文封じは実力差のある相手には通じないが、天界の精霊たちが使うそれは違う。
原理不明の不思議な力で実力差を無視して封印をしてくるのだ。
そのため本来なら魂だけの無防備な状態であろうと、強大な力で対抗できる冥竜王ヴェルザーも封印されてしまっているのだ。
「流石に俺まで封印される訳にはいかないしな」
そんなことになれば弟が死ぬ。多忙すぎて。
過労死する魔族という歴史上初の偉業を迎えそうな弟のことを考えつつブラッドは包囲網をちらりと見た。
槍持ち五人の弓持ち五人。
そして槍持ちの精霊の中に一人だけ剣を携えている者がいる。
最初に口を挟んだ精霊だ。
(あいつが隊長格だな。増援されたら少しは面倒か)
襲いかかる槍持ちの精霊の影と交差するように動くと、ブラッドは冥竜王の背に飛んだ。
文句は無視しそこからジャンプして一回転。柱の陰に着地する。
弓矢の直撃を食らった冥竜王は怒りの咆哮を上げていたが、石になっているので何も問題はなかった。
「まあ全部消してしまえばどうでもいいな」
間髪入れずに放たれる矢の嵐を駆け抜けながら、ブラッドは一つ指を鳴らした。
その進行方向に待ち構えている槍持ちの精霊四人はその隙を逃さず槍を突く。
しかしそれがブラッドに突き刺さることはなかった。
「精霊喰いは初めてだが、問題ないだろ」
彼らの影から飛び出した瘴気が、唸りを上げて四人を飲み込んだのだ。
突然の事態に彼らは断末魔すら残さず天界から消え去った。
ブラッドは舌舐めずりをすると、小さくご馳走さま、と呟いた。
「ひっ!?」
その様子を見て、弓を構えていた一人の精霊が悲鳴をあげる。
その精霊を庇うように隊長格の精霊は前に立ち、呪文を放った。
「邪悪なる意思よ、退け……マホカトール!」
部屋全体を包み込むほどの大きな五芒星の魔法陣が発動する。影に仕込んだ瘴気が浄化されたのを感じとり、ブラッドは眉間に皺を寄せた。
隊長格の精霊は続けて檄を飛ばした。
「陣形を組め。ミナカトールの準備を進めよ!」
「む」
『ほう。お前に対して的確な対応だな』
破邪呪文はブラッド最大の天敵である。
しかしブラッドは五芒星を描くように散る五人の弓兵を見やると、何もせずに首筋に手を当てた。
「それ痛いんだよなあ……まあでも、無意味なことか」
そのまま首をひと撫でし横薙ぎに払う。
掻き切られた首筋から跳ね上がるように黒い血が噴出し、一気に霧状になって広がる。
生物として致命傷のそれを気にせずブラッドは指揮を振るうように腕を上げた。
その異様な姿に精霊たちは動揺の声を漏らす。
「狼狽えるな! 破邪の結界の中ではいかなる邪悪も無力! 神を信じ封ずるのだ!」
「ご高説ご苦労さん」
ブラッドの指先が隊長格の精霊を示す。
その動きに呼応するように黒い霧がマホカトールの聖なる結界と接触する。
ーーだが結界は一瞬の拮抗ののち粉砕、否、溶解されてしまった。
それとほぼ同時に術者であった隊長格の精霊は断末魔の絶叫を上げ、その姿は溶け落ちた。
あまりに唐突に起きた出来事に、弓兵の精霊の一人が悲鳴のような声で呻いた。
「馬鹿な……貴様は一体なんなのだ。まともな魔族じゃない、否、魔族ですらない化け物か……!」
「何ってそりゃあお前。その通りの化け物に決まってるだろ」
揶揄うような軽い声音を最後に、その精霊の意識は途絶えた。
仲間が次々と消えていく様を見つづけ、最初に悲鳴を上げた精霊は声もなくただ震えていた。
ブラッドが噴出した黒い血はまるで獲物を求める獣のように揺らめき、精霊に近づく。
すっかり怯えきったその精霊を見つけ、ブラッドは苦笑を浮かべた。
「大体だなあ、俺が生まれた最大の原因ってお前ら天界の浅慮なんだぞ」
勇気を出して弓矢を射った精霊が放った矢ごと黒い霧に飲み込まれた。
「まず理不尽に恵みを奪われた魔族達の恐怖や憎悪、怒りや哀しみ。そういう負の感情が積もりに積もって瘴気が生まれた」
破邪呪文で抵抗しようとした一人が溶かされた。
「その瘴気はよりにもよって魔法力を無尽蔵に蓄える性質を持つ黒魔晶に取り憑いてさあ大変。蓄える性質を飢えと解釈して、生き物という生き物に襲いかかりまくること数百年。冥竜によって一時的に封印される程の暴れぶり」
誇りを捨て、逃げようとした一人が溶かされた。
「たまたま封印結界に迷い込んだ死にかけ貧弱魔族と同化してやっと明確な意識と理性が発生したわけ。
それが今の俺な訳だが、今の状況は大体のお前らの自業自得。おーけー?」
それこそが呪怨王ブラッドの正体。
黒魔晶を核に持つ、魔族たちの負の感情から生まれた怨念の化身だ。
話を聞いて更に怯えきった最後の精霊を飲み込み、ブラッドは口を拭う。そして改めてヴェルザーに向き直った。
「説明しても食べたら意味なかったな」
『当たり前だろうこの悪食悪童』
「確かにお前よりは年下だけど俺を悪童呼ばわりするのはお前ぐらいだわー……」
同化した貧弱魔族が若かったため見た目は若いが、この呪怨王。実年齢は万を超えていたりする。
もっとも冥竜王は更に歳を重ねているので悪童呼ばわりは残当である。
自傷した首を癒すブラッドを見て、冥竜王は盛大にため息をついた。
『アイツが同化して何がどうしてこんな性格になった』
「そんなの俺にだって分からん。分からんが俺は今の俺でいいと思うぞ」
ブラッドは本気でそう思った。今のブラッドには弟がいて、守るべき民がいて、古い知己がいるのだから、かつての雑多な存在であった時など比較対象にもならない。
そういえば、とブラッドはここに来たもう一つの目的を思い出し口を開いた。
「お前もバーンも居なくなったせいで魔界が未だかつてなく不穏なのは分かってるか?」
『分かっているわ愚か者。その口ぶりではお前が直接ここに来たのは集めた瘴気が限度を越えようとしてるな?』
流石に最後の知恵ある竜は長年の腐れ縁の内情に詳しかった。
「ああ。いくら俺が力として使おうが、封印に封印を重ねようが、このままじゃ百年もしない間にジオン大陸は破綻する。
そうすれば今まで集めに集めた瘴気がどうなるか、この俺にすら予想が出来ん」
瘴気はブラッドの手足であり生まれ出た故郷だ。普通の生物には百害あって一利なしの毒物であるそれは、ブラッドなら制御し管理することもできる。
だが増え続けるそれを制御しきれるかは話が別だ。
ただでさえ過酷な魔界の環境。その中にさらに猛毒を追加されれば今でさえ少ない魔族が絶滅してしまう。
それだけではなく、かつて暗黒闘気から生まれたものがいるように、そしてブラッドが生まれたように、新しい化け物が生まれないとも限らないのだ。
何もブラッドがジオン大陸に瘴気を集めているのは自分の手足とし、民を守るためだけではない。
自分以上の化け物が生まれないために管理すべく集めているのだ。
だがそれも限界が近いのが現状だ。
「新しい封印具が出来るにも時間がかかる。折角俺が外に出て来たんだから、責任は取らせないとな」
『……俺様は分かっているぞ。お前。絶対。来るまでに遊んで来ただろう』
冥竜王の冷めた視線に明後日を向く呪怨王。
腐れ縁は伊達ではなかった。
ブラッドはそんな視線から逃げるように懐に手を突っ込み、六つの黒い石を取り出した。
それを部屋の隅六ヶ所に埋め込み、外へつながる窓から白い世界へ飛び立つ。
「じゃ、そういう訳でお前先に帰すから。多少乱暴だが、まあ許せ」
『待て。どこに飛ばすつもりだ。誠に遺憾ながら俺様の領地はもうないぞ』
「ジオンのどっかでいいだろ……あ、そうだ」
ブラッドはいいことを思いついたとばかりにニヤリと口元を釣り上げた。
「転移先は黒晶山脈な。何しろ俺が保険で渡しといた危険物を使うくらい好きなんだから、問題ないよなあ?」
『ちょっと待て愚か者がぁ!!!』
本気で焦ったような冥竜王の声が響く。
補足すると黒晶山脈とはジオン大陸に存在する黒魔晶の産地である。
当然そこも瘴気に塗れており、ブラッドがその気になれば黒の核晶に変化させることもできる。
つまりは危険地帯と言われるジオン大陸屈指の超危険地帯である。
『待て、落ち着け。如何に不死身の魂を持つ俺様といえど周りを爆弾に囲まれるのは背筋が凍る』
「ヴェルザー……俺は常々お前に言いたいことがあったんだ」
ブラッドは一拍置き、満面の笑みを浮かべた。
「瘴気時代に散々吹っ飛ばされた怨み、受け取れくたばれクソ冥竜!」
恩はあれどそれはそれ、これはこれ。
積年の恨みは忘れない。
呪怨王、長年の夢を果たした瞬間かつ紛れも無い本音であった。
黒い石から放たれた魔法力が部屋ごとヴェルザーを包み込む。
文句を叫ぶ冥竜王の声を背景に、黒い光は全てを包み込むと収束し小さな音を立てて消え去った。
跡には上部を削り取られた白い塔が残るのみだ。
ブラッドは汗を拭う動作をし、呟いた。
「よし面倒ごと一つ終了。あとは憎っくき神々に会うだけだな」
頂上部分がごっそりと消えた塔を見て独り言ちる。
今ので追放呪文で異常があったことを天界も嫌でも察知するだろう。
だがブラッドにとって精霊は脅威でない。むしろその騒ぎに乗じて神々の居場所も掴めれば一石二鳥、願ったり叶ったりだ。
さあ神々の場所を突き止めるかとブラッドが動き出したその時、白い世界の青い空の彼方に虹が瞬いた。
「んー?」
よくよく目を凝らせば、それは白い竜であった。
移動のために羽ばたく翼から虹は煌めき、まるで飛行機雲のようにその竜の道程を彩っていた。
ブラッドはその竜を知っていた。
「アレは……聖母竜マザードラゴンか……?」
かの竜は竜族の中で唯一魔界に落とされなかった知恵ある竜だ。
竜の神に造られたと言われる、竜の騎士たちの母。そしてかの竜は神々に与する唯一の竜であると言われている。
ブラッドも噂でしか知らない存在であったが、天界で竜といえばそれしかない。
冥竜王とは真逆の真白い鱗のその竜を見つめ、ブラッドは口元を吊り上げた。
「アイツなら神々の居場所知ってるな。丁度良い」
魔法力の光がブラッドを包み込んだ。瞬間移動呪文の前兆だ。
それとは別の方向から魔法力の光がブラッドに近づいてくる。恐らくは精霊たちの増援だろう。
しかし彼等がたどり着いたその時はブラッドの姿は空の彼方へと消えていた。