___ 皇歴 2019年
「はぁ~~い! みんな、それまで!
お腹が空いているとは思うけど、後片づけはきちんとねぇ~~! それじゃあ、解散!」
私立アッシュフォード学園高等部体育館。フェンシング独特の風斬り音が幾つも鳴る中、終業のチャイムが鳴り響く。
時刻はお昼。誰もが待ちかねた昼休みに自然とざわつき湧くが、そんな生徒達を諫める為、若い女性体育教師が両手をメガホンにして叫ぶ。
だが、静かになったのはものの数秒。育ち盛り、食べ盛りの年頃である上、この体育館に居るのは『三人寄れば姦しい』とされる乙女達。体育館はすぐに騒然となってゆく。
「ぷっはぁ~~っ!?」
その中の1人、フェンシングのマスクを取り外した開放感に浸って、更なる新鮮な空気を求めての深呼吸。顔を左右に振って、目にかかった邪魔な前髪を振り払う少女。
ちょっと癖毛ではあるが、美しいアッシュブラウンのセミロングヘアー。やや垂れ目ながらも鋭さを感じ、見る者を惹き付ける紫の瞳。同世代が羨む高めの身長と細身の身体。
乙女が約50人集う中で存在感が際立つ彼女の名前は『ナナリー・ランペルージ』、嘗ては『ヴィ・ブリタニア』の姓を持っていた元皇女。
そう、あのスザクとの逃避行で捕まった後、ナナリーはブリタニア本国へ帰国せず、その姓名を変えて、そのままエリア11に住み続けていた。
無論、この学園の名前で解る通り、マリアンヌの筆頭後援貴族であるアッシュフォード家の庇護を受けてである。
但し、ナナリーの強い希望があって、アッシュフォード家は国を欺き、その存在を秘匿した。
日本との戦争中に死亡。それが『ナナリー・ヴィ・ブリタニア』を表す公式記録であり、ナナリーが『ランペルージ』という架空の姓を名乗っているのは、そう言った事情があった。
「ランペルージさん! ランペルージさん!」
「はい? ……あっ!?」
背後から呼び止められて、ナナリーは思わず振り返り、駆け寄ってくる女性体育教師の興奮しきった表情に表情をしまったと顰める。
お腹は既にぺこぺこの空腹。授業が終わると同時に更衣室へダッシュ。着替えをさっさと済ませて、学食へ行こうと、ほんの一瞬前まで考えていたにも関わらず、フェンシングのマスクを脱いだ開放感にコロッと忘れていた。
ましてや、この女性体育教師に捕まっては堪らないと解っていたのにだ。
「ねえ! やっぱり、部に入らない!
貴女なら絶対にエリア優勝は間違いなし! 本国大会へ進めるわ!」
「いや、それは前も言った様に……。」
「ケンドーとか言う奴? ……駄目よ! 駄目、駄目! そんなイレブンの剣なんて!
幾ら練習したって、その成果を発揮する場が無いじゃない!
その点、フェンシングなら、エリア代表になれば、騎士候になれるし……。
本国大会へ行けば、貴族の目にも留まる。それこそ、御前大会へ出場できれば……。
そう、そうよ! 御前大会よ! ランペルージさん、貴女なら御前大会だって、夢じゃないのよ!」
「いや、だから……。そのですね?」
その理由がこれだった。
貴族社会のブリタニアにおいて、フェンシングは国技。特に貴族の男子にとっては必須の嗜みとされ、軍隊においては嗜んでいるか、嗜んでいないかで出世の早さが違うほど。
一般市民、エリア民にとっても大会で好成績を得れば、女性体育教師が言う通り、身を立てられる可能性が十分に有り、その人気は他のスポーツを圧倒していた。
その最たる実在例として『マリアンヌ』が在る為、ここ十数年は過去にないほど、その人気が爆発。第二、第三のマリアンヌを志す者達が後を絶たず、市井のフェンシングクラブは次から次へとたけのこの様に乱立していた。
そうした世相がある中、ナナリーは今代のアッシュフォード高等部で上位1、2位を争う腕前を持っていながら、フェンシングに興味を全く持っていなかった。
部活は入っておらず、帰宅部。市井のフェンシングクラブへ通っているのかと思えば、嗜みにしているのは廃れたエリア11のスポーツ。その師の言い付けで他流試合を禁じられており、大会経験は皆無なのだから、女性体育教師が必死になるのも無理はなかった。
しかも、女性体育教師は既に卒業してしまった前代における強者『シュタットフェルト』家令嬢を逃しているだけに今度こそはと意気込み、ナナリーを学園で見かける度、自分が顧問を務めるフェンシング部へ誘っていた。
たまらずナナリーは友人達へ救いの目を向けるが、友人達は苦笑するだけ。女性体育教師がこうなると長いのを知っており、さっさと更衣室へ着替えに向かってしまう。
その熱い友情に溢れた友人達の背中に目をギョギョッと見開き、ナナリーが心の中で『薄情者ぉ~~!』と罵り、半ば昼食を諦めたその時だった。
『高等部1年B組、ナナリー・ランペルージさん。
理事長がお呼びです。理事長室までお越し下さい。……繰り返します』
正しく、天の助け。スピーカーから『ピンポンパンポーン』と放送連絡を表すお馴染みの鉄琴音。
言うまでもなく、生徒と教師では教師の方が立場は上だが、教師と学園理事長では学園理事長の方が立場は圧倒的に上。その邪魔は出来ない。
「あっ!? お、お爺様が呼んでる! な、何だろう!」
「ちょっと! ランペルージさん!
……って、んもぅっ! 私は諦めないわよ! 絶対に部へ入って貰いますからねぇぇ~~!」
ナナリーはこれ幸いと話を強引に切り上げると、地団駄を踏む女性体育教師の叫びを背に駆け出した。
******
「失礼します。お爺様、お呼びとの事ですが?」
日本がブリタニアの属国となり、その名を『エリア11』と変えてから、9年。
超伝導のエネルギー源『サクラダイト』の世界最大産出国で一旗をあげようと、エリア11は他の属国以上に移民で溢れ、主要都市はブリタニア色へ瞬く間に染まった。
今現在も『サクラバブル』に沸き、移民は日々増えて、ブリタニア国民が住むトウキョウ租界の膨張は止まる事を知らず、建設ラッシュで溢れていた。
マリアンヌの筆頭後援貴族であるアッシュフォード家は、何処よりも早くエリア11へ進出。優秀な技術力を持つ事で有名な元日本の有名自動車会社を次々と併合して、ブリタニア国内の自動車産業シェア1位となり、巨大な財を成していた。
そんな中、アッシュフォード家は新たな事業を始める。それが学園経営であった。
莫大な富を背景に戦争で焼け野原となった土地を買い漁り、中学、高校、大学を一貫とした私立アッシュフォード学園を建設。
エリア11に最も早く作られたブリタニア系私立学校であった為か、エリア11へ進出した貴族や有力者の子弟子女が集まった結果、学校偏差値が年々上昇。創立10年を経たずして、大学はブリタニア国内における五指の学府となり、今やブリタニア本国、エリア各国から留学生を迎えるまでに至っていた。
また、中学、高校、大学を一貫した学園だけあって、その敷地は当然の事ながら広い。
それどころか、学生寮、教師寮が建ち並ぶ住宅区も、そこへ住む者達が生活に日々利用する商業区も、全てがアッシュフォード家の土地であり、中央にモノレール線が通って、アッシュフォード学園東、アッシュフォード学園中央、アッシュフォード学園西と冠名の付いた駅が3駅あるほどに広い。
つまり、事実上、街一つがアッシュフォード家のものであり、これに伴い、アッシュフォード家の力は学園内は勿論の事、学園の外にも、時にはエリア11の行政に影響を与える力を持っていた。
その支配者たる老人『ルーベン・アッシュフォード』は、学園中央にある植林された広大な森の中、学園と隔絶する様に立てられた屋敷に住んでいた。
余談だが、ルーベンは既に隠居を済ませた身。当代はブリタニア本国にて、前記の説明通り、自動車産業を母体とする財閥を管理運営しており、このアッシュフォード学園はそれと別枠のルーベン個人のもの。
「……って、う゛っ!?」
ナナリーは通い慣れたルーベンの書斎へ一歩踏み入れた瞬間、思わず立ち止まった。
広々とした部屋の中、立派なマカボニーの執務机の向こう側、窓辺に立ち、両手を腰で組みながら外を眺めているルーベンの背中が怒りを秘めていると気付いて。
「ナナリー様、ご足労をわざわざ願い、恐縮に御座います。
さあ、その様なところにいつまでも立って居らず、お座り下さい」
「……は、はい」
その予想は当たっていた。ルーベン自身は怒りを隠しているのだろうが、振り返った表情の白髪となった右眉がピクピクと隠しきれずに跳ねていた。
しかし、ここまで来て、逃げる事は出来ない。ナナリーが執務机前にある応接セットのソファーへ座ると、それを見計らっていたのだろう。メイド服姿の使用人が一礼をして書斎へ現れ、ナナリーの前に紅茶を置き、再び一礼をして出て行く。
「え、ええっと……。きょ、今日は何の御用でしょう?」
ここまで急いできたのもあり、喉が渇いていたナナリーは心を落ち着ける意味合いも含め、せっかくだからと紅茶を熱さに注意して一口啜る。
たちまち口内に広がった豊潤な香りと味に感動。さすが、良い茶葉を使っているなと思いながら、もう一口、二口と啜り、ティーカップとソーサーを持ちながら、未だ何も言い出さないルーベンへ顔を向けた。
「ふぅぅぅぅぅ~~~~~~……。」
「っ!?」
ルーベンは目を瞑りながら顔を左右に振り、これ見よがしの深い溜息。ナナリーは身体をビクッと震わせると、慌ててティーカップとソーサーをテーブルへ置き、背筋をビシッと伸ばして、姿勢を正す。
そして、今日は何を怒っているのかと考え、あれだろうか、これだろうかと、ここ最近あった自分の失態を思い浮かべ、それ等に対する言い訳を頭の中で懸命に組み立てて行く。
「……あ゛っ!?」
だが、ルーベンの怒りはナナリーが予想したどれでもなかった。
ナナリーの真向かいに座り、懐から1枚、2枚、3枚と写真を次々と取り出して、テーブルの上に列べてゆくルーベン。
最終的に6枚が列んだ写真の中には、いずれもナナリーが写っていたが、その姿格好は奇妙の一言だった。
同じモノは1枚も在らず、それぞれが赤、青、黄と現実に有り得ない髪色のウィッグを着け、日常生活に不便そうな斬新すぎるデザインの衣服。胸の谷間が強調された水着同然の際どいモノすらある。
知らない者が見たら、仮装パーティーでの衣装と考えるだろうが、ナナリーにとって、それは約3ヶ月前から通っているアルバイト先『コスプレ喫茶』のユニフォームだった。
ちなみに、コスプレ喫茶とは、戦後約10年が過ぎ、ようやく復興してきた嘗ての日本にあった漫画やアニメといったサブカルチャー。それ等の中で活躍するキャラクターの姿を真似て、手厚い給仕をしてくれるウェイター、ウェイトレスが居る喫茶店の事である。
今、トウキョウ租界では静かなブームとなっており、アッシュフォード学園内には1つも存在しないが、その隣の商業区を中心にして、店舗が増えつつあった。
そのアルバイトを行っている事実をルーベンに黙っていたナナリーはビックリ仰天。
「ナナリー様! 一体、これは何なんですか!」
「キャっ!?」
その隙を突き、ルーベンがテーブルを右拳で思いっ切り叩き、ナナリーは思わず身をビクッと竦めて、2度目のビックリ仰天。
テーブルのティーカップセットが跳ねて転び、紅茶がテーブルを濡らしてゆくが、ルーベンはお構いせずに小言を列べてゆく。
「話を聞けば、ホステス紛いの事を行う職業だとか!
爺は悲しいです! まさか、まさか……。水商売に身を窶すなどとは!」
「い、いや、これはですね……。」
「何故、言って下さらないのです! お小遣いが足りないなら足りないと!
爺は恥ずかしいです! その様な苦労をナナリー様に強いていたかと思うと、自分が不甲斐なくて!」
「い、いや、だからね……。」
「8年前のあの時! 貴女様を迎えた時!
絶対に二度と不自由はさせるものかと誓ったはずが! ……くぅ! この様とは!
このルーベン・アッシュフォード! こうなったら、死して、お詫びを申し上げるしか!」
「い、いや、満足してる。い、今の生活に満足してるから……。」
「それでしたら、何故ですかっ!?」
「い、いや、それは……。」
しかも、小言を列べながら感情のボルテージも上げてゆき、そうかと思ったら一転。目線を右腕で覆いつつ身を震わせて、オイオイと泣き始める始末。
怒られるだけならまだしも、泣かれては手が付けられず、ナナリーは言い訳を考えるも妙案が出てこず、言い淀むのが精一杯。
なにしろ、ナナリー自身もルーベンが言う通り、コスプレ喫茶のアルバイトが半ば水商売だと自覚していた。
その上、アルバイトを始めた理由が『コスチュームの可愛さに惹かれて、着てみたかった』と言う下らなさすぎるモノだけにとても言い出せなかった。
ナナリーは困りに困り果てた末、アッシュフォード家には持っていないが、ルーベン個人には持っている義理を優先。これ以上、ルーベンを困らせられないと、アルバイトを辞める決断に心が揺れ動いたその時だった。救いの主が現れたのは。
「お爺様ってば、大げさに考え過ぎ。
ナナリーはただ単にちょっと社会勉強をしてみたかった。……そうよね?」
突如、第三者の声。ここがアッシュフォード学園の支配者たる屋敷の書斎である以上、それは有り得なかった。
しかし、ナナリーも、ルーベンも、その声を知っていた。思わず驚き顔を見合わせて、声がした書斎出入口へ顔を一斉に向ける。
「ミレイさんっ!?」
「ミレイっ!?」
「2人とも、ただいま♪ やっぱり、この国は暑いはねぇ~~♪」
予想通り、そこにはアッシュフォード家の長女『ミレイ・アッシュフォード』が笑顔で今更ながら開けたドアをノックして立っていた。
「へぇ~~……。良く似合ってるし、可愛いじゃない」
「でしょ、でしょ! これなんか、私のお気に入りなんですよ!」
普段、ミレイは学園の大学部に在席する傍ら、ルーベンの学園経営を補佐する副理事長の立場にある。
しかし、アッシュフォード家の長女にして、一人娘のミレイは将来のアッシュフォードを継ぐ立場にもあり、貴族としての社交を行う為、高等部の頃からブリタニア本国へ度々赴き、ここ数年は1年の1/3をブリタニア本国で過ごしていた。
そう言った事情があり、今日は実に1ヶ月半ぶりの帰国。ミレイを子供の頃から姉として慕っているナナリーはもう大喜びだった。
だが、そのおかげで、タイミングが悪かったと言うしかないが、ルーベンはすっかり蚊帳の外にいた。
「でもさぁ~~……。これ、ちょぉ~っと盛り過ぎじゃない?」
「……えっ!?」
「どれどれ? このミレイさんが確かめてあげるとしますか」
「な、何ですか? そ、そのやらしい手つきはっ!?」
今や、座っていた席をミレイに奪われてしまい、ルーベンは執務机に座り、両肘を机に突きながら組んだ両手の上に額を乗せて、溜息を深々とつく。
最早、先ほどまで話し合っていたアルバイトの問題を再び出したところで無駄なのを悟っていた。
何故ならば、ミレイは叱る時は徹底的に叱るが、基本的にナナリーの味方であり、その自主性を大事にして、よっぽどモラルから外れない限りは叱らない。
また、ミレイとナナリーは実の姉妹と言えるほどに仲が良く、この手の言い合いで組んだら絶対に勝てないと過去の経験から知っていた。
それでも、ルーベンはナナリーにアルバイトを辞めさせたかった。強く言い聞かせれば、辞めてくれるだろうと承知していたが、自発的に辞めて欲しかった。
ちょっとしたボタンの掛け違いで今は市井の中にあるが、本来のナナリーの身分は皇女。その気高さと誇りを持って欲しかった。
そう真剣に考えて、心配をしていると言うのに、目の前の現実は無情だった。
「ほれほれ? ミレイさんが居ない間にどれだけ育ったのかな? ナナリーのちっぱいはぁ~~?」
「ちょっ!? ……やっ!? ダ、ダメですってばっ!?」
「フッフッフッ! 良いではないか、良いではないか!」
「キャァーー! キャァーー! キャァーー!」
まるでルーベンが居ないかの様に2人はキャッキャッ、ウフフと戯れ、目に余るモノがあった。
ここが何処なのかを解らせる必要があると考え、ルーベンは席を蹴って立ち上がり、机を両掌で目一杯に三連打。怒鳴り声を轟かす。
「2人とも、いい加減にせんかああああああああああ!」
「キャっ!?」
「どうしたの? お爺様もそろそろお歳なんだから、血圧が高くなる様な事は……。」
ナナリーは驚きに動きを止め、そんなナナリーをソファーへ押し倒して、背後からナナリーの胸を揉みしだくミレイは、尚もナナリーの成長具合を確かめながら姉妹の語らいを邪魔したルーベンへ白い目を向ける。
余談だが、容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群と三拍子が揃っているナナリーだが、たった1つだけ欠点があった。
それがミレイの言葉にあった『ちっぱい』であり、ナナリーはトップとアンダーの差が4cmのAAAカップ。ほぼ真っ平らと言ってもいい非常に残念な胸だった。
但し、普段のブラジャーはAカップ。その中身が見栄入りなのは極秘中の極秘で親しい者達しか知らず、その秘密故に水泳の授業をナナリーは嫌っていた。
「うるさい! ミレイ、お前は黙っていろ!
ナナリー様、私が怒っているのはアルバイトの件だけではありませんぞ!」
ルーベンはミレイの言い草にますます激昂。
鼻息をふんすと強く吐いて、懐へ右手を入れると、高々と掲げて、執務机の上に数枚の写真を叩き付けて置いた。
ミレイはナナリーを解放して、今度は何だと言わんばかりにやれやれと溜息をついて立ち上がり、写真を手に取って、笑顔を浮かべる。
「おっ!? 免許、取れたのね? ナナリー、おめでとう!
だけど、これは無いわ。残念だけど、さすがの私も庇えないなぁ~~」
「えっ!? 何が……。あっ!?」
だが、その笑顔をすぐに苦笑へと変え、ミレイは肩を竦めて、写真をナナリーへと渡す。
ナナリーは乱れた着衣を直しながら、今度は何が写っているのか、ミレイが苦笑した理由は何故か、と疑問に思うが、写真を見るなり、己の失敗を知って、思わず天を仰いで目線を右手で覆う。
今回の写真は、ナナリーが中型の黒いフルカウルバイクに跨り、今正に黒いフルフェイスマスクを被って、出発しようとしているところ。
但し、バイクに跨っているにも関わらず、ナナリーの服装は黒いニーソックスを履いてはいるが、アッシュフォード学園高等部の制服姿。
つまり、ミニスカート故に太股が露わとなっている上、2枚目、3枚目、4枚目の写真は走行中で前傾姿勢となっているが為に黒のショーツが丸見えという痴女同然の姿だった。
しかも、アッシュフォード学園が有名なのは前述の通り、それだけに当然の事ながら、その制服も有名である為、どう考えても悪目立っているとミレイは思った。
フルフェイスマスクのおかげで顔は完全に解らないが、このミニスカライダーが誰なのかという噂が巷では流れているだろうし、PTAの厳しい奥様方が抗議の電話を入れているだろうという想像が難くなかった。
無論、それはナナリー自身が持つ秘匿性に問題が及んでくる可能性も十分にあった。
「ほれ、見なさい! ミレイもこう言っています!」
「い、いや、そのですね……。」
ルーベンはミレイという味方を得て、勝利を確信。鼻息を更にフンフンと荒くして活気付く。
一方、ナナリーも敗北を確信。これは言い訳が出来ないと諦め、バイクの乗車許可だけは何とか死守する方向で上手い方便は無いかと必死に頭を働かせる。
だが、次の瞬間。ルーベンが執務机を右拳で力強く叩き、ミレイも、ナナリーも、その言葉に耳を疑った。
「よりにもよって、ゼネモー家のバイクとは! 言って下されば、幾らでも用意しましたものを!」
「「……えっ!? 怒るところはそこなの?」」
一拍の間の後、ナナリーとミレイは思わず声を揃えて驚き、目を見開いて、口もポカーンと開け放ち、驚きを通り越しての茫然と目が点。
ちなみに、2人が予想もしなかったルーベンの怒り。その言葉にある『ゼネモー家』とは、アッシュフォード家と昔から何かと競い合い、今も自動車産業で競い合っているシェア第2位のライバル。
また、ナナリーがゼネモー製のバイクを購入した理由は単純明快。アッシュフォード製を購入するとなったら、注文の段階で購入計画がばれてしまい、女ながらにとバイクの乗車を禁止されるだろうと考えていたからである。
行動範囲が何かと広いナナリーにとって、それだけは避けたかった。その便利さ、自由さを知ってしまった今なら尚更の絶対である。
「それ以外に何が有ります!
爺は悲しいですぞ! まだ我がアッシュフォード家を信用できないと言うのですか!
これほど! これほど、御尽くししてますのに!
解っております! うちの馬鹿息子が愚かにもナナリー様を一度は見捨てたという事を!
だから、信用しきれない! 当然です! 当たり前です! 無理もありません!
ですが、ですが……。これはあんまりですぞ!
言ってみれば、我ら貴族にとって、バイクは馬の様な存在!
それを、それを……。我がアッシュフォードの仇敵、ゼネモー家のモノを使うとはあんまりですぞ!」
ナナリーとミレイが呆れているのも知らず、身振り、手振りを交えて、熱い胸の内を切々と訴えるルーベン。
挙げ句の果て、とうとう感極まり、涙をハラハラと零し始め、それを見せまいと椅子から離れて窓辺へ立ち、背をナナリーとミレイへ見せながら尚も熱く語る。
その後ろ姿に溜息を揃って漏らし、ナナリーとミレイが力無くガックリと項垂れる。ルーベンが一旦こうなってしまうと果てしなく長くなるのを幼い頃からの経験で身に凍みるほど知っていた。
「ナナリー、もう帰って良いわよ? あとは私が何とかしておくから」
「ええっと……。なら、お言葉に甘えて、お願いしますね」
「あっ!? バイクに乗る時は、下をちゃんと履きなさいよ?」
「はい、気を付けます」
緊張感がすっかりと抜けてしまい、お昼ご飯をまだ食べていないのを思い出した様に『くぅ~』と可愛く鳴るナナリーのお腹。
ミレイが苦笑しながら耳打ち、ナナリーは紅く染めた顔を頷かせると、ルーベンへ気取られぬ様に抜き足、差し足、忍び足で書斎を出て行く。
「爺は……。爺は……。うううっ……。
よろしい! この際ですから、改めてお教えしましょう。
そもそも、我が家とあの憎々しいゼネモー家との関係は、我が帝国がまだ王国だった頃まで遡ります。当時……。」
2人が予想した通り、ルーベンはワンマンショーを開催。
ミレイはソファーへ座り戻ると、使用人を呼び、ティーポットごとの紅茶を持ってくる様に頼んだ。
「んっ!? やっと落ち着いた?」
足を組んでソファーに座り、肘を突いた右肘置きへ身を傾けながら雑誌を読み耽るミレイ。
3杯目の紅茶を飲もうかと、雑誌から意識を外して、ふとルーベンのワンマンショーがいつの間にか終わっている事に気付く。
視線を向ければ、ルーベンは執務机に座って、両肘を机に突き、組んだ両手の上に額を乗せながら、とても疲れた様子で項垂れていた。
「ミレイ……。お前、本当に解っておるのか?」
「解ってる、解ってる……。
ナナリーにはちゃんと後で言っておくからさ。バイクだって、うちのを用意しておくわよ」
「しっかり頼むぞ?」
「はいはい……。」
だが、それも束の間。ルーベンは顔を上げて、雰囲気を一変させる。
孫に悩む好々爺としたものから、当代より未だ絶大な影響力を各方面に持つアッシュフォード家の真の支配者たる顔へと変貌する。
それに合わせて、ミレイも態度を改め、雑誌を閉じて、ソファーから立ち上がると、ルーベンの前に立ち、その姿勢を正した。
「なら、次だ。……報告を聞こう。
マリアンヌ様とルルーシュ殿下の御様子はどうであった?」
「はい、まずはマリアンヌ様ですが……。」
それはナナリーが知らない、ナナリーには見せない2人のもう1つの姿だった。