コードギアス ナイトメア   作:やまみち

25 / 29
第三章 第02話 もう1つのアリエス宮

 

 

 

「えっ!? これって……。」

 

 エレベーターのドアが開き、ドアの前に立っていたマリーカは反射行動で一歩前進。

 しかし、後続の邪魔になると知りながら、マリーカは驚きに目を見開き、二歩目を止めた。

 何故ならば、高速エレベーターに乗って、地上50階を超えるエリア11政庁の最上階フロアまで昇ってきた筈が目の前に広がったのは地上の景色。

 今、立っているエレベーター前の一角を除き、芝生の地面があって、垣根や木、草花までもが植えられており、エレベーターのドアが開いた際に聞こえた羽ばたき音から察するに鳥も居るらしい。

 そして、それ等以上に驚かされたのが、エレベーターから続く石畳の道の先に建てられた屋敷だった。

 

「噂に聞いてはいたが……。凄いな」

「……そっくり」

 

 マリーカが背後を思わず振り返ると、ルルーシュとアーニャもまた立ち止まり、目を驚愕にこれ以上なく見開いていた。

 ソレもその筈。その屋敷はアリエス宮に建てられている屋敷と瓜二つ。実際に住んでいたルルーシュとアーニャが見紛うほどであり、3人はつい1日前に旅立った筈の場所へまた戻ってきた様な錯覚を覚えて戸惑うしかなかった。

 

「わっはっはっはっ! 驚かれましたでしょう? 屋敷へ入ったら、もっと驚きますぞ?

 マリアンヌ皇妃様や枢機卿のお部屋は勿論の事、全ての内装がアリエス宮そのものと言って良い程です。

 いつか、このエリア11へ御二人が訪れた際、何の気兼ねもなく過ごして頂ける様にと、クロヴィス様がお造りになったのです」

 

 その3人の様子にしてやったりと喉の奥を見せて笑う軍服を着た恰幅の良い禿頭な中年男性。

 右眼に着けたモノクルが特徴的な彼の名前は『バトレー・アスプリウス』、エリア11総督であるクロヴィスに幼少の頃から仕えている守り役。

 エリア11におけるナンバー2『将軍』の地位に在り、クロヴィス不在時は政軍の全権代理人でもある。 

 だが、バトレーは技術畑、研究畑の出身。正直なところ、クロヴィスが施政者として三流なら、バトレーは二流。主従揃って、政治と軍事に関しては疎かった。

 

「そう言われると、何も言えなくなるが……。

 しかし、地上に造るならともかく、ビルのこの高さに造るとなったら、相当の苦労があったんじゃないのか?」

 

 ルルーシュが天井を見上げると、その高さは約3フロア分と言ったところ。感心半分、呆れ半分の溜息を漏らす。

 アリエス宮全域とまではいかないにしろ、屋敷を中心とした一区画を地上200メートルに建てた技術と熱意は敬意に値するが、これほど贅沢な無駄は無い。

 

「はい、実を言うと……。結構な金額が……。」

「駄目だろ。それは……。よく反対されなかったな?」

「無論、されました。

 ですが、クロヴィス様がどうしてもと言い張り、このフロア自体を最終的に買い取って、その建設費用も負担する事で解決しています。

 その為、このフロアは出資し合ったクロヴィス様とコーネリア殿下の御二人の個人資産となっており、維持費はクロヴィス様から賄われています」

 

 その点に関しては同意らしい。バトレーが痛いところを突かれたと言わんばかりに笑みを強張らせる。

 また、同時に新鮮な思いでもあった。このクロヴィスが居を構える空中庭園を褒め称えられる事はあっても、今まで苦言を言われた事は一度も無かった。

 そのルルーシュの清廉さは生来のものなのか。それとも、10年間に渡って眠り続け、外部からの影響を受けなかった世捨て人だった故のものなのか。

 どちらなのだろうと考えて、そんなルルーシュを好ましく思いながらも誤解があってはならないと、主たるクロヴィスのフォローは欠かさない。

 ここでマイナスのイメージをルルーシュに持たれて、クロヴィスが待ちに待ち望んだ10年ぶりの再会が澱むのは避けたかった。

 

「コーネリア姉上もなのか……。」

「はい、このエリア11はサクラダイトの最大産出地。

 その生産国会議出席の為、コーネリア殿下は来訪を度々なされますから、『私の部屋も作れ』と仰いまして」

「そうか。……って、どうした?」

 

 新たに加わった意外な名前に驚きながらも呆れを重ね、溜息を更に漏らすルルーシュ。

 そんなルルーシュへ隣に立つアーニャが軽く肘打ち。偽アリエス宮の屋敷玄関右脇にある窓を指さす。

 

「あそこ……。待っているみたい」

 

 釣られて、その指先へ視線を向けると、こちらの様子をソワソワと窺い、窓から顔半分だけを覗かせているクロヴィスが居た。

 その間抜けな姿に堪らず吹き出して、ルルーシュは屋敷へと歩き出す。

 

「ぷっ!? くっくっくっ……。どうやら、その様だな。

 これ以上、待たせては悪い。間違い探しは明日するとして、行くとするか」

 

 しかし、次に帰る時は全ての決着が着いてから。そう決別してきたアリエス宮の屋敷と前方の屋敷が酷似しているだけに奇妙な感覚は否めず、それはルルーシュに旅立ちの時を思い出させる要因として十分なものだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「では、母上。行って参ります」

 

 当初、ルルーシュは旅立つに辺り、マリアンヌへ個人的な挨拶を特別に行ってゆくつもりは無かった。

 しかし、アーニャと使用人の老夫婦から何度も、何度も、どうしてもとせっつかれて根負け。マリアンヌの私室へ仕方なしに訪れていた。

 だが、マリアンヌの顔をいざ見たら、覚醒して以来ずっと抱えている様々な感情が胸中に湧き起こり、やっとの思いで出てきたのが、当たり前の別れの言葉だけだった。

 

「ええ……。行ってらっしゃい。

 貴方の事だから何の心配も要らないと思うけど、水と身体にだけは気を付けてね」

「はい、母上も御達者で……。」

 

 ルルーシュがどんな言葉をかけてくれるのか、胸を期待に膨らませていたマリアンヌ。

 その表情が陰り、声のトーンが哀しみと寂しさに満ちているのが解ったが、ルルーシュはやはりマリアンヌをどうしても許せないでいた。嗚咽を聞かれまいと口元を右手で抑えるマリアンヌを振り切って背を向ける。

 

「っ!?」

 

 ところが、ルルーシュは背を向けるなり、身体をビクッと震わせながら仰け反らせて、前進しかけていた右足を後ろへ下げた。

 何故ならば、開け放ったままの出入り口のドアの影。串団子の様に顔を縦に列べる使用人の老夫婦とアーニャが白い目を向けており、ルルーシュへ首を左右に振って、ダメ出しを出していたからである。

 なにしろ、ルルーシュがマリアンヌへかけた別れの言葉は素っ気なさ過ぎる上、2人が向き合っていた時間はたったの十数秒。アーニャと使用人の老夫婦の3人がごねるルルーシュを説得に要した苦労を考えると、その対価としては低すぎた。

 3人はプライベートな親子関係の問題故におこがましいとは考えていたが、ルルーシュが覚醒して以来ずっとマリアンヌへ対して貫いている冷たい態度。それを完全に改めろとまでは言わないにしろ、少しくらい暖かい言葉をマリアンヌへかけて欲しかった。

 ましてや、最低でも1年の旅に出ると言うのだから尚更。10年間、マリアンヌもまたルルーシュが目を醒ますのを待っていたのを知っている3人としては譲れない一線だった。

 

「そうだ……。そう言えば、この話を教えるのを忘れていました」

「な、何かしらっ!?」

 

 ルルーシュは溜息をやれやれと漏らして、一歩進む毎に強まる視線を感じながらもドアへと歩み寄る。

 但し、部屋は出ない。三対の視線を遮る様にドアを閉めると、今までの態度を少し反省して、マリアンヌへ背を向けたまま話しかけた。

 

「俺の知っているナナリーはギアスを自力で破りましたよ。

 俺と敵対した時、どんなあくどい顔を俺がしているのかを見たい一心でね」

「……えっ!?」

 

 もうルルーシュが部屋を出て行くとばかり思っていたマリアンヌは驚き、その言葉に驚きを更に重ねる。

 信じられなかった。とにかく好奇心を満たす為、我が子すら実験台のモルモットとして、どんな非合法も平気で行っていた時代、ギアスの解除はマリアンヌも試みたテーマだったが、それが可能となる術はついに見つからなかった。

 だが、実例が存在するなら、それはギアスの解除が決して不可能ではないと言う何よりもの証拠。マリアンヌの心に諦めていたルルーシュの成長した姿をこの目で見たいと言う願望が湧き上がってくる。

 

「つまり、ギアスは絶対じゃない。

 瞬間的なモノは難しいかも知れない。だが、永続的なモノは強い意思次第で解けるんですよ」

「ル、ルルーシュっ!?」

「ギアスの件、詫びるつもりは有りません。

 だが、貴女も目が見えなくなったおかげで、見えてきたモノがある筈だ。

 そして、ここまで言えば、あとはどうしたら良いのかも解る筈……。それが答えです」

「ううっ……。ありがとう。うっううっ……。」

 

 思わず目を試しに開けてみるが、やはり何も変わらない。目の前に広がっているのは相変わらずの暗闇のみ。

 しかし、確かな希望の光が心の暗闇に差しているのを感じ、感極まったマリアンヌは涙を止めどなく零しながら嗚咽を漏らす。

 

「では、次に会う時は目が開いている事を期待しています」

 

 ルルーシュは振り返りたい衝動に耐えながら、少しの反省のつもりが、甘さまで出てしまった自分自身に小さく舌打ち、ドアノブへ右手を伸ばした。

 

 

 

 ******

 

 

 

「チェックメイト」

「待った! その手、待った!」

「またですか? もう5度目ですよ?」

 

 エリア11での最初の夜が明けて、ルルーシュ一行は移動疲れを癒す為、2日目は完全な休日とした。

 それと言うのも、アーニャとマリーカが完全な時差ボケ。今ひとつ、昨夜は眠れなかったらしく、朝食後暫くして、寝室へ再び戻っている。

 余談だが、ルルーシュ一行は政庁近くのホテルに一週間の滞在予約を行っていたのだが、クロヴィスからの強い希望があって、この偽アリエス宮に滞在先を変更している。

 基本的にお忍びでのエリア11訪問である為、この偽アリエス宮なら警備などに気を使う必要がなく、無駄な出費も抑える事が出来たからである。

 

「ルルーシュ、頼むよ! この通り、これが本当に最後だ!」

「はぁ~~……。これが最後ですよ?

 では、詰む7手前まで戻しますから、何が悪かったかを今度はちゃんと考えて下さいね」

 

 但し、その代償として、ルルーシュが眠っていた10年間分のスキンシップを埋めようと張り切るクロヴィスの相手が必要だった。

 昨夜とて、身内だけで行った歓迎会にて、クロヴィスははしゃぎまくり。その後、兄弟水入らずで風呂へ入ろうと、ルルーシュとアーニャが入浴している最中に乱入。当然、大騒ぎとなった。

 今朝は今朝で無駄に早起きをして、朝食が済むや否や、クロヴィスは子供の頃に負け続けていたチェスの雪辱を果たさんと対戦をルルーシュへ申し込んできた。

 ルルーシュとしては昨夜のスザクとブラックの騒動の結果が気になっており、本音を言ったら、チェスなど行う気分では無かったが、これも宿賃の内と諦めて、クロヴィスの相手をしていた。

 

「うぇっ!? ……7手前? そんな前から?

 おかしいなぁ~~……。これでも随分と強くなったつもりなのに、ルルーシュはもっと強くなっているじゃないか」

「まあ、起きてからは暇でしたからね。うちの執事と打っていたんですよ」

 

 ところが、対戦を意気揚々と申し込んできた割にクロヴィスのチェスの腕前は、ルルーシュから見たらヘボ同然。

 しかも、何度も『待った』をした挙げ句、負けても負けても食い下がり、この対戦が既に5戦目。さすがのルルーシュもうんざりと飽き始めていた。

 今居る応接室の暖炉の上に置かれた時計を見ると、現在の時刻は午前10時50分過ぎ。かれこれ、チェスを始めてから4時間近くが経過している事となる。

 

「へぇ~~……。あの執事、そんなに強かったのか。

 ちっとも知らなかったよ。知っていれば、教えを請いたのに……。ええっと、あそこがああなるから、そうなって……。」

 

 詰まるところ、ルルーシュは暇を持て余していた。

 それ故、クロヴィスが長考に入ったのを幸いとして、ルルーシュはソファーから立ち上がった。

 仕切りの窓を開けて、2階ベランダへ出ると、そこは地上50階と思えないほど清々しさに満ち、草木は湿り気を帯びて青々としていた。

 

「そう言えば、済まないねぇ~~……。」

「何がです?」

「本来なら、エリア11の貴族達を集めて、君の歓迎会を予定していたのに……。

 アッシュフォード老なんて、ルルーシュがエリア11へ来ると知って、それはもう嬉しそうにしていたんだよ」

 

 この偽アリエス宮は空調が地上一階と同期されており、驚くべき事に雨が降る。

 種明かしをすると、朝夕の2回、決められた時間に5分間。庭の草木に水を供給する為、天井のスプリンクラーが解放されているだけなのだが、それを今朝ほど目の当たりにした時、ルルーシュがやや間を空けて驚いたのは言うまでもない。

 

「アッシュフォードに関しては、母上からも色々と聞いています。

 今日はアーニャがあの通りですから、明日にでも挨拶に行こうかと思っています」

 

 ルルーシュは周囲を見渡しながらしみじみと思う。ここは本当にアリエス宮そのもの、それも今のアリエス宮ではなく、10年前のアリエス宮だ、と。

 今のアリエス宮は使用人がアーニャと老夫婦の3人だった為に手が足りないのか、花が植えられているのは、ルルーシュとマリアンヌの部屋に面している庭のみ。

 だが、ここは芸術家のクロヴィスらしい色分けされた配置で10年前の様に色とりどりの花が咲き誇り、どの季節も目が楽しめる様になっていた。

 その事実を一つ取っても、クロヴィスが10年前に自分達と過ごしていた一時を大事に、大切に思っているかが良く解る。

 今、対戦しているチェスとて、そうだった。明らかにクロヴィスは勝敗に拘っていない。負けても悔しさをまるで見せず、ルルーシュとチェスを対戦する事自体に喜びを感じている様に見えた。

 

「うん、そうした方が良い。

 苦しい時こそ、味方となってくれる者は本当の味方だよ。

 ルルーシュも聞いているだろ? 父上の心変わりを……。

 だけど、あの老人は変わらずにヴィ家へ尽くしてくれていた。大事にした方が良いよ」

「ええ、勿論です」

 

 だからこそ、そのクロヴィスの言葉はルルーシュの胸へグサリと突き刺さった。

 背後を振り返ってみると、クロヴィスは腕を組みながら皺を眉間に寄せて、次の一手を必死に未だ考えており、それが掛け値のない本音であったのが見て取れる。

 そんなクロヴィスの姿にルルーシュはやはりと考える。クロヴィスは野心をそれなりに持っている様だが、基本的に善性の人である、と。

 今朝、この屋敷を歩いて回ったが、各所に飾られていたクロヴィス製作の絵画や彫刻は身内の贔屓目を除いたとしても素晴らしいものだった。

 本来なら、芸術家や評論家などが集うサロンを開き、芸術を活発化させて広めたり、後世へ残したりする文化的な役目の方が施政者よりもよっぽど似合っている。

 また、ここ数年のエリア11の状況を覚醒後に調べてみたが、ルルーシュが知っているエリア11に比べて、この世界のクロヴィスの統治は明らかに穏やか。

 クロヴィスがエリア11総督に就任してから約6年になるが、最初の3年こそ、衝動的と言える苛烈な軍事行動をイレブンへ対して何度も行っているが、その後の3年はそれが不思議と止んでおり、イレブンの取り締まりは部下達へ一任している様子だった。

 実際、ヨコハマ空港からエリア11政庁までの道中、ルルーシュが見たゲットーの姿は記憶のソレと比べて、その荒廃度は段違いと言えた。

 それ等を踏まえると、クロヴィスもまた『アリエスの悲劇』によって、その生き方に影響を与えられた一人としか思えず、ルルーシュはそこまで考えが至り、複雑な心境に陥る。

 そう、当時は知る由もない勘違いだったとは言え、ブリタニアへ対する復讐心に駆られるあまり、クロヴィスを殺めてしまったのは他ならぬルルーシュ自身。その歩んできた道に後悔は今更無いが、与えられたチャンスを前に誤りは正す必要があると戒める。

 

「それにしても、忌々しいのは『ブラック』とか言う輩だ!

 一度ならず、二度までも! しかも、よりにもよって、ルルーシュが来ている時に!」

「その件に関してですが……。兄上さえよろしければ、少し手伝いましょうか?」

「……えっ!?」

 

 だからか、ようやく次の一手を指して、憎々し気に吐き捨てたクロヴィスの苦悩に対して、ルルーシュは協力を自然と申し出た。

 無論、とある思惑も含んでいる。ルルーシュとしても、この時点でクロヴィスが脱落してしまうのは都合が悪かった。

 

「何か功績をはっきりと目に見える形で……。

 それも早急に挙げなければ、兄上の立場は悪くなる一方です。

 それこそ、エリア11総督の地位を奪われる可能性も十分に有り得る。……違いますか?」

「そ、それはそうだが……。

 し、しかし、次はシュナイゼル兄上の所へ行く予定なんだろ? だ、第一、病み上がりじゃないか?」

 

 クロヴィスは思わずソファーを蹴って立ち上がり、ビックリ仰天。

 約10年間を眠り続けていたルルーシュである。正直、役に立つとは思えなかったが、そのルルーシュの泰然自若とした姿は期待を不思議と抱かせるモノが十分にあった。

 

「苦しい時こそ、味方となってくれる者は本当の味方……。今、そう言ったのは他ならぬ兄上自身ではありませんか?

 母上やアーニャから聞いていますよ。この10年、兄上も俺達の為に尽くしてくれたとか。……だったら、恩返しをさせて下さい」

「ありがとう! 是非、頼むよ! ルルーシュが手伝ってくれるなら、百人力だ!」

 

 しかし、クロヴィスはそれ以上にただただ嬉しかった。

 例え、どんな結果となっても構わない。ルルーシュに経験を積ませてやろうと決意する。

 どの道、テロリスト共の捜査を行う為、自分が陣頭指揮に立ったところで煙たがれるだけ。大した成果が挙がらないのは目に見えている。クロヴィスは自身が施政者としての才能に乏しい事をとっくに自覚していた。

 総督就任当初、意気込み過ぎて空回りを繰り返した結果、官僚達は次第に自分を蔑ろにし始めて、今では完全なお飾り。サインを書類に書くだけの毎日であり、自由な裁量を持っているのは文化、芸術の利権に乏しい方面のみ。

 唯一の味方は幼少の頃から仕えてくれているバトレーだけであり、そんな状態でもエリア11総督の地位を手放そうとはしないのはある一念からだった。

 だから、クロヴィスはルルーシュの申し出が嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて、涙が零れそうになるが、兄としての矜持がソレを必死に堪えさせる。

 

「フフ、ご期待に添えられれば、良いのですが……。はい、チェックメイト」

「うぇぇっ!? ……待ったっ!? その手、待ったっ!?」

「いいえ、もう駄目です。勝負は勝負、恩は恩、その辺りの線引きはきちんとせねばなりません」

 

 ところが、次の瞬間。ルルーシュが立ったままチェス盤を一瞥。思考時間ゼロのノータイムで痛烈な一撃を放ち、堪えるまでもなくクロヴィスの涙は勝手に引っ込む。

 この日、クロヴィスの戦績は0勝10敗。勝負において、やはりルルーシュは何処までも容赦なく厳しかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ルルーシュ様ああああああああああああああああああああっ!?」

 

 今のジェレミアを言葉で表すなら、一心不乱。その一言に尽きた。

 当然である。その道の権威である幾人もの医師達が匙を投げたルルーシュが覚醒を遂に果たしたのだから、興奮するなと言うのが無理と言うもの。

 

「ルルーシュ様っ!? ルルーシュ様っ!? ルルーシュ様っ!?

 ルルーシュ様ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~っ!?」

 

 ジェレミアは駆ける。全速力で駆ける。心の奥底から次々と湧き上がってくる喜びが力を与え、持て余した喜びに吠えながら疲れ知らずに駆ける。

 脇目は振らない。見据えるはただ前方のみ。何かが背後で呼びかけていたが、その声はジェレミアの耳へ届かない。とにかく、駆けて、駆けて、駆けまくる。

 

「このジェレミア・ゴッドバルト! 今日という日をどれだけ待ち望んだ事か!

 ルルーシュ様が御快気なされたと聞き、勝手ながら推参を致しました! おめでとう御座いまあああああぁぁぁぁぁぁす!」

 

 いよいよアリエス宮が見えると、その速度は一段と増した。

 突如、ジェレミアの前に何かが幾つも立ち塞がるが、今のジェレミアは例えるなら人間ダンプカー。ジェレミアを止められるモノは何人たりとも居らず、その何か達は次々と吹き飛ばされてしまう。

 そして、遂にアリエス宮の屋敷の玄関扉が目の前に迫り、ジェレミアは緊急停止。その剛腕を以て、吹き抜けの玄関ホールに合わせて作られた巨大な扉をモノともせず、喜びを雄叫びに変えながら左右に勢い良く開け放つ。

 

「えっ!?」

「えっ!?」

 

 ところが、ジェレミアを出迎えたのは見知らぬメイドの一団。

 しかも、玄関ホールに半円を描いて列び、抜き放った剣の切っ先をジェレミアへ揃って向けていた。

 だが、ジェレミアが何よりも驚いたのはメイド達の中心。玄関ホール階段を背に立つ黒髪の三つ編みを腰まで垂らす眼鏡の少女であり、その少女もまたジェレミア同様に驚き、目を見開いて固まった。

 

「ぬおっ!? リリーシャっ!? 何故、お前がここに居るっ!?」

「何故って……。お兄ちゃん、知らないの?」

 

 彼女の名前は『リリーシャ・ゴットバルト』、その姓名から解る通り、ジェレミアの妹。今年、ハイスクルールを卒業したばかりの18歳。

 それはジェレミアがマリアンヌへ傾倒するあまり、ゴットバルト家より勘当された結果、数年ぶりとなる兄妹の再会だったが、今だけはタイミングが悪かった。

 

「ぐえっ!?」

「捕まえたぞ! 取り押さえろ!」

「何をするか! 私を誰だと思っている! 離さぬか!」

「こいつ、手強いぞ! 応援を呼べ!」

「……と言うか、お前等は何者だ! ここを何処だと心得ている!」

 

 いきなり腰にタックルを背後から喰らい、床へ叩き付け伏せられるジェレミア。

 その上、間一髪を入れず、屈強な男達がジェレミアの上にあれよあれよとのし掛かり、ジェレミアが身体を懸命に藻掻かせる。

 だが、所詮は多勢に無勢。数人ががりで取り押さえられてはさすがのジェレミアも勝てず、襟首を抑えられながら床を屈辱に舐めさせられる。

 

「皇妃様、いけません! 今、不審者が侵入したとの報告が!」

「あら、誰かと思ったけど、やっぱりジェレミアじゃない?

 一体、どうしたの? 随分と早い帰国だけど……。何か、忘れ物?」 

 

 そんな玄関ホールの騒ぎを聞き付けて、電動車椅子に乗ったマリアンヌがホール階段の上に現れ、そののほほんとした口調に緊迫していた玄関ホールの空気が一気に弛緩する。

 そう、既にお気づきかも知れないが、ここは本国帝都に在る本物のアリエス宮。今、ルルーシュ一行が滞在しているエリア11政庁の最上階フロアに在る空中庭園の偽アリエス宮とは違った。

 ちなみに、この場に居るメイド達も、ジェレミアを取り押さえている警備員達も、アリエス宮の新たな使用人達である。

 あのルルーシュとシャルルの謁見の後、アッシュフォード家、アールストレイム家、ゴットバルト家の御三家は見事なほどに掌返し。

 その日の内にマリアンヌとの面談を行い、昨日まで半ば放置していたマリアンヌへ絶対の忠誠を誓うと共に資金提供を約束。翌日には競い合う様に使用人達をアリエス宮へ送り込んできた。

 ジェレミアの妹『リリーシャ』もその中の1人であり、来月から士官学校へ通う予定だったが、家命とあっては断れず、その日からマリアンヌ付きの筆頭侍女としてアリエス宮に勤めていた。

 それ等の事情を全く知らないジェレミアは様変わりした賑やかなアリエス宮に戸惑うばかりだったが、更なる衝撃の事実がマリアンヌから告げられる。

 

「マリアンヌ様、何を仰います! 

 ルルーシュ様がお目覚めになられたのですから、その慶事を祝うのは当然の事! このジェレミア・ゴッドバルト、エリア11から飛んで参りました!」

「そう、ありがとう。いつもながら、貴方の忠誠は嬉しいわ。

 でも、聞いていないの? ルルーシュなら、貴方達へ会いにエリア11へ向かったわよ?」

「え゛っ!? ……い、今、何と?」

 

 ジェレミアは驚きを通り越して、茫然と目が点。我が耳を疑い、思わずマリアンヌへ聞き返す。

 余談だが、ジェレミアの現在の役職は市ヶ谷即応軍司令部基地司令代理。その日々の職務は多忙を極める。

 しかし、ジェレミアはマリアンヌへ今訴えた通り、10年ぶりの覚醒を果たしたルルーシュへ祝いの言葉を是非とも伝えたかった。それも直接会ってである。

 それ故、ジェレミアは有給を取る為の努力を行った。ルルーシュが覚醒した喜びから来るナチュラルハイを頼りにして、3日間を不眠不休で働き詰めるという死に物狂いの努力を行った。

 その結果、1週間分の仕事を済ませる事に成功。有給休暇と通常の休日を合わせて、5連休を勝ち取り、ジェレミアは祝杯を挙げる事なく、このペンドラゴンへ間を置かずに旅立っていた。

 つまり、悪気は無いとは言え、マリアンヌの言葉はジェレミアの苦労の数々を全て否定するもの。ジェレミアが茫然となってしまうのも無理はない話。

 一応、補足すると、ルルーシュがエリア11へ訪問するという知らせがジェレミアへ届いていなかったのかと言えば、それは違う。

 キューエルとヴィレッタが二度、三度と伝えていたのだが、ナチュラルハイとなっていたジェレミアの耳へ届いていなかっただけである。

 

「だから、ルルーシュはエリア11へ向かったの。昨日ね」

「な、何ですとぉぉぉぉぉ~~~~~~っ!?」

「「「「「のわっ!?」」」」」

 

 今一度、マリアンヌから告げられる衝撃の事実。

 その瞬間、ジェレミアは火事場の馬鹿力を発揮。のし掛かっていた数人の警備員達を跳ね除けて立ち上がると、即座に回れ右。アリエス宮から駆け出て行く。

 エリア11のヨコハマ空港で購入してきた土産『ぴよこ饅頭』24個入りの紙袋を先ほどまで押さえ付けられていた場所に残して。

 

「マリアンヌ様、それはお土産に御座います! 皆でお召し上がり下さい!

 ルルーシュ様ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 こうして、ペンドラゴンでの滞在時間、約2時間。ジェレミアはペンドラゴン空港とアリエス宮の往復だけをして、エリア11へとんぼ返りした。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。