「マリーカ・ソレイシィ大尉、26歳。
現在はナイト・オブ・ラウンズのテン、グラウサム・ヴァルキリエ隊に所属」
ヒトとは実に浅ましくも欲深いもの。あのシャルルとルルーシュの謁見によって、アリエス宮はたったの一夜で様変わりしていた。
ルルーシュとアーニャが用事を済ませて帰ってくると、そこにあったのは人数を数えるのが馬鹿らしくなるほどの長蛇の列。マリアンヌ、またはルルーシュとの面会を求めて、貴族達や軍人達が玄関から外門までごった返しており、思わず唖然となった2人がアリエス宮とは別の違う宮へ間違えて帰宅したのかと勘違いしたくらい。
その数多の中の1人に栗色なショートヘアーの彼女は居た。その珍しい姓名で解る通り、エリア11で起きた『ブラック騒動』にて、大失態を犯してしまったキューエルの妹である。
「士官学校を主席で卒業とは……。優秀ですね」
「恐縮です」
「しかも、戦術判定がS。ヴァルキリエ隊では参謀を?」
急遽、アリエス宮の空き部屋に作られた面接会場。広々とした部屋に置かれているのは簡素なパイプ机のみ。
その中央に座り、ルルーシュは両肘を突きながら組んだ手に顎を乗せて、手元に置いた履歴書から3メートルほど前方に立つマリーカへ視線を向ける。
「はい……。ですが、他の部隊との協議が主な役目でした」
「その理由は?」
「戦場は生き物。それがルキアーノ様の持論だからです。
また、ルキアーノ様の真価が発揮されるのは単騎突出。もしくは乱戦でしたから……。」
「余計な連携はかえって、ブラッドリー卿の足を引っ張る?」
「その通りです」
「では、貴女の仕事はブラッドリー卿の戦場作りという訳ですね。では、部隊の統括経験は?」
マリーカが着用しているのは一般兵が着るネイビーブルーの軍服に非ず、ラウンズの10席を象徴するオレンジカラーの制服。
しかも、ルキアーノの趣味なのか、ヘソ出し、肩出し、腕出しのミニスカート。とても軍服とは思えないデザインではあるが、目の保養ではあった。
ルルーシュも多感なお年頃。ついつい目がマリーカのおヘソや太股へ向かってしまうが、左脇に立つアーニャから肘打ちをされて、慌てて視線を履歴書へと戻す。
「それは同僚が主に行っていました」
「主に、と言う点をもう少し詳しい説明でお願いします」
「はい、それぞれが自分の得意な分野を主に引き受けていたと言う意味です。
同僚が内向きの副官として、私が外向きの副官として、ルキアーノ様を2人でお互いに支えていたと自負しております」
「なるほど、解りました。
あのヴァルキリエ隊で3年も生き延びているのですから、ナイトメアフレームの腕前も相当なモノなんでしょうね」
「自信は有ります」
マリーカは悪くない手応えを感じていた。
名前を呼ばれて、この部屋へ入室するまでの待ち時間。50人以上の貴族や軍人がルルーシュとの面会を行っているが、その殆どが3分以内、長くても5分以内に部屋から肩を落とすか、腹を立てるかして出てきている。
ところが、マリーカが入室してから既に約10分が経過。今は緊張が少し解けて、会話も弾んでおり、ルルーシュに興味を持たれたと思ってほぼ間違いない。
ただ、ここへ至るまでが地獄の様に辛かった。部屋へ入り、今立っているテープが貼られた位置まで進めと言われたっきり、マリーカを凝視して、ルルーシュも、アーニャも無言。
パイプ机の上に置かれた時計がカチカチと時を刻む音だけが部屋に響き、その静けさに気が狂いそうになるのを懸命に耐えて、マリーカも無言を貫き通した。
5分後、それが済んだかと思ったら、次は『3分間、差し上げます。自己アピールと貴女の家族を紹介して下さい』と要求され、頭を真っ白にさせながらも必死に喋った。その時、何を喋ったかはもう忘れた。
「合格だ。マリーカ・ソレイシィ大尉、君を俺の副官として採用する」
「えっ!? ……ほ、本当に私でよろしいのですか?」
しかし、マリーカは自分がまさか採用されるとは全く考えていなかった。
それを告げられた瞬間、マリーカは目を丸くさせながら口をポカーンと開け放って、数秒間を茫然自失。
ルルーシュとアーニャ以外は誰も居ないのを知っていながら、辺りをキョロキョロと見渡して、最後に背後も振り返ってから正面へ向き戻り、我が耳を疑って問い返した。
「どうした? 自分から売り込んできて、嫌なのか?」
「い、いえ、そんな事は有りません。で、ですが……。」
「ですが、何だ? はっきりと言え、はっきりと」
その時点で既に無礼なのだが、マリーカは重ねて問い返すと、その言葉を濁した上に視線を伏した。
当然、ルルーシュは苛立った。一度目はマリーカの反応が愉快だった為に失笑で流したが、さすがに二度目は流さず、眉を寄せながら口調をやや強めた。
マリーカは己の失敗に気付き、慌てて視線を上げるが、向けられているルルーシュの強い眼差しと視線を合わせる事が出来ず、すぐさま再び視線を伏す。
「では……。エリア11で起きた事件に関しては?」
それも、これも、全ての原因がコレだった。
ルルーシュが覚醒を果たした日。エリア11で起こった『ブラック騒動』と呼ばれる事件は軍の箝口令によって、TVや新聞といったマスコミからの流布は防がれた。
だが、インターネットは無理だった。幾人もの元日本人によって、配信された動画は削除しても、削除しても再掲載され、『ブラック騒動』は事件当日より3日を置き、世界中へ爆発的な勢いで広まった。
最早、隠しようが無くなったエリア11政庁は事実を公表。マリーカの兄『キューエル』の大失態は白日の下に晒され、その影響は妹のマリーカにも及んだ。
つい昨日まで任務で滞在していたEU戦線では、会う者、会う者から小馬鹿にされ、ルキアーノの名代として作戦会議へ出席しても意見をあからさまに無視されたり、茶化されたりする始末。
それどころか、本国へ帰国後、少佐へ昇進するのが内定していた筈にも関わらず、実際に本国へ帰ってきたら見送りとなっており、それを知った時のマリーカのショックは計り知れなかった。
挙げ句の果て、人事部から肩を落としながらラウンズの詰め所へ帰ってきたマリーカを待っていたのは、それを遙かに上回る大ショック『ルキアーノからの戦力外通告』だった。
マリーカは信じられなかった。世間の評判は悪いルキアーノだが、その実は先輩後輩の関係を大事にする人間で敬愛するに値する上司であり、今の仕事にやり甲斐を感じていただけに信じたくはなかった。
ところが、現実は違った。ご丁寧に自分の履歴書が既に用意されており、ルキアーノからは『これを持って、枢機卿の所へ今すぐ行ってこい』と再就職先まで案内されて、目の前が真っ暗となり、すぐさまルキアーノの執務室から泣きながら逃げ出した。
もう誰も信じられなくなり、ここへ言われるまま勢いで訪れてみたが、自分の名前が呼ばれるまでの間、もう軍はすっぱりと辞めて、田舎へ帰ろうと決意までしていた。
「ああ、あれか。勿論、知っているが?」
「えっ!? ……なら、兄の事もご存じですよね?」
「ご存じも、何も……。さっき、家族紹介で喋っていたじゃないか?
俺としては、あの事件があった後も兄を尊敬していると言う点を高く評価しているのだが?」
だからこそ、採用するというルルーシュの決断を驚愕するしかなかった。
マリーカが面接を行う前、ルルーシュのお眼鏡に適わず、この部屋から出てきたと思われる50人以上の貴族や軍人の中には有名人も何人か居た。
その有名人達すらも軽く袖に振れるほど、目の前のルルーシュは今をときめく超有名人。自分が選ばれるなんて有り得なかった。
もしや、『ブラック騒動』を知らないのかと思いきや、ルルーシュは知っており、その騒動で大失態を犯した兄『キューエル』の事もちゃんと知っていると言うではないか。
マリーカは再び口をポカーンと開け放って、瞬きをパチパチ。驚愕のあまり思わずタメ口で問いかけてしまう。
「……そ、それだけ?」
「んっ!? 良く解らないな? さっきから何が言いたいんだ?」
「いや、だって……。あんな大失態を犯した兄の妹ですよ?」
ルルーシュはマリーカが何を気にしているのかが本気で解らなかった。
腕を組みながら首を傾げて、隣へ助言を求める様に視線を向けるが、アーニャも解っていなかった。右人差し指を顎へ当てて暫し考え込むが、結局は首を傾げた。
マーリカは驚きを遙かに通り越して、茫然とするしか無かった。このブリタニアにおいて、こんな純粋な皇子と騎士が居るとは思ってもみなかった。
ブリタニアの国是は弱肉強食。詰まるところ、それは足の引っ張り合い。出世をしたければ、隙を決して見せてはならないという事。
その点から考えると、マリーカの兄『キューエル』が犯した失態は大きすぎる隙であり、マリーカは当然の事、その上司にまで影響を及ぼす隙と言えた。
即ち、マリーカが所属する部隊は正当な評価を受け辛くなる。それをまるで理解していない2人の為、マリーカは敢えて屈辱を口にした。
「何を心配しているのかと思えば……。
……下らんな。お前はお前、兄は兄、別の存在だろう。違うのか?」
「す、枢機卿っ!?」
だが、ルルーシュは鼻で失笑して、マリーカの懸念をあっさりと笑い飛ばす。
そして、その言葉こそ、マリーカがずっと欲していた言葉であり、自分自身で励ましてきた言葉。本音を言えば、ルキアーノから言って貰いたかった言葉。
この1週間、小馬鹿にされる度、強がってはいたが、そろそろ限界だったマリーカは涙を瞳に溜めて、思わず口と鼻を両手で覆う。
「それより、どうするんだ? やるのか、やらないのか?」
その様子に目をギョギョギョッと見開いて焦りまくりのルルーシュ。
座ったまま椅子をガタリと鳴らして後退り、たまらず『俺のせいじゃないよな?』と問いかける視線をアーニャへ向けながら、この話題を打ち切る為、マリーカへ半ば強引に意思確認を問いた。
「やります! ……いえ、やらせて下さい!」
勿論、返事は決まっていた。マリーカは右手の人差し指で涙を拭い、詰まった鼻を一啜り。嬉しそうな笑顔と共にルルーシュへ敬礼を捧げる。
ところが、嬉しさのあまり涙が止まらない。慌てて制服の内ポケットを探るが、何処かに置き忘れてきたのか、有る筈のハンカチが見つからない。
「なら、明後日の朝。旅支度をして、ここへ集合だ。
恐らく、1、2年は本国へ帰ってこれないから、そのつもりで準備を今日、明日中に済ませておけ」
「イエス・ユア・ハイネス!」
それを見かねて、マリーカへ差し出される黒いハンカチ。
但し、ルルーシュは照れ臭いらしく、差し出された右手とは逆に紅く染まった顔をマリーカから背けていた。
先ほどまでの威厳ある姿と今の明らかに女慣れしていない年相応の姿が重ならず、そのギャップがおかしくて、マリーカがハンカチを受け取りながらクスリと笑みを漏らす。
「それと女性がお腹を出すのは感心しない。おヘソは隠してくる様に」
「「ぷっ!?」」
「な、何がおかしいっ!? と、当然だろっ!?」
その上、この発言が加わり、今度はアーニャも吹き出して笑い、ルルーシュは怒鳴りながら椅子を蹴って立ち上がるが、もう威厳は取り戻せそうに無かった。
******
「3年間、お世話になりました」
「ああ、向こうに行ってもしっかりとね」
マリーカが挨拶へ真っ先に向かったのは、当然の事ながらルキアーノの執務室だった。
ところが、マリーカが頭を深々と下げているのにも関わらず、執務机に座るルキアーノはサバイバルナイフを用いた鉛筆削りに夢中。その返事は軽かった。
マリーカは見捨てられたのはもう仕方ないと承知していたが、やはり哀しくはあった。午後一番に呼び出され、青天の霹靂を告げられるまで、この先もずっと支えていこうと考えていた上司だけに。
「ルキアーノ様、納得がいきません! マリーカの何処が不満だって言うんですか!」
その気持ちが痛いほどに解り、マリーカの隣に立つ金髪ロングヘアーの女性が声を荒げる。
彼女の名前は『リーライナ・ヴェルガモン』、マリーカの士官学校時代の1年先輩であり、ルキアーノの親衛隊であるグラウサム・ヴァルキリエ隊の隊長。
なにせ、マリーカ自身に落ち度は無いどころか、その能力はヴァルキリエ隊に不可欠なのだから、リーライナが猛るのも無理は無かった。
「ん~~~……。
一つ、聞きたいんだが……。私が世間体を気にする様な人間だと思う?」
「「……えっ!?」」
だが、マリーカも、リーライナも、実は根本的な勘違いをしていた。
削った鉛筆を伸ばした右腕に握り持ち、左眼を瞑りながら、その削り先の尖りを確かめるルキアーノから問われ、マリーカとリーライナは答えに窮した。
そう、ルキアーノは『ブリタニアの吸血鬼』と敵から恐れられているが、同時に味方からも忌み嫌われていた。
戦場でのルキアーノを例えるなら、凶暴な暴れ馬。奇声と高笑いを響かせて、破壊と殺戮を好み、勝つ為なら平然と味方を盾にするどころか、味方もろとも敵を撃つのを一切躊躇わない。
つまり、ルキアーノが戦場を駆けると、その戦場は勝利の代償に必ず荒れまくり、味方の消耗率は通常の戦場より激しくなる。
その為、ルキアーノとヴァルキリエ隊は味方から離れた場所に配置される事が多く、他の部隊が交戦を開始している中で戦闘開始命令が出されず、そのまま戦闘が終了する事すらもたまに有る。
しかし、ルキアーノは自分のスタイルを変えようとはしない。時たま、非難を浴びせる者も居るが、ルキアーノはまるで気にした素振りを見せず、嫌味を逆に返しさえする。
それ等を考えると、マリーカをヴァルキリエ隊から除隊させたのは、ルキアーノが世間体を気にしたからではなく、もっと別の理由がある様な気がしてきた。
「マリーカ、お前さ……。
この一週間、色々と言われて落ち込んでいるのは知っていたけど、人の話は最後まで聞こうよ。
まだ人が話している途中だっていうのに……。
勝手に勘違いして、泣き出したと思ったら、部屋を飛び出してゆくんだから、どうしようかと思ったよ。
まあ、もっとも……。そのおかげで、枢機卿の目に留まったかも知れないから、結果オーライでは有るけどね」
「どういう事ですか?」
鉛筆の削り具合に満足して頷き、次の一本を削り始めるルキアーノ。
その意味深な言葉が気になり、マリーカは思わず身を乗り出して、右足を一歩前へ出す。
マリーカの忠誠は既に新たな主となったルルーシュへ捧げられているが、ルキアーノを敬愛する心はまだ消えていなかった。
どうせ、除隊するなら気持ち良く。下を向いて行くよりも前を向いて行きたかった。ここに居た3年間を後悔するのは嫌だった。
「枢機卿から伝言を預かっていない?」
「えっ!? あっ!? はい、そう言えば……。
その時が来たら頼む、と……。どういう意味かは解りませんでしたが」
だは、ルキアーノから返ってきたのは脈絡のない問いかけ。
マリーカが質問に質問を返されて戸惑いながらも応えた途端、鉛筆削りに夢中だったルキアーノの様子が激変した。
「くっくっくっくっくっ……。やはり、思った通りだ。
しかも、あの御方は私のメッセージをちゃんと読み取ってくれた。
これは来る。……来るぞ! 間違いなく、来るぞ! 私の目に間違いは無かった!」
それまで職人芸と言える冴えを見せていたナイフ捌きが乱れ、せっかく尖りかけていた鉛筆の先が台無し。
あまつさえ、ルキアーノは鉛筆の両端を持ってへし折ると、その握った両拳を机に置きながら項垂れて、身体全体で笑い始めた。
「あ、あの……。」
「……ル、ルキアーノ様?」
マリーカとリーライナがそれぞれの利き足を思わず下げる。
ルキアーノを誰よりも間近で見てきた2人は知っていた。それはルキアーノが戦闘前に見せる高ぶりだと。
その証拠にゆっくりと持ち上げたルキアーノの表情は項垂れる前と一変していた。暇を持て余して眠そうだったものが、今やギラギラと輝くほど生気に満ち溢れていた。
「お前達も見ただろ? 昨日のあの謁見を……。
だったら、解る筈だ。陛下が枢機卿へ向けている寵愛ぶりを」
「それは……。」
「まあ……。」
「んっ!? これでまだ解らないのか? 鈍いな……。
あれほどの寵愛を示され、あんな権限を与えられたんだぞ?
もう次期後継者と言って良いほどだ。当然、シュナイゼル殿下は面白くないだろうな」
「「あっ!?」」
「まあ、あの御方の事だ。それをおくびにも出さないだろうが……。
貴族達は違う。この10年間、変わらなかった宮廷の勢力図が変わる。
オデュッセウス殿下派とシュナイゼル殿下派、ここにルルーシュ殿下派が絶対に加わる。
その上、陛下があれほど後押ししているんだ。当然、今までの様にはいかない。
まずは貴族達の間で派閥争いが起き、やがては本人達へ飛び火するだろう。そうなったら……。くっくっくっくっくっ……。」
そして、マリーカとリーライナはルキアーノの思惑をようやく知る。
今更、言うまでもないが、神聖ブリタニア帝国とは皇帝を頂点とした貴族制を根幹に持つ国家体制である。
それ故、ブリタニアの全ての兵は皇帝と国家へ忠誠を基本的に捧げているが、直臣、陪臣、陪々臣と呼ばれる構造が有る為、一兵卒であっても自分の主を持つ自由が存在する。
但し、ナイト・オブ・ラウンズはブリタニア最強の戦士にして、皇帝のみに捧げられた12本の剣。皇帝以外、誰の味方となるのも禁じられており、有る意味で中立と言える存在。
しかし、その影響力と権限は大きく、自身が一騎当千の実力者である事実に加えて、中隊規模のナイトメアフレーム親衛隊を編成する自由が許されており、その恩恵を得ようと近づいてくる者は多い。
そうした者達とラウンズが結びつき、反乱を起こすのを防ぐ為、ラウンズは絶大な権限と共に様々な制限が有り、特に戦場を除く政治的な関与は厳しく制限されており、これはラウンズとほぼ同一視される親衛隊にも及ぶ。
今回の例で言うなら、ラウンズの親衛隊となった者は新たなラウンズとなるか、戦死するか、傷病退役するか、それ以外の理由は原則的に除隊、退役が認められないというもの。
だが、ブラック騒動によって、マリーカの評判は兄『キューエル』の影響を受けて著しく下がり、世間一般の観点から見たら、ルキアーノがマリーカを見捨てても当然という状況となっていた。
リーライナとマリーカは顔を見合わせて頷き合う。ここまで解れば、あとは答え合わせに過ぎない。
「では、ルキアーノ様はいずれ起こるであろう内乱に備えて……。」
「枢機卿へお味方する為、私を送り込んだ。……と言う訳ですね?」
「そう言う事だ。くっくっくっくっくっ……。
これを見ろ。この鳥肌を……。
午前中、たまたま枢機卿を見る機会に恵まれたんだが、あの目を思い出しただけでゾクゾクしてくる。
信じられるか? この私が、『吸血鬼』と忌み嫌われる私が怯えているんだぞ?
いや、私だからこそ解る。アレは殺戮者の目だ。私以上の……。そう、私が『吸血鬼』なら、あの御方は『魔王』に違いない」
ルキアーノは満足そうにニンマリと笑うと、席を静かに立ち上がり、軍服の右袖を捲って見せた。
その言葉通り、2人へ向けて突き出された右腕は毛穴の一つ、一つが粟立ち、小さくブルブルと震えていた。
リーライナとマリーカは口も大きく開け放って、驚愕のあまり思わず言葉を失う。
なにしろ、リーライナはヴァルキリエ隊を結成して以来の4年間、マリーカは3年間、ルキアーノへ仕えてきたが、どんな過酷な戦場に在っても、ルキアーノが怯えた事は一度たりとも無かっただけに驚く他は無かった。
「ソレだけじゃない。
私の見たところ、枢機卿こそ、陛下の気質に最も近い。
だったら、立ち塞がる者は許さない筈だ。
くっくっくっくっくっ……。それを考えたらワクワクしてこないか? なあ、2人とも!」
その怯えた気持ちを入れ替える為、ルキアーノは顔を両手で洗顔する様に揉むと、両手を机へ突きながら身を乗り出して、リーライナとマリーカへ視線を交互に向けた。
リーライナとマリーカは引きつらせた顔を見合わせて、深い溜息を揃って漏らす。
その同意を求める笑みは『ブリタニアの吸血鬼』の異名に相応しい狂気を感じさせるものだったが、それは他者から見たらの話。ルキアーノとの付き合いが長いリーライナとマリーカから見たら、それは新しい遊びを見つけて目を輝かせる子供の様だった。
「どう考えても、シュナイゼル殿下へお味方した方が有利だと思いますが……。」
「……ルキアーノ様は勝ち戦を好みませんものね」
2人は呆れながらも、リーライナはヴァルキリエ隊の隊長として、マリーカはヴァルキリエ隊の元参謀として、一応の確認を取る。
ちなみに、オデュッセウスの名前は何処へ行ったかなど考えるまでもない。
「あっはっはっはっはっ! 良く解っているじゃないか!
そうだ! 最初から勝っている戦いなど、面白くも何ともない! 負け戦を勝ちにするから面白いんだよ!
くっくっくっ……。あ~~っはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!?」
たちまちルキアーノは喉の奥が見えるほどに大笑い。
机を何度もバシバシと思いっ切り叩いて、隣部屋のノネットから苦情が今にも来そうなくらいはしゃぎまくり。
「先輩、これから1人で色々と大変でしょうが頑張って下さいね」
「マリーカ、貴女の方こそ。幸運を祈っているわ」
今一度、そんなルキアーノへ深い溜息を揃って漏らすマリーカとリーライナ。
いつか必ず来るだろう戦場にて、轡を再び列べて戦う事を誓って、2人は固い握手を交わした。