「第17皇位継承者、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア様、御入来!」
その名前が高らかに告げられた時、ブリタニア本国中から集った貴族達は怪訝な表情を浮かべて、手近な者達と顔を見合わせた。
ソレもその筈。社交界からマリアンヌが姿を消して、既に約10年。その息子の名前を憶えている人物など極々少数。ヴィ家の最大後援貴族であるアッシュフォード家頭首ですら、『誰?』と言う顔をしているのだから、他が知らないのは当然だった。
しかし、閉ざされていた扉が開き、ルルーシュが謁見の間に姿を現すと、ざわめいていた謁見の間は瞬く間にシーンと静まり返った。
それほどルルーシュの歩く姿は堂々としたモノであり、居並ぶ数多の貴族達に臆するどころか、口元に微かな微笑みを携えて、見る者を圧倒させる威風さえも漂わせていた。
「お召しによりまして、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。参上仕りまして御座います」
しかも、驚きはそれだけに止まらなかった。
玉座の前にて、片跪く所作は一つ、一つの動作に気品が溢れ、年輩者達を感心させて、年頃の乙女達を見惚れさせた。
だが、この程度は序の口。ここから真の驚きは始まる。
「うむ、大儀である。
だが……。跪く必要は無い。さあ、立つが良い」
「御意」
シャルルが言葉を切って、玉座を立ち上がったかと思ったら、ルルーシュの元まで歩み寄り、その肩を持って片跪くルルーシュを立ち上がらせた。
この前代未聞の出来事に驚きを隠せず、貴族達は一斉に息を飲み、謁見の間は瞬く間にざわめきで溢れてゆく。
そもそも、シャルルが他者へ好意を表す事自体が珍事。それを明確にここまで表したのだから、与える影響は絶大な効果となった。
貴族達は驚きながらも頭を働かせて、ルルーシュの名前が記憶の何処かに落ちていないかを懸命に探す。
なにしろ、これほど格別な待遇を与えると言う事は、ルルーシュがシャルルにとってのお気に入りなのは確実。
そのルルーシュと繋がりを持ちさえすれば、宮廷における発言力を得られるのも確実。浅ましい考えではあるが、貴族としては当然の行動であった。
すると今度は逆に静まり返ってゆく謁見の間。それは貴族達がルルーシュへどの様にして取り入ろうかと夢中になって考えている証拠だった。
「さて、皆も憶えてぇぇいよう。
10年前、アリエス宮で起きた事件をぉぉ……。」
その様子を戻った玉座から眺めて、シャルルは狙い通りと満足そうにほくそ笑む。
そんなシャルルへ視線を送り、ルルーシュが涼しい顔をしながらも『やりすぎだ』と抗議のアイコンタクトを送るが、シャルルは『知らん。お前の希望通りだ』とアイコンタクトを返して、口の端を更にニヤリと吊り上げる。
実を言うと、この全世界へ生放送されている謁見は、ルルーシュがとある目的の為の企てた茶番劇であり、シャルルはソレへ乗っただけに過ぎない。
もっとも、ルルーシュがプロデュースしたのは全世界生放送による謁見のみ。その内容はシャルルへ一任されたが、本国中の貴族を集めろとも、ここまで目立たせろとも、ルルーシュは一言も言っていなかった。
ちなみに、とある目的とはナナリーとC.Cへ向けた覚醒報告。それに加えて、この場に居ないとシュナイゼルとV.Vへ対する宣戦布告である。
「オデュッセウスよ!」
「はっ!」
シャルルは視線をルルーシュの左隣へ移す。
玉座から見て、左側の最前列最内側に立つ顎髭の男性の名前は『オデュッセウス・ウ・ブリタニア』、第1皇子にして、第1皇位継承権の持ち主。
苛烈な者が多いブリタニア皇族の中にあって、珍しく温厚な性格をしており、人気は有るのだが、その能力は一言で凡庸。
また、今年で32歳となり、第1皇子だけに縁談が殺到しているが、ある特殊な性癖が災いして未だに独身。次の帝位にと望むオデュッセウス派の者達の溜息を誘っている。
「そなた、銃を持つ暴漢を前にして怯まずぅぅ……。立ち向かえるか?」
「無理に御座います。
残念ながら、その方面に私が才能を持っていないのは父上もご存じの筈です」
オデュッセウスはルルーシュへ視線を向けると、やや間を空けてから、左掌を右拳で一叩き。
そう、ルルーシュという存在はちゃんと憶えていたが、そのルルーシュがどんな状態であったかをオデュッセウスはすっかりと忘れていた。
その点も含めて、オデュッセウスは後頭部を照れ臭そうに、申し訳なさそうに右手で掻きながら思ったままを正直に応える。
「ギネヴィアよ!」
「はっ!」
シャルルは頷き、視線を更にオデュッセウスの左隣へ移す。
オデュッセウスの左隣に立つアッシュブロンドのロングヘアーな女性の名前は『ギネヴィア・ド・ブリタニア』、第1皇女にして、第4皇位継承権の持ち主。
未亡人であり、その夫であったユーロブリタニア大公の息子は2年前に戦死。義父の進言に従い、6歳になる娘と共に情勢が危ういユーロブリタニアから本国へ避難中。
夫が命を散らした地『ボルドー』を一刻も早く取り戻そうと躍起になっており、今は宮廷闘争に熱を入れて、本国とユーロブリタニアの仲立ちを行っている。
「そなた、銃を撃つ暴漢の前に立ち塞がりぃぃ……。余を護ってくれるか?」
「無論……。と言いたいところですが、無理に御座います。
その気持ちは十分に持っているつもりではありますが、恐らくは足が竦んで動けないでしょう」
ギネヴィアはわずかな時間ながらも考えを巡らせて、シャルルが望んでいるであろう答えを狡猾に導き出す。
その上、さも無念そうに首を左右に振ると、つい先ほどまで存在すら忘れていたルルーシュへ尊敬の眼差しを向ける。
「わっはっはっはっはっ! 正ぉぉ直者よのぉぉぉ!
だぁぁが、ここに居るルルーシュはそのどちらもぉぉぉ成し遂げたぞ!
しかも、10年前と言えば、まだ8歳だ! 実に見事であぁぁぁぁぁる!
それでこそ、我が息子よ! 儂の求めるぅぅ強者よ!
ルルぅぅーシュよ! 嬉しいぞ! よぉぉぉくぞ、目を醒ました! 余はお前の目覚めをぉぉ待っていたぞ!」
期待通りの答えが2人から返り、シャルルは喉の奥が見えるほどに高笑いをあげて大満足。ルルーシュを更に、更に持ち上げてゆく。
その言葉尻を狙って、ある貴族がシャルルの感心を買おうと拍手を叩き、それをきっかけにして、謁見の間は盛大な拍手で溢れかえる。
最早、ルルーシュがシャルルのお気に入りなのは誰の目にも明らか。疑いようの無い事実と捉えられた。
ヴィ家と繋がりを持つアッシュフォード家頭首、アールストレイム家頭首、ゴットバルト家頭首の3人は超大穴万馬券の的中に思わずガッツポーズ。
アッシュフォード家頭首は先代頭首へ、アールストレイム家頭首は末娘へ、ゴットバルト家頭首は跡取り息子へ昨日まで悪態をつき、ヴィ家へ対する援助をいかに減らそうかと考えていたのをころりと忘れ、マリアンヌのご機嫌伺いに午後からアリエス宮を訪ねる際、手土産の品は何が良いだろうかと頭をご機嫌に悩ませる。
「お褒め頂き、恐悦至極に御座います。
しかし、あの時の私はただただ夢中だっただけに過ぎません。陛下からお褒めを頂くほどの事では御座いません」
やがて、拍手が鳴り止み、ルルーシュは辛うじて涼しい顔を保ちながら、ゆっくりと一礼。
その右足を引いて、右手は身体に添え、左手は横へ水平に差し出した礼は芝居じみてはいたが、古式作法に則って優雅さに満ち溢れていた。
年輩者達は古式作法に則っているが故に再び感心して唸り、年頃の乙女達は芝居じみているが故に再び見惚れて溜息をつく。
それこそ、ギネヴィアの左隣に立つユーフェミアなど、両手を胸の前で組み、その胸をキュンキュンと高鳴らせて、顔をうっとりと紅く染めながら倒れかけ、それを支える更に左隣の赤毛のツインテールな第5皇女『カリーヌ・ネ・ブリタニア』を困らせていた。
だが、その実は垂らした頭の下、ルルーシュは頬をピクピクと引きつらせていた。本音を言えば、今すぐシャルルの襟首を掴み上げて、『やりすぎだと言ってるだろ!』と叫びたい心境だった。
「ふっ……。小憎らしい奴め。
謙遜もぉぉ過ぎれば、毒とぉぉなるぞ? なあぁぁぁ、オデュッセウス?」
そんなルルーシュの様子を敏感に感じ取り、シャルルはニヤニヤとした笑みを浮かべて勝ち誇る。
なにせ、弱肉強食を国是として常日頃から唱えるシャルルである。一方的に負けたままでいるのは性に合わず、敗北を記したルルーシュが覚醒を果たしたあの夜の会談以来、ルルーシュをどうやってヘコましてやろうかとずっと考えていた。
また、この茶番劇の目的。ナナリーとC.Cへ向けた覚醒報告は別として、シュナイゼルとV.Vへ対する宣戦布告と言うのが実にシャルル好みであり、せいぜい派手にやってやると楽しんでもいた。
「いいえ、その様な事は御座いません。
言う易し、行うは難しと昔から申します。ルルーシュは我らが兄弟の誇りです。
皇帝陛下、いかがでしょうか?
幼い頃、ルルーシュは聡明と評判でした。その勇ましさも必ずや我が国の為となります。是非、役目を何か与えてみては?」
その様な真相があるとは露知らず、オデュッセウスは何処までも人が良かった。
皇位継承権こそは低いが、これほど明確にシャルルから気に入られて、自分の立場を危うくする存在の登場にも関わらず、ソレをどの様にして切り出すかとシャルルが悩んでいた話題を提案。
この瞬間、オディセウス派の貴族達は揃って息を飲んだ後、ある者は目線を右手で覆い、ある者は頭を抱え、ある者は溜息を漏らした。それぞれ十人十色の様で呆れ果てるが、『それがオデュッセウス様の徳だから』と強がり諦める。
「うむ、そこでぇぇだ。
10年遅れではあるがぁぁぁ、ルルぅぅーシュよ。
我が皇妃を護った褒美としてぇぇぇ……。お前を『枢機卿』に任命する」
「はっ……。謹んでお受け致します」
これにはさすがのシャルルも驚いた。オデュッセウスへ『お前、本当に儂の子か?』と真剣に問いたかった。
その表情に出かけた驚きを隠す為、シャルルは大げさに玉座の肘置きを両手で叩きながら勢い良く立ちあがり、声高らかに宣言。ルルーシュが応えて、再び一礼する。
ところが、この宣言に対して、謁見の間の反応は微妙なものだった。拍手は存在するが、まばらな上に勢いが有らず、誰もが困惑した表情となって、隣同士と顔を見合わせていた。
ソレもその筈。神聖ブリタニア帝国において、『枢機卿』という役職は存在しない。その名前から宗教関連のモノと推測が出来ても、ブリタニアに国教は存在せず、困惑するのは当然の話。
「もっともぉぉ、アレの責任者はお前にしか務まらぬからな。
儂が預かっていたものをぉぉお前に返すだけの事。そう畏まる事もあぁぁぁるまい」
「ああ……。それで『枢機卿』に御座いますか。
聞き慣れぬ役職が故、どんなものかと考え込んでしまいました」
そんな謁見の間の者達を余所にして、シャルルとルルーシュの間で交わされる意味深な会話。
シャルルの言葉にあるアレとは『ギアス饗団』を指しており、その存在は古来からの秘中の秘。ソレはどれだけ探そうが、頭を幾ら悩ませようが、一般の者は絶対に正解へ辿り着けないモノ。
しかし、この会話が意外な結果を呼び、それを後日となって知ったルルーシュが『どうして、そうなった?』と思わず頭を抱える事となる。
この謁見が済むと、貴族達はソレをこぞって知ろうと躍起になった。ソレさえ知れば、ルルーシュとの強い繋がりが持てるに違いないと考えたからに他ならない。
その手掛かりとして、まずは何も知らないルルーシュに関する事柄を調べ始めて、8歳の頃から約10年間に渡って眠り続けていた事実を知り、誰もがそこで驚く事となる。
当然である。この謁見にて、ルルーシュが列席者達へ強烈に印象付けた気品と礼儀、知性は長い時をかけて磨かれたもの。とても子供の頃から最近まで眠り続けていた者とは考え難かった。
しかも、ルルーシュは卓越した頭脳をもって、この後に奇跡と呼べる功績を次々と挙げてゆき、その驚きはますます強くなって、考え難いものから信じ難いものとなってゆく。
その結果、嘗てのシャルルがマリアンヌへ向けていた偏った寵愛ぶりの事実。ここ数年間、シャルルが公の場にあまり姿を現さず、皇居に引き籠もっていたという事実。廃れて久しいアリエス宮の実態を知る者が極めて少ないという事実。他の皇子、皇女と比べものにならないほど、シャルルがルルーシュを気に入っているという事実。
この4つの事実が合わさり、奇妙な化学変化を起こして、誰が最初に言い始めたのか、まことしやかにある噂が皇族達、貴族達の間で広がり始める。
その噂とは、約10年前に起きたアリエスの悲劇にて、狙われたのはマリアンヌではなく、実はルルーシュだった。
何故、ルルーシュが狙われたのか、それはシャルルが皇位継承権の序列を無視して、寵姫であるマリアンヌとの間に生まれたルルーシュを後継者にと考えていたから。
この10年間、アリエス宮で眠っていたのは偽物。ルルーシュを狙う者を誘い込む為の罠であり、本物は皇居の奥深くにある秘密の場所で育ち、シャルルから直々に帝王学を学んでいた。
そして、ようやく当時の犯人が捕まり、処刑が済んだ為、ルルーシュのお披露目となった。先日、誅殺されたあの御方こそ、犯人に違いないというもの。
では、『枢機卿』に関しては、どうなったかと言えば、こちらも噂に尾ヒレを付かせる実に都合の良い事実が存在した。
約2年前、EU戦線で勃発したユーロブリタニア大公麾下のナイトメアフレーム4大師団の1つ『聖ミカエル騎士団』の裏切り。
その謀略によって、神聖ブリタニア帝国はローマ法王より神の敵とされ、カトリックとは袂を分かっていたが、相手は世界最大の宗教。ユーロブリタニアのみならず、ブリタニア全土に多大な影響を及ぼした。
この事態を重くみた宰相のシュナイゼルはローマへ多額の寄付を送り、戦火で荒廃したエルサレムの再建を約束。つい1ヶ月ほど前、カトリックとの和解に成功していた。
これに伴い、同じ轍を踏むまいと監視とご機嫌取りを行う為、シャルルが最も信頼するルルーシュをローマとの繋がりを持つ名目として『枢機卿』の地位を得たのではないかと貴族達は勘違いした。
無論、これはローマ側から正式に誤りであると解答が返ってくるのだが、ヒトとは自分が信じたいモノを信じてしまう生き物。勘違いは解けなかった。
それどころか、多数の貴族達がルルーシュのご機嫌を取ろうと、多額の寄付をせっせと送ったが為、ローマ側も困り果ててしまい、遂に嘘が真実となり、ルルーシュは信仰心も無いにも関わらず、洗礼を受ける事となって、本物の『枢機卿』の地位を得てしまう。
「わぁ~~っはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!
だが、役職は公言しておいた方がぁぁそなたにとってもぉぉぉ何かと都合が良かろう?
なにしろ、宗教とは昔から俗世とは関わらぬモノぉぉ。
それはぁ裏を返せば、俗世のしがらみに囚われずぅぅぅ、何処にでも行けるしぃぃぃ、何処にでも口を出せると言う事だ」
「なるほど……。つまり、実権は無い。
しかし、響きは与えられる。そう考えて、よろしいのでしょうか?」
そして、それ等の噂を何よりも決定付けたのがこれだった。
ルルーシュが言う通り、『枢機卿』の地位に実権が無いとしても、ルルーシュから何かを頼まれ、それが相当の無茶で無い限り、それを断れる者はまず居ない。
何故ならば、この謁見は全世界生放送中であり、今は時差の関係で視聴していなくとも、これを各国の報道番組が必ず繰り返して放送するだろう事は間違いない。
即ち、それはルルーシュがシャルルのお気に入りだと全世界に周知されるという事であり、この場に居らずとも、各エリアの行政官、軍人達にも影響を及ぼす事に繋がってゆく。
それは考え様によって、臣における最上位の『宰相』に等しいと言え、将来を『皇帝』となるのを見据えた帝王学であるとも取れた。
余談だが、コードを保有するルルーシュはギアス饗団に迎えられて、既に『饗主』の座に就いている為、『枢機卿』はシャルルの言葉を借りるなら俗世での呼称となる。
また、ルルーシュはシャルルとの約束により、アーカーシャの剣は現状維持を保っているが、マリアンヌが主導で行った非道な実験の数々のデーターは一切を破棄済み。
その際、ルルーシュはそれ等の作業を実験に携わった研究者達自身の手で行わせており、少しでも躊躇ったり、惜しんだりした者を等しく処刑。今は残った研究員達で別の研究を行っている。
「響きとは、小癪な言い方をしおって! だが、その通ぉぉぉぉぉり!
あとはそなた次第よ! 我が国是が示す通りぃぃ、欲しいモノは自らの手で勝ち取れぇぇぇ!」
「御意!」
「オール・ハイル・ブリタああああああああああニア!」
シャルルが右拳を勢い良く掲げて、最後はお決まりのブリタニアを讃える唱和。
こうして、ルルーシュはナナリーとC.Cへ対しては覚醒報告を、シュナイゼルとV.Vへ対しては宣戦布告を遂げた。
******
「はーー……。凄いハンサムさんでしたね。ちょっと好みかもです」
エリア11、アッシュフォード家の離れ屋敷のダイニング。
映像が神聖ブリタニア帝国の国旗に変わった後も、サヨコは熱くなった頬へ両手を当てながらTV画面を見惚れていた。
だが、椅子を蹴って立つ音に何事かと我に帰り、その音の発生源であるナナリーへ顔を振り向けて、サヨコも席を蹴って立ちあがる。
「ナナリー様っ!?」
「う゛っ……。」
先ほどまでサヨコが作った明太子茶漬けを美味しい、美味しいと連呼して、2杯目へ突入していたナナリー。
ところが、今は顔を真っ青に染めて、口元を右手で押さえたと思ったら、即座にトイレへ向かって駆け出した。慌ててサヨコがその後を追う。
「どうなさったのですかっ!? まさか、明太子が傷んでいたとかっ!?
そんな筈は……。ああっ!? でも、でもっ!?
すぐにお水を持って参りますっ!? ですから、我慢をなさらず、全てお出しになって下さいっ!?」
その放送をナナリーが見ていたのはたまたまの偶然であり、必然であった。
学校にて、朝、昼、夕方の3回。絶対に視聴する様にと校長から校内放送で通知があったが、ナナリーはすっかりと忘れていた。
アルバイトを9時半頃に終えて、アリスをバイクの後ろに乗せてのタンデム。真後ろから聞こえる悲鳴と抗議を無視して、アクセルを全開。ナナリーの頭の中にあったのは、毎週欠かさず見ている10時からのドラマ。
主人公と素直になれないヒロインがとうとう結ばれたかと思ったら、主人公の元カノが妊娠を告白。その鬼引きで先週は終わり、今週はどうなるのだろうとワクワクしていた。
ところが、待ちに待ちかねた10時。TVのモニターに映ったのは兄の顔だった。約10年ぶりとなるTV越しの再会ではあったが、ルルーシュだと一目で解った。
そして、ナナリーが10年前に通った謁見の間の赤絨毯を歩き、ルルーシュが玉座へ近づけば近づくほどに動悸は激しくなり、シャルルとルルーシュが同じ画面に収まった瞬間、目の前が文字通りに真っ暗となった。
まざまざと蘇ってくる10年前に受けた罵声と恐怖。室内の温度はエアコンで快適に保たれているのにも関わらず、前歯が勝手にカチカチと打ち鳴り、身体はブルブルと震え始めた。
しかし、父の声が耳に届いた瞬間、ナナリーは我が耳を疑った。震えが止まって、目の前に色彩が戻り、続けざまに我が目を疑った。
父が自分を罵倒した同じ口で兄を自慢の息子だと褒め称えていた。自分を恐怖に縛り付けた眼差しは何処にも有らず、心の底から愉快そうに歯を見せて笑っていた。
用済みと罵られて捨てられた自分と格別な期待を受ける兄。どうして、同じ兄妹でありながら、ここまで対応が違うのか。
その解けない疑問に惑い、ナナリーはテーブルの上に両手を力強くギュッと握り締めて、下唇を噛みながら皺を眉間に刻み、兄の姿を射殺ろさんばかりに睨み付ける。
だが、それが限界だった。心の奥底からドロドロとした黒いモノが込み上がってくると共にナナリーの胃も熱いモノを込み上げてしまい、ナナリーはトイレへ駆け込んだ。
「やれやれ、そんな様ではこの先が思いやられるな」
サヨコとは違い、ルルーシュへ見惚れず、その一部始終を盗み見ていたC.Cは溜息を深々と漏らす。
余談だが、ナナリーはこの後に具合を本格的に悪くさせて、楽しみにしていたドラマを見ずに寝込んでしまう。
しかし、ここで奮い立ち、レジスタンスへ緊急召集をかけて、その怒りをブリタニアへぶつけていたら、ブリタニア政庁は大した苦労もせずに落ちていたかも知れなかった。
その理由はジェレミアが発案したルルーシュ復活祭を総督のクロヴィスが全面支持。市ヶ谷即応軍司令部基地は飲めや、歌えやの大騒ぎとなり、完全に混乱していた。
「それにしても……。あいつ、起きたのか。
でも、ここで帰ったら、マリアンヌの奴に笑われるのは目に見えているしな。……まっ、暫くは様子を見るか」
聞こえてくるナナリーの苦しそうな嘔吐の声に見捨ては置けず、C.Cも遅まきながらも席を立ち上がった。
******
「やあ、失礼するよ。
……って、ぷっ!? 何だい? それは……。ブリタニアの宰相が食べる食事とはとても思えないね?」
つい5日前、奇襲を見事に成功させて、リスボンとポルトをほぼ同時に攻略。ポルトガル州を再びブリタニアの版図に加えたユーロブリタニア方面軍。
次はスペインのマドリードを陥落させる為、今はリスボンに臨時の政庁を構えて、悪化している治安を治めながら、本国から続々と届く増援を整えていた。
それ等の激務の合間を縫い、午後2時を過ぎながらも遅い昼食をユーロブリタニア方面軍総司令官にして、神聖ブリタニア帝国の宰相『シュナイゼル・エル・ブリタニア』は執務机で摂っていた。
その部屋へノックも無しに入ってきたと思ったら、シュナイゼルが食べている昼食を見るなり失笑して、更にケチまでつける金髪の青年。
「何を仰います。この缶詰はナイトメアのパイロット達が食べているモノで栄養価はあり、とても手軽で……。」
「知っているよ。散々食べているから、見るのも嫌なんじゃないか」
だが、その不作法を許され、あまつさえ、シュナイゼルから敬語を使われる青年の正体は、嘗て『V.V』と呼ばれていた少年。
V.Vはコードをルルーシュに奪われたが為に成長を再開。いつも眠そうな目は相変わらずだが、20代前半の二枚目に育ち、当時の名残を感じさせる長い髪を三つ編みにして腰までぶら下げている。
あのアリエスの悲劇の後、V.Vは必死の思いで逃げた。逃げても、逃げても、追いかけてくるルルーシュの憎悪から逃げ、とうとう辿り着いたのが、中華連邦領内の敦煌。ブリタニアの帝都であるペンドラゴンに次ぐ規模を持つギアス饗団の拠点だった。
ところが、饗主たる証のコードを失い、只の子供となったV.Vは冷たくあしらわれて追い出され、何の宛ても無い流浪の旅を強いられる事となる。
その旅の途中、苦労と苦難の連続によって、いつしかルルーシュへ抱いていた恐怖は憎悪へと変わり、V.Vはルルーシュから再びコードを取り戻すという目的を見出す。
しかし、マリアンヌを無断で襲撃した負い目からシャルルと会えないV.Vは無力であり、そこで目を付けたのが帝国の宰相たるシュナイゼルとの接触だった。
それ以来、V.Vは『ヴィクター・ヴォーン』という偽名を名乗り、シュナイゼルの庇護の下、ナイトメアフレームの一パイロットして、その身を隠していた。
ちなみに、何故にナイトメアフレームのパイロットなのかと言えば、大した理由は無い。V.Vがたまたま適正を持っていて、シュナイゼルがタダ飯喰らいを良しとしなかった為である。
当時、V.Vも暇を持て余しており、軽くOKしたのだが、功績を妙に重ねてしまい、とんとん拍子に大尉の階級まで出世。今や、シュナイゼルの懐刀として、ナイトメアフレーム中隊を率い、ちょっと有名になり過ぎて困っていた。
「悪くは無いと思いますけど……。
おっと、そうでした。丁度、伯父上へお願いが有ったんです」
「うへっ……。僕達の部隊、働き過ぎじゃない?」
「申し訳有りません。敵もなかなかの働き者で……。バダホスの防衛へ向かってくれませんか?」
V.Vは執務机の上に気安く腰掛けて、シュナイゼルが食べている缶詰を一摘み。
もしかしたら、シュナイゼル用に味が違うのかと思いきや、相変わらずの大味に顔を顰め、シュナイゼルから差し出された命令書が挟まれた書類ボードに顔を更に顰める。
「えーーー……。タケルは何処へ行ったのさ?」
「彼ならグアルダへ向かって貰いました。ですから、伯父上しか頼める人は居ないんですよ」
「ちぇっ……。そう言う事なら仕方ないな。行ってやるよ」
「いつも頼りにしています」
挙げ句の果て、V.Vは唇を尖らせた上に舌打ちまでするが、結局は書類ボードを受け取る。
その素直じゃない様をクツクツと微笑み、シュナイゼルは缶詰に残った最後の一切れを口へ放り、その味をやはり悪くは無いと頷く。
余談だが、V.Vの言葉の中にある『タケル』とは、元日本最大軍閥の長であり、今はブリタニアの伯爵位を持つ『織田』家の当主の名前。
シュナイゼル直属のナイトメアフレーム大隊を率いており、V.Vが懐刀なら、こちらはシュナイゼルの太刀として知られ、V.Vとは歳が近い事もあって仲が良い。
「あっ!? ……いけない、いけない。
ここへ来た目的を忘れてたよ。……見たかい?」
V.Vは執務机から飛び下り、部屋から去ろうと歩き出すが、すぐに立ち止まり、あたかも思い出したかの様に尋ねながら意地悪そうなニヤニヤとした笑みをシュナイゼルへ振り向けた。
無論、言うまでもないが、この『見たかい?』は先ほどまで放送していたルルーシュの枢機卿就任式に他ならない。
「ええ、もちろん。そういう通達でしたから」
「どうするんだい? ルルーシュはシャルルに随分と気に入られている様だけど?」
「どうすると言われましても……。
私にとって、ルルーシュは可愛い弟の1人ですよ。
強いて言うなら、そうですね。彼と子供の頃の様にチェスを楽しみたいものです」
シュナイゼルは表情をピクリとも変えず、先ほど同様に微笑みを浮かべたまま。
恐らく、V.Vが来訪した時から、この問いを予期していたのだろう。食事で中断していた書類の決裁を再開。ペンを走らせる片手間に応えた。
「フフフ……。チェスか。世界を盤上にした?」
だが、意地悪そうな笑みをますます深めて、V.Vが更なる問いかけをした瞬間。
シュナイゼルは何も応えを返さなかったが、ペンを一瞬だけ止め、書類へ落としていた視線をV.Vへ向けた。
「まあ、良いさ。これ以上、今は聞かないであげるよ。
君は君で僕を利用する。僕は僕で君を利用する。そう言う約束だからね」
その瞳は何もかも興味を失ったかの様に何処までも空虚だった。
しかし、V.Vは目敏く見つける。その中に微かながら灯った熱を。待ち望んでいた好敵手の到来を歓迎する炎を。
但し、それは瞬きするほどの刹那。次の瞬間、シュナイゼルの表情は胡散臭い微笑みに戻っていたが、V.Vは十分に満足してウンウンと頷く。
そして、今度こそ、部屋から立ち去る。V.Vと共に入室していながら、まるで彫像の様に出入口の扉脇に立ち、一言も発しなかった栗色の髪の少年を連れて。
「さあ、行こうか。ロロ」
「はい、兄さん」
その少年こそ、ルルーシュが饗団内を探しても、探しても見つからなかった嘗ての血の繋がらない弟『ロロ・ランペルージ』であり、今は『ロロ・ヴォーン』と名乗るV.Vの弟だった。