続きです。
その日の夜。
選ばれし子供達は、ピッコロモンを失ったショックを胸に、ダークマスターズに見つからないよう森の中で息を潜めるようにして眠りに落ちる。
その中には勿論沙綾の姿も……
「………」
気丈に振る舞っていても、彼女も所詮11才の少女だ。覚悟していたとは言え、今回自分が取った行動はやはり精神的に少し参ったのだろう。
結局、あれ以来アグモンにすら録に口を開かないまま、彼女も皆と同じように目を閉じた。
そして
「……おやすみ……マァマ……」
沙綾のアグモンもまた、彼女の隣で複雑な想いを抱きながら、夢の中へと入る。
そう、最早恒例のようになってきた、あの不思議な夢へと……
(……う……ん……?)
夢の中で、アグモンはその目をゆっくりと開いた。
(……此処は……何時もの夢みたいだけど、なんだろう……ちょっと違う?)
今回彼の目に写ったのは、何もないただ真っ白なだけの空間。
何処までも続くかのような全面"白"の部屋に、彼だけがポツリと立っている。音もなく、他の生き物の気配もしない。
現実味のある何時もの風景とは異なり、今回は何処か抽象的な、ともすれば、まるで誰かの"精神世界"にいるような感覚。
ただ、やはりアグモンの意識はとても鮮明で、『夢だとは思えない』という部分では何時もと何ら変わりはないのだが。
(うーん……どっち向いても白ばっかりだ )
そんな異質な風景に、アグモンは思わず首を捻った。
回りをキョロキョロと見回してみても、出口らしきものは何処にもない。ただただ"白"が続くのみである。
最も、これが夢である事が分かっている以上、出口の有無は特に関係はない。
しかし、彼は此処で何時もとは決定的に違う"ある事"に気付いた。
(あれ? 体が……"動く"?)
そう、何時もの夢ならば、アグモンに行動の自由はない。"彼"の目を通して過ぎていく夢を眺めているだけ。
だが今回は、先程アグモンが回りを見渡せたように、本人の意識で体を動かせるのだ。
それだけではない。
「……声も、ちゃんと出る……」
試しにアグモンは口から火を吐いてみた。
すると、白い部屋に赤い炎がボウっと立ち上る。
不思議な事に、今回は今までの夢にあったような制限は何一つないようだ。
勿論、それがどうしてなのかはアグモンにも分からないし、動けたところでこんな何もない場所でする事など一つもない。結果、
「……なんだかよく分からないけど……目が覚めるまで待ってるしかなさそうかなぁ……」
言いながら、アグモンはペタンとその場に座り込む。
本当に一面が真っ白のこの空間では、床や天井の境目も、どこまでが地面なのかも分からない。感覚としては、座っているというよりも、どちらかと言えば浮かんでいると言った方が近いのかもしれない。
「…………」
そうしてしばらくの間、アグモンは何もせず、ただボーっとこの空間を眺めていた。
頭の中に浮かぶのは、突然のピッコロモンの死と、これからに対する不安。そして、
「マァマは……やっぱりずっと前からピッコロモンが死んじゃうって知ってたのかなぁ……」
沙綾と共に旅をしながら、その実、彼女の苦悩を分かっていなかった自分への失望感。ピッコロモンをロードすると決断した時、彼女は一体どれだけ辛かった事か。
「……マァマ……きっと、ボクが悲しむって分かってたから……」
これまでも、沙綾はある程度先の展開はアグモンへと事前に話していた。しかし、事"味方デジモンの死"について、彼女は一度もアグモンにそれを打ち明けてはいないのだ。
例え最後には分かるとしても、全ては彼女の小さな親心だろう。
「ごめん……マァマ……ボク、何も知らなかった……」
彼女を守ると誓いながら、何も気付けなかった自分に、アグモンは落胆する。
そんな時、
「……何を……落ち込んでいる……?」
「っ! 誰だ!」
突然聞こえてきた声。
気配など微塵も感じられず、背中越しにいきなりそう話し掛けられたアグモンは、慌てて飛び上がるようにクルリと振り返った。
すると、そこに立っていたのは……
「……どうした……"自分の顔"も忘れたか……?」
「えっ!? ボ、ボク……?」
まるで鏡に写されたかのような、自分と寸分違わないもう一匹のアグモンの姿。
唯一違うところがあるとすれば、それは沙綾のアグモンだけが左手につけているピンクの包帯のみ。
不気味な程同じ存在だが、アグモンはその姿と話し方に若干心当たりがあった。
「キミは……もしかしてあの夢の……」
そう、今まで見てきた夢の自分。
ぶっきらぼうに一人の少女と旅を続け、その果てに、何もかもをなくした、一匹の子竜。
「……お前を待っていた……」
口調こそ違うが、声の本質はやはりアグモン本人と同一である。そこで、彼はハッと気づいた。
今回、この夢の中で自分に行動が許されているのは、一重に"彼"と体が分断されているからだろう。と。
「ねえ……君が、ボクを此処に呼んだの?」
「……好きに推測するがいい……だがオレは……お前に聞きたい事があって此処に来た……」
「聞きたい事?」
白い空間の中、向かい合って話す二人はまるで合わせ鏡のようにさえ見える。
「……ああ……"オレ"の記憶を……覗いたのだろう?」
「えっ……それって……"ボク"が見た今までの夢の事?」
「……そうだ……あれを見て……お前は何を感じ、何を思った……?」
そう聞いてくるもう一人の自分に、アグモンは申し訳なさそうに顔を下に向ける。
不可抗力とはいえ、覗いていたと彼に知られていた事が少し気まずいのだろう。
ただ、最早バレている以上シラは切れない。
「……えと……最初は、なんだかすごく居心地がよくて……でも、最後は凄く悲しくて……凄く辛くて……言葉じゃ……説明出来ないよ……」
それがアグモンの素直な気持ち。
特に"少女"を失った時の喪失感は、我が身を切り裂かれそうな程、彼の"心"を深く締め付けたのだ。
それを聞いたもう一匹のアグモンは、下を向く彼とは反対に、真っ白な虚空を見つめて呟く。
「……そうか……いや……"それも当然"……か……」
「えっ?」
まるで答えを聞く前からアグモンの解答を知っていたかのような台詞。彼は更に言葉を続ける。
「……オレは、ただ"母"を助けたかった……何もなかったオレに……何もかもを与えてくれたのがあの"母"だ……もしそれが出来るのなら……例え"母"に嫌われようと、例えこの身が滅びようと……オレには構わなかった……仮に世界を壊す事になっても……"母"にだけは……どうしても……生きていて欲しかった……」
それは静かな独白のよう。
何処か寂しげで、憂いを含んだ声。
夢の中で聞いた時よりも、彼の声にはそれほどトゲはない。気になるのは、彼の話すそれらが全て『過去形』である事。
断片的な記憶しか見ていないアグモンには、彼の話す言葉の真意までは理解出来ないが、それでも、このデジモンが自分と本当に似ていると再確認するには十分で……
「……ねぇ、君は……誰なの?」
気付けば、アグモンは彼へとそう問いかけていた。
すると、彼もまた視線をアグモンへと戻す。
「……見た通り……お前はオレで、オレはお前……お前の中の『潜在意識』、『本性』と言われるものがオレだ……つまり、お前が"夢"だと認識してるものも全て……『お前自身が過去に体験した出来事』に他ならない……言うならば、アレは一種のフラッシュバックだ……」
「??」
「……そしてここ最近、お前の身に突然この現象が起き始めたのは……恐らく、お前が"
「???」
一度にされる説明に、アグモンの思考は最早パンク寸前だ。
それどころか、"記憶の楔"や"自分自身が経験した事"、"潜在意識"など、彼の話す飛躍した内容の半分も、何も知らないアグモンには端から全く理解出来ていない。
『えっ?』と口を開けたまま、ただ呆然と固まってしまっているだけである。
最も、相手もそれを分かった上で話しているのだろう。
何せ、説明している相手は他ならぬ自分自身なのだから。
「フッ……"今の"お前には……意味が分からなくて当然か……安心しろ……近々、イヤでも分かる事になる……」
「……ねぇ、もっと分かりやすく説明してよ……」
アグモンにとっては当然の台詞だが、彼は首を横に振る。
「……いや、止めておく……結局、オレの口から全てを語ったところで……お前は"きっと何一つ信じない"……加えて、オレが此処に来た理由に、今の話は特に関係はない……」
言うなら、彼にとって今の問い掛けは興味本意。
本当の話題は別にあると、今度は真剣な瞳で、自分自身へと向き合う。そして、
「……単刀直入に聞く……お前は……"ヤツ"に勝ちたいか……?」
落ち着いた静かな声でそう呟いた。
同時に、その言葉を聞いたアグモンの表情が引き締まる。
先程の説明の殆どが理解出来ないアグモンでも、一つだけはっきり分かった事がある。
それは、『とにかくどっちもボク』だという事。
彼がもし自分ならば、このタイミングで"ヤツ"が指す相手など一人しか思い当たらない。
「それは……カオスドラモンの事……?」
アグモンの言葉に、もう一人のアグモンは静かに頷いた。
「……そうだ……今や"ヤツ"は、未来世界のオメガモンにすら匹敵する力を得ている……お前が今日見たダークマスターズすら、アレはたった一匹で殲滅する事が可能だろう……そんな相手に、お前は勝てると思うのか……?」
「………」
ある意味予想は出来ていた。いや、予想よりもまだ遥かに上だったかもしれない。
太一のウォーグレイモンを一撃で破ったピエモンよりも、まだ二段も三段も格上の存在。それがあのカオスドラモン。
彼が何故そこまで詳しいのかは分からないが、現状、まだ究極体にすら届いていないアグモンとの戦力差は、正に絶望的の一言である。
だがそれでも、アグモンの答えは以前と何一つ変わらない。
「……ボクは……勝つ……勝たないと、"マァマ"を守れないから……でも……」
「……怖いのか? あの魔竜が……」
「怖くなんてない! マァマのためなら、どんなヤツだってボクは戦う! でも……今のままじゃ……」
"カオスドラモンには届かない"。アグモンの意思と、立ちはだかる現実は全く違う。
ダークマスターズの面々をこの先ロードしていけば話は変わってくるかもしれないが、それでも、"絶対に勝てる"という確証はない。いや、例え追い付けても、拮抗した戦力では意味がない。ヴェノムヴァンデモン、そしてダークマスターズの力を見てアグモンはそれを強く感じた。
欲しいのは、流れ弾の一発さえも沙綾に近付けさせない"圧倒的な力"
沙綾を安全を確実に保証出来る力だ。
「……力が……欲しいのか? 」
「……うん」
本性の問いかけに、アグモンは迷わず頷く。
「成る程……だがその果てにあるのは……お前にとって"絶望"だけかもしれんぞ? 仮に……それを得た事で、お前が
やけに具体的な例え。
『いきなり何を聞いてくるのか』、そう思うアグモンだったが、目の前の本性は真剣にそれを聞いているようである。故に、
「……それでもいい……マァマのために"アイツ"を倒す……マァマを悲しませる全部を……ボクが無くしてあげたい……マァマに嫌われるのは……すごく辛いけど……でも、もしそれが出来るなら……」
アグモンもまた、まじめにそれに答えた、
今日のピッコロモンの死について、沙綾が長い間一人で悩んで、苦しんで来た事は容易に想像できる。それに対し、アグモンは何も出来ず、また、それに気付きもしなかった。
ヴァンデモンとの戦いにしても同じ。
あれは沙綾の視点から見れば、"判断の甘さでアグモンが窮地に立った"となるが、アグモンの視点で見るなら、"そもそも自分が強ければ、沙綾が自分の盾になるような目に会う事もなかった"、となる。
全ては自分の力不足。
例え沙綾に嫌悪されるとしても、今より遥かに強く彼女を支える事が出来るのなら……
「ボクは……何だって惜しくない!」
「……それがお前の答えか?」
「……うん」
真っ直ぐに、アグモンはもう一人の自分を見つめる。
『沙綾のためなら全てを捨てられる』
例えそれが彼女の愛情であっても、『沙綾を守るため』に必要なら何一つ躊躇わない。
これが彼の答え。変わらないたった一つの生き方だ。
「………」
「………」
訪れる沈黙。
互いが互いの目を見つめたまま、真っ白な空間に時だけが流れる。
やがて、
「……フフッ……因果とは皮肉なものだ……認めたくはないが……やはり"オレは……何処まで行っても、結局オレを捨てられない"らしい……」
「?」
再び意味不明なことポツリと呟いた彼に、アグモンはまた首を捻る。
何が可笑しいのかは分からないが、そう語る彼の表情は、どこか吹っ切れているようにも思えた。そして、
「……いいだろう……オレが……力を貸してやる……」
「えっ?」
先程彼は言った。『オレはお前』だと。
自分が自分に力を貸すなど何とも可笑しな話であるが、もう一人のアグモンは構わず話を続ける。
「……よく聞け……選ばれし子供が次に戦う相手はメタルシードラモンだ……歴史的には選ばれし子供達がヤツを撃退する筈だが……今回……その役目はお前が担え……いいな?」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってよ! 何でキミはそんな事知ってるの? それに……ボクはまだ究極体には……もっと力を蓄えないと……」
彼の提案はいくら何でも無茶がある。
少なくともダークマスターズとまともに戦うためには、何より先に究極体へ進化をしなければならないのだから。
現状では、いくら完全体として強かろうが万に一つもアグモンに勝ち目などない。沙綾も恐らく強く反対するだろう。
沙綾のためなら命を捨てるアグモンだが、流石に犬死にする気はさらさらない。
「……敵データのロード……それも結構だ……だが、お前がこれから戦おうとしている相手が、そんな方法だけで勝てる程甘いと思うな……」
「……っ! じゃあ、他にどうしろっていうの!?」
「……フン……お前は何を聞いていた……? 言っただろう、力を貸すと……ヤツに対抗出来る"力"は……既にお前の中にある……オレが、その力を後押ししてやる……」
そう言う彼だが、アグモンにとってはそれこそ馬鹿馬鹿しい話である。もしそれが本当ならどれだけ楽か。それ以前に、始めからカオスドラモンに勝てる力があるなら、そもそも彼らは過去になど来ていない。
しかし、
「信じられない……と言った顔だが、お前は一度無意識にその"力"を行使した事がある筈だ……もう忘れたか……?」
「……!……ムゲンキャノン!?」
そう、対ヴァンデモン戦で見せたあの技こそ、彼の言葉が満更嘘でもない何よりの証拠。
「……アレの応用だ……あの時、お前が引き出したのはあくまで"技"だけだったが……今度は、"オレそのもの"の力をお前へと流す……最も、『以前』に比べればオレの力もたかが知れているが……それでも、お前を"究極体"に押し上げるには十分だ……」
「…………」
理屈は全く不明ではあるが、筋は通っている。
少なくとも、あの夢で"彼"の戦闘力の高さは保証されている上、あの時引き出した"技"の威力も究極体に迫るものだった。
もし、それ以上の力がアグモンへと流れてくるとすれば……
言わば、"自分自身のロード"と言ったところだろうか。
「……そんな事が、ホントに出来るの?」
「案ずるな……
そう言うと、彼はアグモンの返事を待たずに彼へと背を向け、『話は終わりだ』と言わんばかりに真っ白な空間をコツコツと去っていく。そして最後に、ふと思い出したかのように一瞬立ち止まり、振り替える事なく
「だが……最後に一つ……お前はオレだが……それでも、決して"オレ"にはなるな……」
その言葉の直後、彼の体がスーっと、まるで周囲に溶けるかのようにして消えていく。
「あっ! ちょ、ちょっと待ってよ!君は『ボクが君だ』って言うけど、まだボクには、君の事が全然分からないよ! なんでそこまで知ってるの!? ねぇ! 待ってったら! 」
まだまだ聞きたい事は山のようにある。
なんとか引き留めて詳しい話を聞きたいアグモンであったが、
「うっ……こんな……タイミングで……」
どうやら"時間切れ"が来たようだ。
夢の終わり。
伸ばした手は
「……まっ……て……」
意識も薄くなり、立っている事すらままならない。
こうなってしまっては、最早アグモンに抗う術はない。
後は、強制的に現実に引っ張り返されるのみである。
その時、
「……
なくなっていく意識の中、最後にそんな声が、遠ざかるアグモンの耳に聞こえた気がした。
事実上、これが最後のアグモンの夢……
やっと、やっと此処まで来ました……
次回
ロード進化 "決戦兵器" ラストティラノモン!