デジタルワールド、
「……俺達……帰ってきたのか……?」
新緑の森の中太一がそう呟く。
「そうみたいですね……ここは……えーと……ファイル島でしょうか?」
「ファイル島か……なんだか随分懐かしいな」
ヴァンデモンとの決戦を終え、歴史通り無事にこの世界へと帰還を果たした選ばれし子供達は、本当に帰って来れたのかを確認するためか回りをキョロキョロと見回している。
その一方、
「帰ってきたんだね……」
目の前に広がる鬱蒼と生い茂った草花と、青々とした森の木々。久方ぶりとなるこの世界を体で感じながら、沙綾は囁くように呟いた。
「ん、どうかしたのマァマ?」
沙綾を下から覗き込みながらアグモンは首を傾げる。
そんなパートナーを優しく見つめた後、彼女は言葉を続けた。
「……なんだか不思議だなって……そんなに時間は立ってない筈なのに、前にみんなと旅をしたのがもうずっと昔みたい……」
エテモンの撃破後から現実世界に留まっていた沙綾にとって、実際に経過した時間は一週間にも満たないが、あの時と比べ、彼女の状況は目まぐるしく変化した。
アグモンとは一度離れ離れとなり、気付けば体中に無数の傷を負っていた。更に、不測となるヴァンデモンとの戦闘を経て己の未熟さを想い知り、嘘を付き続けていた事も皆へと知れ渡る。そして言わずもがな、"決戦"へのタイムリミットも刻一刻と近付いてきているのだ。
そう深呼吸しながら感傷に浸る沙綾の背中越しに、太一と空が軽く笑いながら声を掛ける。
「ははっ、それは俺達のセリフだ。 お前が寝てる間、こっちは色々大変だったんだぜ?」
「ふう……本当に、あの時はどうなるかと思ったわ」
「うっ……それはその……ごめんなさい……」
言うまでもなく、それは"メタルティラノモンの暴走"
冗談混じりに言う彼らだが、沙綾としてはなかなか耳に痛く、肩を落として言いにくそうにそう口にした。
しかし、予想以上に落ち込んだ彼女の様子に、太一は焦りながらそれを慰める。
「じょ、冗談だよ! あれはお前のせいじゃないんだ。気にすんなって! なっ!」
「……うん……ありがとう、太一君……」
(そうだ……今は落ち込んでる場合じゃない……もう此処まで来ちゃったんだ……覚悟を決めないと……)
歴史通りに話が進むなら、彼女達はこれから"身を切られるような思い"を何度とする事になる。
親しくしていたデジモン達が次々に倒れていく中で、選ばれし子供達は前へと進んでいくのだ。沙綾はその歴史を知っているが、勿論、だからといってそんな彼らの"結末"を変える事は許されない。以前の彼女ならば、それに対して何も出来ない自分に葛藤を覚えていた。"それでも見捨てたくない"と。しかし今は、
(……決めたんだ……私は……私に出来る事をやり遂げる……)
もう迷う事は許されない。ヴァンデモンとの戦いでは、自身の判断の"甘さ"故にパートナーを無くしかけた。
アグモンは沙綾の判断で行動しているのだ。これから先は熾烈な激戦の連続。彼女が揺らげば、それは"アグモンの窮地"となって表に現れるだろう。
「ああ! くよくよしてんのはお前らしくないって! 元気だして行こうぜ!」
「うん」
(……必ず……"アイツ"を倒す……待っててね……ミキ……アキラ……)
"始まりの決意"を新たに、沙綾は必死に励まそうとする太一へと頷く。そんな彼らを横目に、
「はぁ……もう、太一……デレデレしちゃって……」
「空? どうしたの?」
「……ピョコモン……ううん……何でもない」
ダークマスターズによる突然の襲撃は間近。そんな中、空は少し不満げに、自らのパートナーへとそう呟いたのだった。
デジタルワールド、スパイラルマウンテン第三層、都市エリア。
「……どうやら今、ムゲンドラモンは不在のようですね……」
様々な国の建物がデータとして乱立する巨大都市。
ダークマスターズの一人であるムゲンドラモンが支配するこの街の地下で、アンドロモンは声を潜めてそう口にした。
「今の内に、"メタルエンパイア"の連中を一体でも倒しておきたいところです」
メタルエンパイア、それはムゲンドラモンを頂点としたマシーン型デジモン集団の呼称。
ダークマスターズが世界を支配し、スパイラルマウンテンを作り上げて以降、それに異を唱えたアンドロモンはこの街の地下へと潜伏し、彼の集団に対してレジスタンス活動を行っていた。
最も、完全体の身である彼では当然究極体のムゲンドラモンには歯が立たない。よって、あの機械竜がいない今こそが、メタルエンパイアを攻める絶好のチャンスなのだ。
ただ、本来その活動は、あくまでアンドロモン個人によるものでしかない筈なのだが、
「……では……行きましょうか……」
アンドロモンは振り返り、後方の闇へとそう声を掛けた。
するとそれに答えるように、地下特有の暗い通路の中、コツ、コツという足音を響かせて、その独特の身体が映る。
"時計型の機械"へと騎乗したそのデジモンの名は、
「"クロックモン"……」
「……はい」
そう、沙綾を過去へと送った張本人にして、その後各地を旅しながら、消滅の危機にある彼女を救う手段を模索していた彼である。
「貴方は成熟期だ……戦闘は私が行います……貴方は、サポートに徹して下さい」
「……分かりました」
アンドロモンの提案にクロックモンは小さく頷く。
ただ、その表情はアンドロモンが知る中でも一段と暗く見えた。
「どうしたのです? いつもにも増して、表情が優れないようですが?」
「いえ……別に……何でもありません……」
何故、彼が今アンドロモンと共にレジスタンス活動を行っているのか。それはクロックモンが"歴史のループ"を確かめるため、沙綾が始めてこの世界へと訪れた工場へと足を進めた所まで遡る。
アンドロモンの協力の元、クロックモンは彼の工場の門のシステムを徹底的に解析した。しかし、結果から言えば、彼の推測は残念ながら的を射てしまったのだ。
「この工場の認証システムは正常に働いていた……やはり彼女がこの世界に来るよりも前に……"別の彼女"があの世界で門を開ける登録をしていた事に間違いない……」
"しばらく一人にしてください"
そう言って借りた部屋の中で、クロックモンは明かりもつけずに呟く。
最早疑いようのない解答。
浮かび上がる最悪のシナリオはこうだ。
沙綾がいた時代、その時代で殺される親友を救うため、『別の時代の沙綾』が"先"に過去へと向かう。
今回の沙綾と同じように偶然過去にて登録を行い、今回と同じ旅を送る。
そして、選ばれし子供達と共に"この時代"のカオスドラモンを撃破し、そして最後、全てを終わらせるため、"沙綾がいた時代"のカオスドラモン"を倒すべく未来へと帰った処で……
(彼女は……カオスドラモンに殺される……理由は恐らく、『選ばれし子供達』という戦力を失うから……)
他にも、この世界での決戦の段階で『カオスドラモンと相討ちになる』や『未来へと帰る前に何かしろの事故が起きる』といった結末もあり得る。
いずれにしても、過去の世界は救われているが、"沙綾がいた時代"のカオスドラモンが生存している事に変わりはない。ならば、生き残った彼がその後工場を襲撃して親友を殺害し、結果、『この時代の沙綾』が過去へと渡る。そして再び偶然過去にて扉の登録を行う。
前の沙綾が死ぬと、次の沙綾が旅立つ。
紛れもないループ。
確証はないが、本人に自覚がないまま、"沙綾"は恐らくこの旅を何万回、何億回、何兆回と繰り返しているのだろう。
(……これでは……最早本当に……どうしようもない……)
そしてそれは、恐らくクロックモンも同じ。
沙綾を助ける手段を探しては、結局見つからずに次の沙綾を過去へと送り、その時代の彼が、再び彼女を救う旅を始め、結局見つからずに次の沙綾を……
その中で『世界のループに気付いていながら』、それでも尚ループは続いているのだ。それは正に、"彼には何も出来ない"という『証明』そのもの。
ただ、それだけでは説明がつかない『物』も一つだけある。それは
(唯一……この『小説』だけは『世界のループ説』を否定出来そうでしたが……)
沙綾が未来から持ってきた小説。
選ばれし子供達の激闘が記された伝記だが、その小説内に"沙綾の存在は一言も明記されていない"。
本当に世界がループしているのだとすれば、これは明らかな『矛盾』。ならば、この小説の存在こそが、このループ説を根刮ぎ否定する証拠となる筈。
だが……
(……彼女が一度過去に戻っている事が『確定』した今……最早これも証拠にはならないでしょう……)
それはこの小説が『本当にその世界の伝記』であった場合の話である。
クロックモンはこう考えている。
(仮に……本当に"一番始め"、ループ開始時の彼女が、この本の『原本』を持って過去へと渡り……それが何らかの形で小説の著者へと渡れば……結局矛盾は起きなくなってしまう)
そう、ループが開始される前、正しい歴史の『デジモンアドベンチャー』を持った一人目の沙綾が過去へと渡った時、その小説がそのまま過去の『タケル』へと渡れば、沙綾が介入した世界でも、彼女の登場しない『デジモンアドベンチャー』を執筆する事が出来てしまう。
要は完全なコピーだ。
それが未来の世界で世の中に広まり、そのコピーを手にした沙綾がまた過去に渡ったとすれば、今彼の手元にあるこの小説の説明も付いてしまう。
つまり、世界のループを否定する証拠にはなり得ない。
多くの人々に多大な影響を与えたこの『小説』もまた、彼女と共に同じ時間をぐるぐると回り続けていたのだ。
なら『一人目の沙綾はどうやって扉を開いたのか?』という疑問が新たに生まれるが、結局、『門が勝手に開いた』というのはあくまで『沙綾が過去へと渡る』という"結果"の"過程"でしかない。要はいくらでも変更がきくのだ。最終的に、例え門が開かずとも『たまたま勝手に工場の外壁が崩れた』などの理由で彼女はこの施設に足を踏み入れるように"歴史"が出来ている。
(……なぜ……この小説が過去の著者に渡ったのか……様々な予測を立てる事は出来ます……ですが……実際、それはあまり意味がないでしょう……)
『何故そうなったのか』は問題ではない。
結局『この小説ではループを否定出来ない』という結果が全てなのだから。
八方塞がりの状況に変化は何もない。
「はは……ははは……」
もう、彼には乾いた笑い声しか出てこない。
「……こんな事なら……私は居ない方がましだった……」
"いっそ消えてしまおうか?"
しかし、クロックモン自身が消えるだけで解決するなら話は簡単だ。
確かにそうすればこれ以上の"ループ"は起こらないが、今彼が消えれば、この『世界にいる沙綾』がタイムパラドクスを起こして"消滅"する。
自分のエゴでこの世界へとおくりこまれた今の彼女がだ。
そんな事が果たして許されるのだろうか。
「……もう……疲れました……」
結局答えは出ないまま、クロックモンは暗い部屋で一人崩れ落ちた。
胸の中に溢れるのは、後悔、そして果てしない虚無感。
そして、
「……考えるのは……おしまいです……」
彼はその時思考を停止した。
考えれば考える程、抜け場のない泥沼へとはまっていくだけなのだから……
それから何年、クロックモンは絶望を抱えながらあの工場内に閉じ籠っていたのだろう。
気付けば訪れるダークマスターズの進行。
勿論、クロックモン達のいる工場にも彼らの魔の手は及んだが、その際アンドロモンに救われてその場を脱出し、以後、成り行きから彼のレジスタンス活動に手を貸しているのだ。
その表情に、暗い影を落としながら。
「さあ、行きますよクロックモン!」
「……はい」
アンドロモンの声と共に、クロックモンは暗い地下道を駆ける。
(……恐らく……もう少しで選ばれし子供達がこの世界へと帰って来る……そして、そこには……"当然"彼女もいるでしょう……)
世界のループ。そして"歴史の流れ"
その事実を言い換えるなら、沙綾は余程の事がないかぎり『カオスドラモンに殺されるまでは死なない』
ここまでの彼女の旅の無事は"歴史"によって保証されている。何度窮地に立とうが、"奇跡"と"運命"が沙綾を守護する。
だが、いざカオスドラモンとの戦闘になれば、その"奇跡"と"運命"が彼女に牙を向ける事になるのだ。
(私は……彼女にどの面を下げて会えばいいのでしょうか……)
"小説"では、選ばれし子供達とアンドロモンはムゲンドラモンとの戦いの前に合流する。
ならば、彼と行動している以上クロックモンもそのタイミングで沙綾と再開する事になるだろう。
暗い地下道は果てしなく延びている。
再開の時は刻一刻と迫っているものの、クロックモンは今、沙綾の顔すらまともに見る自信がなかった。
今回の話、もしかすると作者の説明能力的に分かりにくかった方がいるかもしれません。
ですので、これまで話の中で出した情報を少しまとめてみようと思います。
1、カオスドラモンとの戦いでは、沙綾は確実に彼に勝てない
2、何故なら、それは『最終的に沙綾が死ぬ』という歴史がループしているから
3、この事実を知っているのは、現状クロックモンだけ
4、沙綾の持ってきた『デジモンアドベンチャー』は、"前回"のループ時の沙綾が持っていた『デジモンアドベンチャー』がその世界のタケルへと渡り、沙綾のいた時代で彼が『そのまま』世に広めたもの。
5、だから、小説内に沙綾が登場しないにも関わらず、未来の世界のヒカリが沙綾をよく知っている。
何故『タケルに小説が渡ったのか』、それはこの先でキチンと説明していこうと思います。たぶん、かなり後半の話になるかとおもいますが。
カオスドラモンの想いに、世界のループ、タケルに託される彼の小説。そして、アグモンの最後の進化。
今、冒険が進化する!
あ、あと、あまり関係ないですが、今回文章を書き出すのが難しくて、息抜きがてらに全く別の小説もスタートさせました。もし原作を知っている方がいましたら読んでやって下さい。
基本は此方を優先しますので、更新は一定を越えるとゆっくりになりますが。