工場の探索を開始してから約1時間が経過し、時刻はもうすぐ5時になろうとしていた。
廃墟と化した工場の中をパートナーのティラノモンを連れて歩く沙綾であるが、今だに手がかりになるものは見つかっていない。
分かった事と言えば、この工場の内部、奥に進むごとにあまり物が壊れていないという事ぐらいだろうか。
現に今彼女達のいるこの廊下のような場所は、壁にヒビこそ入っているが、入り口の様な有り様にはなっていない。
最も、相変わらずデジモンの姿だけは何処にも見えないのだが。
「うーん、ここにも誰もいないか。ティラノモン、そっちはー?」
「こっちも誰もいないよー。」
こういったやり取りがこの1時間の間に何度となく行われている。広い工場の中、文字通り隅々まで探しているが、小型デジモンの一匹も出てくることはない。
「ねーマァマ、こっち側には何も無いんじゃないかな
さっきからずっとこの調子だよ。」
「はぁ、私もそんな気がしてきたよ。アンドロモンも見つからないし……」
二人して肩を落とし、ため息を付く。
「メール、入ってないよね…」
沙綾は他の2人が何か見つけていないかとデジヴァイスをみるがやはり連絡は何もない。この様子では恐らく二人も自分と同様何も見つけていないのだろうと、沙綾はため息混じりにティラノモンへと声を掛けた。
「…もうちょっと探してみて、何もなかったらいったん入り口に戻ろっか」
「……うん、そうだね」
その提案に彼は頷き、二人は探索を再開しようと一歩を踏み出す。しかしその時、
「っ!」
カタンと、彼女達が居る通路の少し先で小さな音がしたのだ。周囲一体が静けさ包まれる中、その音はすんなりと二人の耳へと届いた。
「誰かいるの!」
「わわっ……み、見つかっちゃった……」
沙綾が反射的にその方向に目をやると、その音の主であろう小型のデジモンが、此方の姿を見て一目散に逃げて行くのが見える。
「待って! 行くよティラノモン」
「オッケー、マァマ」
二人その音の主を見つけるなり同時に駆け出した。
広い工場の中、その小型デジモンは懸命に距離を取ろうと走るが、如何せん歩幅に違いがありすぎる。
沙綾達と小型デジモンとの距離はぐんぐん縮まっていき、やがて逃げられないと観念したのか。そのデジモンは立ち止まり、クルリと振り返った後、
「お願い。殺さないで!」
追い付いた沙綾達に向かい、そのデジモンは酷く怯えながら、そう言った。
「えっ、何?、殺すって!?」
いきなりそんな事を言われるとは思ってもいなかった沙綾は少し動揺するが、そのデジモンを怖がらせないように、出来るだけ優しい口調で話す。
「怖がらないで。私達はそんな事しないよ。ちょっと話を聞かせて欲しいだけ」
「……ほ、本当……?」
「うん」
その言葉に少しは安心したのか、そのデジモンはゆっくりと顔を上げ沙綾と目を合わせた。
「あなた、コクワモンだよね。何があったか話してくれるかな。」
彼女は2年間の冒険と小説の知識で、デジモンに対する知識はそれなりに深い。この個体とは初対面でも、以前同じデジモンを見たことがあるのだ。
「え……えと……そ、その…」
すると、コクワモンは沙綾の顔を見つめて
「お、お願い!みんなを助けて!」
今度は先ほどとは真逆の言葉を口にしたのだった。
「そっか…成る程…えと、一度此所で起こった事を整理してもいいかな?」
その後、沙綾達はいったんコクワモン別室へと連れていき、そこで彼をある程度落ち着かせた後で、この工場で起きた"事件"について話を聞く事となった。
結論から言ってしまえば、コクワモンの話の内容は沙綾達の予想以上に深刻なものだったと言える。
「まず今から3日前、いきなり1体の赤いデジモンが工場を襲撃してきた」
「うん」
「入り口付近で激しい戦闘が起こったけど、そのデジモンに桁違いの強さを見せ付けられて、勝てないと思ったアンドロモンは被害を抑えるために、直ぐ工場のみんなに投降するよう呼び掛けた」
「うん」
「工場を制圧した赤いデジモンは この工場全体を封鎖……施設内のデジモン全員を連れて、北側の一番広い大きな部屋に立て籠る…」
「うん」
「あなただけは、隠れながらずっと助けを待っていたけど、そのデジモンと同じ色で、形がちょっとだけ似てるティラノモンを見て、手下だと思って逃げてしまった……こんな感じ?」
「うん…そう…ごめんなさい」
敵だと勘違いした事を申し訳なく感じているのか、コクワモンは小さく詫びながら頷く。それに対し、沙綾の後方で共に話を聞いていたティラノモンは、今しがたの内容にかなりの動揺を見せていた。
「どうしよう、大変だよマァマ!早く何とかしないと!」
「ちょっと待って、まずはこの事をみんなに知らせないと。」
しかし慌てるパートナーとは対照的に、沙綾は冷静を保ちながら、急ぎデジヴァイスでアキラとミキへメールを送る。コクワモンの話を信じるならば、これは最早彼女達が解決できる問題ではないだろう。
(工場内の全員を1匹で相手して勝っちゃうなんて、もしかして究極体デジモンなのかな?もしそうなら、私達が行っても多分どうしようもない……)
返事を待つ間、沙綾は腕を組み考える。
究極体、それはデジモンの頂点、
その力は正に圧倒的で、並みのデジモンではまるて相手にならない程の実力を持っているが、個体数が極端に少なく、実際の冒険で遭遇することなどほぼない。
かつてデジタルワールドを支配したダークマスターズも、この究極体の集団であったことが小説にも書かれている。
(とにかく合流した後一旦街に戻って、大人達に伝えないと)
凶悪な究極体がこの工場内にいるとすれば、この場に長く止まる事は正解ではない。
そう考えている時、彼女のデジヴァイスが電子的な音を上げてメールを自信した。ミキからである。
『とにかく、一度入り口で合流しましゅう』
(ミキ…だいぶ慌ててるみたい)
誤字の入った文面からは彼女が相当焦っているのがよみとれる。だがミキと同じく、今は皆と合流するのが得策だと考えていた沙綾は、デジヴァイスで彼女に返事を返した後、一先ず入り口で皆と合流する事を決めた。
(アキラから連絡はこないけど、一斉送信だから今のやり取りは届いてる筈…大丈夫…大丈夫)
頭に浮かぶ最悪の状態を否定して、彼女は二匹にメールの内容を話し、急ぎ部屋を後にした。
そして来た道を戻る最中、不意に沙綾は、先ほどの話で気になった点をコクワモンへ問いかけることにした。
「ねぇコクワモン…その赤いデジモン、立て籠ってどうするつもりなのかな?」
それは当然の疑問だ。
立て籠るというのは、主に追い詰められた者が取る行動、圧倒的な力を持つ者がすることではない。加えてこの工場は何かを生産している場所でもないため、制圧したところでメリットが何もない。
「うーん、よく分かんない……でもあのデジモン、クロックモンがどうとか言ってたよ」
「クロックモン?」
デジモンについてそれなりの知識を持つ沙綾が、聞きなれないその名前に首を傾げた。
「うん…珍しいデジモンなんだけど、ボクらも良く分からないんだ。あんまり人前に出てこないデジモンだから……」
「成る程…じゃあこの工場を襲ったデジモンは、そのクロックモンを狙って来たんだ…でも、それじゃ尚更何で3日も立て籠ってるのかが分かんないね」
結果的に分からない事が逆に増えてしまう。
それに加え、北側に向かったアキラから返事が未だに来ないことも沙綾には気掛かりであった。
嫌な汗が沙綾の背中を伝う。
そして、
「あっ!居た!ミキー!」
「沙綾!」
工場の入り口付近では、既にミキとシードラモンが到着しており、沙綾達は無事彼女と合流を果たした。
だがやはり、そこにアキラの姿はない。
「沙綾!アキラと連絡取れないの!そのデジモン、北側の部屋に居るのよね!」
ミキはアキラがモノクロモンと向かった先を指差しながら言う。その言葉は早口で、彼女が如何に焦っているのかが伺える。
「もしかして、アイツに見つかっちゃったのかも。」
話を聞いていたコクワモンが再度怯えながらに答えた。
恐らくそれはミキが考えていた事と同じなのだろう。意見を肯定された彼女の表情が歪む。
「とにかく落ち着いて。コクワモン、外に出てこの工場の事、街の人に伝えて」
「う、うん」
沙綾は開いている門を指差し、コクワモンにそう指示をした。
「ミキは此処で待ってて。私とティラノモンでアキラを探すから……大丈夫だよ。 私もアキラもちゃんとバックアップがあるんだから」
不安そうに見つめるミキにそれだけを伝え、沙綾はアキラが消えた北側の通路に向かって走り出す。この状況においてバックアップの存在はそれだけで絶大な安心感を持たせてくれる。沙綾が冷静さを全く失わないのも、一重にこのシステムのお陰なのだ。
そして今まで取り乱していたミキも、その安心感に背中を押されたのだろう。
「待って!……私も……行くわ」
勇気を振り絞るように、沙綾へとそう声を描けた。
「ミキ……うん!」
彼女は少し驚いた表情の後頷き、2人とそのパートナーは共に北側の通路に走り出した。
しかし、
「どこにいるの! アキラ!」
「居るなら返事してよ!」
アキラを探しながら、沙綾達は工場の奥へ奥へと進む。
彼のパートナーはモノクロモン。この工場では目立つデジモンを連れている以上、近くに居ればすぐに分かる。
だが、手分けしてしらみ潰しに探してみた沙綾達であったが、一時間が経っても一向に発見出来ない。
周辺の部屋にくまなく捜し、もはや目を通していないのは、あの赤いデジモンが立て籠るという部屋だけとなっていた。
「後はもう…この部屋だけ…」
「うん…覚悟を決めなきゃね」
沙綾は一度大きく深呼吸しミキを見る。
ミキの方は、やはり恐怖があるのだろう。彼女の額には汗が滲んでおり、手も少し震えている。それでも、彼女は沙綾の視線に無言で頷き、二人は目の前の大きな扉を見た。
「大丈夫?ミキ。」
「ええ、怖いけどね。手、繋いでくれる……?」
「うん」
右隣に立つミキの手を、沙綾はぎゅっと握る。
中の様子は分からないが、分厚い壁の内側からは、今は何も聞こえてはこない。
扉はボタンで開く自動ドアで、これを押せば中に入れるようだ。
もしアキラがまだ工場内に居るとすればもうこの部屋以外にない。
「ティラノモン…たぶん戦いになるよ、準備はいい?」
「シードラモン…無理はしないでね…」
二人は険しい顔でパートナーを見上げ、二体はそれに軽く頷いた。
「よし!行くよ!」
沙綾は今、ボタンを押す。
そして、彼女は知る。
『覚悟をきめなきゃね』
そういいながら
沙綾は、『大切なものを失う覚悟』など、何一つ出来てはいなかったのだと………