工場にてアンドロモンを助けた沙綾はその後、撰ばれし子供達と共に、そこから通じる地下水路へと足を進めた。
道中、突如表れたヌメモンに襲われた彼らは、一度地上へと逃れる。しかし、不自然に並んだ自動販売機から再度ヌメモンが現れ、彼らは再び追われることとなるのだった。
「みんな、別れて逃げよう!」
「分かった! 沙綾も気を付けろよ!」
「う、うん! 」
ヤマトの提案を受け入れ、太一を始め、皆は散り散りに目前に広がる森を目指して逃げていく。
確かに、この深い森ならば、追っ手のヌメモンを振りきるには都合がいいだろう。
ただ、この目前の森が、子供達の次なる試練となる事を、沙綾以外は誰も知らない。
「アグモン、急いで急いで! 追い付かれちゃうよ!」
「う、うん!」
しぶとくこちらを追い続けてくるヌメモンを後方に、沙綾は一歩後ろを走るパートナーを鼓舞しながら、頭の中で次の展開を整理していた。
(えぇと、確かこの後、ミミちゃん以外のみんなは、この森でもんざえモンに捕まっちゃうんだよね……)
木々の間をすり抜けるように、軽快に沙綾は進む。
(みんなは洗脳されちゃって……それを助けるために、ミミちゃんがトゲモンと一緒にもんざえモンと戦う筈……でも…洗脳…私も…されるべきなのかな…)
彼女は考える。例え洗脳されても、ミミがもんざえモンを止めれば、それは解除されるはずである。彼女としては無駄に抵抗して歴史に違いが出てしまうのは避けたい。
しかし、
(洗脳かぁ……大丈夫なのは分かってるけど……)
やはり"洗脳"と言う言葉に抵抗があるのだろう。一時とは言え、自分が自分ではなくなるのだ。恐怖を覚えるのは当然である。
(……………うぅん……やっぱり、捕まるしかないのかなぁ……)
「マァマ! ちょっと……待ってぇ……」
今まで沙綾のペースに必死に付いてきたアグモンが、体力切れと共に徐々に彼女から離されていくが、慎重に思考を回している沙綾は気づいていない。
(いや……ちょっと待って、もんざえモンを怯まして、その間にいったん逃げる…… )
「はぁ……はぁ……マァ……う、うわぁぁぁ!」
後ろのアグモンが、大量のヌメモンの"うんち"にまみれても、彼女は振り返らない。いや、気づいていない。
(玩具の街を見つけるのは、たぶんそんなに難しくない……なら、森でほとぼりが冷めるの待って、その後みんなと合流すれば……)
もんざえモンを傷つけず、洗脳もされず、歴史も変わらない。
沙綾は確信したかのように少しの笑顔を浮かべる。
(よし、これなら大丈夫そう。 問題は、何時もんざえモンが出てくるかだけど……)
「マァマァァ!」
"うんち"まみれになりながら、アグモンの助けを呼ぶ悲痛な声も、既に距離が離れすぎているためか、彼女には届かず、沙綾はそのまま、"自分の作戦だけ"を連れ、一人森の奥へと走り去ってしまうのだった。
そして…
森の奥へと一人走り続ける彼女の耳が、徐々に近づくいてくるドスンドスンと言う音をとらえた。
(この音、もしかして…)
「おもちゃの街にようこそー」
出会い頭にその言葉を発しながら、黄色い巨体は沙綾に近づいてくる。彼女はそこで立ち止まり、散々練った自身の作戦の決行を告げた。
「アグモン! あいつを怯まして、右に逃げるよ!」
言葉と同時に後方にいる筈のアグモンへと振り返るのだが、勿論、そこには誰もいない。
「えっ……アグ……モン……」
完全な一瞬の静寂、そして、
「あ、あれぇ……」
そんな拍子の抜けた情けない声が、深い森へと消えていった。
一方、沙綾のアグモンは、ヌメモンの攻撃で汚れた身体を拭き取り、一人森の中をさ迷っていた。まるで迷子の子供のが母親を探す様に。
「マァマー、何処にいるのー?」
テクテクと歩きながら、声を張り上げて彼女をよぶが、森の中から返事は返ってこない。
既に二人がはぐれて1時間がたとうとしているのだが、その間、このデジモンは一度も止まることなく沙綾を探し続けている。
「マァマ、何処に行っちゃったんだろ……?」
ポツリと、不安そうなこえでアグモンは呟く。
沙綾は旅なれているとはいえ、普通の人間である事に違いはない。狂暴な野性のデジモンに襲われた場合、自分が居なくては身を守る事も難しいのだ。
"絶対に守る"と誓った直後と言うこともあり、今の彼は焦っていた。
「早く見つけないと…」
アグモンは更に森の奥へ奥へと歩き続ける。
木々の間にまで目を配り、耳を澄まして周囲の音に気を遣いながら進んでいくと、
「……うん、何だろう、この音……?」
沙綾の声ではないが、遠くから、どことなく楽しそうな音楽が聞こえてきたのだ。その音を頼りにしばらく歩いていくと、やがて、アグモンはこの場に不釣り合いな一つの人工物を発見した。
「これは、えぇと、たしか、遊園地……? マァマが前に"アキラ達と遊びに行った"って言ってたっけ……」
正面入り口のゲートを前に、彼は首を傾げながら呟く。
知識としては知っている人間世界の娯楽施設。
何故こんな所にポツリとあるのかは彼には分からない。
しかし、『もしかしたらここに来てるかもしれない』
そう思ったアグモンは、迷うことなくそのゲートを潜り、テクテクと園内へと足を進めた。
すると、
「わーい、楽しいなー」
「あっ!」
ゲート潜って早々、アグモンは園内を駆け回る太一を発見した。さらに首を回してみれば、遠方には他の子供達の姿も見受けられる。
探している人物の姿はないが、共に行動する者を見つけられたのは大きく、アグモンは急いで、一番近い太一の元まで走りよった。
だが、
「良かった、みんな此処に居たんだね。 ねぇ、マァマ見なかった?」
「わーい、わーい」
「あれっ? ボクの話を……」
「楽しいなー」
どうにも、その様子がおかしい。
まるでアグモンなど見えていないかのように、太一は声を掛けるアグモンを無視して去っていく。その背中を玩具に追われながら。
「? どうしちゃったんだろ……あっ、ねえヤマト、マァマを……」
「わーい」
「??」
誰に話しかけても、返事すら返ってこない。
彼らは皆、この園内の玩具とひたすらに戯れているのだ。
『いくらなんでも、これはおかしい』
流石のアグモンもそう感じるが、ならば尚更、沙綾の身が心配になってくる。
(でも、太一達がここにいるなら、やっぱりマァマも……ここに?)
結局、彼は一人で園内の探索を始める事にした。
遊園地というよりは、一つの"街"に近いこの場所を、アグモンは彼女を探して足早に回る。
そして、
十分程が経過した後、遂に広い敷地の中、ペタリと地べたに座り込み、不自然な笑顔を浮かべて玩具と戯れる"彼女"の姿を見つけたのだ。
「マァマ!」
「わーい、楽しいなー」
「ねえ、ボクが分からないの!?」
急いで駆けつけてその体を揺するも、状態はやはり、他の子供達と同じ。
アグモンの声に耳を傾ける事もせず、兵隊の玩具につつかれながら。感情の籠っていない声で笑っている。
彼には過去の知識はほとんどない。
よって、何故、子供達と沙綾達がこうなってしまったのかが、アグモンには分からないのだ。
「ねえマァマ! マァマったら!」
「ふふふ、楽しいなー」
「しっかりしてよ!」
「ふふふ」
呼び掛け続けても、体を強引に揺すってみても、彼女は一向に反応を示さない。当然であろう。既に彼女は、"あるデジモン"によって"洗脳"を受けているのだから。
「ねえマァマ……ボク達は、こんなとこで遊ぶために、"こっち"に来たんじゃないよね……」
「楽しいなー」
ちょこんと隣に座り、遊び続ける彼女をしばらく見つめたあと、再び立ち上がり、決意を固めた静かな口調で、
「マァマは絶対、ボクが守るから……」
そう彼女に言い残して、タタタっと、アグモンは一度その場を走り去るのだった。
アグモンは思う。沙綾がこうなってしまったのには、きっと何か原因があるはずだと。いや、彼女を含め、選ばれし子供達の殆どが、この街で同じ状態に陥っているのだ。ならば、
(きっとここの何処かに、マァマがこうなった原因がある筈)
右へ左へ、怪しい所がないかと、アグモンは街の中をぐるぐると駆け回る。
建物の中を片っ端から物色し、街の至る所にある玩具達を一つ一つ調べ、怪しい箇所がないかを細かく探していくのだった。
しかし、
「はぁ……はぁ……どうしよう……見つからないよ」
何せそこは一つの街、
彼一人で調べきるには些か限界がある。
休む事なく探し回っても、原因となるものはなかなか見つからず、分かったことと言えば一つだけである。
(みんなのデジモン達が何処にもいない……あとは、ミミ……だったかな……あの子も……)
街で遊び続けているのはあくまで子供達だけ。
そのパートナー達の姿は、今の所一匹足りとも見当たらない。
最も、まさか彼らが『幽閉されている』などとは、アグモンは知る由もない。
「……うぅ、挫けちゃダメだ……早く、マァマを戻してあげないと!」
全ては、大切なパートナーを元に戻す、ただそれだけのために。彼は流れる汗を拭い、再び街を駆け巡る。
そして、彼のその願いは直ぐに叶えられる事になる。
『歴史』が動き始めたなら、『原因』は自ずと姿を現わすのだから。
しばらくして、
「きゃぁぁぁ!」
「えっ! な、何!?」
自身の遥か後方から響く甲高い叫び声に、アグモンは思わず体をビクッとさせる。
同時に聞こえ始める、ドスン、ドスンという地鳴り。
彼が恐る恐る自らの後ろを振り返ると、道の遥か向こうに、米粒程の大きさの二人組と、それを追う、一匹の巨大な熊のぬいぐるみが、自分の方に向かって物凄い速度で迫ってくるのが見えたのだ。
「えっ、あれは……ミミと、パルモン? って、うわっ……こ、こっちに来たぁ!」
「いやぁぁぁぁ!」
追い回されるミミの顔には必死さが滲み出ているのが分かる。そこには、沙綾達のような"不自然さ"は欠片も感じられない。
ようやく見付けた"まとも"な人間なのだが、
「に、逃げないと!」
今はそんな事を言っている場合ではない。
急ぎ逃げるアグモンではあるが、運悪く此処は一本道。
更に、散々走り回った影響か、思うほどに早くは走れず、あっという間に、ミミやパルモンと並ぶ事になってしまった。
そして、
「あ、あなた! 沙綾さんのアグモンね!」
「よかったわ! まだ捕まってなくて!」
追い付いた彼女達が、アグモンへと早口にそう声を上げた。
「えっ!? つ、捕まるって!? も、もしかして、マァマがあんなになっちゃった事と関係あるの?」
"二人は何か知っているのか?"そう考えたアグモンは、巨体から必死に逃げながら、祈るような気持ちでミミ達へと問う。
すると、
遂に探し求めていたその答えが、彼女達の口から返ってきた。
「みんな、あのデジモンのせいでこうなっちゃったのよ!」
「もんざえモンを倒さないと、みんなが!」
「えっ!?」
頭で理解するのに数秒かかる。
そう、彼は今まで、『この街の何か』が沙綾を狂わせているのだと思い込んでいた。
しかし、実際は『この街の誰か』、つまり後方の巨体が沙綾を狂わせたのだ。
「あの、デジモンの……せい……?」
無邪気なアグモンの表情が変わり、直後、一人ピタリとその場で停止した。事実を知った以上、彼にもう"逃げる"という選択肢はない。
"何よりも大切な存在"に手を出したその『原因』が、今自分の直ぐ後ろにいるのだから。
「……こいつが……こいつがマァマを……」
今まで吐き出す場所の見つからなかったアグモンの"怒り"が、フツフツと沸き上がる。
「アグモン! 何してるの!」
「とにかく今は逃げましょ! もんざえモンは完全体よ! 私達まで捕まっちゃうわ!」
ミミとパルモンの声も、もうアグモンには届かない。
完全体がどうしたというのだ。
このデジモンは、主のためならば"究極体"にさえ躊躇うことなく突き進む。
巨体はもうそこまで迫っている。それでも尚、彼はそれを睨み着けたまま動こうとはしない。
その時、
「ミィミちゃぁん! 助けに来たぜぇぇ」
「ヌメモン!?」
"お気に入り"であるミミを守るため、突如沸き上がるように現れた大量のヌメモンが、その身を盾にしてアグモンともんざえモンの間と立ち塞がった。
歴史と同じように、
「あんた達、どうして!?」
本来であれば、ここでヌメモンが倒された怒りで、パルモンはトゲモンへと進化を果たす。
沙綾が捕まっていなければ、アグモンに過去の知識があったのならば、恐らくその通りになったであろう。
しかし、
「………許さない……おまえが……」
沸点を向かえたアグモンの理性の糸が、プツリと音を上げて焼け切れた。
「おまえがマァマを……あんなにしたのかぁぁぁ!」
「ア、アグモン、ちょっと、どうしたの!? あっ、待って!」
「うあぁぁぁぁ!」
引き留めようとするミミの手をかわし、彼は盾となるヌメモン達の元へと一気に加速した。
だが、その目に写るのは最早倒すべき相手のみ。
「アグモン進化ァァァ!」
「ちょっ! えっ!? う、うわぁぁぁ!」
アグモンだった身体は光を上げて一気に巨大化し、ヌメモンを"吹き飛ばして"、赤い体色の恐竜へとその姿を変貌させる。
弾かれた彼らは、周囲の家々へとペタッ、ペタッ、と打ち付けられ、そのまま目を回して沈黙した。
「ティラノモォンッ!」
「うおぁぁ!」
「!」
ガコンと、勢いに任せた全力の突進がもんざえモンへと直撃し、その体を大きく後方へと吹き飛ばす。
バタリと背中から倒れるもんざえモンだが、勿論、この程度でティラノモンの怒りが収まる筈がない。
「うあぁぁぁぁ! ファイヤー、ブレス!」
咆哮を上げ、立ち上がろうとするもんざえモンに、更に遠距離から凄まじい火炎を浴びせかけた。
「!!」
だが、向こうも黙ってそれを受ける訳にはいかない。
ティラノモンを"敵"と認識したのだろう。もんざえモンは今までほとんど閉じていた目をカッと開き、即座に防御の姿勢を取った。
燃え盛る炎は彼の身を一瞬飲み込むが、ダメージ事態は細部を焦がす程度に止まる。
「っ!」
ならばと、ティラノモンは再び近接戦へと勝負を持ち込むために突き進む。
その時、目前の敵がニヤリとした表情と共に、今まで閉じていた口を、遂に開いた。
「ラブリーアタック!」
「!」
なりふり構わず突進するティラノモンに向け、もんざえモンは自身の必殺を放つ。
それはシャボン玉の様にふわふわと宙を舞い、猛進するティラノモンをその中にすっぽりと閉じ込め、
「……ぐ……うっ……」
彼の動きを、一時完全に停止させたのだ。
これがもんざえモンの狙い。
シャボンに埋まるティラノモンを見て、もんざえモンが黒い笑みを浮かべた。
「んふ……おもちゃの街へ……ようこそ」
それは正に、自身の勝利を確信したかのように。
『ラブリーアタック』は、シャボン玉の中に入ったものを幸せで満たし、戦意を喪失させる技。
黒い歯車の影響を受け、『間違った幸福』を与えられた子供達は、この技によって洗脳を受けた。
『当てるだけで勝利が決まる』これ程恐ろしい技はないだろう。
ただ、
「許さない……」
「ん?」
今回ばかりは違う。
沙綾の感情を奪い、その逆鱗に触れた者の技で、ティラノモンが戦意を無くすことなどありえない。
「……ボクは……お前を絶対に許さない!」
「!?」
幸せのシャボンにヒビが入る。直後
「ぐおあぁぁぁぁぁぁ!!」
パチンと、咆哮と共にそれは弾け、ティラノモンは再び前進を開始する。
そして、
「ダイノキック!」
自身の技が破られ、唖然とするもんざえモンを力任せを蹴り倒し、そのまま馬乗り状態になり、発達した腕で、もんざえモンの顔面を思いきり地面へと打ち付けた。
「マァマを返せ!」
彼の追撃は止まる事を知らず、更に、二度、三度と、容赦なく鋭い爪を降り下ろす。
「!……!……」
完全体の中でも戦闘力自体は比較的低いもんざえモンは、モノクロモン、シードラモンのデータで強化されたティラノモンの攻撃を覆す事ができないのだろう。精々腕を盾に頭を守るのが精一杯である。
形勢は完全に逆転した。
いや、勝負はもう決まった。
しかし
「このっ! このぉ!」
腕の布が千切れ、抵抗してもがいていた身体が沈黙しても、その攻撃は一向に終らない。
そんな時、
「もうやめてぇぇ!」
余りにも一方的な暴力に耐えかねたミミが、後方から悲痛な叫びを上げた。
そしてそれに呼応するように、彼女のデジヴァイスが光る。
「ミミ! ミミのデジヴァイスが!」
この時点ではまだないが、彼女の紋章は純真、純粋にこの暴力を止めたいと願う彼女の想いが引き金となったのだろう。
"幸運"にも、歴史と同じタイミングでの進化が始まったのだ。
「力が、溢れてくる……パルモン進化ー !」
頭の花が特長のデジモンは、その容姿を大きく変え、人の形をしたサボテンへと進化する。
「トゲモーン!」
進化したパートナーに一瞬唖然とするミミであったが、直ぐに視線を前に戻し、トゲモンに指示を出した。
「おねがいトゲモン! ティラノモンを止めてぇ!」
すがるような目を向けるミミに、トゲモンはグローブの親指を立てる。
「オッケー、ミミ、任せて!」
進化前より遥かに野太くなった声で、トゲモンはそれを了承する。その言葉と共に、彼女は未だ目の前で暴力を奮い続ける恐竜に向かい、前進を開始した。
今回は半分アグモンが主人公です。
1話で終わる予定だったのですが、長くなったので2話に分けることにしました。
追記、修正しました