他の駆逐艦たちと諍いを起こした島風を、比叡が諭すお話。

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 以前、「周木ひばり」名義で同人誌に寄稿させて頂いた作品です。
 縦書きを前提に書いたので、詰まっていて読みづらいかも。
 いずれ、横書きに最適化して書き直すかもしれません。


涙、風にたくして

「喧嘩……ですか?」

「ああ。情けないことに、な」

 比叡の問い掛けに、長月が頷く。

 出撃を終えて帰投し、提督への報告を終え、さあ部屋で休もうというところで、深刻そうな顔をした長月に呼び止められたのが先程の話。普段から堂々とした態度を崩さない長月の憔悴した表情は、比叡に事の重大さを予感させるに充分なものだった。

 込み入った話がある、と告げた長月を自室に招き、比叡は説明を促した。比叡の差向いに座った長月が、口を開く。

「事情を話そう。重ね重ね、情けない話ではあるのだが」

 聞けば、第一艦隊の出撃中、待機していた島風と他の駆逐艦が喧嘩をしたという。比叡の記憶の中にも、駆逐艦の中で島風が浮いた振る舞いをする場面はいくつか存在した。だが、それは周囲との軋轢を表面化させるほどのものだっただろうか。比叡の胸中に、疑問符が浮かぶ。

「詳しい経緯、お聞きしても?」

「ああ。最初はいつも通りの、単なる憎まれ口の叩き合いだった。島風が周囲の遅さに文句を付けて、周りがうるさいと返す、その程度のな。仲が良いとは決して言えずとも、険悪な雰囲気を後に残す程の諍いではないと、そう考えていたよ。現に、その程度の言い争いは何度も起きていたしな」

 だが、と長月は続ける。

「今回は、違った。珍しいことに、電が反発したんだ。尤も、彼女のことだ、声を荒らげたりはしていない。ただ、皆ともっと協調してはどうか、と……彼女なりに優しげな言葉を選びながら、そんなことを言った」

「……それを聞いて島風ちゃん、爆発しちゃったんですか」

 言い終わるのを待たずに、比叡が返す。長月は片眉を上げ、よくわかったな、と呟いて、説明を続ける。

「何で私が遅い船に合わせなきゃならないの、というのが島風の答えだ。普段の小馬鹿にした態度ではなく、見るからに苛立ちを浮かべた表情でな。雷がそこに噛み付いて、島風は更に頑なに敵意を顕にした。そこからはもう、弾薬庫に火を投げ込んだような大騒ぎだな。相棒の提案を無下にされて激昂した雷を筆頭に、血気盛んな駆逐艦が乱闘の構え。私や菊月、不知火が両者を物理的に押しとどめて、陽炎や時雨が言葉巧みに宥めて、その場はなんとか収まった」

 心底疲れた、という様子で項垂れる長月に、比叡がおずおずと問い掛ける。

「それ、どうやって決着したんです……?」

「今もって、決着していない」

 項垂れたままの長月の言葉に、比叡の表情が引きつった。

「決着していな……ってそれ、非常に不味いような……」

「実際、非常に不味い事になってる。ここに来るまでに宿舎の様子を見ただろう? 喧嘩の空気が伝わったか、どこもお通夜ムードだ」

 実際、比叡が自室に至るまでの道中、常ならば日中は話し声の絶えない筈の宿舎には、静寂が満ちていた。駆逐艦の住む区画だけではなく、普段は彼女らの次に姦しい軽巡洋艦たちの部屋までもが静まり返っている。

「思えば、不和の種はずっと前から撒かれていたんだ。常日頃からずっと蓄積されていた隔意が今回、爆発した。雷は自分が余計なことを言ったせいだと青い顔で悩んでいるし、喧嘩に乗った他の艦娘も、後味の悪さを抱え込んでいる。そして島風は完全に拗ねて引き篭もる構えだ。結果、膠着状態が完成した」

 そこまで言うと、長月はひとつ、長い溜息を吐いた。

「そこで、だ。島風の説得を、君に頼みたい」

「わたしに……ですか? いえ、最初からそういうお話だろうとは思ってましたが……理由、お聞きしても?」

「局外者のように語ってしまったが、私も駆逐艦だ。あの場に居た者が説得に当たれば、余計に拗れるだろう。他の艦種で……尚且つ、能力が島風に劣らない者。この場合はつまり君に、説得をお願いしたい」

「―――はい。説得の話、お受けします。でもその、能力とは……?」

「受けてくれるか。助かる」

 相好を崩したのも束の間、すぐに咳払いをして真面目な顔を繕うと、長月は続ける。

「……島風の不幸は、あの生意気さに見合った実力を有してしまっていることだ。勿論知っているだろうが、彼女くらいの傲慢さを持つ艦娘など他にも大勢いる。だが、同じ艦種の艦娘に対して、単独であれほどに優れているのは島風だけだ。戦艦が重巡洋艦を凌駕する、といった類の話ではなく。……解るか?」

「あ、はい、何となくは。集団の中で、仲間に対して突き抜けて高い能力が彼女を一人ぼっちの孤高に押し上げてしまっている……ってことですよね」

「そうだ。生意気な発言を冗談に留めておけない強さが、島風の言動を殊更に強めてしまっている。せめてこの艦隊に雪風が来てくれれば、彼女を介して周囲に溶け込む目もあったのだろうが……まあ、すぐに、というのは望み薄だろう。工廠であれ海洋であれ、彼女に会うのは至難と聞く。それ以前に、不和を解消するためだけに彼女を求めるというのも大概失礼な話だしな。……ともかく、島風の言葉を否定するには、少なくとも彼女よりどこかで優れた者でなければならない。どのみち、当事者同士の話し合いだけでは無理がある」

 さて、と呟き、長月は席を立つ。

「今回の件、なるべくなら提督が直接出てきて事を収めるという解決法は採りたくない。提督にそれとなく気を配って頂けるよう頼んではあるが、私たちの不和を私たちだけで解消できないようなら、どのみち仲間としてはやっていけないだろうからな。頭ごなしに説教して終わり、というのは避けたいんだ」

 言って、長月は薄く笑った。そういえば、依頼されたのは説得であり、説教ではなかった、と比叡は遅まきながらに気づく。

「本当のところを言えば、島風は駆逐艦同士とは没交渉でも問題なく任務に就けるほどの能力を持っている。薄情に聴こえるかも知れないが、他の駆逐艦との不和を解消できなくとも、彼女に居場所はあるんだ。……だから、と言う訳ではないが、気負わずにな。最善を尽くしてくれれば、それで構わない」

 それではな、と言い残して長月は部屋を出る―――直前で振り返り、

「そうそう、特に緘口令を敷くつもりはないから、私以外の者と相談してくれても構わない。ただ、無闇に話を大きくして島風を刺激しないようにだけは気をつけてくれ」

 そう言い残して、長月は退室する。残された比叡は一人、自室で説得の手管を練り始めた。

 

 

 

「で、うまい方法が考えつかなかったから相談ってワケかぁ―――あたっ」

「そこ、茶化さないクマ!」

 酒瓶を片手にあっけらかんと尋ねる隼鷹の頭に、球磨の主砲が突き刺さる。図星だったのか、うう、と呻き声を残して比叡は卓に突っ伏した。傍らで眺めていた加賀が軽く溜息をつき、最上と大潮が笑う。

 結局、比叡は自らが所属する第一艦隊の仲間を頼ることにした。自分なりの説得の言葉は考えてある。だが、どうしても不安が残るのだ。そこで、と相談を頼もうとした矢先の隼鷹の発言。敵も味方も関係なくペースを崩す、彼女の本領発揮と言えた。

 夜の帳が下りた宿舎。その比叡の部屋に集まり、卓には人数分の酒―――大潮だけはジュース―――を用意して、ちょっとした酒盛り気分である。

「ま、みんなここ数日のいやーな感じには辟易してるし、球磨たちが協力してどうにかなるならいくらでも力を貸すクマ」

 任せるクマー、と胸を叩いて球磨が言う。よっ、かっこいいねぇ! と無責任に囃し立てる隼鷹に、球磨がまたも主砲を突き出す。四つに組んで押し合う二人を尻目に、比叡が思案顔で切り出した。

「どういうお話をするかは決めました。でも本当にこれでいいのかな、って……。そもそも、周りと衝突して頑なになってしまっている島風ちゃんに、わたしの言葉が届くのかどうか」

「ああ、伝え方の話? ……難儀な話ね……これは」

 加賀が眉を顰めながら言う。

「ボクたち六人とも、あんまり意地を張ったりしないからね。喧嘩したことない訳じゃないけど、こういう時にどう動けばいいのかはよく判らないなあ」

 後を継いで、最上がそう告げる。加賀と最上は共に唸りながら考えを捻るが、まとまりのある思考が得られている様子はない。うーん、と他の四人がそれに倣う形で考え始めた。

「……そうだ、あたしなら断然酒だな。酒の席ではみんな本音で喋るもんさ。和解するには最適だろ?」

 停滞しかけた空気を嫌ってか、隼鷹がばしばしと机を叩きながら言う。胡乱げな視線が集まることも意に介さず、手酌で杯を満たしては次々と口に運ぶ。

「……素面でも本音しか言わない子が何か言ってるわね」

 目を向けもせずに加賀が言う。隼鷹は杯を運ぶ手を止め、にやりと不穏な笑みを浮かべると、

「ホラこの通り、普段は仏頂面の加賀の姉さんも酒の力で軽口を―――ぐぇっ」

 言い終わらぬ内に、頬を少し赤く染めた加賀の飛行甲板が隼鷹の頭を痛烈に叩いた。うわ痛そう、と最上が顔を顰める。

「……なんだか難しい話をしてる気がしますねぇ」

「いや、難しい話はまだ何も始まってないクマ……」

 頷きながらしみじみと呟く大潮に、呆れ顔の球磨が突っ込む。そんな二人を眺めて、あはは、と最上が笑った。

 一転して温まった空気に、内心で隼鷹に感謝しながら―――直接言うと調子に乗るのだ―――比叡は話の流れを戻しにかかる。

「お酒はちょっと。また興奮して火が点いてしまいそうですし、そもそも駆逐艦の子たちですから……。でも、お話の仕方そのものを工夫するって線はアリだと思います」

「同意クマ。まずどういう状況で話をすべきか、そこから詰めた方が形になりやすいような気がするクマ」

 たとえば当事者全員集めて話し合いとか、個別に面接するとか、そういった感じクマ、と付け足す。

「なら、それを考えるためにも、大まかにどういう説得をするつもりなのか共有しておいた方がいいんじゃないかな。ここで喋るのはちょっと、比叡にとっては照れくさいかもしれないけどさ」

「同感ね。比叡の方で問題ないなら、それが良い選択だと思います」

「大潮も聴きたいです!」

 最上の提案に、加賀と大潮が乗る。比叡としては曖昧に核心をぼかしつつ説明するつもりだったのだが、その意向が通る空気ではない。

 軽く咳払いをして、

「……わかりました。ちょっと恥ずかしいですが、わたしの話、聞いてください」

 最前から決めてあった口上を、訥々と口にした。

 

 

 

 ―――比叡の「説得」の草案は、ほんの数分で語り終える程度の分量だった。酔いもあってか、話が何度か行き帰りしたとはいえ、本番もおそらくは同程度の時間で済むだろう。

「あの……こんな感じなんですが、どうでしょう? あんまり整然と語れた気がしないんですけど」

 そう言って見渡すも、反応が返ってこない事に、比叡は俄に慌て始めた。その焦燥を見て取ったか、隼鷹も慌てた様子で口を開く。

「ああ、いや。正直、茶化せる内容じゃなかったもんだからさ……。なんつーか、こう、柄にもなくしんみりとしちまった」

 こういう時に真っ先に乗っかるのがあたしなのになー、と嘯く。

「そうね……。どうしたって、私達は神妙にならざるを得ない話だったわね」

 隼鷹ですらそうだったようだし、と加賀が付け足す。手厳しいなあ、と隼鷹は苦笑いをした。

「……ボクは、いいと思う。それが比叡の伝えたいことなんでしょ? なら、僕は肯定するよ」

 凛とした口調で、最上はそう言った。普段から曖昧に穏やかな空気を好む彼女にしては珍しい、はっきりとした言い方だった。

「球磨も最上と同じ気持ちクマ。……他に異論ないようなら、懸案の伝え方について考える段階に入ってもいいと思うクマ」

 球磨がそう発言したところで、ぴん、と手を伸ばして挙手する者がいた。―――大潮だ。

「あの、ちょーっといいですか?」

 この艦隊で、大潮が積極的に意見を表明するのは稀なことだ。相槌を打ったり、意見の折衝に際して潤滑剤として働くのが彼女の常だったし、事実、そういった役割に相応しい愛嬌と嫌味のなさを備えているのが彼女でもあった。

 手を挙げながらも、慣れない視線の集中に戸惑ってか、その表情には不安が浮かんでいる。

 そんな大潮の挙手に、機敏に反応したのは隼鷹だ。

「大潮先輩の発言か。みんな心して聴けよ!」

「隼鷹うるさいクマ。黙るクマ。で、どうしたクマ?」

 すかさず、球磨が便乗する。比叡、加賀、最上は微笑みながら、大潮に次の言葉を促した。大潮の表情に、笑みが戻る。

 こほん、と咳払いをひとつして、大潮は口を開いた。

「大潮はですね、島風ちゃん、きっと誰かに叱ってもらいたいと思ってるような、そんな気がするんです!」

「叱ってもらいたい……?」

 比叡が鸚鵡返しで疑問を口にする。そうです、と大潮は頷いた。

「前に、怒るのと叱るのは違うことだ、って加賀さんが言ってましたよね。みんな島風ちゃんのことを怒ってばかりで、誰もちゃんと島風ちゃんの言うことを聞いてなかったな、って。だからきっと、島風ちゃん、気を遣ってお話されたりしたら、ますますつらいんじゃないかなー、と」

 あー、と隼鷹が唸る。否定できんクマ、と球磨が続いた。引き合いに出された加賀は、酔いか照れか、頬を赤く染めたまま瞑目している。

「そうだね、その通りかもしれない。島風、あれで聡い子だから」

「だからここはですね、比叡さんらしく、どーん! と行くべきだと思うんです!」

 どーん、と両腕を振り上げながら大潮は熱弁する。

「すごい感覚的な表現が出てきたクマ」

「大潮らしいね」

「わたしらしく、どーん……か……」

 球磨と最上の苦笑いを傍らに、比叡が呟く。その肩を、隼鷹の飛行甲板が突付いた。そちらに顔を向けると、隼鷹は満面の笑みを浮かべて、

「ほら、出撃の時にいつもやってるアレあるじゃん。あんな感じでさ」

「アレ……ですか?」

「そうそう。ほら、『気合い!』」

 言うと、隼鷹は加賀へと視線を移す。

「……………………『入れて』」

 随分と間を置いて、嫌そうに加賀が呟く。

「『行くクマ!』」

「途中から球磨さんになってますよー!?」

 ここぞとばかりに立ち上がり叫ぶ球磨に、心底驚いた、といった様子の大潮。二人を見て、腹を抱えて笑う最上。

 唐突に、比叡の胸に浮かぶものがあった。現前する不和の解消、それが当初の目的だったし、今でも変わらず目的としてある。

 ―――ただ、願わくば、一歩踏み込んで。島風に、こんな景色を見せられたなら。

 そんな思考に突き動かされて、比叡は立ち上がり、自分のトレードマークともなった決め台詞を、高らかに放った。

「気合い! 入れて! 行きますっ!」

 笑みに縁取られた五対の瞳が、比叡の決意を後押しした。

 

 

 

 翌日の朝。任務明けすぐの為、第一艦隊の成員には休養が命じられていた。普段なら隼鷹や球磨は遊びに出たり、加賀は赤城の下を訪れたりするところだが、比叡と島風の対話を思ってか、何となく全員が加賀の部屋に集っていた。

「しっかし比叡の奴、昨日の今日でよくやるもんだなあ……」

 頬杖をつきながら、隼鷹が言う。他の艦娘がお茶を飲んでいるのに対して、彼女だけは氷水を給されている。何がいいかしら、と問われてあさりの味噌汁と答え、飛行甲板で殴られたのが先ほどの出来事だ。

「二日酔いなのは貴女くらいでしょう。非番の前日を狙った酒席とはいえ、弛んでいます」

 ふう、と溜息をつく。そういうのは言いっこなしだろー、と隼鷹は笑った。

「……それにしても、昨日はどうにも変なことばっかり口走ってしまったような気がするクマ。この球磨ともあろうものが、雰囲気に当てられたクマ……?」

 うーむ、と球磨が腕を組んで唸る。加賀しか真面目な者がいないと提督に言わしめた第一艦隊にしては、昨晩の会話、殊にその後半はどうにもらしくなかった、とは言えた。

「まあ、らしくない気分にさせるような話が出来てる時点で、比叡の話に力があるって証明にはなるだろうさ。あたしとしても、ちょっと不服なこと言っちまった記憶はあるし」

 精進が足らないなぁ、と呟く隼鷹に、加賀が顔も向けずに呟く。

「安心なさい。貴女だけはいつも通りだったから」

 そりゃないぜ姉さん、と隼鷹が叫び、あとはいつも通りのくだらない言い合いが展開されていく。

 一連の流れを聴いていた大潮は、心底不思議そうな表情で、

「そうですか? みなさん、いつもかっこいいですよ? 大潮、見習いたいと思いました」

 そんなことを、言った。途端、どうにもならない気恥ずかしさが他の四人を襲う。急に黙った余人を眺めて、大潮は何がどうしたのかと不安げに目を瞬かせた。

「いや、大潮は怖いね……本当……」

 最上の呟きに、三人分の頷きと、一人分の疑問符が返された。

 

 

 

 同日、同時刻。しまかぜ、と書かれた木札の下げられた扉を前にして、比叡はひとつ深呼吸をしてから、静かに扉を叩いた。

 ややあって、部屋の中から声が帰ってくる。

「……誰?」

「比叡です。ちょっとお時間、いいですか?」

 精一杯、優しげな声を意識する。息を飲むような静寂を挟み、やがて扉の向こうから足音が近づいて来るのを、比叡は感じた。足音が扉一枚隔てた向こう側で止まり、ぎぃ、と軋むような音を立てて、部屋の主が顔を覗かせる。

 島風が辺りを視線で伺うのを見て、一人だけですよ、と比叡は告げた。島風は少し安堵したような表情を見せ、入って、と呟いて部屋に引っ込んだ。

「……それで、何の用? 島風を怒りに来たの?」

 ベッドに腰掛けた島風は、比叡に顔を向けずにそう言った。多量の刺々しさと、一抹の悲しさを混ぜた声色。そのまま、視線で文机に備え付けられた椅子を勧める。比叡は敢えてそれを無視し、島風の隣に腰掛けた。

 二人分の体重を支えて、ベッドが緩やかに軋む。

「誰もついてきてくれないのは、寂しいですよね」

 出し抜けに放たれた言葉に、びく、と島風の体が震える。体を縮こまらせながら、島風は言葉を返す。

「みんなが遅すぎるのが悪いの。私、一人でならもっと速く走れるのに」

「そうかもしれませんね。みんなが島風ちゃんみたいに速ければ、みんなで一緒に走れたかもしれません」

「……怒らないんだ」

 意外そうに呟く島風に、比叡は微笑む。

「島風ちゃんに誰もついていけないのは、事実ですから。もちろん、みんなに刺々しい態度を取っちゃったのはいけないことですけど……その寂しさは、無視できません」

「……誰も、私には追いつけないよ。みんなで走るなんて、できっこない」

「みんなに合わせて遅く走るのは、嫌い?」

 無言で、島風は頷く。そうですよね、と呟いた比叡の声に、島風の目に涙が浮かんだ。

「大潮ちゃんは夜戦が得意で、球磨ちゃんは何でもできて、隼鷹さんや加賀さんは航空戦に必要不可欠で、最上さんは求められた役割に応じて柔軟に対応できて……って話をしようかとも思ったんですけど、やめました。そういうことじゃ、ないですもんね」

 そこまで語ると、比叡は島風の肩に手を回した。触れた瞬間、島風の体が大きく震えたものの、拒絶する様子はない。そのことに僅かに安堵しながら、比叡は腕に力を込めて島風を引き寄せる。

 二回りは小さい島風の体は、比叡の胸の中にすっぽりと収まった。

「―――艦娘はみんな、おぼろげに船だった時の記憶を持っていますよね」

 唐突な話題の転換に、島風が怪訝な顔をする。比叡はにっこりと笑みを深め、話を続けた。

「ひとつながりの記憶ではないけれど、実感だけは確かにある、不思議な記憶……。わたしの艦隊でもよく、加賀さんが昔のことを引き合いに出すんですよ。五航戦の子なんかに負けてられない、って。でも別に、瑞鶴さんや翔鶴さんと、この鎮守府で喧嘩した訳じゃないんですよね」

 島風の頭を撫でながら、比叡は続ける。語る口調は段々と熱に浮かされたような、夢を見るようなそれへと変じてゆく。

「あれはきっと、遠い昔の、船だったころの記憶が見せる想いなんだと思います。現実と言うにはあやふやで、それでも幻ではない想い。……ここからは、わたしの話になるんですけど。わたしの船としての最期は、離脱が間に合わずに集中砲火を受けてのものでした」

 島風は肩越しに、部屋に置かれたタービンに視線を遣る。無意識の所作だった。比叡もその視線を辿り、そっか、と呟く。

「島風ちゃんは、タービンを?」

「……うん」

「わたしは舵をやられてしまって。霧島ちゃん……わたしの妹なんですけどね。彼女がわたしを引っ張っていこうとしてくれて、でも、状況が許してくれなくて。結局みんな、先に離脱しちゃいました。ああ、置いてかれちゃうんだ、って思ったこと……ぼんやりと覚えてます」

 島風が勢いよく顔を上げる。何かを言おうと口を開いたところで、比叡は再度、島風を胸に抱き直した。

「違うんです。島風ちゃんを責めてる訳じゃないですよ。ただ、そういう風に沈んでしまった船がいるってことだけ……知っていて欲しかったんです。置いていく船には置いていく船の悲しさがあるように、置いていかれる船には置いていかれる船の悲しさがあるってこと―――あはは、何言ってるのかな」

 なんか、よくわかんなくなっちゃいました―――と、比叡は呟いた。昨晩語った時には、もう少し理路整然と説明できていた筈なのに。いつの間にか、話の舵を手放してしまっている。

 どう話を継いだものか、比叡が逡巡していると、島風の手が比叡の頬を撫でた。肌に触れた暖かさと、そして、水気を含んだ感触に、比叡は驚く。

「――――――泣いてる」

 見れば、心配そうに見上げる島風の顔があった。自分が涙を流していたことに、今更に気付く。ああ、昨晩はお酒の勢いもあったから平気だったのかな、などと場違いな所感を抱く。

 黙して涙を流す比叡の姿を見て、何を思ったか。島風は、焦った様子で口を開いた。

「わかった。じゃあ、その時は私が助けてあげる」

 え、と比叡の声。島風は、今度は自分から比叡を抱きすくめるように、腕に力を入れる。

「私が引っ張ってあげる。同じことがあっても、私が、あなたを」

 暫しの沈黙。呆けてしまっていた比叡も、目の前の駆逐艦が必死に自分を慰めようとしていることを認識して―――途端、おかしさに笑いがこみ上げて来た。

「……本当ですか? わたし、重いですよ?」

 涙の跡を見せながら、比叡は微笑んだ。島風も、彼女らしく挑戦的な笑みを返す。

「任せておいて。今度はばっちり、タービン周りも整備したんだから」

 普段の島風と同じ、自負に溢れた台詞。比叡にはそれが、いつもよりも角のとれた響きをしているように感じられた。

 そっと腕に力を込めて、島風を抱きしめ直す。

「―――そうですか。じゃあ、待ってますね!」

「うん。絶対、助けるから」

 

 

 

 そのまま暫し、無言で過ごした後。比叡の腕の中の島風が、ぽつりと呟いた。

「私、謝った方がいいのかな」

 消え入るような声に、比叡は薄く微笑むと、優しげに囁く。

「どう思います? 謝った方がいいのか、謝らなくていいのか」

「謝った方がいい……ような気がする」

「そうですか。じゃあ、謝らないとですね」

「でも、謝り方、よく知らない」

「……じゃあ、この比叡おねーさんが教えてあげましょう。これでもわたし、年下の喧嘩を仲裁するのは得意なんですから!」

 その日、夜遅くまで、島風の部屋には灯りが点いていた。細々とした、しかし楽しげな会話を、部屋の前を通った艦娘が何人か耳にしたという。

 

 

 

 比叡と島風が二人で話した翌日、駆逐艦の間で話し合いの場が持たれた。

 島風以外の艦娘には、長月が説得役として当たっていた。その甲斐もあってか、特に紛糾することもなく会談は終わった。互いに謝りっぱなしの場だったという。一足飛びに仲良し、とは行かないものの、島風と雷、そして他の艦娘の和解が成され、宿舎は以前のような姦しさを取り戻した。

 比叡にお礼がしたい、と島風が言い出したのは、それから数日後のことだ。

 扉の向こうから楽しげな声の漏れ聞こえる廊下を、比叡は歩いていた。目当ての部屋の前で足を止め、扉をノックしようと腕を上げたところで、数日前に訪れた時とは違った風景に気付く。パステル調の色で飾り立てられた、横書きのかわいらしい表札が扉に下げられていた。周囲を見渡すと、他の駆逐艦の部屋の表札もまた、同様の意匠で統一されている。

 比叡はひとつ微笑むと、扉を軽くノックした。間をおかずに騒がしい足音が目の前まで近づいて来て、勢い良く扉が開け放たれる。

 扉の向こうから飛び出してきた島風は、満面の笑みを浮かべていた。飛びつくように比叡の手を取ると、そのまま宿舎の入り口へと走りだしてゆく。

「ちょっ、危ないですよー!」

「平気平気! ほら、ついてきて!」

 やかましく音を立てながら廊下を走る二人に、何が起こったのかと部屋から様子を見に艦娘が顔を出す。事の次第を悟ると、彼女らは一様に微笑みを浮かべ、顔を見合わせた。




・タイトルはつじあやのさんの歌から拝借。
・碌に内容の固まらないうちにタイトルをつけたところ、導かれるようにオチが決まりました。
・作中メンバーはどこかの海域のフィニッシュ用編成とかだった筈。思い入れのある面子ですね。


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